無敵の太陽
主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。
2015年05月
教育の目的が分からない
教育問題をテーマにして書く ことは気が重い。教育に関する意見は様々で、世間には持論を展開する人物が数え切れないほど存在するからだ。文部官僚や学校教師のみならず、民間の教育研 究者とか塾の講師など、大勢が教育問題を分析して解決策を提示している。筆者としてはそうした有識者に丸投げして、問題に首を突っ込みたくない。ただ、教 育学部の大学教授やお役所の教育担当者の論文などをちらっと読むと、調査結果の分析をしているようでも、その原因究明になぜかピンとこない。やはり、秀才 だった大人の議論だから、勉強が不得意な子供の心理が分からないんじゃないか? 尾木直人のような教育評論家ではないから、筆者には現代の子供が抱える学習への悩みは分からない。しかし、筆者のような元劣等学生からすると、勉強嫌いな 子供には言葉で説明できない理由があるのでは、と推測できる。
現在の日本では、子供の数学・理科嫌いが深刻だという。天然資源に乏し い我が国は、科学技術で富を獲得せねばならず、その為には理数系国民を増やさねばならない。しかし、子供の多くが数学や自然科学が苦手とか、嫌いといった 反応を見せており、教師もその解決に頭を悩ませているようだ。文部科学省は原因究明と解決策を公表しているようだが、本当に効果があるのか疑わしい。役人 の解決策なんて信用できないし、失敗しても誰一人として責任を取らないのだから、世間の親は端っから当てにしていないだろう。だから、不安な親はとりあえ ず我が子を塾に通わせて、数学や理科の授業から脱落せぬようお金を使っているのだ。本来なら、学校教育がしっかりしていれば、余計な出費をかけずに済むは ず。義務教育は中学校までだが、実際はほとんどが高校へ進学するから高校までが義務みたいなものだ。その上、予備校まで通う者がいるから更にお金がかか る。進学するのは、どうしても学問がしたいから、というより学歴社会だからというのが本音。嫌いな科目を更に延長して勉強するのだから苦痛なのは当り前だ ろう。
まず、数学教育を考えてみたい。そもそも、数学教育の目的は何なのか? 政治家や官僚の見解だと、科学者や技術者の育成をしな ければ国家の繁栄が危うくなるから、なんとしても理系人口を増やさねばならない。したがって、子供の数学嫌いを解消し、なるべく多くの子供が数学を勉強す るように操作したい、というのが狙いだろう。子供の親は成績が気になるし、子供の進学や将来の就職を考えれば、理数系に進ませた方が得だろう、くらいにし か思っていない。受験で成績格差が開くのは数学と英語だったりするから、高得点を狙うには数学の点数をアップさせるしかない、と考えてしまうのだ。一方、 子供は親から命令されるので、仕方なく数学の教科書を開いて問題を解き、少しでもテストの点数を上げようと必死である。塾に行けば問題を解く秘訣を伝授さ れたり、試験の傾向を分析してもらって模擬試験を繰り返す。これを我慢して続けられる子供が優等生になれるのだ。
試験勉強で高得点を 取れるような生徒なら、そのまま上級学校に進学して数学を勉強すればいいので、さほど問題とはならない。結局、文科省の役人が悩んでいるのは、数学に興味 を持たない大勢の子供をどうやって数学好きにさせるかであろう。だから、いろんな風に学習指導要領を変えてみたり、現場の教師に発破(はっぱ)を掛けて、 「お前らヒラ教師がしっかりしないから、子供が勉強嫌いになるんだ」と責任転嫁を図っている。現場教師の方は、気楽な文部官僚に不満がたまっており、年間 授業数が足りないのに業績を上げろなんて無茶だ、という反感がある。主役の子供ときたら、小学生の高学年から中学1、2年生の頃にかけて、授業内容が分か らなくなり、「数学嫌い」になってしまうのだ。一度、躓(つまづ)けば、そのまま「嫌い」状態が維持され、数学は苦手科目となるだろう。
考えてみると、数学者になることは危険なことだ。たいていの親は数学を勉強すれば、有名大学に入学できるし、卒業すれば良い会社に入れて、高級取りにな れるから、という理由で子供の尻を叩く。しかし、本物の数学者は身分(役職・肩書き)とか所得、学歴を気にしていない。というか「下らない」と思っている のだ。数学に於ける問題を解くことに没頭していて、職場での出世競争やボーナス増額に関心がなくなってしまう。その上、難問にぶち当たるとノイローゼに なったり、部屋に閉じこもる生活に陥るのだ。有名大学に入学できた我が子が、大金持ちになると思っていた親からすれば、意外な結果になって戸惑うだろう。 数学者には奇人変人がとても多く、世間からの称賛や贅沢な生活はどうでもいい、と考えている。
(左/グレゴリー・ペレルマン)
最近話題になった数学者といえば、ロシアのグリゴリー・ペレルマン(Grigory Yakovlevich Perelman)であろう。彼は難題の「ポアンカレ予想」を鮮やかに解明し、優秀な数学者たちを驚かせるくらい天才的であった。彼らがペリルマンの証明 を聞いた時、その斬新で意外な方法論に驚いたし、検証してみたら間違えが無かったという。(Sylvia Nasar and David Gruber, Manifold Destiny, The New Yorker, August 28, 2006) もっとショックだったのは、彼らがペレルマンの説明を聞いても直ぐに理解できなかったことである。世界的レベルの数学者でも、ペレルマンの頭脳に達してい なかったのだ。天才にとって当然の論理でも、他人にとっては驚異の発想としか思えない。こうした巨星は偶然にしか誕生しないし、他人が意図的に育成できる ものでもなかろう。
天才は凡才とはちがった性質を持つ。傑出した大数学者のペレルマン博士は、1996年にヨーロッパ数学会員賞を与 えられたのに、それを断ってしまった。それだけではない。2006年には、数学のノーベル賞とも言われるフィールズ賞も辞退し、2010年のミレニアム賞 まで辞退したのである。(Chris Gayomali, Math Genius Solves 100 Year Old Problem, Then Refuses Million Dollar Prize, Time Magazine, May 3, 2011) 国際数学聯合総裁のジョン・ボール卿(Sir John M. Ball)がペレルマンのもとを訪れ、フィールズ賞メダルをもらってくれないか、と頼んだらしい。普通は受賞者がメダルを欲しがるものなのに、主催者側が 懇願するとは笑ってしまう。ボール卿が説得したにもかかわらず、ペレルマンはメダルに興味がないと答え、「それは全く私に適さない」と語り、「皆があの証 明を正しいと理解すれば、その他の承認は必要なし」と言いのけたという。えぇぇぇ~、と我々なら呆れてしまう。せっかく名誉ある賞なのに、それが「必要な い」とはどういう料簡(りょうけん)なんだ、と訊きたくなる。
(写真/母親と一緒のペレルマン博士)
しかも、驚くのはこれだけではない。せっかく、クレイ数学研究所(Clay Mathmatics Institutte)が百万ドルの賞金をくれるというのに、ペリルマンは「いらない」と言ってしまった。これまた「えぇぇぇ !」と驚いてしまう。この数学者は、お札の枚数が分からないのか、と疑いたくなる。百万ドルって、日本円に換算すると約1億1千万円だぞ。我が子を秀才に しようとしている日本人の親なら信じられない回答である。数学を勉強することが出世に繋がると思っている日本人には理解できない。天才が馬鹿に見えてしま う。大金を拒否したペレルマンは、サンクト・ペテルブルクの安アパートメントで母親と一緒に暮らしているそうだ。(Marc Kaufman, Russian mathmatician wins $ 1 million prize, but he appears to be happy with $ 0, The Washington Post, July 2, 2010) 教育ママなら「アホか、あんたは」と言うだろう。数学教師だった母親に教育された息子は、世界を感嘆させる天才になったが、その姿はロシアの失業者みたい で、ボサボサの長髪にパッとしない服装をしている。これが世界的に有名な数学者か、と誰だって目を疑いたくなるだろう。本当に偉大な数学者は、学界の大御 所になりたいとか、テレビ番組に出演して人気者になりたい、といった世俗的欲望を持っていないのだ。未知の領域の謎を解く喜びがたまらなく好きで、問題に 取り組むことが至福の時間となっている場合が多い。一般人から見れば、わざわざ苦悩するために勉強しているとしか思えないけど、数学者は世間の雑音など気 にしていないのである。
では、日本政府や文部官僚は、理数教育をどうしたいのか? 教育改善をする目的とは何かを明らかにしないと、何をしているのか分からない。答えを露骨に言うならば、天才数学者ではなく、研究機関や民間企業に就職で きて、そこそこの業績を出してくれるような物理学者や生物学者、数学者を養成したいのであろう。だから、なるべく多くの子供が数学や自然科学に興味を持 ち、理系に進学してくれれば、科学者人口が増えて国家のためになるという勘定である。しかし、現実世界では、数学や理科をいくら教えても一行に興味を示さ ない子供や、厳密で抽象的な学問に不向きな子供だって存在するのに、全員に同じような授業を施すことで、理数科目を嫌いになる子供を生産しているのだ。や はり、学校カリキュラムの根本思想がおかしいのだろう。だいたい、教師がもっと熱心に授業を行ったり、教育予算を増額すれば、たくさんの理数専攻者が生ま れてくる、といった過大な期待が間違っている。不遜な発想だが、子供はおおよそ「天才・秀才」層と「頑張れば何とかなる」層、「たぶんダメだろう」層に分 かれるんじゃないか。役人は二番目の何とかすれば理数科目が好きになってくれる階層の子供にターゲットを絞っているのだろう。そもそも、数学の天才とは、 役人が努力して育成できるものではないから、自然発生的な人材である。たとえば、ドイツが輩出した偉大な数学者ガウスを思い出してみれば分かるだろう。
(左/ガウス)
ヨハン・カール・フリードリッヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss)なら誰でも知っている。1777年、ドイツのブラウンシュヴァイクで生まれた天才は、子供の時から異彩を放つ神童であった。高校の先生がよく 話すエピソードに、8歳のヨハン少年が驚異の計算した話がある。学校でビュットネル(J. G. Büttner)先生が、1から100までの整数を足してその合計を答えなさい、というちょっと時間のかかる問題を出した。先生はその間に自分の仕事を片 付けてしまおうと考えていたそうだ。ところが、すぐにヨハン君が「先生できました」と叫んだから、ビュットネル先生は眉をひそめた。そんなことはあるま い、とぶつぶつ言いながら、ヨハンのノートを覗いてみると、なんと「5050」って書いてある。先生はビッくり。目を丸くして「どうやって計算したんだ ? 」と尋ねたらしい。するとヨハン少年曰く、
1+2+3+4+・・・・+98+99+100と足して行くのと、その順序を反対にして
100+99+98+・・・・・・+3+2+1と並べて、この二つを合わせると、
101+101+101+・・・・+101+101+101というように、101を100個加えるが、全部ではなく、その半分だけにすれば良く、101×100÷2=5050となる。
ビュットネル先生も、これには驚いたらしく、普通の授業ではヨハンが退屈するだろうと考えて、助手のバルテルスに命じて、他の子とは違った特別教育を授 けたという。まあ、これは1を頂点にし、100を底辺とした三角形を二つ組み合わせて、平行四辺形にしたと考えれば分かりやすい。半分に割るというのも、 三角形の面積を求めるだけで良いからだ。小学二年生くらいで、こうした発想を思いつくというのは、彼に何らかの才能が芽生えていた証拠である。たぶん、物 の見方が一般人と違うし、右脳を使っていたのかも知れない。いずれにしても、天才の脳味噌は謎である。
現在の日本なら、両親は我が子 の才能に万歳して、さっそくエリート学校へ進学させるだろう。ヨハンの指導に当たったバルテルスは、彼の才能を見抜いたので、父親にギムナジウムに進学さ せるよう説得を試みた。しかし、ヨハンの父親はレンガ職人で、倅(せがれ)には学問など要らない、と最初は拒んでいた。ところが、段々とバルテルスの熱意 に負けて息子を進学させたという。ギムナジウムに進学したヨハン・ガウスは、そこで教師だったアウグスト・ズィンマーマン(August Wilhelm von Zimmermann)先生をも驚嘆させたらしい。彼はこの天才少年を大学に進ませようと、あの頑固オヤジに交渉したという。ところが、またもやこのレン ガ職人は渋い顔をしたそうだ。「貧乏人の倅が大学なんぞ・・・」と躊躇いを見せたので、ズィンマーマン先生は熱心に口説いたらしい。ところが、このオヤジ がどうしようもない分からず屋なので、先生はヨハン少年を連れて、領主カール・ウィルヘルム・フェルディナント(Karl Wilhelm Ferdinand)公の宮廷に参内したのである。この領主は日本のお殿様みたいに、優秀な若者を育成する事が好きなようで、ガウスに財政的支援を約束 し、たくさんの書物までプレゼントしたという。こういう経緯で、あの頑固オヤジも息子をレンガ職人にすることを諦め、ヨハン少年は偉大な数学者になったの である。偶然が重なることがなかったら、世紀の天才はレンガに埋もれていただろう。想像しただけでも恐ろしい損失である。
天才はさて おき、教え方次第では理数系に進むかも知れない子供をどうしたらいいのか? オーソドックスに分厚い教科書を与えて、授業数を増やし、教員の質を上げて、進学塾のようにみっちり仕込むべきなのか、意見が別れるところである。色々な 調査でも、子供は中学1年生くらいから数学が嫌いになり始め、授業内容が分からないとか、何となくつまらない、といった理由で苦手科目とするそうだ。たし かに、数学や理科は積み重ねが大切な科目だから、1年生の学習内容を咀嚼(そしゃく)せずに、2年生に進めば教師の説明が理解できずに、授業から脱落する だろう。したがって、試験の成績も悪くなり、ますます嫌いになって行く。中学で嫌いになった科目を高校で好きになることは通常ありえない。たぶん、文系 コースを取って数学や物理を敬遠するだろう。だから、学校教師はだいたい、小学5年生から中学2年生くらいの期間で勝負せねばなるまい。しかし、ただでさ え授業数が削られていたり、他の科目も勉強させるわけだから、無理難題となってしまう。それなら、いっそのこと凡才改造計画を諦めればいいのだ。
世の中でまっとうな職業について暮らしている大人に、小学6年生の実力テストや中学1年生の期末テストをやらせれば、どんな結果になるのか想像がつくだ ろう。おそらく、全問正解や高得点を取る人物がいる一方で、半分しか回答できなかった者や無惨な成績の者がいるに違いない。つまり、世間で生きてゆくだけ なら、小学校程度の知識を持つだけで充分な場合があるということだ。たとえば、高校卒業生でも、3年間野球ばかりしていて甲子園に出場できたが、これと いった才能がなくプロ選手になれない生徒がいる。そして野球とは関係ない民間企業に就職するケースだってあろう。ところが、その学力たるや中学生以下の場 合が多い。方程式や英語力はおろか、漢字さえ満足に書けない者がいるのだ。それでも、なんとか営業マンになったり、組み立て工になったりして生活してい る。必要な知識は職場で覚えたり、独学で修めたりするだろう。大学に進学するのは高収入の職業や見栄の張れる職業に就きたいからで、学問を究めたいから進 学する者など少数派のはずだ。それなら、数学、理科、英語などの科目は音楽や美術と同じく、好きな者が趣味で勉強する科目にすればいいのである。学校では 国語と算数、社会をしっかりと教えればいいんじゃないか?
(左:ピタゴラス/中央:ユークリッド/右:プラトン)
子供が数学や理科を嫌いになる原因は容易に想像がつく。知識人ではない一般家庭の子供が、学校でいきなり計算問題や、方程式、座標、幾何学とかを教えら れれば、意味が分からず嫌になってしまう。自宅ではゲームやアニメといった娯楽があるのに、学校では退屈で苦痛な科目が課せられた上に、試験で順位をつけ られ、成績が悪いと怒られる。これじゃあ、好きになれという方が酷である。たとえば、アニメ『ドラゴンボール』や『ジョジョの奇妙な冒険』なら毎週楽しく 観るし、単行本だって繰り返し読むだろう。これは義務ではないからだ。おやつを忘れてアニメを観ている子供は、それが魅力的で楽しいからだ。そうした子供 でも、好きでもないアニメ・レポートを何十枚も書くよう、毎日宿題を出されたら嫌になってしまうだろう。1、2年くらいは試験を忘れて、数学や理科の魅力 について、教師が物語や歴史を教えたらどうか。たとえば、ピタゴラス学派やプラトン、その恩師テオドロス、テアイテトス、ヒッポクラテスなど数学に貢献し た人物や、古代ギリシアの歴史をセットにして、なぜ数学があんな小さな地域で発達したのかを教えてれやばいい。子供ならユークリッド幾何学に興味を示し、 数学の「なぜ」を追求するかも知れない。文部科学省は秋山仁先生を利用して、日常生活や各分野で数学が活かされていると子供に訴えかけるが、それで子供が 納得して数学の教科書を開くとは思えない。(昔フジで放送していた秋山先生の『皆殺しの數學』という番組はおもしろかった。)普段の生活でスポーツやゲー ム、ポップ音楽とった娯楽があるのに、抽象的な数学を積極的に勉強しようとは考えないだろう。やはり、受験や進学のためという意識が根強く残るに違いな い。
(左:ヒポクラテス/中央:秋山仁/右:ニルス・ヘンリク・アベル)
数学はある意味美術に似ていて、世界は美しい公式で満ちているから、それを解明したいという欲求が数学者にある。素人の目には、彼らが何らかの宗教に取 り憑かれた変人としか見えない。この宇宙は壮大な創造物で、数によってできており、その謎を解くことが究極の幸せと感じているのである。数学で宇宙の原理 を発見したい、といった気違いじみた野心を持つ人が数学者なのだ。有名大学に入ってお金持ちになりたいとは思っていない。偉大な数学者を思い出せば、奇人 変人のまま一生を終えているのだ。たとえば、超有名なニルス・ヘンリク・アベル(Niels Henrik Abel)は、ノルウェーにある寒村の牧師家庭に生まれ、赤貧洗うがごとしの生活であった。18歳くらいで父を失い、家計は厳しくなり、どうにかこうにか 研究生活を続けていたという。パリに赴いてベルリンに返ってきた時など、14ターレル(銀貨)が彼の全財産だった。母、姉、弟、妹を養い、みすぼらしい身 なりでは、これが天才数学者とは誰も創造できない。解析学など勉強している場合か、と思ってしまう。健康を害して吐血しながら論文を書いていたなんて、余 りにも哀れだ。浪曲の主題になりそうだ。
(左:ガロア/中央:カルダーノ/右:リーマン)
フランス革命の頃(1811年)に生まれたエヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)は、波瀾万丈の短い人生を過ごしたことで有名。サント・ペラジー牢獄に入れられてしまうし、最後には名誉を賭けた決闘に斃れてしまう。それ でも、短命だったガロアは、息子に古典を教えてくれる優しい母親を持っていたからマシだった。ルネサンス期の数学者ジロラモ・カルダーノ (Girolamo Cardano)は誕生からして危なかった。彼の母親は妊娠したにもかかわらず、堕ろすを考えていたという。しかし、中絶に失敗したので息子が生まてし まったのだ。病弱と貧困に苦しんでいたが、カルダーノは3次・4次方程式で大いなる貢献を果たした。有名な数学者リーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann)も貧乏牧師の息子であったが、熱心に勉強して曠古の偉業を遺した。リーマン多様体(Riemannsche Mannigfaltigkeit)はよく知られているし、素数に関するリーマン予想では多くの学者が挑戦しているという。素数の研究は恐ろしくて、謎解 きの学者は廃人かノイローゼになっている。筆者は昔、パンツのゴムを使ってトポロジー(位相幾何学)なら面白いかなと思ったが、素数(prime number)は底なし沼みたいで怖かった。日本人の数学者で何人が研究しているか分からないが、たぶん毎日が苦悩の連続だと思う。
数学嫌いの子供が多いのは、最初から無味乾燥した内容の数学を教えるからだ。筆者が知っている数学の教授は日本の教育をボロクソに批判していて、「高校ま での授業なんかダメだ」とか「テクニックばかりで論理がない」とか「あんなのつまらないだろう」とか散々なことを言っていた。専門家にそんなことを告白さ れると、小学校や中学校でもっとエキサイティングな授業があればいいのに、と悔しくなるじゃないか。それなら、子供には分かりやすい大学レベルの講義でも 良いんじゃないか、と思ってしまう。大人が勝手に難しいから「省略」と判断することは有害であろう。講義内容を完全に理解できなくても、数学の素晴らしさ を伝える方が大切なんじゃないか。どうせ、中学を卒業しても数学教科書の内容を理解せぬまま、高校に進学したりする生徒が多いのだから、少しでも数学の魅 力を感じた子供を増やした方がいいのではないか? ただ、これはPTAや受験至上主義の親が反対するので、決して実行されない非現実的な提案である。正直に言えば、出来損ないだった筆者は、こうした授業を 受けたかった。科学者にならぬまま死ぬ平民がいてもいいんじゃないか。
数学のみならず物理学も嫌う中学生や高校生が結構いるらしい。 小学生から高校生までを対象にしたアンケートを基にした論文を読んだことがある。理科に対する好感度を調べた結果、小学3年生で「大好き」と答えた子は 41.5パーセントもいたのに、5年生だと25.7パーセント、6年生だと20.7に減少し、高校生になると5.4パーセントになってしまう。(加藤巡一 『理科教育と理科離れの実態 (一)小学校』 神戸松蔭女子大学研究紀要 p.39) 中学や高校という学年になると、物理学離れはほぼ決定的となり、受験生は文系と理系で分離してしまう。中学生時代で躓くと、そのまま苦手科目となり、物理 学は不必要か敬遠科目となる。子供は自然現象を不思議に思っても、難しい数式や法則の羅列で生理的に拒絶してしまうのだ。文部省官僚などは、科学の実験を 授業で増やせ、とか科学館や博物館を増設して子供に見学させろ、と叫んで無駄なカリキュラムを促進する。何とか科学館で液体の化学反応やドライアイスの煙 を見せたり、展示してあるロボットを動かしたからといって、子供が物理学を勉強するとは思えない。マジック・ショーなら少しは手品師になりたいと思う子供 が居るかも知れないが、豪華な科学館を訪れても、子供は帰宅すれば忘れてしまうのだ。
(左:佐久間象山/中央:吉田松陰/右:江川英龍)
自然科学を好きになるには、それを学びたいという願望がなければ、子供は勉強に励まない。親が受験のために強要するだけでは、たいていの子供は飽きてし まう。進学校の子供はそれでも勉強を続けるから問題ないが、普通の家庭に育つ凡庸な子供には、知的好奇心や激しい動機が必要だろう。幕末・明治維新の頃 は、日本の独立とか富国強兵に絡んだ立身出世が動機となることがあった。偉大な佐久間象山(さくま・ぞうざん)はもともと朱子学を修めていたが、海防の必 要から30歳を過ぎてから、坦庵(たんあん)こと江川英龍(ひでたつ)のもとで西洋砲術を学んだ。愛国心の権化たる象山先生は必死で西洋兵学を習得し、そ の仁徳はあの吉田松陰を感動させたほどである。坦庵先生のもとには大鳥圭介や橋本左内、桂小五郎が寄ってきて薫陶を受けたらしい。戦前までの日本では、お 国のために自然科学を志す子供が多かった。下瀬火薬で有名な下瀬雅充(しもせまさちか)や超弩弓艦「大和」の設計に携わった東大総長の平賀讓(ひらがゆず る)を見れば、虚弱体質で悩んだ子供は、軍人じゃなくても国家に尽くせると思った。ペンシル・ロケットで有名な糸川英夫(いとかわひでお)博士は、根っか らの愛国者で、世のため人のために尽くした。糸川先生は海軍パイロットと親しく、「隼」や「鍾馗」の設計を手掛けたのはよく知られているが、実はジェッ ト・エンジンの発明者でもある。ポツダム宣言のせいで戦闘機が作れなくなり、服毒自殺を図ったこともあったそうだ。戦後、ロケットを熱心に研究されたの は、戦闘機開発は米国の後塵を拝することとなったが、ロケット開発ならまだ間に合うという計算をしていたからだ。何としても、日本の科学技術を世界トップ レベルにしようと尽力したのが糸川博士であった。そんな糸川先生が、ペンシル・ロケット開発でちょっと失敗しただけで、大々的に罵倒し、先生をバッシング したのは朝日新聞であった。まったくもって許せない。日本の発展を阻む朝日新聞など、さっさと潰れてしまえばいいのだ。朝日を購読している人は、一刻も早 く購読中止をしてもらいたい。とにかく、自分の栄誉だけを考えず、国家の命運を担った科学者は、日夜研究に邁進したものだ。
(左:下瀬雅充/中央:平賀讓/右:糸川英夫)
子供は大切な任務を課せられると、急に大人になったように感じ、熱心に義務を果たそうとする。周りの者から頼りにされたりすると、嬉しくなってやり甲斐 を覚える。たとえば、ボーイ・スカウトで年長者の少年は、下級生の世話を任されると、キャプテンとしての自覚が出てくる。それに、周りの子供たちや大人か ら称賛されたり、励まされると驚くほどの忍耐を発揮することだってある。昔は、幼くとも武士の子は責任感があって、困難にもよく耐えた。「男の子だろ」と か「武士の子なんだからへこたれるな」といった言葉は心に響くものである。学問でも、似たような所があって、吉田松陰は「公のため」に学問をしていたので ある。師匠の玉木文之進はとにかく厳しかった。松蔭先生の勉強は、すべて天下国家のためであったから、学問は真剣そのものである。しかし、現在だと学問を 国家への貢献と結びつけるのは反対が大きいだろう。たとえば、量子力学を教える教師は、核兵器に触れないだろうし、たとえ言及しても、核開発を子供に熱く 語ることはしないだろう。理科の教師なら原子を取り上げて、子供に1億分の1㎝の世界や核はもっと小さくて10兆分の1㎝なんだよ、と説明するだろう。陽 子や中性子がくっついて、その周りに電子があるんだ、と構造を図に書いて教える。アルファ粒子とかベータ崩壊とか、ガンマ線について解説することは容易 い。ただし、子供はそれを学ぶ意味が分からない。みんなが電気を安く使えるのは、核爆発の熱を利用する原子力発電所があるからだよ、と説明しても、子供は 「へぇー」と言うだけで、「難しい計算とか公式があったり、元素記号を覚えなきゃダメなんでしょ」という答えが返ってくる。中には「何処が試験にでる の?」と尋ねる子供だっているだろう。肉眼では見えない世界の神秘に魅了されず、テストの点数だけに関心がある子供が実に多いのだ。
(左:リトル・ボーイ/右:ファト・マン)
知的好奇心が希薄な子供に対して、物理学の魅力を伝えようとする理科教師は、矛盾した微妙な立場に置かれることがある。原子力について教えても、核兵器 について教えるわけにはいかない。平和教育が基本だから、まさかウラン爆弾の「リトルボーイ」とプルトニュウム爆弾の「ファットマン」について、その違い や構造の説明を口にできないだろう。「ウランやプルトニユムが中性子を吸収して核が分裂するからね」とか、「超臨界で核分裂の連鎖反応起きて、膨大な数の 核が100万分の1秒間に分裂するんだ」なんて説明できるが、まそかプルトニュウム型爆弾の構造まで言及したらマズいだろう。中性子発生装置やウラン・タ ンパーとかは、子供に教えるべきではない、と校長や教頭から注意を受ける。「爆縮レンズ」を教えなくても、光学レンズの構造や特質を教えれば、同じような ものだし、いずれ子供にバレるだろう。またE=mc2を教えてしまえば、ウラン爆弾の核分裂により膨大なエネルギーが発生し、その温度が300万℃にも なってしまうことは直ぐ分かる。左翼教育が盛んな沖縄では、米軍の劣化ウラン(Depleted Uranium)を現場教師までが非難したが、どうして劣化ウランが、砲弾に使われるのか子供に教えないだろう。軍事を勉強している者には常識でも、一般 人には何のことやら分からない。ウラン濃縮装置から濃縮されたウランを回収したら、ウラン238が残る。この余った残留ウランが「劣化ウラン」と呼ばれる もので、その質量密度は鉛の2倍という高さである。そのため、劣化ウラン弾は、敵軍戦車の装甲を容易に貫通することができ、貫通する際にはウラン自体の構 造が変化して高熱を発するのだ。すると、戦車の中にいる操縦士は約1200℃の熱で、焼け死んでしまう。一般国民でも湾岸戦争の時、イラク軍戦車の無惨な 残骸を映像で観たことがあるんじゃないか。いずれにせよ、兵器の性能を子供に語る教師なんてクビになってしまいそうだ。家族を養う教師は臆病になってしま いがち。しょうがない。
(左:パトリオット・ミサイル/右:劣化ウラン弾が貫通した戦車の装甲)
科学者の伝記を語るのも厄介だ。キューリー夫人くらいならいいだろうが、第二次大戦の話になると生々しい。ナチ・ドイツ時代における科学者の業績を教え る時、オットー・ハーン(Otto Hahn)がカイザー・ウィリヘルム研究所の化学者で、超ウラン元素の製造を試みていたことや、リーゼ・マイトナー(Lise Meitner)が協力していたことが分かる。日本でも原爆開発を委任された仁科芳雄(にしなよしお)博士や、極秘で進められた原爆開発の「二号研究」に 触れねばならない。どんなに教師が嫌がっても、軍事技術の開発が、科学を発展させる推進役になることはバレてしまうだろう。例えば、我々が家庭で使ってい る電子オーブン(microwave oven)はレーダーとかマイクロ波を研究していたパーシー・スペンサー(Percy L. Spencer)が開発した家電製品で、当初「レーダーレインジ(Radarrange)」という名称だった。この新製品は兵器開発企業のレイセオン (Raytheon)社が発売したのだ。このレイセオン社は、パトリオット・ミサイル(Patriot Missiles)やトマホーク・ミサイル(Tomahawk Missiles)で有名な会社で、軍事用のレーダーや電子機器、ミサイル誘導装置などを開発している。まぁ、軍事業界では誰でも知っている老舗である。
(左オットー・ハーン/中央リーゼ・マイトナー/右仁科芳雄)
ちょっと機械に興味ある子供なら、最強の戦車や潜水艦を作ってみたいと思うだろう。我が国はF-35ライトニング(Lightning)IIやF-22 ラプター(Raptor)のような第五世代ステルス戦闘機や、SLBM搭載の原子力潜水艦が必要なんだから、「少年よ大志を抱け」というモットーで科学者 を養成したっていいはずだ。(筆者は中学1年生の頃、F-14戦闘機の模型を部屋に飾っていたから、時折ため息をついたものだ。国産戦闘機の開発が無かっ た事が悔しかった。) ロボット開発に力を入れる日本なら、ガンダムのような大型モビル・スーツは無理でも、漫画『レッド・アイズ』で登場するSAA(Special Assult Armor/装着型戦闘スーツ)なら将来開発できるかも知れない。(詳しくは、神堂潤『レッドアイズ』の中でグラハルト・ミルズやレニー・クルーガーが装 着するSAAを見てね。でも、この漫画は説明が複雑で、軍事用語に慣れていないと難儀である。) 漫画の世界は日教組の思想が浸透していないので、日本の子供が喜ぶ機械や兵器が登場する。学校教師はこうした題材をもとに科学的考察や可能性を説明したっ ていいはずだ。実際に作れなくても、コンピューターを使ってモデルを作ることなら出来るだろう。米国の偉大な科学者ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)は、当時実際の試作品を作らずに頭の中で想像して、製品デザインを考えていた。今なら3次元コンピューターを利用して簡単に試作品を作れる が、昔はテスラの発想は斬新だったという。
(左:ニコラ・テスラ/中央:パーシー・スペンサー/右:レッド・アイズ)
筆者の提案は雑談の勧めみたいだから、優等生教育には向いていない。凡人に対する啓蒙教育だと考えた方がいいだろう。子供はたき火の周りに坐って、ヤバ いけど刺戟的な話が好きである。それに、「説明が終わったら試験をするぞ」、と先生から脅かされずに聞ける話なら楽しいはずだ。これは歴史教育についても 言えることで、子供に祖先の偉大さを教えるべき科目なのに、受験で課せられる科目になってしまえば、先人の苦労や名誉なんかどうでも良くなってしまう。年 号や事件を暗記して、パズルのようなテストに答える科目では、面白くないのも当然だ。その上、自虐史観とくれば、なおさら暗くなる。キャンプ・ファイアー での昔話なら、毎週楽しみに期待するだろう。子供に聞かせるから、教師も落語家か講談師のような訓練をしなければならなくなる。話術を勉強することが必修 になるだろう。そうなると教師は子供から評価される対象になるから辛いだろうな。しかし、米国の大学では、教授が学期末に学生から評価される制度がある。 学生が用紙にどんな評価をするか教授も心配になる。日本の学校ではこうした緊張感が無いから、のんべんだらりなマンネリ教師が存在するのだ。
(左:F-22ラプター/右:F-35ライトニング)
無駄な話も有益かも知れない
数学や物理学で試験を無視するのは暴論であることは百も承知である。現場教師なら、そんな「お気楽授業」なんかしたら子供の学力が全体的に落ちてしま う、といった反論をするだろう。それに、子供を持つ親は進学校でスパルタ受験教育をすべし、との信念があるから怠惰授業には大反対なのは確実だ。「ゆとり 教育」で散々な目に遭った親子なら、昔のように詰め込み教育の復活を望むだろう。筆者はそれで問題解決なら賛成である。筆者が懸念したのは、数学や物理の 授業を履修しても、結局習った知識が頭に残らず、嫌な思い出だけが記憶されるのではという点だ。卒業してから再び勉強したい人がいるから、どうすべきかを 考えただけである。もちろん、気に入らなくても学校の授業を受ければ、数学や物理の知識が備わるだろう。我慢して勉強すれば、知的水準が上がるだろうが、 理数嫌いは解消されないのではないか。
(アニメ・機動戦士ガンダム/ソーラー・レイ)
教員免許すら持たない筆者の体験談で恐縮だが、むかし中学生や高校生と機動戦士ガンダムについて話していた時、太陽光線を使ったソーラー・レイという巨 大兵器を話題にしたことがある。ギレン・ザビが父親のジオン公国元首デギン公をレビル将軍と一緒に暗殺してしまった。(これは最初のガンダムの物語。) スペース・コロニーを利用した兵器という設定だ。セル画で宇宙は暗いのに、太陽光線で明るくなっていない。地球は太陽で明るいのに変だ。それは、太陽光線 に色が無いからだ。お月様は太陽光の反射で、その反射光が地球に届いている。無色といっても太陽光がプリズムを通れば七色に別れて目に見えるからおもしろ い。我々が普段目にしている「色」には不思議な特徴がある。日差しには色が無いけど、太陽光が教会のステンドガラスを通り過ぎれば、青や赤、紫色を見るこ とができるだろう。とはいっても、それはガラスが青かったり赤かったりするからではない。青いガラスは青い光のみを通過させ、その他の光を吸収して通さな いから、我々は青い光を見るのだ。さらに言えば、赤(青、緑、紫など)の光は、ガラスが発する赤の感覚を我々の大脳に生じさせる光である。朝顔の葉が緑に 見えるのも、葉っぱが緑だからではなく、緑の光を反射するからである。ヘリウムでできている太陽には、黒点や磁気ループとかの話も豊富にある。ソーラー・ フレアの爆発威力は、核爆発の100億個ぶんに相当するのだ。凄いとしか言いようがないけど、何かに利用できないかな? アニメで真剣に科学を話すこともないだろうが、不思議なことはたくさんあるのだ。ガンダムは宇宙空間では上下とかは無いことを示す作品で良い。既成の考え 方に捕らわれない思考は度の学問でも必要だ。地政学でも北極を下にして地図を見ると別の考え方ができる。ロシアの膨張政策がよく理解できたりするから、一 度地図を逆さまに見てみるべきだ。
(左:マイケル・ファラデー/右:ジェイムズ・クラーク・マクスウェル)
中学生という時期は、大人でもないが、子供でない年代なので、少し専門的な事柄を教えてもいいのではないか? 筆者が中学生の時、大学生が使っていた化学や物理学の古本をもらって読んだことがある。だから、いまでもマイケル・ファラディー(Michael Faraday)の事は懐かしい。電磁場の研究や光の理論で有名なジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clarke Maxwell)が、ファラデーを大変尊敬していたことはよく知られている。(ちなみに、マクスウェルは始めてカラー写真の撮影に成功した人物だし、磁気 の研究だけでなく、サイバネティクスや制禦理論でも功績がある。) ファラデーは鍛冶屋の息子で、小学校を中退して新聞配達をしていたくらい苦労人だった。用務員待遇の研究室助手になって、偉大なる業績を遺した科学者であ る。数学の知識に乏しかっただけではなく、会話障碍と失読症を持っていたらしい。それでも、40歳くらいで電磁誘導の発見をし、54歳で反磁性を発見した んだからすごい。大器晩成なのか。まるで人気ロックバンド「クイーン」のブライアン・メイみたい。(ギターリストのメイは天文学をインペリアル・カレッジ で勉強していたが、バンド活動で天文学を中断した。30年後ふたたび勉強を始め、「A Survey of Radical Velocities in the Zodiacal Dust Cloud」という論文で博士号を授与された。)ファラデーの発電機を見ると今でも感慨深い。今の子供なら当り前の知識でつまらないだろうが、中学生だっ た筆者はフランスの科学者にして政治家のフランソワ・アラゴ(Dominique François Jean Arago)の円盤が面白かった。上から糸で吊した円盤の下で磁石を回すと、つられて円盤も回るというのだ。当時は磁場ということがよく判っていなかった ので、その理由は謎のままだった。ファラデーはこのアラゴの円盤にヒントを得て、円盤を回して電流を発生させる原始的な装置を作ったのである。電気の利用 は人類の生活を大きく変えた事件だから、とても印象深かった。ちなみに、このアラゴは、1848年ちょっとだけフランスの首相になったことがある。高校の 教師はフランス史を教えても、この物理学者兼政治家の存在には触れないだろう。(筆者は現在の高校の授業について無知だから、もしかしたら教えているかも 知れない。誰か教えてくれないかなぁ。) 中学の理科教師が、無駄と思っても偉大な科学者を生徒に紹介したら、意外と興味を示すかも知れないぞ。学校の教科書じゃつまらなくて、凡庸な生徒は居眠り するだけだ。
(左:フランソワ・アラゴ/中央:ファラデーの発電機/右:ブライアン・メイ)
いつもは歴史や政治が題材のブログだが、今回はちょっと嗜好を変えて、我が国の教育を論じてみた。筆者の意見はもちろん個人的なもので、無責任な提案だ から、読者の中には腹が立って反論したくなる人も多いと思う。しかし、教育論は百人いたら100か110くらい出てくるからキリがない。秀才は外野が何を 言っても気にせず勉強するから心配ない。また、暴走族やヤクザになる少年は、そもそも勉強しないだろう。シンナーを吸っている不良に、数学や英語を教え たって無駄だ。問題なのは、勉強を最初から嫌いじゃないけれど、段々と嫌いになる中途半端な子供である。指定された勉強を真面目にするけれど、何となく学 問を好きになれない子供はちょっと不憫である。理数系の授業は問題があってもまだマシで、歴史の授業より害が少ない。数学や理科の教師はその専門分野を憎 んでいないし、まさか嘘を教えないだろう。筆者が歴史の教師を批判するのは、彼らが自分の学問対象を恨んだり、捏造を子供に教えるからだ。日本では早く先 進国となるため、学問を理系と文系を分けて人材育成を急いだ。今日、そのツケが回ってきて、いびつな若者が増えている。文系に理数科目は文系学生には要ら ないといった現象はおかしい。しかし、大衆教育が普及すれば、どこでも起こる問題だからしょうがないのかも。まぁ、そもそも学校って暇人が集う場所だった から、道楽で時間を潰しても当然だよね。
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教育問題をテーマにして書く ことは気が重い。教育に関する意見は様々で、世間には持論を展開する人物が数え切れないほど存在するからだ。文部官僚や学校教師のみならず、民間の教育研 究者とか塾の講師など、大勢が教育問題を分析して解決策を提示している。筆者としてはそうした有識者に丸投げして、問題に首を突っ込みたくない。ただ、教 育学部の大学教授やお役所の教育担当者の論文などをちらっと読むと、調査結果の分析をしているようでも、その原因究明になぜかピンとこない。やはり、秀才 だった大人の議論だから、勉強が不得意な子供の心理が分からないんじゃないか? 尾木直人のような教育評論家ではないから、筆者には現代の子供が抱える学習への悩みは分からない。しかし、筆者のような元劣等学生からすると、勉強嫌いな 子供には言葉で説明できない理由があるのでは、と推測できる。
現在の日本では、子供の数学・理科嫌いが深刻だという。天然資源に乏し い我が国は、科学技術で富を獲得せねばならず、その為には理数系国民を増やさねばならない。しかし、子供の多くが数学や自然科学が苦手とか、嫌いといった 反応を見せており、教師もその解決に頭を悩ませているようだ。文部科学省は原因究明と解決策を公表しているようだが、本当に効果があるのか疑わしい。役人 の解決策なんて信用できないし、失敗しても誰一人として責任を取らないのだから、世間の親は端っから当てにしていないだろう。だから、不安な親はとりあえ ず我が子を塾に通わせて、数学や理科の授業から脱落せぬようお金を使っているのだ。本来なら、学校教育がしっかりしていれば、余計な出費をかけずに済むは ず。義務教育は中学校までだが、実際はほとんどが高校へ進学するから高校までが義務みたいなものだ。その上、予備校まで通う者がいるから更にお金がかか る。進学するのは、どうしても学問がしたいから、というより学歴社会だからというのが本音。嫌いな科目を更に延長して勉強するのだから苦痛なのは当り前だ ろう。
まず、数学教育を考えてみたい。そもそも、数学教育の目的は何なのか? 政治家や官僚の見解だと、科学者や技術者の育成をしな ければ国家の繁栄が危うくなるから、なんとしても理系人口を増やさねばならない。したがって、子供の数学嫌いを解消し、なるべく多くの子供が数学を勉強す るように操作したい、というのが狙いだろう。子供の親は成績が気になるし、子供の進学や将来の就職を考えれば、理数系に進ませた方が得だろう、くらいにし か思っていない。受験で成績格差が開くのは数学と英語だったりするから、高得点を狙うには数学の点数をアップさせるしかない、と考えてしまうのだ。一方、 子供は親から命令されるので、仕方なく数学の教科書を開いて問題を解き、少しでもテストの点数を上げようと必死である。塾に行けば問題を解く秘訣を伝授さ れたり、試験の傾向を分析してもらって模擬試験を繰り返す。これを我慢して続けられる子供が優等生になれるのだ。
試験勉強で高得点を 取れるような生徒なら、そのまま上級学校に進学して数学を勉強すればいいので、さほど問題とはならない。結局、文科省の役人が悩んでいるのは、数学に興味 を持たない大勢の子供をどうやって数学好きにさせるかであろう。だから、いろんな風に学習指導要領を変えてみたり、現場の教師に発破(はっぱ)を掛けて、 「お前らヒラ教師がしっかりしないから、子供が勉強嫌いになるんだ」と責任転嫁を図っている。現場教師の方は、気楽な文部官僚に不満がたまっており、年間 授業数が足りないのに業績を上げろなんて無茶だ、という反感がある。主役の子供ときたら、小学生の高学年から中学1、2年生の頃にかけて、授業内容が分か らなくなり、「数学嫌い」になってしまうのだ。一度、躓(つまづ)けば、そのまま「嫌い」状態が維持され、数学は苦手科目となるだろう。
考えてみると、数学者になることは危険なことだ。たいていの親は数学を勉強すれば、有名大学に入学できるし、卒業すれば良い会社に入れて、高級取りにな れるから、という理由で子供の尻を叩く。しかし、本物の数学者は身分(役職・肩書き)とか所得、学歴を気にしていない。というか「下らない」と思っている のだ。数学に於ける問題を解くことに没頭していて、職場での出世競争やボーナス増額に関心がなくなってしまう。その上、難問にぶち当たるとノイローゼに なったり、部屋に閉じこもる生活に陥るのだ。有名大学に入学できた我が子が、大金持ちになると思っていた親からすれば、意外な結果になって戸惑うだろう。 数学者には奇人変人がとても多く、世間からの称賛や贅沢な生活はどうでもいい、と考えている。
(左/グレゴリー・ペレルマン)
最近話題になった数学者といえば、ロシアのグリゴリー・ペレルマン(Grigory Yakovlevich Perelman)であろう。彼は難題の「ポアンカレ予想」を鮮やかに解明し、優秀な数学者たちを驚かせるくらい天才的であった。彼らがペリルマンの証明 を聞いた時、その斬新で意外な方法論に驚いたし、検証してみたら間違えが無かったという。(Sylvia Nasar and David Gruber, Manifold Destiny, The New Yorker, August 28, 2006) もっとショックだったのは、彼らがペレルマンの説明を聞いても直ぐに理解できなかったことである。世界的レベルの数学者でも、ペレルマンの頭脳に達してい なかったのだ。天才にとって当然の論理でも、他人にとっては驚異の発想としか思えない。こうした巨星は偶然にしか誕生しないし、他人が意図的に育成できる ものでもなかろう。
天才は凡才とはちがった性質を持つ。傑出した大数学者のペレルマン博士は、1996年にヨーロッパ数学会員賞を与 えられたのに、それを断ってしまった。それだけではない。2006年には、数学のノーベル賞とも言われるフィールズ賞も辞退し、2010年のミレニアム賞 まで辞退したのである。(Chris Gayomali, Math Genius Solves 100 Year Old Problem, Then Refuses Million Dollar Prize, Time Magazine, May 3, 2011) 国際数学聯合総裁のジョン・ボール卿(Sir John M. Ball)がペレルマンのもとを訪れ、フィールズ賞メダルをもらってくれないか、と頼んだらしい。普通は受賞者がメダルを欲しがるものなのに、主催者側が 懇願するとは笑ってしまう。ボール卿が説得したにもかかわらず、ペレルマンはメダルに興味がないと答え、「それは全く私に適さない」と語り、「皆があの証 明を正しいと理解すれば、その他の承認は必要なし」と言いのけたという。えぇぇぇ~、と我々なら呆れてしまう。せっかく名誉ある賞なのに、それが「必要な い」とはどういう料簡(りょうけん)なんだ、と訊きたくなる。
(写真/母親と一緒のペレルマン博士)
しかも、驚くのはこれだけではない。せっかく、クレイ数学研究所(Clay Mathmatics Institutte)が百万ドルの賞金をくれるというのに、ペリルマンは「いらない」と言ってしまった。これまた「えぇぇぇ !」と驚いてしまう。この数学者は、お札の枚数が分からないのか、と疑いたくなる。百万ドルって、日本円に換算すると約1億1千万円だぞ。我が子を秀才に しようとしている日本人の親なら信じられない回答である。数学を勉強することが出世に繋がると思っている日本人には理解できない。天才が馬鹿に見えてしま う。大金を拒否したペレルマンは、サンクト・ペテルブルクの安アパートメントで母親と一緒に暮らしているそうだ。(Marc Kaufman, Russian mathmatician wins $ 1 million prize, but he appears to be happy with $ 0, The Washington Post, July 2, 2010) 教育ママなら「アホか、あんたは」と言うだろう。数学教師だった母親に教育された息子は、世界を感嘆させる天才になったが、その姿はロシアの失業者みたい で、ボサボサの長髪にパッとしない服装をしている。これが世界的に有名な数学者か、と誰だって目を疑いたくなるだろう。本当に偉大な数学者は、学界の大御 所になりたいとか、テレビ番組に出演して人気者になりたい、といった世俗的欲望を持っていないのだ。未知の領域の謎を解く喜びがたまらなく好きで、問題に 取り組むことが至福の時間となっている場合が多い。一般人から見れば、わざわざ苦悩するために勉強しているとしか思えないけど、数学者は世間の雑音など気 にしていないのである。
では、日本政府や文部官僚は、理数教育をどうしたいのか? 教育改善をする目的とは何かを明らかにしないと、何をしているのか分からない。答えを露骨に言うならば、天才数学者ではなく、研究機関や民間企業に就職で きて、そこそこの業績を出してくれるような物理学者や生物学者、数学者を養成したいのであろう。だから、なるべく多くの子供が数学や自然科学に興味を持 ち、理系に進学してくれれば、科学者人口が増えて国家のためになるという勘定である。しかし、現実世界では、数学や理科をいくら教えても一行に興味を示さ ない子供や、厳密で抽象的な学問に不向きな子供だって存在するのに、全員に同じような授業を施すことで、理数科目を嫌いになる子供を生産しているのだ。や はり、学校カリキュラムの根本思想がおかしいのだろう。だいたい、教師がもっと熱心に授業を行ったり、教育予算を増額すれば、たくさんの理数専攻者が生ま れてくる、といった過大な期待が間違っている。不遜な発想だが、子供はおおよそ「天才・秀才」層と「頑張れば何とかなる」層、「たぶんダメだろう」層に分 かれるんじゃないか。役人は二番目の何とかすれば理数科目が好きになってくれる階層の子供にターゲットを絞っているのだろう。そもそも、数学の天才とは、 役人が努力して育成できるものではないから、自然発生的な人材である。たとえば、ドイツが輩出した偉大な数学者ガウスを思い出してみれば分かるだろう。
(左/ガウス)
ヨハン・カール・フリードリッヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss)なら誰でも知っている。1777年、ドイツのブラウンシュヴァイクで生まれた天才は、子供の時から異彩を放つ神童であった。高校の先生がよく 話すエピソードに、8歳のヨハン少年が驚異の計算した話がある。学校でビュットネル(J. G. Büttner)先生が、1から100までの整数を足してその合計を答えなさい、というちょっと時間のかかる問題を出した。先生はその間に自分の仕事を片 付けてしまおうと考えていたそうだ。ところが、すぐにヨハン君が「先生できました」と叫んだから、ビュットネル先生は眉をひそめた。そんなことはあるま い、とぶつぶつ言いながら、ヨハンのノートを覗いてみると、なんと「5050」って書いてある。先生はビッくり。目を丸くして「どうやって計算したんだ ? 」と尋ねたらしい。するとヨハン少年曰く、
1+2+3+4+・・・・+98+99+100と足して行くのと、その順序を反対にして
100+99+98+・・・・・・+3+2+1と並べて、この二つを合わせると、
101+101+101+・・・・+101+101+101というように、101を100個加えるが、全部ではなく、その半分だけにすれば良く、101×100÷2=5050となる。
ビュットネル先生も、これには驚いたらしく、普通の授業ではヨハンが退屈するだろうと考えて、助手のバルテルスに命じて、他の子とは違った特別教育を授 けたという。まあ、これは1を頂点にし、100を底辺とした三角形を二つ組み合わせて、平行四辺形にしたと考えれば分かりやすい。半分に割るというのも、 三角形の面積を求めるだけで良いからだ。小学二年生くらいで、こうした発想を思いつくというのは、彼に何らかの才能が芽生えていた証拠である。たぶん、物 の見方が一般人と違うし、右脳を使っていたのかも知れない。いずれにしても、天才の脳味噌は謎である。
現在の日本なら、両親は我が子 の才能に万歳して、さっそくエリート学校へ進学させるだろう。ヨハンの指導に当たったバルテルスは、彼の才能を見抜いたので、父親にギムナジウムに進学さ せるよう説得を試みた。しかし、ヨハンの父親はレンガ職人で、倅(せがれ)には学問など要らない、と最初は拒んでいた。ところが、段々とバルテルスの熱意 に負けて息子を進学させたという。ギムナジウムに進学したヨハン・ガウスは、そこで教師だったアウグスト・ズィンマーマン(August Wilhelm von Zimmermann)先生をも驚嘆させたらしい。彼はこの天才少年を大学に進ませようと、あの頑固オヤジに交渉したという。ところが、またもやこのレン ガ職人は渋い顔をしたそうだ。「貧乏人の倅が大学なんぞ・・・」と躊躇いを見せたので、ズィンマーマン先生は熱心に口説いたらしい。ところが、このオヤジ がどうしようもない分からず屋なので、先生はヨハン少年を連れて、領主カール・ウィルヘルム・フェルディナント(Karl Wilhelm Ferdinand)公の宮廷に参内したのである。この領主は日本のお殿様みたいに、優秀な若者を育成する事が好きなようで、ガウスに財政的支援を約束 し、たくさんの書物までプレゼントしたという。こういう経緯で、あの頑固オヤジも息子をレンガ職人にすることを諦め、ヨハン少年は偉大な数学者になったの である。偶然が重なることがなかったら、世紀の天才はレンガに埋もれていただろう。想像しただけでも恐ろしい損失である。
天才はさて おき、教え方次第では理数系に進むかも知れない子供をどうしたらいいのか? オーソドックスに分厚い教科書を与えて、授業数を増やし、教員の質を上げて、進学塾のようにみっちり仕込むべきなのか、意見が別れるところである。色々な 調査でも、子供は中学1年生くらいから数学が嫌いになり始め、授業内容が分からないとか、何となくつまらない、といった理由で苦手科目とするそうだ。たし かに、数学や理科は積み重ねが大切な科目だから、1年生の学習内容を咀嚼(そしゃく)せずに、2年生に進めば教師の説明が理解できずに、授業から脱落する だろう。したがって、試験の成績も悪くなり、ますます嫌いになって行く。中学で嫌いになった科目を高校で好きになることは通常ありえない。たぶん、文系 コースを取って数学や物理を敬遠するだろう。だから、学校教師はだいたい、小学5年生から中学2年生くらいの期間で勝負せねばなるまい。しかし、ただでさ え授業数が削られていたり、他の科目も勉強させるわけだから、無理難題となってしまう。それなら、いっそのこと凡才改造計画を諦めればいいのだ。
世の中でまっとうな職業について暮らしている大人に、小学6年生の実力テストや中学1年生の期末テストをやらせれば、どんな結果になるのか想像がつくだ ろう。おそらく、全問正解や高得点を取る人物がいる一方で、半分しか回答できなかった者や無惨な成績の者がいるに違いない。つまり、世間で生きてゆくだけ なら、小学校程度の知識を持つだけで充分な場合があるということだ。たとえば、高校卒業生でも、3年間野球ばかりしていて甲子園に出場できたが、これと いった才能がなくプロ選手になれない生徒がいる。そして野球とは関係ない民間企業に就職するケースだってあろう。ところが、その学力たるや中学生以下の場 合が多い。方程式や英語力はおろか、漢字さえ満足に書けない者がいるのだ。それでも、なんとか営業マンになったり、組み立て工になったりして生活してい る。必要な知識は職場で覚えたり、独学で修めたりするだろう。大学に進学するのは高収入の職業や見栄の張れる職業に就きたいからで、学問を究めたいから進 学する者など少数派のはずだ。それなら、数学、理科、英語などの科目は音楽や美術と同じく、好きな者が趣味で勉強する科目にすればいいのである。学校では 国語と算数、社会をしっかりと教えればいいんじゃないか?
