反日はどこからくるの
反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。
亡命工作員の語る対南工作2
13.同胞見捨てた金大中政権と始まった救出運動
より一部引用
p240~244
北朝鮮による拉致の目的
日本政府は2002年現在、北朝鮮が8件11人の日本人を拉致し帰さずにいると認定し、北朝鮮政府に交渉している。一体北朝鮮は何のために日本人を拉致したのか。元北朝鮮工作員の安明進氏は1998年7月31日、次のような証言をした。
拉致は1960年代からであったが、本格化するのは70年代中ごろからだ。74年金正日が後継者に選ばれた後まず手を伸ばしたのが資金、人事のすべてが優 先的に回されている対南工作部門、三号庁舎だ。金正日は三号庁舎を掌握するために、74~75年にそれまでの工作活動を検閲し、その成果はゼロだったと批 判した。そして、「工作員の現地人化教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ」という指示を出したのだ。その指示により、日本 人をはじめとして韓国人、アラブ人、中国人、ヨーロッパ人が組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学の「主体哲学」という科目の中で、金 正日のおかげでいかに対南工作がうまくいくようになったかという例として学ばされた。
ここで安明進氏が語っている「三号庁舎」とは朝鮮労働党の中央委員会直属の対南工作部署の総称である。「三号庁舎」は統一戦線部、35号室(対外情報調査部が改称)、対外連絡部(社会文化部が改称)、作戦部という朝鮮労働党の中央委員会直属の4つの部からなる。
金日成は金日成の後継者としての地位を固めるとすぐ「三号庁舎」を完全に掌握し、1967年初めに開かれた対南工作部門幹部会議で自分の対南戦略について 体系的に演説した。その金日正演説の中身を入手した。「三号庁舎」で長年勤務したあと韓国に亡命した元労働党幹部シン・ピョンギル氏が、ソウルで出版した 『金正日の対南工作』の中で詳しく紹介しているのだ。
その中で拉致に関係する部分を見ておこう。
金正日は工作員の育成体系も変えなければならないと主張した。(略)特に南朝鮮などの資本主義社会に適応できるよう技術・生活習慣・言語風習をおしえなければならないというのだ。金正日は「工作員が現地化、敵区化されるよう教養体系を変えねばならない」と釘を刺した。
ここで言う、「現地化、敵区化」には、外国人化と韓国人化の含まれていた。そして前者については次のように語られる。
金正日は第三国迂回工作においては、工作員が外国人の身分で合法化しなければならないと主張した。日本に行けば日本人に、中国に行けば中国人に、カンボジ アに行けばカンボジア人になり、言語・習慣・職業問題を合法的に解決できなければならないと強調した。金正日は現地人と同化できたならば、工作はいくらで も自由にできると付け加えた。
また後者についてはこう語られる。
(直接韓国に侵入する工作員は)合法的な身分と職業を 持ち、南朝鮮の人になりすまさなければならないという。(略)そのためには彼らに多様な職業技術を教え、南朝鮮化・現地化されることに努めなくてはならな いと強調した。南朝鮮の歌を歌い、南朝鮮の喫茶店と飲食店・料理店にも自由に出入りし、旅館・ホテルの利用にも不自然さがないだけでなく、商売をしても難 のないように現地適応教育を行うべきだと主張した。このような教育は短期間内に済む性質のものでないので、1~2年以上の長期教育を実施するべきというの だ。
北朝鮮が1976年の金正日指示に従い進めた工作員の現地人化には、日本人化だけでなく、他の外国人に化ける活動もあった。78年 にはレバノンで4人の女性が日本企業に就職させてやるとだまされて北朝鮮に拉致された。翌79年家族が便りがないことでおかしく思い騒ぎだした。するとそ れを安心させるため監視付きでユーゴスラビアに出国した2人がすきを見て逃げ出し拉致の実態が明らかになった。レバノン政府は北朝鮮に残り2人の解放を強 く求め、具体的経緯は不明だが残り2人もレバノンに帰国が許された。
