2015年9月23日水曜日

無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年05月

ヒラリーとオバマの師匠は共産主義者

NHKに棲息していた人種主義者
Hillary Clinton 8Obama 4








   ヒラリーとオバマは同じ穴の狢(むじな)である。白人の元ファースト・レディーとと黒人の元上院議員が同類なのは、リベラル派だからと思うのが一般人の 反応だろう。確かにそうだが、具体的に言えば同じ師匠をもつ弟子だった、からということ。共産主義者の近衛文麿が師事した河上肇とか、政治家になりたかっ た菅直人が追従した市川房枝を思い出せば分かるかも。何? 河上肇を知らないの? 落ち目の共産党しか知らない高校生や大学生なら無理もない。河上とは、あのベストセラー『貧乏物語』の著者で、共産主義に染まった学生のヒーローだった学 者。一方、市川房枝は戦前、大日本婦人会や大日本言論報告会に属する国粋主義的活動家で、左翼に転向したのは戦後のこと。社民連の元気なオバチャン政治家 として知られていたが、山口組の田岡一雄と一緒に活動するなど、異色の「市民活動家」であった。菅直人にヤクザとの繋がりを聞いてみたい。

平野次郎(左/平野次郎)
   政治家を信用する前に、その人物の素性や交流関係、思想的背景、信仰、趣味などを下調べしないと、後で困ったことになことがある。しかし、世の中には知 識人ぶっているが、頭の中身が提灯みたいに空洞となっている人物が入る。典型的なのがNHKや朝日新聞の社員である。たとえば、元NHK解説委員の平野次 郎。このオッチャンはコチコチのエセ科学信奉者にして人種主義者であった。バラク・オバマの父親がケニアからの留学生だ、と信じていたことは許そう。海外 メディアの報道を鵜呑みにしていたのだから無理もない。どうせ、渋谷の本社でふんぞり返って高給を貪っていたんだろう。少しは勉強しろ、と言いたい。平野 氏はバラク・オバマ・シニアがアメリカ政府の選んだエリート・ケニア人であると褒め、白人女性と結婚したことを紹介する。ところが平野氏は、オバマ大統領 はこの優秀なケニア人留学生の息子だから、「優秀な遺伝子の持ち主」と称賛していた。(平野次郎 「オバマ大統領の世界戦略と経世済民」 『神道時事問題研究』 平成21年6月1日 第634号/ 講演記録文) また、ニセ人種主義かよ~。武内陶子と同じくNHKには、どうしてインチキ情報を垂れ流すゴロツキが存在するのか? 父親と顔つきや骨格が似る息子はいるし、科学的にも証明されている。しかし、勉強した知識は遺伝しないのだ。確かに、知能指数が親子で似ていることもある が、バリー(息子のバラク・オバマ)は全くそのケニア人と暮らしたことがないのだ。ただし、母親アンと一緒に暮らしたバリーは、無神論者で共産主義的左翼 の母から、宗教的無関心と共産主義思想を受け継いだ。オバマ・シニアがハーバード大学で学んだことは、空中を経由して遠く離れたハワイに住むバリーに伝達 しない。ただし、念力やテレパシーの信仰者だったら話は別。平野氏は少し科学を勉強しろ。NHKに科学問題解説者がいるだろう。

  一般人より教養が低い平野氏は、オバマの政策をこう述べている。

   一種の意識改革、思想の変革だと思っております。社会主義ではないにしても国家が責任を持って国を経営し、人々を豊かにし、人々に幸福な生活を保障する ということです。そのプログラムを実子、実行に移すためには建国前から200年以上の時間をかけて作り上げられたアメリカ的価値観をいじらなければならな いことになります。(上掲講演文から)

  まったく、NHKの元解説委員は脳天気な馬鹿でいいよねぇー。こんな頭で上級職員になれたんだ から。「社会主義」ではないオバマの思想って何なんだ? レーニンやスターリンだって工場労働者の幸福を説いたし、毛沢東も農民の生活向上を約束したじゃないか。しかし実際、ロシア人労働者は暗い生活を送った し、支那人農夫は悲惨な貧乏生活に陥った。アメリカの社会構造をいじくっているオバマは、社会改造思考、つすなわち共産主義思想の実行者なのに、何をとぼ けたことぬかしているのか ! こんなトンデモ頭の平野氏は、数千万円の年収を取っていたNHK貴族だったんじゃないか? 国民の受信料で贅沢に暮らす人物は、気楽な仕事で高額報酬を得ても、厄介な勉強はしないのだろう。

隠したかった赤い論文

Saul Alinsky 4








(左/サウル・アリンスキー)

   ヒラリーとオバマが憧れた師匠とは誰か? その名はサウル・アリンスキー(Saul Alinsky)というユダヤ人共産主義者である。えっ!? 聞いたことないって? 産経新聞はもちろんのこと、雑誌『正論』や『WiLL』でも取り上げなかった人物だから、一般の保守派読者も知らないだろう。昔の『正論』なら誰かが紹介 したのにね~ぇ。栄枯盛衰はどの雑誌にも訪れる。雑誌の『文藝春秋』は左巻きに、『Voie』は財界ヨイショの月刊誌に変身したし、『新潮45』は、女性 月刊誌になってから、凋落が止まらない。これじゃあ、日本の真面目な読者は無知なままだ。しかし、リベラル派や保守派のアメリカ人ならアリンスキーを知っ ている。悪の巣窟シカゴで有名であり、シカゴ出身のヒラリー・ロダム(後のクリントン)嬢が尊敬したのも納得できる。また、シカゴで革命活動をしていたオ バマが心酔したのも理解できよう。サウル・アリンスキーの両親は、ロシアからのユダヤ移民で、シカゴに住み着いた正統派ユダヤ教徒だったらしい。敬虔な信 徒だった父のベンジャミンと母のサラは息子をラビ(ユダヤ教の学者)にしたかったみたいで、サウル本人は嫌がった。こういう締付の強い厳格な家庭だと、そ の反動でとんでもない変態が育つことがある。

Cesar Chavez 3(左/チェザー・チャベス)
   将来の革命指導者は意外なことに、シカゴ大学で考古学を選考したのである。卒業後、犯罪学を勉強したらしく、アリンスキーはアル・カポネについても詳し かった。やはり、犯罪性の共通項を持っていたので、マフィアに共感したのかも知れない。イリノイ州で犯罪学専門家として勤めた後、アリンスキーは工業地域 を研究する財団(Industrial Area Foundation)を設立し、隠れ共産主義活動に専念したという。要は、シカゴなどの貧民地区に住む工場労働者、すなわち不満を募らせる黒人に働きか ける事業を興したのである。そんなアリンスキーを師匠にしたのが、あの有名なヒスハニック系活動家、チェザー・チャベス(César Estrada Chávez)であった。公民権運動という看板を掲げて左翼運動に取り組んだ南米人のヒーローである。彼の誕生日3月31日は、カルフォルニア、コロラ ド、テキサスといった州で祝日になっているくらいだ。ヒスパニック人口がこのまま増え続けたら、そのうち全米の各州で祝日になるかも知れない。建国の父祖 なんか「死んだ白人だろ。関係ねぇよ」とヒスパニックの子供なら言いそうだ。日本でも「金日成の天長節」とか「李舜臣の生誕記念日」、「安重根の鎮魂祭」 とかが実現しそうだ。まぁ、そんな馬鹿なことはないと信じたい。オバマもチャベスの祝日を演説で言及していたが、黒い繋がりには触れなかった。表面上は他 人を装っているが、左翼は地下人脈で繋がっている。

  現代アメリカの政界でリベラル派の人気者と言えば、ビル・クリントン元大統領夫人 で、国務長官を務めた後、大統領選挙にまて出馬したヒラリー・ロダム・クリントン(Hillary Diane Rodam Clinton)だろう。ところが、合衆国大統領を狙う野心家の女傑は、大学時代に極左活動家を尊敬していたのだ。わぁぁぁ。一大スキャンダルだ。まぁ、 夫ビルの姦通報道やヴィンセント・フォスターの怪しい自殺など、ヒラリーにはスキャンダルがつきものだから、何とか切り抜けて気にしないようしているのだ ろうが、さすがに大学の卒業論文は隠したかったみたい。やはり、恥ずかしいのだろう。名門ウェルズリー大学(Wellesley College)を卒業するにあたって書いた論文が、何と共産主義思想に基づいていたなんて、保守派の突っ込みは目に見えていた。卒論を一行一行精読され たらたまらない。ヒラリーは左翼作家が評伝を書いてくれるのは嬉しいが、大学時代を嗅ぎ回ることには不愉快だった。大昔に書いた論文が心配になったヒラ リーは、当時の論文アドヴァイザーで友人のアラン・シェチェター教授に頼んで卒論を隠してもらうよう手配した。(Bill Dedman, Reading Hillary Rodham's hidden thesis, NBC News, May 9, 2007)

Hillary Clinton 4Hillary-Clinton 3









(写真/若きヒラリー・ロダム)

   あれ~ぇ、おかしいぞ。ウェルズリー大学の卒論は誰でも読めるように公開されているのに、どうして超有名なファースト・レイディーの論文だけ、しっかり と金庫に保管されて鍵がかかっているんだ? 学長だって説明に困っただろう。ホワイト・ハウスから電話がかかってきたんだから、無碍(むげ)に断れないし、どうしてなんだと反対するわけにも行くま い。レーガ政権でスピーチ・ライターを務めたペギー・ヌーナン(Peggy Noonan)曰く、ヒラリー研究における「ロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)」だって。上手いこと言うねぇ ! 座布団三枚かな。ナポレオンがエジプトで石版を見つけたような発見とは。でも、その石版は野ざらしだったが、ヒラリーの卒論は厳重に密閉されていたから、 石版じゃなくて“いわく附き”の宝石だったんじゃないか。

  件(くだん)の論文は「“There Is Only Fight” (闘いあるのみ) An Analysis of the Alinsky Model」というタイトルで、1969年に提出された代物である。若きヒラリーはアリンスキーの攻撃的姿勢にシビれちゃったんじゃないか。アリンスキー が「リベラル」と「ラディカル」の違いについて語ったことに感激している。アリンスキーは「リベラル」派って奴らは、口にした目標に向かって戦おうとしな い連中だ、と評している。(p.13) てことは、ヒラリーは戦うことを選択する「ラディカル」ってことになるな。世間は彼女を「リベラル」と呼ぶが、ヒラリー本人は「ラディカル」と自負してい るのでは? だって論文の表題が「闘うのみ」だもん。ヒトラーの『わが闘争』と併せてて読みたくなる。アリンスキーは自分を独立革命当時のアメリカ兵とダブらせている が、ヒラリーもイングランドに叛旗を翻した英雄気取りだったんじゃないか。身分は女学生でも革命の志士になったつもりだったりして。ヒラリーはアリンス キーの著書を基にして政治を学んでいたから、彼女の政治手法にはこの革命理論が影響しているに違いない。彼女は「アリンスキーは生まれながらの世話役 (brn oerganizer)」で他人が容易に真似できぬ人物。その手腕もさることながら、「彼は類い希な魅力を持つ男」、と褒めている。(第4章の冒頭部分  p.53) そこまで惚れた男なら、生涯の恩師なんだろう。ヒラリーはみんなの前で卒論を朗読したらどうなんだ。 