(左:ピタゴラス/中央:ユークリッド/右:プラトン)
子供が数学や理科を嫌いになる原因は容易に想像がつく。知識人ではない一般家庭の子供が、学校でいきなり計算問題や、方程式、座標、幾何学とかを教えら れれば、意味が分からず嫌になってしまう。自宅ではゲームやアニメといった娯楽があるのに、学校では退屈で苦痛な科目が課せられた上に、試験で順位をつけ られ、成績が悪いと怒られる。これじゃあ、好きになれという方が酷である。たとえば、アニメ『ドラゴンボール』や『ジョジョの奇妙な冒険』なら毎週楽しく 観るし、単行本だって繰り返し読むだろう。これは義務ではないからだ。おやつを忘れてアニメを観ている子供は、それが魅力的で楽しいからだ。そうした子供 でも、好きでもないアニメ・レポートを何十枚も書くよう、毎日宿題を出されたら嫌になってしまうだろう。1、2年くらいは試験を忘れて、数学や理科の魅力 について、教師が物語や歴史を教えたらどうか。たとえば、ピタゴラス学派やプラトン、その恩師テオドロス、テアイテトス、ヒッポクラテスなど数学に貢献し た人物や、古代ギリシアの歴史をセットにして、なぜ数学があんな小さな地域で発達したのかを教えてれやばいい。子供ならユークリッド幾何学に興味を示し、 数学の「なぜ」を追求するかも知れない。文部科学省は秋山仁先生を利用して、日常生活や各分野で数学が活かされていると子供に訴えかけるが、それで子供が 納得して数学の教科書を開くとは思えない。(昔フジで放送していた秋山先生の『皆殺しの數學』という番組はおもしろかった。)普段の生活でスポーツやゲー ム、ポップ音楽とった娯楽があるのに、抽象的な数学を積極的に勉強しようとは考えないだろう。やはり、受験や進学のためという意識が根強く残るに違いな い。
(左:ヒポクラテス/中央:秋山仁/右:ニルス・ヘンリク・アベル)
数学はある意味美術に似ていて、世界は美しい公式で満ちているから、それを解明したいという欲求が数学者にある。素人の目には、彼らが何らかの宗教に取 り憑かれた変人としか見えない。この宇宙は壮大な創造物で、数によってできており、その謎を解くことが究極の幸せと感じているのである。数学で宇宙の原理 を発見したい、といった気違いじみた野心を持つ人が数学者なのだ。有名大学に入ってお金持ちになりたいとは思っていない。偉大な数学者を思い出せば、奇人 変人のまま一生を終えているのだ。たとえば、超有名なニルス・ヘンリク・アベル(Niels Henrik Abel)は、ノルウェーにある寒村の牧師家庭に生まれ、赤貧洗うがごとしの生活であった。18歳くらいで父を失い、家計は厳しくなり、どうにかこうにか 研究生活を続けていたという。パリに赴いてベルリンに返ってきた時など、14ターレル(銀貨)が彼の全財産だった。母、姉、弟、妹を養い、みすぼらしい身 なりでは、これが天才数学者とは誰も創造できない。解析学など勉強している場合か、と思ってしまう。健康を害して吐血しながら論文を書いていたなんて、余 りにも哀れだ。浪曲の主題になりそうだ。
(左:ガロア/中央:カルダーノ/右:リーマン)
フランス革命の頃(1811年)に生まれたエヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)は、波瀾万丈の短い人生を過ごしたことで有名。サント・ペラジー牢獄に入れられてしまうし、最後には名誉を賭けた決闘に斃れてしまう。それ でも、短命だったガロアは、息子に古典を教えてくれる優しい母親を持っていたからマシだった。ルネサンス期の数学者ジロラモ・カルダーノ (Girolamo Cardano)は誕生からして危なかった。彼の母親は妊娠したにもかかわらず、堕ろすを考えていたという。しかし、中絶に失敗したので息子が生まてし まったのだ。病弱と貧困に苦しんでいたが、カルダーノは3次・4次方程式で大いなる貢献を果たした。有名な数学者リーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann)も貧乏牧師の息子であったが、熱心に勉強して曠古の偉業を遺した。リーマン多様体(Riemannsche Mannigfaltigkeit)はよく知られているし、素数に関するリーマン予想では多くの学者が挑戦しているという。素数の研究は恐ろしくて、謎解 きの学者は廃人かノイローゼになっている。筆者は昔、パンツのゴムを使ってトポロジー(位相幾何学)なら面白いかなと思ったが、素数(prime number)は底なし沼みたいで怖かった。日本人の数学者で何人が研究しているか分からないが、たぶん毎日が苦悩の連続だと思う。
数学嫌いの子供が多いのは、最初から無味乾燥した内容の数学を教えるからだ。筆者が知っている数学の教授は日本の教育をボロクソに批判していて、「高校ま での授業なんかダメだ」とか「テクニックばかりで論理がない」とか「あんなのつまらないだろう」とか散々なことを言っていた。専門家にそんなことを告白さ れると、小学校や中学校でもっとエキサイティングな授業があればいいのに、と悔しくなるじゃないか。それなら、子供には分かりやすい大学レベルの講義でも 良いんじゃないか、と思ってしまう。大人が勝手に難しいから「省略」と判断することは有害であろう。講義内容を完全に理解できなくても、数学の素晴らしさ を伝える方が大切なんじゃないか。どうせ、中学を卒業しても数学教科書の内容を理解せぬまま、高校に進学したりする生徒が多いのだから、少しでも数学の魅 力を感じた子供を増やした方がいいのではないか? ただ、これはPTAや受験至上主義の親が反対するので、決して実行されない非現実的な提案である。正直に言えば、出来損ないだった筆者は、こうした授業を 受けたかった。科学者にならぬまま死ぬ平民がいてもいいんじゃないか。
数学のみならず物理学も嫌う中学生や高校生が結構いるらしい。 小学生から高校生までを対象にしたアンケートを基にした論文を読んだことがある。理科に対する好感度を調べた結果、小学3年生で「大好き」と答えた子は 41.5パーセントもいたのに、5年生だと25.7パーセント、6年生だと20.7に減少し、高校生になると5.4パーセントになってしまう。(加藤巡一 『理科教育と理科離れの実態 (一)小学校』 神戸松蔭女子大学研究紀要 p.39) 中学や高校という学年になると、物理学離れはほぼ決定的となり、受験生は文系と理系で分離してしまう。中学生時代で躓くと、そのまま苦手科目となり、物理 学は不必要か敬遠科目となる。子供は自然現象を不思議に思っても、難しい数式や法則の羅列で生理的に拒絶してしまうのだ。文部省官僚などは、科学の実験を 授業で増やせ、とか科学館や博物館を増設して子供に見学させろ、と叫んで無駄なカリキュラムを促進する。何とか科学館で液体の化学反応やドライアイスの煙 を見せたり、展示してあるロボットを動かしたからといって、子供が物理学を勉強するとは思えない。マジック・ショーなら少しは手品師になりたいと思う子供 が居るかも知れないが、豪華な科学館を訪れても、子供は帰宅すれば忘れてしまうのだ。
(左:佐久間象山/中央:吉田松陰/右:江川英龍)
自然科学を好きになるには、それを学びたいという願望がなければ、子供は勉強に励まない。親が受験のために強要するだけでは、たいていの子供は飽きてし まう。進学校の子供はそれでも勉強を続けるから問題ないが、普通の家庭に育つ凡庸な子供には、知的好奇心や激しい動機が必要だろう。幕末・明治維新の頃 は、日本の独立とか富国強兵に絡んだ立身出世が動機となることがあった。偉大な佐久間象山(さくま・ぞうざん)はもともと朱子学を修めていたが、海防の必 要から30歳を過ぎてから、坦庵(たんあん)こと江川英龍(ひでたつ)のもとで西洋砲術を学んだ。愛国心の権化たる象山先生は必死で西洋兵学を習得し、そ の仁徳はあの吉田松陰を感動させたほどである。坦庵先生のもとには大鳥圭介や橋本左内、桂小五郎が寄ってきて薫陶を受けたらしい。戦前までの日本では、お 国のために自然科学を志す子供が多かった。下瀬火薬で有名な下瀬雅充(しもせまさちか)や超弩弓艦「大和」の設計に携わった東大総長の平賀讓(ひらがゆず る)を見れば、虚弱体質で悩んだ子供は、軍人じゃなくても国家に尽くせると思った。ペンシル・ロケットで有名な糸川英夫(いとかわひでお)博士は、根っか らの愛国者で、世のため人のために尽くした。糸川先生は海軍パイロットと親しく、「隼」や「鍾馗」の設計を手掛けたのはよく知られているが、実はジェッ ト・エンジンの発明者でもある。ポツダム宣言のせいで戦闘機が作れなくなり、服毒自殺を図ったこともあったそうだ。戦後、ロケットを熱心に研究されたの は、戦闘機開発は米国の後塵を拝することとなったが、ロケット開発ならまだ間に合うという計算をしていたからだ。何としても、日本の科学技術を世界トップ レベルにしようと尽力したのが糸川博士であった。そんな糸川先生が、ペンシル・ロケット開発でちょっと失敗しただけで、大々的に罵倒し、先生をバッシング したのは朝日新聞であった。まったくもって許せない。日本の発展を阻む朝日新聞など、さっさと潰れてしまえばいいのだ。朝日を購読している人は、一刻も早 く購読中止をしてもらいたい。とにかく、自分の栄誉だけを考えず、国家の命運を担った科学者は、日夜研究に邁進したものだ。
(左:下瀬雅充/中央:平賀讓/右:糸川英夫)
子供は大切な任務を課せられると、急に大人になったように感じ、熱心に義務を果たそうとする。周りの者から頼りにされたりすると、嬉しくなってやり甲斐 を覚える。たとえば、ボーイ・スカウトで年長者の少年は、下級生の世話を任されると、キャプテンとしての自覚が出てくる。それに、周りの子供たちや大人か ら称賛されたり、励まされると驚くほどの忍耐を発揮することだってある。昔は、幼くとも武士の子は責任感があって、困難にもよく耐えた。「男の子だろ」と か「武士の子なんだからへこたれるな」といった言葉は心に響くものである。学問でも、似たような所があって、吉田松陰は「公のため」に学問をしていたので ある。師匠の玉木文之進はとにかく厳しかった。松蔭先生の勉強は、すべて天下国家のためであったから、学問は真剣そのものである。しかし、現在だと学問を 国家への貢献と結びつけるのは反対が大きいだろう。たとえば、量子力学を教える教師は、核兵器に触れないだろうし、たとえ言及しても、核開発を子供に熱く 語ることはしないだろう。理科の教師なら原子を取り上げて、子供に1億分の1㎝の世界や核はもっと小さくて10兆分の1㎝なんだよ、と説明するだろう。陽 子や中性子がくっついて、その周りに電子があるんだ、と構造を図に書いて教える。アルファ粒子とかベータ崩壊とか、ガンマ線について解説することは容易 い。ただし、子供はそれを学ぶ意味が分からない。みんなが電気を安く使えるのは、核爆発の熱を利用する原子力発電所があるからだよ、と説明しても、子供は 「へぇー」と言うだけで、「難しい計算とか公式があったり、元素記号を覚えなきゃダメなんでしょ」という答えが返ってくる。中には「何処が試験にでる の?」と尋ねる子供だっているだろう。肉眼では見えない世界の神秘に魅了されず、テストの点数だけに関心がある子供が実に多いのだ。
(左:リトル・ボーイ/右:ファト・マン)
知的好奇心が希薄な子供に対して、物理学の魅力を伝えようとする理科教師は、矛盾した微妙な立場に置かれることがある。原子力について教えても、核兵器 について教えるわけにはいかない。平和教育が基本だから、まさかウラン爆弾の「リトルボーイ」とプルトニュウム爆弾の「ファットマン」について、その違い や構造の説明を口にできないだろう。「ウランやプルトニユムが中性子を吸収して核が分裂するからね」とか、「超臨界で核分裂の連鎖反応起きて、膨大な数の 核が100万分の1秒間に分裂するんだ」なんて説明できるが、まそかプルトニュウム型爆弾の構造まで言及したらマズいだろう。中性子発生装置やウラン・タ ンパーとかは、子供に教えるべきではない、と校長や教頭から注意を受ける。「爆縮レンズ」を教えなくても、光学レンズの構造や特質を教えれば、同じような ものだし、いずれ子供にバレるだろう。またE=mc2を教えてしまえば、ウラン爆弾の核分裂により膨大なエネルギーが発生し、その温度が300万℃にも なってしまうことは直ぐ分かる。左翼教育が盛んな沖縄では、米軍の劣化ウラン(Depleted Uranium)を現場教師までが非難したが、どうして劣化ウランが、砲弾に使われるのか子供に教えないだろう。軍事を勉強している者には常識でも、一般 人には何のことやら分からない。ウラン濃縮装置から濃縮されたウランを回収したら、ウラン238が残る。この余った残留ウランが「劣化ウラン」と呼ばれる もので、その質量密度は鉛の2倍という高さである。そのため、劣化ウラン弾は、敵軍戦車の装甲を容易に貫通することができ、貫通する際にはウラン自体の構 造が変化して高熱を発するのだ。すると、戦車の中にいる操縦士は約1200℃の熱で、焼け死んでしまう。一般国民でも湾岸戦争の時、イラク軍戦車の無惨な 残骸を映像で観たことがあるんじゃないか。いずれにせよ、兵器の性能を子供に語る教師なんてクビになってしまいそうだ。家族を養う教師は臆病になってしま いがち。しょうがない。
(左:パトリオット・ミサイル/右:劣化ウラン弾が貫通した戦車の装甲)
科学者の伝記を語るのも厄介だ。キューリー夫人くらいならいいだろうが、第二次大戦の話になると生々しい。ナチ・ドイツ時代における科学者の業績を教え る時、オットー・ハーン(Otto Hahn)がカイザー・ウィリヘルム研究所の化学者で、超ウラン元素の製造を試みていたことや、リーゼ・マイトナー(Lise Meitner)が協力していたことが分かる。日本でも原爆開発を委任された仁科芳雄(にしなよしお)博士や、極秘で進められた原爆開発の「二号研究」に 触れねばならない。どんなに教師が嫌がっても、軍事技術の開発が、科学を発展させる推進役になることはバレてしまうだろう。例えば、我々が家庭で使ってい る電子オーブン(microwave oven)はレーダーとかマイクロ波を研究していたパーシー・スペンサー(Percy L. Spencer)が開発した家電製品で、当初「レーダーレインジ(Radarrange)」という名称だった。この新製品は兵器開発企業のレイセオン (Raytheon)社が発売したのだ。このレイセオン社は、パトリオット・ミサイル(Patriot Missiles)やトマホーク・ミサイル(Tomahawk Missiles)で有名な会社で、軍事用のレーダーや電子機器、ミサイル誘導装置などを開発している。まぁ、軍事業界では誰でも知っている老舗である。
(左オットー・ハーン/中央リーゼ・マイトナー/右仁科芳雄)
ちょっと機械に興味ある子供なら、最強の戦車や潜水艦を作ってみたいと思うだろう。我が国はF-35ライトニング(Lightning)IIやF-22 ラプター(Raptor)のような第五世代ステルス戦闘機や、SLBM搭載の原子力潜水艦が必要なんだから、「少年よ大志を抱け」というモットーで科学者 を養成したっていいはずだ。(筆者は中学1年生の頃、F-14戦闘機の模型を部屋に飾っていたから、時折ため息をついたものだ。国産戦闘機の開発が無かっ た事が悔しかった。) ロボット開発に力を入れる日本なら、ガンダムのような大型モビル・スーツは無理でも、漫画『レッド・アイズ』で登場するSAA(Special Assult Armor/装着型戦闘スーツ)なら将来開発できるかも知れない。(詳しくは、神堂潤『レッドアイズ』の中でグラハルト・ミルズやレニー・クルーガーが装 着するSAAを見てね。でも、この漫画は説明が複雑で、軍事用語に慣れていないと難儀である。) 漫画の世界は日教組の思想が浸透していないので、日本の子供が喜ぶ機械や兵器が登場する。学校教師はこうした題材をもとに科学的考察や可能性を説明したっ ていいはずだ。実際に作れなくても、コンピューターを使ってモデルを作ることなら出来るだろう。米国の偉大な科学者ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)は、当時実際の試作品を作らずに頭の中で想像して、製品デザインを考えていた。今なら3次元コンピューターを利用して簡単に試作品を作れる が、昔はテスラの発想は斬新だったという。
(左:ニコラ・テスラ/中央:パーシー・スペンサー/右:レッド・アイズ)
筆者の提案は雑談の勧めみたいだから、優等生教育には向いていない。凡人に対する啓蒙教育だと考えた方がいいだろう。子供はたき火の周りに坐って、ヤバ いけど刺戟的な話が好きである。それに、「説明が終わったら試験をするぞ」、と先生から脅かされずに聞ける話なら楽しいはずだ。これは歴史教育についても 言えることで、子供に祖先の偉大さを教えるべき科目なのに、受験で課せられる科目になってしまえば、先人の苦労や名誉なんかどうでも良くなってしまう。年 号や事件を暗記して、パズルのようなテストに答える科目では、面白くないのも当然だ。その上、自虐史観とくれば、なおさら暗くなる。キャンプ・ファイアー での昔話なら、毎週楽しみに期待するだろう。子供に聞かせるから、教師も落語家か講談師のような訓練をしなければならなくなる。話術を勉強することが必修 になるだろう。そうなると教師は子供から評価される対象になるから辛いだろうな。しかし、米国の大学では、教授が学期末に学生から評価される制度がある。 学生が用紙にどんな評価をするか教授も心配になる。日本の学校ではこうした緊張感が無いから、のんべんだらりなマンネリ教師が存在するのだ。
(左:F-22ラプター/右:F-35ライトニング)
無駄な話も有益かも知れない
数学や物理学で試験を無視するのは暴論であることは百も承知である。現場教師なら、そんな「お気楽授業」なんかしたら子供の学力が全体的に落ちてしま う、といった反論をするだろう。それに、子供を持つ親は進学校でスパルタ受験教育をすべし、との信念があるから怠惰授業には大反対なのは確実だ。「ゆとり 教育」で散々な目に遭った親子なら、昔のように詰め込み教育の復活を望むだろう。筆者はそれで問題解決なら賛成である。筆者が懸念したのは、数学や物理の 授業を履修しても、結局習った知識が頭に残らず、嫌な思い出だけが記憶されるのではという点だ。卒業してから再び勉強したい人がいるから、どうすべきかを 考えただけである。もちろん、気に入らなくても学校の授業を受ければ、数学や物理の知識が備わるだろう。我慢して勉強すれば、知的水準が上がるだろうが、 理数嫌いは解消されないのではないか。
(アニメ・機動戦士ガンダム/ソーラー・レイ)
教員免許すら持たない筆者の体験談で恐縮だが、むかし中学生や高校生と機動戦士ガンダムについて話していた時、太陽光線を使ったソーラー・レイという巨 大兵器を話題にしたことがある。ギレン・ザビが父親のジオン公国元首デギン公をレビル将軍と一緒に暗殺してしまった。(これは最初のガンダムの物語。) スペース・コロニーを利用した兵器という設定だ。セル画で宇宙は暗いのに、太陽光線で明るくなっていない。地球は太陽で明るいのに変だ。それは、太陽光線 に色が無いからだ。お月様は太陽光の反射で、その反射光が地球に届いている。無色といっても太陽光がプリズムを通れば七色に別れて目に見えるからおもしろ い。我々が普段目にしている「色」には不思議な特徴がある。日差しには色が無いけど、太陽光が教会のステンドガラスを通り過ぎれば、青や赤、紫色を見るこ とができるだろう。とはいっても、それはガラスが青かったり赤かったりするからではない。青いガラスは青い光のみを通過させ、その他の光を吸収して通さな いから、我々は青い光を見るのだ。さらに言えば、赤(青、緑、紫など)の光は、ガラスが発する赤の感覚を我々の大脳に生じさせる光である。朝顔の葉が緑に 見えるのも、葉っぱが緑だからではなく、緑の光を反射するからである。ヘリウムでできている太陽には、黒点や磁気ループとかの話も豊富にある。ソーラー・ フレアの爆発威力は、核爆発の100億個ぶんに相当するのだ。凄いとしか言いようがないけど、何かに利用できないかな? アニメで真剣に科学を話すこともないだろうが、不思議なことはたくさんあるのだ。ガンダムは宇宙空間では上下とかは無いことを示す作品で良い。既成の考え 方に捕らわれない思考は度の学問でも必要だ。地政学でも北極を下にして地図を見ると別の考え方ができる。ロシアの膨張政策がよく理解できたりするから、一 度地図を逆さまに見てみるべきだ。
(左:マイケル・ファラデー/右:ジェイムズ・クラーク・マクスウェル)
中学生という時期は、大人でもないが、子供でない年代なので、少し専門的な事柄を教えてもいいのではないか? 筆者が中学生の時、大学生が使っていた化学や物理学の古本をもらって読んだことがある。だから、いまでもマイケル・ファラディー(Michael Faraday)の事は懐かしい。電磁場の研究や光の理論で有名なジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clarke Maxwell)が、ファラデーを大変尊敬していたことはよく知られている。(ちなみに、マクスウェルは始めてカラー写真の撮影に成功した人物だし、磁気 の研究だけでなく、サイバネティクスや制禦理論でも功績がある。) ファラデーは鍛冶屋の息子で、小学校を中退して新聞配達をしていたくらい苦労人だった。用務員待遇の研究室助手になって、偉大なる業績を遺した科学者であ る。数学の知識に乏しかっただけではなく、会話障碍と失読症を持っていたらしい。それでも、40歳くらいで電磁誘導の発見をし、54歳で反磁性を発見した んだからすごい。大器晩成なのか。まるで人気ロックバンド「クイーン」のブライアン・メイみたい。(ギターリストのメイは天文学をインペリアル・カレッジ で勉強していたが、バンド活動で天文学を中断した。30年後ふたたび勉強を始め、「A Survey of Radical Velocities in the Zodiacal Dust Cloud」という論文で博士号を授与された。)ファラデーの発電機を見ると今でも感慨深い。今の子供なら当り前の知識でつまらないだろうが、中学生だっ た筆者はフランスの科学者にして政治家のフランソワ・アラゴ(Dominique François Jean Arago)の円盤が面白かった。上から糸で吊した円盤の下で磁石を回すと、つられて円盤も回るというのだ。当時は磁場ということがよく判っていなかった ので、その理由は謎のままだった。ファラデーはこのアラゴの円盤にヒントを得て、円盤を回して電流を発生させる原始的な装置を作ったのである。電気の利用 は人類の生活を大きく変えた事件だから、とても印象深かった。ちなみに、このアラゴは、1848年ちょっとだけフランスの首相になったことがある。高校の 教師はフランス史を教えても、この物理学者兼政治家の存在には触れないだろう。(筆者は現在の高校の授業について無知だから、もしかしたら教えているかも 知れない。誰か教えてくれないかなぁ。) 中学の理科教師が、無駄と思っても偉大な科学者を生徒に紹介したら、意外と興味を示すかも知れないぞ。学校の教科書じゃつまらなくて、凡庸な生徒は居眠り するだけだ。
(左:フランソワ・アラゴ/中央:ファラデーの発電機/右:ブライアン・メイ)
いつもは歴史や政治が題材のブログだが、今回はちょっと嗜好を変えて、我が国の教育を論じてみた。筆者の意見はもちろん個人的なもので、無責任な提案だ から、読者の中には腹が立って反論したくなる人も多いと思う。しかし、教育論は百人いたら100か110くらい出てくるからキリがない。秀才は外野が何を 言っても気にせず勉強するから心配ない。また、暴走族やヤクザになる少年は、そもそも勉強しないだろう。シンナーを吸っている不良に、数学や英語を教え たって無駄だ。問題なのは、勉強を最初から嫌いじゃないけれど、段々と嫌いになる中途半端な子供である。指定された勉強を真面目にするけれど、何となく学 問を好きになれない子供はちょっと不憫である。理数系の授業は問題があってもまだマシで、歴史の授業より害が少ない。数学や理科の教師はその専門分野を憎 んでいないし、まさか嘘を教えないだろう。筆者が歴史の教師を批判するのは、彼らが自分の学問対象を恨んだり、捏造を子供に教えるからだ。日本では早く先 進国となるため、学問を理系と文系を分けて人材育成を急いだ。今日、そのツケが回ってきて、いびつな若者が増えている。文系に理数科目は文系学生には要ら ないといった現象はおかしい。しかし、大衆教育が普及すれば、どこでも起こる問題だからしょうがないのかも。まぁ、そもそも学校って暇人が集う場所だった から、道楽で時間を潰しても当然だよね。
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法の上に君臨するユダヤ貴族
イギリス人にとっ て「法の支配(Rule of Law)」は誇りである。社会を人が統治しようとすれば、必ず邪(よこしま)な恣意が首をもたげて、公平な政治を損ねてしまう。だから、アリストテレスは 下劣な民衆支配(デモクラシー)よりも、立憲政体(ポリティア)を理想としたのだ。現在の我々が称賛しているデモクラシー(民衆政治)をアリストテレスが 見たら、暴民政治(mobocracy)か劣等者支配(カキストクラシー/kakistocracy)と呼ぶだろう。ちなみに、優秀者支配(アリストクラ シー/aristocracy)を通常、我々は「貴族政」と呼んでいる。イングランドは、君主政と貴族政、民衆政が融合した混淆政体(mixed constitutin)の国だが、ユダヤ人は異次元に住んでいるようだ。アングロ・サクソン人や北欧系国民と異なる肉体を持つセム種族は、自由を享受で きるイングランドで、宿主を窒息させようとしているのだから悪質である。
(左/グレヴィル・ジェナー)
最近、ブリテン輿論(よろん)を激昂させる事件が起こった。性的な児童虐待の容疑を掛けられたグレヴィル・ジェナー卿(Lord Greville Janner)がお咎め無しの処分に付されたからだ。彼は貴族に列せられた有名なユダヤ人議員である。ブリテン国民はいたいけな少年を性的に弄(もてあ そ)んだジェナー卿が、法の裁きを受けるものだとばかり思っていた。しかし、現実は違ったのである。ジェナー卿が容疑を掛けられたのは、今回が初めてでは なく過去にもあった。最初の幼児虐待が浮上したのは1991年で、フランク・ベック(Frank Beck)裁判の過程で明らかとなった。このベックという男は、レスターシャイアーにある児童養護施設の監督で、1973年から1986年にかけて、約 200人の子供を性的に弄んだのである。(Guy Adams, Report reveals extreme of allegations against ex-MP Greville Janner, Daily Mail, 3 October 2014) 子供を預かる者が変態だったとは、世間も驚いたが、ベックは裁判で終身刑を言い渡されたという。彼はその後、1994年に獄死。ベックは17件の児童虐待 で起訴されたが、その調査過程で思わぬ事実が判明した。グレヴィル・ジェナーが1970年代に性的関係を持った少年が、偶然ベックの養護施設にいたのだ。 もちろん、ジェナーは関係を否定。
現在30歳になる元被害者の少年は宣誓証言を行ったのである。彼が13歳から15歳までの間、ジェ ナーはその少年に性的行為を繰り返し、しばしばレスターにあるホリデー・インという宿に連れ込んだらしい。ジェナーは水泳プールの中で彼を犯したことが あった。その被害者は下院議会のメモ用紙に書かれたジェナーの手紙を陪審員に提示し、「愛してるよ、ジェナーより」とか「君がいなくて寂しいよ」という筆 跡も見せた。もう手紙を読むことすら汚らわしく思える。一体、プールの中で子供をどんな風に触っていたのか、気持ち悪くてとても想像できたものじゃない。 しかし、被害者の証言によると、ジェナーは彼の股間を愛撫し、肌を密着させ抱きしめたという。法廷が閉会した後、ジェナーは、容疑を全面否定し、「その少 年はベックに影響されて真実ではない話をしているのだ。彼は施設で哀れな状態だったので、私と家族が助けてやっただけだ」との声明を発表した。
ジェナーが性的虐待を否定しても、世間の疑惑は晴れなかった。1995年に被害者たちの証言を集めた小冊子が発行され、具体的な話が暴露されたのであ る。ジェナーは女房が留守の時を狙って、13歳の少年を自宅に招き、ベッドで泣いた振りをして少年を誘ったという。いい年をしたオッサンがベッドで悲しん でいるのを見た少年は、不憫に思って言われた通り添い寝をしたんだって。罠に引っかかった餌をどうするかは想像できる。ジェナーはご褒美として、お金やお もちゃ、バイク、コンサートチケットなどを少年にプレゼントしたという。2002年に再度レスターシャイアー警察が捜査したが起訴を断念。4年後の 2006年、3名が被害者と名乗り出たがこれまた証拠不十分として起訴を見送ったそうだ。そんなこんなで2015年になってしまい、イギリス検事局 (Crown Prosecution Service)は、過去の捜査過程において何らかのミスがあったとして、ジェナーを起訴できなかったと発表したのである。しかも、86歳になるジェナー は、痴呆症を患っていて取り調べが難しいし、それに公共の利益にならないと判断したそうだ。(Martin Evans, Lord Greville Janner will not face child sex abuse trial after Crown Prosecution Service ‘mistakes’, The Telegraph, 16 April 2015)
警察が押収した証拠から、ジェナーの容疑は以下の通り。
・ 1969年から1988年のあいだに16歳以下の少年に対する性的虐待が14件
・ 1984年から1988年に至るあいだ 2件の性的虐待
・ 1972年から1987年のあいだで、16歳以下の少年に淫行をはたらいたのが4件
・ 1977年から1988年にかけて2件の淫行
こ れだけ容疑があるなら、もっと早くからジェナーは処罰されたはずだ。ところが事はそう簡単には運ばなかったのである。レスター警察署のミック・クリードン (Mick Creedon)刑事がマスコミに語ったところによれば、1989年にジェナーを逮捕しようとしたが、彼を逮捕するな、という命令が下され、家宅捜査もで きなかったという。(Lord Jenner will not face child sex abuse charges, CPS says, BBC News, 16 April 2015) つまり、警察上層部から現場の捜査官に妨害の圧力がかかったというわけだ。おかしい。警察は被害者の少年から情報を得て内偵を進めていたはずなのに、突然 中止命令が通達されるなんて変だ。しかし、ジェナーの経歴や背後を知れば、誰でもうなづけるだろう。
ブラウンストーン男爵たるグレ ヴィル・ジェナーは、貴族院議員のバーネット・ジェナー卿(Sir Barnett Janner)の息子で、議員になる前は法律家であった。第二次大戦の時、彼は英国陸軍に加わったことから、ドイツにあるベルゲン・ベルゼン (Bergen-Bersen)強制収容所に派遣され、そこで戦争犯罪を調査したことがある。こうした経歴から、ジェナーはホロコースト犠牲者の個人賠償 を求める活動をし、ユダヤ人からの人気を勝ち得た。しかも、彼はブリテン・ユダヤ人代表者会議(Board of Deputies of British Jews)の総裁や、世界ユダヤ会議(World Jewish Congress)とユダヤ人指導者評議会(Jewish Leadership Council)で、それぞれ副総裁を務めていたのだ。泣く子も黙るユダヤ人団体の重役を務めていた大物議員なら、警察だって二の足どころか、三の足くら い踏むだろう。裏から政治的圧力を受けなくても、ユダヤ人組織からどんな報復を受けるか分からない。そんな危険な逮捕をするよりも、捜査の手違いとかの口 実を作って、有力なユダヤ人圧力団体に“貸し”を作っておいた方が悧巧だ。ジェナーが高齢で病気だとの理由をくっつけて起訴を見送れば、ユダヤ人から褒め て貰えるじゃないか。警察は社会正義を貫くばかりじゃ能がない。将来、警察の失態が起きた時、もみ消してくれるかも知れないのだ。ユダヤ人は味方につけて おく方が得。いやな取引だが、現実の世界はこんなものだ。
ユダヤ人に絡め取られたブリテン政界
民主党政権が誕生した頃、鳩山由紀夫は「日本列島は日本人だけのものじゃない」と発言して多くの国民から非難を浴びた。宇宙人的思考を持つ首相の言葉 を、一々目くじら立てて怒るのは大人げないが、この発言は真実を含んでいた。日本には支那人や朝鮮人が相当数混じっているからだ。しかし、無惨なイングラ ンド王国に比べれば、日本はまだ同質社会である。現在、イングランドはイギリス人だけの国である、なんて誰も言えない。そんな事を口にしたら満座の席で笑 われてしまう。日本人はザックス・コーブルク・ゴータ(Sachsen Coburg und Gotha)家の女王が君臨しているから、アングル人の王国だと思っていたり、白人だからイギリス人だと勘違いしている。片田舎に行けば、イギリス系の職 人や農夫がいるかも知れないが、首都圏や政界で権勢を振るっているのはユダヤ人である。もちろん、イギリス人の貴族や士族院(Commons)議員が多く 在籍するから、ユダヤ人国家とは言えまい。しかし、巨大な権力と財力を誇る政治組織を持つユダヤ人は、その代表者や異教徒の子分を重要ポストに据えてい る。さらに、ユダヤ人が掌握したメディア界が、彼らの子飼い議員をバックアップするし、奥の院にはイスラエルが控えている。ユダヤ人に要職を占拠された英 国の政界や財界、官界は、ユダヤ人に急所を握られているのだ。
(左:フランク・ソスキス/中央:ハリー・コーエン/右:ネヴィル・ネグラー)
保守党や労働党およびマスメディアを牛耳るユダヤ人について述べると、とても長くなるので後に回すことにする。とりあえず、ユダヤ人による害悪をいくつ か拾って述べてみたい。日本でも「ヘイト・スピーチ規制」が話題になったが、ブリテンではとっくの昔に実施されていたのである。1965年に議会を通過し た人種関連法(Race Relations Act)は、ユダヤ人代表者会議によって起草され、労働党の内務大臣フランク・ソスキス卿(Sir Frank Soskice)によって推進されたのだ。このソスキスはブリテン生まれではない。彼はロシアからのユダヤ移民であった。我が国で言えば、帰化鮮人が閣僚 になって、言論規制法を制定するようなものだ。考えただけでも恐ろしい。1985年には、別のユダヤ人ハリー・コーエン(Harry Cohen)が、「人種ハラスメント法案(Racial Harrasment Bill)を導入し、人種を理由に他人を攻撃することを犯罪行為にしたのである。1970年代から1980年代にかけて、ユダヤ人のネヴィル・ネグラー (Neville Nagler)が、内務省で人種関連問題を取り扱っていたのだ。このネグラーは、ユダヤ人会議のジェフリー・ビンドマン(Geoffrey Bindman)やアンソニー・レスター(Anthony Lester)を相談役にして、議員が人種を主題にした演説を行う際、原稿の検閲を行っていたのである。
(左:ジェフリー・ビンドマン/中央:アンソニー・レスター/右:レオン・ブリッタン)
戦後、大英帝国(British Commonwealth)の体裁を守るため、イギリス人は有色移民の大量流入をブリテン国内に許してしまった。この失策により、ブリテン臣民は困惑する と共に、異邦人に対して敵愾心を持つようになった。同じような容姿と文化を保っていた国民は、急激な社会の変容に対して恐れと不満を持つのに、それを公の 場で口にすることができないのだ。1986年になると、サッチャー政権で内務大臣を務めたレオン・ブリッタン(Leon Brittan/本名Brittanisky)によって公共治安維持法(Public Order Act)が提唱されたのである。この治安維持法は、その第三部に記されている人種と宗教に関する規制が問題なのだ。簡単に言えば、西歐人でない有色人種や 非キリスト教徒に対しての批判を取り締まる目的で制定されている。だいたい、イギリス人は昔から、国教会やプロテスタント教会、カトリック教会で揉めてい たから、改めて法的処罰を加えなくてもいいはずだ。それに、フランス系、ドイツ系、スカンディナヴィア系の国民で対立したのか? もし、フランス系貴族の末裔やウェイルズ人が、女王陛下をドイツ系君主として非難したからといって、罰せられるなんて考えられない。こう考えれば、答えは 明らかだろう。言論・表現の自由を謳歌していたブリテン臣民が、インド人、アフリカ人、アラブ人に対して人種的批判を行ったり、イスラム教の拡大を懸念し たりするれば、治安を乱す言論行為と判断され、処罰の対象となってしまうのだ。
(左:キャロル・カシール/中央:エルム・ゲストハウスに通っていたキリル・スミス/右:ハウスの常連だったジェフリー・ディケンズ議員)
くだんのブリッタン大臣はユダヤ人で、リトアニアからやって来たユダヤ移民の親を持つ。彼もジェナーと同じく幼児虐待の容疑がかけられたのに、結局逮捕 されぬまま、今年(2015年)あの世へ旅立った。ブリッタンは議員になる前の1967年、当時19歳の学生をロンドンにある彼のアパートで強姦したとい う疑いをもたれたのである。(Jamie Merrill, Leon Brittan Exclusive: Tory peer questioned by police over rape allegation, The Independent, 6 July 2014) 被害者女性は、ブラインド・デートでブリッタンと知り合ったらしいが、彼が同意もなく彼女を無理矢理犯したということも考えられるだろう。しかし、真相は 未だに不明である。ブリタンの聞き取りを行った警察だって、こんな保守党有力者を一般の容疑者みたいに扱えないだろう。彼には強姦容疑ばかりでなく、児童 虐待容疑もかけられたのだ。1982年の夏、被害者の幼い少年は警察官によって、虐待されたロンドンの現場に連れて行かれたことがあった。その少年はエル ム・ゲスト・ハウス(Elm Guest House)でしばしば見かけられていたという。そこはゲイが集まる密会所であった。ここで少年は飢えた野獣どもから性的に弄ばれたらしい。被害者少年 は、「レオンおじさん(Uncle Leon)」は大きな屋敷(big house)、つまり下院議会で働いていたと証言していた。(James Hanning, Lord Brittan: The accusations against the former House Secretary that refused to die, The Independent, 25 January 2015)
(左:エルム・ゲスト・ハウス/中央:エルムで性的被害を受けた少年/右:レオン・ブリッタン)
ブリッタンの疑惑はこれだけじゃない。「インディペンデント」紙のジェイムズ・ハニング記者は、少年福祉活動家でカウンセラーのクリス・フェイ (Chris Fay)氏から、フリッタンが幼児虐待をしていたという証言を得た。1990年にフェイ氏は、ブリッタンがフランス風メイド姿で、少年と一緒の写真を見た ことがあるという。その写真は、あのエルム・ゲスト・ハウスの共同所有者であるキャロル・カシール(Carole Kasir)から見せてもらったそうだ。まあ、個人の趣味をどうこう批判したくないが、政府閣僚が「メイド喫茶」の少女みたいにコスプレしていたとは、何 とも気持ち悪い。日本人女性なら顔を歪ませて写真を投げ捨てるだろう。ブリッタンの顔で女装姿など想像したくない。そういえば、北京に派遣された和田充広 (わだみつひろ)公使が、女装のコスプレで話題になった。まっ、いいじゃないか。痴漢行為で有罪になった朝日新聞の東郷茂彦よりマシだろう。しかし、どう して外務官僚にはとんでもない人物が多いのか不思議である。日本の国益よりも、大使館のインテリアや油絵にこだわったり、ワインの銘柄を自慢したりとか、 外交官の仕事って何だろう? 退官しても有害人物であり続けたりする。東郷茂彦の弟は、外務官僚の東郷和彦であるが、北方領土問題では、ロシア側の利益に沿って発言を繰り返している。 兄弟揃って日本に損害を与えているとは。女装が趣味の和田は、職業選択を間違ったのだから、いっそのこと秋葉原でメイド喫茶でも開いたらどうなんだ? その方が幸せだろう。でも、経営手腕がないから無理か。
(左:和田充広/中央:東郷和彦/右:東郷茂彦)
変態容疑をかけられた「レオンおじさん」のいとこも酷い。ブリッタンのいとこに当たるマルコム・リフキンド卿(Sir Malcolm Rifkind)は、公共治安維持法を制定する際、ブリッタンに協力していたのだ。彼は保守党の政治家で、ジョン・メジャー政権下で国防大臣や外務大臣を 務めたくらいの有力議員。彼は政府の諜報活動も統括していたから、極めて重要なポストに君臨していたのだ。そのユダヤ人リフキンドは裏で怪しい仲介業を営 んでいた。彼にお金を払えば民間業者は、政府の重要人物とか高級官僚を紹介して貰えたのである。ある時、デイリー・テレグラフとチャンネル4の番組スタッ フが、偽のミーティングをセッティングして、ドッキリ番組みたいなおとり捜査を仕掛けた。番組スタッフは偽の支那人企業家に化けて、リフキンドともう一人 の共犯者に、有力者に面会できるよう取り計らってもらいたい、と依頼した。リフキンドは会社の代理として、どの大使でも会うことができるぞ、と自慢したい たが、それには5000ないし8000ポンドくらいかかるよ、と臭わせていたという。(Cash-for-acess: Sir Malcolm Rifkind claims he can talk to ambassadors on behalf client, The Telegraph, 23 February 2015)
(左:マルコム・リフキンド/中央:ジャック・ストロー/右:トニー・ブレア)
さて、もう一人の共犯者とは誰か? なんと保守党ではなく労働党の元外務大臣ジャック・ストロー(Jack Whitaker Straw)であった。あれ、ストロー氏ってトニー・ブレア政権下で国璽尚書を務め、ゴードン・ブラウン政権下で法務大臣兼大法官を務めた人物じゃなかっ たか、と覚えている人はエラい。このストローは曾祖父がドイツから来たユダヤ移民で、幼い時父親に捨てられたがしっかり勉強して政治家になった。(父親は 第二次大戦の時、徴兵忌避で刑務所送りになっていたらしい。) ストローはイスラム教徒やユダヤ教徒の私立学校に公金を流してやるなど、反イギリス的性格を持ちながら、ひそかに国家破壊を行っていた。保守的イギリス人 にとっては憎しみの対象だ。それに、彼はブレアと謀って移民を大量に輸入した張本人。こんな過去を持つストローは、おとり番組の中で、はっきりと料金をス タッフに要求しなかったが、自分が演説をする場合、1日5000ポント取るんだが、と暗に料金を示していた。(JackStraw and Sir Malcolm Rifkind deny wrongdoing, BBC News, 23 February 2013) このユダヤ人政治家は番組が公開されて赤っ恥を掻いたのだが、ストローはテレビ局のおとり番組に引っかかって屈辱を感じたと語っていた。(Cash-for-access: Jack Straw mortified to have fallen into trap, The Telegraph, 23 February 2015) テレビ局の罠を非難する前に、自分のしたことを反省しろ。リフキンドもテレビ局の汚いやり口に怒っていたという。あんな形で暴露されたのに、国民に対して 謝罪をせずに、二人ともやましいことをしていないと言い張っていた。あ~ぁ、往生際が悪いというか、ツラの皮が厚いというか、こんな奴らに投票した国民は どんな顔をしているんだ? 公共秩序を維持する議員が聞いて呆れるよ。国民が異人種を非難する印刷物を持っているだけで、処罰されたり家宅捜査をされるっていうのに、ユダヤ人議員は せっせと小遣い稼ぎ。役職辞任ていどで済むならいい方だ。
(左:デイヴィッド・アーウィング/右:マイケル・ハワード)
ユダヤ人が住み着く国では、言論の自由が著しく制約されてしまう。ブリテンでも明らかな嘘による煽動は名誉毀損や罪になるだろうが、事実がはっきりしない歴史的問題については、各人がそれぞれの見解を述べてもいいはずだ。たとえば、ホロコースト論争で も、ナチ・ドイツは本当にガス室でユダヤ人を殺したのか、実際のところ分からない。それというのも、英米の連合軍がきちんとした科学的調査をしなかったら らである。ユダヤ人の証言だけでドイツ人を有罪にし、反対尋問すら行わなかったのだから、正常なアメリカ人やイギリス人は戸惑ってしまう。しかも、実際の 殺人ガス室を科学者が検証しなかったし、裁判でも物的証拠を挙げて審理しなかったのである。600万人もが虐殺されたのに、いい加減な取り調べと拷問によ る自白で、ドイツ人を私刑にしてしまった。ところが、こんな簡単な事実さえ公で発言すれば「ホロコースト否定論者」の烙印を押されてしまうのだ。英国の歴 史家デイヴィド・アーウィング(David Irving)は、様々な資料を精査してホロコーストについて発表していたのに、反ユダヤ主義者とかホロコースト否定論者として断罪されてしまった。彼が 提示した具体的な疑惑とユダヤ人の反証を付き合わせて論争すれば良いのに、ユダヤ人は豊富な資金とメディアの力で一方的に糾弾したのである。日本人でもホ ロコースト物語をそのまま信じている者が多い。しかし、具体的な殺人方法や兇器の調査を挙げることができないのだ。ユダヤ人学者は科学的検証よりも、迫害 された時のお涙ちょうだい話ばかりを強調する。今ではダッハウ収容所のガス室殺人はなかったと証明されたが、昔はユダヤ人のホラ話を信じている者が欧米や 日本に沢山いたのである。
(左:エルドレッド・タバクニック/右:ダッハウのガス室とされた部屋)
