反日はどこからくるの
反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。
亡命工作員の語る対南工作1
6.安明進氏の命懸けの証言『THIS IS 読売』1998年10月号より一部引用
p113~118
家族会と救う会は1998年7~8月に、亡命工作員安明進氏を招き、新潟市、柏崎市、東京、神戸市、鹿児島市、福岡市で講演をしてもらった。安氏はこのと き、「拉致の命令者は金正日だ」という証言をした。彼は自らの身の安全のために、それまでそのことを語っていなかった。金正日の責任に直接言及するとテロ にあうと恐れたのだ。しかし、彼は命懸けで証言してくれた。北朝鮮が出してきた「八人死亡」という情報は、安証言を否定する意図のもとに出された謀略情報 だった。命懸けで嘘をいう人間はいない。その一点だけでも安氏の証言は信じられる。
「外国人である私が命懸けで証言しているのに、横田めぐみさんらの救出に日本国民が関心を持たず、日本政府が強い意志を示さないことに失望しました」
1998年7月31日から8月10日までの11日間、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(佐藤勝巳・小島晴則共同代表)の招きで来日した元北朝鮮特殊工作員、安明進氏が韓国への帰国に際して筆者に語った言葉だ。
安氏は1968年8月26日、北朝鮮の黄海北道平山郡に生まれた。父は職業軍人であり、エリートの家庭だった。87年3月、特殊工作員養成学校である金正 日政治軍事大学に入学、6年余り同大学で想像を超える様々な訓練を受け、93年5月20日に25期生として卒業、作戦部所属715連絡所(沙里院連絡所) に特殊工作員として配属される。93年8月30日、韓国軍兵士に偽装して四人組の工作員の一人として韓国領に侵入、同9月4日に韓国に亡命した。安氏の亡 命動機や訓練の中身など紹介したいことが多いのだが、紙数の関係で省略する。詳しくは安氏が98年3月に出版した『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店)を読ん で頂きたいが、一つだけエピソードを記しておく。筆者は今回、11日間安氏と行動を共にしたが、福岡でカラオケに行った際、安氏が韓国の歌謡曲を数曲、大 変上手に歌うのを見て、どこで覚えたのか尋ねた。安氏は「金正日政治軍事大学の中に地下トンネルがあり、そこには韓国の街がそのまま作られており、拉致さ れた百人余りの韓国人が店員などとして働かされている。そこに3、4軒カラオケ店もあって韓国の店と全く同じカラオケ機械があり、そこで練習した。60曲 をうまく歌えるようにと言われ、試験まで受けた」と答えた。安氏の上手な歌を聞きながら、北朝鮮の対南工作にかけるすさまじい執念を思った。
今回の安氏の訪日は、横田めぐみさんら日本人拉致の実態について証言するためであった。安氏は韓国に侵入する工作員として訓練を受けており、大韓機爆破犯の金賢姫①の ように日本人教官から「日本人化教育」を受けてはいない。それにもかかわらず安氏は、日本政府が「北朝鮮に拉致された疑いのある日本人」と認めている7件 10人のうち、横田さん、市川修一さん、「李恩恵(リウネ)」と呼ばれるT・Y[田口八重子]さんが、金正日政治軍事大学で、工作員日本人化教育の教官を させられていたことを明確に証言しているのだ。
金賢姫事件で変わった教育法
工作員教育においては、横の人間が何を担当して、どのような教育を受けているかは知らされないし、知ってはならない。それなのに対韓国担当の安氏がなぜ日本人教官の存在を知ったのかには、次のような事情がある。