煽動者としてのアリンスキー

   左翼の指導者というの口が達者で詐欺師と同じ。烏合(うごう)の衆を前にして勇ましく闘争を呼びかけるが、いざ実戦となれば後方支援ということで、事務 所か隠れ家から司令を下すだけ。多くの仲間が負傷したり死亡したりするのに、遠くのねぐらで野次を飛ばしている。味方の革命軍がやっとこ勝利を得た頃に なって、「いやいや、みんな大丈夫かい? 」と慰労の言葉を掛けながら、あたかも先頭で闘った突撃隊長みたいな顔をする。学生運動時代の菅直人みたい。機動隊を前にしたら、仲間を先頭に押し出し て、自分は直ぐ逃げられる状態で勇ましかった。無傷で前科のない菅直人は、晴れて首相になれてたが、このうぬぼれ屋は自分の政権を「奇兵隊」内閣だ、と豪 語した。逮捕された仲間が聞いたら怒るぞ。「テメエ、一度でも機動隊と殴り合ったのか?」て言われてしまう。アリンスキーも詭弁の達人。大衆を直接扇動し たが、基本は口舌の徒であった。「組織をつくる(organizing)」ことを頻繁に語るが、これは「革命(revolution)」の隠語である。社 会の主流から外れたマイノリティー(黒人やヒスパニック等の有色人種)の不満を上手く利用して、大衆運動を“組織”すれば、自分のに権力が集まり、既存の 社会体制を打倒できる。その際、「革命」という言葉を避け、「改革」と言い換えればよい。日本でも民主党は「共産主義」を抜いた「マニュフェスト」を掲げ ていたが、マルクスの『共産主義宣言(コミュニスト・マニフェスト)』を念頭に置いた用語であった。民主党議員は愛読書を忘れていなかったのだろう。アリ ンスキーは共産主義「革命」を目指していたのに、著書ではアメリカ独立「革命」のように見せかけていた。

  改革というのは大衆が従来の 方法や価値に幻滅する団塊に達したことを意味する。彼らは何がどうなっているか分からぬが、今あるシステム(制度)が明らかにダメで、イライラするし、希 望が持てない、ということは分かっている。彼らは変化のために行動を起こせないが、変化を起こそうとする者に対して強く反対することはない。革命の機は熟 した。(Saul Alinsky, Rules for Radicals, Vintage Books,New York,1971, xxii)

   日本共産党も「民主集中」だの「デモクラシー」とかを口にするが、「一党独裁」という本音を漏らさない。民衆の票を獲得して、政権を掌握すれば、無力な 庶民はみな奴隷にされてしまう。赤い貴族が誕生して、反対する民衆は密かに粛正されてしまうか、人民裁判にかけられてあの世行き。民衆とは利用するもの で、奉仕の対象ではない。アリンスキーは執筆の目的を語る。「我々は権力を簒奪するため如何にして大衆を動員するか、そしてそれを人々に与えたいいいのか に関心がある。つまり、平等と正義、平和、協力、という民衆政治の夢を実現すること、教育を平等に受けられ、誰にも機会が訪れること、みんなが健康でそれ ぞれが職につけること、意義ある人生を送れるチャンスを掴める状況をつくること。我々は世界を変えるであろう大衆動員の組織について話しているの だ。・・・・跪いて生きるより立ち上がって死のう。これは革命を意味する。(上掲書 p.3) 目的が立派なら手段は問わぬ、というのがアリンスキーの基本姿勢である。知識人で統率者たる自分が、無知な大衆を取りまとめて権力を奪取しようという腹 だ。

obama college days 2Obama 2







(左:学生時代のオバマ / 右:シカゴ時代のオバマ)

   バラク・オバマが2008年の大統領選に出馬した時、彼の人種はもちろんのこと、その経歴が話題になったことがある。ハーバード・ロー・スクール出身の オバマは、上院議員に当選する前、何をしていたのかを人々は知りたがったのだ。オバマが嘗て「シカゴ・アネンバーグ・チャレンジ」や「ウッズ・フアンド・ オブ・シカゴ」といった財団の役員をしていたことは以前述べた。(赤い大統領を 参照。) 弁護士のオバマは理事会メンバーやコンサルタントを務めるかたわら、コミュニテ・オーガナイザー(community organizer)という地元住民を組織化する役目を担っていたのである。しかし、この役職はアメリカ人にもピンとこない。元ニュー・ヨーク市長のルド ルフ・ジュリアーニがある演説会で、「オバマ議員は以前、コミュニティー・オーガナイザーであったそうです。でも、何だそれ ? 」と不思議そうに茶化した。会場の聴衆は大爆笑。工場労働者とか製造業者、セールスマンという職業なら一般人でも分かるが、地元住民を束ねる世話役なんて まともな職業なのか? なんか怪しい労働組合の裏専従みたいに思えてしまう。だからみんな「ギャハハハ」と笑ったのだ。どうせオバマは赤なんだろう、と誰だって察しがつく。

   革命を目指すアリンスキーは、バラバラで行動力のない大衆を、リーダーが束ねて目標に向かって誘導せねばならぬことを説いていた。ただし、愚鈍な大衆は 猜疑心が強いから、彼らが人格的に信頼する人物が指導的立場に就くべし、という信念だった。そこで彼は地元の人間がリーダーにふさわしいと推奨する。

   人民の組織は人民自身の中に根を持たねばならぬ。もし、人民の組織を一本の木に譬えるならば、地元のリーダーはその根であり、人民は土である。土に植え られ、土から栄養を得るならば、その木は根によって支えられねばならない。(Saul Alinsky, Reveille for Radicals, University of Chicago Press, Chicago,1946, p.87)

  革命の実践を企むアリンス キーは、大地に根を張る組織を作って、大衆運動を仕掛けようと提案したのだ。その組織が強靱な団体として活動するには、人々が肌で信頼する人間を求めてい たのである。シカゴの黒い貧民には、親身だがエリートぶった白人リベラル派ではダメだ。やはり、同じ容姿、つまり黒人の指導者が適任である。同種の黒いア フリカ人仲間という、理性ではなく感情で絆を構築しなければならない。だから、オバマはリーダーに祭り上げられたのだ。シカゴの無知な黒人が、法律を扱っ た政策だの崇高な理念、といったことは分からない。そこらの姉ちゃん、兄ちゃん、オッちゃん、ババアは、同じ黒人という外見と、黒人なまりのアクセント、 下品な笑い声などに共感を覚える。イギリス紳士のように「フフフ」と上品に笑う人物とはソリが合わない。オバマに投票した黒人や有色人種の大半が、黒人だ からと言う理由で投票したのである。日本の評論家は白人だけの人種主義を非難するが、黒人だって人種主義や部族主義で政治を行っているのだ。

   間抜けな大衆を動員する一方で、共産主義者は既存の政治体制の中に、仲間の細胞を送り込む。これはレーニンやスターリンが用いた手口で、敵を内部から腐 蝕させて、崩壊に導く戦術である。コミンテルンの総書記ゲオルギ・ディミトロフ(Georgi Dimitroff)も、同志の共産党員に対し、敵国のキリスト教会や労働組合、政党に侵入(infiltration)して内側から攻撃せよと勧めてい る。古典的な「トロイの木馬」作戦の遂行である。(J. Edgar Hoover, Masters of Deceit, Henry Holt and Company, New York, 1958, p.213) 文明国の人間は外部からの攻撃に対しては頑固に抵抗するが、内部からの合法的な手段に対しては脆い。オバマは経済的利益でシカゴの黒人を束ねて、黒い肌の 同族から支持を得た。その一方、反目する白人有権者に対しては、人種偏見は倫理的悪であることを宣伝し、白人の良心を突きながら寝返る者を増やす。まんま と議会に潜り込んだら、ドンドン黒人に有利な法案を通して、社会の枠組みを変えてしまうのだ。これは文化面を攻撃する共産主義者の一派、フランクフルト派 (Frankfurt School)が提唱した戦術である。

  兇暴性を秘めた共産主義者らしく、アリンスキーは政治のテクニックを弟 子たちに伝授する。例えば、なんらかの政治問題を取り組む時、自らの大義は100パーセント正しく、天使の側に立っていると確信せねばにらない。そして、 対立する敵は悪魔の側に立ち、100パーセント間違っていると思うべし。このような信念をもつとき行動できるのだ、と説いてている。(Rules for Radicals, p.78) ラディカルを自認するアリンスキーは、革命家の油断を戒めている。組織家はちょっとした譲歩をしても、正しい方向に前進できたんだからいいじゃないか、と 喜ぶことがある。しかし、悪魔との妥協は倫理に反し、組織者は最終目標である敵の殲滅を遂行せねばならない。アリンスキーは厳しく諭す。戦争とは知的な討 論ではなく、社会悪に対する闘いだから、フェア・プレーのルールはいっさいないのだ、と。彼は冷徹なマキャヴェリアンである。共産主義者はマフィアと同じ で、敵を皆殺しにするまで安心できない。自由主義の国民は、政敵との妥協を模索して、平和裏に事を解決しようとしがちだ。しかし、確信的共産主義者は、勝 利を得るまで本性を隠し、究極の目的を達成するためには、どのような汚い手段でも用いる。目的は手段を正当化するのだ。倒した敵は喋らない。死人に口無し が彼らのモットーである。

  従来、白人だけしか大統領になれない米国で、オバマが大統領になれた秘訣とは何か? それは白人中流階級を切り崩せたからである。未来の革命家にアリンスキーは様々な戦術を伝授していた。その一つに、中流階級のラディカル化があった。 (Rules for Radicals, p.195) 各界に潜伏した革命分子は、黒人大統領に抵抗があった白人層を、黒人が大統領になってもいいじゃないか、という気持ちに変化させたのである。アリンスキー の弟子たちは師匠のルールブックに則り、その教えを実行していたのだ。この師匠は1960年代の左翼を叱っていた。粗暴な学生運動家は、左翼陣営に引き込 めたであろう中流階級をビビらせてしまったのだ。真の革命家はその過激さを見せびらかしてはならない。だから、アリンスキーは、左翼学生に長髪を切り、 スーツを着て身なりを整えて、社会組織に潜り込むよう命じたのである。そうしたら次ぎに、勧誘しようとする一般人の話し方を学んで、相手を油断させ左翼世 界に取り込むのだ。アリンスキーは「自由、平等、同志愛」とか「公共の福祉」、「幸福の追求」といった受け入れやすいフレーズを使えと指南していた。ま た、左翼が警察官に対して使っていた「この豚野郎」といった言葉を封印することも命じていたのである。

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(写真/疑惑の指輪をはめたオバマ)