ブリテンにおけるホロコースト物語を堅持するひとりが、エルドレッド・タバクニック(Eldred Tabachnik)判事である。彼はユダヤ人代表者会議の総裁を務めたことがあり、イギリス人の子供にホロコースト話しを植え付けることに熱心である。 ホロコーストの否定を処罰する法案に反対したブリテン政府をユダヤ人たちは批判していた。これを法律化してしまうと、イギリス人の言論は大変な制約を受け ることになるだろう。ユダヤ人の内務大臣マイケル・ハワード(Michael Howard/本名Hecht)が法制化に反対した時、ユダヤ人同胞は彼を激しく非難したそうである。ハワード氏もつらい立場に置かれていたのだ。オース トリアやドイツ、フランス、ベルギー、スペインなどの歐洲諸国では、ホロコースト否定の書籍は禁止されているのに、ブリテンでは未だに規制されていないこ とに、ユダヤ人会議のメンバーたちは憤りを感じていたのである。タバクニック判事はブリテンだけが、その処罰化の流れから取り残されて孤立しているじゃな いか、と残念がっていた。(Bernard Josephs, Britain criticized for rejecting Holocaust denial law, Jewish Weekly, March 29, 1996) それなら、ユダヤ人たちは捏造の証拠ではなく、物的証拠を提示すればよい。歴史的事実を突きつければ、「ネオ・ナチ」どもの戯言を粉砕できよう。日本でも 具体的なガス室殺人を説明した書籍が見つからないのはどうしてか? ホロコースト研究家の芝健介も、あやふやにして逃げている。(『ホロコースト』 中公新書 2008年の第四章を読めば、具体的な検証がなくてガッカりだ。)
ユダヤ人同胞に対してはサービス精神に溢れるタバクニッ ク判事だが、キリスト教徒イギリス人に対しては、冷酷で思いやりの気持ちがない。不法な銃火器を所有していた麻薬密売人ダミアン・ソイヤー(Damien Sawyer /25歳)は、有罪判決を受け、牢屋の中で暮らしていた。ソイヤーが所有していた銃の中には、スコーピオン(Skorpion)CZ91Sという、1分間 に750発の弾丸を射つことができる強力なセミ・オートマチック銃がある。そんな麻薬密売人がクリスマスをかあちゃんと一緒に過ごしたいと願い出たので、 心優しいタバクニック判事は条件付きで釈放してやろうとした。そしたら、銃火器による被害者が猛抗議を起こし、保釈申請は却下されたという。ブリテンの一 般国民をそっちのけで、犯罪者へ「人道的配慮」を優先するなんぞ、リベラ派ユダヤ人ならではの采配である。ユダヤ人からのクリスマス・プレゼントって、ア ングロ系キリスト教徒への嫌がらせなのか? 一般国民の安全より、犯罪者の「人権」とやらを大切にするユダヤ人って、やはり頭がおかしい。
(左:ニコラス・フィリップス/中央:エドワード・クック/右:マシュー・ヘイル)
ユダヤ人の一般的見解によると、母親がユダヤ人だと生まれた子はユダヤ人と規定される。血のつながりを重視するユダヤ人らしい考えだ。なぜなら、父親が ユダヤ人なら子供はユダヤ人と育てるのが当然である。しかし、女は異教徒と結婚するかも知れないから、生まれる子を自動的にユダヤ人にしてしまえば、ユダ ヤ人の人口が減ることはない。英国最高裁判所初代判事になったニコラス・フィリップス(Nicholas Addison Phillips)男爵は、母親がセファラディー系ユダヤ人になので、ユダヤ系イギリス人と見なされる。このフィリップス判事は、イスラム教のシャリア (Sharia)法をブリテンでも認めようとしたのだ。(Sharia law ‘could have UK rule’, BBC News, 4 July 2008) イスラム教徒が増加したブリテン社会で、家族のいざこざや民間人の問題ならシャリア法(イスラム法)を適用してもいいのではないか、との意見であった。あ れ? イングランド王国はキリスト教国で、君主はキリスト信仰の擁護者(Defender of the Faith)を自負していたはず。しかし、ユダヤ人判事にとっては、イングランドの伝統的法制度なんかどうでもいいのだろう。イギリス法曹界の巨星エド ワード・クック卿(Sir Edward Coke)やマシューヘイル卿(Sir Matthew Hale)が生きていたら、どんなに嘆いたことか。クックならカンカンになって、下院議会で吠えるだろう。ウォルター・ローリー卿を糾弾した時と比べもの にならぬ激しさで、クックはフィリップス判事を攻撃したんじゃないか。国王ジェイムズ1世にだって楯突いたくらいだ。ユダヤ人くらい仔犬程度だろう。で も、今はスチュアート朝時代ではなくて、ユダヤ人支配の時代なんだよなぁ。こんにちのイギリス人って惨めだ。
ユダヤ団体による報道規制
メディアを牛耳るのはユダヤ人の本能といってもいいくらいだ。ユダヤ人によるテレビ業界支配については、別の機会に述べたいが、日本人ならビックリするような実態がある。そんなユダヤ人支配体制の中で起きた一つのエピソードを述べたい。
(左:ジョナサン・ターナー/中央:ジョナサン・ディンブルビー/右:ジェレミー・ボウエン)
BBCは良質な報道番組で定評がある。日本のテレビ局も手本にしているくらいだが、中々その水準に近づけない。ジョナサン・ディンブルビー (Jonathan Dimbleby)は勇気を振り絞って、BBCに対する親イスラエルグループの圧力に抗議した。シオニスト聯合の弁護士ジョナサン・ターナー (Jonathan Turner)は、BBCレポーターのジェレミー・ボウエン(Jeremy Bowen)による報道が、ガザ地区に住むパレスチナ人の言い分を支援しているとの廉で批判したのである。ガザ地区でのユダヤ人による虐殺を、パレスチナ 側の災害緊急委員会(Disasters Emergency Committee)が非難していたからだ。(Peter Osbourne and James Jones,The Pro-Israel lobby in Britain, Open Democracy,13 November 2009) ボウエン氏はイスラエル軍によるパレスチナ人への暴力を報道したかっただけだろう。ところが、英国のシオニストたちは気に入らない。パレスチナ人どもは皆 テロリストだと思っているし、子供だって何年かすれば立派な反ユダヤ主義者となって、イスラエル兵に攻撃を仕掛けるからだ。邪魔な雑草は芽のうち摘み取る か、容赦なく踏み潰すのが鉄則。中東アジアでは情けは禁物だ。アラブ人とユダヤ人は、残酷さにかけてシャムの双子である。どちらが酷いかなんて比べる方が 間違っているのだ。中東問題はどちらかが皆殺し(ジェノサイド)を達成するまで続くだろう。今でも覚えているが、筆者の恩師でアイリス系アメリカ人教授と イツァク・レヴィン首相の中東和平交渉を話したことがある。恩師はこれで和平の端緒が見え始めたと楽観していたが、筆者は「先生、違いますよ。絶対失敗し ます。皆殺ししか解決策はありません」と言い返したところ、先生はちょっと不機嫌で、日本からの若造が何をこしゃくな、という気持ちもあったのだろうが、 紳士らしく、「まあ、見てみよう」ということで話は終わった。のちにレヴィン首相が暗殺されて、アラファト議長も毒殺されて、未だに和平の道はない。先生 は優秀な西歐史専門の大学教授だが、筆者の見解の方が正しかったので、後には筆者の意見を結構尊重してくれた。筆者も先生の甘さを責めたりしない。西欧系 アメリカ人は、どこか理想的なところがあるので、冷血な見方を無意識に否定してしまうのだ。ちょっと日本人と似ている。この話をしたのは筆者が自慢話をし たいからではなく、冷めた見方や正直な心で判断すれば、妥当な判断ができるということだ。移民問題でも正直に考えれば分かるのに、偽りの気持ちで討論する からややこしくなるのだ。
(左:スザンヌ・ゴールドバーグ/中央:クリス・マクグリル/右:シモン・ペレス)
ブリテンのメディア界にはリベラル派が多いので、ユダヤ人支持者がいる一方で、パレスチナに同情的なジャーナリストがいる。新聞社やテレビ局の経営を支 配したユダヤ人でも、個々の記者を隷属させることは難しいようだ。ガーディアン紙は反ユダヤ的と国際的に非難されたこともあり、珍しくイスラエルに不利な 記事でも報道したのである。ガーディアン紙には、イェルサレムで取材を行ったスザンヌ・ゴールドバーグ(Suzanne Goldberg)というユダヤ人記者がいて、イスラエル側に批判的な報道をしていた。彼女の報道姿勢を苦々しく思っていたイスラエルメディアは、彼女を 嘲笑したり罵ったりする批評を行ったのである。彼女を「うぶだ(naive)」とか「経験不足だ」「自己嫌悪のユダヤ人だ」とか散々なコメントが寄せられ たという。あまりにも多くの電子メールが送られてきたので、彼女はメール・アドレスを変えざるを得なくなったらしい。(Peter Beaumant, Brian Whitaker and Edward Helmore, The first casualty of war, The Guardian, 17 June 2001) ゴールドバーグ氏は、イスラエル軍がジェニン難民キャンプを襲撃したときなど、シャロン首相の強行策に批判的であった。イスラエル側としても、テロリスト が難民キャンプに紛れていたから、民間人を巻き添えにしてしまったという言い訳もあろう。当時、外相だったシモン・ペレス(Shimon Peres)は微妙な立場で、個人的には虐殺があったと漏らしている。(Amos Harel, Aluf Benn, Peres calls IDF operation in Jenin a ‘massacre’, Haaretz, April 9, 2002)
(左:ダニー・シーマン/右:アリエル・シャロン)
しかし、イスラエル政府報道官のダニー・シーマン(Danny Seaman)は、ゴールドバーグが気に入らない。彼はこっそりとガーディアン紙の重役に圧力をかけ、ゴールドバーグ記者をワシントンに飛ばしてしまった らしい。このシーマンは欧米の報道機関によく意地悪をするようだ。気に入らない記事を掲載する新聞社やテレビ局の特派員がイスラエルに入国しようとする 際、ヴィザを拒否したり、手続きを延ばして遅らせたする手口を使ったのである。こんなことされたら、親イスラエルの記者は簡単に入国できるのに、イスラエ ル批判のメディアは取材ができなくなって、他社との競争に敗れてしまう。上層部のお偉方は、シーマンの御機嫌取りのためにイスラエル批判を薄くしたり、わ ざと黙殺する報道姿勢を取るだろう。何てことない北京政府と同じ嫌がらせをしていたのである。
(左:ポジュ・ザブドウィツ/中央:ヘンリー・グルンワルド/右:ジェラルド・ロンソン)
ガーディアン紙は2006年に、別の摩擦をイスラエルと起こしていたのだ。同社のクリス・マクグリール(Chris McGreal)記者が、イスラエルを南アフリカと同じアパルトヘイトの国と報じたのである。偏見や捏造ではなく、誰でも知っている事実だろう。それなの に、ユダヤ人はこの比較が許せなかった。さっそく、イスラエル・ロビーが動き、イスラエル大使館で緊急ミーティングが開かれたのだ。強力なユダヤ団体の英 国イスラエル研究情報センター(Britain Israel Resaerch and Comminications Center/BICOM)からはポジュ・ザブドウィツ(Chaim Poju Zabludowicz)会長が出席してきた。ついで、ユダヤ人代表者会議からは、ヘンリー・グルンワルド(Henry Grunwald)が、コミュニティー安全理事会からは、ジェラルド・ロンソン(Gerald Ronson)がやって来たという。また、あの変態ユダヤ人ジェナー卿が、政界で影響力を振るうイスラエル労働党友好会(Labour Friends of Israel)を代表していたのである。ロンソンはマクグリールに激怒しており、言論の自由は尊重するが、あの記事は超えてはならぬ一線を超えたのだ、と いう認識であった。こうした有力ユダヤ人の逆鱗に触れることが恐ろしくて、BBCの理事会は親イスラエルの姿勢を取っているのだ。BBCの卑屈な対応は長 くなるので、また別の機会に述べてみたい。
(左:シュロモ。ザブドウィツ/右:ソルタムM-71キャノン)
ただ、先ほどのBICOMについては、ちょっと説明しなければならない。この組織は2001年に創設され、米国のイスラエル支援機関AIPACと似てい るのだ。政治家なら絶対に敵に回したくない、恐ろしい特殊利益団体である。その会長であるポジュ・ザブドウィツはフィンランド出身の大富豪で、兵器製造会 社ソルタム・システムズ(Soltam Systems)の創設者シュロモ・ザブドウィツ(Shlomo Zabludowicz)の息子である。このポジュはテルアビブ大学で政治経済を学んでいて、イスラエルにも友人が沢山いて、ベンジャミン・ネタニアフ首 相とも仲が良い。イスラエル武器商人の息子は、英国保守党びいきで、デイヴッド・キャメロン首相に大金を注ぎ込んだ大物である。彼は保守党に7万ポンドも 献金したことがあるし、その資産は20億ポンド以上とも言われているのだ。(Marie Woolf and Jon Ungoed-Thomas, Vegas casino billionaire bankrolled the Tories, The Sunday Times, 30 December 2007) また、キャメロン氏が首相になるために彼は、約13万ポンドも保守党に献金していたのだ。キャメロン首相は野党のエド・ミリバンド以上に、ユダヤ人から支 援されているのである。これもキャメロン氏がレヴィ族に直結するユダヤ人の祖先を持つからである。まったく、ユダヤ人というのは他人の人種主義や国粋主義 を非難するのに、自分の血統主義は当然のこととして容認しているのだ。
(左:ジョンバーコウ下院議長/右:ジョンとサリー夫妻)
イングランド王国はかつてイギリス人主体の国であった。しかし、オリヴァー・クロムウェルの時代にユダヤ人の帰還を許してからというものの、徐々にユダ ヤ人口が増え始め、第二次大戦後は揺るぎない地位を築いてしまった。表面的には未だに王室を中心とした立憲君主制であるが、その生々しい政界ではユダヤ人 が跋扈している。保守党と労働党の党首がユダヤ系だし、下院議長もジョン・バーコウ(John Bercow)というユダヤ人である。英国で下院議長と言えば、たいへん権威ある地位で、日本の衆院議長の比ではない。そこに、忌々しいユダヤ顔の小僧が 坐ったのである。しかも、下院のみならず上院にまでユダヤ人が溢れているのだ。もし、日本で帰化鮮人が政府や霞ヶ関、国会に溢れて、あちこちで要職を占め たらどうなるのか。恐ろしい社会になるだろう。イギリス人は古代ローマ人と比較されるくらい、政治手腕に長けており、その保守的精神は外国から称賛されて いた。しかし、人種保存の点で甘かった。国民の構成が変質することに気付かなかったというより、どこか安心感があり、油断していたのである。ヴィクトリア 朝で絶頂期に酔いしれていたイギリス人は、第二次大戦の損害で疲弊してしまい、有色移民を排除するという気概が衰退していたのだ。しかも、カナダやオース トラリアまで、気前よくユダヤ難民を受けいれてしまった。自由で豊かなアングロ・サクソン世界でユダヤ人は大繁殖し、急激に財力をつけていったのである。 気付いた時にはイギリス人を支配する状態になっていた。日本人が知らない英国の裏社会はおぞましい。これを調べていくと本当に嫌になる。吐き気がするほど ユダヤ人が各界にのさばっているのだ。次回は、ユダヤ人に乗っ取られた政界を見ていきたい。
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イギリス人にとっ て「法の支配(Rule of Law)」は誇りである。社会を人が統治しようとすれば、必ず邪(よこしま)な恣意が首をもたげて、公平な政治を損ねてしまう。だから、アリストテレスは 下劣な民衆支配(デモクラシー)よりも、立憲政体(ポリティア)を理想としたのだ。現在の我々が称賛しているデモクラシー(民衆政治)をアリストテレスが 見たら、暴民政治(mobocracy)か劣等者支配(カキストクラシー/kakistocracy)と呼ぶだろう。ちなみに、優秀者支配(アリストクラ シー/aristocracy)を通常、我々は「貴族政」と呼んでいる。イングランドは、君主政と貴族政、民衆政が融合した混淆政体(mixed constitutin)の国だが、ユダヤ人は異次元に住んでいるようだ。アングロ・サクソン人や北欧系国民と異なる肉体を持つセム種族は、自由を享受で きるイングランドで、宿主を窒息させようとしているのだから悪質である。
(左/グレヴィル・ジェナー)
最近、ブリテン輿論(よろん)を激昂させる事件が起こった。性的な児童虐待の容疑を掛けられたグレヴィル・ジェナー卿(Lord Greville Janner)がお咎め無しの処分に付されたからだ。彼は貴族に列せられた有名なユダヤ人議員である。ブリテン国民はいたいけな少年を性的に弄(もてあ そ)んだジェナー卿が、法の裁きを受けるものだとばかり思っていた。しかし、現実は違ったのである。ジェナー卿が容疑を掛けられたのは、今回が初めてでは なく過去にもあった。最初の幼児虐待が浮上したのは1991年で、フランク・ベック(Frank Beck)裁判の過程で明らかとなった。このベックという男は、レスターシャイアーにある児童養護施設の監督で、1973年から1986年にかけて、約 200人の子供を性的に弄んだのである。(Guy Adams, Report reveals extreme of allegations against ex-MP Greville Janner, Daily Mail, 3 October 2014) 子供を預かる者が変態だったとは、世間も驚いたが、ベックは裁判で終身刑を言い渡されたという。彼はその後、1994年に獄死。ベックは17件の児童虐待 で起訴されたが、その調査過程で思わぬ事実が判明した。グレヴィル・ジェナーが1970年代に性的関係を持った少年が、偶然ベックの養護施設にいたのだ。 もちろん、ジェナーは関係を否定。
現在30歳になる元被害者の少年は宣誓証言を行ったのである。彼が13歳から15歳までの間、ジェ ナーはその少年に性的行為を繰り返し、しばしばレスターにあるホリデー・インという宿に連れ込んだらしい。ジェナーは水泳プールの中で彼を犯したことが あった。その被害者は下院議会のメモ用紙に書かれたジェナーの手紙を陪審員に提示し、「愛してるよ、ジェナーより」とか「君がいなくて寂しいよ」という筆 跡も見せた。もう手紙を読むことすら汚らわしく思える。一体、プールの中で子供をどんな風に触っていたのか、気持ち悪くてとても想像できたものじゃない。 しかし、被害者の証言によると、ジェナーは彼の股間を愛撫し、肌を密着させ抱きしめたという。法廷が閉会した後、ジェナーは、容疑を全面否定し、「その少 年はベックに影響されて真実ではない話をしているのだ。彼は施設で哀れな状態だったので、私と家族が助けてやっただけだ」との声明を発表した。
ジェナーが性的虐待を否定しても、世間の疑惑は晴れなかった。1995年に被害者たちの証言を集めた小冊子が発行され、具体的な話が暴露されたのであ る。ジェナーは女房が留守の時を狙って、13歳の少年を自宅に招き、ベッドで泣いた振りをして少年を誘ったという。いい年をしたオッサンがベッドで悲しん でいるのを見た少年は、不憫に思って言われた通り添い寝をしたんだって。罠に引っかかった餌をどうするかは想像できる。ジェナーはご褒美として、お金やお もちゃ、バイク、コンサートチケットなどを少年にプレゼントしたという。2002年に再度レスターシャイアー警察が捜査したが起訴を断念。4年後の 2006年、3名が被害者と名乗り出たがこれまた証拠不十分として起訴を見送ったそうだ。そんなこんなで2015年になってしまい、イギリス検事局 (Crown Prosecution Service)は、過去の捜査過程において何らかのミスがあったとして、ジェナーを起訴できなかったと発表したのである。しかも、86歳になるジェナー は、痴呆症を患っていて取り調べが難しいし、それに公共の利益にならないと判断したそうだ。(Martin Evans, Lord Greville Janner will not face child sex abuse trial after Crown Prosecution Service ‘mistakes’, The Telegraph, 16 April 2015)
警察が押収した証拠から、ジェナーの容疑は以下の通り。
・ 1969年から1988年のあいだに16歳以下の少年に対する性的虐待が14件
・ 1984年から1988年に至るあいだ 2件の性的虐待
・ 1972年から1987年のあいだで、16歳以下の少年に淫行をはたらいたのが4件
・ 1977年から1988年にかけて2件の淫行
こ れだけ容疑があるなら、もっと早くからジェナーは処罰されたはずだ。ところが事はそう簡単には運ばなかったのである。レスター警察署のミック・クリードン (Mick Creedon)刑事がマスコミに語ったところによれば、1989年にジェナーを逮捕しようとしたが、彼を逮捕するな、という命令が下され、家宅捜査もで きなかったという。(Lord Jenner will not face child sex abuse charges, CPS says, BBC News, 16 April 2015) つまり、警察上層部から現場の捜査官に妨害の圧力がかかったというわけだ。おかしい。警察は被害者の少年から情報を得て内偵を進めていたはずなのに、突然 中止命令が通達されるなんて変だ。しかし、ジェナーの経歴や背後を知れば、誰でもうなづけるだろう。
ブラウンストーン男爵たるグレ ヴィル・ジェナーは、貴族院議員のバーネット・ジェナー卿(Sir Barnett Janner)の息子で、議員になる前は法律家であった。第二次大戦の時、彼は英国陸軍に加わったことから、ドイツにあるベルゲン・ベルゼン (Bergen-Bersen)強制収容所に派遣され、そこで戦争犯罪を調査したことがある。こうした経歴から、ジェナーはホロコースト犠牲者の個人賠償 を求める活動をし、ユダヤ人からの人気を勝ち得た。しかも、彼はブリテン・ユダヤ人代表者会議(Board of Deputies of British Jews)の総裁や、世界ユダヤ会議(World Jewish Congress)とユダヤ人指導者評議会(Jewish Leadership Council)で、それぞれ副総裁を務めていたのだ。泣く子も黙るユダヤ人団体の重役を務めていた大物議員なら、警察だって二の足どころか、三の足くら い踏むだろう。裏から政治的圧力を受けなくても、ユダヤ人組織からどんな報復を受けるか分からない。そんな危険な逮捕をするよりも、捜査の手違いとかの口 実を作って、有力なユダヤ人圧力団体に“貸し”を作っておいた方が悧巧だ。ジェナーが高齢で病気だとの理由をくっつけて起訴を見送れば、ユダヤ人から褒め て貰えるじゃないか。警察は社会正義を貫くばかりじゃ能がない。将来、警察の失態が起きた時、もみ消してくれるかも知れないのだ。ユダヤ人は味方につけて おく方が得。いやな取引だが、現実の世界はこんなものだ。
ユダヤ人に絡め取られたブリテン政界
民主党政権が誕生した頃、鳩山由紀夫は「日本列島は日本人だけのものじゃない」と発言して多くの国民から非難を浴びた。宇宙人的思考を持つ首相の言葉 を、一々目くじら立てて怒るのは大人げないが、この発言は真実を含んでいた。日本には支那人や朝鮮人が相当数混じっているからだ。しかし、無惨なイングラ ンド王国に比べれば、日本はまだ同質社会である。現在、イングランドはイギリス人だけの国である、なんて誰も言えない。そんな事を口にしたら満座の席で笑 われてしまう。日本人はザックス・コーブルク・ゴータ(Sachsen Coburg und Gotha)家の女王が君臨しているから、アングル人の王国だと思っていたり、白人だからイギリス人だと勘違いしている。片田舎に行けば、イギリス系の職 人や農夫がいるかも知れないが、首都圏や政界で権勢を振るっているのはユダヤ人である。もちろん、イギリス人の貴族や士族院(Commons)議員が多く 在籍するから、ユダヤ人国家とは言えまい。しかし、巨大な権力と財力を誇る政治組織を持つユダヤ人は、その代表者や異教徒の子分を重要ポストに据えてい る。さらに、ユダヤ人が掌握したメディア界が、彼らの子飼い議員をバックアップするし、奥の院にはイスラエルが控えている。ユダヤ人に要職を占拠された英 国の政界や財界、官界は、ユダヤ人に急所を握られているのだ。
(左:フランク・ソスキス/中央:ハリー・コーエン/右:ネヴィル・ネグラー)
保守党や労働党およびマスメディアを牛耳るユダヤ人について述べると、とても長くなるので後に回すことにする。とりあえず、ユダヤ人による害悪をいくつ か拾って述べてみたい。日本でも「ヘイト・スピーチ規制」が話題になったが、ブリテンではとっくの昔に実施されていたのである。1965年に議会を通過し た人種関連法(Race Relations Act)は、ユダヤ人代表者会議によって起草され、労働党の内務大臣フランク・ソスキス卿(Sir Frank Soskice)によって推進されたのだ。このソスキスはブリテン生まれではない。彼はロシアからのユダヤ移民であった。我が国で言えば、帰化鮮人が閣僚 になって、言論規制法を制定するようなものだ。考えただけでも恐ろしい。1985年には、別のユダヤ人ハリー・コーエン(Harry Cohen)が、「人種ハラスメント法案(Racial Harrasment Bill)を導入し、人種を理由に他人を攻撃することを犯罪行為にしたのである。1970年代から1980年代にかけて、ユダヤ人のネヴィル・ネグラー (Neville Nagler)が、内務省で人種関連問題を取り扱っていたのだ。このネグラーは、ユダヤ人会議のジェフリー・ビンドマン(Geoffrey Bindman)やアンソニー・レスター(Anthony Lester)を相談役にして、議員が人種を主題にした演説を行う際、原稿の検閲を行っていたのである。
(左:ジェフリー・ビンドマン/中央:アンソニー・レスター/右:レオン・ブリッタン)
戦後、大英帝国(British Commonwealth)の体裁を守るため、イギリス人は有色移民の大量流入をブリテン国内に許してしまった。この失策により、ブリテン臣民は困惑する と共に、異邦人に対して敵愾心を持つようになった。同じような容姿と文化を保っていた国民は、急激な社会の変容に対して恐れと不満を持つのに、それを公の 場で口にすることができないのだ。1986年になると、サッチャー政権で内務大臣を務めたレオン・ブリッタン(Leon Brittan/本名Brittanisky)によって公共治安維持法(Public Order Act)が提唱されたのである。この治安維持法は、その第三部に記されている人種と宗教に関する規制が問題なのだ。簡単に言えば、西歐人でない有色人種や 非キリスト教徒に対しての批判を取り締まる目的で制定されている。だいたい、イギリス人は昔から、国教会やプロテスタント教会、カトリック教会で揉めてい たから、改めて法的処罰を加えなくてもいいはずだ。それに、フランス系、ドイツ系、スカンディナヴィア系の国民で対立したのか? もし、フランス系貴族の末裔やウェイルズ人が、女王陛下をドイツ系君主として非難したからといって、罰せられるなんて考えられない。こう考えれば、答えは 明らかだろう。言論・表現の自由を謳歌していたブリテン臣民が、インド人、アフリカ人、アラブ人に対して人種的批判を行ったり、イスラム教の拡大を懸念し たりするれば、治安を乱す言論行為と判断され、処罰の対象となってしまうのだ。
(左:キャロル・カシール/中央:エルム・ゲストハウスに通っていたキリル・スミス/右:ハウスの常連だったジェフリー・ディケンズ議員)
くだんのブリッタン大臣はユダヤ人で、リトアニアからやって来たユダヤ移民の親を持つ。彼もジェナーと同じく幼児虐待の容疑がかけられたのに、結局逮捕 されぬまま、今年(2015年)あの世へ旅立った。ブリッタンは議員になる前の1967年、当時19歳の学生をロンドンにある彼のアパートで強姦したとい う疑いをもたれたのである。(Jamie Merrill, Leon Brittan Exclusive: Tory peer questioned by police over rape allegation, The Independent, 6 July 2014) 被害者女性は、ブラインド・デートでブリッタンと知り合ったらしいが、彼が同意もなく彼女を無理矢理犯したということも考えられるだろう。しかし、真相は 未だに不明である。ブリタンの聞き取りを行った警察だって、こんな保守党有力者を一般の容疑者みたいに扱えないだろう。彼には強姦容疑ばかりでなく、児童 虐待容疑もかけられたのだ。1982年の夏、被害者の幼い少年は警察官によって、虐待されたロンドンの現場に連れて行かれたことがあった。その少年はエル ム・ゲスト・ハウス(Elm Guest House)でしばしば見かけられていたという。そこはゲイが集まる密会所であった。ここで少年は飢えた野獣どもから性的に弄ばれたらしい。被害者少年 は、「レオンおじさん(Uncle Leon)」は大きな屋敷(big house)、つまり下院議会で働いていたと証言していた。(James Hanning, Lord Brittan: The accusations against the former House Secretary that refused to die, The Independent, 25 January 2015)
(左:エルム・ゲスト・ハウス/中央:エルムで性的被害を受けた少年/右:レオン・ブリッタン)
ブリッタンの疑惑はこれだけじゃない。「インディペンデント」紙のジェイムズ・ハニング記者は、少年福祉活動家でカウンセラーのクリス・フェイ (Chris Fay)氏から、フリッタンが幼児虐待をしていたという証言を得た。1990年にフェイ氏は、ブリッタンがフランス風メイド姿で、少年と一緒の写真を見た ことがあるという。その写真は、あのエルム・ゲスト・ハウスの共同所有者であるキャロル・カシール(Carole Kasir)から見せてもらったそうだ。まあ、個人の趣味をどうこう批判したくないが、政府閣僚が「メイド喫茶」の少女みたいにコスプレしていたとは、何 とも気持ち悪い。日本人女性なら顔を歪ませて写真を投げ捨てるだろう。ブリッタンの顔で女装姿など想像したくない。そういえば、北京に派遣された和田充広 (わだみつひろ)公使が、女装のコスプレで話題になった。まっ、いいじゃないか。痴漢行為で有罪になった朝日新聞の東郷茂彦よりマシだろう。しかし、どう して外務官僚にはとんでもない人物が多いのか不思議である。日本の国益よりも、大使館のインテリアや油絵にこだわったり、ワインの銘柄を自慢したりとか、 外交官の仕事って何だろう? 退官しても有害人物であり続けたりする。東郷茂彦の弟は、外務官僚の東郷和彦であるが、北方領土問題では、ロシア側の利益に沿って発言を繰り返している。 兄弟揃って日本に損害を与えているとは。女装が趣味の和田は、職業選択を間違ったのだから、いっそのこと秋葉原でメイド喫茶でも開いたらどうなんだ? その方が幸せだろう。でも、経営手腕がないから無理か。
(左:和田充広/中央:東郷和彦/右:東郷茂彦)
変態容疑をかけられた「レオンおじさん」のいとこも酷い。ブリッタンのいとこに当たるマルコム・リフキンド卿(Sir Malcolm Rifkind)は、公共治安維持法を制定する際、ブリッタンに協力していたのだ。彼は保守党の政治家で、ジョン・メジャー政権下で国防大臣や外務大臣を 務めたくらいの有力議員。彼は政府の諜報活動も統括していたから、極めて重要なポストに君臨していたのだ。そのユダヤ人リフキンドは裏で怪しい仲介業を営 んでいた。彼にお金を払えば民間業者は、政府の重要人物とか高級官僚を紹介して貰えたのである。ある時、デイリー・テレグラフとチャンネル4の番組スタッ フが、偽のミーティングをセッティングして、ドッキリ番組みたいなおとり捜査を仕掛けた。番組スタッフは偽の支那人企業家に化けて、リフキンドともう一人 の共犯者に、有力者に面会できるよう取り計らってもらいたい、と依頼した。リフキンドは会社の代理として、どの大使でも会うことができるぞ、と自慢したい たが、それには5000ないし8000ポンドくらいかかるよ、と臭わせていたという。(Cash-for-acess: Sir Malcolm Rifkind claims he can talk to ambassadors on behalf client, The Telegraph, 23 February 2015)
(左:マルコム・リフキンド/中央:ジャック・ストロー/右:トニー・ブレア)
さて、もう一人の共犯者とは誰か? なんと保守党ではなく労働党の元外務大臣ジャック・ストロー(Jack Whitaker Straw)であった。あれ、ストロー氏ってトニー・ブレア政権下で国璽尚書を務め、ゴードン・ブラウン政権下で法務大臣兼大法官を務めた人物じゃなかっ たか、と覚えている人はエラい。このストローは曾祖父がドイツから来たユダヤ移民で、幼い時父親に捨てられたがしっかり勉強して政治家になった。(父親は 第二次大戦の時、徴兵忌避で刑務所送りになっていたらしい。) ストローはイスラム教徒やユダヤ教徒の私立学校に公金を流してやるなど、反イギリス的性格を持ちながら、ひそかに国家破壊を行っていた。保守的イギリス人 にとっては憎しみの対象だ。それに、彼はブレアと謀って移民を大量に輸入した張本人。こんな過去を持つストローは、おとり番組の中で、はっきりと料金をス タッフに要求しなかったが、自分が演説をする場合、1日5000ポント取るんだが、と暗に料金を示していた。(JackStraw and Sir Malcolm Rifkind deny wrongdoing, BBC News, 23 February 2013) このユダヤ人政治家は番組が公開されて赤っ恥を掻いたのだが、ストローはテレビ局のおとり番組に引っかかって屈辱を感じたと語っていた。(Cash-for-access: Jack Straw mortified to have fallen into trap, The Telegraph, 23 February 2015) テレビ局の罠を非難する前に、自分のしたことを反省しろ。リフキンドもテレビ局の汚いやり口に怒っていたという。あんな形で暴露されたのに、国民に対して 謝罪をせずに、二人ともやましいことをしていないと言い張っていた。あ~ぁ、往生際が悪いというか、ツラの皮が厚いというか、こんな奴らに投票した国民は どんな顔をしているんだ? 公共秩序を維持する議員が聞いて呆れるよ。国民が異人種を非難する印刷物を持っているだけで、処罰されたり家宅捜査をされるっていうのに、ユダヤ人議員は せっせと小遣い稼ぎ。役職辞任ていどで済むならいい方だ。
(左:デイヴィッド・アーウィング/右:マイケル・ハワード)
ユダヤ人が住み着く国では、言論の自由が著しく制約されてしまう。ブリテンでも明らかな嘘による煽動は名誉毀損や罪になるだろうが、事実がはっきりしない歴史的問題については、各人がそれぞれの見解を述べてもいいはずだ。たとえば、ホロコースト論争で も、ナチ・ドイツは本当にガス室でユダヤ人を殺したのか、実際のところ分からない。それというのも、英米の連合軍がきちんとした科学的調査をしなかったら らである。ユダヤ人の証言だけでドイツ人を有罪にし、反対尋問すら行わなかったのだから、正常なアメリカ人やイギリス人は戸惑ってしまう。しかも、実際の 殺人ガス室を科学者が検証しなかったし、裁判でも物的証拠を挙げて審理しなかったのである。600万人もが虐殺されたのに、いい加減な取り調べと拷問によ る自白で、ドイツ人を私刑にしてしまった。ところが、こんな簡単な事実さえ公で発言すれば「ホロコースト否定論者」の烙印を押されてしまうのだ。英国の歴 史家デイヴィド・アーウィング(David Irving)は、様々な資料を精査してホロコーストについて発表していたのに、反ユダヤ主義者とかホロコースト否定論者として断罪されてしまった。彼が 提示した具体的な疑惑とユダヤ人の反証を付き合わせて論争すれば良いのに、ユダヤ人は豊富な資金とメディアの力で一方的に糾弾したのである。日本人でもホ ロコースト物語をそのまま信じている者が多い。しかし、具体的な殺人方法や兇器の調査を挙げることができないのだ。ユダヤ人学者は科学的検証よりも、迫害 された時のお涙ちょうだい話ばかりを強調する。今ではダッハウ収容所のガス室殺人はなかったと証明されたが、昔はユダヤ人のホラ話を信じている者が欧米や 日本に沢山いたのである。
(左:エルドレッド・タバクニック/右:ダッハウのガス室とされた部屋)
ブリテンにおけるホロコースト物語を堅持するひとりが、エルドレッド・タバクニック(Eldred Tabachnik)判事である。彼はユダヤ人代表者会議の総裁を務めたことがあり、イギリス人の子供にホロコースト話しを植え付けることに熱心である。 ホロコーストの否定を処罰する法案に反対したブリテン政府をユダヤ人たちは批判していた。これを法律化してしまうと、イギリス人の言論は大変な制約を受け ることになるだろう。ユダヤ人の内務大臣マイケル・ハワード(Michael Howard/本名Hecht)が法制化に反対した時、ユダヤ人同胞は彼を激しく非難したそうである。ハワード氏もつらい立場に置かれていたのだ。オース トリアやドイツ、フランス、ベルギー、スペインなどの歐洲諸国では、ホロコースト否定の書籍は禁止されているのに、ブリテンでは未だに規制されていないこ とに、ユダヤ人会議のメンバーたちは憤りを感じていたのである。タバクニック判事はブリテンだけが、その処罰化の流れから取り残されて孤立しているじゃな いか、と残念がっていた。(Bernard Josephs, Britain criticized for rejecting Holocaust denial law, Jewish Weekly, March 29, 1996) それなら、ユダヤ人たちは捏造の証拠ではなく、物的証拠を提示すればよい。歴史的事実を突きつければ、「ネオ・ナチ」どもの戯言を粉砕できよう。日本でも 具体的なガス室殺人を説明した書籍が見つからないのはどうしてか? ホロコースト研究家の芝健介も、あやふやにして逃げている。(『ホロコースト』 中公新書 2008年の第四章を読めば、具体的な検証がなくてガッカりだ。)
ユダヤ人同胞に対してはサービス精神に溢れるタバクニッ ク判事だが、キリスト教徒イギリス人に対しては、冷酷で思いやりの気持ちがない。不法な銃火器を所有していた麻薬密売人ダミアン・ソイヤー(Damien Sawyer /25歳)は、有罪判決を受け、牢屋の中で暮らしていた。ソイヤーが所有していた銃の中には、スコーピオン(Skorpion)CZ91Sという、1分間 に750発の弾丸を射つことができる強力なセミ・オートマチック銃がある。そんな麻薬密売人がクリスマスをかあちゃんと一緒に過ごしたいと願い出たので、 心優しいタバクニック判事は条件付きで釈放してやろうとした。そしたら、銃火器による被害者が猛抗議を起こし、保釈申請は却下されたという。ブリテンの一 般国民をそっちのけで、犯罪者へ「人道的配慮」を優先するなんぞ、リベラ派ユダヤ人ならではの采配である。ユダヤ人からのクリスマス・プレゼントって、ア ングロ系キリスト教徒への嫌がらせなのか? 一般国民の安全より、犯罪者の「人権」とやらを大切にするユダヤ人って、やはり頭がおかしい。
(左:ニコラス・フィリップス/中央:エドワード・クック/右:マシュー・ヘイル)
ユダヤ人の一般的見解によると、母親がユダヤ人だと生まれた子はユダヤ人と規定される。血のつながりを重視するユダヤ人らしい考えだ。なぜなら、父親が ユダヤ人なら子供はユダヤ人と育てるのが当然である。しかし、女は異教徒と結婚するかも知れないから、生まれる子を自動的にユダヤ人にしてしまえば、ユダ ヤ人の人口が減ることはない。英国最高裁判所初代判事になったニコラス・フィリップス(Nicholas Addison Phillips)男爵は、母親がセファラディー系ユダヤ人になので、ユダヤ系イギリス人と見なされる。このフィリップス判事は、イスラム教のシャリア (Sharia)法をブリテンでも認めようとしたのだ。(Sharia law ‘could have UK rule’, BBC News, 4 July 2008) イスラム教徒が増加したブリテン社会で、家族のいざこざや民間人の問題ならシャリア法(イスラム法)を適用してもいいのではないか、との意見であった。あ れ? イングランド王国はキリスト教国で、君主はキリスト信仰の擁護者(Defender of the Faith)を自負していたはず。しかし、ユダヤ人判事にとっては、イングランドの伝統的法制度なんかどうでもいいのだろう。イギリス法曹界の巨星エド ワード・クック卿(Sir Edward Coke)やマシューヘイル卿(Sir Matthew Hale)が生きていたら、どんなに嘆いたことか。クックならカンカンになって、下院議会で吠えるだろう。ウォルター・ローリー卿を糾弾した時と比べもの にならぬ激しさで、クックはフィリップス判事を攻撃したんじゃないか。国王ジェイムズ1世にだって楯突いたくらいだ。ユダヤ人くらい仔犬程度だろう。で も、今はスチュアート朝時代ではなくて、ユダヤ人支配の時代なんだよなぁ。こんにちのイギリス人って惨めだ。
ユダヤ団体による報道規制
メディアを牛耳るのはユダヤ人の本能といってもいいくらいだ。ユダヤ人によるテレビ業界支配については、別の機会に述べたいが、日本人ならビックリするような実態がある。そんなユダヤ人支配体制の中で起きた一つのエピソードを述べたい。
(左:ジョナサン・ターナー/中央:ジョナサン・ディンブルビー/右:ジェレミー・ボウエン)
BBCは良質な報道番組で定評がある。日本のテレビ局も手本にしているくらいだが、中々その水準に近づけない。ジョナサン・ディンブルビー (Jonathan Dimbleby)は勇気を振り絞って、BBCに対する親イスラエルグループの圧力に抗議した。シオニスト聯合の弁護士ジョナサン・ターナー (Jonathan Turner)は、BBCレポーターのジェレミー・ボウエン(Jeremy Bowen)による報道が、ガザ地区に住むパレスチナ人の言い分を支援しているとの廉で批判したのである。ガザ地区でのユダヤ人による虐殺を、パレスチナ 側の災害緊急委員会(Disasters Emergency Committee)が非難していたからだ。(Peter Osbourne and James Jones,The Pro-Israel lobby in Britain, Open Democracy,13 November 2009) ボウエン氏はイスラエル軍によるパレスチナ人への暴力を報道したかっただけだろう。ところが、英国のシオニストたちは気に入らない。パレスチナ人どもは皆 テロリストだと思っているし、子供だって何年かすれば立派な反ユダヤ主義者となって、イスラエル兵に攻撃を仕掛けるからだ。邪魔な雑草は芽のうち摘み取る か、容赦なく踏み潰すのが鉄則。中東アジアでは情けは禁物だ。アラブ人とユダヤ人は、残酷さにかけてシャムの双子である。どちらが酷いかなんて比べる方が 間違っているのだ。中東問題はどちらかが皆殺し(ジェノサイド)を達成するまで続くだろう。今でも覚えているが、筆者の恩師でアイリス系アメリカ人教授と イツァク・レヴィン首相の中東和平交渉を話したことがある。恩師はこれで和平の端緒が見え始めたと楽観していたが、筆者は「先生、違いますよ。絶対失敗し ます。皆殺ししか解決策はありません」と言い返したところ、先生はちょっと不機嫌で、日本からの若造が何をこしゃくな、という気持ちもあったのだろうが、 紳士らしく、「まあ、見てみよう」ということで話は終わった。のちにレヴィン首相が暗殺されて、アラファト議長も毒殺されて、未だに和平の道はない。先生 は優秀な西歐史専門の大学教授だが、筆者の見解の方が正しかったので、後には筆者の意見を結構尊重してくれた。筆者も先生の甘さを責めたりしない。西欧系 アメリカ人は、どこか理想的なところがあるので、冷血な見方を無意識に否定してしまうのだ。ちょっと日本人と似ている。この話をしたのは筆者が自慢話をし たいからではなく、冷めた見方や正直な心で判断すれば、妥当な判断ができるということだ。移民問題でも正直に考えれば分かるのに、偽りの気持ちで討論する からややこしくなるのだ。
(左:スザンヌ・ゴールドバーグ/中央:クリス・マクグリル/右:シモン・ペレス)
ブリテンのメディア界にはリベラル派が多いので、ユダヤ人支持者がいる一方で、パレスチナに同情的なジャーナリストがいる。新聞社やテレビ局の経営を支 配したユダヤ人でも、個々の記者を隷属させることは難しいようだ。ガーディアン紙は反ユダヤ的と国際的に非難されたこともあり、珍しくイスラエルに不利な 記事でも報道したのである。ガーディアン紙には、イェルサレムで取材を行ったスザンヌ・ゴールドバーグ(Suzanne Goldberg)というユダヤ人記者がいて、イスラエル側に批判的な報道をしていた。彼女の報道姿勢を苦々しく思っていたイスラエルメディアは、彼女を 嘲笑したり罵ったりする批評を行ったのである。彼女を「うぶだ(naive)」とか「経験不足だ」「自己嫌悪のユダヤ人だ」とか散々なコメントが寄せられ たという。あまりにも多くの電子メールが送られてきたので、彼女はメール・アドレスを変えざるを得なくなったらしい。(Peter Beaumant, Brian Whitaker and Edward Helmore, The first casualty of war, The Guardian, 17 June 2001) ゴールドバーグ氏は、イスラエル軍がジェニン難民キャンプを襲撃したときなど、シャロン首相の強行策に批判的であった。イスラエル側としても、テロリスト が難民キャンプに紛れていたから、民間人を巻き添えにしてしまったという言い訳もあろう。当時、外相だったシモン・ペレス(Shimon Peres)は微妙な立場で、個人的には虐殺があったと漏らしている。(Amos Harel, Aluf Benn, Peres calls IDF operation in Jenin a ‘massacre’, Haaretz, April 9, 2002)