1987年、安氏が金正日政治郡司大学に入学した年、同大学の17期生、金賢姫が日本人に偽装して大韓機を爆破するテロ事件を起こした。自殺に失敗した金賢姫は、翌88年1月韓国でその犯罪事実を詳しく自白し、記者会見まで行った。
もし彼女が自殺に成功していれば、残ったのは東洋人の死体2つと偽造日本旅券2通だけで、当然大韓機爆破は中東などで活動する日本人過激派の犯行だと疑わ れたはずだ。一方、日本のマスコミは韓国情報部のでっちあげなどという観測を書き、韓国では日本人が150人を殺しておいて「でっちあげ」とは何だと、激 しい反日デモが起きる。そうなれば翌年のソウル五輪への日本不参加、日本人客の激減という大きなダメージが加わっただろう。実際に1974年に在日韓国人 文世光が朴正煕大統領を射撃し、大統領夫人を射殺した際には、ソウルの日本大使館にデモ隊が乱入するなどの騒ぎが起きた。金賢姫はバーレーンで逮捕された 際、たばこに仕込まれた毒薬を飲んで3日間昏睡状態になっている。彼女が生き残ったことは、まさに天が正義に味方したものだった。
金賢姫の自白と記者会見を知った金正日書記(当時)は激しく怒って彼女に対する教育のどこが間違っていたかを検討させた。その結果、彼女は指示通り自殺を企図しており、ソウルに連行されるまでの行動には、全く問題がなかったことが分かる。彼女が転向したのは、金正日政治軍事大学で、韓国がめざましい経済発展を成し遂げたという事実でなく、韓国人民はアメリカ帝国主義の植民地支配下で餓えと寒さで苦しんでいる、と教えられていたからだということが判明した。
そこで同大学の教育課程が大きく変えられる。それまで4年だった教育期間が6年に延長され、韓国の実情についてはありのまま教えることになった。安氏らは韓国の新聞、雑誌、本に自由に接することができるようになった。安氏は韓国紙で金賢姫が特赦で死刑にならず自由の身になったことを知り、大いに驚くと共に韓国への憧れを強めていく。
また、拉致されて日本人化教育を担当していた日本人ら約10人の事務室が同大学の本校に移された。彼らの住宅は、本校から日本人化教育が実施されている分 校に行く途中にあるのだが、あまり長時間学生らと一緒に生活すると、金賢姫が「李恩恵」の特徴を詳しくしゃべってしまったようなことが起きる。そこで、毎 朝本校の事務室に出勤し、そこから分校に教えに行って再び本校に戻り退勤するという勤務体系に変わる。
そしてもう一つ、当時すでに対南、対日などの工作の現場で活動していた60余人の工作員(十期、十一期生)らが再教育のため同大学に呼び戻され、安氏ら正規学生の「担当指導員」となった。
実行者が語った拉致の状況
このため安氏は本校のキャンパスで日本人教官らを目撃し、また拉致を実行した先輩工作員から拉致の状況について話を聞くことができたのである。
横田めぐみさんについて安氏は、「当時10人前後目撃した日本人教官のうち女性は3人で、そのうち一番若くて可愛かったから我々学生の間で関心の的だっ た。1988年10月10日、党創建記念日の式典で自分たち25期成の担当指導者だった丁(チョン)教官が彼女を指さして自分が拉致したと語った。式典 後、丁教官を取り囲んでどのように拉致したのか聞いたところ70年代中ごろ新潟に侵入した際に海岸から少し離れた所で、無線機を使っているところを目撃さ れたのでその場で拉致した、と言った」という。
ここで注目しておきたい点は、目撃されたので拉致したという丁教官の言葉だ。めぐみさん が失踪した77年11月15日の午後6時40分ごろ、現場はすでにかなり暗く、見通しなどきかない。そのためこの安氏の伝える丁教官の話は辻褄が合わない と疑問視する見方が一部にある。