   共産主義者のオバマは、アリンスキーのルールに従って行動し、発言していたのである。オバマは幼い時から共産主義者に囲まれていたのに、決して共産主義 者であることを公言しなかった。白人の母親を持つことで、白人たちとも交流し、大学時代は白人の恋人まで持っていた。名目上はキリスト教徒でも、信仰心は 微塵もなく、利益があればイスラム教徒と仲良くなれる。ムスリムの富豪から経済支援も受けていた。そして、普段は「アッラーのみが主」というデザインの指 輪までしているのだ。オバマの写真を拡大して観てみると、結婚指輪でない、妙な指輪をしているのが分かる。エジプト生まれのイスラム教学者マーク・ガブリ エル(Mark A. Gabriel)博士も、オバマの指輪に刻印されているアラビア文字を解読して確認していた。(Jerome Corsi, Obama's Ring, There Is No God But Allah, World Net Daily, Oct 10, 2010 / イスラム教徒なら「Alif, Lam, Alif, Lam,Lam Ha.」が何を意味するのかが直ぐ分かる。) ところが、日本のマスコミは一切報道しなかった。オバマがまるで敬虔なキリスト教徒であるかのような話ばかりを垂れ流していた。共産主義者にとっては、篤 信は他人を騙す手段に過ぎない。これといった才能が無いオバマは、唯一得意な演説の暗記で、「自由(liberty)」とか「社会正義(social justice)」、「希望(hope)」といった中身のない綺麗な言葉をよく使っていた。選挙演説では、「白、黒、黄色といった違いは無い。我々はみな アメリカ人だ」とか「そうだ、できるぞ(Yes, We Can)」といった空虚なキャッチ・フレーズを連呼し、聴衆を煙に巻いていた。黒人特有のアクセントで喋らず、標準英語で白人中間層に訴えてるスタンス は、師匠譲りの戦術であろう。黒人英語丸出しの牧師のジェシー・ジャクソンやジェレマイア・ライトと比べたら一目瞭然だ。オバマの正体を見抜けなかったリ ベラル派の白人は、まんまとオバマに騙されて一票投じてしまった。大統領の座を手にしたオバマは、左翼仲間を権力構造の中に入れて、合法的に革命に着手し たのだ。

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(写真/指輪の拡大)

白人社会を憎むオバマの赤い友達

   左翼が一度でも政権を握ったら大変だ。赤い政治家はその地位を利用して人事異動を行い、気にくわない奴を追放して、その後釜に仲間を据えてしまう。我々 も民主党政権誕生で悪夢を見た。しかし、夢じゃなくで現実だったから尚更恐ろしい。権力の中枢と官僚機構に極左分子が雪崩れ込み、国家機密を盗み出した り、赤い官僚を昇進させる一方で、国益をちょっとでも大切にする役人は左遷する。仙谷由人や岡崎トミ子、千葉景子らの極左がどんな機密ファイルを外国に渡 したか、我々には分からないだろう。もし、そんなこと公表したら、逆に国家機密がバレてしまうからだ。米国の場合だと日本と比べものにならぬほどのダメー ジとなる。フランクリン・ローズヴェルト政権の時を思い出せば、どれほど合衆国政府内にソ連のスパイや極左人士が侵入したことか。我々もソ連のスパイ、ハ リー・デクスター・ホワイトによって散々な目に遭った。オバマ政権でも、左翼分子が各部署で要職に就き、それぞれが更なる左翼仲間を引きずり込んだのであ る。アリンスキーのルール・ブックに忠実なオバマの罪悪は計り知れない。

  白い館(ホワイト・ハウス)の主人となった黒い大統領は、ま ず黒人仲間に恩賞を与えた。日本では全然紹介されなかったが、ヴァン・ジョーンス(Van Jones/元の名はAnthony Jones)は、オバマの寵臣たる赤い黒人である。このジョーンズはホワイト・ハウスで、オバマに環境問題について助言をする役職に就いた。 (Special Advisor for Green Jobs, Enterprise and Innovation) 当時、地球温暖化問題が話題になっていたので、二酸化炭素排出や企業への規制、環境技術革新などについて、大統領も質問を受けるから、誰か専門家を置いて 対処させようとしたわけである。だが、ジョーンズは科学者ではなく、法律家の皮を被った黒人過激派だった。

Van Jones 1(左/ヴァン・ジョーンズ)
   ジョーンズはオバマと同じくロースク・スクール出身の活動家で、イェール大学の法科院に入学したたが、その目的は法律の研究ではなかった。(もしかした ら、有色人種優遇政策で名門大学に入れたんじゃないか。) 白人上流階級の子弟が通う大学に、黒人が入るのだから、最初から居心地が悪い。しかも、イェール大学に着いた時のジョーンズは、軍隊用ブーツにブラック・ パンサーが持つバッグを背負うという出立(いでたち)だった。(Eliza Strickland, The New Face of Environmentalism, East Bay Express, November 2, 2005)  ブラック・パンサー(Black Panthers Party/黒豹党)とは、1960年代後半から70年代にかけて暴れ回った過激な黒人組織である。共産主義に基づく革命により、白人支配から黒人を解放 する目標を掲げていた。マルクスやレーニンはもちろんのこと、チェ・ゲバラやフランツ・ファノンも彼らのヒーローであり、意外なことに毛沢東の思想を称賛 していたのだ。人民に奉仕せよ、という毛沢東を見習って、貧しい黒人の為に社会活動を行ったというが、メインは武力闘争であったことに間違いない。黒い服 に身を包み、ベレー帽を被って銃をかつぐ姿は、一般のアメリカ白人に恐怖感を与えていた。高級な背広を着ていても、ジョーンズの正装は黒豹党の衣装であろ う。

Black Panthers 1Black Panthers 6







(写真/ブラック・パンサーの黒人)

   黒人が法学院に入学する理由は、まずお金持ちになって社会的地位を手に入れることであるが、その他に法律を使って政治活動をしようとする場合である。法 科院に通うジョーンズは、サン・フランシスコにある法律事務所(Lawyers Committee for Civil Rights/LCCR)に見習い生(intern)として雇われることになった。リベラル派が優勢のアメリカでは、法律事務所が左翼の巣窟となっている 場合が多く、ジョーンズにとって決して悪い職場ではない。彼は黒人意識が強く、アメリカをレイシスト国家として憎んでいた。黒人に犯罪者が多いのは、白人 社会の仕組みや差別の歴史が原因だ、と思っていたらしい。黒人共産主義者には、黒人の自己責任を問うことより、社会構造を非難する者がたくさんいるのだ。

   1992年、ジョーンズの運命を決定づける事件が起きた。ロサンジェルスの警察官数名が、黒人のロドニー・キング(Rodney King)を逮捕する際、過剰な暴行を加えてしまい、その映像がテレビで放送されてしまった。その光景を観た黒人は激怒し、大規模な暴動が起きて、警察官 が多数出動する騒ぎになったことは有名。(左翼メディアは言及しないが、実際のキングは兇暴な黒人で、警官もやっとの事で取り押さえたというのが真相 だ。)しかし、日本人はもう忘れているかも知れない。ジョーンズは白人警官による黒人への暴力に憤り、ワシントンD.C.に移る予定をキャンセルして、サ ン・フランシスコに留まることを決めたそうだ。彼は当時を回想して語っている。

  私は後の10年間を刑務所で会った多くの人々と働くこ とに費やした。そして革命家になろうと試みたのだ。・・・私は4月28日には粗暴なナショナリストであったが、4月29日の(事件の)判決を聞き、8月1 日までに共産主義者(I was a communist )となっていた。(上掲記事 The New Face of Environmentalism)

  のちにホワイト・ハウスでアドバイザーになる公人が、共産主義者だったなんてレーガン大統領やニ クソン大統領が聞いたら何と思ったことか。反共の政治家が墓場から舞い戻ってしまうぞ。世の中は変わったもんだ。1994年に若き共産主義者は、「共に立 ち上がって革命運動をつくる(Standing Together to Organize a Revolutionary Movement/STROM)」という組織を創設した。これはマルクス・レーニン主義に立脚する多人種混淆社会を実現しようとする団体である。とはいっ ても、マルクス・レーニン全集でも読んで、理論を勉強するわけではない。黒人は白人を皆殺しにする言い訳が欲しいだけで、向坂逸郎(さきさか・いつろう) みたいにマルクス主義の文献集めに夢中になったり、福本イズムがどうしたこうした、なんて議論する日本のマルクス・ボーイとは種類が異なる。(向坂は共産 主義学者で、マルクスかぶれの学生には人気があった。) だいたい、黒人の若者が集まって、ドイツ語の学術書を輪読するわけないだろう。馬鹿真面目な日本人とは違うのだ。

George Soros 4(左/ジョージ・ソロス)

   1996年になるとジョーンズは、自分の組織を持ちたいと思うようになった。そこで、公民権運動の英雄であるエラ・ベイカー(Ella Baker)に因んで、「エラ・ベイカー人権センター(Ella Baker Center for Human Rights)」という組織を創設した。見るからに左翼団体ということが分かる。アメリカの司法制度は人種主義に汚染されているので、犯罪者を投獄する以 外の道を模索しようとする趣旨で作られたという。しかし、ここで疑問が生じるだろう。ジョーンズはお金持ちだったのか? 刺青を彫ったゴロツキ黒人と一緒になって、治安維持に努力する警察官に楯突いたり、犯罪者の支援活動なんかしていたジョーンズに、資金なんかあるはずな い。では、どこからお金が流れてきたのか? 呼ばれて、飛び出て、じゃじゃーん。あのヘッジファンドの帝王、ジョージ・ソロスの旦那がパトロンになっていたのだ。あっ、またか ! と思うお嬢ちゃんお坊ちゃんはアメリカ通。ハンガリー出身のソロスは、英国ポンドの売り浴びせで、イギリス政府を破産寸前に追い込んだ強欲ユダヤ人。 濡れ手に粟の札束が、左翼団体に注ぎ込まれていたのである。グローバリストとコミュニストは裏で手をつないで歩く。ちょうど、ボルシェビキのユダヤ人革命 家と英米のユダヤ資本家が提携していた関係にそっくり。ソロスの財団「オープン・ソサエティー(Open Society Institute)」は、1996年から2007年までに100万ドル以上も寄附しており、ジョーンズがオバマ政権に加わる前だと、2006年に15万 1800ドル、2007年だと14万ドル渡していたのだ。(Kliff Kincaid, Soros Money Financed Communist Van Jones, Accuracy in Media, September 15, 2009) ハンガリーからのユダヤ移民ソロスは、皆に開かれた社会(オープン・ソサエティー)が大好きで、不法移民を支援したり、白人社会を撲滅しようとする左翼団 体に気前よく献金している。国民主義とか保守思想というのが大嫌い。異質なユダヤ人を排斥する民族主義を憎んでいる。

  在日朝鮮人と似 ているが、黒人共産主義者の基調は、支配民族への憎悪、すなわち白人への怨念が原動力となっている。ジョーンズが2005年に「変化の色(Color of Change)」という組織を作ったのは、合衆国を人種主義がこびりついた国と見なしていたからである。共産主義に惹かれたのも、白人が作った資本制社会 を破壊したいからで、資本制を打倒して共産主義体制にすれば、貧しい黒人が豊かになるとは思っていない。もし、共産圏が素晴らしければ、冷戦時代アメリカ 黒人やアフリカ難民はソ連に移住しただろう。白人社会への憎悪に燃えた黒人に、財政出動や金融政策など分かるはずがない。自然科学を勉強したことがない ジョーンズが、なぜ環境問題担当になったかは、この問題を無視すると理解できなくなる。(ジョーンズが環境問題に詳しい武田邦彦先生みたいな能力を持って いるとは誰も思っていない。) 今では懐かしいが、偽善者のアル・ゴア副大統領が、クリントン政権時代に地球温暖化問題を熱心に説いていた。こんな事を聞けば、人も羨む豪邸に住むゴア が、他人の電気代や燃料費についてあれこれ言えた義理か、と皆怒ってしまうだろう。ジョーンズもこの話題に一枚噛もうとして、「みんなに緑を(Green For All)」という非政府組織を創設した。まったく調子がいいというか、うまい話の臭いに敏感な共産主義者である。すると、またジョージ・ソロスがお金をく れたのだ。ソロスの金庫は東京ドームより大きいのか?

