反日はどこからくるの
反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。
ミトラmemo14 陸軍中野学校と金正日政治軍事大学
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第一章 北朝鮮による拉致とは何か
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▼映画『陸軍中野学校』でスパイ教育
「足りなければ持ってくればいい」という発想を示す象徴的な事件として、韓国の映画監督申相玉(シンサンオク)氏と氏の夫人崔銀姫(チェウニ)さんの拉致 がある。拉致されてから8年後、昭和61(1986)年3月に2人はウィーンで脱出に成功しているため、韓国政府の拉致被組織に話をして、申害者リストに は入っていないが、申監督と崔さんは一度に拉致されたのではなく、崔さんが昭和53年(1978)年1月に拉致され、半年後の7月に申氏が拉致された。
拉致の目的は、映画に強い関心を抱く金正日が、自国の映画の質を上げるためだった。実際、申監督は北朝鮮で何本か映画を作っており、そのうち一本は日本でも上映され、評判はあまり芳しくなかった北朝鮮唯一の怪獣映画『プルガサリ』である。
金正日は北朝鮮で二人に次のように語っている(『闇からの谺』文春文庫)。
「なんとしても西方世界から、西方の技術を持ってこのように自由自在に活動した人々を獲得してきてわれわれがそれを土台としてわれわれのものと合わせて西 方に浸透しなければならない・・・・それでわたしはもっぱら申監督に対して目を付けはじめたわけですがね。やむをえずです。(部下たちに)あなた方、申監 督をそのようにしようとすれば、ちょっと、工作組織に話をして、申監督をちょっと引っぱってこい、(彼を)引き寄せる事業(仕事)をして(みよう、という ことになった)、その次に、ここに引き寄せるのに、申監督をどのようにすればいいか。どうすれば彼がここに自由自在にやってきて、自分の心や心境を安らか にすることができるか、そのなにかが、ちょっとないだろうか・・・・で、(申監督が)崔さんと別れていること、この条件が(使える)。今は本気ともつかず 漠然と別れているが、これは本意ではないのだ。そのようにわれわれの同士たちが考えたのだが、そのため崔さんがまず来れば、申監督も来るのが自然ではなか ろうか」
映画ファンである金正日は、北朝鮮の映画の水準に我慢がならなかった。そこで申監督 を拉致しようとした金正日は、監督を連れてくるために事前に崔さんも拉致してしまったということである。
この拉致は二つの意味を持っている。一つは映画の水準を高めるために2人を拉致したという点である。この発想でいけば、偽札を作るために印刷関係の人間を集めるとか、ミサイルが必要だからその技術を持った人間を連れてくるということが当然に起こりうるのである。
もう一つは、拉致した時期にずれはあるものの、男女のカップルを拉致したという点である。昭和53年には、日本でも政府認定のアベック拉致3件、未遂1件 が起きている。それ以外のアベックないし夫婦で失踪した特定失踪者も、1979年代に集中している。金正日の言葉からして、拉致の対象とした人物を北朝鮮 で利用するには精神的に安定させなければならないと考え、もう一人を連れてきたということであろう。しかもこの場合、崔さんを女優として使っているから、 一石二鳥ということだったのかもしれない。
映画と言えば、元工作員の安明進氏からこんな話を聞いたことがある。彼が工作員としての教育を受けた金正日政治軍事大学では、教材の一つとして日本の映画『陸軍中野学校』シリーズ(市川雷蔵主演)を使っていたというのだ。
中野学校は、昭和13年(1938)年に後方勤務要員養成所という名前で開講した情報要員の養成機関である。諜報、謀略からゲリラ戦まで、きわめて高度な 教育を行い、「10年早くできていれば、米国との戦争は回避できた」という人もいるほどである。のちに中野に移転して陸軍中野学校と改名されたが、その存 在は陸軍内でも極秘であり、隣にあった陸軍憲兵学校の生徒すら存在を知らず、憲兵学校の出身者が戦後初めて「陸軍中野学校」という名前を来て、自分たちの 学校のことだと思ったという話すらある。
中野学校のOBによれば、市川雷蔵の映画はかなり現実に近い内容であるそうだ。金正日政治軍事大学では 映画をそのまま見せるだけではなく、工作活動にかかわるシーンをスライドにして教材にしていたという。実際この映画では、拉致、背乗りや病院を工作活動の 拠点に利用することなど、北朝鮮工作員が実際に行っていると思われることが多数出てくる。北朝鮮がらみでたびたび名前が出てくる「西新井病院」(創立者の 金萬有(キムマニユ)が平壌に「金萬有病院」を寄付している)などと、ついダブってしまうのである。曽我ひとみさんもこの映画を正体徐で見せられたと証言 していたように記憶している。
安明進氏は、のちに金正日政治軍事大学になる松島政治学院を作ったメンバーのなかに中野学校出身者がいたとも言っ ている。しかし、この人物の氏名は特定できず、事実の確認はできない。本土決戦になった場合のゲリラ戦を想定し、資料等を残していないため、中野学校の実 態については今も分からない部分が多く、朝鮮半島出身者で在学した者がいたのか、あるいは中野学校出身者が北朝鮮にいて残留したのか、それとも本人が中野 学校出身を僭称したのかも不明である。
いずれにしても、北朝鮮の工作活動のスキルのなかに中野学校に範をとったものがあることは間違いないだろう。テロ国家北朝鮮の「看板」とも言える工作活動すら外部の模倣が基礎になっていることも、北朝鮮の他者依存性を表す一つの象徴かもしれない。
参考
北朝鮮の覚醒剤2 元工作員の証言
北朝鮮の偽札 元工作員の証言
亡命工作員の語る対南工作1
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