(左:ダニー・シーマン/右:アリエル・シャロン)
しかし、イスラエル政府報道官のダニー・シーマン(Danny Seaman)は、ゴールドバーグが気に入らない。彼はこっそりとガーディアン紙の重役に圧力をかけ、ゴールドバーグ記者をワシントンに飛ばしてしまった らしい。このシーマンは欧米の報道機関によく意地悪をするようだ。気に入らない記事を掲載する新聞社やテレビ局の特派員がイスラエルに入国しようとする 際、ヴィザを拒否したり、手続きを延ばして遅らせたする手口を使ったのである。こんなことされたら、親イスラエルの記者は簡単に入国できるのに、イスラエ ル批判のメディアは取材ができなくなって、他社との競争に敗れてしまう。上層部のお偉方は、シーマンの御機嫌取りのためにイスラエル批判を薄くしたり、わ ざと黙殺する報道姿勢を取るだろう。何てことない北京政府と同じ嫌がらせをしていたのである。
(左:ポジュ・ザブドウィツ/中央:ヘンリー・グルンワルド/右:ジェラルド・ロンソン)
ガーディアン紙は2006年に、別の摩擦をイスラエルと起こしていたのだ。同社のクリス・マクグリール(Chris McGreal)記者が、イスラエルを南アフリカと同じアパルトヘイトの国と報じたのである。偏見や捏造ではなく、誰でも知っている事実だろう。それなの に、ユダヤ人はこの比較が許せなかった。さっそく、イスラエル・ロビーが動き、イスラエル大使館で緊急ミーティングが開かれたのだ。強力なユダヤ団体の英 国イスラエル研究情報センター(Britain Israel Resaerch and Comminications Center/BICOM)からはポジュ・ザブドウィツ(Chaim Poju Zabludowicz)会長が出席してきた。ついで、ユダヤ人代表者会議からは、ヘンリー・グルンワルド(Henry Grunwald)が、コミュニティー安全理事会からは、ジェラルド・ロンソン(Gerald Ronson)がやって来たという。また、あの変態ユダヤ人ジェナー卿が、政界で影響力を振るうイスラエル労働党友好会(Labour Friends of Israel)を代表していたのである。ロンソンはマクグリールに激怒しており、言論の自由は尊重するが、あの記事は超えてはならぬ一線を超えたのだ、と いう認識であった。こうした有力ユダヤ人の逆鱗に触れることが恐ろしくて、BBCの理事会は親イスラエルの姿勢を取っているのだ。BBCの卑屈な対応は長 くなるので、また別の機会に述べてみたい。
(左:シュロモ。ザブドウィツ/右:ソルタムM-71キャノン)
ただ、先ほどのBICOMについては、ちょっと説明しなければならない。この組織は2001年に創設され、米国のイスラエル支援機関AIPACと似てい るのだ。政治家なら絶対に敵に回したくない、恐ろしい特殊利益団体である。その会長であるポジュ・ザブドウィツはフィンランド出身の大富豪で、兵器製造会 社ソルタム・システムズ(Soltam Systems)の創設者シュロモ・ザブドウィツ(Shlomo Zabludowicz)の息子である。このポジュはテルアビブ大学で政治経済を学んでいて、イスラエルにも友人が沢山いて、ベンジャミン・ネタニアフ首 相とも仲が良い。イスラエル武器商人の息子は、英国保守党びいきで、デイヴッド・キャメロン首相に大金を注ぎ込んだ大物である。彼は保守党に7万ポンドも 献金したことがあるし、その資産は20億ポンド以上とも言われているのだ。(Marie Woolf and Jon Ungoed-Thomas, Vegas casino billionaire bankrolled the Tories, The Sunday Times, 30 December 2007) また、キャメロン氏が首相になるために彼は、約13万ポンドも保守党に献金していたのだ。キャメロン首相は野党のエド・ミリバンド以上に、ユダヤ人から支 援されているのである。これもキャメロン氏がレヴィ族に直結するユダヤ人の祖先を持つからである。まったく、ユダヤ人というのは他人の人種主義や国粋主義 を非難するのに、自分の血統主義は当然のこととして容認しているのだ。
(左:ジョンバーコウ下院議長/右:ジョンとサリー夫妻)
イングランド王国はかつてイギリス人主体の国であった。しかし、オリヴァー・クロムウェルの時代にユダヤ人の帰還を許してからというものの、徐々にユダ ヤ人口が増え始め、第二次大戦後は揺るぎない地位を築いてしまった。表面的には未だに王室を中心とした立憲君主制であるが、その生々しい政界ではユダヤ人 が跋扈している。保守党と労働党の党首がユダヤ系だし、下院議長もジョン・バーコウ(John Bercow)というユダヤ人である。英国で下院議長と言えば、たいへん権威ある地位で、日本の衆院議長の比ではない。そこに、忌々しいユダヤ顔の小僧が 坐ったのである。しかも、下院のみならず上院にまでユダヤ人が溢れているのだ。もし、日本で帰化鮮人が政府や霞ヶ関、国会に溢れて、あちこちで要職を占め たらどうなるのか。恐ろしい社会になるだろう。イギリス人は古代ローマ人と比較されるくらい、政治手腕に長けており、その保守的精神は外国から称賛されて いた。しかし、人種保存の点で甘かった。国民の構成が変質することに気付かなかったというより、どこか安心感があり、油断していたのである。ヴィクトリア 朝で絶頂期に酔いしれていたイギリス人は、第二次大戦の損害で疲弊してしまい、有色移民を排除するという気概が衰退していたのだ。しかも、カナダやオース トラリアまで、気前よくユダヤ難民を受けいれてしまった。自由で豊かなアングロ・サクソン世界でユダヤ人は大繁殖し、急激に財力をつけていったのである。 気付いた時にはイギリス人を支配する状態になっていた。日本人が知らない英国の裏社会はおぞましい。これを調べていくと本当に嫌になる。吐き気がするほど ユダヤ人が各界にのさばっているのだ。次回は、ユダヤ人に乗っ取られた政界を見ていきたい。
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女性学はマルクス思想が基本
フェミニズムは共産主義思想から由来する。一般人だと、このフェミニズムを深刻に考えていないから、女性の地位を向上させる勉強だし、いいんじゃない か、と単純に認めてしまう。しかし、女性学とは決して女性のための学問ではない。実態はその逆だ。女性を不幸にさせる奸計(かんけい)である。保守派の国 民でも余り分かっていないが、共産主義とは「人間改造」を通して社会を変質させるイデオロギーなのだ。我々はコミュニズムと聞けば、私有財産の否定とか、 生産手段の国有化と考えがちである。しかし、そんなのは「人間改造」が進んでからの強奪であり、こうした犯罪を許す素地をつくる為の精神破壊が、共産主義 者にとって必要なのだ。共産主義者は、ある意味、武闘派と謀略派という役割分担がある。ロシアや支那、キューバでゴロツキどもを使い、暴力革命を起こした のが武闘派だとすれば、英国を始めとする西欧諸国で、国民道徳を腐蝕させて静かに国家を乗っ取るのが謀略派であろう。我が国の場合だと、たとえば、左翼教 師が皇室を罵倒することで、日本国民の団結力を削ぎ、君臣の離反が起こったところで、一気に皇室を潰すつもりたのだ。また、赤い民法学者が家族の絆を切断 することで、親子は単なる同居人となり、野生動物のように、その日暮らしの浮浪者になる。さらに、隠れ共産主義者が善悪の区別を曖昧にすることで、各個人 は道徳や品格のないダメ人間に変わる。自堕落な子供が増えれば、共産主義革命がやりやすい。フェミニストと呼ばれる文系共産主義者は、革命の下ごしらえを 担当しているのだ。ただ、今日では革命といってもソ連のような国家を作る意志はなく、現状の伝統的社会を破壊したい、という情念が達成されれば満足という のが左翼の本音だろう。贅沢に慣れた左翼は貧乏生活が嫌なのだ。
フェミニズムの本流を知るには、その害毒が流されている源を探る必要 がある。諸悪の根源たるカール・マルクスやフリードリッヒ・エンゲルスの考えを理解すれば、彼らに追随する学者や評論家の隠された悪意が判明する。フェミ ニストの政治宣伝はたくさんあるが、そのうちの一つを紹介したい。まずフェミニストは女の幸せを憎む。以前、男にモテない「卒業顔」 が、フェミニズムの学者なることについて書いた。醜女(しこめ)は、美人に生まれて、幸せな結婚をし、子宝に恵まれる女性を嫉妬する。「嫉妬」は人間の感 情の中で、一番醜く克服しがたい感情で、「憎しみ」よりもタチが悪い。そこで女性学のブスは、幸せそうな専業主婦を貶める。家庭は安らぎの場ではなく、 「牢獄」みたいなもので、主婦は家庭に縛られた女中とみなす。フェミニストの大学教授は女子学生に、「キャリア・ウーマン(career woman)は素晴らしく、専業主婦というのは能無し女である。子供と亭主の世話で一生を棒に振り、女性としての自己実現をできぬまま、自宅で埋もれてし まう哀れな下女」、というイメージを植え付ける。
専業主婦のイメージが悪いのは、キャリア・ウーマンのイメージが、誇張されて実際よ り良く修正されているからだ。幸せを噛みしめる主婦を目の敵にするフェミニストは、高級なビジネス・スーツで身を包み、綺麗な都会のオフィスで働く方が、 はるかに価値があると臭わせる。しかも、家事は無給だが会社勤めなら給料を取れるから、という理屈を持ち出す。そうした悪魔の囁きもあってか、ビジネス・ ウーマンは他人による“金銭的評価”と“役職の昇進”があるから、自分の能力が社会的に評価されたと思って嬉しくなる。ところが、家庭内だと、褒めてくれ るのは亭主と子供だけで、金銭的報酬は無いし、出世だって無い。本当なら、愛する家族からの感謝の方が素晴らしいはずなのに、フェミニストの洗脳を受ける と、会社の上司から褒められる方が、より意義があると考えてしまうのだ。しかし、会社はその女性が利益をもたらすから雇用しているだけで、失敗したり病気 になれば解雇の対象にしてしまう。家庭なら母親のクビは無いし、病気になれば家族が看病してくれる。だいたい、会社で福山雅治みたいな同僚と出逢って、や がて恋人になれるとか、波瀾万丈の人生だけど最後には成功する人生、といったサクセス・ストーリーはドラマの中だけ。現実の会社では、地味な努力と嫌な苦 労の方が多い。家庭の主婦は女優みたいに着飾れないが、子供の世話で忙しくしていても、何となく充実している。もっとましな男と結婚したかったと思って も、鏡に映った自分を見れば割れ鍋にとじ蓋、似たもの夫婦で平穏な暮らしが遅れれば満足だ。中高年になった日本人女性は天下無敵、世界一幸せなオバタリア ンになれる。亭主元気で留守がいい。亭主が死んでも遺産は残る。友達と浅草に出掛ければ寂しくない。それに孫が生まれれば、生きる張りがまたできる。オバ タリアンは、議員を選ぶ投票権なんかより、綾小路きみまろのチケットが欲しい。こういう中高年のお嬢様は、誰が何と言おうとも日本の底力。フェミニストの 戯言(たわごと)など聞く耳持たない。オバタリアンはフェミニストの天敵だ。
(左/フリードリッヒ・エンゲルス)
共産主義思想に染まったフェミニストは、やたらと男女平等を唱える。夫婦でも平等に家事をしろ、とか亭主も育児休暇をとって、女房の代わりに子育てをし ろ、といったお節介を言う。そんなことを本に書いて飯を喰っているのが、女性学の教授だ。ただし、そんな本は誰も買わないけど、図書館が購入してくれるか ら、かろうじて成立する商売である。酷い連中だと、国立大学で給料や研究費をもらったり、あるいは役所で男女平等推進委員について税金を貪っていたり、と 様々。こうした穀潰しの教祖はエンゲルスだ。彼は家庭の主婦が、家父長制や単婚制家族のせいで、社会との関わりを持たなくなったと言う。そして、「妻は筆 頭女中となり、社会的生産への参加から駆逐された」と見なした。(エンゲルス 『家族・私有財産・国家の起源』 戸原四郎 訳 岩波文庫 昭和40年 p.97) エンゲルスは近代工業が出現して、はじめてプロレタリアートの女性だけに社会進出の道が開けたと述べ、主婦は家庭での“私的奉仕”だから一文も稼ぐことが できない、と馬鹿にしているのだ。妻は家内奴隷で、無産階級の代表。夫は金銭を稼ぐ支配者で、ブルジョアである、と勝手なことをほざいている。アホらしい けど、エンゲルスの言い分を聞いてやると、近代の産業界で働けば、妻と夫の社会的平等が樹立され、法律上で完全に平等になるんだとさ。この共産主義者曰 く、
女性の解放は、全女性が公的産業に復帰することを第一の前提条件とし、これはまた、社会の経済的単位としての個別家族の属性を除去する事を必要とする・・・。(上掲書 p.98)
つまり、エンゲルスによれば、家の外で働く事が女性の解放なんだって。じゃあ、家庭は刑務所なのか? 彼が考える「妻」とは、夫にとって無給の専属売春婦。子供にとっては、家政婦程度。共産主義社会では、「子供たちの養育や教育は公的事項となる。嫡出子で あろうとも私生児であろうと、一様にすべての子供の世話を社会が見る」というのだ。(p.100) テレビでは「女性の味方」をしている評論家が、結婚もせずに子供を産む同棲カップルを賛美しているが、結婚という神聖な制度を抹殺したいだけだろう。私生 児が増えても、託児所があれば問題ない。こうなりゃ育児は託卵と同じ。他人が世話をするのだから、親の愛情なんか無い。ペット預かり所と同等か、それ以下 じゃないのか? 日本でも社民党や民主党の左翼議員が、しきりに児童保育所や託児所を増やせと叫んでいるが、これは子を持つ母親のためではない。女性は出産したら、元のプ ロレタリアート、すなわち無産階級労働者として、工場で働けと言いたいのだ。「家庭で子供に愛情を注ぐことは無駄な行為」と考えているから、母親に託児所 へ我が子を預けろ、と勧めているのである。社会主義者は、税金(他人の銭)を使って箱物を作り、“仲間”を保育士や託児所の職員に据えて、税金を呉れてや るのだ。赤い同志の職場を確保・創出してあげるとは、なんて心が優しいんだろう。
こうして、身内の支持者が税金で養われ、左翼議員の 子分どもは喜び、仕事をもらって感謝に堪えない。赤い保育士は税金を喰うばかりか、子供の魂までをも汚染する。彼らが教えることといったら、「男女平等」 か「平和主義」くらいなものだ。具体的に言えば、子供が呼び合う時に、「くん」や「さん」で男女差別をしないとか、残酷な昔話は読み聞かせないとかであ る。昔話の「桃太郎」は、無闇に鬼を虐殺するから禁止。鬼退治をしない桃太郎なんてつまらない。しかし、赤い教師にとって「殺すこと」は一切悪である。そ れなら「ドラゴン・ボール」はどうなるのだろうか? 「カメ」と「ウサギ」の競争だって、同時に“ゴール・イン”じゃ子供だって飽きてしまう。実の母親が子供を育てることは、家風の伝承になるから、伝統的価 値を破壊したい共産主義者にとっては許せない。共働きを勧められる親は、赤い政治家や官僚が別の意図を持っていることに気付かないから、働く女性に配慮す る良い人と勘違いしてしまう。ワルい奴らは、笑顔で毒を盛るから注意が必要だ。
ワンダー・ウーマンの隠された正体
フェミニストはとにかく性差別を無くしたい。「差別」撤廃なら、結構じゃないか、と考える一般人は甘いのだ。フェミニストは生物学的な男女の違いや、社 会の慣習による男女の役割分担を、すべて破壊して、自らが「合理的精神」で設計した「夢の共産主義世界」を実現したいだけだ。こんな社会設計など役人の商 売と同じで、無惨な結果に終わるのは目に見えている。しかし、無邪気な一般人は、愕然とする結果を見るまでは、如何なる警告にも耳を貸さないものだ。男女 平等にするには、二つの方法がある。男を女々しくするか、女をたくましくするかである。大学で行われている「ジェンダー」学講座を聞けば分かる通り、性別 が曖昧な透明人間か、性器のない「のっぺらぼう」を作ることが目的なのだ。しかし、チンチンの無い宦官とか、ヒゲをはやして太い声のオカマみたいなのが、 理想的人間とは気持ちが悪い。「性転換」をやたらと話題にするNHKは、国民を性的倒錯者にしたい、という願望がある。マス・メディアを使ったプロパガン ダとは恐ろしいものだ。
日本と同じく、アメリカでもコミック漫画は大変な人気である。第二次大戦前から超人キャラクターが存在し、 スーパーマンのデビューが1938年、続いてバットマンが1939年に出現。こういったヒーロー漫画が登場すると、子供たちは夢中になって読んでいた。と ころが、1941年になると前代未聞の新たなヒーローが誕生したのである。それがワンダー・ウーマン(Wonder Woman)だ。女戦士アマゾネスがアメリカ合衆国に現れて、正義と自由の為に悪と闘うというストーリー。当時、正義の味方といったら男が当り前であっ た。スーパーマンを見れば分かる通り、筋肉隆々のゲルマン戦士か北欧の豪傑バーサーカー(berserker)といったところが定番。ところがワンダー・ ウーマンは、ヴィーナスのように美しいが、軍神マルス(Mars)のように強い。現代の我々から見れば、珍しくもないキャラクターだが、おしとやかな女性 が基本だった1940年代のアメリカでは画期的な企画であった。しかも、このワンダー・ウーマンの原作者は漫画家ではなく科学者であったから驚き。
(左:手塚治虫/右:安彦良和)
ワンダー・ウーマンを創り上げたのは、ウィリアム・モウルトン・マーストン(William Moulton Marston)という心理学者で、1918年にハーバード・ロー・スクールを卒業すると、1921年に心理学で博士号(Ph.D.)を取得した人物であ る。(ちなみに、当時のハーバード法学院は女性の入学を認めていなかった。) 今では人気漫画の原作者として有名なマーストン博士だが、元々漫画家を目指していたわけではない。彼はちょっと手塚治虫と似ている。医学を専攻した手塚氏 だから名作『ブラック・ジャック』をリアルに描けた。漫画家としての手塚氏は、一流だが薄い左翼思考が珠(たま)にきず。『リボンの騎士』や『ふしぎなメ ルモ』を観ると、男か女か曖昧な中性的キャラクターが気になる。赤旗に連載していたくらいだから、きっと単純な戦争反対の平和主義者だったのだろう。ちな みに、機動戦士ガンダムのキャラクター・デザイナーだった安彦良和(やすひこ・よしかず)は学生運動上がりの漫画家である。彼は虫プロ出身者で、筆者も昔 から好きな作家であるから残念。なんかアニメ論になってしまったから話を戻そう。
(左:ヒューゴ・ミュンスターバーグ/中央:金の投げ縄を持つワンダー・ウーマン/右:嘘発見器の実験風景)
マーストン博士はかつて、ハーバード大学でヒューゴ・ミュンスターバーグ(Hugo Münsterberg)という心理学者の助手をしていた。(Katha Pollitt, Wonder Woman's Kinky Feminist Roots, The Atlantic, November 2004) 師匠のミュンスターバーグが血圧測定の研究をしていたので、マーストンは後に、いわゆる「嘘発見器(lie detector)」を製作し、現在もその名をとどめている。TVドラマ観た日本人なら、ワンダー・ウーマンが悪党を金色の投げ縄で捕まえた時、その悪人 が正直になって真実を語るシーンを覚えているだろう。真相を正直に告白させる縄は、嘘発見器からの発想である。「なるほど」と納得かなぁ。日本じゃ遠山の 金さんが桜吹雪の刺青を見せただけで、正直に罪を認めるのだから、日本人は罪人でも素直である。また、水戸の黄門様が印籠を見せただけで、悪代官の手下が 静かになるのだから、これまた日本の悪党は子供みたい。隠密で他の藩に侵入した水戸光圀一行なら、皆殺しにして知らぬ顔を決め込めば良いのに。水戸藩から 「ご老公はそちらに居ませんか? 」と尋ねられたって、「さあねぇ」で終わりだ。日本人って純粋な民族である。
欺瞞のフェミニスト学者であった原作者
(左/ウィリアム・モウルトン・マーストン)
左翼学者や御用学者には偽善者が多い。進歩的文化人には、言行不一致の者や裏の顔を持つ連中がゴロゴロいた。例えば共産主義が大好きだった作家の井上ひ さしは、前妻好子夫人に対して、暴力をふるっていたので、人格破綻者として知られている。共産党の「九条の会」などで頑張っていた井上氏は、好子夫人と離 婚後、米原ユリと再婚。彼女は共産党幹部であった米原昶(いたる)の娘で、ロシア語の翻訳家としてちょいと知られた米原万里の妹だ。今は亡き米原万里は札 付きの左翼で、佐藤優(まさる)と互いに褒め合っていたロシアの手先であった。また脱線しちやったから話を戻す。表では、女性の権利獲得活動に熱心だった マーストンだが、私生活では女を弄んでいたのである。二人の女と同居生活をしていたから、世間は眉をひそめたのである。彼にはエリザベス・ハロウェイ (Elizabeth Holloway)という正妻がいて、研究の手伝いをしてもらっていた。マーストンは学術誌(Journal of Experimental Psychology)に性と血圧に関する論文(「Sex Characteristics of Systolic Blood Plessure」)を投稿したが、その時もエリザベス夫人が実験を手伝ってくれたのだ。アカデミックな姿勢を取っていたが、マーストンの研究にはいかが わしいものが混ざっている。1928年、彼は記者を招いて、自家製の「ラヴ・メーター(Love Meter)」を用いて公開実験を行った。三人のブロンド娘と三人ブルーネット娘に、グレタ・ガルボ主演の『肉体と悪魔(Flesh and the Devil)』を鑑賞させ、腕につけた血圧測定器で彼女たちの興奮度を計ったという。その測定値から、マーストンは金髪娘より、茶髪の娘の方が容易に昂奮 すると結論づけたという。(Jill Lepore, The Last Amazon, The New Yorker, September 22, 2014 Issue) あまりに馬鹿げた実験がキッカケとなり、マーストンが務めていたコロンビア大学は雇用契約を打ち切り、彼は事実上ブラック・リストに載ってしまった。 まぁ、当然だ。こうして失業者となったマーストンに、漫画業界から誘いが来たというわけ。
(左:アレス / ペンテシレイア / アマゾネス / 右:TVドラマにおけるアマゾネスの女王)
その前に、マーストン博士の女癖とワンダー・ウーマン誕生秘話について述べねばならない。彼は女性の参政権運動に熱心であった。この運動は、女性でも男 性と同じく政治的判断ができ、道徳的には男性よりも優れているという思想に立脚する。、第19世紀に、英国などでは女性を有権者にすべし、との主張が社会 主義者たちのあいたで騒がれ、米国でも女性の普通選挙権獲得闘争に火がついた。男性優位思想を崩すため、左翼の文化人類学者は、キリスト教西欧世界ではな い未開部族や古代世界を探究して、女性優位あるいは母系社会などを紹介していた。その一つがギリシア神話に出てくるアマゾネス (Amazōn/Amazonis)である。トロイア戦争に参加したアマゾネスの女王ペンテシレイア(Penthesileia)は、軍神アーレス (Ares)とオトレラ(Ortrera)の娘で、勇敢な女戦士。アマゾネスといったら、弓を引くとき邪魔になるからというので、左の乳房を切り取ったと いう伝承が有名。左翼学者は政治的未来的のためなら、神話や南方土人の話を利用するのだ。
当時、左翼知識人は男女平等思想に執着した いた。マックス・イーストマン(Max Eastman)は、左翼転向学者で、後にフリードリッヒ・フォン・ハイエック教授やルートヴィヒ・フォン・ミーセズ教授らと共に、自由主義者になってい たが、嘗ては女性の普通選挙権獲得を支援する同盟(New York Men's League for Woman Suffrage)の創設者で、雑誌『大衆(The Masses)』の編集者を務めていた。避妊具を使った産児制限論で高名なマーガレット・サンガー(Margaret Sanger/旧姓Higgins)も、女性の権利拡大に賛成で、熱烈なフェミニストであった。マーガレットの実家であるヒギンズ家で、一番過激なのが妹 のエセル・バーン(Ethel Higgins Byrne/Jack Bryneと結婚)である。この姉妹はアメリカで初の産児制限クリニックをブルックリンで開設した。フェミニズムにどっぷり浸かったエセルは、中絶推進の ためならハンガー・ストライキも辞さず、ついに逮捕されてしまった。姉のマーガッレットはニューヨーク州知事と取引をし、妹の産児制限運動を辞めさせる代 わりに、彼女の恩赦をもらったのである。
(左:マックス・イーストマン / 中央:マーガレット・サンガー / 右:エセル・バーン)
1923年頃、ある詐欺事件が元でアメリカン大学を解雇されたマーストンは、タフツ大学に移って研究を続けていた。その大学で、彼はオリーヴ・バーン (Olive Bryrne)という教え子と一緒に働く事になる。このオリーヴとは、エセル・バーンの娘であった。大学教授が若い娘に手を出すことは時折あるが、マース トンは既婚者なのに、オリーヴと恋仲になってしまったからさあ大変。不倫をしたマーストンは妻エリザベスと離婚するのかと思いきや、何と愛人の教え子と同 居したいと言い出したのだ。彼はエリザベス夫人に、もしオリーヴとの情事を認めてくれないなら、離縁するぞと脅かしたという。そこでエリザベスは事態を何 とか収拾しようと努め、下した決断は、自分は仕事に専念し、愛人のオリーヴが家事と育児を担当するというものだった。エリザベスには子供が二人居たので、 その世話を第二夫人に任せたわけだ。そして、エリザベスはブリタニカ百科事典の編集委員をしていたので、その仕事に没頭することで気持ちの整理をつけてい た。肝心のウィリアム・マーストンは、両方の妻と子供をもうけて大満足。ハーレム生活は楽しい。オリーヴはウィリアムとの子供であるバーンとドンを産んだ が、その子供たちには真実を告げなかった。実の父は既に他界したとの嘘を教えていたのだ。(Glen Weldon, William Moulton Marston biography: Jill Lepore's Secret History of Wonder Woman, Slate, Nonember 3, 2014) 実の父は目の前に居るのに。オリーヴは架空のリチャード氏をでっち上げ、その未亡人の振りをしたというから、もう呆れて物が言えない。精神病 というか異常である。しかも、後に彼女は自分の子供を、ウィリアムとエリザベスの養子にすることと承諾したという。過激フェミニストの娘は、やはり良識を 備えていなかった。しかし、マーストン家の子供たちも、困惑していたのではないか? 2人の母親と異母兄弟4で、父親は女房の世話になっていたのだ。友達 の家庭とは明らかに違うじゃないか。
(写真/右端の黒い服の女性がエリザベス夫人/中央の椅子に坐っているのがマーストン博士/その後ろに立つ白い服の女性がオリーブ/4人の子供たち/左端の女性は不明)
マーストン家では幸せな二重婚が営まれていたが、アメリカ社会は第二次世界大戦の勃発により、女性が大量に動員されて、毎日が大変であった。また、戦争 で犠牲者や戦歿者が出れば、息子を失った母親とか夫を失った妻も増えてくる。それなのに、女性が軍隊や工場で働くようになり、男性と平等になる夢が到来し た、とマーガレット・サンガーは喜んだ。しかも、彼女にとっては嬉しいことが一つあった。1937年アメリカ医学協会が避妊法を承認してくれたのだ。この 吉報をもってマーガレットは、女性や人類の勝利だとはしゃいでいたのである。戦争が起こって女性も家庭から飛び出て外で働くようになったから、フェミニス トのサンガーは、期待を大きく膨らませていたらしい。しかし、彼女は政府の対応にがっかり。サンガーは合衆国政府が、女性の妊娠を防ぐために避妊対策を支 援してくれるもの、と思っていた。ところが、政府は彼女の期待を裏切ったのである。戦争中に女性が妊娠していたら、働き手が減って困るじゃないか、と思っ ていたのだろう。しかし、当時のアメリカ社会は性的問題については、依然として保守的であった。
(左/エリザベス・ハロウェイ夫人)
一方、義理の兄ウィリアム・マーストンは何をしていたのか? オール・アメリカン出版社(All American Publicaations)に雇われていたのだ。1940年、スーパーマンを 世に出していたマックス・ゲインズ(Max Gaines/本来のユダヤ人名Maxwell Charles Ginzburg)は、偶然オリーヴ・バーンの『ファミリー・サークル』という記事を読んだことから、マーストンを知るようになった。ただし、オリーヴは スーパーマンをヒトラーのような正義感を持つ、危険なファシストと見なしていたのだ。ユダヤ人が作ったキャラクターを、ヒトラーみたいと酷評するなんて、 あんまりじゃないか。それでも、ゲインズはマーストンをコンサルタントとして雇い、そこでマーストンは女性のヒーローが必要である、とゲインズを説得しら しい。その結果、ワンダー・ウーマンは『オール・スター・コミックス』のスーパー・ヒーロー軍団に加えられたという。戦闘が激しくなった1943年、彼は 『ワンダー・ウーマン』のストーリーを書いていた。太平洋や欧州大陸でドンパチやっているのに、漫画を考えている学者なんて呑気なもんだ。『女性らしさへ の闘い』という題で、戦争の神マルスや有事に携わる女性について書いていたという。彼はもし、女性が戦争で力をつければ、男性中心社会の桎梏(しっこく) から抜け出せるとか、女性がアマゾネスみたいになれば、男性よりも強くなって、戦争を終わらせることができるのだ、と考えていたようだ。戦争末期になる頃 には、スーパーマンやバットマンを除けば、ワンダー・ウーマンは唯一のスーパー・ヒーローになっていた。
プロパガンダとしてのTVドラマ
(左と中央の写真:グロリア・シュタイネム/右:ベティー・フリーダン)
1960年代後半から1970年代にかけて、アメリカではベトナム反戦運動が盛り上がっており、その勢いに乗ってフェミニズムも台頭し始めた。日本の学 生運動家も、1970年代は左翼の黄金期だったから懐かしいだろう。当時は、アメリカで持て囃されたフェミニストの旗手ベティー・フリーダン(Betty Friedan)が来日したり、彼女の著書が翻訳されたりと、女性学がとても流行った。しかし、このフリーダンは本名ベティ・ゴールドバーグ (Bettye Naomi Goldberg)といい、ロシアとハンガリーからのユダヤ移民を両親に持つ。全米女性組織(National Organization for Woman/NOW)を率いて、女性や人類の進歩のために活動していた、と紹介されるが、本当の顔は筋金入りの共産主義者で、さらに家庭では大変な暴力妻 だった。後に、亭主のカール・フリーダンは散々な目に遭っていた、という裏話を打ち明けている。(Germaine Geer, The Betty I knew, The Guardian, 7 February 2006/David Horowitz,Feminism's Dirty Secret, World Jewish Review, June 12, 2000)
(左:ベティー・フリーダン/右:グロリアにメダルを授けるオバマ大統領)
フェミニストには裏の顔を持つ人物が多い。有名なグロリア・シュタイネム(Gloria Steinam)は、表向き過激派フェミニストであったが、実は陰でCIAの密告者を務めていた。彼女の母親ルースはプレスビテリアン教会のスコット人で あったが、父親のレオはユダヤ人であった。母のルースは娘のグロリアと妹のスザンヌに、反ユダヤ主義の恐ろしさを教える一方で、ユダヤ人であることは誇る べき遺産であることを説いたという。(Letty Cottin Pogrebin, Gloria Steinam, Jewish Women's Archive) そうい言われてみれば、左翼思想に傾いたグロリアの性格は、父親譲りなのかも知れない。父方の祖母ポウリン・シュタイネム(paulin Perlmutter Steinam)は、左翼思想に染まった過激派だったという。孫娘のグロリアによれば、改革派のユダヤ教徒だったらしい。祖母ポウリンは女性の普通選挙権 獲得のために熱弁を振るい、、当時としては急進的な思想を持つユダヤ人女性だった。そんな家系のグロリアは社会主義の学生運動に精を出す傍ら、仲間の情報 をCIAのハンドラーに渡していたという。しかも、チェスター・ボウルズ奨学金という名目で、CIAからお金をもらっていたのだ。グロリアは裏で「チクリ 屋」をやりながら、表ではフェミニズムと人権活動に勤しんでいた。そんな彼女を隠れ共産主義者のオバマ大統領が表彰したのである。この肌と腹が真っ黒な大 統領は、事もあろうに合衆国で最も権威ある「自由メダル(Medal of Freedom)」を、反米の闘士グロリア・シュタイネムに授与したのだ。これって、CIAに協力し、国家の裨益(ひえき)をはかったからか? 残念、違います。白人社会の撲滅を図った公民権運動に貢献したからだそうで、オバマ大統領はたいそう嬉しかったようだ。この男にとって、アメリカの国益と は何なのか? 反米大統領を称えているアメリカ人を見ると、精神が頽廃した国民の末路を見ているような気分になる。
(左:娘のキャサリン・クラハム/右:父のユージン・メイヤー)
表向き、反権力のポーズを取っていたグロリアは、ワシントンポスト紙の所有者キャサリン・グラハム(Katharine Graham)から密かに支援を受けていた。グロリアの正体がバレそうになったとき、グラハムがマスコミ対策に応じてくれて、もみ消し工作を謀ったとい う。しかし、この努力も空しく、結局はジャーナリストに暴露されてしまった。このグラハム女史は共和党の大物支援者で、裏ではCIAと繋がっていたのだ。 ちなみに、彼女の父親ユージン・マイヤー(Eugene Meyer)はユダヤ人で、メディア界を牛耳る一人であった。CIAはメディア界に大勢手先を潜入させて、独自のネットワークを築いている。表向きCIA はアメリカ国内で活動できないはずだが、こっそりとFBIの縄張りを侵していたのだ。
(左:歌手のリンダ・カーター/中央:ワンダー・ウーマン/右:海軍士官のダイアナ・プリンス役)
ユダヤ人がエンターテイメント業界で成功する秘訣を調べると、あることが分かってくる。それは、彼らが伝統や慣習、ないしキリスト教倫理に縛られていな いということだ。西歐キリスト教徒ではないユダヤ人は、既成の道徳を無視したって良心が痛まない。現在なら、TVドラマで、猟奇的殺人、近親相姦、同性愛 や異人種間セックス、幼児ポルノ、残虐な暴力シーン、下品な生活など、良識ある一般家庭では忌避される話題を平然と取り上げ、ドラマの中に織り込んでしま う。だから、1975年、フェミニズムの象徴たる『ワンダー・ウーマン』を実写化することなど朝飯前。ABCで『ワンダー・ウーマン』を実現させたダグラ ス・クレーマー(Douglas S. Cramer)は、大ヒットTVシリーズの『ミッション・インポシブル』や『ダイナスティー』を手がけた敏腕プロデューサーである。彼は当時、まだ無名の リンダ・カーター(Lynda Carter)を起用して大成功を収めた。ユダヤ人女優なら、あれほど人気が出なかったと思う。バーバラ・ストライサンドみたいなユダヤ人女性では、美女 と設定されたヒーロー役は務まらない。リンダ・カーターはメキシコ系の母親を持つが、父親がイギリス・スコット系白人なので、その美貌を活かしミス・ワー ルドUSAでアリゾナ代表になれた。歌手としてはイマイチだったが、ワンダー・ウーマン役で永遠のスターになれた。彼女の印象が余りにも強烈だったので、 後に作るワンダーウーマンの映画やドラマで、起用する女優の選考に難儀することとなったらしい。
(左:アーロン・スペリング/中央:イヴ・プラム/右:ジョディー・フォスター)
しかし、クレーマーは単純なTVプロデューサーではなかった。彼はNBCで『ドーン(Dawn :Portrait of a Teenage Runaway)』というドラマを制作したこともある。この作品は、家出をした10代の少女が、ハリウッドに行き売春婦として身を持ち崩すという内容で あった。まだ若かったイヴ・プラム(Eve Plumb)が、主人公「ドーン・ウェザビー」を演じていたのが印象的。不埒なドラマかも知れぬが、ハリウッドでは珍しくない。むかし、ロバート・デ・ ニーロ主演の映画『タクシー・ドライバー』で、ジョディー・フォスターが幼い娼婦を演じて話題になったが、ユダヤ人が支配するハリウッドでは社会的モラル は紙くず同然。フェミニズムが流行れば、それを題材としたドラマを作っても不思議じゃない。ワンダー・ウーマンは美人で魅力的なのに、妙に中性的であっ た。ドラマの中では同僚のスティーブ・トレヴァー大佐と親しくなるが、色恋に発展することなく、物語はもっぱら超人的能力による悪党退治。まるでレズビア ンのように見えてしまう。
(左:ファラー・フォセット/中央:ジャクリーン・スミス/右:シェリル・ラッド)
超人的ヒーローの番組が成功したなら、今度はもう少し現実的内容で、新たなヒーローを作りたいと思うだろう。そこで、『チャーリーズ・エンジェル』の登 場だ。1970年代当時、アメリカでは刑事ものドラマといえば、男性の警察官が主役のものばかり。『スタスキー・アンド・ハッチ』などがそうだ。ところ が、ABC局内では、三人の美女を主役にしたドラマの企画が持ち上がった。これまたユダヤ人で、名プロデューサーのアーロン・スペリング(Aaron Spelling)が手がけたという。今では有名になったジャクリン・スミス(Jaclyn Smith)やファラー・フォセット(Farrah Fawcett)も、当時は無名の女優だった。亡くなったファラー・フォセットはアメリカのみならず、日本でも大人気となり、カメリア・ダイヤモンドの CMにも登場したし、彼女の妹役で採用されたシェリル・ラッド(Cheryl Ladd)も日本で有名だった。ウィスキーのCMに採用されたりして、彼女の歌と共によく知られるようになった。当時の映画雑誌『スクリーン』や『ロード ショー』では度々取り上げられていたから、多くの日本人が覚えているだろう。またチャーリーズ・エンジェルでは、タニア・ロバーツ(Tanya Roberts)も有名になり、後に007シリーズでボンド・ガールになれた。三人の女探偵が事件を解決するドラマというのは、当時大きな賭であった。男 社会のアメリカでは女性捜査員など弱々しく思えたからである。しかし、こうした華奢な体の美女でも、力強く男勝りの能力を発揮するから、TVドラマは面白 いのかも知れない。でも、美女のビキニ姿という、視聴者向けサービスがあったから、人気が出たのだろう。それでも、男に負けない強い自立した女性、という イメージを社会に植え付けることには成功したのである。今では、頼りない男に、力強い女刑事という設定のドラマは珍しくない。
(左:チャーリーズ・エンジェルの宣伝ポスター/右:007のタニア・ロバーツ)
チャーリーズ・エンジェルもまた、女性が男と同様の能力がある事を示す、プロパガンダ・ドラマであった。番組プロデューサーのスペリングは、典型的左翼 ユダヤ人で、『アメリアについて(Something about Amelia)』というドラマでは、近親相姦というタブーに触れたし、『夜のリトル・レディーズ(Little Ladies of the Night)』では、家出少女と売春を扱ったという。(Ben Shapiro, Primetime Propaganda, Broadside Books, New York, 2011, p.179) スペリングがタッグを組んだレオナード・ゴールドバーク(Leonard Goldberg)も、コチコチの左翼。彼は更に過激な若手バリー・ディラー(Barry Diller)を引き上げたり、後にディズニー社の会長となるマイケル・アイズナー(Michael Eisner)とも同志であった。左翼リベラル派ユダヤ人のネットワークは、巨大な蜘蛛の巣のように張り巡らされているのだ。
(左:レオナード・ゴールドバーグ/中央:マイケル・アイズナー/右:バリー・ディラー)
弊害となるかも知れない特殊部隊
フェミニズムの害悪は映画界から実社会へと流れてしまった。フィクションの中で、超人的アマゾネスや女探偵が活躍したってどうってことないが、合衆国陸 軍でスーパー・ウーマン部隊が編成されてしまったのだから深刻だ。以前、人気女優のデミ・ムアー(Demi Moore)が出演した『G.I. ジェーン』という映画が公開され、そこそこヒットして話題になった。デミ・ムアーが海軍特殊部隊で初の女性隊員になるストーリーだが、最近、陸軍特殊部隊 に、女性だけで編成されたエリート・チームの存在が明らかにされた。(Melia Patria, Muriel Pearson, et al, Inside ‘Ashley's War’,Story of a Special Ops program That Put Woman in Afganistan Warzones,Abc News, April 21, 2015) 軍隊内の同性愛者問題だって、左翼議員のせいで排除できなくなったアメリカ軍は、またもや頭の痛い問題に悩むこととなった。このチームは中東アジア地域で 活動する秘密部隊で、アフガニスタンで現地人の宣伝慰撫を行ったり、女性にまつわる文化的摩擦を少なくしようとの意図を持って創設されたらしい。たとえ ば、イスラム教徒の家庭に踏み込んだ場合、男のアメリカ兵が女性の身体検査をすれば、イスラム教徒の男が激怒するからだ。女性兵ならムスリム女性が何か隠 し持っていないかを抵抗なく検査できる。
(左:「G.I.ジェーン」の一場面/右:デミ・ムアー)
特殊部隊に選抜されるくらいだから、女性隊員は男並みの腕力や体力を有している。メーガン・カラン(Meghan Curran)大尉やエミリー・ミラー(Emily Miller)小隊長は、軍服を着ていなければ、普通のアメリカ人女性に見える。女性であっても武器の取り扱いや、重い荷物を持って行動することは可能 だ。オリンピック選手や格闘技選手を見れば、女性でも男性以上の身体能力を持つことは理解できよう。しかし、こうしたスーパー・ソルジャーであっても、女 であることに変わりがない。例えば、女性兵士が小隊か中隊に配属され、戦場で闘ったとしよう。敵の指揮官は女性兵をわざと狙って、他の兵士をおびき寄せる かも知れない。例えば、一人の女性兵を殺さぬよう狙撃して、わざと戦場で負傷させる。まだ息があり、苦痛に叫ぶ彼女を助けるために、部隊の男どもはこぞっ て彼女を救おうと飛び出す。そんな兵士を敵のスナイパーは、次々と狙い撃ちするだろうから、部隊のの損失は重大になる。一人の女性を餌に、二人三人と仲間 を殺すことができるだろう。何が何でも女を救う文化圏の弱点を、敵軍は必ず突いてくる。指揮官といえども部下の無鉄砲さをすべて統率できない。
(左:エミリー・ミラー/右:特殊部隊のアシュリー・ホワイト)
女性部隊の導入は政治的リスクも考慮せねばならない。もし、彼女たちが実戦投入され、戦場で敵軍に捕まった場合、アメリカ軍司令部や合衆国政府はどうす るのか? テロリスト兵が白人女の兵卒を生け捕りにして、輪姦したらアメリカの輿論(よろん)は激昂するに決まっている。それに、もしISILのようなテロリスト集 団が、拘束した白人女を強姦したり、斬首したりする映像をインターネットに流したらどうなるのか? 男の兵卒なら拷問はあっても、強姦はないだろう。しかし、エリート女性部隊には、試験成績の良い中流階級の白人女性が多い。憎しみに満ちたムスリム・ゲリ ラ兵は、喜んで生け捕りにした高級白人を淫売のようにいたぶるだろう。こんな事が起きれば、冷静な政治家でもお手上げだ。気がかりなのは、中東戦争を拡大 させたいグローバリスト集団が、わざと女性部隊の情報を流して、子飼いのテロリスト部隊に襲撃させる、といった八百長を仕組むかも知れないからだ。世間が 同情を寄せるような白人女を捕虜の中から選んで、薄汚い下郎に輪姦させ、それを録画して全世界に流す。合衆国政府が規制したって、どこかの国のジャーナリ ストが報道するだろう。センセーションを呼ぶ映像は、アメリカの輿論を簡単に動かし、陰謀組織に買収された議員は、強姦されたり殺害された女性兵士の報復 を煽るだろう。こうなれば大統領は中東地域に大規模な征伐軍を送るしかない。まさか、復讐をしないとの選択はしないだろう。それよりむしろ、徹底した殲滅 作戦を提唱した方が人気が上がる。こうなれば、中東戦争の泥沼化を望む者たちはほくそ笑む。軍隊に男女平等を要求する馬鹿なフェミニストのせいで、アメリ カ人はもっと大きな戦争に巻き込まれるだろう。戦場に女を出してはならない、というタブーを破った国は必ず報いを受ける。
(左と中央:イスラム・テロリスト/右:メーガン・カラン)
女性は知能や技能において、男性と同等の結果を出すことができるだろう。しかし、忘れてはならないのが、女性は細胞の一つ一つに女性の刻印を押されてい るということだ。染色体が違えば、体のつくりは違ってくるし、脳味噌だって男と女では異なる。脳が異質ならば、精神だって同じわけがない。運動競技で男ま さりの女性でも、野蛮な男どもに捕まれば、強姦の対象となってしまう。こうした下劣な者には、男女平等だとか、人道に反するといった寝言は通用しない。上 流社会出身の才女であれ、下層階級のあばずれでも、単なる女といった肉の塊で、性欲の対象になってしまうのだ。ケダモノに輪姦されて解放された女性を引き 取る親や兄弟、友人、世間一般はどう反応するのか? 娘が従軍するのを許した親は後悔するだろう。家族の哀しみと世間の激昂は収まりがつかない。女性が不利な分野でも、女性の進出を主張するフェミニストは責 任がとれるのか? こうした左翼に限って、肝心な時には無口になるものだ。中には雲隠れをして、ほとぼりが冷めるのを待つ奴がいる。権利を主張する時は勇ましく、責任が問わ れる時は卑怯に振る舞う。我々はフェミニストの口車に乗ってはならない。男女は不平等が自然だ。日本では、男の役割と女の役割が別れていたが、それで社会 が潤滑に回っていたし、幸せなことも多かった。フェミニストに賛成して不幸になるより、昔の日本的価値に戻った方が賢明であろう。