  ジョーンズが公害問題に憤慨したのは、地球を愛していたからではなく、白人が有 色人種を犠牲にして繁栄を享受していたからである。彼は著書『The Green Collar Economy』の中で、ハリケーン・カトリーナによる黒人の悲劇に言及している。この自然災害は地球温暖化や白人至上主義、自由市場経済、イラクでの石 油を巡る戦争によってもたらされた、というのだ。白人どもは黒人地域に洪水を防ぐ充分な堤防を築かなかった、と非難するとともに、黒人が災害から逃げおく れたのは、白人が自家用車を持てないほど黒人を貧しくさせていたからだ、と言いがかりをつけていた。つまり、ハリケーンは天災だが、黒人の被害は白人によ る人災だ、と言いたいわけだ。ここまでくれば、坊主が憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い、と同じ理屈。共産主義者は様々な問題にかこつけて、それを資本制社会 の弊害に結びつけ、既存社会を転覆しようと企てる。アリンスキーが教えたように、権力構造に浸透して内部からメチャクチャにしようとしていたのだ。ジョー ンズがエネルギー問題を解決できるなんてオバマでさえ思っていなかっただろう。結局、保守派から激しく批判されて、ジョーンズは辞任に追い込まれたが、 「アメリカ進歩センター(Center for American Progress)」の上級職員にまんまと納まった。この組織もジョージ・ソロスの資金が流れていた。(Cliff Kincaid, News with Views, October 3, 2100) またかよぉ~。いい加減にしろよ ! この二人はホモ関係か、と疑いたくなるくらい仲がいい。

  ホワイト・ハウスでの職を失っても、ジョーンズは脚光を浴び続けた。2010 年には、NAACP(全米黒人地位向上協会)から、公共事業への貢献を評価され表彰された。プリンストン大学では環境と経済について講義を行い、ギル フォード大学では社会正義について説教を垂れていた。2011年には、また新たな「アメリカン・ドリーム運動(American Dream Movement)」という団体を作る一方で、資本制社会に反対する「ウォール・ストリートを占領しろ」運動にも精を出していたという。2013年には、 CNNの名物討論番組『クロス・ファイアー』で共同司会を務めた。黒人を支援する左翼メディアが、ジョーンズを若き論客として重宝したのだろう。先進国は 何処でも左翼がマスメディアを支配しているから、これからも大衆洗脳番組がどんどん放送されるに違いない。自由にものが言えるのは、今のところインター ネットだけだが、それだっていつまで続くか分からない。左翼どもが言論規制を掛けてくるからだ。共産主義者は検閲と粛正が得意。左翼は言論の自由を謳歌す るが、保守派は恐怖の支配に怯える。アメリカ白人は黒人に対して罪悪感を持っていたので、ついに有色人種から逆支配を受けるようになった。日本の保守派 も、弱者を装うアジア人や左翼勢力に遠慮していると、しまいに抵抗できないくらいの支配を受けることになるだろう。

  新しいことが好き なアメリカ人は、左翼教育で洗脳され、ついに黒人大統領を輩出してしまった。選んだ黒人が共産主義者だったとは、冷戦時代に共産主義国と闘ったアメリカ人 にとって、何と言う皮肉な結果であることか。第二次世界大戦で、スターリンに東欧を奪われ、日本軍を追い払ったら支那大陸を毛沢東に取られてしまったアメ リカ人。日本人を朝鮮半島から一掃したら、代わりに支那共産軍が雪崩れ込んで、合衆国軍は押し込められてしまった。赤の脅威にマッカーサー将軍は真っ青。 原爆を満洲に投下しろ、なんてわめいてしまった。インドシナから日本軍がいなくなったと思ったら、ベトナムの共産勢力がフランス人を蹴散らして、助太刀の アメリカ人が代わりに戦って底なしの泥沼。冷戦が終結したのに、湾岸戦争を始めたアメリカ人は、中東戦争から抜けられなくなり、ずるずると長期戦。こんど は対テロ戦争の名目で、アメリカ兵が次々と死んでいる。そればかりか、戦争での死に怯えたアメリカ兵には、自殺者が出ていた。えっ、戦死じゃなくて、自害 で死亡するアメリカ兵って何なんだ? 外国での戦争に疲れて帰返ってきたら、故郷は異人種移民で溢れている。中東アジアやアフリカから難民を受け入れたせいで、アメリカ国内はテロリストがうろ つくようになった。アメリカ社会が倫理的、経済的、政治的に溶解しているのを見て、共産主義者がほくそ笑んでいる。ソ連の赤軍でも倒せなかったアメリカ合 衆国に、南アのネルソン・マンデラ見たいな極左大統領が誕生したのだ。ちなみに、マンデラはKGBの手先であった。オバマを調べると、次々とスキャンダル や怪しい話が飛び出てくる。疑惑と問題の宝庫がオバマだ。しかし、あまりに陰湿な過去なので、今日はここまで。近いうちにまたオバマを取り上げててみた い。「またなの~ 、もういいよ」て言わないでね。




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国民の命は移民より軽い / ツケはいつも庶民が払う

支那人による人災

  新興宗教家が「人類皆兄弟」といっ て、地球人の平等愛を説くのはしょうがないが、国家の治安を守る政府が人類への博愛を説いては困る。現実の世界では“民度の差”が存在し、高級な国民と低 級な外人で別れてしまうのだ。これは客観的基準による区別ではない。先進国の国民なら口に出して言わないが、皆が密かに心で思っている常識である。文明国 だと人々が上品になって本音を漏らさないが、見栄も外聞も無い野蛮国の住民だと遠慮無く公言する事実。地球上で最低な地域からやって来る支那人を、我々と 同等に扱おうとする日本の官僚や議員は偽善に満ちている。綺麗な空気と水があるだけで幸せと思う支那人と、医療と福祉が充実して将来設計が当り前の日本人 とでは、「人間の価値」が違うのだ。北京政府の冷酷な支配者にとって、支那民衆はイナゴかネズミくらいの認識でしかない。そんな支那人が合法的・非合法的 に我が国に入ってきて、日本人と同じような生活を送るのだ。考えただけでもゾっとする。黙っていれば日本人みたいに暮らせる支那人でも、その行動様式 (ethos)は日本人と根本的に違うのだ。

TBS報道(写真/事故現場の自動車)

   自動車とは高速で動く兇器である。日本人は単なる移動手段と考えているが、自動車が自分に向かって激突することを普段考えていない。しかし、考えたくな い悲劇は、静岡県の浜松駅付近で起こった。支那人ドライバーのせいで、楽しい5月の大型連休が、一瞬にして“血の祝日”へと一転したのである。5月2日ス クランブル交差点を横断中の歩行者が、信号を無視した乗用車にはねられて、合計5人が死傷する事件が起こった。現場から逃走したとして緊急逮捕されたの は、支那国籍の于静(ユ・ジン)容疑者で、自動車運転死傷行為処罰法違反と道路交通法違反で調べを受けている。「また支那人かよぉ~」と嘆くなかれ。于容 疑者は信号待ちをしていた車1台を追い越し、交差点に左折で進入したという。于は「人をはねたが、逃げていない」と供述し、通院の為に同乗していた夫は、 彼女が「突然興奮状態になった」と話していた。(「中国籍の女、繁華街で5人ひき逃げ・・・連休暗転」 読売新聞 2015年5月3日) 中区上島に住む水鳥真希さんは、生後10ヶ月の娘を抱いたご主人と一緒に道路を横断中、車にはねられて死亡してしまった。現場では「ボン」という音がした ので、周辺にいた人々が直ぐ事件に気付いたらしい。赤ん坊を抱いたご主人が、水鳥さんに必死で声を掛けていたらしく、事故現場はかなり悲惨だったという。 一瞬にして妻を失った夫の気持ちを「支那人歓迎」の二階俊博は分かるのか? 自民党で権力をふるう二階は、支那人を大量に招き入れるが、こんな危険な民族による害悪に責任が持てないだろう。支那人到来で労働力不足が解消する、と喜 んでいる日本の財界人は、自分の家族が事故に遭うことなど微塵も考えていないのだ。

  支那人の交通マナーが悪いことは、支那について多 少の知識がある者にとっては、分かりきった事実だ。支那を旅行した日本人が、道路で鳴らされるクラクションの音が、余りにもうるさいのに驚いた話はよく聞 く。それに、支那人は一般に運転が荒く、自分中心の考えで道路を走るから、事故が起きない方が不思議なくらいだ。日本に来た支那人が自由にクルマを運転で きるのは恐ろしい。誰がハンドルを握っているのか分からないのに、我々は道路を横断したり、道端を歩いているのだ。しかも、幼稚園児や小学生だって徒歩で 通学しているで尚更心配である。もっと悪いのは、我が国のマスコミが支那人に対して、またもや“特別配慮”を施したことだ。今回の事故を受けて、TBSは 加害者をただ「32歳の女」とだけ報道した。NHKも同様。この于静(ユ・ジン)という支那人は、「佐原静香」という通名を持っている。劣等感を持つ朝鮮 人や支那人は、名前を変えることで日本人のように暮らしているが、よほど自分の素性にやましい所があるのだろう。正体がバレぬよう偽名を用いるのはその証 拠だ。我が国は同じ民族で平和に暮らしてきたため、思考や慣習が違う異民族への警戒感が薄い。日本人は支那人観光客を招いてゼニ儲けをしたいがために、留 学生や労働者といった長期滞在者や移民を、いっしょくたんに受け入れてしまう欠点がある。支那のような暗黒大陸からの移住者には細心の注意が必要なのに、 「人権」という呪いのせいで排斥できない。

移民による傷害事件が起こる

  2013年、オレゴン州ヒルズボロー(Hillsboro, OR)で、二人の子供がクルマに轢かれて死亡する事件が起きた。アビゲイル・ロビンソン(Abigail Robinson/11歳)とアナ・ディーター・エッカート(Anna Dieter-Eckert/6歳)は、自宅の前の道路でひき逃げ事件に遭ったのだ。二人の姉妹は夕方暗くなるまで、道路に積まれた木の葉の山で遊んでお り、そこへ日産のSUV車(パスファインダー)が突っ込んできた。件のSUV車は子供たちをはねたのに、その場から直ちに逃走してしまったという。クルマ を運転していたのはヒスパニック系の女性シンシア・ガルシア・シスネロス(Cinthya Garsia-Cisneros/18歳)で、同乗していたのは恋人のマリオ・エチェヴェリア(Mario Echeverria/18歳)である。彼らが悪質な殺人犯であることは、証拠隠滅を図ったことでも明らかだ。人をはねたことに気付いたマリオは、恋人シ ンシアを守ろうとし、事件後クルマを洗って事故の痕跡を消そうとした。(Jolie Wolfe, Celebration of life service held for girls run over in Forest Grove, KPTV,-FOX 12, October 27, 2013) シンシアとマリオは逮捕された当初、人をはねたことを否定していたが、やがてクルマが何かにぶつかったということを認めるようになった。しかし、彼女は逮 捕される前から事件の真相を知っていたのだ。なぜなら、彼女の兄が事件現場を見に行って戻ってきた時、シンシアに子供がひき殺されたことを伝えていたので ある。(KGW Staff, Court docs: Driver in Forrest Grove deaths knew she hit someone, KGW, October 23, 2013)