1996年、韓国情報部はフィリピン人に化けて韓国に入り長期間、 「外国人」大学教授をしながら工作員活動を続けていた「三号庁舎」対外情報調査部工作員ガンスを逮捕した。また、98年12月韓国軍によって沈没された北 朝鮮の半線背浮いていにはやはり長期間韓国でマレーシア人として活動してきた工作員が載っていたことが、船体を海中から引き揚げて調べた結果、判明した。
韓国人化教育の実態
外国人化だけでなく、韓国人化のための工作員教育も着々と進んでいる。
1996年韓国東海岸で座礁して発見された潜水艦に乗っていた乗務員と工作員らは、韓国軍軍服か韓国の若者が着るジーンズにスニーカーという服装で韓国に上陸した。彼らが身につけていた一部は、何と韓国が水害援助物資として北朝鮮に送ったモノだった。
亡命した北朝鮮の大幹部、黄長燁元労働党書記は金正日が戦争を仕掛ける場合、韓国軍人に偽装した工作員を上陸させて彼らに軍事境界線を北上させて北朝鮮へ の軍事攻撃を行わせ、韓国が侵略してきたと国際社会に宣伝して開戦するというシナリオがあると暴露した。韓国人化教育を受けた多数の工作員の存在があって こその作戦だと言える。
p246
「以南化環境館」に関して、安明進氏は著書『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店、1998年)の中で次のように実態を明らかにしている。
当時、韓国の実情を教え込む教育会館は龍城区域新美里10号洞(「10号棟」と訳されているが、北朝鮮の地名であるため「洞」が正しいと思われる・西岡 補)という場所にあったが、それはまさに巨大な一つの韓国社会だった。この教育会館は、またの名を「環境会館」とも言われていた。龍城区域の山野地下に 10キロ以上もトンネルを掘って、そこに作られた巨大なセット(略)、そこは本当に華やかな宮殿のようだった。(略)その教育会館は長さ10キロ以上、幅 30~40メートル、高さ4メートルにもなる巨大な洞窟で、中には韓国の街並みがそのまま再現されていたのである。(略)
ちなみに韓国にあるも のはほとんどそろっており、韓国社会そのものと言ってもよかった。警察署から小学校、中学校はもちろん銀行、スーパー、高級ホテル、ひいては退廃的な歓楽 街までそのまま再現されていた。そこで学生の韓国人化教育に携わっている人々は、私が接してきた限りでも80名以上はいたと思うが、彼らはほとんどが韓国 人化教育のために拉致されてきた韓国の人々だった。
当初、そうした人たちがどういう経緯で北朝鮮にやって来たのかわからなかったが、やがて私はその経緯を耳にするようになる。すなわち北朝鮮当局は、必要と思えば手当たりしだいに韓国から人々を拉致してきたということだった。
p265
現在、対南工作担当の党中央委員会書記は金容淳①だが、彼は4部のうち統一戦線部のみを統括しており、他の三部は金正日が直接管轄している。
統一戦線部は韓国で革命を起こすために各界各層への浸透工作を担当している。朝鮮基督教連盟などの北朝鮮内の宗教組織はこの部の傘下にあり韓国の宗教界への浸透工作を受け持っている。
35号室(対外情報調査部)は外国での情報収集とテロ活動を担当している。1987年11月にソウルオリンピックを阻止するために行われた大韓航空機爆破事件はこの部によるものだ。
対外連絡部は韓国内への工作員の派遣や地下党建設など非合法活動を担当する。作戦部は他の部の工作員が韓国や日本に侵入する際の送り迎えを担当する。また、拉致もこの部の担当だ。安明進氏は作戦部所属だった。
高英煥「朝鮮労働党の対南工作機関」 『現代コリア』1995年8・9月号参照
参考
よど号犯と拉致
亡命工作員の語る対南工作1
韓国の反日の裏にいる仏教団体・曹渓宗 ←朝鮮基督教連盟
金容淳書記のこと ←①
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