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フェミニズムは共産主義思想から由来する。一般人だと、このフェミニズムを深刻に考えていないから、女性の地位を向上させる勉強だし、いいんじゃない か、と単純に認めてしまう。しかし、女性学とは決して女性のための学問ではない。実態はその逆だ。女性を不幸にさせる奸計(かんけい)である。保守派の国 民でも余り分かっていないが、共産主義とは「人間改造」を通して社会を変質させるイデオロギーなのだ。我々はコミュニズムと聞けば、私有財産の否定とか、 生産手段の国有化と考えがちである。しかし、そんなのは「人間改造」が進んでからの強奪であり、こうした犯罪を許す素地をつくる為の精神破壊が、共産主義 者にとって必要なのだ。共産主義者は、ある意味、武闘派と謀略派という役割分担がある。ロシアや支那、キューバでゴロツキどもを使い、暴力革命を起こした のが武闘派だとすれば、英国を始めとする西欧諸国で、国民道徳を腐蝕させて静かに国家を乗っ取るのが謀略派であろう。我が国の場合だと、たとえば、左翼教 師が皇室を罵倒することで、日本国民の団結力を削ぎ、君臣の離反が起こったところで、一気に皇室を潰すつもりたのだ。また、赤い民法学者が家族の絆を切断 することで、親子は単なる同居人となり、野生動物のように、その日暮らしの浮浪者になる。さらに、隠れ共産主義者が善悪の区別を曖昧にすることで、各個人 は道徳や品格のないダメ人間に変わる。自堕落な子供が増えれば、共産主義革命がやりやすい。フェミニストと呼ばれる文系共産主義者は、革命の下ごしらえを 担当しているのだ。ただ、今日では革命といってもソ連のような国家を作る意志はなく、現状の伝統的社会を破壊したい、という情念が達成されれば満足という のが左翼の本音だろう。贅沢に慣れた左翼は貧乏生活が嫌なのだ。
フェミニズムの本流を知るには、その害毒が流されている源を探る必要 がある。諸悪の根源たるカール・マルクスやフリードリッヒ・エンゲルスの考えを理解すれば、彼らに追随する学者や評論家の隠された悪意が判明する。フェミ ニストの政治宣伝はたくさんあるが、そのうちの一つを紹介したい。まずフェミニストは女の幸せを憎む。以前、男にモテない「卒業顔」 が、フェミニズムの学者なることについて書いた。醜女(しこめ)は、美人に生まれて、幸せな結婚をし、子宝に恵まれる女性を嫉妬する。「嫉妬」は人間の感 情の中で、一番醜く克服しがたい感情で、「憎しみ」よりもタチが悪い。そこで女性学のブスは、幸せそうな専業主婦を貶める。家庭は安らぎの場ではなく、 「牢獄」みたいなもので、主婦は家庭に縛られた女中とみなす。フェミニストの大学教授は女子学生に、「キャリア・ウーマン(career woman)は素晴らしく、専業主婦というのは能無し女である。子供と亭主の世話で一生を棒に振り、女性としての自己実現をできぬまま、自宅で埋もれてし まう哀れな下女」、というイメージを植え付ける。
専業主婦のイメージが悪いのは、キャリア・ウーマンのイメージが、誇張されて実際よ り良く修正されているからだ。幸せを噛みしめる主婦を目の敵にするフェミニストは、高級なビジネス・スーツで身を包み、綺麗な都会のオフィスで働く方が、 はるかに価値があると臭わせる。しかも、家事は無給だが会社勤めなら給料を取れるから、という理屈を持ち出す。そうした悪魔の囁きもあってか、ビジネス・ ウーマンは他人による“金銭的評価”と“役職の昇進”があるから、自分の能力が社会的に評価されたと思って嬉しくなる。ところが、家庭内だと、褒めてくれ るのは亭主と子供だけで、金銭的報酬は無いし、出世だって無い。本当なら、愛する家族からの感謝の方が素晴らしいはずなのに、フェミニストの洗脳を受ける と、会社の上司から褒められる方が、より意義があると考えてしまうのだ。しかし、会社はその女性が利益をもたらすから雇用しているだけで、失敗したり病気 になれば解雇の対象にしてしまう。家庭なら母親のクビは無いし、病気になれば家族が看病してくれる。だいたい、会社で福山雅治みたいな同僚と出逢って、や がて恋人になれるとか、波瀾万丈の人生だけど最後には成功する人生、といったサクセス・ストーリーはドラマの中だけ。現実の会社では、地味な努力と嫌な苦 労の方が多い。家庭の主婦は女優みたいに着飾れないが、子供の世話で忙しくしていても、何となく充実している。もっとましな男と結婚したかったと思って も、鏡に映った自分を見れば割れ鍋にとじ蓋、似たもの夫婦で平穏な暮らしが遅れれば満足だ。中高年になった日本人女性は天下無敵、世界一幸せなオバタリア ンになれる。亭主元気で留守がいい。亭主が死んでも遺産は残る。友達と浅草に出掛ければ寂しくない。それに孫が生まれれば、生きる張りがまたできる。オバ タリアンは、議員を選ぶ投票権なんかより、綾小路きみまろのチケットが欲しい。こういう中高年のお嬢様は、誰が何と言おうとも日本の底力。フェミニストの 戯言(たわごと)など聞く耳持たない。オバタリアンはフェミニストの天敵だ。
(左/フリードリッヒ・エンゲルス)
共産主義思想に染まったフェミニストは、やたらと男女平等を唱える。夫婦でも平等に家事をしろ、とか亭主も育児休暇をとって、女房の代わりに子育てをし ろ、といったお節介を言う。そんなことを本に書いて飯を喰っているのが、女性学の教授だ。ただし、そんな本は誰も買わないけど、図書館が購入してくれるか ら、かろうじて成立する商売である。酷い連中だと、国立大学で給料や研究費をもらったり、あるいは役所で男女平等推進委員について税金を貪っていたり、と 様々。こうした穀潰しの教祖はエンゲルスだ。彼は家庭の主婦が、家父長制や単婚制家族のせいで、社会との関わりを持たなくなったと言う。そして、「妻は筆 頭女中となり、社会的生産への参加から駆逐された」と見なした。(エンゲルス 『家族・私有財産・国家の起源』 戸原四郎 訳 岩波文庫 昭和40年 p.97) エンゲルスは近代工業が出現して、はじめてプロレタリアートの女性だけに社会進出の道が開けたと述べ、主婦は家庭での“私的奉仕”だから一文も稼ぐことが できない、と馬鹿にしているのだ。妻は家内奴隷で、無産階級の代表。夫は金銭を稼ぐ支配者で、ブルジョアである、と勝手なことをほざいている。アホらしい けど、エンゲルスの言い分を聞いてやると、近代の産業界で働けば、妻と夫の社会的平等が樹立され、法律上で完全に平等になるんだとさ。この共産主義者曰 く、
女性の解放は、全女性が公的産業に復帰することを第一の前提条件とし、これはまた、社会の経済的単位としての個別家族の属性を除去する事を必要とする・・・。(上掲書 p.98)
つまり、エンゲルスによれば、家の外で働く事が女性の解放なんだって。じゃあ、家庭は刑務所なのか? 彼が考える「妻」とは、夫にとって無給の専属売春婦。子供にとっては、家政婦程度。共産主義社会では、「子供たちの養育や教育は公的事項となる。嫡出子で あろうとも私生児であろうと、一様にすべての子供の世話を社会が見る」というのだ。(p.100) テレビでは「女性の味方」をしている評論家が、結婚もせずに子供を産む同棲カップルを賛美しているが、結婚という神聖な制度を抹殺したいだけだろう。私生 児が増えても、託児所があれば問題ない。こうなりゃ育児は託卵と同じ。他人が世話をするのだから、親の愛情なんか無い。ペット預かり所と同等か、それ以下 じゃないのか? 日本でも社民党や民主党の左翼議員が、しきりに児童保育所や託児所を増やせと叫んでいるが、これは子を持つ母親のためではない。女性は出産したら、元のプ ロレタリアート、すなわち無産階級労働者として、工場で働けと言いたいのだ。「家庭で子供に愛情を注ぐことは無駄な行為」と考えているから、母親に託児所 へ我が子を預けろ、と勧めているのである。社会主義者は、税金(他人の銭)を使って箱物を作り、“仲間”を保育士や託児所の職員に据えて、税金を呉れてや るのだ。赤い同志の職場を確保・創出してあげるとは、なんて心が優しいんだろう。
こうして、身内の支持者が税金で養われ、左翼議員の 子分どもは喜び、仕事をもらって感謝に堪えない。赤い保育士は税金を喰うばかりか、子供の魂までをも汚染する。彼らが教えることといったら、「男女平等」 か「平和主義」くらいなものだ。具体的に言えば、子供が呼び合う時に、「くん」や「さん」で男女差別をしないとか、残酷な昔話は読み聞かせないとかであ る。昔話の「桃太郎」は、無闇に鬼を虐殺するから禁止。鬼退治をしない桃太郎なんてつまらない。しかし、赤い教師にとって「殺すこと」は一切悪である。そ れなら「ドラゴン・ボール」はどうなるのだろうか? 「カメ」と「ウサギ」の競争だって、同時に“ゴール・イン”じゃ子供だって飽きてしまう。実の母親が子供を育てることは、家風の伝承になるから、伝統的価 値を破壊したい共産主義者にとっては許せない。共働きを勧められる親は、赤い政治家や官僚が別の意図を持っていることに気付かないから、働く女性に配慮す る良い人と勘違いしてしまう。ワルい奴らは、笑顔で毒を盛るから注意が必要だ。
ワンダー・ウーマンの隠された正体
フェミニストはとにかく性差別を無くしたい。「差別」撤廃なら、結構じゃないか、と考える一般人は甘いのだ。フェミニストは生物学的な男女の違いや、社 会の慣習による男女の役割分担を、すべて破壊して、自らが「合理的精神」で設計した「夢の共産主義世界」を実現したいだけだ。こんな社会設計など役人の商 売と同じで、無惨な結果に終わるのは目に見えている。しかし、無邪気な一般人は、愕然とする結果を見るまでは、如何なる警告にも耳を貸さないものだ。男女 平等にするには、二つの方法がある。男を女々しくするか、女をたくましくするかである。大学で行われている「ジェンダー」学講座を聞けば分かる通り、性別 が曖昧な透明人間か、性器のない「のっぺらぼう」を作ることが目的なのだ。しかし、チンチンの無い宦官とか、ヒゲをはやして太い声のオカマみたいなのが、 理想的人間とは気持ちが悪い。「性転換」をやたらと話題にするNHKは、国民を性的倒錯者にしたい、という願望がある。マス・メディアを使ったプロパガン ダとは恐ろしいものだ。
日本と同じく、アメリカでもコミック漫画は大変な人気である。第二次大戦前から超人キャラクターが存在し、 スーパーマンのデビューが1938年、続いてバットマンが1939年に出現。こういったヒーロー漫画が登場すると、子供たちは夢中になって読んでいた。と ころが、1941年になると前代未聞の新たなヒーローが誕生したのである。それがワンダー・ウーマン(Wonder Woman)だ。女戦士アマゾネスがアメリカ合衆国に現れて、正義と自由の為に悪と闘うというストーリー。当時、正義の味方といったら男が当り前であっ た。スーパーマンを見れば分かる通り、筋肉隆々のゲルマン戦士か北欧の豪傑バーサーカー(berserker)といったところが定番。ところがワンダー・ ウーマンは、ヴィーナスのように美しいが、軍神マルス(Mars)のように強い。現代の我々から見れば、珍しくもないキャラクターだが、おしとやかな女性 が基本だった1940年代のアメリカでは画期的な企画であった。しかも、このワンダー・ウーマンの原作者は漫画家ではなく科学者であったから驚き。
(左:手塚治虫/右:安彦良和)
ワンダー・ウーマンを創り上げたのは、ウィリアム・モウルトン・マーストン(William Moulton Marston)という心理学者で、1918年にハーバード・ロー・スクールを卒業すると、1921年に心理学で博士号(Ph.D.)を取得した人物であ る。(ちなみに、当時のハーバード法学院は女性の入学を認めていなかった。) 今では人気漫画の原作者として有名なマーストン博士だが、元々漫画家を目指していたわけではない。彼はちょっと手塚治虫と似ている。医学を専攻した手塚氏 だから名作『ブラック・ジャック』をリアルに描けた。漫画家としての手塚氏は、一流だが薄い左翼思考が珠(たま)にきず。『リボンの騎士』や『ふしぎなメ ルモ』を観ると、男か女か曖昧な中性的キャラクターが気になる。赤旗に連載していたくらいだから、きっと単純な戦争反対の平和主義者だったのだろう。ちな みに、機動戦士ガンダムのキャラクター・デザイナーだった安彦良和(やすひこ・よしかず)は学生運動上がりの漫画家である。彼は虫プロ出身者で、筆者も昔 から好きな作家であるから残念。なんかアニメ論になってしまったから話を戻そう。
(左:ヒューゴ・ミュンスターバーグ/中央:金の投げ縄を持つワンダー・ウーマン/右:嘘発見器の実験風景)
マーストン博士はかつて、ハーバード大学でヒューゴ・ミュンスターバーグ(Hugo Münsterberg)という心理学者の助手をしていた。(Katha Pollitt, Wonder Woman's Kinky Feminist Roots, The Atlantic, November 2004) 師匠のミュンスターバーグが血圧測定の研究をしていたので、マーストンは後に、いわゆる「嘘発見器(lie detector)」を製作し、現在もその名をとどめている。TVドラマ観た日本人なら、ワンダー・ウーマンが悪党を金色の投げ縄で捕まえた時、その悪人 が正直になって真実を語るシーンを覚えているだろう。真相を正直に告白させる縄は、嘘発見器からの発想である。「なるほど」と納得かなぁ。日本じゃ遠山の 金さんが桜吹雪の刺青を見せただけで、正直に罪を認めるのだから、日本人は罪人でも素直である。また、水戸の黄門様が印籠を見せただけで、悪代官の手下が 静かになるのだから、これまた日本の悪党は子供みたい。隠密で他の藩に侵入した水戸光圀一行なら、皆殺しにして知らぬ顔を決め込めば良いのに。水戸藩から 「ご老公はそちらに居ませんか? 」と尋ねられたって、「さあねぇ」で終わりだ。日本人って純粋な民族である。
欺瞞のフェミニスト学者であった原作者
(左/ウィリアム・モウルトン・マーストン)
左翼学者や御用学者には偽善者が多い。進歩的文化人には、言行不一致の者や裏の顔を持つ連中がゴロゴロいた。例えば共産主義が大好きだった作家の井上ひ さしは、前妻好子夫人に対して、暴力をふるっていたので、人格破綻者として知られている。共産党の「九条の会」などで頑張っていた井上氏は、好子夫人と離 婚後、米原ユリと再婚。彼女は共産党幹部であった米原昶(いたる)の娘で、ロシア語の翻訳家としてちょいと知られた米原万里の妹だ。今は亡き米原万里は札 付きの左翼で、佐藤優(まさる)と互いに褒め合っていたロシアの手先であった。また脱線しちやったから話を戻す。表では、女性の権利獲得活動に熱心だった マーストンだが、私生活では女を弄んでいたのである。二人の女と同居生活をしていたから、世間は眉をひそめたのである。彼にはエリザベス・ハロウェイ (Elizabeth Holloway)という正妻がいて、研究の手伝いをしてもらっていた。マーストンは学術誌(Journal of Experimental Psychology)に性と血圧に関する論文(「Sex Characteristics of Systolic Blood Plessure」)を投稿したが、その時もエリザベス夫人が実験を手伝ってくれたのだ。アカデミックな姿勢を取っていたが、マーストンの研究にはいかが わしいものが混ざっている。1928年、彼は記者を招いて、自家製の「ラヴ・メーター(Love Meter)」を用いて公開実験を行った。三人のブロンド娘と三人ブルーネット娘に、グレタ・ガルボ主演の『肉体と悪魔(Flesh and the Devil)』を鑑賞させ、腕につけた血圧測定器で彼女たちの興奮度を計ったという。その測定値から、マーストンは金髪娘より、茶髪の娘の方が容易に昂奮 すると結論づけたという。(Jill Lepore, The Last Amazon, The New Yorker, September 22, 2014 Issue) あまりに馬鹿げた実験がキッカケとなり、マーストンが務めていたコロンビア大学は雇用契約を打ち切り、彼は事実上ブラック・リストに載ってしまった。 まぁ、当然だ。こうして失業者となったマーストンに、漫画業界から誘いが来たというわけ。
(左:アレス / ペンテシレイア / アマゾネス / 右:TVドラマにおけるアマゾネスの女王)
その前に、マーストン博士の女癖とワンダー・ウーマン誕生秘話について述べねばならない。彼は女性の参政権運動に熱心であった。この運動は、女性でも男 性と同じく政治的判断ができ、道徳的には男性よりも優れているという思想に立脚する。、第19世紀に、英国などでは女性を有権者にすべし、との主張が社会 主義者たちのあいたで騒がれ、米国でも女性の普通選挙権獲得闘争に火がついた。男性優位思想を崩すため、左翼の文化人類学者は、キリスト教西欧世界ではな い未開部族や古代世界を探究して、女性優位あるいは母系社会などを紹介していた。その一つがギリシア神話に出てくるアマゾネス (Amazōn/Amazonis)である。トロイア戦争に参加したアマゾネスの女王ペンテシレイア(Penthesileia)は、軍神アーレス (Ares)とオトレラ(Ortrera)の娘で、勇敢な女戦士。アマゾネスといったら、弓を引くとき邪魔になるからというので、左の乳房を切り取ったと いう伝承が有名。左翼学者は政治的未来的のためなら、神話や南方土人の話を利用するのだ。
当時、左翼知識人は男女平等思想に執着した いた。マックス・イーストマン(Max Eastman)は、左翼転向学者で、後にフリードリッヒ・フォン・ハイエック教授やルートヴィヒ・フォン・ミーセズ教授らと共に、自由主義者になってい たが、嘗ては女性の普通選挙権獲得を支援する同盟(New York Men's League for Woman Suffrage)の創設者で、雑誌『大衆(The Masses)』の編集者を務めていた。避妊具を使った産児制限論で高名なマーガレット・サンガー(Margaret Sanger/旧姓Higgins)も、女性の権利拡大に賛成で、熱烈なフェミニストであった。マーガレットの実家であるヒギンズ家で、一番過激なのが妹 のエセル・バーン(Ethel Higgins Byrne/Jack Bryneと結婚)である。この姉妹はアメリカで初の産児制限クリニックをブルックリンで開設した。フェミニズムにどっぷり浸かったエセルは、中絶推進の ためならハンガー・ストライキも辞さず、ついに逮捕されてしまった。姉のマーガッレットはニューヨーク州知事と取引をし、妹の産児制限運動を辞めさせる代 わりに、彼女の恩赦をもらったのである。
(左:マックス・イーストマン / 中央:マーガレット・サンガー / 右:エセル・バーン)
1923年頃、ある詐欺事件が元でアメリカン大学を解雇されたマーストンは、タフツ大学に移って研究を続けていた。その大学で、彼はオリーヴ・バーン (Olive Bryrne)という教え子と一緒に働く事になる。このオリーヴとは、エセル・バーンの娘であった。大学教授が若い娘に手を出すことは時折あるが、マース トンは既婚者なのに、オリーヴと恋仲になってしまったからさあ大変。不倫をしたマーストンは妻エリザベスと離婚するのかと思いきや、何と愛人の教え子と同 居したいと言い出したのだ。彼はエリザベス夫人に、もしオリーヴとの情事を認めてくれないなら、離縁するぞと脅かしたという。そこでエリザベスは事態を何 とか収拾しようと努め、下した決断は、自分は仕事に専念し、愛人のオリーヴが家事と育児を担当するというものだった。エリザベスには子供が二人居たので、 その世話を第二夫人に任せたわけだ。そして、エリザベスはブリタニカ百科事典の編集委員をしていたので、その仕事に没頭することで気持ちの整理をつけてい た。肝心のウィリアム・マーストンは、両方の妻と子供をもうけて大満足。ハーレム生活は楽しい。オリーヴはウィリアムとの子供であるバーンとドンを産んだ が、その子供たちには真実を告げなかった。実の父は既に他界したとの嘘を教えていたのだ。(Glen Weldon, William Moulton Marston biography: Jill Lepore's Secret History of Wonder Woman, Slate, Nonember 3, 2014) 実の父は目の前に居るのに。オリーヴは架空のリチャード氏をでっち上げ、その未亡人の振りをしたというから、もう呆れて物が言えない。精神病 というか異常である。しかも、後に彼女は自分の子供を、ウィリアムとエリザベスの養子にすることと承諾したという。過激フェミニストの娘は、やはり良識を 備えていなかった。しかし、マーストン家の子供たちも、困惑していたのではないか? 2人の母親と異母兄弟4で、父親は女房の世話になっていたのだ。友達 の家庭とは明らかに違うじゃないか。
(写真/右端の黒い服の女性がエリザベス夫人/中央の椅子に坐っているのがマーストン博士/その後ろに立つ白い服の女性がオリーブ/4人の子供たち/左端の女性は不明)
マーストン家では幸せな二重婚が営まれていたが、アメリカ社会は第二次世界大戦の勃発により、女性が大量に動員されて、毎日が大変であった。また、戦争 で犠牲者や戦歿者が出れば、息子を失った母親とか夫を失った妻も増えてくる。それなのに、女性が軍隊や工場で働くようになり、男性と平等になる夢が到来し た、とマーガレット・サンガーは喜んだ。しかも、彼女にとっては嬉しいことが一つあった。1937年アメリカ医学協会が避妊法を承認してくれたのだ。この 吉報をもってマーガレットは、女性や人類の勝利だとはしゃいでいたのである。戦争が起こって女性も家庭から飛び出て外で働くようになったから、フェミニス トのサンガーは、期待を大きく膨らませていたらしい。しかし、彼女は政府の対応にがっかり。サンガーは合衆国政府が、女性の妊娠を防ぐために避妊対策を支 援してくれるもの、と思っていた。ところが、政府は彼女の期待を裏切ったのである。戦争中に女性が妊娠していたら、働き手が減って困るじゃないか、と思っ ていたのだろう。しかし、当時のアメリカ社会は性的問題については、依然として保守的であった。
(左/エリザベス・ハロウェイ夫人)
一方、義理の兄ウィリアム・マーストンは何をしていたのか? オール・アメリカン出版社(All American Publicaations)に雇われていたのだ。1940年、スーパーマンを 世に出していたマックス・ゲインズ(Max Gaines/本来のユダヤ人名Maxwell Charles Ginzburg)は、偶然オリーヴ・バーンの『ファミリー・サークル』という記事を読んだことから、マーストンを知るようになった。ただし、オリーヴは スーパーマンをヒトラーのような正義感を持つ、危険なファシストと見なしていたのだ。ユダヤ人が作ったキャラクターを、ヒトラーみたいと酷評するなんて、 あんまりじゃないか。それでも、ゲインズはマーストンをコンサルタントとして雇い、そこでマーストンは女性のヒーローが必要である、とゲインズを説得しら しい。その結果、ワンダー・ウーマンは『オール・スター・コミックス』のスーパー・ヒーロー軍団に加えられたという。戦闘が激しくなった1943年、彼は 『ワンダー・ウーマン』のストーリーを書いていた。太平洋や欧州大陸でドンパチやっているのに、漫画を考えている学者なんて呑気なもんだ。『女性らしさへ の闘い』という題で、戦争の神マルスや有事に携わる女性について書いていたという。彼はもし、女性が戦争で力をつければ、男性中心社会の桎梏(しっこく) から抜け出せるとか、女性がアマゾネスみたいになれば、男性よりも強くなって、戦争を終わらせることができるのだ、と考えていたようだ。戦争末期になる頃 には、スーパーマンやバットマンを除けば、ワンダー・ウーマンは唯一のスーパー・ヒーローになっていた。
プロパガンダとしてのTVドラマ
(左と中央の写真:グロリア・シュタイネム/右:ベティー・フリーダン)
1960年代後半から1970年代にかけて、アメリカではベトナム反戦運動が盛り上がっており、その勢いに乗ってフェミニズムも台頭し始めた。日本の学 生運動家も、1970年代は左翼の黄金期だったから懐かしいだろう。当時は、アメリカで持て囃されたフェミニストの旗手ベティー・フリーダン(Betty Friedan)が来日したり、彼女の著書が翻訳されたりと、女性学がとても流行った。しかし、このフリーダンは本名ベティ・ゴールドバーグ (Bettye Naomi Goldberg)といい、ロシアとハンガリーからのユダヤ移民を両親に持つ。全米女性組織(National Organization for Woman/NOW)を率いて、女性や人類の進歩のために活動していた、と紹介されるが、本当の顔は筋金入りの共産主義者で、さらに家庭では大変な暴力妻 だった。後に、亭主のカール・フリーダンは散々な目に遭っていた、という裏話を打ち明けている。(Germaine Geer, The Betty I knew, The Guardian, 7 February 2006/David Horowitz,Feminism's Dirty Secret, World Jewish Review, June 12, 2000)
(左:ベティー・フリーダン/右:グロリアにメダルを授けるオバマ大統領)
フェミニストには裏の顔を持つ人物が多い。有名なグロリア・シュタイネム(Gloria Steinam)は、表向き過激派フェミニストであったが、実は陰でCIAの密告者を務めていた。彼女の母親ルースはプレスビテリアン教会のスコット人で あったが、父親のレオはユダヤ人であった。母のルースは娘のグロリアと妹のスザンヌに、反ユダヤ主義の恐ろしさを教える一方で、ユダヤ人であることは誇る べき遺産であることを説いたという。(Letty Cottin Pogrebin, Gloria Steinam, Jewish Women's Archive) そうい言われてみれば、左翼思想に傾いたグロリアの性格は、父親譲りなのかも知れない。父方の祖母ポウリン・シュタイネム(paulin Perlmutter Steinam)は、左翼思想に染まった過激派だったという。孫娘のグロリアによれば、改革派のユダヤ教徒だったらしい。祖母ポウリンは女性の普通選挙権 獲得のために熱弁を振るい、、当時としては急進的な思想を持つユダヤ人女性だった。そんな家系のグロリアは社会主義の学生運動に精を出す傍ら、仲間の情報 をCIAのハンドラーに渡していたという。しかも、チェスター・ボウルズ奨学金という名目で、CIAからお金をもらっていたのだ。グロリアは裏で「チクリ 屋」をやりながら、表ではフェミニズムと人権活動に勤しんでいた。そんな彼女を隠れ共産主義者のオバマ大統領が表彰したのである。この肌と腹が真っ黒な大 統領は、事もあろうに合衆国で最も権威ある「自由メダル(Medal of Freedom)」を、反米の闘士グロリア・シュタイネムに授与したのだ。これって、CIAに協力し、国家の裨益(ひえき)をはかったからか? 残念、違います。白人社会の撲滅を図った公民権運動に貢献したからだそうで、オバマ大統領はたいそう嬉しかったようだ。この男にとって、アメリカの国益と は何なのか? 反米大統領を称えているアメリカ人を見ると、精神が頽廃した国民の末路を見ているような気分になる。
(左:娘のキャサリン・クラハム/右:父のユージン・メイヤー)
表向き、反権力のポーズを取っていたグロリアは、ワシントンポスト紙の所有者キャサリン・グラハム(Katharine Graham)から密かに支援を受けていた。グロリアの正体がバレそうになったとき、グラハムがマスコミ対策に応じてくれて、もみ消し工作を謀ったとい う。しかし、この努力も空しく、結局はジャーナリストに暴露されてしまった。このグラハム女史は共和党の大物支援者で、裏ではCIAと繋がっていたのだ。 ちなみに、彼女の父親ユージン・マイヤー(Eugene Meyer)はユダヤ人で、メディア界を牛耳る一人であった。CIAはメディア界に大勢手先を潜入させて、独自のネットワークを築いている。表向きCIA はアメリカ国内で活動できないはずだが、こっそりとFBIの縄張りを侵していたのだ。
(左:歌手のリンダ・カーター/中央:ワンダー・ウーマン/右:海軍士官のダイアナ・プリンス役)
ユダヤ人がエンターテイメント業界で成功する秘訣を調べると、あることが分かってくる。それは、彼らが伝統や慣習、ないしキリスト教倫理に縛られていな いということだ。西歐キリスト教徒ではないユダヤ人は、既成の道徳を無視したって良心が痛まない。現在なら、TVドラマで、猟奇的殺人、近親相姦、同性愛 や異人種間セックス、幼児ポルノ、残虐な暴力シーン、下品な生活など、良識ある一般家庭では忌避される話題を平然と取り上げ、ドラマの中に織り込んでしま う。だから、1975年、フェミニズムの象徴たる『ワンダー・ウーマン』を実写化することなど朝飯前。ABCで『ワンダー・ウーマン』を実現させたダグラ ス・クレーマー(Douglas S. Cramer)は、大ヒットTVシリーズの『ミッション・インポシブル』や『ダイナスティー』を手がけた敏腕プロデューサーである。彼は当時、まだ無名の リンダ・カーター(Lynda Carter)を起用して大成功を収めた。ユダヤ人女優なら、あれほど人気が出なかったと思う。バーバラ・ストライサンドみたいなユダヤ人女性では、美女 と設定されたヒーロー役は務まらない。リンダ・カーターはメキシコ系の母親を持つが、父親がイギリス・スコット系白人なので、その美貌を活かしミス・ワー ルドUSAでアリゾナ代表になれた。歌手としてはイマイチだったが、ワンダー・ウーマン役で永遠のスターになれた。彼女の印象が余りにも強烈だったので、 後に作るワンダーウーマンの映画やドラマで、起用する女優の選考に難儀することとなったらしい。
(左:アーロン・スペリング/中央:イヴ・プラム/右:ジョディー・フォスター)
しかし、クレーマーは単純なTVプロデューサーではなかった。彼はNBCで『ドーン(Dawn :Portrait of a Teenage Runaway)』というドラマを制作したこともある。この作品は、家出をした10代の少女が、ハリウッドに行き売春婦として身を持ち崩すという内容で あった。まだ若かったイヴ・プラム(Eve Plumb)が、主人公「ドーン・ウェザビー」を演じていたのが印象的。不埒なドラマかも知れぬが、ハリウッドでは珍しくない。むかし、ロバート・デ・ ニーロ主演の映画『タクシー・ドライバー』で、ジョディー・フォスターが幼い娼婦を演じて話題になったが、ユダヤ人が支配するハリウッドでは社会的モラル は紙くず同然。フェミニズムが流行れば、それを題材としたドラマを作っても不思議じゃない。ワンダー・ウーマンは美人で魅力的なのに、妙に中性的であっ た。ドラマの中では同僚のスティーブ・トレヴァー大佐と親しくなるが、色恋に発展することなく、物語はもっぱら超人的能力による悪党退治。まるでレズビア ンのように見えてしまう。
(左:ファラー・フォセット/中央:ジャクリーン・スミス/右:シェリル・ラッド)
超人的ヒーローの番組が成功したなら、今度はもう少し現実的内容で、新たなヒーローを作りたいと思うだろう。そこで、『チャーリーズ・エンジェル』の登 場だ。1970年代当時、アメリカでは刑事ものドラマといえば、男性の警察官が主役のものばかり。『スタスキー・アンド・ハッチ』などがそうだ。ところ が、ABC局内では、三人の美女を主役にしたドラマの企画が持ち上がった。これまたユダヤ人で、名プロデューサーのアーロン・スペリング(Aaron Spelling)が手がけたという。今では有名になったジャクリン・スミス(Jaclyn Smith)やファラー・フォセット(Farrah Fawcett)も、当時は無名の女優だった。亡くなったファラー・フォセットはアメリカのみならず、日本でも大人気となり、カメリア・ダイヤモンドの CMにも登場したし、彼女の妹役で採用されたシェリル・ラッド(Cheryl Ladd)も日本で有名だった。ウィスキーのCMに採用されたりして、彼女の歌と共によく知られるようになった。当時の映画雑誌『スクリーン』や『ロード ショー』では度々取り上げられていたから、多くの日本人が覚えているだろう。またチャーリーズ・エンジェルでは、タニア・ロバーツ(Tanya Roberts)も有名になり、後に007シリーズでボンド・ガールになれた。三人の女探偵が事件を解決するドラマというのは、当時大きな賭であった。男 社会のアメリカでは女性捜査員など弱々しく思えたからである。しかし、こうした華奢な体の美女でも、力強く男勝りの能力を発揮するから、TVドラマは面白 いのかも知れない。でも、美女のビキニ姿という、視聴者向けサービスがあったから、人気が出たのだろう。それでも、男に負けない強い自立した女性、という イメージを社会に植え付けることには成功したのである。今では、頼りない男に、力強い女刑事という設定のドラマは珍しくない。
(左:チャーリーズ・エンジェルの宣伝ポスター/右:007のタニア・ロバーツ)
チャーリーズ・エンジェルもまた、女性が男と同様の能力がある事を示す、プロパガンダ・ドラマであった。番組プロデューサーのスペリングは、典型的左翼 ユダヤ人で、『アメリアについて(Something about Amelia)』というドラマでは、近親相姦というタブーに触れたし、『夜のリトル・レディーズ(Little Ladies of the Night)』では、家出少女と売春を扱ったという。(Ben Shapiro, Primetime Propaganda, Broadside Books, New York, 2011, p.179) スペリングがタッグを組んだレオナード・ゴールドバーク(Leonard Goldberg)も、コチコチの左翼。彼は更に過激な若手バリー・ディラー(Barry Diller)を引き上げたり、後にディズニー社の会長となるマイケル・アイズナー(Michael Eisner)とも同志であった。左翼リベラル派ユダヤ人のネットワークは、巨大な蜘蛛の巣のように張り巡らされているのだ。
(左:レオナード・ゴールドバーグ/中央:マイケル・アイズナー/右:バリー・ディラー)
弊害となるかも知れない特殊部隊
フェミニズムの害悪は映画界から実社会へと流れてしまった。フィクションの中で、超人的アマゾネスや女探偵が活躍したってどうってことないが、合衆国陸 軍でスーパー・ウーマン部隊が編成されてしまったのだから深刻だ。以前、人気女優のデミ・ムアー(Demi Moore)が出演した『G.I. ジェーン』という映画が公開され、そこそこヒットして話題になった。デミ・ムアーが海軍特殊部隊で初の女性隊員になるストーリーだが、最近、陸軍特殊部隊 に、女性だけで編成されたエリート・チームの存在が明らかにされた。(Melia Patria, Muriel Pearson, et al, Inside ‘Ashley's War’,Story of a Special Ops program That Put Woman in Afganistan Warzones,Abc News, April 21, 2015) 軍隊内の同性愛者問題だって、左翼議員のせいで排除できなくなったアメリカ軍は、またもや頭の痛い問題に悩むこととなった。このチームは中東アジア地域で 活動する秘密部隊で、アフガニスタンで現地人の宣伝慰撫を行ったり、女性にまつわる文化的摩擦を少なくしようとの意図を持って創設されたらしい。たとえ ば、イスラム教徒の家庭に踏み込んだ場合、男のアメリカ兵が女性の身体検査をすれば、イスラム教徒の男が激怒するからだ。女性兵ならムスリム女性が何か隠 し持っていないかを抵抗なく検査できる。
(左:「G.I.ジェーン」の一場面/右:デミ・ムアー)
特殊部隊に選抜されるくらいだから、女性隊員は男並みの腕力や体力を有している。メーガン・カラン(Meghan Curran)大尉やエミリー・ミラー(Emily Miller)小隊長は、軍服を着ていなければ、普通のアメリカ人女性に見える。女性であっても武器の取り扱いや、重い荷物を持って行動することは可能 だ。オリンピック選手や格闘技選手を見れば、女性でも男性以上の身体能力を持つことは理解できよう。しかし、こうしたスーパー・ソルジャーであっても、女 であることに変わりがない。例えば、女性兵士が小隊か中隊に配属され、戦場で闘ったとしよう。敵の指揮官は女性兵をわざと狙って、他の兵士をおびき寄せる かも知れない。例えば、一人の女性兵を殺さぬよう狙撃して、わざと戦場で負傷させる。まだ息があり、苦痛に叫ぶ彼女を助けるために、部隊の男どもはこぞっ て彼女を救おうと飛び出す。そんな兵士を敵のスナイパーは、次々と狙い撃ちするだろうから、部隊のの損失は重大になる。一人の女性を餌に、二人三人と仲間 を殺すことができるだろう。何が何でも女を救う文化圏の弱点を、敵軍は必ず突いてくる。指揮官といえども部下の無鉄砲さをすべて統率できない。
(左:エミリー・ミラー/右:特殊部隊のアシュリー・ホワイト)
女性部隊の導入は政治的リスクも考慮せねばならない。もし、彼女たちが実戦投入され、戦場で敵軍に捕まった場合、アメリカ軍司令部や合衆国政府はどうす るのか? テロリスト兵が白人女の兵卒を生け捕りにして、輪姦したらアメリカの輿論(よろん)は激昂するに決まっている。それに、もしISILのようなテロリスト集 団が、拘束した白人女を強姦したり、斬首したりする映像をインターネットに流したらどうなるのか? 男の兵卒なら拷問はあっても、強姦はないだろう。しかし、エリート女性部隊には、試験成績の良い中流階級の白人女性が多い。憎しみに満ちたムスリム・ゲリ ラ兵は、喜んで生け捕りにした高級白人を淫売のようにいたぶるだろう。こんな事が起きれば、冷静な政治家でもお手上げだ。気がかりなのは、中東戦争を拡大 させたいグローバリスト集団が、わざと女性部隊の情報を流して、子飼いのテロリスト部隊に襲撃させる、といった八百長を仕組むかも知れないからだ。世間が 同情を寄せるような白人女を捕虜の中から選んで、薄汚い下郎に輪姦させ、それを録画して全世界に流す。合衆国政府が規制したって、どこかの国のジャーナリ ストが報道するだろう。センセーションを呼ぶ映像は、アメリカの輿論を簡単に動かし、陰謀組織に買収された議員は、強姦されたり殺害された女性兵士の報復 を煽るだろう。こうなれば大統領は中東地域に大規模な征伐軍を送るしかない。まさか、復讐をしないとの選択はしないだろう。それよりむしろ、徹底した殲滅 作戦を提唱した方が人気が上がる。こうなれば、中東戦争の泥沼化を望む者たちはほくそ笑む。軍隊に男女平等を要求する馬鹿なフェミニストのせいで、アメリ カ人はもっと大きな戦争に巻き込まれるだろう。戦場に女を出してはならない、というタブーを破った国は必ず報いを受ける。
(左と中央:イスラム・テロリスト/右:メーガン・カラン)
女性は知能や技能において、男性と同等の結果を出すことができるだろう。しかし、忘れてはならないのが、女性は細胞の一つ一つに女性の刻印を押されてい るということだ。染色体が違えば、体のつくりは違ってくるし、脳味噌だって男と女では異なる。脳が異質ならば、精神だって同じわけがない。運動競技で男ま さりの女性でも、野蛮な男どもに捕まれば、強姦の対象となってしまう。こうした下劣な者には、男女平等だとか、人道に反するといった寝言は通用しない。上 流社会出身の才女であれ、下層階級のあばずれでも、単なる女といった肉の塊で、性欲の対象になってしまうのだ。ケダモノに輪姦されて解放された女性を引き 取る親や兄弟、友人、世間一般はどう反応するのか? 娘が従軍するのを許した親は後悔するだろう。家族の哀しみと世間の激昂は収まりがつかない。女性が不利な分野でも、女性の進出を主張するフェミニストは責 任がとれるのか? こうした左翼に限って、肝心な時には無口になるものだ。中には雲隠れをして、ほとぼりが冷めるのを待つ奴がいる。権利を主張する時は勇ましく、責任が問わ れる時は卑怯に振る舞う。我々はフェミニストの口車に乗ってはならない。男女は不平等が自然だ。日本では、男の役割と女の役割が別れていたが、それで社会 が潤滑に回っていたし、幸せなことも多かった。フェミニストに賛成して不幸になるより、昔の日本的価値に戻った方が賢明であろう。
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慈善は他人の為なにず
慈善家は一つ間違えば偽 善家になる。大金持ちが慈善活動をするのであれば、自分のお金だけを使えば良いのであって、他人に迷惑をかけたり、公共の利益を損ねることは慎むべきだ。 日本財団を率いる笹川陽平は、確かに医療や福祉の面で良いことをしているが、その中に反日行為を混ぜるからタチが悪い。彼が財団のお金を外国人に注ぎ込む のは勝手だが、日本国籍をフィリピン人に与えようとする意図には、何か邪悪な思想が紛れているように思えてしまう。
(左/笹川陽平)
2015年4月17日附産経新聞の『正論』欄で、笹川氏は「比残留2世の『国籍取得』を急げ」というコラムを投稿した。戦争中、日本の軍人や軍属の国民 がフィリピンに渡った時、現地の女性との間にもうけたのがフィリピン2世である。笹川氏はこの日比混血児が貧乏生活しているから、日本国籍を与えてやれと いう言いたいのであろう。多くの混血児が「敵国の子供」とみなされ、ゲリラによる襲撃を受けたから、父親を証明する書類を持たないという。フィリピンでは 父系血統主義だから国籍が取れないらしい。それなら、笹川氏はフィリピン政府に日比混血児にフィリピン国籍を授与するよう求めれば良いではないか。彼らの 生活基盤はフィリピンにあるし、日本語だって理解できない者が多いだろう。日本に移住して普通の生活などできまい。それでも日本国籍を欲しいのは、豊かな 生活と何らかの補助金が目当てなのだろう。父親が日本人という大義を掲げて、日本に移住したいのではないか? もし、日比2世が国籍を取得したら、彼らの家族、すなわち配偶者、兄弟、子供、孫も日本に移住できるだろう。これを「連鎖移民(chain migration)」というが、先進国はこうした大量移民に悩んでいる。一人が国籍を取得すると、次々と家族や親戚が移住してくるのだ。
笹川氏は「敵国人の子」と見なされた日比混血児の境遇に同情している。しかし、戦後になっても迫害したのはフィリピン人だし、この哀れなフィリピン人を 無視してきたのはフィリピン政府だ。フィリピン人は日本からの経済援助をもらっていたが、一体いくら日比混血児の為に使ったのか、笹川氏は提示すべきであ る。フィリピン政府は戦争中の状態を承知していたのだから、戦争終結をもって戦争孤児の面倒を見るべきだったのではないか? しかも、母親がフィリピン人と判明している日比混血児に、フィリピン国籍を与えても問題ないはずだ。日本人とセックスして妊娠したからといって、フィリピ ン人と認めなかったのは、その混血児たちに何ら価値が無かったからだろう。フィリピン政府には同胞意識が薄く、特に貧乏な土人に対して冷たい。スペインか アメリカの血を引く者が上流階級に多く、南方黒人の子孫たるフィリピン人を見下している。支那系フィリピン人も、タガログ族などの原住民をよそ者扱いして いるのだ。しかし、フィリピン人同士が互いに侮蔑し合うことは彼らの勝手だし、フィリピン国内での身分差別だって日本人の知ったことではない。フィリピン 政府が日比混血児を蔑ろにしたからとて、我々が引き取って面倒をみてやる必要はないだろう。
(写真/子宝に恵まれるフィリピン人の母親)
日本国民の中には、父親が日本人なのだから、日本国籍を与えるべきだ、という意見の人物もいるだろう。しかし、戦後日比混血児を父親が引き取らなかった のは、何も子供の存在を知らなかっただけではなかろう。確かに、戦死したり行方不明になった日本人もいたから、父親が引き取れなかったケースもある。それ なら、日本にいる戦歿者の遺族が引き取っただろうか? 彼らの両親や弟あるいは妹が、フィリピンにまで行ってその混血児を家族にしたとは思えない。また、フィリピンで日本の将兵をBC級戦犯として処刑してし まった、アメリカ軍の責任はどうなるのか? 笹川氏はアメリカ政府に、混血児の父親を殺した罪を咎めて、賠償金を求めようとするのか? それに、日本兵の何人かは、悪意あるフィリピン人証言者のせいで死刑になった。こうしたフィリピン側の罪も、笹川氏は糾弾したのか? 戦争中、フィリピン女とセックスしたが、戦後帰国した日本人は、別の女性と結婚して家庭を築いてしまったから、フィリピンにいるかも知れない自分の子供を 見捨てたのではないか? 戦後のどさくさが片付いて、高度成長期に入ったのに、フィリピンの子供を探しに行かったのはなぜか? また、日本政府に懇願して、フィリピン政府と交渉してくれ、と要求したのか? 何人が田中角栄のような有力者に請願したのだろう? 言いづらいことだが、日本人の父親たちはフィリピン人との子供など、どうでもよかったのではないか、と推測したくなる。
(左:食事を取るフィリピン人親子/右:海水浴を満喫する混血家族)
どの時代の戦争でも悲惨な出来事が起こるものだ。もし、大東亜戦争がなかったら、日本兵がフィリピン人女とセックスして子供を作ることはなかったろう。 そもそも、戦前の一般男性にフィリピン人と結婚するという発想は無かった。戦争になって、明日をも知れぬ命だから、性欲が湧いて現地女とセックスしたのだ ろう。中には、女郎買い気分で、フィリピン女を抱いた者もいたはずだ。フィリピン女には気軽に外人とセックスする者が多い。それに、当時の日本人で、フィ リピンの素人娘や売春婦とセックスしたから、嫁にするため故郷の両親に紹介しようとは思わなかったろう。フィリピン土人やフィリピン系華僑の女を、田舎に 住む家族のもとへ連れて行き、跡継ぎを産む婚約者です、と紹介できたのか? まず、両親が反対するだろう。日比混血児の孫など嫌だ、と言われたら勘当覚悟で結婚するとも思えない。当時は親孝行が現在よりも濃厚だった。しかも、言葉 や風習が違う日本で、フィリピン妻が暮らすとなれば大変だ。顔つきの違う混血児が日本の田舎でいじめられたり、肩身の狭い思いをすることは、父たる日本人 がよく判っている。日本人男性の多くは混血児が居ると推測しても、敢えてフィリピンに行って捜索せず、そのまま黙殺しようとしたのではないか?