p120~121
日本侵入など「飯を食いトイレに行く」くらいに簡単
日本への侵入を担当する清津連絡所には300余人の工作員がおり、数十隻の工作船があるという。めぐみさんを拉致したという丁教官も清津連絡所所属だ。日本への侵入は警戒が全く手薄で発見されても発砲されないからとても容易で、工作員らは「飯を食ってトイレに行く」くらいのものだと表現しているという。そのため、金正日政治軍事大学で成績の悪かった者が清津連絡所配属となる。
金賢姫の日本人化教育「李恩恵」については、安氏は直接目撃はしていないが、90年か91年ごろ、日本で身元が判明し大きく報道されても何の処罰も受け ず、ただ所属が、同じ対南工作部署の三号庁舎内で、対外情報調査部から社会文化部に移されただけだという話を、大学の中で聞いたという。
日本で騒ぐと拉致被害者の身の上に何か良くないことが起きるのではないかという質問を受けた安氏は、「李恩恵も、彼女が反抗するとかしたわけではない以 上、処罰される理由がない。それに工作員の日本人化教育のために利用価値がある間は利用され続ける。むしろ、拉致問題が大きくなれば、対日交渉のカードと しての利用価値も出てくるから、よけい手出しはしないと思う」と答えた。
安氏は、横田さん、市川さんを含め、10~11人の日本人を目撃している。
さて、今回の訪日で安氏が語った最も注目すべき証言は、拉致の首謀者についてである。「拉致は1960年代からあったが、本格化するのは70年代中ごろか らだ。74~75年に金正日書記が対南工作部門を掌握するため、それまでの工作活動を検閲し、その成果はゼロだったと批判した。そして、『工作員の現地化 教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育に当たらせよ』という指示を出したのだ。その指示により、日本人を始め韓国人、アラブ人、中国人、 ヨーロッパ人が組織的に拉致されてきた。私はこのことを、金正日政治軍事大学の『主体哲学』という科目の中で学んだ」。
参考
瀬取り・韓国民主化・金日成軍事大学
よど号犯と拉致
余談
①大韓航空機爆破事件・金賢姫
2010.8.3 衆議院予算委員会
〇平沢委員(平沢勝栄議員:筆者)
(略)
金賢姫の訪日問題についてお聞きしたいと思いますけれども、金賢姫が訪日してもいいんですよ。しかし、金賢姫というのは二つの側面を持っています。日本人 の拉致被害者と接点があった、もう一つの側面は、百十五人を殺したテロリストという側面を持っているんです。日本の偽造旅券を行使したという、日本の国内 法にも触れているわけです。
同じような事件は一九八八年にイギリスでありました。スコットランドの上空で、パンナムがリビア人によって爆破され ました。これだってカダフィの指示ですよ。去年、スコットランドは、そのリビア人を釈放してリビアに帰しました。アメリカはどう対応したですか。リビアで 大歓迎を受けたんです。刑務所からリビアに犯人は帰りました。健康上の理由でスコットランドが釈放してリビアに帰ったら、アメリカは、オバマ大統領以下、 烈火のごとく怒ったじゃないですか。そして、何と言ったんですか。テロリストに歓迎を受ける資格はないということを言ったんです。
いいんですよ、会ったって。横田さんたち、苦しんでおられるんです。少しでも情報を欲しいんです。元気づけられる、情報を得られる、だから会われるのはいいんです。しかし、VIP待遇。これは世界が見ているんですよ、何なんですか。
そこでお聞きします。
これはどういう形で、日本の法令に触れている人間を入れたんですか。法務大臣。法務大臣。入国は法務大臣じゃないですか。