Abigail & Anna DieterAbigail, Anna TersiaAbigail, Anna, Tom, Tersia






(左:アビゲイルとアナの姉妹/中央:母のテルジアと娘たち/右:父のトム・ロビンソンとテルジアと娘たち)

   同乗していたマリオによると、SUV車を運転していたシンシアは、わざと道路に高く積まれた木の葉に向かってクルマを走らせたという。(Forest Grove fatal crash: Record say driver intetionally drove over leaf pile, soon learned she'd struck child, The Oregonian, October 23, 2013) もしかしたら、おもしろがって木の葉を吹っ飛ばそうとしたが、少女二人がその陰で遊んでいたことには、気付かなかったのではないか? もしそうだとしても、彼女には重大な過失がある。つまり、自動車運転には責任が伴うという自覚が、彼女には欠けていたのだ。アビゲイルの父親トム・ロビン ソン(アナの義父)は深いショックを隠しきれない。アビゲイルは即死で、アナは救急車で病院に運ばれたが、間もなく息を引き取った。彼女たちの母親テルジ アにとっては、更に悲惨な結果となった。彼女は20年前、交通事故で生後6ヶ月の娘を亡くしていたのだ。三人も娘を失った母には何の慰めも見つからない。

Cinthya Garcia 1Mario Echeverria(左:シンシア / 右:マリオ)
   さて、当初罪を認めずシラをきっていたシンシアだが、彼女は人を轢(ひ)いたことより、恋人マリオの母が所有するSUVを傷つけてしまったことの方が心 配だった。明らかに一般人と罪の感覚が違う。彼女はヒスパニック系不法入国者の娘で、両親は幼いシンシアを連れて、メキシコから米国に潜り込んできた。そ んないかがわしい家庭の子供が、なぜ堂々とクルマを運転できたのか? 彼女は無免許じゃない。実は、不法移民が16歳になる前の子供を連れて入国した場合、その子が30歳以下で、少なくとも5年の滞在歴があり、学校に在籍中 または高校を卒業した者、あるいは軍歴を有する者ならば、運転免許証や臨時の労働許可書を取得できる。もちろん、社会保障番号も貰えるのだ。ただし、申請 者に犯罪歴が無いことが条件。(米国にはこうした「Deferred Action for Children Arrivals」というプログラムがあるのだ。) シンシアが子供をはねて、そのまま逃走したのは、メキシコへの強制送還を恐れたためかも知れない。(Emily E. Smith,  Forest Grove fatal crash: Cinthya Garcia-Cisneros, charged in wreck that killed girls declines plea deal, The Oregonian, November 20, 2013) 彼女の弁護を引き受けたイーサン・レヴィ氏も、依頼人が強制送還を恐れていたことを語っている。もし、彼女が二人の子供轢いた時、直ぐに病院に運ぶか救急 車を呼ぶかしていたら、アナは助かったかも知れない。これは西欧系白人にとって言いづらいことだが、中南米人は交通事故に対する心得が足りないのだ。危険 な物を操作しているという自覚がなく、運転により人を傷つけるといったリスクを考えずにクルマを飛ばしてしまうのだ。後進国の低能児がクルマを運転するの は、文明国にとって脅威である。

酔っ払い運転でアメリカ人を殺す不法移民

   ヒスパニック移民による被害は、こうしたひき逃げ事件が起きる前から認識されており、もっと酷い事件が多発していたのである。不法移民が飲酒運転を行い 事件を起こしていたことは、共和党のスティーヴ・キング下院議員も指摘していたし、国土安全保障省も警告していたのだ。不法移民が飲酒運転をして1年間で 4,700人を殺しており、これは24時間ごとに13名のアメリカ人が死亡したことになる。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、450万人の不法移民が常 日頃、無免許または無保険でクルマを運転していると報じていた。(Julia Patterson and Robert Gebeloff, Some unlicensed drivers risk more than a fine, The New York Times, December 9, 2010) 無免許どころか、英語すらロクに話せなかったり、英語が読めないものだから交通標識さえ理解していないのだ。

  酩酊 状態で自動車を運転することは殺人罪に相当するのに、合衆国政府は不法移民に対して断固たる処置を取れない。アリゾナ州で2012年7月9日、エドアル ド・ソト・ラミレス(Eduardo Soto-Ramirez/19歳)は、赤信号を無視して他のクルマに衝突し、スピンさせてしまった。その衝撃で運転していたヴィリディアナ・エスピノザ (Viridiana Espinoza)氏は道路に投げ出されてしまった。彼女は病院に搬送されたが、間もなく死亡したという。ラミレスのクルマに同乗していた15歳の少女 も、ひどい骨折をして重傷を負ってしまった。ラミレスの血液検査を行ったところ、血中のアルコール濃度は、0.21パーセントに達しており、アリゾナ州で 決められた合法レベルの三倍を超えていたのである。その上、彼は不法移民であったから、更に問題となってしまった。

Eduardo-Soto-Ramirez 1Johoan RodriguezKevin Will









(左:エドアルド・ソト・ラミレス/中央:ヨハン・ロドリゲス/右:ケビン・ウィル)

   交通事故による殺人は一般人だけに及ぶのではない。2011年5月29日、テキサス州ヒューストンの警察官ケヴィン・ウィル(Kevin Will)氏は、ある交通事故の現場検証を行っていた。そこに、ヨハン・ロドリゲス(Johoan Rodriguez)のクルマが高速でウィル氏に向かって突っ込んできた。録画映像によると、その暴走車はウィル氏の両足をなぎ倒し、彼は即死となった。 ロドリゲスの血中アルコール濃度も基準値の三倍を超えており、彼のポケットからは少量のコカインも発見されたという。後の調べで殺人鬼のロドリゲスは、悪 名高いMS-13のメンバーであることが判明した。(Brian Rogers, July chosen for illegal immigrant in DWI crash that killed HPD officer, Houston Chronicle, June 5, 2012) このMS-13とは、エルサルバドルの兇悪な犯罪集団で、その残虐性や麻薬密売は全米に知れ渡っている。ロドリゲスが不法入国者であることは当然だった。 こんな人間のクズに殺されたウィル巡査は、本当に悔しいだろう。彼には二人の子供がいて、ウィル夫人は三番目の子を身ごもっていたのだ。不法移民の擁護者 は、こうした殉職警官の遺族に対して、どんな言葉をかけるのか? たぶん何も言わず沈黙を守って、事件の記憶が薄らぐのを待つのだろう。

   交通ルールを遵守せぬ移民のほとんどは不法入国者で、無免許で自動車を運転しているわけだから、事故を起こせば、その場から逃げてしまっても当然だ。あ る調査によれば、人身事故を起こして逃げるケースは五倍も多いと報告されている。不法移民が増えれば、彼らに色々な“サービス”を行う闇業者が、全米各地 で出現してもおかしくない。たとえば、2012年ミュズーリ州カンザス・シティーで、公的書類を偽造した廉で14名が起訴された。被告らは不法移民に偽造 書類やニセの運転免許証を販売し、2009年以来520万ドルも稼いでいたらしい。(Tony Rizzo, Thoussands of illegal immigrants obtained Missouri driver's licenses, The Kansas City Star, January 11, 2012) この組織から偽造の運転免許証を購入した不法入国者は、3500人以上にも上るとされ、その他にも身分証明になる偽造書類を購入した者が多数存在するの だ。たとえば、偽の出生証明書や他人名義の社会保障番号を、1,500ドルないし1,600ドルの値段で販売していた。

Maggie NelsonMelita_Dera_ZileaDebbieHunter-Collin









(逮捕された運輸局の職員/左:マギー・ネルソン/中央:メリタ・デラ・ジーラ/右:デビー・ハンター・コリンズ)

    しかし、もっと重要なのは、この偽造団がヒスパニック系犯罪者で構成されていたことだ。ヒスパニック系アメリカ人には、怪しい過去や不法滞在の前科持ちが 多く、同族同類に対して同情したり、非合法でも耳寄りな情報なら、親切に教えてあげることが日常茶飯事になっている。彼らには偽造書類の購入に対して罪の 意識が無い。なぜなら、グリンゴ(白人ども)は中南米出身者に意地悪をする敵、と見なしているからだ。白人にも兇悪な犯罪者や詐欺師はいるが、有色人種に はセコい犯罪者がとても多い。フロリダ州のデルレイ・ビーチ(Delray Beach)運輸局で、10名の職員が密かに運転免許証を不法移民に売り渡していた。逮捕された職員を取り調べたところ、1,500人以上もの不法入国者 に販売していたらしい。免許証1枚につき、1,200ドルから2,500ドルほどの料金を取っていたという。(Eliot Kleinberg, Driver's license examiner pleas guilty in Delray Beach fraud scam, Palm Beach Post, January 21, 2010) 不法移民が当り前のように周りに住んでいて、アメリカ国民と同じ福祉を受けていれば、免許証の密売くらいちょっとした小遣い稼ぎ程度に思えてしまう。逮捕 された黒人たちも、当初はさほど罪の意識が無かったのかも知れない。どうせ、他でも不正書類が横行しているのだから、自分の職場で不正を行っても構わな い、と思っていたんじゃないか。法秩序を守るはずの役人や政治家が、不法移民を合法化しようとすれば、一般人も善悪の区別が曖昧になり、本来犯罪となる行 為でも、別段悪い事とは思わなくなるものだ。

Jashonda Kaliha ScottChenita Byrd-MosleyJonex Moise









(逮捕された運輸局の職員/左:ジャションダ・カリハ・スコット/中央:チェニータ・バード・モズリー/右:ジョネックス・モイズ)

   帰化する異民族が増えれば、彼らに迎合する政治家が現れても不思議ではない。アリゾナ州同様、ニューメキシコ州にはヒスパニック移民がうじゃうじゃ棲息 しており、南米移民支持者もあちこちにいる。2003年にニューメキシコ州は、社会保障番号を持たぬ者にも、運転免許証を取得できるように法律を変えてし まった。しかし、この法律は危険である。確かに、合法的長期滞在者で社会保障番号を持たぬ者もいるが、不法滞在者や密入国者が取得できるとなっては問題 だ。この法改正で9万人以上の移民が免許証を取得したというが、彼らの本当の身分は分からない。偽造書類を持って試験場に申請したかも知れないからであ る。しかし、不法移民容認の弊害はもっと深刻だ。不法移民でごった返すカルフォルニア州では、彼らが運転免許証を取得できるよう新しい法律が可決されてし まった。(Sharon Bernstein, Illegal immigrants can get driver's licenses under new California law, Reuters, October 4, 2013) 移民反対の保守的アメリカ人に戦慄が走ってさあ大変。でも、保守派の好誼など、焼け石に水。この法律の執行により、140万人の移民が申請するであろうと 予測されたのだ。神奈川県川崎市の人口が約140万人だから、まるで川崎市民すべてが移民か不法入国者になったようなものである。カルフォルニアにはディ ズニー・ランドの他に、ギャング・ランドがあるのだろう。

Jerry Brown 1Illegal Immigrantsin California








(左:ジェリー・ブラウン知事/右:不法移民の子供たち)