(左/笹川良一)
笹川陽平は父の良一と同じくアジア主義者で、何かとアジア人を日本に引きずり込もうとする。たとえば、笹川氏は日本財団を使って、自衛官と支那軍人の交 流を促進していた。これは危険なイベントで、自衛官を支那人に紹介することで、支那軍人に自衛官を取り込むチャンスを提供するようなものだ。支那人は自衛 官と面識を持ち、自衛官に擦り寄ろうとする。「同じ軍人として」とか「貴国の自衛隊は素晴らしい」などとお世辞を言いながら、自衛官の自尊心をくすぐり、 彼らの弱点を探そうとする。自衛官も人間だから、私生活では何らかの悩みを持つ。恋人に困っているようなら、それとなく女を用意して、偶然の出遭いを演出 することだってあるだろう。笹川氏が日支交流促進を開催する真の目的は何なのか? 個人としては無防備の自衛官に、陰謀の天才支那人を接近させる笹川氏に、一体どんな利益があるのか、ぜひ知りたい。
笹川氏が日比混血 児2世に日本国籍を与えようとするのは、彼が救世主願望を持っているからではないか? これは慈善家に多く見られる特徴で、後進国の貧民を助けることで、自分が神様みたいな存在に思えてしまう。救世主になった快感は最高だ。権力を持つ大富豪 が悲惨な国に行き、貧乏な子供や病人から感謝されると、自国では味わったことのない恍惚感が得られる。これが堪らないのだ。お金持ちだから、気前よく物や 金をばらまいても平気だし、場合によっては、自国政府に働きかけて、国際援助まで引き出してしまう。だから、日本国籍など無料だから日比混血児に呉れてや れ、という考えになる。日本の先人が苦労して守った子孫への遺産とは考えない。日本国籍を欲しがるフィリピン人だって、歴史的共同体の一員として日本国民 になるのではなく、福祉が充実した金満国家へのパスポートが手に入る、といった計算がその動機だろう。憧れの日本だから良いのだ。南鮮国籍なら要らない。 朝鮮人とセックスして混血児を産んだからといって、捨てられたフィリピン人親子は南鮮に住みたいとは思わないだろう。あんな酷い国なら、フィリピンの方が マシである。一見すると左翼に思えない笹川氏は、保守系新聞の産経に登場するが、朝日・毎日新聞の専属コラムニストになってもおかしくない人物である。
日本人の勝手なフィリピン像
(左:バーでわんぱくなフィリピン娘/右:夜勤のフィリピン女性たち)
フィリピンの特産品は売春婦と召使いと言われるくらい、国家として「アカンタレ」の部類に入る。外国から援助を受けているのに、いつまで経ってもどうし ようもない国とは情けない。大東亜戦争の時に、日本人は大東亜会議を開いて、西欧列強の支配からアジア諸国を解放してやろう、と唱えたが大きなお世話だっ た。フィリピン人は日本の支配など望んでいなかったのだ。日本人より“高級な”アメリカ人による支配の方を好んだという。山本書店の経営者だった山本七平 (やまもと・しちへい)少尉は、戦争中フィリピンへ派遣されて、日本軍の欠点をつぶさに観察していた。そして戦後、山本氏は日本人の勝手な思い込みを批判 したことがある。当時の日本人は自分が東亜解放の盟主だから、相手は双手をあげて自分を歓迎してくれて、あらゆる便宜をはかり、全面的に協力してくれるに 決まっている、と考えていたようだ。(山本七平 『日本はなぜ敗れるの』 角川書店 2004年 p.125) フィリピンに到着した山本少尉は、東亜解放を口にしていた日本人の実態を語っている。彼は朝から晩までフィリピン人への悪口を聞かされていたそうだ。「ア ジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅ぼすなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「勤労意欲は 皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々。(p.148) アジア主義を掲げる当時の日本人は、フィリピン人にも独自の考え方があり、歴史的経緯もあるのだから、共に話し合って共通項を模索しようという意識が無 かったらしい。したがって、一切の対話は無く、「文化的無条件降伏」をフィリピン人に強いたと言うのが実情だった。
(左:支那系フィリピン人親子/右:支那人に抗議するフィリピン人)
フィリピン人は誰かに支配されていることが普通だし、そもそも自治能力があるのか疑問だし、あったとしてもかなり低いのではないか。同じフィリピン国民 なのに、スペイン系と支那・華僑系、マレー系、原住民系で分裂し、国民的絆というのもはない。だから、貧民階級は半永久的に下層のままである。日本にセミ 売春婦としてやって来たフィリピン女は、日本人との自由セックスや姦通を行い妊娠するケースが多い。フィリピンには、恋人や亭主に捨てられたまま私生児を かかえる母子家庭や、実家に戻って酌婦をしながら子供を育てる女性がたくさんいる。父親のいない家庭でも恥ずかしくないのは、フィリピン男性に古代ローマ の才幹(virtues)や日本の武士道に当たる美徳がないからだ。不甲斐ないフィリピン男に対する、フィリピン女の愚痴はよく聞くから、フィリピンには 「男らしい」男性が少ないのだろう。騎士道精神が発生しなかったフィリピンでは、立派な躾をする家庭が理想とされることはなかった。 在日フィリピン人には、子供をダシにして日本に永住しようとする女がいっぱい居るし、補助金をもらいながら生活することを恥ずかしいとは思わない。日本国 籍を持つ日比混血児は、「お前のかあちゃんは裸踊りが得意」と他人からからかわれたらどんな気持ちになるのか? しかも、自分の母親の祖国は、国民を蔑ろにする三流国家で、家内奴隷と淫売とバナナの輸出で成り立つと分かれば、とてもお国自慢などできない。鏡に映った 自分の顔を眺めると、南方土人の面影があったりする。縮れ毛の髪を毎日梳かしながら、自分の体に流れるフィリピン人の遺伝子を意識するのだ。それでも、ス ペイン人の血が僅かでも流れていれば、ちょっとは嬉しいかも知れない。
こんなフィリピンを併合したアメリカ人ではあるが、最初から フィリピン支配を望んだわけではなかった。当時は、アメリカ国内でも植民地化について、議員が賛否で分かれていたのだ。今だと、アメリカ人の大半が、フィ リピンの領有があったことさえ知らない。在比米軍基地の存在は知っていても、その経緯は学校で具体的に教えていないのだ。日本人の朝鮮統治を非難するアメ リカ人でも、合衆国のフィリピン統治については無知という者が多いから呆れてしまう。
戦争を煽るイエロー・ペーパー
(左/戦争を欲するイエロー・ジャーナリストの風刺画)
アメリカ人は自分を棚に上げて、他人を非難することが三度の飯より好きだ。地理的に近いからキューバに対する、スペインの厳しい支配が気になったらし い。キューバ人がスペイン統治に謀反を企てたので、スペイン政府は容赦ない鎮圧を行った。しかも、強制収容所に入れられた囚人の扱いが酷かったという。 ちょっと聞けば、残酷なようだが、キューバ人の性質を分かっている者にとったら、こんなの当然である。甘い処罰は再度の叛乱を招くからだ。しかし、その窮 状をウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolf Hearst)やジョゼフ・ピュリッツァー(Joseph Pulitzer)の赤新聞が大々的に書き立てた。(サムエル・モリソン 『アメリカの歴史』 第4巻 西川正身 訳 1997年 p.240) 当時、スキャンダルを争って記事にし、売上げを伸ばそうとしたメディアを人々は、「イエロー・ジャーナリズム」と呼んでいた。日本人もよく 知っているだろう。元々新聞記者など昔は「羽織ゴロ」と呼ばれていたくらいで、社会的に蔑まれていたから、ロクな連中ではない。驚いたことに、ハーストや ピュリッツァーは世間の注目を集めるためなら嘘でもついた。
(左:ウィリアム・ランドルフ・ハースト/中央:ジョセフ・ピュリッツァー/右メイン号)
ハーストやピュリッツァーは対スペイン戦争の気運を盛り上げるために、キューバ人にとって不都合な事は黙殺したが、スペインにとって不利になることは誇 張して伝えたのである。たとえば、キューバ人叛乱軍に、マキシモ・ゴメス(Máxmo Gómez)というドミニカ生まれの頭目がいたが、こいつはキューバの民衆に対して残虐行為を繰り返していた。スペイン人を経済的に困らせて追い払うた め、島のあちこちに放火して、サトウキビ畑を焼き払ったのである。ゴメスに協力することを拒んだキューバ人は「裏切り者」として木に吊されたり、鉈(なた /マシェト)で斬殺されたという。ゴメスは夜になると小さな村を襲撃し、掠奪が終わるや村に放火したのだ。ゴメスは農民の息子を無理矢理兵隊にしたり、反 抗する者は容赦なく処刑した。こうした横暴を見て民衆に戦慄が走ったのも当然。やりたい放題のゴメスは民衆の敵となり、彼が作物を焼き払ったせいで、 キューバでは飢饉が発生したという。ハーストやピュリッツァーの新聞社は、その飢饉を除いてゴメスの極悪非道を報道しなかった。日本の新聞社と同じで、 「報道しない自由」を行使していたのだろう。
(左:マキシモ・ゴメス/右:ヴァレリアノ・ウェイラー)
戦争を煽る黄色いジャーナリストは、スペインを貶めるためなら偽の事件まででっち上げた。彼らはスペイン人のキューバ総督ヴァレリアノ・ウェイラー (Valeriano Weyler)を「屠殺人ウェイラー(Butcher Weyler)」と呼んで、冷血な悪魔に仕立て上げた。根も葉もない虐殺事件を書き立てて、スペイン人は神父を焼き殺した、なんて報道したのである。いく らなんでもカトリック教国のスペインが、聖職者を捕らえて炎に包むわけないだろう。ハーストの「ニューヨーク・モーニング・ジャーナル」は、1896年 10月6日の記事で、「サメの餌にされたキューバ人(CUBANSFED TO SHASRKS)/夜に聞かれた叫び声」というヘッドラインを掲げていたのである。これじゃマフィア映画の殺害シーンみたいだ。日本人が知らずに尊敬して いるピュリッツァーは、自分の新聞「ニューヨーク・ワールド」紙に、「襲撃された病院(RAIDED A HOSPITAL)/40名以上の病人・負傷者が惨殺される」との見出しをつけていた。ところが、ワールド紙が伝えた病院はどこにも存在していなかったと いう。つまり、蜃気楼のような病院で、被害者も幽霊であった。日本の朝日新聞の魁(さきがけ)を見ているみたい。スペインに対する世間の怒りを煽るため に、ハーストは捏造記事を堂々と掲載していた。1896年12月には、スペイン人が「300名ものキューバ人女性を殺害した」との見出しを掲げて、スペイ ン兵が無抵抗の囚人を撃ち殺した記事を伝えていたのだ。(James Perloff, Spanish-America War: Trial Run for Interventionism, The New American, 10 August 2012)
(左:ジョージ・ケナン/中央:ジョン・ケネディー/右:アーサー・シュレッシンジャー)
現在の日本人は「ピュリッツァー賞」と聞けば、権威ある立派なものと思っているが、その創設者はとんでもない人物であることを知らない。ジョセフ・ピュ リッツァーは、ハンガリーからのユダヤ移民で、商人ジャーナリストであった。「セント・ルイス・ディスパッチ」や「ニューヨーク・ワールド」といった新聞 社を買収すると、スキャンダルやセンセーショナル記事を主流にし、どんどん売上げ部数を増やして銭儲けに邁進した。こうして貯め込んだ銭をコロンビア大学 のジャーナリズム学部に寄附して、「ピューリッツァー賞」が誕生したのである。左翼の巣窟コロンビア大学から飛び立ったジャーナリストが受賞すれば、日本 レコード大賞をもらった音痴のアイドル歌手みたいなものだ。審査員を子飼いにする藝能事務所が、所属歌手に大賞を与えて、人気者にする手口に似ている。権 威を高めるため、有名人に賞を与えて表彰してやったのだ。たとえば、1957年にはジョージ・ケナン(George Kennan)が受賞し、1968年に再度受賞した。大統領になる前のジョン・F・ケネディー(John F. Kennedy)も1957年に受賞しており、彼のアドヴァイザーになったアーサー・シュレシンジ(Arthur Schlessinger, Jr.)も受賞していたのである。しかし、ピュリッツァー賞はほとんど左翼的知識人か極左ジャーナリストに渡されているのだ。我々がよく知っているジョ ン・ダワー(John W. Dower)は、歴史家を装った極左活動家であるが、2000年に『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)』で受賞した。1990年にはあのニコラス・クリストフと その妻が共同で受賞し、2006年再び賞を貰えたのである。また、創設者がユダヤ人だから、ユダヤ人が仲間どうして褒め合っても不思議ではない。したがっ て、米国に於けるイスラエルの代理人として有名なノーマン・ポドレッツ(Norman Podhoretz)が、ピュリッツァー賞を貰えても当然だ。受賞者リストを見れば、ほとんどがリベラル派で、保守派アメリカ人は僅かばかりで、数えるほ どしかいない。ロクでなしユダヤ人がつくった賞なんかを有り難がる日本人は、褒める前にその実態を調べるべきである。
(左:ジョン・ダワー/中央:クリストフ夫妻/右:ノーマン・ポドレッツ)
マス・メディアによる世論操作は昔からあった。新聞社による偽りの残虐記事や亡命キューバ人の話で、アメリカ人の対スペイン同情が激昂したという。そこ で聯邦議会がキューバ問題に対して「何らかの手を打つよう」繰り返し政府に迫ったが、クリーヴランドおよびマッキンレー両大統領は、何らそれに応じなかっ たらしい。ところが、1898年2月15日アメリカの軍艦「メイン号」がハバナ港停泊中に爆破されて、多数の犠牲者が出てしまった。これがキッカケで開戦 の輿論が一挙に高まる。海軍審査裁判所によれば、爆発は機雷によるもので、外部から仕掛けられたという。(3月28日に報告された。) ただし、本当の原因は未だに確定されていない。それゆえ、陰謀論が囁かれているのである。真相は闇の中でも、この事件を機に「メイン号を忘れるな (Remember the Maine)」というフレーズが流行し、合衆国政府もその重い腰を上げざるを得なくなった。
フィリピンの運命は原住民と別にある
(左/米西戦争を揶揄した絵)
ウィリアム・マッキンレー(William McKinley)大統領は即時休戦、捕虜の釈放など、スペインのマドリード政府に最後通牒となる覚え書きを送った。キューバ総督は反乱軍側に休戦を申し 込んだり、マドリッド在住のアメリカ大使は、スペインの対面を傷つけずに事態を丸く収めようと努力したらしい。しかし、ハーストやピュリッツァーのような イエロー・ジャーナリズムは世間を焚きつけるし、聯邦上院議員ヘンリー・カボット・ロッジ(Henry Cabot Lodge)のような若手共和党員は開戦を強く要求していたのである。そこで、どうしようか迷ったマッキンレー大統領は、しばらく祈りを捧げて、ようやく 開戦を決意したという。他方、ジョン・ヘイ国務長官はこの対スペイン戦を「素晴らしい小さな戦争」と呼んだのである。(上掲書 p.242) 表向き正義の戦争を口にしていたが、米国はこのキューバ問題を奇貨として、太平洋に進出しようとしたのだ。米西戦争を仕掛けた真の目的は、 フィリピン所有にあったのではないかと思えるくらいである。
(左:ジョージ・デューイ/ウェスリー・メリット/ヘンリー・カボット・ロッジ/右:フランシス・グリーン)
宣戦布告から一週間経って、ジョージ・デューイ(George Dewey)提督は太平洋艦隊を率いてマニラ湾に入り、一名の犠牲者も出さずに、スペイン艦隊を壊滅できたという。かつては無敵艦隊を誇っていたスペイン も、零落(おちふ)れて昔の面影すら無い有様。米国を上回る数の装甲巡洋艦と水雷艇を有していたのに、スペイン艦隊の乗組員は訓練なんてそっちのけ。軍の 頽廃は全体に及び、将兵ともどもたるんでいたのだ。しかし、アメリカ人も偉そうなことは言えなかった。海軍は立派でも、陸軍の装備はお粗末で、正規軍はク ラッグ・ライフルが渡っていたが、15万人の義勇兵にはスプリングフィールド銃と黒色火薬が支給されていたのである。まあ、それでも簡単にアメリカ人が フィリピンを制圧できたのは、フィリピ側指導者のエミリオ・アギナルド(Emilio Aguinald)が米軍のフランシス・グリーン(Francis V. Greene)准将にまんまと騙されしまったからだ。詳しい戦況は省略する。ただ、アメリカ兵はスペイン兵からの形式的抵抗を受けたが、ほぼ無傷でマニラ 進軍を果たしたらしい。デューイ提督とウェスリー・メリット(Wesley Merritt)米軍司令官は楽勝でフィリピンを掌握することができた。
(左と中央:米西戦争の風刺画/右:エミリオ・アギナルド)
アメリカ軍に反抗できないスペインは、和平の条件を打診してきた。マッキンレー大統領は、条件として、キューバからスペイン軍の即時撤退、期限付きの キューバ放棄、プエルトリコおよびマリアナ群島にあるグアム島の譲渡、それにマニラ湾の占拠を要求したのである。1898年10月1日にパリで、アメリカ とスペインの和平交渉が始まった。アメリカ人が嫌われることの一つに、その偽善的思考が挙げられる。当時、アメリカ人は戦争を人道(humanity)の 為に闘うものと見なしていて、領土拡大を目指した闘いとは思っていなかった。(Maximo M. Kalaw, The Case for the Filipinos, The Century Co., New York, 1916, p.25) ところが、その実態は理想とかけ離れていた。アメリカ合衆国は表向き、スペインのフィリピン支配を非難していたが、本音では東南アジアへの海路を確保した いとか、タバコや砂糖の栽培で利益を上げたい、未知の天然資源を採掘したい、といった下心があったのだ。それに、フィリピンの先には巨大な人口を抱える支 那大陸があったから、この南国を支配するのは厄介でも、巨大市場への橋頭堡を確保したという満足感があった。アメリカ人は人が溢れる国を見ると、すぐ商売 で儲かるチャンスと思ってしまう。支那が詐欺師や匪賊の棲息地ということが分かっていなかった。
(左:クシュマン・デイヴィス/中央:ウィリアム・フライ/右:ホワイトロー・リード)
アメリカ国内では、フィリピン領有に関して賛否が分かれていた。フィリピン併合に賛成だったのは、上院外交委員会のクシュマン・デイヴィス (Cushman C. Davis)上院議員、同委員会所属のウィリアム・フライ(William P. Frye)上院議員、元駐フランス大使のホワイトロー・リード(Whitelaw Reid)であった。それぞれが独自の見解を披露して、議論を闘わせていたのである。
ウィリアム・デイ(William Day)国務長官は、フィリピンは合衆国にとって利益というより、むしろ負担になるのではないかという意見であった。もし国益になるとしたら、海軍と商売 のみに貢献するだろうと予測し、ルソン島とその周辺諸島だけ取得せよと提言していたのである。もし、フィリピン諸島全部を併合するとなれば、破産した国民 を背負い込むことになると警告していたという。文明人になれる潜在能力(ポテンシャル)や活力、気概に欠けるフィリピン人を見れば、デイ国務長官の意見は 常識に沿うもの言えるのではないか。
フライ上院議員はフィリピン全部を取ることに賛成し、1,000万ドル相当の純金を支払おうと持 ちかけた。フィリピン人にそれだけの価値があるかは不明だが、彼らから何かと巻き上げれば良いと思っていた節がある。彼はスペイン側に、500万ないし 1,000万ドルくらい支払うことを提示した。
ジョージ・グレイ(George Gray)上院議員は以前、フィリピン全部はおろか、どの一部も併合すべきではないという意見であった。しかし、フィリピン全土を取得する条約締結が失敗 に帰すれば、それは合衆国の伝統と文明を貶めることとなると危惧したらしい。そこで、平和条約による領土譲渡の形式にすれば、合衆国の威厳を傷つけずに済 むという理屈であった。何てことはない、領土簒奪ではなく、和平による譲渡にしようという訳だ。
リード大使はスペインが金欠なら、戦時賠償を領土で支払うべし、との意見であった。そして、フィリピンとカロリン諸島の代金として1200万から1500万ドルを支払うと提案していた。ただし、ミンダナオとズールー島は含まないと主張していたという。
デイヴィス上院議員は妥協を許さぬ意見を持っていた。合衆国は一銭も払わずに、フィリピン、プエルトリコ、グアムそしてキューバの主権をスペインに要求 すべし、と強硬な態度に出ていた。(pp. 37-38) これこそ、典型的な勝者の命令であろう。負けた国がつべこべ文句を言うな、という考えである。フィリペ二世が統治していた頃の、スペイン・ハプスブルク家 が聞いたら何と思うのだろうか? 凋落した帝國は惨めである。スペインの太陽は沈んだままで、朝日が再び昇るまでまだ数百年かかるのではないか?
(左:ウィリアム・デイ/中央:ジョージ・グレイ/右:ウィリアム・マッキンレー)
倫理的問題を気にしていたマッキンレー大統領は、如何なる決断を下すべきか長いこと躊躇っていたらしい。まさか、スペインに対し戦争の賠償を求めないわ けにも行かないし、かといって歐洲列強のような帝国主義的政策を取るのも気が引ける。大統領はさんざん悩んだ挙げ句、最終的な結論に達した。「全フィリピ ンを併合するだけでは戦争で払った犠牲の代償として充分ではないが、さりとてフィリピン人を再びスペインの手に戻すわけにも行くまい。我々の行為は正当化 されるのか、それにまた、我々は他の列強に渡すことができるのか。望むと望まぬとに係わらず、アメリカ人には逃れられぬ義務がある」という主旨をマッキン レー大統領は発表した。(p.39) 彼はフィリピンを併合して、その民衆に教育を施し、彼らを精神的に向上させ、文明化してキリスト教徒らしくさせる、という意志を固めたそうだ。あれ? これ何か聞き覚えがある。日本人が示した朝鮮統治の理念みたいなことを、アメリカ人は日本人より先に実践していたのだ。しかし、異民族統治は日本人の方が 遙かに成功していたし、その業績は米国のフィリピン統治よりも格段に上である。これはアメリカの保守派知識人なら認めざるを得ないだろう。日本の朝鮮統治 を非難しているのは、歴史に無知な左翼アメリカ人がほとんどだ。まったく日米共に、しょうもない民族を抱えたものである。
色々な意見 が交わされたが、外交委員会は、フィリピン諸島すべての割譲要求を決定し、必要ならばスペインに1000万から2000万ドル支払うことにする、との結論 に達した。注目すべき点は、委員会の誰もフィリピン人の将来について考えていなかったことだ。グレイ議員によれば、すべてがビジネス交渉みたいに進められ ていたそうだ。マッキンレー大統領も、フィリピンを全面的に併合するか、アジア地域から撤退するかの選択肢しかなかったらしい。それに、デイヴィス議員に よれば、支那を望む商業拠点の確保の方がより重要な問題だし、ワシントン、オレゴン、カルフォルニアといった西海岸の州にとっても貿易で潤うチャンスで あった。最終的に、合衆国政府は2000万ドルを支払うことで、スペインからフィリピンを取得できた。こうして両国間の条約は、1898年12月10日に 締結されたのである。(p.40)
(左:アメリカ軍/右:スペイン軍)
フィリピン諸島の値段は2千万ドルというが、それは土地だけの価格なのか、人間附不動産の総額なのかは定かではない。我々なら1人あたりのフィリピン人 の相場はいくらだったのか知りたいところだ。一説では当時フィリピンには800万人いると言われたが、スペイン人を除く人口が分かりづらい。もし800万 人なら1人あたり3ドルもしないし、土地の値段を引いたら、1ドルもしないかも知れない。フィリピン人1人の値段は、90セントとか75セントなのかも知 れないから、フィリピン史研究者の意見を聞きたいところだ。もしかしたら、アメリカ人支配者は、フィリピン人を不良債務くらいに考えていたのかも知れない ぞ。でも、フィリピン人の値段が、ハンバーガー1個の値段にも満たないとしたら、フィリピン系アメリカ人はどう思うのか? 現実の世界では、人間は平等でないし、上等な民族と格下の民族に分かれている。フィリピン移民を先祖に持つアジア系国民は、さぞアメリカ史を勉強すること が嫌になるだろう。そういえば、フィリピン系アメリカ人で高名な米国史研究者とか、愛国的歴史家の名前を耳にしない。やはり、自分たちの国とは思っていな いからだろう。
フィリピン土人の種族的特徴
(左:可愛らしいフィリピン原住民の少女/右:有名ボクサーのマニー・パッキャオ議員)
現在と違って、当時のアメリカ人は外国の有色人種について露骨な意見を述べる自由があった。フィリピン人は、だいたい現地土人と支那人・マレー人などの 混血民族であるが、黒い肌のネグリート(Negrito)が元々の種族と考えられる。ジョセフ・スティクニーによれば、この黒色土人を精神的・肉体的面で 測定すれば最低の部類であるそうだ。(Joseph L. Stickney, Admiral Dewey at Manila, J.H. Moore Company, Philadelphia, 1899, p.247) このフィリピン諸島は、どう見積もってみても文明国にはならない、と判断されたようだ。ニグリートは他のアジア民族からも嫌われていた。スペイン人に支配 された時だって、侵入してきたマレー人はニグリートと対立して、彼らを虐殺したのである。この原住種族はアフリカ黒人と違うが、縮れ毛で肌が黒く、粗野で 不快な顔つきをしているという。(p.248) 彼らは農業をせず、森にある天然の食物に頼り、毒矢で射止めた動物を食していた。戦前、日本人も南方土人の調査をしていたので、フィリピン土人について書 き記している。フィリピンのカリンガ族やモロ族という種族については、
大変水浴が好きですが、その他のフィリピン人は水浴をしませ ん。暑い国ですから、水浴をするのがあたり前なのですが、どういふものか、フィリピン人はあまり水浴を好まないのです。ですから、暑さにむされて、自然に 不潔になつてしまひます。ネグリート族はフィリピン人のなかでも、特に未開人ですから、風呂にも入らず、水浴もしないので、肌に触ると魚の鱗をはがすよう に、ぼろぼろと皮膚がむけて落ちるという有様です。髪の毛の中には虱(しらみ)が沢山わかしていて、天気のよい日には、木陰で互いに虱を取り合っていま す。雨が降つたりすると、ぬれて頭がかゆくなるので、腰に巻いているタビスという布をはづして、髪の毛がぬれないようにしています。(窪田文雄 『南洋の子供たち』 東亜堂 昭和16年 pp.48-49)
(左:フィリピンの伝統的踊りを披露する人々/右:フィリピン島の原住民)
フィリピン土人の容姿が異様なだけでなく、その生活習慣も異質であった。肌を触ると鱗のような垢がボロボロ落ちるなんて、現在の日本人ならゾっとするだ ろう。でも、これがフィリピン原住民が持っていた伝統的生活様式なのだから、我々は理解せねばならない。学校ではこうした記述を教えないようにするが、か えってフィリピン人に対する偏見を助長する。それぞれの日本人がどのように感じるかは、本人の判断と自由であって、学校教師や文部官僚が勝手に判断して検 閲するのはおかしい。我々は学校で西洋人の奴隷制度だってしっかり教えているのだから、フィリピンについてもきちんと教えるべきだ。
(左:の二人伝統的刺青を彫った少女たち/中央:刺青を彫ったフィリピン人男性/右:森で狩りをするフィリピン人)
フィリピン人を日本の同胞にすることへの抵抗
日本人はアジアに対して妙な引け目や遠慮があり、本音を語ろうとはしない。笹川氏が自己満足のために、窮乏化した日比混血の老人を日本へ呼び込もうとし ている。しかし、日本人はこのフィリピン人たちを日本人として迎え入れるのか? 確かに、彼らは日本人の父親をもってるのだろう。しかし、戦争という異常事態で、しかも異国で日本人が現地女とセックスをしたのだ。通常の結婚とは違うだ ろう。戦争でなければ、フィリピン人の遺伝子を我が子に注入しようとは思わない。しかも、笹川氏は戦後70年も経っているのに、日本政府だけに責任を求め る。フィリピン政府は迫害された日比2世を保護しなかった罪を謝って、賠償金を払ったのか? 長年にわたるフィリピン政府の無策を笹川氏は説明してくれない。これに関連して尋ねたいのだが、彼の父親笹川良一は戦争中の出来事に詳しかったのに、なぜ 早い時期、混血児の父親探しをしなかったのか? 父親が生存していたかも知れないのに。また、笹川良一はアメリカ兵に犯されて妊娠してしまった女性を支援して、合衆国政府に賠償を求めたのか? 黒人兵との混血児はエリザベス・サンダース・ホームに沢山いたが、彼らの父親を探すように米国に要求したのか? もし、見つかったらあの黒人混血児はアメリカ国籍を取得できたのだろうか? 日本人は戦後の強姦事件だって、悔しさを堪え我慢したし、マスコミに顔を晒して混血児にアメリカ国籍をと叫ばなかった。エリザベス・サンダース・ホームの 混血児たちは、自分で努力して自立していった。しかし、フィリピンで育った混血児は笹川氏の甘い言葉に乗って、日本国籍を取得しようとする。タダで高価な 日本のパスポートが手に入るのだから、フィリピン人はこぞって笹川氏を当てにするだろう。
(左:バーで踊りを披露するプロ・ダンサーたち/右:陽気な夜の勤労者)
何処の国の兵隊も外国に派遣されれば、女に飢えて現地の素人女や娼婦とセックスしてしまう。ベイナム戦争でもアメリカ兵は、現地の売春婦や農村の娘など とセックスして混血児を作った。しかし、彼らが郷里に戻った時、ベトナム人娼婦や田舎娘を両親や兄弟に婚約者と紹介しただろうか? 多くの兵卒は同衾(どうきん)した女と混血児をベトナムに置き去りにし、帰国してしまった。もちろん、混血児を引き取ったケースもあるが、大半は父親から 見捨てられた私生児である。ベトナムでは黒人兵との混血児はもっと惨めだ。村で黒いベトナム人は目立つし、娘の両親だって黒い孫を不憫に思ってしまう。黒 く生まれた子供は、世話をしてくれる母親を恨めないから、なおさら哀しい。村の大人は噂話で侮蔑するだろうし、子供たちだって娼婦の黒い私生児としてイジ メるだろう。アメリカのリベラル派や人権活動家は、混血児にアメリカ国籍を与えようとするが、アメリカ兵と勝手にセックスしたベトナム女性を責めない。彼 女たちが貧乏人だからである。貧乏だと倫理的責任は免除されるのだ。戦争で女に飢えた米兵が口にする言葉を真に受けて、セックスしたベトナム女性は愚か だったのに、その軽率さを左翼支援団体は叱らない。彼女たちの両親だって娘の簡単即席セックスを咎めないのだ。アメリカ兵に強姦された女性なら、個人賠償 を合衆国に求めればいいし、父親が分からないなら国防総省に全将兵のDNA検査をしろ、と要求すれはよいだろう。だが実際、そんなことは無理と分かってい るのだ。戦争中のセックス問題を戦後になってとやかく言い立てるのは不毛である。過去の戦争ではもっと悲惨なことがあるだろう。米国は枯れ葉剤の被害者す べてに国家賠償をしていない。ベトナム人被害者は数百万もいるのに、個人賠償をしていないのだ。このように、戦後になっても解決できない問題はあちこちに ある。笹川氏は日本政府なら容易にゆすることができると踏んだのではないか?