〇中井国務大臣(中井洽議員:筆者) 後ほど法務大臣もお答えをいたしますが、たくさんのおしかりと御指摘をいただきましたので、責任者として金賢姫氏をお招きした私からまずお答えをいたします。
先生が、ファン・ジャンヨプ(黄長燁:筆者)氏それから金賢姫氏を呼ぶのは反対である、こういうふうに私どもにお伝えいただいたことは承知をいたしており ます。しかし、お話ございましたように、横田さん御夫妻、飯塚さん御夫妻を含めて御家族の方々に直接生存情報というものをお伝えいただく、また国民全体 も、今回の問題で改めて拉致問題を認識していただく、そういうために来日していただくことは必要だと考えて、対策本部の中でお決めをいただき、事務局長た る私で御招待を申し上げ、法務大臣に対しましては、私の方から、ぜひ入国に際して御配慮をお願いしたいと申し上げたところであります。
〇平沢委員 では聞きますが、中井大臣、金賢姫が入国したときに取り調べはしたんでしょうか。日本の偽造旅券を使った容疑があります
〇中井国務大臣 平沢先生は警察御出身でいらっしゃるから御承知だと思いますが、こういうことに関して、取り調べたかしなかったか、あるいは取り調べているかいないか、余り言わないことになっておりますので、御容赦のほどをお願いいたします。
また同時に、彼女が羽田へ着きました後、飛行機をおりるまで一時間余の時間の中で、いろいろな調査等も行われたのではないかと私は思っております。
〇平沢委員 私は呼んだことを反対しているんじゃないんです。鳩山別荘に泊める、ヘリコプターで遊覧させる、これはおかしいじゃないですかと、それを聞いているんです。
では、いいです。ちょっと待ってください。
韓国には被害者の家族の方がおられるんですよ。百十五人亡くなったわけですから、当然。韓国の被害者の家族の方は家族会をつくっています。家族会の方は、 ことし韓国の外交通商省を訪れまして、金賢姫の訪日に反対する抗議書を渡しているんです。何て言っているか。地球上で最も凶悪なテロ犯を訪日させる理由は どこにあるのか、家族の心を、大韓航空機の被害者の家族の心ですよ、家族の心をこれ以上傷つけないでもらいたいと。そして、訪日してからも、自分たち、要 するに韓国の被害者には全然会わないで、日本の拉致被害者の家族にだけ会う、これはおかしいじゃないか、許せないということを言っているんです。
韓国の被害者家族のお気持ちはどう考えておられるのか、教えてください。
〇中井国務大臣 私もたびたび韓国を訪れておりますから、いろいろな韓国内の思い、承知をいたしているつもりであります。
百十五人の方が亡くなられて、痛ましい、許されざる事件であったことは言うまでもありません。しかし、今、李明博大統領は、あえてそういう中でも、日本への彼女の来日を許可していただいたわけであります。百十五人の被害者の大半は、ヒュンダイ建設の従業員でございます。当時、ヒュンダイ建設の社長は李明博さんでありまして、一番つらい御決断を大統領はなさった、このように聞いております。
そういう意味で、今回の特別の措置に、私どもは心から韓国政府に対して感謝を申し上げているところであります。
〇平沢委員 今、借りをつくったという話がありましたけれども、同僚の小野寺議員が最近韓国に行ったら、韓国では、韓国政府は日本政府に大きな貸しをつくったということも言っているそうです。
私が言っているのは、訪日したことを言っているんじゃなくて、何でヘリコプター遊覧とかという特別待遇をする必要があったのかということを聞いているんです。全然答えていないんです、中井大臣は。何でヘリコプター遊覧なんですか、何で鳩山別荘なんですか。
(偶然ですが、今日は横田めぐみさんが拉致されて36年だそうです....)