   ロビー団体のお陰で、ヒスパニック移民には様々な特典が与えられている。たとえば、試験はスペイン語でも受けられるというのは変だ。アメリカでは公用語 が英語のはずなのに、いつの間にかスペイン語が公式な第二言語みたいになってしる。しかし、なぜ不法移民がそんなに運転免許証を欲しいかといえば、まず 堂々とクルマを運転したいし、広い米国ではクルマ無しの生活はとても不便だからだ。それに、免許証があるとそれが身分証明書になって仕事もしやすいし、運 輸局で有権者登録もできるから、偽造書類と併せて有権者になれるチャンスもある。驚いたことに、米国には不法手段で有権者登録をする黒人やヒスパニックが 大勢いて、それがオバマ大統領当選の時、保守派のあいだで問題となった。しかし、大手マスコミは無視。民衆政治では有権者が国民という前提のはずなのに、 実際には外国人も投票していたのだ。アメリカ合衆国はアフリカ並の民衆政国家であった。不法移民の運転免許証取得を率先して導いたのは、カルフォルニア州 知事のジェリー・ブラウン(Jerry Brown)である。彼は1975年から1983年までカルフォルニア州知事を務めたことがあり、ビル・クリントンが大統領選挙に出馬した時、彼も出馬し て民衆党指名を争った。しかし、指名獲得に敗れてからは、急速に権力を失い、一時はオークランド市長にまで零落れたが、2011年復活して再び知事に登り つめた。レーガン大統領がカルフォルニア州知事の頃なら、悪法の制定に対し断固反対しただろう。このブラウンは札付きの極左で、大衆迎合により人気を得る ことが最優先。国家意識を持つアメリカ白人に対して、逆恨みを持つヒスパニック系アメリカ人は、似たような境遇の不法滞在者を助けようと同胞愛に燃える。 そこに目をつけたのがブラウン知事であった。移民推進派に騙されている日本国民は、カルフォルニアの惨状を直視すべきだ。  

Bob Wieckowski(左/ボブ・ヴィコウスキ)
   カルフォルニア州の人口は約380万人で、そのうち38パーセントがヒスパニック系かその子孫と推測される。このまま南米から移民が増え続ければ、将来 はもっと恐ろしい法案が通過するだろう。すでに、同州では不法移民の親に連れてこられた子供でも、公立学校に通えるばかりか、州民として格安の授業料で教 育が受けられる。これは移民にとって特権となる。たとえば、在米日本人の子供は外人枠で通っているから、州民の子供に比べて割高の授業料を払わねばならな い。外人たる日本人がアメリカ国民より不利なのはしょうがないし、日本人の親だって納得するだろう。常識を弁えた日本人なら、我が子を不法移民と同じよう に扱え、などと馬鹿げたことは言わない。しかし、異常な社会となったアメリカでは、不法移民でも弁護士資格を取得できるよう、熱心に活動するヒスパニック 団体がある。カルフォルニア州のボブ・ヴィコウィスキ(Bob Wieckowiski)議員などは、合法滞在者も陪審員になれるよう提案していた。この提案に対して、左翼のブラウン知事でも、陪審員は国民の権利だか らダメだと答えたらしい。(Howard Mintz, Brown allows illegal immigrants to get law licences, but noncitizen can't serve on juries, Mercury News, October 7, 2013) 裁判に外国人が参加して判決を下すという発想は、精神異常者しかできないだろう。ところが、国境破壊論者が政治家となるアメリカでは、移民の権利とやらを 主張することが普通のこととなっている。アメリカは法治社会かもしれぬが、その法律じたいが良識を欠いた者によって作られていることが問題なのだ。

帰化支那人がドライバーに

バスの事故バスの事故 2








(写真/事故で大破したバス)

   日本でも異邦人が帰化したことで、とんでもない悲劇が起きた。平成24年5月5日、関越自動車道を走る高速バスが大事故を起こし、7名の乗客が死亡した のを日本人は覚えているだろう。支那人によるゴールデン・ウィークの悲劇が、定番にならぬよう早めに支那人を日本から駆逐すべきだ。当時、格安の高速バス ツアーは結構な人気を博していたので、利用していた日本人は大きなショックを受けた。自動車運転過失致死傷害で逮捕されたのは、帰化支那人の河野化山(こ うの・かざん)であった。大事故でなければ、帰化支那人であることは報道されず、「日本国民」として扱われたかも知れない。河野はバス会社「陸援隊」の名 義を借りて、主に支那人観光客向けのツアーを手配していた個人営業者であった。(産経新聞 平成24年5月5日) 警察の調べによれば、河野が車検上のバス所有者となっているが、実際に走らせているの使用者は陸援隊となっていた。つまり、乗客は「陸援隊」のバスに乗っ ているつもりだが、何も知らずに支那人のバス会社を選んでいたわけだ。これはバス業界でいう、「ナンバープレート貸し」であり、以前から業界の間では噂に なっていた。つまり、違法営業との認識があったわけだ。陸援隊の針生美秀(はりゅう・みひで)社長は、注文が入れば河野に電話をかけ、仕事を依頼するとい う関係であった。つまり、針生社長は「日傭い」の下請け業者を使っていたのだ。

河野化山 2針生社長









(左:河野化山/右:針生美秀)

   帰化支那人の河野は、「河野交通」という個人会社を設立していて、針生社長から日給1万円で依頼を受けていたという。河野の自白によれば、夜の運転は陸 援隊に入ってから始めたもので、とても不安だったらしい。運転中もカー・ナビゲーションを何度も確認しながらだったらしく、夜間の長距離運転に不慣れだっ たという。(産経新聞 平成24年5月8日) 実態を知らされていなかった乗客は激怒するだろう。こんな素人運転手が走らせているバスの中で、乗客は眠っていたのだから、目覚めた時はあの世だったでは 冗談にならない。重傷を負った乗客の証言によれば、河野は車内アナウンスがあやふやで、日本語が上手でなかったらしい。ちゃんとした日本語を習得していな い者が、乗客の命を預かって運転していたのである。これを知っていたら、おそらく乗客はそのバスを選ばなかっただろう。乗客にバス運行の実態を知らせぬま ま、キップを販売していた陸援隊の罪は重い。我々は河野が居眠り運転をしていたことに怒りを覚える。しかし、この男が事故を起こした時、乗客よりもバスの 損傷や、自分の会社を心配していたことに、もっと腹が立つ。支那人が、支那大陸で事故を起こしたのなら、不思議ではない。赤の他人が死ぬことなど些細なこ とで、自分の財産であるバスがスクラップなったことを惜しむのが支那人だからだ。この大惨事は、アジア人の帰化を簡単に許可する役所が招いた悲劇である。 支那人増加をうけて運転免許の取得を、支那語でも実施しようとする地方自治体もあったというから、日本の官僚機構は狂っている。「権能最大、責任最小」が 役所のモットー。移民を推進する法務省の官僚は、誰も責任を取らない。政策の失敗は庶民が背負う。美味しい利権はたらふく食べるが、ツケはいつも国民に回 すのだ。

  日本人は悲惨な結果が生じるまで、移民による害悪を理解できない。異邦人流入による弊害を未然に防ごうとする者を「外人排斥 論者」とか「右翼ナショナリスト」と呼んで非難し、国民に警告を発する者に対し拒絶反応を示す。一般人は関越バス事件のような大事故が起こってから、帰化 制度の問題を認識するが、時が経つとすぐ忘れてしまう。事故で死亡したり負傷した被害者や、その家族は支那人受け入れの恐ろしさを分かったはずだ。しか し、日本人全体がアジア移民の害毒を理解するには、こうした事件や事故が、あと1万件くらい起こらないと本気で考えないだろう。つまり、各人の家族や友 人、親戚が犠牲者となるまでは、他人事としか思えないからだ。しかし、犠牲者が数万・数百万人に膨らんだ時には、もう手遅れで移民の波を押し戻すことはで きない。すでに人種的変質時代に突入したアメリカでは、不法移民が1人ならば犯罪とみなされるが、1,000人となれば被害者のアメリカ人に問題があると される。不法入国者を逮捕する警備隊員は、南米人への偏見に満ちたレイシストであるとか、彼らを国外追放にしようとする保守的国民は、「人権蹂躙」を犯す 差別主義者だ、と批判されてしまう。移民の脅威を未だ実感していない日本人は、異民族侵入に苦しむ欧米社会の惨劇を対岸の火事と見ている。消防車や消火器 すら持たぬ日本人は、火災保険という発想も無い。むしろ恐いのは、日本の庶民が抱く「移民問題は起きない」という根拠無き確信である。これは、問題を具体 的に検討することは、問題を発生させてしまう、という「言霊」信仰から由来する。「異人種・異民族」に触れてはならない、という「空気」が満ちている現状 は危険だ。庶民はあと何名の日本人が被害を受けれは分かるのか。人口減少を心配しているのに、不法滞在者や帰化人による犯罪で、日本人が死ぬのはいいの か? どんな非難を浴びようが、移民反対の発言を続けることには意義がある。




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皇室を貶めたい改憲論者 / 保守派に取り入った極左の小林節

改憲論者の芯は赤い

  産経新聞は主に保守的読者に購読されているメディアだが、たまに左翼や偽装保守が紛れているから注意せねば。人気コラムの『正論』欄でも、怪しい人物が登場するし、関連イベント団体の「産経志塾」については嘗て警告した通り。(パート1パート2) 現憲法(すなわちマッカーサー憲法)に対する産経新聞の姿勢は、基本的に改憲であり、とくに皇室と国防について熱心に語っている。国賊の元総理大臣、中曾 根康弘が改憲論者として登場したのは、風見鶏の詐欺として分かるが、慶應義塾大学の小林節(こばやしせつ)教授を登用したのは、産経側の早とちりか、社内 に左翼と通じている社員がいる証拠であろう。五百旗頭真(いおきべ・まこと)を親切な人と見なしていた千野境子(ちの・きょうこ)は、朝日新聞の編集員に いてもおかしくはない。筆者が極左の小川和久やロシアの手先佐藤優について教えてあげたのに、千野氏は聞く耳を持たなかった。実際に見てみると、かなり偏 狭な人物である。保守を標榜する新聞社の裏には、とんでもない人物が中枢に盤踞(ばんきょ)しているのだ。関西の支社にはもっと酷い左翼記者がいる。驚く ぞ。

渡部昇一 2小林節 2(左:渡部昇一/右:小林節)

   慶應義塾大学は数多くの有名人や政治家、実業家、文化人、官僚を輩出しているから、その人脈は全国に張り巡らされている。慶應ボーイとしての誇りをもつ から、卒業生と現役生の結束も固い。大学ランキングにおけるブランドの威力は強大でも、その教授陣の質を問えば、一流とは言えぬ、というより有害な人物が 多く混ざっている。もちろん、小泉信三や加藤寛といった塾長が立派なのは分かる。だが、竹中平蔵や金子勝、榊原英資といった教授を思い出せば、誰がこんな 連中を雇ったのか知りたい。(最近は小幡績なんて准教授がいるが、よくあんな低能官僚を雇ったものだ。恥ずかしくないのか?) さらに問題なのは、慶應大卒の学生から政治家や官僚になる人物が多いことだ。とくに法学部で頭を真っ赤に染められた学生が、法務省官僚や人権派弁護士上が りの議員になったら、日本にとってヤクザよりタチが悪い。街中で拳銃を発砲したり、シャブの密売を行うことは社会悪だが、官僚が作成する法案の方が遙かに 害となる。法律に左翼思想が刷り込まれていると、全国規模の合法的被害と、長期的あるいは半永久的な害毒が垂れ流されてしまうからだ。小林節は護憲派に属 する東大法学部の極左教授タイプとはちがった風に見える。だが、小林氏は有名私立大学に潜む裏極左の憲法学者で悪質な改憲論者。保守派の重鎮である渡部昇 一先生も、小林氏の正体を分からずに、対談本を出版したため、保守派国民も騙されてしまった。(この理由は、小林氏が渡部先生の角栄裁判批判に賛成したか らであった。) 対談本『そろそろ憲法を変えてみようか』(渡部昇一/小林節  致知出版社 平成13年)で、保守派国民は小林氏を保守陣営と勘違いしてまった。渡部先生が対談相手で安心だったし、小林氏が本音を隠した対談をしたためである。