笹川氏のように偽善的反日主義者は、とにかく日本政府に は厳格な倫理的責任を求める。自国民を保護したり介護せぬフィリピン政府を糾弾しない。日比混血児の国籍問題なら、フィリピン政府が国籍を付与すればいい し、社会福祉もきちんと与えれば済む話だ。彼らが父親の墓参りをしたいのに、出国するにあたり罰金を取るフィリピン政府こそ非難すべき対象である。おそら く笹川氏たちはフィリピン政府が愚劣で二進も三進も行かないから、フィリピン政府より物分かりの良い日本政府を批判しているのだろう。本質的に甘い日本人 は、笹川氏の活動記事をよんで感動してしまい、日本国籍くらい直ぐに与えてやれはいいじゃないか、と安易に考えてしまう。この「ちょっとくらい」が危ない のだ。これを外国人は前例とし、次々と日本国籍を狙いにくるだろう。日本にアジア人があふれ出してから日本人は役所に怒るだろう。「責任者出てこい」と叫 んでも、当事者はとっくに退職しているか、あの世へ旅立っているかのどちらかだ。こんなはずじゃなかったのに、とつぶやいても遅いのである。
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慈善家は一つ間違えば偽 善家になる。大金持ちが慈善活動をするのであれば、自分のお金だけを使えば良いのであって、他人に迷惑をかけたり、公共の利益を損ねることは慎むべきだ。 日本財団を率いる笹川陽平は、確かに医療や福祉の面で良いことをしているが、その中に反日行為を混ぜるからタチが悪い。彼が財団のお金を外国人に注ぎ込む のは勝手だが、日本国籍をフィリピン人に与えようとする意図には、何か邪悪な思想が紛れているように思えてしまう。
(左/笹川陽平)
2015年4月17日附産経新聞の『正論』欄で、笹川氏は「比残留2世の『国籍取得』を急げ」というコラムを投稿した。戦争中、日本の軍人や軍属の国民 がフィリピンに渡った時、現地の女性との間にもうけたのがフィリピン2世である。笹川氏はこの日比混血児が貧乏生活しているから、日本国籍を与えてやれと いう言いたいのであろう。多くの混血児が「敵国の子供」とみなされ、ゲリラによる襲撃を受けたから、父親を証明する書類を持たないという。フィリピンでは 父系血統主義だから国籍が取れないらしい。それなら、笹川氏はフィリピン政府に日比混血児にフィリピン国籍を授与するよう求めれば良いではないか。彼らの 生活基盤はフィリピンにあるし、日本語だって理解できない者が多いだろう。日本に移住して普通の生活などできまい。それでも日本国籍を欲しいのは、豊かな 生活と何らかの補助金が目当てなのだろう。父親が日本人という大義を掲げて、日本に移住したいのではないか? もし、日比2世が国籍を取得したら、彼らの家族、すなわち配偶者、兄弟、子供、孫も日本に移住できるだろう。これを「連鎖移民(chain migration)」というが、先進国はこうした大量移民に悩んでいる。一人が国籍を取得すると、次々と家族や親戚が移住してくるのだ。
笹川氏は「敵国人の子」と見なされた日比混血児の境遇に同情している。しかし、戦後になっても迫害したのはフィリピン人だし、この哀れなフィリピン人を 無視してきたのはフィリピン政府だ。フィリピン人は日本からの経済援助をもらっていたが、一体いくら日比混血児の為に使ったのか、笹川氏は提示すべきであ る。フィリピン政府は戦争中の状態を承知していたのだから、戦争終結をもって戦争孤児の面倒を見るべきだったのではないか? しかも、母親がフィリピン人と判明している日比混血児に、フィリピン国籍を与えても問題ないはずだ。日本人とセックスして妊娠したからといって、フィリピ ン人と認めなかったのは、その混血児たちに何ら価値が無かったからだろう。フィリピン政府には同胞意識が薄く、特に貧乏な土人に対して冷たい。スペインか アメリカの血を引く者が上流階級に多く、南方黒人の子孫たるフィリピン人を見下している。支那系フィリピン人も、タガログ族などの原住民をよそ者扱いして いるのだ。しかし、フィリピン人同士が互いに侮蔑し合うことは彼らの勝手だし、フィリピン国内での身分差別だって日本人の知ったことではない。フィリピン 政府が日比混血児を蔑ろにしたからとて、我々が引き取って面倒をみてやる必要はないだろう。
(写真/子宝に恵まれるフィリピン人の母親)
日本国民の中には、父親が日本人なのだから、日本国籍を与えるべきだ、という意見の人物もいるだろう。しかし、戦後日比混血児を父親が引き取らなかった のは、何も子供の存在を知らなかっただけではなかろう。確かに、戦死したり行方不明になった日本人もいたから、父親が引き取れなかったケースもある。それ なら、日本にいる戦歿者の遺族が引き取っただろうか? 彼らの両親や弟あるいは妹が、フィリピンにまで行ってその混血児を家族にしたとは思えない。また、フィリピンで日本の将兵をBC級戦犯として処刑してし まった、アメリカ軍の責任はどうなるのか? 笹川氏はアメリカ政府に、混血児の父親を殺した罪を咎めて、賠償金を求めようとするのか? それに、日本兵の何人かは、悪意あるフィリピン人証言者のせいで死刑になった。こうしたフィリピン側の罪も、笹川氏は糾弾したのか? 戦争中、フィリピン女とセックスしたが、戦後帰国した日本人は、別の女性と結婚して家庭を築いてしまったから、フィリピンにいるかも知れない自分の子供を 見捨てたのではないか? 戦後のどさくさが片付いて、高度成長期に入ったのに、フィリピンの子供を探しに行かったのはなぜか? また、日本政府に懇願して、フィリピン政府と交渉してくれ、と要求したのか? 何人が田中角栄のような有力者に請願したのだろう? 言いづらいことだが、日本人の父親たちはフィリピン人との子供など、どうでもよかったのではないか、と推測したくなる。
(左:食事を取るフィリピン人親子/右:海水浴を満喫する混血家族)
どの時代の戦争でも悲惨な出来事が起こるものだ。もし、大東亜戦争がなかったら、日本兵がフィリピン人女とセックスして子供を作ることはなかったろう。 そもそも、戦前の一般男性にフィリピン人と結婚するという発想は無かった。戦争になって、明日をも知れぬ命だから、性欲が湧いて現地女とセックスしたのだ ろう。中には、女郎買い気分で、フィリピン女を抱いた者もいたはずだ。フィリピン女には気軽に外人とセックスする者が多い。それに、当時の日本人で、フィ リピンの素人娘や売春婦とセックスしたから、嫁にするため故郷の両親に紹介しようとは思わなかったろう。フィリピン土人やフィリピン系華僑の女を、田舎に 住む家族のもとへ連れて行き、跡継ぎを産む婚約者です、と紹介できたのか? まず、両親が反対するだろう。日比混血児の孫など嫌だ、と言われたら勘当覚悟で結婚するとも思えない。当時は親孝行が現在よりも濃厚だった。しかも、言葉 や風習が違う日本で、フィリピン妻が暮らすとなれば大変だ。顔つきの違う混血児が日本の田舎でいじめられたり、肩身の狭い思いをすることは、父たる日本人 がよく判っている。日本人男性の多くは混血児が居ると推測しても、敢えてフィリピンに行って捜索せず、そのまま黙殺しようとしたのではないか?
(左/笹川良一)
笹川陽平は父の良一と同じくアジア主義者で、何かとアジア人を日本に引きずり込もうとする。たとえば、笹川氏は日本財団を使って、自衛官と支那軍人の交 流を促進していた。これは危険なイベントで、自衛官を支那人に紹介することで、支那軍人に自衛官を取り込むチャンスを提供するようなものだ。支那人は自衛 官と面識を持ち、自衛官に擦り寄ろうとする。「同じ軍人として」とか「貴国の自衛隊は素晴らしい」などとお世辞を言いながら、自衛官の自尊心をくすぐり、 彼らの弱点を探そうとする。自衛官も人間だから、私生活では何らかの悩みを持つ。恋人に困っているようなら、それとなく女を用意して、偶然の出遭いを演出 することだってあるだろう。笹川氏が日支交流促進を開催する真の目的は何なのか? 個人としては無防備の自衛官に、陰謀の天才支那人を接近させる笹川氏に、一体どんな利益があるのか、ぜひ知りたい。
笹川氏が日比混血 児2世に日本国籍を与えようとするのは、彼が救世主願望を持っているからではないか? これは慈善家に多く見られる特徴で、後進国の貧民を助けることで、自分が神様みたいな存在に思えてしまう。救世主になった快感は最高だ。権力を持つ大富豪 が悲惨な国に行き、貧乏な子供や病人から感謝されると、自国では味わったことのない恍惚感が得られる。これが堪らないのだ。お金持ちだから、気前よく物や 金をばらまいても平気だし、場合によっては、自国政府に働きかけて、国際援助まで引き出してしまう。だから、日本国籍など無料だから日比混血児に呉れてや れ、という考えになる。日本の先人が苦労して守った子孫への遺産とは考えない。日本国籍を欲しがるフィリピン人だって、歴史的共同体の一員として日本国民 になるのではなく、福祉が充実した金満国家へのパスポートが手に入る、といった計算がその動機だろう。憧れの日本だから良いのだ。南鮮国籍なら要らない。 朝鮮人とセックスして混血児を産んだからといって、捨てられたフィリピン人親子は南鮮に住みたいとは思わないだろう。あんな酷い国なら、フィリピンの方が マシである。一見すると左翼に思えない笹川氏は、保守系新聞の産経に登場するが、朝日・毎日新聞の専属コラムニストになってもおかしくない人物である。
日本人の勝手なフィリピン像
(左:バーでわんぱくなフィリピン娘/右:夜勤のフィリピン女性たち)
フィリピンの特産品は売春婦と召使いと言われるくらい、国家として「アカンタレ」の部類に入る。外国から援助を受けているのに、いつまで経ってもどうし ようもない国とは情けない。大東亜戦争の時に、日本人は大東亜会議を開いて、西欧列強の支配からアジア諸国を解放してやろう、と唱えたが大きなお世話だっ た。フィリピン人は日本の支配など望んでいなかったのだ。日本人より“高級な”アメリカ人による支配の方を好んだという。山本書店の経営者だった山本七平 (やまもと・しちへい)少尉は、戦争中フィリピンへ派遣されて、日本軍の欠点をつぶさに観察していた。そして戦後、山本氏は日本人の勝手な思い込みを批判 したことがある。当時の日本人は自分が東亜解放の盟主だから、相手は双手をあげて自分を歓迎してくれて、あらゆる便宜をはかり、全面的に協力してくれるに 決まっている、と考えていたようだ。(山本七平 『日本はなぜ敗れるの』 角川書店 2004年 p.125) フィリピンに到着した山本少尉は、東亜解放を口にしていた日本人の実態を語っている。彼は朝から晩までフィリピン人への悪口を聞かされていたそうだ。「ア ジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅ぼすなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「勤労意欲は 皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々。(p.148) アジア主義を掲げる当時の日本人は、フィリピン人にも独自の考え方があり、歴史的経緯もあるのだから、共に話し合って共通項を模索しようという意識が無 かったらしい。したがって、一切の対話は無く、「文化的無条件降伏」をフィリピン人に強いたと言うのが実情だった。
(左:支那系フィリピン人親子/右:支那人に抗議するフィリピン人)
フィリピン人は誰かに支配されていることが普通だし、そもそも自治能力があるのか疑問だし、あったとしてもかなり低いのではないか。同じフィリピン国民 なのに、スペイン系と支那・華僑系、マレー系、原住民系で分裂し、国民的絆というのもはない。だから、貧民階級は半永久的に下層のままである。日本にセミ 売春婦としてやって来たフィリピン女は、日本人との自由セックスや姦通を行い妊娠するケースが多い。フィリピンには、恋人や亭主に捨てられたまま私生児を かかえる母子家庭や、実家に戻って酌婦をしながら子供を育てる女性がたくさんいる。父親のいない家庭でも恥ずかしくないのは、フィリピン男性に古代ローマ の才幹(virtues)や日本の武士道に当たる美徳がないからだ。不甲斐ないフィリピン男に対する、フィリピン女の愚痴はよく聞くから、フィリピンには 「男らしい」男性が少ないのだろう。騎士道精神が発生しなかったフィリピンでは、立派な躾をする家庭が理想とされることはなかった。 在日フィリピン人には、子供をダシにして日本に永住しようとする女がいっぱい居るし、補助金をもらいながら生活することを恥ずかしいとは思わない。日本国 籍を持つ日比混血児は、「お前のかあちゃんは裸踊りが得意」と他人からからかわれたらどんな気持ちになるのか? しかも、自分の母親の祖国は、国民を蔑ろにする三流国家で、家内奴隷と淫売とバナナの輸出で成り立つと分かれば、とてもお国自慢などできない。鏡に映った 自分の顔を眺めると、南方土人の面影があったりする。縮れ毛の髪を毎日梳かしながら、自分の体に流れるフィリピン人の遺伝子を意識するのだ。それでも、ス ペイン人の血が僅かでも流れていれば、ちょっとは嬉しいかも知れない。
こんなフィリピンを併合したアメリカ人ではあるが、最初から フィリピン支配を望んだわけではなかった。当時は、アメリカ国内でも植民地化について、議員が賛否で分かれていたのだ。今だと、アメリカ人の大半が、フィ リピンの領有があったことさえ知らない。在比米軍基地の存在は知っていても、その経緯は学校で具体的に教えていないのだ。日本人の朝鮮統治を非難するアメ リカ人でも、合衆国のフィリピン統治については無知という者が多いから呆れてしまう。
戦争を煽るイエロー・ペーパー
(左/戦争を欲するイエロー・ジャーナリストの風刺画)
アメリカ人は自分を棚に上げて、他人を非難することが三度の飯より好きだ。地理的に近いからキューバに対する、スペインの厳しい支配が気になったらし い。キューバ人がスペイン統治に謀反を企てたので、スペイン政府は容赦ない鎮圧を行った。しかも、強制収容所に入れられた囚人の扱いが酷かったという。 ちょっと聞けば、残酷なようだが、キューバ人の性質を分かっている者にとったら、こんなの当然である。甘い処罰は再度の叛乱を招くからだ。しかし、その窮 状をウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolf Hearst)やジョゼフ・ピュリッツァー(Joseph Pulitzer)の赤新聞が大々的に書き立てた。(サムエル・モリソン 『アメリカの歴史』 第4巻 西川正身 訳 1997年 p.240) 当時、スキャンダルを争って記事にし、売上げを伸ばそうとしたメディアを人々は、「イエロー・ジャーナリズム」と呼んでいた。日本人もよく 知っているだろう。元々新聞記者など昔は「羽織ゴロ」と呼ばれていたくらいで、社会的に蔑まれていたから、ロクな連中ではない。驚いたことに、ハーストや ピュリッツァーは世間の注目を集めるためなら嘘でもついた。
(左:ウィリアム・ランドルフ・ハースト/中央:ジョセフ・ピュリッツァー/右メイン号)
ハーストやピュリッツァーは対スペイン戦争の気運を盛り上げるために、キューバ人にとって不都合な事は黙殺したが、スペインにとって不利になることは誇 張して伝えたのである。たとえば、キューバ人叛乱軍に、マキシモ・ゴメス(Máxmo Gómez)というドミニカ生まれの頭目がいたが、こいつはキューバの民衆に対して残虐行為を繰り返していた。スペイン人を経済的に困らせて追い払うた め、島のあちこちに放火して、サトウキビ畑を焼き払ったのである。ゴメスに協力することを拒んだキューバ人は「裏切り者」として木に吊されたり、鉈(なた /マシェト)で斬殺されたという。ゴメスは夜になると小さな村を襲撃し、掠奪が終わるや村に放火したのだ。ゴメスは農民の息子を無理矢理兵隊にしたり、反 抗する者は容赦なく処刑した。こうした横暴を見て民衆に戦慄が走ったのも当然。やりたい放題のゴメスは民衆の敵となり、彼が作物を焼き払ったせいで、 キューバでは飢饉が発生したという。ハーストやピュリッツァーの新聞社は、その飢饉を除いてゴメスの極悪非道を報道しなかった。日本の新聞社と同じで、 「報道しない自由」を行使していたのだろう。
(左:マキシモ・ゴメス/右:ヴァレリアノ・ウェイラー)
戦争を煽る黄色いジャーナリストは、スペインを貶めるためなら偽の事件まででっち上げた。彼らはスペイン人のキューバ総督ヴァレリアノ・ウェイラー (Valeriano Weyler)を「屠殺人ウェイラー(Butcher Weyler)」と呼んで、冷血な悪魔に仕立て上げた。根も葉もない虐殺事件を書き立てて、スペイン人は神父を焼き殺した、なんて報道したのである。いく らなんでもカトリック教国のスペインが、聖職者を捕らえて炎に包むわけないだろう。ハーストの「ニューヨーク・モーニング・ジャーナル」は、1896年 10月6日の記事で、「サメの餌にされたキューバ人(CUBANSFED TO SHASRKS)/夜に聞かれた叫び声」というヘッドラインを掲げていたのである。これじゃマフィア映画の殺害シーンみたいだ。日本人が知らずに尊敬して いるピュリッツァーは、自分の新聞「ニューヨーク・ワールド」紙に、「襲撃された病院(RAIDED A HOSPITAL)/40名以上の病人・負傷者が惨殺される」との見出しをつけていた。ところが、ワールド紙が伝えた病院はどこにも存在していなかったと いう。つまり、蜃気楼のような病院で、被害者も幽霊であった。日本の朝日新聞の魁(さきがけ)を見ているみたい。スペインに対する世間の怒りを煽るため に、ハーストは捏造記事を堂々と掲載していた。1896年12月には、スペイン人が「300名ものキューバ人女性を殺害した」との見出しを掲げて、スペイ ン兵が無抵抗の囚人を撃ち殺した記事を伝えていたのだ。(James Perloff, Spanish-America War: Trial Run for Interventionism, The New American, 10 August 2012)
(左:ジョージ・ケナン/中央:ジョン・ケネディー/右:アーサー・シュレッシンジャー)
現在の日本人は「ピュリッツァー賞」と聞けば、権威ある立派なものと思っているが、その創設者はとんでもない人物であることを知らない。ジョセフ・ピュ リッツァーは、ハンガリーからのユダヤ移民で、商人ジャーナリストであった。「セント・ルイス・ディスパッチ」や「ニューヨーク・ワールド」といった新聞 社を買収すると、スキャンダルやセンセーショナル記事を主流にし、どんどん売上げ部数を増やして銭儲けに邁進した。こうして貯め込んだ銭をコロンビア大学 のジャーナリズム学部に寄附して、「ピューリッツァー賞」が誕生したのである。左翼の巣窟コロンビア大学から飛び立ったジャーナリストが受賞すれば、日本 レコード大賞をもらった音痴のアイドル歌手みたいなものだ。審査員を子飼いにする藝能事務所が、所属歌手に大賞を与えて、人気者にする手口に似ている。権 威を高めるため、有名人に賞を与えて表彰してやったのだ。たとえば、1957年にはジョージ・ケナン(George Kennan)が受賞し、1968年に再度受賞した。大統領になる前のジョン・F・ケネディー(John F. Kennedy)も1957年に受賞しており、彼のアドヴァイザーになったアーサー・シュレシンジ(Arthur Schlessinger, Jr.)も受賞していたのである。しかし、ピュリッツァー賞はほとんど左翼的知識人か極左ジャーナリストに渡されているのだ。我々がよく知っているジョ ン・ダワー(John W. Dower)は、歴史家を装った極左活動家であるが、2000年に『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)』で受賞した。1990年にはあのニコラス・クリストフと その妻が共同で受賞し、2006年再び賞を貰えたのである。また、創設者がユダヤ人だから、ユダヤ人が仲間どうして褒め合っても不思議ではない。したがっ て、米国に於けるイスラエルの代理人として有名なノーマン・ポドレッツ(Norman Podhoretz)が、ピュリッツァー賞を貰えても当然だ。受賞者リストを見れば、ほとんどがリベラル派で、保守派アメリカ人は僅かばかりで、数えるほ どしかいない。ロクでなしユダヤ人がつくった賞なんかを有り難がる日本人は、褒める前にその実態を調べるべきである。
(左:ジョン・ダワー/中央:クリストフ夫妻/右:ノーマン・ポドレッツ)
マス・メディアによる世論操作は昔からあった。新聞社による偽りの残虐記事や亡命キューバ人の話で、アメリカ人の対スペイン同情が激昂したという。そこ で聯邦議会がキューバ問題に対して「何らかの手を打つよう」繰り返し政府に迫ったが、クリーヴランドおよびマッキンレー両大統領は、何らそれに応じなかっ たらしい。ところが、1898年2月15日アメリカの軍艦「メイン号」がハバナ港停泊中に爆破されて、多数の犠牲者が出てしまった。これがキッカケで開戦 の輿論が一挙に高まる。海軍審査裁判所によれば、爆発は機雷によるもので、外部から仕掛けられたという。(3月28日に報告された。) ただし、本当の原因は未だに確定されていない。それゆえ、陰謀論が囁かれているのである。真相は闇の中でも、この事件を機に「メイン号を忘れるな (Remember the Maine)」というフレーズが流行し、合衆国政府もその重い腰を上げざるを得なくなった。
フィリピンの運命は原住民と別にある
(左/米西戦争を揶揄した絵)
ウィリアム・マッキンレー(William McKinley)大統領は即時休戦、捕虜の釈放など、スペインのマドリード政府に最後通牒となる覚え書きを送った。キューバ総督は反乱軍側に休戦を申し 込んだり、マドリッド在住のアメリカ大使は、スペインの対面を傷つけずに事態を丸く収めようと努力したらしい。しかし、ハーストやピュリッツァーのような イエロー・ジャーナリズムは世間を焚きつけるし、聯邦上院議員ヘンリー・カボット・ロッジ(Henry Cabot Lodge)のような若手共和党員は開戦を強く要求していたのである。そこで、どうしようか迷ったマッキンレー大統領は、しばらく祈りを捧げて、ようやく 開戦を決意したという。他方、ジョン・ヘイ国務長官はこの対スペイン戦を「素晴らしい小さな戦争」と呼んだのである。(上掲書 p.242) 表向き正義の戦争を口にしていたが、米国はこのキューバ問題を奇貨として、太平洋に進出しようとしたのだ。米西戦争を仕掛けた真の目的は、 フィリピン所有にあったのではないかと思えるくらいである。
(左:ジョージ・デューイ/ウェスリー・メリット/ヘンリー・カボット・ロッジ/右:フランシス・グリーン)
宣戦布告から一週間経って、ジョージ・デューイ(George Dewey)提督は太平洋艦隊を率いてマニラ湾に入り、一名の犠牲者も出さずに、スペイン艦隊を壊滅できたという。かつては無敵艦隊を誇っていたスペイン も、零落(おちふ)れて昔の面影すら無い有様。米国を上回る数の装甲巡洋艦と水雷艇を有していたのに、スペイン艦隊の乗組員は訓練なんてそっちのけ。軍の 頽廃は全体に及び、将兵ともどもたるんでいたのだ。しかし、アメリカ人も偉そうなことは言えなかった。海軍は立派でも、陸軍の装備はお粗末で、正規軍はク ラッグ・ライフルが渡っていたが、15万人の義勇兵にはスプリングフィールド銃と黒色火薬が支給されていたのである。まあ、それでも簡単にアメリカ人が フィリピンを制圧できたのは、フィリピ側指導者のエミリオ・アギナルド(Emilio Aguinald)が米軍のフランシス・グリーン(Francis V. Greene)准将にまんまと騙されしまったからだ。詳しい戦況は省略する。ただ、アメリカ兵はスペイン兵からの形式的抵抗を受けたが、ほぼ無傷でマニラ 進軍を果たしたらしい。デューイ提督とウェスリー・メリット(Wesley Merritt)米軍司令官は楽勝でフィリピンを掌握することができた。
(左と中央:米西戦争の風刺画/右:エミリオ・アギナルド)
アメリカ軍に反抗できないスペインは、和平の条件を打診してきた。マッキンレー大統領は、条件として、キューバからスペイン軍の即時撤退、期限付きの キューバ放棄、プエルトリコおよびマリアナ群島にあるグアム島の譲渡、それにマニラ湾の占拠を要求したのである。1898年10月1日にパリで、アメリカ とスペインの和平交渉が始まった。アメリカ人が嫌われることの一つに、その偽善的思考が挙げられる。当時、アメリカ人は戦争を人道(humanity)の 為に闘うものと見なしていて、領土拡大を目指した闘いとは思っていなかった。(Maximo M. Kalaw, The Case for the Filipinos, The Century Co., New York, 1916, p.25) ところが、その実態は理想とかけ離れていた。アメリカ合衆国は表向き、スペインのフィリピン支配を非難していたが、本音では東南アジアへの海路を確保した いとか、タバコや砂糖の栽培で利益を上げたい、未知の天然資源を採掘したい、といった下心があったのだ。それに、フィリピンの先には巨大な人口を抱える支 那大陸があったから、この南国を支配するのは厄介でも、巨大市場への橋頭堡を確保したという満足感があった。アメリカ人は人が溢れる国を見ると、すぐ商売 で儲かるチャンスと思ってしまう。支那が詐欺師や匪賊の棲息地ということが分かっていなかった。
(左:クシュマン・デイヴィス/中央:ウィリアム・フライ/右:ホワイトロー・リード)
アメリカ国内では、フィリピン領有に関して賛否が分かれていた。フィリピン併合に賛成だったのは、上院外交委員会のクシュマン・デイヴィス (Cushman C. Davis)上院議員、同委員会所属のウィリアム・フライ(William P. Frye)上院議員、元駐フランス大使のホワイトロー・リード(Whitelaw Reid)であった。それぞれが独自の見解を披露して、議論を闘わせていたのである。
ウィリアム・デイ(William Day)国務長官は、フィリピンは合衆国にとって利益というより、むしろ負担になるのではないかという意見であった。もし国益になるとしたら、海軍と商売 のみに貢献するだろうと予測し、ルソン島とその周辺諸島だけ取得せよと提言していたのである。もし、フィリピン諸島全部を併合するとなれば、破産した国民 を背負い込むことになると警告していたという。文明人になれる潜在能力(ポテンシャル)や活力、気概に欠けるフィリピン人を見れば、デイ国務長官の意見は 常識に沿うもの言えるのではないか。
フライ上院議員はフィリピン全部を取ることに賛成し、1,000万ドル相当の純金を支払おうと持 ちかけた。フィリピン人にそれだけの価値があるかは不明だが、彼らから何かと巻き上げれば良いと思っていた節がある。彼はスペイン側に、500万ないし 1,000万ドルくらい支払うことを提示した。
ジョージ・グレイ(George Gray)上院議員は以前、フィリピン全部はおろか、どの一部も併合すべきではないという意見であった。しかし、フィリピン全土を取得する条約締結が失敗 に帰すれば、それは合衆国の伝統と文明を貶めることとなると危惧したらしい。そこで、平和条約による領土譲渡の形式にすれば、合衆国の威厳を傷つけずに済 むという理屈であった。何てことはない、領土簒奪ではなく、和平による譲渡にしようという訳だ。
リード大使はスペインが金欠なら、戦時賠償を領土で支払うべし、との意見であった。そして、フィリピンとカロリン諸島の代金として1200万から1500万ドルを支払うと提案していた。ただし、ミンダナオとズールー島は含まないと主張していたという。
デイヴィス上院議員は妥協を許さぬ意見を持っていた。合衆国は一銭も払わずに、フィリピン、プエルトリコ、グアムそしてキューバの主権をスペインに要求 すべし、と強硬な態度に出ていた。(pp. 37-38) これこそ、典型的な勝者の命令であろう。負けた国がつべこべ文句を言うな、という考えである。フィリペ二世が統治していた頃の、スペイン・ハプスブルク家 が聞いたら何と思うのだろうか? 凋落した帝國は惨めである。スペインの太陽は沈んだままで、朝日が再び昇るまでまだ数百年かかるのではないか?
(左:ウィリアム・デイ/中央:ジョージ・グレイ/右:ウィリアム・マッキンレー)
倫理的問題を気にしていたマッキンレー大統領は、如何なる決断を下すべきか長いこと躊躇っていたらしい。まさか、スペインに対し戦争の賠償を求めないわ けにも行かないし、かといって歐洲列強のような帝国主義的政策を取るのも気が引ける。大統領はさんざん悩んだ挙げ句、最終的な結論に達した。「全フィリピ ンを併合するだけでは戦争で払った犠牲の代償として充分ではないが、さりとてフィリピン人を再びスペインの手に戻すわけにも行くまい。我々の行為は正当化 されるのか、それにまた、我々は他の列強に渡すことができるのか。望むと望まぬとに係わらず、アメリカ人には逃れられぬ義務がある」という主旨をマッキン レー大統領は発表した。(p.39) 彼はフィリピンを併合して、その民衆に教育を施し、彼らを精神的に向上させ、文明化してキリスト教徒らしくさせる、という意志を固めたそうだ。あれ? これ何か聞き覚えがある。日本人が示した朝鮮統治の理念みたいなことを、アメリカ人は日本人より先に実践していたのだ。しかし、異民族統治は日本人の方が 遙かに成功していたし、その業績は米国のフィリピン統治よりも格段に上である。これはアメリカの保守派知識人なら認めざるを得ないだろう。日本の朝鮮統治 を非難しているのは、歴史に無知な左翼アメリカ人がほとんどだ。まったく日米共に、しょうもない民族を抱えたものである。
色々な意見 が交わされたが、外交委員会は、フィリピン諸島すべての割譲要求を決定し、必要ならばスペインに1000万から2000万ドル支払うことにする、との結論 に達した。注目すべき点は、委員会の誰もフィリピン人の将来について考えていなかったことだ。グレイ議員によれば、すべてがビジネス交渉みたいに進められ ていたそうだ。マッキンレー大統領も、フィリピンを全面的に併合するか、アジア地域から撤退するかの選択肢しかなかったらしい。それに、デイヴィス議員に よれば、支那を望む商業拠点の確保の方がより重要な問題だし、ワシントン、オレゴン、カルフォルニアといった西海岸の州にとっても貿易で潤うチャンスで あった。最終的に、合衆国政府は2000万ドルを支払うことで、スペインからフィリピンを取得できた。こうして両国間の条約は、1898年12月10日に 締結されたのである。(p.40)
(左:アメリカ軍/右:スペイン軍)
フィリピン諸島の値段は2千万ドルというが、それは土地だけの価格なのか、人間附不動産の総額なのかは定かではない。我々なら1人あたりのフィリピン人 の相場はいくらだったのか知りたいところだ。一説では当時フィリピンには800万人いると言われたが、スペイン人を除く人口が分かりづらい。もし800万 人なら1人あたり3ドルもしないし、土地の値段を引いたら、1ドルもしないかも知れない。フィリピン人1人の値段は、90セントとか75セントなのかも知 れないから、フィリピン史研究者の意見を聞きたいところだ。もしかしたら、アメリカ人支配者は、フィリピン人を不良債務くらいに考えていたのかも知れない ぞ。でも、フィリピン人の値段が、ハンバーガー1個の値段にも満たないとしたら、フィリピン系アメリカ人はどう思うのか? 現実の世界では、人間は平等でないし、上等な民族と格下の民族に分かれている。フィリピン移民を先祖に持つアジア系国民は、さぞアメリカ史を勉強すること が嫌になるだろう。そういえば、フィリピン系アメリカ人で高名な米国史研究者とか、愛国的歴史家の名前を耳にしない。やはり、自分たちの国とは思っていな いからだろう。
フィリピン土人の種族的特徴
(左:可愛らしいフィリピン原住民の少女/右:有名ボクサーのマニー・パッキャオ議員)
現在と違って、当時のアメリカ人は外国の有色人種について露骨な意見を述べる自由があった。フィリピン人は、だいたい現地土人と支那人・マレー人などの 混血民族であるが、黒い肌のネグリート(Negrito)が元々の種族と考えられる。ジョセフ・スティクニーによれば、この黒色土人を精神的・肉体的面で 測定すれば最低の部類であるそうだ。(Joseph L. Stickney, Admiral Dewey at Manila, J.H. Moore Company, Philadelphia, 1899, p.247) このフィリピン諸島は、どう見積もってみても文明国にはならない、と判断されたようだ。ニグリートは他のアジア民族からも嫌われていた。スペイン人に支配 された時だって、侵入してきたマレー人はニグリートと対立して、彼らを虐殺したのである。この原住種族はアフリカ黒人と違うが、縮れ毛で肌が黒く、粗野で 不快な顔つきをしているという。(p.248) 彼らは農業をせず、森にある天然の食物に頼り、毒矢で射止めた動物を食していた。戦前、日本人も南方土人の調査をしていたので、フィリピン土人について書 き記している。フィリピンのカリンガ族やモロ族という種族については、
大変水浴が好きですが、その他のフィリピン人は水浴をしませ ん。暑い国ですから、水浴をするのがあたり前なのですが、どういふものか、フィリピン人はあまり水浴を好まないのです。ですから、暑さにむされて、自然に 不潔になつてしまひます。ネグリート族はフィリピン人のなかでも、特に未開人ですから、風呂にも入らず、水浴もしないので、肌に触ると魚の鱗をはがすよう に、ぼろぼろと皮膚がむけて落ちるという有様です。髪の毛の中には虱(しらみ)が沢山わかしていて、天気のよい日には、木陰で互いに虱を取り合っていま す。雨が降つたりすると、ぬれて頭がかゆくなるので、腰に巻いているタビスという布をはづして、髪の毛がぬれないようにしています。(窪田文雄 『南洋の子供たち』 東亜堂 昭和16年 pp.48-49)
(左:フィリピンの伝統的踊りを披露する人々/右:フィリピン島の原住民)
フィリピン土人の容姿が異様なだけでなく、その生活習慣も異質であった。肌を触ると鱗のような垢がボロボロ落ちるなんて、現在の日本人ならゾっとするだ ろう。でも、これがフィリピン原住民が持っていた伝統的生活様式なのだから、我々は理解せねばならない。学校ではこうした記述を教えないようにするが、か えってフィリピン人に対する偏見を助長する。それぞれの日本人がどのように感じるかは、本人の判断と自由であって、学校教師や文部官僚が勝手に判断して検 閲するのはおかしい。我々は学校で西洋人の奴隷制度だってしっかり教えているのだから、フィリピンについてもきちんと教えるべきだ。
(左:の二人伝統的刺青を彫った少女たち/中央:刺青を彫ったフィリピン人男性/右:森で狩りをするフィリピン人)
フィリピン人を日本の同胞にすることへの抵抗
日本人はアジアに対して妙な引け目や遠慮があり、本音を語ろうとはしない。笹川氏が自己満足のために、窮乏化した日比混血の老人を日本へ呼び込もうとし ている。しかし、日本人はこのフィリピン人たちを日本人として迎え入れるのか? 確かに、彼らは日本人の父親をもってるのだろう。しかし、戦争という異常事態で、しかも異国で日本人が現地女とセックスをしたのだ。通常の結婚とは違うだ ろう。戦争でなければ、フィリピン人の遺伝子を我が子に注入しようとは思わない。しかも、笹川氏は戦後70年も経っているのに、日本政府だけに責任を求め る。フィリピン政府は迫害された日比2世を保護しなかった罪を謝って、賠償金を払ったのか? 長年にわたるフィリピン政府の無策を笹川氏は説明してくれない。これに関連して尋ねたいのだが、彼の父親笹川良一は戦争中の出来事に詳しかったのに、なぜ 早い時期、混血児の父親探しをしなかったのか? 父親が生存していたかも知れないのに。また、笹川良一はアメリカ兵に犯されて妊娠してしまった女性を支援して、合衆国政府に賠償を求めたのか? 黒人兵との混血児はエリザベス・サンダース・ホームに沢山いたが、彼らの父親を探すように米国に要求したのか? もし、見つかったらあの黒人混血児はアメリカ国籍を取得できたのだろうか? 日本人は戦後の強姦事件だって、悔しさを堪え我慢したし、マスコミに顔を晒して混血児にアメリカ国籍をと叫ばなかった。エリザベス・サンダース・ホームの 混血児たちは、自分で努力して自立していった。しかし、フィリピンで育った混血児は笹川氏の甘い言葉に乗って、日本国籍を取得しようとする。タダで高価な 日本のパスポートが手に入るのだから、フィリピン人はこぞって笹川氏を当てにするだろう。
(左:バーで踊りを披露するプロ・ダンサーたち/右:陽気な夜の勤労者)
何処の国の兵隊も外国に派遣されれば、女に飢えて現地の素人女や娼婦とセックスしてしまう。ベイナム戦争でもアメリカ兵は、現地の売春婦や農村の娘など とセックスして混血児を作った。しかし、彼らが郷里に戻った時、ベトナム人娼婦や田舎娘を両親や兄弟に婚約者と紹介しただろうか? 多くの兵卒は同衾(どうきん)した女と混血児をベトナムに置き去りにし、帰国してしまった。もちろん、混血児を引き取ったケースもあるが、大半は父親から 見捨てられた私生児である。ベトナムでは黒人兵との混血児はもっと惨めだ。村で黒いベトナム人は目立つし、娘の両親だって黒い孫を不憫に思ってしまう。黒 く生まれた子供は、世話をしてくれる母親を恨めないから、なおさら哀しい。村の大人は噂話で侮蔑するだろうし、子供たちだって娼婦の黒い私生児としてイジ メるだろう。アメリカのリベラル派や人権活動家は、混血児にアメリカ国籍を与えようとするが、アメリカ兵と勝手にセックスしたベトナム女性を責めない。彼 女たちが貧乏人だからである。貧乏だと倫理的責任は免除されるのだ。戦争で女に飢えた米兵が口にする言葉を真に受けて、セックスしたベトナム女性は愚か だったのに、その軽率さを左翼支援団体は叱らない。彼女たちの両親だって娘の簡単即席セックスを咎めないのだ。アメリカ兵に強姦された女性なら、個人賠償 を合衆国に求めればいいし、父親が分からないなら国防総省に全将兵のDNA検査をしろ、と要求すれはよいだろう。だが実際、そんなことは無理と分かってい るのだ。戦争中のセックス問題を戦後になってとやかく言い立てるのは不毛である。過去の戦争ではもっと悲惨なことがあるだろう。米国は枯れ葉剤の被害者す べてに国家賠償をしていない。ベトナム人被害者は数百万もいるのに、個人賠償をしていないのだ。このように、戦後になっても解決できない問題はあちこちに ある。笹川氏は日本政府なら容易にゆすることができると踏んだのではないか?
笹川氏のように偽善的反日主義者は、とにかく日本政府に は厳格な倫理的責任を求める。自国民を保護したり介護せぬフィリピン政府を糾弾しない。日比混血児の国籍問題なら、フィリピン政府が国籍を付与すればいい し、社会福祉もきちんと与えれば済む話だ。彼らが父親の墓参りをしたいのに、出国するにあたり罰金を取るフィリピン政府こそ非難すべき対象である。おそら く笹川氏たちはフィリピン政府が愚劣で二進も三進も行かないから、フィリピン政府より物分かりの良い日本政府を批判しているのだろう。本質的に甘い日本人 は、笹川氏の活動記事をよんで感動してしまい、日本国籍くらい直ぐに与えてやれはいいじゃないか、と安易に考えてしまう。この「ちょっとくらい」が危ない のだ。これを外国人は前例とし、次々と日本国籍を狙いにくるだろう。日本にアジア人があふれ出してから日本人は役所に怒るだろう。「責任者出てこい」と叫 んでも、当事者はとっくに退職しているか、あの世へ旅立っているかのどちらかだ。こんなはずじゃなかったのに、とつぶやいても遅いのである。
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どいつもこいつもコミュニスト
(左:カール・マルクス / 右:バラク・オバマ)
左翼政権というのは恐ろしい。国益より同志愛を優先し、同国人より外国人をいたわる。我が国でも民主党が政権を取った三年間は悪夢の連続だった。ロシア の手先である鳩山由紀夫が首相になり、国中を引っかき回し、安全保障までズタズタにしたら、二進も三進も行かなくなって政権を放り投げ。それを受けた菅直 人は更にひどかった。北鮮人とダッグを組む売国奴が選んだ女房役が仙谷由人。日本政府は北京と平壌の本社から指令を受ける支店となってしまった。我が国か 被った損害は相当なものだろう。アメリカ人も同じような愚行を犯してしまった。初物が好きなアメリカ人は、黒い鯛に喜んだが、中身が腐っていることに気付 かなかった。肌の色は見えても、脳味噌の色までのぞけない。黒人初の大統領だと大はしゃぎしたが、まさか筋金入りのコミュニストだと思わなかったから、そ の害悪を実感するまで時間がかかってしまった。
(左:キャス・サンスタイン/トッド・スターン/マーク・ロイド/右:デイヴッド・オグデン)
政権内部にどんな人物を入れたかで、少しはオバマの正体が分かるはずだ。その一部をちらっと紹介したい。まず、政府による規制が好きなキャス・サンスタ イン(Cass Sunstein)は、銃規制に乗り出し、国民が武器を所有する権利を取り上げようとした。つまり、武装して独立を保つべしとの憲法精神を踏み潰す。いか にもユダヤ人らしい発想だ。もう一人のユダヤ人トッド・スターン(Todd Stern)は、地球温暖化を盾にして政府による規制を強化しようとした。気候変動より、権限拡大に関心があるだけ。同じ黒人だからオバマに選ばれたマー ク・ロイド(Mark Lloyd)は、反米のベエズェラ大統領ヒューゴ・チャベスを称賛していた。この独裁者による民衆政治を褒めるくせに、米国では差別と偏見が満ちていると 不満を漏らす。彼は国内のラジオ局に白人が多すぎるから、有色人種や同性愛者をもっと雇うように勧告したという。これが、いわゆる「公平ドクトリン (Fairness Doctrine)」と呼ばれる政策であった。アメリカ白人が自由に発言できるメディアは、もうラジオくらいしか残っていなかったのに。ロイドは保守派の 番組を狙って、“不公平な”局に対し2億5万ドル以下の罰金を科そうとした。自由が好きなアメリカ白人は、こんな検閲や脅迫に怯えていたのである。
(左:若き日のホールダー/中央:司法長官になったホールダー/右:武装したブラック・パンサー)
米国はイングランドからの白人によって建てられたからしょうがないのに、要職が白人によって占められているとオバマは怒っていたのだ。そこで、大統領の 権能をもって、従来白人が就いていた役職に黒人を据えたのである。“黒人初”の司法長官にエリック・ホールダー(Eric Holder)を起用した。オバマの同志ホールダーは、不法移民に対して優しいだけではない。密入国者なんか大した問題じゃないのだ。プエルトリコのテロ 集団FALN( Fuerzas Armadas de Liberación National)にも恩赦を与えようと努力したくらい。有色人種なら犯罪者であっても、慈悲深い理解力を示すのがホールダー。オバマが大統領に出馬した 時、何と新ブラック・パンサー党(New Black Panthers Party)が、投票所の前で白人有権者を脅していたのだ。1980年代以降落ち目だった黒豹党の過激派が、オバマが登場したことで俄(にわか)に活気づ いた。アフリカのゲリラ民兵みたいな服装をして、手に警棒を持った黒人が、少しでも白人有権者が投票所に来ないよう嫌がらせをしていたのだ。これでは、女 性や高齢者は恐くて投票をためらってしまう。しかし、ホールダー司法長官は、黒人過激派の選挙妨害に対して取締を強化せず、やたらと寛大だった。なぜな ら、彼はこの兇悪な黒人どもを「俺の仲間(my people)」と呼んでいたからである。(Steven Nelson, Holder says experiences of ‘my people’not simolar to contemporary voter intimidation, The Daily Caller, March 3, 2011)
(左/ロレッタ・リンチ)
こんな黒人過激派を擁護するホールダーを選んだオバマは、ホールダーの後釜にロレッタ・リンチ(Loretta Lynch)という黒人女性を据えようとした。リンチはホールダーと同じく、不法移民が引き続き米国に滞在して、仕事を持てるようにたり、アメリカ国民と 同等の権利や福祉を受けられるようにすべし、との意見を公表していた。しかも、オバマが不法移民を赦免しようとするのは合法だ、と弁護していたのだから、 共和党員は彼女の司法長官任命に強く反対していたのである。しかし、彼女は上院で承認され、またもや“黒人女性初”という称号を冠した司法長官が誕生して しまった。このぶんだと、黒人初の「国防長官」とか「国土安全保障省長官」とかも出てくるだろうし、やがては黒人女性大統領が誕生するかも知れない。たぶ ん「白人女性大統領」が実現した後、「黒人女性」あるいは「白色ユダヤ人」、「ヒスパニック」といった初の大統領が、ぞくぞく登場するだろう。候補者の能 力や政策などそっちのけで、ただ黒人だから、女性だから、肌が浅黒いからなどの理由で、世界最強の合衆国軍を率いる最高司令官が決まるのだ。こうなれば、 ローマ帝國のカリギュラやネロが君臨した時代と大して変わらない。米国は衰退の一途をたどるのみ。
(左:昔のブラック・パンサー/右:新たなブラック・パンサー)
共産主義者は敵対する社会を道徳的に腐敗させる手口をよく使う。武闘派ではないオバマは、陰湿な文化破壊論者のコミュニスト。オバマはホールダーの手下 に、次官としてデイヴィド・オグデン(David Ogden)を置き、表現の自由を守る番人とした。ただし、ポルノ産業界の自由を擁護する彼の経歴を見込んでの人事である。(Matthew Schmitz, David Ogden and the New Pornographers: Why the Senate Should Reject His Nomination, Public Discourse, February 12, 2009) 彼は学校の図書館でも、子供たちが何であれ望むサイトに、不自由なくアクセスできるようにすべき、と主張していた。さすが「家族の価値」を強調するオバマ ならではの人選である。人権を尊重するオバマは、胎児殺しに理解を示す。保守的キリスト教徒なんかの雑音にとらわれず、中絶擁護の代弁者ドーン・ジョンセ ン(Dawn Johnsen)を司法省の法律顧問にしてあげた。女性の自由意志を強調する彼女は、中絶が規制されると妊婦は「単なる胎児の容器(fetal containers)に過ぎぬもの」、と見なされてしまうので、女性の選択と自由を尊重すべし、と主張していた。(Steve King, Johnsen's Radical Views Will Alienate Pro-Life Americans, Townhall, March 26, 2009) つまり、他人が女性に堕ろすなと禁止せず、女性が自分の意志で決断すれば良いという考えだ。でもさぁ、中絶反対派が妊婦を受精卵の保管庫とは思わないだろ う。赤ん坊を殺すことに異議を唱えているだけだ。何も喋れない赤ん坊なら殺してもいい、とするなら誰が赤ん坊の弁護士になるのか? だいたい、胎児の抹殺を「選択の自由」に分類するとは、ちと酷いのでは?