コメント
「金正日政治軍事大学」の講堂は800人ほど収容出来る大きな建物である。記念行事や訓練成果の表彰式が行われると、教官に混じって拉致された日本人も出 席させられていたと証言がある。その中には横田めぐみさん、加藤久美子さん、増元るみ子さん、市川修一さん、蓮池薫さん、そして北海道出身の日本人(身元 不明)が参加させられていたという。
講堂の二階には「勝利号」という日本に出入りしている船の船員事務所があって、北朝鮮にないものを頼んで買ってきてもらうことができた。
拉致被害者とみられる松本修一さんに似た男性がよく目撃されていたのが「以南北環境館」だ。ここには、ソウルの街並みがそっくり再現され、本物と寸分違わぬスーパー、ナイトクラブなどで韓国市民の生活ぶりを工作員は学んでいるという。
平壌駅から北へ16km、龍城区域の山中に堀った洞窟内にある「以南北環境館」。
長さ10km以上、高さ4mもの巨大なトンネルの内部には、まるで映画のセットのような虚構の街が作られている。韓国に侵入後、スパイと見抜かれぬよ う、「南」の生活習慣を教え込むための施設だ。一カ所しかない入り口は、分厚いコンクリートの壁で隠されている。鉄の門をくぐって内部に入ると、すぐ左手 に韓国電力公社を模した建物があり、実際にこの施設の電力を供給している。トンネルの内部はこうこうと照らされていて、消費電力は相当なものだ。韓国の街 で見かけるものはほとんど揃っていた。
「あいつが言っていることは確かだ。俺たちが現役のころから、日本人の拉致はあった」
こう安明進氏(北朝鮮工作員)の証言を裏付けるのは、金正日政治軍事大学(以下、大学)の9期先輩にあたる李相哲氏(仮名)と、もう一人の先輩、朴哲秀 氏(同・安氏の6期先輩)。李氏は韓国内で任務中に逮捕され、のちに転向。朴氏は訓練中に軍事境界線を越えて、北から亡命した。
―なぜ工作員になったのですか。
李 ある日、高等学校の校長に呼ばれて部屋に行くと、労働党の幹部らしき人物が3人待っていた。そこで親父の職業を聞かれ、壁のそばに立つように指示され た。体格をチェックしていたのだろう。これが初めての面接で、3日後、郡(労働党は平壌の中央委員会を頂点に道、その下に市、郡という構造になっており、 それぞれに党の委員会がある)の総合病院で健康診断を受けさせられた。さらにもう一回、今度は道の病院で健康診断があり、その後、数学、革命歴史、作文、 国語の筆記試験を受けた。「召喚(合格)通知」が来たのは半年後。時間がかかったのは、党の人間が私の故郷に行って、身辺調査をしていたかららしい。 1000人ほど受けて、合格したのは37人だった。
―朴さんの方は。
朴 同じだよ、同じ。
—なぜ二回も健康診断を?
李人気も高く、地元ではワイロが横行しているんだ。
―朴さんの時は何人受かりましたか。
朴 300人中25人だった。覚えているのは、面接中に何気なく見ていた壁に書かれた文字について問われたことだな。
―親も調べられるのですか。
李 親の職業と親戚も調べられる。親戚の中に警察にやっかいになった人物や、思想的におかしい人物はいないかといったことをチェックするんだ。
朴 7親等まで調べると聞いたな。
李 所属する組織が変わるので、食糧配給先を変える手続きするよう言われた。
朴 平壌はそう簡単に行ける場所ではなかったので、平壌に行くこと自体、出世した気分だった。高いビルが珍しくて、バスの中からきょろきょろ見ていた。日本製のバスだった。
李 俺も同じバスに乗せられた。
朴 バスはどんどん走っていって、しばらくすると山の奥に分け入ってった。
軍服を来た人間が警備する建物に入っていく。ここはどこだろうと不安になった。降りてくるとすぐ、作業服を渡され、「私服は実家に返却するから、これに着替えろ」と指示された。あたりを見ると、人民軍とは違う軍服を着た軍人がいて、しかも長髪だった。
李 当時、韓国で長髪が流行っていたから、韓国に浸透する工作員は長髪にしていたんだ。
朴 長髪の軍人なんて見たことがなかったし、制服も人民軍と違っていて、かっこよかったんだ。肩から斜めにベルトが掛かっていて、防止の真ん中には赤い紋章。まるでゲシュタポのようだったな。
朴 赤い紋章は対南(対韓国)工作員であることの証なんだ。学内の全ての木に藁縄が巻いてあって、これもかっこよく見えた。あとで、木を叩いて体を鍛えるための縄だとわかったんだが。
―大学(当時の名称は金星政治軍事大学)に入学して一番嬉しかったことは?