Takenaka HeizouKaneko MasaruSakakibara EisukeKohata Seki








(左:竹中平蔵 / 金子勝 / 榊原英資 / 右:小幡績)

   日本の憲法学者にまともな人物はいない。東大や京大の法学部で、共産主義思想に洗脳された学生が、人事権を握る老害教授の後継者になるからだ。しかも大 学院に残るのが、出来の悪い学生ときているから尚更ひどい。小林節に洗脳された学生が、どれほど官界・政界に浸透したのかを考えただけで戦慄が走る。大抵 の学生は、卒業してから自分が受けた教育内容を再検討することはない。卒業すれば一生そのままの思考である。間違えに気付くのはごく少数。忙しい官僚や議 員が、勉強し直すことなどまずないだろう。だから余計恐ろしい。憲法学の小難しい学術書など、ほとんどの一般人は読まないが、一般書店で売られているビジ ネス書なら読む。そこで、小林氏がKKベストセラーズから出版した『憲法守って国滅ぶ』(1992年)を検証してみたい。

人権に狂喜する法学者

   左翼学者がカラオケ・ボックスで、ジョン・レノンの『イマジン』を独唱したり、共産主義者の『インターナショナル』を合唱しても結構だが、「人権」とい う持ち歌は甚だ迷惑だし、我が国にとって有害である。(筆者派カラオケ・ボックスに行ったことがないので、あくまでも想像の光景である。) 小林氏は、プライヴァシーの権利を取り上げて、新しい権利が登場しました、とまず煙幕をはって読者を「悪の道」に誘導する。よくヤクザが一般人にタバコや 大麻を勧めてから、覚醒剤を“タダ”で打ってあげるのと似ている。そして、「平和的生存権」という言葉を持ち出して、国家が軍国主義政策に走らないよう、 国民が制止するときに正当化してくれる権利ですよ、とささやく。小林氏は、「それは国家が積極的に平和な環境を実現することを求め得る国民の権利でもあ る」(p.145)と述べている。この平和を主張するための根拠を、小林氏は憲法本文に挿入したいんだって。「日本国国民は、平和のうちに生存する権利を 有する」を提案していた。(p.146)

  小林氏の前提では、日本人が平和を望まず、軍国主義に走ってしまうから、憲法で制約しなけ ればならぬらしい。へぇ~、そうなんだ。典型的な「進歩的文化人」の発想である。じゃあ、日本の勤労者は一生懸命働かないから、社訓とかで「社員は自分や 家族の幸福を求めながら働きなさい」と書くのか? 大抵の者は自分の生活や、家族を養うために働いているから、社長から訓示を頂かなくても分かっている。 だから、 「平和を有する権利」なんて、いちいち憲法に書く必要はない。七夕の竹に願いを掛けるのとは違うぞ。常識で考えれば、「アホ」な要求というのが 分かるだろう。戦争を始めるまでには様々な要因があるので、いちいち憲法に対策条項を書き込むことなど有害で、そもそもこんな条項は不必要だ。戦争や外政 については議会で討論すればよい。政府は戦争を主体にして、平和を後回しにする、という前提が小林氏の頭にあるから、こういう発想になるのだ。しかも、侵 略するのはいつも日本だという暗黙の前提がある。敵国が攻めてくれば、国民が何を言おうが戦争状態になる。また、敵の襲撃を食い止めるために、先制攻撃を しなければならぬ時だってある。

  「人権、人権」と憲法に記さないと世の中が回らない、と思っているのが小林氏だ。象牙の塔に閉じこも る精神病患者みたい。何かと言えば「人権」に絡めて、「人権」を日本人に印象づけようとする。小林氏によれば、「知る権利」が新しい人権になるそうだ。 (渡部/小林 p.179) 政府に対する情報公開がそれにあたるという。「国民には知る権利がある」と憲法に明記することが必要と主張している。でもさぁ、これは高度文明国の日本だ から、提唱できることであって、世界中の人間が持つ権利ではない。ロシアや支那で「知る権利は人権」だ、と叫んだところで誰も振り向かない。虫けらのよう な一般ロシア人や支那人に、政府の情報なんか必要ないし、情報公開なんて発想すら無い。支那人は腹一杯喰えれば満足だ。天安門で「情報公開せよ」なんて要 求したら、収容所送りとなって一生闇の獄中生活が待っている。だから、あとは戦車で踏み潰されないよう注意するのが支那人の智慧。小林氏は最低な「人権」 と、国民が大切にされる文明国民の「権利」を同等にしている。日本人は古来からの領主や藩主から大切にされてきた民だから、奴隷並みに扱われてきた暗黒大 陸の野蛮人とは違うのだ。月をスッポンと指す学者には注意せよ。

小林節   小林氏は、タバコが非喫煙者にとって迷惑だから、「禁煙権」という新しい人権も憲法典の中に明文化したいそうだ。(p.147) ならさぁ、ブスが美人のビキニ姿が妬ましく、精神が乱され迷惑だ、と叫んだらどうするんだ? 我々はテレビ番組や広告での水着姿を禁止する条項を憲法に盛り込むのか? 社会のマナー問題を逐一憲法に盛り込んだらキリが無い。喫茶店で一般人が喫煙者に向かって、「あなたは憲法の禁止条項に抵触しているし、私の健康を害して いので、喫煙禁止を命令します」なんて隣の客に言うのか? 店主が喫煙室を設けるだろうし、公共施設なら管理者が対策を講ずれば済む。条例のレベルなのに、憲法まで持ち出すことはないだろう。世間知らずの大学教授 は、少し世の中に出て庶民と雑談すべきだ。

  法学部の左翼教授には国籍や国境の概念が無い。民族の固有文化や歴史、国境、古来の権利を 外国人から守ろう、とする意識が無いのである。日本が「自国民の権利」を外国人の権利と区別するのは当然なのに、「国際化」とか「人の移動が活発になる時 代」といった呪(まじな)いを唱え、我々が継承する「古来の権利(ancient rights)」を抹殺しようとする。小林氏曰く、

   国際化状況の進展の中で、人権の超国家性あるいは前国家性(つまり、人権とは「人」ならばだれでもが有する権利で、本来、国籍とは無関係に国境を越えて 保障されるべきものである、という特質)が再認識され、それぞれの国家において、性質上可能な限り、外国人にも自国民と同様に人権が保障される様になって きている。(p.148)

  外国人にだってなにがしかの権利があることは分かっている。たとえば、外人だから道端でいきなり殴ることは いけない。美人が歩いていたからといって強姦なしてもいけない。アフリカやアジアと違って、日本ではそんな禁止を明文化しなくても社会のモラルとして分 かっている。また、「支那人のように電車の中で排便してはいけません」、と大学で習わなくても、日本人は人前で尻をまくってウンコをしないし、ウンコをし ようとする支那人を注意する。ただ、支那人の肛門に指を詰めて排便させないようにすることは、ちょっと無理だから、口頭注意だけしかできない。日本人の倫 理道徳は世界標準を遙かに超えて高いから、「人権」云々など余計な説教だ。「人権」とは野蛮な底辺国たる支那や朝鮮、暴力的な中東アジア諸国かアフリカ土 人に対して、用いる言葉である。そもそも、日本人が思い描く「人権」とはどんなものか? 日本人は普段使う「よそ様」感覚で考えてしまう。「ひと様」に迷惑をかけぬよう注意する日本人は、外国人の基準で計れば超能力者か、利他主義の慈善家みた いだ。昔、イエズス会士のヨセフ・ロゲンドルフ神父が日本人の特徴を述べていた。日本通の神父は、「日本人とは満員電車の中でも他人の足を踏まない 人々」、という評価をしていた。支那人が電車の中で日本人の足を踏めば、その日本人客は「おい、痛いじゃないか」と声を上げるだろうが、支那人は「ワタ シ、気にしないアルヨ」と答える。面食らった日本人は「オマエじゃなく、オレの話をしているんだ」と怒ってしまう。つまり、支那人とは「よそ様」のことな どちっとも考えぬ種族である。支那にこそ、最低の概念たる「人権」思想が必要なのだ。

  外国人を自国民同様に取り扱うのは如何なる場合 か? それは外人であっても、事故に遭って怪我をすれば救急車で運んであげるし、街で暴漢に遭えば警察官が加害者を逮捕してくれるだろう。庶民だって外人を差別 しない。たとえば、有名レストランに行列ができていた場合、外人だって順番通りに入店できる。サッカーや野球の国際試合でも、日本人審判は公平にルール違 反を指摘する。朝鮮人は自国民に有利なように判定するのを庶民は知っている。ソウル・オリンピックの時、後に有名になるボクサー、ロイ・ジョーンズが判定 で朝鮮人に負けてしまった。試合を観ていたアメリカ人やヨーロッパ人、それに日本人も、勝っていたジョーンズ選手が負けたことに驚いてしまった。日本人は 法律ばかりではなく、民間交流においても、外国人を公平に扱う民族である。しかし、外国人に生活保護や学費補助を与えることは間違っている。在日朝鮮人が 「国民保険」に加入できることだって、本来おかしいことなのだ。朝鮮人は外国人で、日本国民ではない。在日朝鮮人の参政権などもってのほか。たとえ、外国 人が「人権」を持ち出しても、日本国民の権利を分け与えてはならない。

小沢一郎金丸信田中角栄田中真紀子 2








(左:小沢一郎 / 金丸信 / 田中角栄 / 右:田中真紀子)

   朝鮮人参政権の件をめぐり、小林氏は渡部先生との対談でアホな発言をしたいた。渡部先は小沢一郎が支持した外国人参政権に反対したのだが、それを受けて 小林氏は「信じられません。あの保守本流日本主義者がね」と驚いてみせた。(渡部/小林 p.162) ナニとぼけたこと言ってやがるんだ? 小沢は田中角栄に育てられ、金丸信の子分だったじゃないか。金日成から金の延べ棒をもらう金丸が保守派議員なのか? 小沢が支那人や朝鮮人にゴマを擦る卑屈な売国奴なのは昔から分かっていた。自民党に所属していた頃から、国益を支那に売り渡していたことは有名だ。ジャー ナリストの青木直人が、6兆円以上も国富を支那に貢いでいた角栄と田中派を非難していた。角栄に見習った小沢が支那とのパイプを継承したことは明らかで、 日本より支那人の利益を優先していたのである。ちなみに、台湾を斬り捨てて北京政府をとった角栄を岡崎久彦大使は批判した。気骨ある岡崎氏はそのため左 遷。権力者になびく外務官僚にあって、岡崎氏は勇気のある希有(けう)な人だった。そういえば、平沢勝栄と一緒に、あの支那贔屓の田中真紀子を応援してい たのは誰だ? 小林節じゃないか。田中派に公表できない愛着でもあるのか? たぶん権力者に媚びて目立ちたかったのだろう。