(左:ドーン・ジョンセン/エレーナ・ケーガン/ソニア・ソトマイヤー/右:セシリア・ムニョス)
前例無き人事を行うことが好きなオバマは、裁判所でも白人社会の慣例を破壊しようとしていた。最高裁判事にユダ人女性のエレーナ・ケーガン(Elena Kagan)を指名したのである。ケーガンは最高裁判事になる前に、何ら裁判官としての経歴を持たなかった。ハーバード大学の学部長をしていただけだが、 長所はホモに理解と同情があるだけ。レズビアンのケーガンは、仲間のホモに対して思いやりがあったということだ。軍隊に於ける同性愛者の存在を認めること を力説していたというから、軍のモラルを大切にする将校らは大激怒。でも、オバマは白人天下の軍隊が大嫌いだから平気だった。ヒスパニック団体から熱烈な 支持を受けていたオバマは、彼らに報いるため同類のソニア・ソトマイヤー(Sonia Maria Sotomyor)を最高裁判事に指名した。彼女はプエルトリコからの移民を両親に持ち、左翼思想で知られていたのだ。アメリカ白人を嫌いなソニアは、経 験豊富な賢いラテン人は、そうした人生経験を持たぬ白人よりも、より良い判断を下すのだ、という信条を表明したいた。これって、特定人種に対する偏見じゃ ないのか? ご心配なく。米国では大丈夫。人種差別は白人がするものと相場が決まっているので。ヒスパニックや黒人には、白人が持っていない言論の自由が認められてい るのだ。
(左:ジョージ・ソロス/右:メリンダとビル・ゲイツ夫妻)
中南米系有権者に恩義があるオバマは、選挙で大変お世話になったラ・ラザ(National Council of La Raza)というヒスニック団体にも、鄭重なお礼をしたのである。(ちなみに、この「ラザ」という語は「人種」を意味し、インディオの子孫たちが、白人を 打倒して失地を回復する意図を示している。) この団体には南米系の極左分子が集まっているが、その資金源は大富豪から流れていた。たとえば、カーネギー、ロックフェラー、フォードの諸財団はもちろん のこと、ビル・ゲイツの財団やシティー・グループ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティー財団からも巨額の寄付金が注入されていた。下層の過激派と上 層のエリートが裏で結託していたのだ。そして、この異様な連合体が、民衆党を動かす一大勢力となっている。民衆党議員が不法移民の受け入れに積極的なの は、こうしたヒスパニック組織によって支持されているからだ。オバマはラ・ラザの副総裁を務めていたセシリア・ムニョス(Cecilia Munoz)を大統領附上級補佐官にした。権力の中枢に潜り込めたムニョスは、一生懸命不法入国者の合法化に取り組んだ。この裏事情を知れば、なぜ多くの 密入国者に恩赦が与えられていたのが分かる。
(左:ミリル・ベネット・アクセルロッド/中央:イシドール・ストーン/右:デイヴィッド・アクセルロッド)
選挙参謀というのは政治家にとって頼みの綱である。選挙に当選しなければ何も始まらないからだ。オバマの選挙を取り仕切ったデイヴッド・アクセルロッド (David Axelrod)は、首席補佐官だったラーム・エマニュエル(Rahm Israel Emanuel)と双璧をなすユダヤ人スタッフであった。デイヴィドが子供の頃から政治に興味を持っていたのは母親の影響で、いかにも左翼家庭で育ったユ ダヤ人らしい。母親のミリル・ベネット(Myril Bennett)は、デイヴッドの父ジョージが亡くなり、アブナー・ベネットと再婚したため、「ベネット」の姓を名乗っていた。この母ちゃんは、ロシアか らやって来たユダヤ移民の娘で、本名はミリル・ジェシカ・デイヴィッドソン(Myril Jessica Davidson)という。彼女も未来の息子と同じくジャーナリストであったが、勤め先が「PM」という左翼系日刊紙であった。その新聞社で共に働いてい たのが、あの悪名高いソ連のスパイ、イシドール・ストーン(本名はユダヤ人名のIsidor Feinstein/別名イジー・ストーンIzzy Stone)である。(Paul Kengor, The Quest for David Axelrod's Leftist Roots, The American Spector, April 2014) ストーンに関する情報は、亡命したKGB将校オレグ・カルーギン(Oleg Kalugin)の証言で明らかとなったが、ミリルは下っ端の左翼だったから注目されなかったのかも知れない。彼女の思想がどれくらい息子デイヴィッドに 伝染したかは不明である。ただ、母親の考え方は子供に継承されることがよくあるから、デヴィッドの左翼思考は母親譲りかも知れない。彼はオバマのもとを 去ったあと、英国の労働党にねぐらを見つけ、ユダヤ人党首のエド・ミリバンド(Ed Miliband)の選挙参謀に就任した。また、ユダヤ人脈による転職だ。エド・ミリバンドは兄のデヴィッドと同じ極左政治家で、父のラルフは有名な共産 主義者。彼は第二次大戦中に、ポーランドから亡命してきた迷惑なユダヤ難民である。ラルフは資本制国家のイングランドを心から憎んでいた。英国にはこうし た有害ユダヤ人が数多く流入していたのだ。
(左:エドとデイヴィッドの兄弟/右:父のラルフ・ミリバンド)
共産主義者の仲間がつどう白亜館
オバマが住み着いたホワイト・ハウスは、共産主義者の伏魔殿(ふくまでん)と化してしまった。黒いコミュニストが占拠する赤い屋敷となったから、さしず めアメリカ版クレムリン宮殿だ。スターリンが生きていたらさぞかし喜んだであろう。隠れ共産主義者のオバマは、ミサイルや戦車を使わずに、敵国アメリカの 首都を制圧できたのだ。彼は憎い西欧人を炭疽菌で殺さず、まず黒人仲間を各省にばらまいて、アメリカの統治機構を半永久的に麻痺させることに成功したの だ。そのオバマが引き込んだ左翼黒人の一人が、ヴァリリー・ジャレット(Valerie Jarrett)である。彼女はオバマに気兼ねなく話をできる、親密な上級補佐官であり、やましい過去を共有する同志であった。
(左:ヴァレリー・ジャレット/中央:父のジェイムズ・ボウマン/右:母のバーバラ・ボウマン)
このヴァレリー・ジャレット(旧姓Valerie June Bowman)は1956年イランのシラズで生まれた。彼女の父ジェイムズ・E・ボウマン(Dr. James E. Bowman)医師は産婦人科も務める病理学者で、合衆国政府が外国に派遣した医療団に属していたという。この職業がもとでイランに赴任し、その地で娘 ヴァレリーが生まれたというわけだ。母親のバーバラ・テイラー・ボウマン(Barbara Taylor Bowman)は幼児心理学を専攻しており、後にエリクソン研究所の設立に係わることになる。ペルシアの古都に生まれ育ったこともあって、ヴァレリーはフ ランス語とペルシア語、そしとちょっとした英語が話せたらしい。こうした生活環境からして、彼女には多文化主義や人種的多様性に賛同する素地ができていた ということだ。ヴァレリーはペルシャ風にスパイスの利いたラム肉や米が好物らしい。ちなみに、ペルシア人には日本の唐揚げ弁当が好評だ。中東アジアで育っ たせいもあってか、異民族に対しても違和感がないし、イスラム教文化を尊重している。
(左:母のアンと一緒のオバマ/右:幼い頃のオバマ)
ヴァレリーはオバマと似たような過去を持つ。オバマは母スタンリー・アンがインドネシアのイスラム教徒ロロ・ソエトロと再婚したことから、イスラム教の 学校に通い、ムスリム文化に親しんでいた。だから、大学時代にイスラム教徒の富豪からお金を貰えたのだ。浅黒い容姿をしたヴァレリーは米国でなら、露骨な 人種差別を受けただろうが、イランでは浅黒い子供が珍しくないから、比較的平穏に暮らせたらしい。しかし、イラン(「アーリア人」の国を意味する)のペル シア人は肌の白い「アーリア」人を理想といている。父親ジェイムズは合衆国陸軍で軍医を務めたから、黒人であることの悲哀を味わった。だから、米国を後に してペルシア人と暮らすことに何の抵抗もなかったのである。幼年期に外国暮らしをする経験を共有するオバマとヴァレリーが、様々な人種・文化的背景を持っ た人物に対して同情を寄せ、白人に対して憎しみをもつ傾向があるのは理解できる。(Jeffrey Bartholet, Many Obama Advisers Have Lived Abroad, Newsweek, January 16, 2009)
その他にオバマとヴァレリーが持つ共通点は、異人種結婚による複雑な血統であろう。ヴァレリーの顔を見ていると何人なのか判別しにくい。ヴァレリーには ちょっとばかり西欧系の血が混ざっているが、基本的には黒人とアメリカ原住民の混血児である。しかし、それだけではなかった。彼女にはユダヤ人の血も流れ ている。かつて、父ジェイムズは娘ヴァレリーに、彼の祖父(つまり彼女の曾祖父)がユダヤ人であることを告げたという。(Nathan Gutman, Presidential Aide Valerie Jarrett Discloses Her Jewish Roots, Forward, March 7, 2011) 彼女は子供の頃、過越の祭り(Passover)に出席したことがあった。ユダヤ人の家系であることを知ったヴァレリーは、「私の友達にとって、なんと素 晴らしい驚きなんでしょう」と喜んでいた。そりゃそうだろう。ホワイト・ハウスには首席補佐官だったラーム・エマニュエル(Rahm Emanuel)という筋金入りのシオニストがいたし、後に首席補佐官となり財務長官に任命されたジャク・ルー(Jacob Joseph Lew)もユダヤ人だ。オバマの腹心で選挙参謀だったデイヴッド・アクセルロッド(David Axelrod)もユダヤ人である。その他のスタッフや閣僚にもユダヤ人が多いのだから。
(左/ウィリアム・エアーズとバーナディーン・ドーン夫妻)
ユダヤ人の血統を持ち、イスラム文化に親しんでいたヴァレリーは、確かに国際人だろうが、英国の文化と伝統に根ざすアメリカ合衆国に愛着があるのかは定 かではない。口では愛国心を唱えていても、白い肌のアングロ・アメリカ人が建てた国家に対する気持ちは、実際どうなのか、やはり疑問だ。しかし、そんなこ とより彼女の人格形成にとっては、母親の家系と思想の方が、遙かに影響していたと思われる。母バーバラの実家であるテイラー家には、ロバート (Robert Rochon Taylor)という父親(ヴァレリーの祖父)がいて、シカゴの住宅開発局(Chicago Housing Authority)で初の黒人局長であった。しかも、バーバラの祖父ロバートは、マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業した初の黒人学生である。 (Thomas Lifson, All in the family: Valerie Jarrett and the Chicago communism, American Thinker, March 26, 2014) 学問で人種の壁を破った家系に生まれたバーバラが、教育分野で活動したのは自然なことかも知れない。ただ、バーバラの思想的背景や人脈が問題なのだ。児童 教育に熱心なバーバラは、慈善活動家のアーヴィン・ハリス(Irvin Harris)の支援をうけて、エリクソン研究所(Erikson Institute/Chicago School for Early Childhood Education)を共同で創設した。その研究所の理事会に名を連ねていたのが、シカゴで著名なトマス・エアーズ(Thomas Ayers)である。オバマの師匠で過激派テロリストたるウィリアム・エアーズ(William Ayers)の父親だ。しかも、ウィリアムの妻で過激派同志バーナディーン・ドーン(Bernardine Dohrn)も、エリクソン研究所の役員であった。(Aaron Klein, New York Times profile scrubs Valerie Jarrett's radical ties, World Net Daily, July 6, 2013) オバマの左翼仲間が集うエリクソン研究所は、彼が大統領になるや「景気刺激策」の一環で、5百万ドル(約5億4千万円)ほど貰えたそうだ。いやぁー、麗し い相互扶養である。他人のゼニ(税金)だと気前よく友達に配ることができる。
(左:ヴァーノン・ジャレット/右:フランク・マーシャル・デイヴィス)
実の母親が極左連中と仲間なら、義理の父親ヴァーノン・ジャレット(Vernon Jarrett)も、オバマ・コネクションに連なっていた。ヴァレリーはウィリアム・ロバート・ジャレット(William Robert Jarrett)と結婚したことで、ヴァーノンは舅(しゅうと)になる。このヴァーノンという義父は、表向きシカゴ・サン・タイムズ紙のコラムニストだっ たが、その裏の顔はコミュニストだった。あぁぁぁ、と驚くのはまだ早い。彼は何とあのフランク・マーシャル・ディヴィス(Frank Marshall Davis)の同志であった。このブログの読者なら、えっ ! 、フランクって、あのオバマの大好きな「フランクおじさん? 」と尋ねるだろう。そう、父親が誰か不明なオバマに白人社会への憎しみを植え付け、共産主義思想を伝授した人物である。なんかTVドラマのストーリーみたいに、登場人物が過去で繋がっている。
(左:フランク・マーシャル・デイヴィス/右:フランクと似ているオバマ)
ヴァーノン・ジャレットはテネシー州のノックスヴィル大学を卒業すると、シカゴに移り住み、左翼新聞社シカゴ・ディフェンダー(Chicago Defender)の記者となった。この「シカゴ・ディフェンダー」紙は、アメリカ共産党の影響を強く受けており、フランク・マーシャル・デイヴィスも寄 稿していたらしい。デイヴィスと共産党を通して繋がっていたジャレットは、表向き記者仲間として共に働いていたのだ。1946年、ジャレットは共産党のシ カゴ評議会員に選出された。この支部は後に、「民衆政を目指すアメリカ青年(American Youth for Democracy)」という、もっともらしい名前で通っていたが、いわゆる共産党青年部に過ぎない。ジャレットの党員歴は、聯邦下院の非アメリカ活動委 員会で暴露されてしまった。(Hearing before the Committee on Un-American Activities, House of Representatives, EighthCongress, first Session on H.R. 1884) デイヴィスはシカゴからハワイに移って、そこでオバマの母親アンと知り合うが、共産党員としての活動が目立つようになると、FBIの監視対象 になった。FBI職員が遠くの海岸やビーチ・ハウスに隠れて、デイヴィスの写真を撮っていたらしい。
1948年にジャレットはシカ ゴ・ディフェンダー社を辞め、赤い同志オスカー・ブラウン(Oscar Brown)と一緒に「ニグロ・ニュースフロント(Negro Newsfront)」というラジオ番組を始めた。それと同時に、シカゴ・トリビューン紙で、初の黒人コラムニストになり、後にシカゴ・サン・タイムズ紙 の編集委員にもなったという。メディア界での立場を利用して、ジャレットは政界に食指を伸ばした。彼はシカゴで初の黒人市長になるハロルド・ワシントン (Harold Washington)を支援し、悪の街シカゴを黒人が支配できるよう画策したのだ。シカゴ政界で暗躍していたジャレットは、若きオバマに最初から注目し ていた。そりゃ友人のフランクが可愛がっていた坊主だから当然だろう。シカゴの州下院議員だったキャロル・モズリー・ブラウン(Carol Moseley Braun)が、聯邦上院議員に出馬した時、オバマは裏で活動していたらしい。オバマのような左翼活動家が黒人票をかき集めたので、ブラウンは黒人女性初 の上院議員になれたし、クリントン政権下ではニュージーランド大使になれた。オバマが所属していた「プロジェクト・ヴォート(Project Vote)」という組織は、政治に関心が薄い有色人種に働きかけて、有権者登録を勧めてマイノリティー票を増やそうとしていた。だから、シカゴではたくさ んの黒人議員が当選できたのである。ワシントン市長が誕生したのも、ジャレットのような共産主義者が熱心に選挙活動をしたからである。
(左:キャロル・モズリー・ブラウン/ハロルド・ワシントン/リチャード・デイリー/右:ヴァレリー・ジャレット)
黒人が権力者になれば、そこに新たな黒人が集(たか)ってくる。ジャレットはジャヘナリストの立場を駆使してハロルド・ワシントンを市長にしようと奔走 した。すると、今度は晴れて当選したワシントンのもとに、義理の娘ヴァレリーが顧問としてやって来た。彼女は次ぎにあの悪名高いリチャード・デイリー (Richard Daley)市長の下で、補佐官代理を務めたのである。その頃、ヴァレリーはオバマの婚約者であったミッシェル・ロビンソン(後のオバマ夫人)を、陣営に 雇ったのである。こうした経緯が背景にあったから、ヴァレリーはオバマが上院議員選挙に出馬した時に、財政部門を取り仕切ったのである。大統領になったオ バマは、お返しにホワイトハウスに招いて、上級アドヴァイサーにしてやったのだ。左翼たちは互いに助け合って権力を掴み、ひとたび要職に就けば、仲間を引 き込んで権勢を拡大する。公職をもらった同志は、さらに仲間を呼び寄せるので、まるでネズミ講のように同類が増える。左翼というのは、人選を能力ではなく 同志という理由で行う。無能であっても黒人であったり、共産党員であればいいのだ。
オバマの周辺を調べると、日本人でさえうんざりするくらいだから、愛国者のアメリカ白人なら尚更しょんぼりしてしまう。建国当時のアメリカ人は、まさか 将来黒人が大統領になって、フランス革命思想を広めるとは想像していなかった。独立戦争を戦った元イギリス臣民の子孫は、先祖から受け継いだ共和国を、も はや「ホーム・カントリー」と呼べなくなっている。「ホーム(我が家)」という懐かしく、暖かい国家ではなく、不法入国者や奴隷の子孫、不気味な異人種が 混在する雑居房が、現在のアメリカ合衆国である。この国籍を持つ異邦人が、祖先の遺産を食いつぶしているのだ。個人の家庭に譬えるなら、見ず知らずの人間 や、敵対するよそ者、犯罪者、ゴロツキが家の中に土足で入ってくる状態といったところか。代々守ってきた家訓をこの侵入者や居候(いそうろう)が、勝手に 変更したり、祖先の遺品をぶちこわすか換金してしまうようなものである。そして遺産相続となるや、彼らはどこからか「権利」を持ち出して、「オレにもよこ せ」と要求する。こんな図々しさに、抵抗できない世帯主は情けない。もし、侵入者が大勢居坐って、家人と多数決で物事を決めるようになったら、屋敷ごと奪 われてしまうかも知れない。また、役所と居候が結託すれば、侵入者がいつの間にか養子となって主人の戸籍に入っているかも知れないし、土地の権利書も書き 換えられてしまうだろう。こんなことは一般家庭で現実には起きないが、国家になると起こってしまうのだ。アメリカは既に手遅れの状態になっているから、国 家の中身が変化し、土地は同じだが、そこに住む人間は違っている。移民を受け入れようとしている日本も、アメリカの二の舞になることは確実。他国が社会実 験をしたら失敗したのに、日本の左翼はそれを我が国でも再現したいと願っている。賢者は歴史に学ぶというが、それより一般人は現在の失敗を直視すべきだ。
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(左:カール・マルクス / 右:バラク・オバマ)
左翼政権というのは恐ろしい。国益より同志愛を優先し、同国人より外国人をいたわる。我が国でも民主党が政権を取った三年間は悪夢の連続だった。ロシア の手先である鳩山由紀夫が首相になり、国中を引っかき回し、安全保障までズタズタにしたら、二進も三進も行かなくなって政権を放り投げ。それを受けた菅直 人は更にひどかった。北鮮人とダッグを組む売国奴が選んだ女房役が仙谷由人。日本政府は北京と平壌の本社から指令を受ける支店となってしまった。我が国か 被った損害は相当なものだろう。アメリカ人も同じような愚行を犯してしまった。初物が好きなアメリカ人は、黒い鯛に喜んだが、中身が腐っていることに気付 かなかった。肌の色は見えても、脳味噌の色までのぞけない。黒人初の大統領だと大はしゃぎしたが、まさか筋金入りのコミュニストだと思わなかったから、そ の害悪を実感するまで時間がかかってしまった。
(左:キャス・サンスタイン/トッド・スターン/マーク・ロイド/右:デイヴッド・オグデン)
政権内部にどんな人物を入れたかで、少しはオバマの正体が分かるはずだ。その一部をちらっと紹介したい。まず、政府による規制が好きなキャス・サンスタ イン(Cass Sunstein)は、銃規制に乗り出し、国民が武器を所有する権利を取り上げようとした。つまり、武装して独立を保つべしとの憲法精神を踏み潰す。いか にもユダヤ人らしい発想だ。もう一人のユダヤ人トッド・スターン(Todd Stern)は、地球温暖化を盾にして政府による規制を強化しようとした。気候変動より、権限拡大に関心があるだけ。同じ黒人だからオバマに選ばれたマー ク・ロイド(Mark Lloyd)は、反米のベエズェラ大統領ヒューゴ・チャベスを称賛していた。この独裁者による民衆政治を褒めるくせに、米国では差別と偏見が満ちていると 不満を漏らす。彼は国内のラジオ局に白人が多すぎるから、有色人種や同性愛者をもっと雇うように勧告したという。これが、いわゆる「公平ドクトリン (Fairness Doctrine)」と呼ばれる政策であった。アメリカ白人が自由に発言できるメディアは、もうラジオくらいしか残っていなかったのに。ロイドは保守派の 番組を狙って、“不公平な”局に対し2億5万ドル以下の罰金を科そうとした。自由が好きなアメリカ白人は、こんな検閲や脅迫に怯えていたのである。
(左:若き日のホールダー/中央:司法長官になったホールダー/右:武装したブラック・パンサー)
米国はイングランドからの白人によって建てられたからしょうがないのに、要職が白人によって占められているとオバマは怒っていたのだ。そこで、大統領の 権能をもって、従来白人が就いていた役職に黒人を据えたのである。“黒人初”の司法長官にエリック・ホールダー(Eric Holder)を起用した。オバマの同志ホールダーは、不法移民に対して優しいだけではない。密入国者なんか大した問題じゃないのだ。プエルトリコのテロ 集団FALN( Fuerzas Armadas de Liberación National)にも恩赦を与えようと努力したくらい。有色人種なら犯罪者であっても、慈悲深い理解力を示すのがホールダー。オバマが大統領に出馬した 時、何と新ブラック・パンサー党(New Black Panthers Party)が、投票所の前で白人有権者を脅していたのだ。1980年代以降落ち目だった黒豹党の過激派が、オバマが登場したことで俄(にわか)に活気づ いた。アフリカのゲリラ民兵みたいな服装をして、手に警棒を持った黒人が、少しでも白人有権者が投票所に来ないよう嫌がらせをしていたのだ。これでは、女 性や高齢者は恐くて投票をためらってしまう。しかし、ホールダー司法長官は、黒人過激派の選挙妨害に対して取締を強化せず、やたらと寛大だった。なぜな ら、彼はこの兇悪な黒人どもを「俺の仲間(my people)」と呼んでいたからである。(Steven Nelson, Holder says experiences of ‘my people’not simolar to contemporary voter intimidation, The Daily Caller, March 3, 2011)
(左/ロレッタ・リンチ)
こんな黒人過激派を擁護するホールダーを選んだオバマは、ホールダーの後釜にロレッタ・リンチ(Loretta Lynch)という黒人女性を据えようとした。リンチはホールダーと同じく、不法移民が引き続き米国に滞在して、仕事を持てるようにたり、アメリカ国民と 同等の権利や福祉を受けられるようにすべし、との意見を公表していた。しかも、オバマが不法移民を赦免しようとするのは合法だ、と弁護していたのだから、 共和党員は彼女の司法長官任命に強く反対していたのである。しかし、彼女は上院で承認され、またもや“黒人女性初”という称号を冠した司法長官が誕生して しまった。このぶんだと、黒人初の「国防長官」とか「国土安全保障省長官」とかも出てくるだろうし、やがては黒人女性大統領が誕生するかも知れない。たぶ ん「白人女性大統領」が実現した後、「黒人女性」あるいは「白色ユダヤ人」、「ヒスパニック」といった初の大統領が、ぞくぞく登場するだろう。候補者の能 力や政策などそっちのけで、ただ黒人だから、女性だから、肌が浅黒いからなどの理由で、世界最強の合衆国軍を率いる最高司令官が決まるのだ。こうなれば、 ローマ帝國のカリギュラやネロが君臨した時代と大して変わらない。米国は衰退の一途をたどるのみ。
(左:昔のブラック・パンサー/右:新たなブラック・パンサー)
共産主義者は敵対する社会を道徳的に腐敗させる手口をよく使う。武闘派ではないオバマは、陰湿な文化破壊論者のコミュニスト。オバマはホールダーの手下 に、次官としてデイヴィド・オグデン(David Ogden)を置き、表現の自由を守る番人とした。ただし、ポルノ産業界の自由を擁護する彼の経歴を見込んでの人事である。(Matthew Schmitz, David Ogden and the New Pornographers: Why the Senate Should Reject His Nomination, Public Discourse, February 12, 2009) 彼は学校の図書館でも、子供たちが何であれ望むサイトに、不自由なくアクセスできるようにすべき、と主張していた。さすが「家族の価値」を強調するオバマ ならではの人選である。人権を尊重するオバマは、胎児殺しに理解を示す。保守的キリスト教徒なんかの雑音にとらわれず、中絶擁護の代弁者ドーン・ジョンセ ン(Dawn Johnsen)を司法省の法律顧問にしてあげた。女性の自由意志を強調する彼女は、中絶が規制されると妊婦は「単なる胎児の容器(fetal containers)に過ぎぬもの」、と見なされてしまうので、女性の選択と自由を尊重すべし、と主張していた。(Steve King, Johnsen's Radical Views Will Alienate Pro-Life Americans, Townhall, March 26, 2009) つまり、他人が女性に堕ろすなと禁止せず、女性が自分の意志で決断すれば良いという考えだ。でもさぁ、中絶反対派が妊婦を受精卵の保管庫とは思わないだろ う。赤ん坊を殺すことに異議を唱えているだけだ。何も喋れない赤ん坊なら殺してもいい、とするなら誰が赤ん坊の弁護士になるのか? だいたい、胎児の抹殺を「選択の自由」に分類するとは、ちと酷いのでは?
(左:ドーン・ジョンセン/エレーナ・ケーガン/ソニア・ソトマイヤー/右:セシリア・ムニョス)
前例無き人事を行うことが好きなオバマは、裁判所でも白人社会の慣例を破壊しようとしていた。最高裁判事にユダ人女性のエレーナ・ケーガン(Elena Kagan)を指名したのである。ケーガンは最高裁判事になる前に、何ら裁判官としての経歴を持たなかった。ハーバード大学の学部長をしていただけだが、 長所はホモに理解と同情があるだけ。レズビアンのケーガンは、仲間のホモに対して思いやりがあったということだ。軍隊に於ける同性愛者の存在を認めること を力説していたというから、軍のモラルを大切にする将校らは大激怒。でも、オバマは白人天下の軍隊が大嫌いだから平気だった。ヒスパニック団体から熱烈な 支持を受けていたオバマは、彼らに報いるため同類のソニア・ソトマイヤー(Sonia Maria Sotomyor)を最高裁判事に指名した。彼女はプエルトリコからの移民を両親に持ち、左翼思想で知られていたのだ。アメリカ白人を嫌いなソニアは、経 験豊富な賢いラテン人は、そうした人生経験を持たぬ白人よりも、より良い判断を下すのだ、という信条を表明したいた。これって、特定人種に対する偏見じゃ ないのか? ご心配なく。米国では大丈夫。人種差別は白人がするものと相場が決まっているので。ヒスパニックや黒人には、白人が持っていない言論の自由が認められてい るのだ。
(左:ジョージ・ソロス/右:メリンダとビル・ゲイツ夫妻)
中南米系有権者に恩義があるオバマは、選挙で大変お世話になったラ・ラザ(National Council of La Raza)というヒスニック団体にも、鄭重なお礼をしたのである。(ちなみに、この「ラザ」という語は「人種」を意味し、インディオの子孫たちが、白人を 打倒して失地を回復する意図を示している。) この団体には南米系の極左分子が集まっているが、その資金源は大富豪から流れていた。たとえば、カーネギー、ロックフェラー、フォードの諸財団はもちろん のこと、ビル・ゲイツの財団やシティー・グループ、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティー財団からも巨額の寄付金が注入されていた。下層の過激派と上 層のエリートが裏で結託していたのだ。そして、この異様な連合体が、民衆党を動かす一大勢力となっている。民衆党議員が不法移民の受け入れに積極的なの は、こうしたヒスパニック組織によって支持されているからだ。オバマはラ・ラザの副総裁を務めていたセシリア・ムニョス(Cecilia Munoz)を大統領附上級補佐官にした。権力の中枢に潜り込めたムニョスは、一生懸命不法入国者の合法化に取り組んだ。この裏事情を知れば、なぜ多くの 密入国者に恩赦が与えられていたのが分かる。
(左:ミリル・ベネット・アクセルロッド/中央:イシドール・ストーン/右:デイヴィッド・アクセルロッド)
選挙参謀というのは政治家にとって頼みの綱である。選挙に当選しなければ何も始まらないからだ。オバマの選挙を取り仕切ったデイヴッド・アクセルロッド (David Axelrod)は、首席補佐官だったラーム・エマニュエル(Rahm Israel Emanuel)と双璧をなすユダヤ人スタッフであった。デイヴィドが子供の頃から政治に興味を持っていたのは母親の影響で、いかにも左翼家庭で育ったユ ダヤ人らしい。母親のミリル・ベネット(Myril Bennett)は、デイヴッドの父ジョージが亡くなり、アブナー・ベネットと再婚したため、「ベネット」の姓を名乗っていた。この母ちゃんは、ロシアか らやって来たユダヤ移民の娘で、本名はミリル・ジェシカ・デイヴィッドソン(Myril Jessica Davidson)という。彼女も未来の息子と同じくジャーナリストであったが、勤め先が「PM」という左翼系日刊紙であった。その新聞社で共に働いてい たのが、あの悪名高いソ連のスパイ、イシドール・ストーン(本名はユダヤ人名のIsidor Feinstein/別名イジー・ストーンIzzy Stone)である。(Paul Kengor, The Quest for David Axelrod's Leftist Roots, The American Spector, April 2014) ストーンに関する情報は、亡命したKGB将校オレグ・カルーギン(Oleg Kalugin)の証言で明らかとなったが、ミリルは下っ端の左翼だったから注目されなかったのかも知れない。彼女の思想がどれくらい息子デイヴィッドに 伝染したかは不明である。ただ、母親の考え方は子供に継承されることがよくあるから、デヴィッドの左翼思考は母親譲りかも知れない。彼はオバマのもとを 去ったあと、英国の労働党にねぐらを見つけ、ユダヤ人党首のエド・ミリバンド(Ed Miliband)の選挙参謀に就任した。また、ユダヤ人脈による転職だ。エド・ミリバンドは兄のデヴィッドと同じ極左政治家で、父のラルフは有名な共産 主義者。彼は第二次大戦中に、ポーランドから亡命してきた迷惑なユダヤ難民である。ラルフは資本制国家のイングランドを心から憎んでいた。英国にはこうし た有害ユダヤ人が数多く流入していたのだ。
(左:エドとデイヴィッドの兄弟/右:父のラルフ・ミリバンド)
共産主義者の仲間がつどう白亜館
オバマが住み着いたホワイト・ハウスは、共産主義者の伏魔殿(ふくまでん)と化してしまった。黒いコミュニストが占拠する赤い屋敷となったから、さしず めアメリカ版クレムリン宮殿だ。スターリンが生きていたらさぞかし喜んだであろう。隠れ共産主義者のオバマは、ミサイルや戦車を使わずに、敵国アメリカの 首都を制圧できたのだ。彼は憎い西欧人を炭疽菌で殺さず、まず黒人仲間を各省にばらまいて、アメリカの統治機構を半永久的に麻痺させることに成功したの だ。そのオバマが引き込んだ左翼黒人の一人が、ヴァリリー・ジャレット(Valerie Jarrett)である。彼女はオバマに気兼ねなく話をできる、親密な上級補佐官であり、やましい過去を共有する同志であった。
(左:ヴァレリー・ジャレット/中央:父のジェイムズ・ボウマン/右:母のバーバラ・ボウマン)
このヴァレリー・ジャレット(旧姓Valerie June Bowman)は1956年イランのシラズで生まれた。彼女の父ジェイムズ・E・ボウマン(Dr. James E. Bowman)医師は産婦人科も務める病理学者で、合衆国政府が外国に派遣した医療団に属していたという。この職業がもとでイランに赴任し、その地で娘 ヴァレリーが生まれたというわけだ。母親のバーバラ・テイラー・ボウマン(Barbara Taylor Bowman)は幼児心理学を専攻しており、後にエリクソン研究所の設立に係わることになる。ペルシアの古都に生まれ育ったこともあって、ヴァレリーはフ ランス語とペルシア語、そしとちょっとした英語が話せたらしい。こうした生活環境からして、彼女には多文化主義や人種的多様性に賛同する素地ができていた ということだ。ヴァレリーはペルシャ風にスパイスの利いたラム肉や米が好物らしい。ちなみに、ペルシア人には日本の唐揚げ弁当が好評だ。中東アジアで育っ たせいもあってか、異民族に対しても違和感がないし、イスラム教文化を尊重している。
(左:母のアンと一緒のオバマ/右:幼い頃のオバマ)
ヴァレリーはオバマと似たような過去を持つ。オバマは母スタンリー・アンがインドネシアのイスラム教徒ロロ・ソエトロと再婚したことから、イスラム教の 学校に通い、ムスリム文化に親しんでいた。だから、大学時代にイスラム教徒の富豪からお金を貰えたのだ。浅黒い容姿をしたヴァレリーは米国でなら、露骨な 人種差別を受けただろうが、イランでは浅黒い子供が珍しくないから、比較的平穏に暮らせたらしい。しかし、イラン(「アーリア人」の国を意味する)のペル シア人は肌の白い「アーリア」人を理想といている。父親ジェイムズは合衆国陸軍で軍医を務めたから、黒人であることの悲哀を味わった。だから、米国を後に してペルシア人と暮らすことに何の抵抗もなかったのである。幼年期に外国暮らしをする経験を共有するオバマとヴァレリーが、様々な人種・文化的背景を持っ た人物に対して同情を寄せ、白人に対して憎しみをもつ傾向があるのは理解できる。(Jeffrey Bartholet, Many Obama Advisers Have Lived Abroad, Newsweek, January 16, 2009)
その他にオバマとヴァレリーが持つ共通点は、異人種結婚による複雑な血統であろう。ヴァレリーの顔を見ていると何人なのか判別しにくい。ヴァレリーには ちょっとばかり西欧系の血が混ざっているが、基本的には黒人とアメリカ原住民の混血児である。しかし、それだけではなかった。彼女にはユダヤ人の血も流れ ている。かつて、父ジェイムズは娘ヴァレリーに、彼の祖父(つまり彼女の曾祖父)がユダヤ人であることを告げたという。(Nathan Gutman, Presidential Aide Valerie Jarrett Discloses Her Jewish Roots, Forward, March 7, 2011) 彼女は子供の頃、過越の祭り(Passover)に出席したことがあった。ユダヤ人の家系であることを知ったヴァレリーは、「私の友達にとって、なんと素 晴らしい驚きなんでしょう」と喜んでいた。そりゃそうだろう。ホワイト・ハウスには首席補佐官だったラーム・エマニュエル(Rahm Emanuel)という筋金入りのシオニストがいたし、後に首席補佐官となり財務長官に任命されたジャク・ルー(Jacob Joseph Lew)もユダヤ人だ。オバマの腹心で選挙参謀だったデイヴッド・アクセルロッド(David Axelrod)もユダヤ人である。その他のスタッフや閣僚にもユダヤ人が多いのだから。
(左/ウィリアム・エアーズとバーナディーン・ドーン夫妻)
ユダヤ人の血統を持ち、イスラム文化に親しんでいたヴァレリーは、確かに国際人だろうが、英国の文化と伝統に根ざすアメリカ合衆国に愛着があるのかは定 かではない。口では愛国心を唱えていても、白い肌のアングロ・アメリカ人が建てた国家に対する気持ちは、実際どうなのか、やはり疑問だ。しかし、そんなこ とより彼女の人格形成にとっては、母親の家系と思想の方が、遙かに影響していたと思われる。母バーバラの実家であるテイラー家には、ロバート (Robert Rochon Taylor)という父親(ヴァレリーの祖父)がいて、シカゴの住宅開発局(Chicago Housing Authority)で初の黒人局長であった。しかも、バーバラの祖父ロバートは、マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業した初の黒人学生である。 (Thomas Lifson, All in the family: Valerie Jarrett and the Chicago communism, American Thinker, March 26, 2014) 学問で人種の壁を破った家系に生まれたバーバラが、教育分野で活動したのは自然なことかも知れない。ただ、バーバラの思想的背景や人脈が問題なのだ。児童 教育に熱心なバーバラは、慈善活動家のアーヴィン・ハリス(Irvin Harris)の支援をうけて、エリクソン研究所(Erikson Institute/Chicago School for Early Childhood Education)を共同で創設した。その研究所の理事会に名を連ねていたのが、シカゴで著名なトマス・エアーズ(Thomas Ayers)である。オバマの師匠で過激派テロリストたるウィリアム・エアーズ(William Ayers)の父親だ。しかも、ウィリアムの妻で過激派同志バーナディーン・ドーン(Bernardine Dohrn)も、エリクソン研究所の役員であった。(Aaron Klein, New York Times profile scrubs Valerie Jarrett's radical ties, World Net Daily, July 6, 2013) オバマの左翼仲間が集うエリクソン研究所は、彼が大統領になるや「景気刺激策」の一環で、5百万ドル(約5億4千万円)ほど貰えたそうだ。いやぁー、麗し い相互扶養である。他人のゼニ(税金)だと気前よく友達に配ることができる。
(左:ヴァーノン・ジャレット/右:フランク・マーシャル・デイヴィス)
実の母親が極左連中と仲間なら、義理の父親ヴァーノン・ジャレット(Vernon Jarrett)も、オバマ・コネクションに連なっていた。ヴァレリーはウィリアム・ロバート・ジャレット(William Robert Jarrett)と結婚したことで、ヴァーノンは舅(しゅうと)になる。このヴァーノンという義父は、表向きシカゴ・サン・タイムズ紙のコラムニストだっ たが、その裏の顔はコミュニストだった。あぁぁぁ、と驚くのはまだ早い。彼は何とあのフランク・マーシャル・ディヴィス(Frank Marshall Davis)の同志であった。このブログの読者なら、えっ ! 、フランクって、あのオバマの大好きな「フランクおじさん? 」と尋ねるだろう。そう、父親が誰か不明なオバマに白人社会への憎しみを植え付け、共産主義思想を伝授した人物である。なんかTVドラマのストーリーみたいに、登場人物が過去で繋がっている。
(左:フランク・マーシャル・デイヴィス/右:フランクと似ているオバマ)
ヴァーノン・ジャレットはテネシー州のノックスヴィル大学を卒業すると、シカゴに移り住み、左翼新聞社シカゴ・ディフェンダー(Chicago Defender)の記者となった。この「シカゴ・ディフェンダー」紙は、アメリカ共産党の影響を強く受けており、フランク・マーシャル・デイヴィスも寄 稿していたらしい。デイヴィスと共産党を通して繋がっていたジャレットは、表向き記者仲間として共に働いていたのだ。1946年、ジャレットは共産党のシ カゴ評議会員に選出された。この支部は後に、「民衆政を目指すアメリカ青年(American Youth for Democracy)」という、もっともらしい名前で通っていたが、いわゆる共産党青年部に過ぎない。ジャレットの党員歴は、聯邦下院の非アメリカ活動委 員会で暴露されてしまった。(Hearing before the Committee on Un-American Activities, House of Representatives, EighthCongress, first Session on H.R. 1884) デイヴィスはシカゴからハワイに移って、そこでオバマの母親アンと知り合うが、共産党員としての活動が目立つようになると、FBIの監視対象 になった。FBI職員が遠くの海岸やビーチ・ハウスに隠れて、デイヴィスの写真を撮っていたらしい。
1948年にジャレットはシカ ゴ・ディフェンダー社を辞め、赤い同志オスカー・ブラウン(Oscar Brown)と一緒に「ニグロ・ニュースフロント(Negro Newsfront)」というラジオ番組を始めた。それと同時に、シカゴ・トリビューン紙で、初の黒人コラムニストになり、後にシカゴ・サン・タイムズ紙 の編集委員にもなったという。メディア界での立場を利用して、ジャレットは政界に食指を伸ばした。彼はシカゴで初の黒人市長になるハロルド・ワシントン (Harold Washington)を支援し、悪の街シカゴを黒人が支配できるよう画策したのだ。シカゴ政界で暗躍していたジャレットは、若きオバマに最初から注目し ていた。そりゃ友人のフランクが可愛がっていた坊主だから当然だろう。シカゴの州下院議員だったキャロル・モズリー・ブラウン(Carol Moseley Braun)が、聯邦上院議員に出馬した時、オバマは裏で活動していたらしい。オバマのような左翼活動家が黒人票をかき集めたので、ブラウンは黒人女性初 の上院議員になれたし、クリントン政権下ではニュージーランド大使になれた。オバマが所属していた「プロジェクト・ヴォート(Project Vote)」という組織は、政治に関心が薄い有色人種に働きかけて、有権者登録を勧めてマイノリティー票を増やそうとしていた。だから、シカゴではたくさ んの黒人議員が当選できたのである。ワシントン市長が誕生したのも、ジャレットのような共産主義者が熱心に選挙活動をしたからである。
(左:キャロル・モズリー・ブラウン/ハロルド・ワシントン/リチャード・デイリー/右:ヴァレリー・ジャレット)
黒人が権力者になれば、そこに新たな黒人が集(たか)ってくる。ジャレットはジャヘナリストの立場を駆使してハロルド・ワシントンを市長にしようと奔走 した。すると、今度は晴れて当選したワシントンのもとに、義理の娘ヴァレリーが顧問としてやって来た。彼女は次ぎにあの悪名高いリチャード・デイリー (Richard Daley)市長の下で、補佐官代理を務めたのである。その頃、ヴァレリーはオバマの婚約者であったミッシェル・ロビンソン(後のオバマ夫人)を、陣営に 雇ったのである。こうした経緯が背景にあったから、ヴァレリーはオバマが上院議員選挙に出馬した時に、財政部門を取り仕切ったのである。大統領になったオ バマは、お返しにホワイトハウスに招いて、上級アドヴァイサーにしてやったのだ。左翼たちは互いに助け合って権力を掴み、ひとたび要職に就けば、仲間を引 き込んで権勢を拡大する。公職をもらった同志は、さらに仲間を呼び寄せるので、まるでネズミ講のように同類が増える。左翼というのは、人選を能力ではなく 同志という理由で行う。無能であっても黒人であったり、共産党員であればいいのだ。
オバマの周辺を調べると、日本人でさえうんざりするくらいだから、愛国者のアメリカ白人なら尚更しょんぼりしてしまう。建国当時のアメリカ人は、まさか 将来黒人が大統領になって、フランス革命思想を広めるとは想像していなかった。独立戦争を戦った元イギリス臣民の子孫は、先祖から受け継いだ共和国を、も はや「ホーム・カントリー」と呼べなくなっている。「ホーム(我が家)」という懐かしく、暖かい国家ではなく、不法入国者や奴隷の子孫、不気味な異人種が 混在する雑居房が、現在のアメリカ合衆国である。この国籍を持つ異邦人が、祖先の遺産を食いつぶしているのだ。個人の家庭に譬えるなら、見ず知らずの人間 や、敵対するよそ者、犯罪者、ゴロツキが家の中に土足で入ってくる状態といったところか。代々守ってきた家訓をこの侵入者や居候(いそうろう)が、勝手に 変更したり、祖先の遺品をぶちこわすか換金してしまうようなものである。そして遺産相続となるや、彼らはどこからか「権利」を持ち出して、「オレにもよこ せ」と要求する。こんな図々しさに、抵抗できない世帯主は情けない。もし、侵入者が大勢居坐って、家人と多数決で物事を決めるようになったら、屋敷ごと奪 われてしまうかも知れない。また、役所と居候が結託すれば、侵入者がいつの間にか養子となって主人の戸籍に入っているかも知れないし、土地の権利書も書き 換えられてしまうだろう。こんなことは一般家庭で現実には起きないが、国家になると起こってしまうのだ。アメリカは既に手遅れの状態になっているから、国 家の中身が変化し、土地は同じだが、そこに住む人間は違っている。移民を受け入れようとしている日本も、アメリカの二の舞になることは確実。他国が社会実 験をしたら失敗したのに、日本の左翼はそれを我が国でも再現したいと願っている。賢者は歴史に学ぶというが、それより一般人は現在の失敗を直視すべきだ。
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