朴 豪華な食事を食べさせてもらったことかな。犬肉や冷麺を腹一杯食べさせてもらった。俺たちは学校に入学したときから、無条件で将校と同じ扱いだったので、鶏肉や豚肉、卵等が毎日出された。
李 カロリーが(北ではエリートとされる)パイロットより何倍も高かったんだ。
朴 決まった配給分の食糧だけだったので、白米だけのご飯をたべたことなんてほとんどなかった。母はいつも、ご飯にトウモロコシを混ぜていた。誕生日さえ白米が少し多めなくらい。大学では茶碗に目一杯入った白米を毎日食べられて、涙が出たよ。
李 毛ガニの大きいのが一人に一つずつ出たこともある。まったく首領様のおかげだな(笑)
朴 俺は一年で10kgも太った。
李 我々は一般の人民とは、体格が大人と子ほども違っていた。(たしかに、李、朴両氏とも、柔道家のようなガッシリとした体格をしている)。
―辛かったことは?
朴 行軍が一番辛かったな。
李 研修の最後に、完全武装で15〜20kgの荷物を背負い、40㎞の行軍をやるんだ。多くの脱落者が出た。
朴 俺のときは190人のうち20人ほど脱落した。過酷な訓練で、腰や膝を壊す仲間もいた。工作員専門の915病院で検査を受け、「これ以上訓練に耐えられない」と診断されると、工作船の整備工場などに転属させられるんだ。
―印象に残っている講義はありますか。
朴 教育の仕組みが日本の陸軍中野学校に似ていた。中野学校の教科書に、部屋に入ったあと、内部にあったものをすべて書きだすという訓練があった。俺たちもそれをやらされた。
李 地図を2時間見せられたあと、白い紙に思い出して書き、それを頼りに15㎞の指定場所に行く「地形化訓練」というものもあった。
朴 俺もよくやっていた。
李 この訓練を繰り返すうちに、自分が行った場所を無意識に覚えられるようになった。任務中に、いちいちメモなんてとっていられないからな。
朴 学内では女をほとんど見かけなかった。そういや、「招待所」という施設に20歳ぐらいの女の子たちがいたが、とてもキレイだった。俺たちが近くに行く と、サングラスやマスクで顔を隠すんだが、離れると手を振ってくれた。あと女といえば、教官と病院の職員くらい。女っ気はなかったけど「セックス工作員」 なんで授業があったなあ。
李 一般の大学に3年通ってからウチの大学に来た子だろう。昔は小学生くらいの「子供工作員」もいたな。
朴 歯を抜いて老けたように見せかけ、老婆に変装するケースや、夫婦を装ったり、中国人、日本人になりすますなど、いろんなパターンがあった。体を武器にしたセックス工作員もその一つにすぎない。
―大学内でのトラブルはありましたか。
李 先輩後輩の上下関係は厳しかった。教官の言うことは無視出来ても、先輩の言うことは絶対だった。
朴 トイレでくわえ煙草のまま用を足してたら、「生意気だ」と先輩にいきなり顔を殴られた。そのとき鼻を火傷したが、その跡が今でも残っている。
李 韓国に来て、職場で下の者が上司の前で煙草を吸っているのを見ると、いまだに違和感がある。明進(安工作員のこと)が、(著書の中で)煙草を吸ってい た女性を日本人だと断定しているが、根拠がある。北朝鮮の女性は人前では絶対に吸わないからだ。
ちょっと疑問に思ったんですが、北朝鮮と同じように街並みまで作って潜入工作員養成するような諜報機関を持つ国って他にあるんでしょうか。
たとえばソ連のKGBなんかは、諜報員を育成させるため「ガツィーナ」という極秘訓練都市に送り、国外にいるような疑似体験を受けさせられます。
アメリカの諜報機関、CIAは「ファーム」と呼ばれる訓練所があり、そこで軍事訓練や機材の扱い方、海外の語学や文化をスパイ候補生に学ばさせています。