  「人権」 思想が大好きな小林氏は、本来憲法に明記する必要がないものまで、憲法解釈に盛り込もうとする。憲法第十四条で法の下の平等や、人種、性別、信条、社会的 身分、門地による差別の禁止の項目をもっと拡大するために、差別一般を禁止する包括的な表記にすべきだ、とて提案したいる。(『憲法守って国滅ぶ』 p.154) 具体的な個別禁止上項を書かないことはいいとして、社会に於ける差別的行為をもっと取り締まろうとする発想が小林氏にある。老人や子供に対する差別は、一 般常識で判断できるだろう。しかも、刑法に抵触すれば逮捕される。年齢による差別は悪いかも知れないが、テレビ局の女子アナ募集で、50ないし60歳代の 女性が応募してきたら、テレビ局は不合格にするだろう。日本人は子供を大切にする国民だから、妙な差別しないけど、たとえばナイト・クラブの入店を拒否す ることには一般人の反対はない。しかし、小林氏の隠された狙いは、外国人移民への差別だろう。(p.154) アジア人移民を排斥する日本人を法律で以て取締りたいのだ。おそらく国境という壁で祖国を守りたい日本人がいれば、、「人権」とか「差別」の用語で懲罰し たいのであろう。「人権擁護法案」は左翼が保守派を弾圧するために提案した道具である。この法案が国会を通過したら、プロの左翼人権委員が、保守派の家を 片っ端からガサ入れして、左翼に対する反対論を抹殺するに違いない。

  極左学者の小林氏は、「差別からの解放」を持ち出し、大学入試に 於ける女子の受験生に対し、「下駄」を履かせよ、と提案したのだ。(p.156) つまり、入試試験において女子には一定の得点を加算して、合格者を増やせと言うことだ。日本版アファーマティブ・アクション(特定人物優遇政策)を提唱し ていたのである。小林氏はこれを「優先処理」と呼んでいるが、要は女性というだけでテストの得点に「何点」かプラスしてもらえるのだ。小林氏によれば、一 流大学の法学部や経済学部、理工学部、医学部において、女子学生の比率が低いからだという。これは、女子学生が知的に劣るからではなく、歴史的・伝統的・ 社会的に、女子が勉強しないように仕向けているからだ、という理由を述べている。「男は社会、女は家庭」という“いわれなき”前提があるからだとさ。 あ~ぁ、左翼学者って、よほど日本社会が嫌いなんだろう。彼女たちは有能なのに女性だからという理由で、役所や会社で昇給や昇進が少ない不利な状況に置か れている、とのこと。アメリカでも有色人優遇政策の弊害が叫ばれているのに、我が国でその失敗を実行せよ、とは学者って世間知らずだねぇ。三日やったら辞 められないというが本当だ。保険会社で有能な外交員のオバチャンは高級取りだったじゃないか。また、銀行員だって外回りは男がやらされていたぞ。筆者の 知っている男性銀行員は、寒い日や雨の日でもバイクでお得意先回りをしていた。女子行員は室内の窓口係で快適だ。これって女性優遇じゃないか。有能な女性 は何処だって大切にされるものだ。凡庸な女の愚痴を憲法論で取り上げる方が、よっぽど愚かであるる

皇室を国民の下に置く憲法論
Romanov Family








(左/ロマノフ一家)

   我が国の憲法学者は皇室伝統を憎む。公に共産党を支持する学者はもちろんのこと、どの政党にも属していない振りをしながら、心の底で共産主義に賛同して いる大学教授が実に多い。大学を最高学府と呼ぶのは隠れ蓑(みの)。ロマノフ王朝を打倒したロシア革命に憧れる共産主義が群れる場所が法学部なのだ。ニコ ライ二世とその家族を皆殺しにして、すべての遺体に油をかけて跡形もなく燃やしてしまう、そんな革命にしびれてしまうのだ。常識的日本人なら顔を歪めて唾 棄するが、赤く染まった学者は惨殺死体を見てうっとりしてしまう。日本の憲法学者は、「あ~ぁ、いいなロシアのコミュニストは。オレも天下を取れたら なぁ」とため息をつくから、一般人とは違った素材で神経ができている。彼らはロシア革命だけでなく、理想的なフランス革命にも憧れているのだ。

   なぜ日本の大学教授や文化人は共産主義に憧れるのか? それは、ひ弱な知識人でも舌先三寸で、政治権力を掌握できるからだ。それに、気取った演説など苦手な武闘派の革命家は、人殺しには役に立たぬ腑抜けの知識 人でも、大衆煽動に役立つと判断すれば、おだてて利用しようとする。共産主義者は、まず大衆の嫉妬心をかき立てて、豪華な生活を送る王侯貴族への憎しみを 煽る。烏合(うごう)の衆を束ねたら、一気に支配階級を抹殺し、自分たちの権力基盤を固めてしまう。だから、革命の前に知識人が調子のいいことを言うのは 当然である。彼らも武闘派と同様に、国王や貴族がギロチン台に上るのを見て昂奮するのだ。日本で共産主義革命を実現したい左翼は、最終的に天皇陛下を断頭 台に送りたい。皇室を潰してこそ、共産主義革命が完成されるからである。そのために、憲法学者は国民を称揚し、民衆が皇室を尊敬しないように、学問の衣を つけて誹謗するのだ。

  こうした左翼学者の魂胆を頭に入れておかないと、彼らが何を目的にして憲法を論じているのかが分からない。小林 節は国民主権を強調しながら、さりげなく皇室を貶めている。彼の話術に引っかかってしまわないよう、我々は注意すべきである。小林氏が狡猾なのは、露骨に 皇室を批判して、「天皇制」廃止を提唱しない点だ。天皇陛下を認める素振りをしながら、実は皇室の権威を削ごうとしているからである。ちなみに、「天皇 制」という左翼の合い言葉は、ソ連のモスクワ本部から賜った革命用語で、打倒すべき対象物を指している。だから、正常な日本国民が口にする言葉ではない。 皇室とは、悠久の歴史と国民的精神に深く根ざした國體の心臓ではなく、いつでも廃止・撤去できる「制度」なんだよ、と国民に刷り込んでいるのだ。左翼のマ スコミと学者どもは、皇室を廃絶しようだなんて微塵も考えたことがなかった日本国民を、多方面で長いこと洗脳してきたのである。

showa 7(左/昭和天皇)
   小林氏はまず、天皇陛下の法的身分から疑問を投げかける。彼は「わが国の内では、未だに、天皇が元首であることについて国民的合意が成立していない」と 述べた。(p.121) 大学で左巻きにされた学生はともかく、世間で暮らす庶民は、天皇陛下を国家元首と思っている。「国家元首」だなんて外国風もしくは学術的に呼ばなくても、 「有り難くて、直接見れないほど神々しいお方」というのが、伝統的日本人の気持ちだろう。明治の頃だと、陛下のご尊顔を拝したら、感激して胸が詰まる、と いうのが普通の庶民であった。小林氏は渡部先生との対談では、天皇陛下を「国家元首」とか「君主」と呼んでも差し支えないと話を合わせていた。(『そろそ ろ憲法を変えてみようか』 p135) しかし、渡部先生の前では、天皇陛下を専制君主のようにみなす思想を隠していた。彼は天皇陛下が大権を振るっていた、とする明治憲法(大日本帝国憲法のこ と)を否定するマッカーサー憲法(つまり現憲法)を称賛している。(『憲法守って国滅ぶ』p.123) 小林氏の頭には、明治天皇が大権を行使する皇帝というイメージがある。これは「国民主権」をやたらと礼賛する彼の発言の裏に隠された本音であろう。つま り、大日本帝国には国民主権が無いのに、統帥権などの天皇大権(Prerogative)が記されていた事への不満である。

  小林氏の 「天皇観」はまさしく極左思想そのもの。ます、「旧憲法の下でわが国は天皇主権国家であったといえる」と述べている。(上掲書 p.84) もし、明治大帝がお聞きになったら、伊藤博文や陸奥宗光(むつむねみつ)を呼んで、冗談半分で「伊藤よ朕は主権者か?」とご下問なさるだろう。陛下の忠臣 たる博文やカミソリ陸奥は恐縮して、はっきりと否定するだろう。ちなみに、外務大臣となった陸奥は憲法学の泰斗(たいと)ローレンツ・フォン・シュタイン (Lorenz von Stein)について憲法を学び、伊藤の良き盟友となった偉人である。陸奥は紀州の生まれではあったが、長州出身の伊藤とは昵懇(じっこん)の仲だった。 話を戻す。小林氏の歴史観もひどい。彼は敗戦で「天皇制が廃止」されていたならば、それはそれで理論的には問題なかった、と述べている。理論的に筋が通っ ていれば、皇室廃止でいいのか? そんな論理など現実の日本には要らない。いや、有害だ。占領軍側の都合で、「天皇制」は「形ばかり」残ったという。天皇陛下、つまり皇室(彼らの言う「天 皇制」)は、「機関」として残ってしまったため、理論的には「奇妙な国体」になってしまった、と小林氏は残念そうだ。占領軍が直接廃止してしまえば筋が 通っていた、と口惜しそうに語る。「おい、小林 ! 渡部先生の前でも、そう喋れよ」と言いたくなる。

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(左:伊藤博文/中央:陸奥宗光/右:ローレンツ・フォン・シュタイン)

   「人権」と「国民主権」が大好きな小林氏は、明治の元勲が心血注いで創った「大日本帝国憲法」より、占領軍の赤い将校が懲罰として作成した「マッカー サー憲法」の方が好きなのだ。小林氏曰く、「日本国憲法は、その前の明治憲法(つまり大日本帝国憲法)と比べて遙かに優れたものである」。(上掲書 p.80) 何だって? マッカーサー憲法の方が優れている、とは呆れてものが言えないじゃないか。明治憲法とは異次元のもので、人権尊重主義と国民主権主義、平和主義といった三 大原理を有する日本国憲法は、「人類が考え得る最良のもの」だそうだ。おい、おい、お~い、ヤッホッー、聞こえるか?! アメリカ人だって笑ってしまうぞ。建国の父祖が「日本国憲法」を読んだら、「こんな馬鹿げた法典を誰が書いたんだ ? 」と訝(いぶか)るだろう。もし、我々が「あなたたちの子孫たるアメリカ人です」と伝えたら、憲法の父ジェイムズ・マディソンやアレクサンダー・ハミ ルトンは絶句するだろう。それくらいマッカーサー憲法は酷い代物で、「憲法」と呼ぶことすら恥ずかしい。だいたい、軍隊の否定がある憲法なんて馬鹿らしい だろ。それに、平和主義条項を盛り込まねば平和を欲しないのか? 明治時代に「人権尊重」を掲げなかったから、人権が軽視されたとでも言いたいのか? 各時代にはそれぞれの価値観があり、現代の基準で裁くことはできない。しかも、「人権」なんて低級なものは、江戸時代には常識以前の問題だったから、日本 人はあえて口にしなかったのだ。小林氏が大好きな「人権」は、支那人や朝鮮人に対して用いる言葉である。小林氏は典型的な「戦前暗黒史観」の持ち主だ。山 本夏彦が生きていればおちょくったであろう。

  皇室伝統を汚らわしい「天皇制」と呼ぶ共産党にそっくりな小林氏は、元号に対しても不満 があるようだ。「元号とは支那皇帝が時の支配者であることから由来する時代区分」だそうで、「主権を持つ国民と時を支配する君主は矛盾するから、検討が必 要だ」という。こういうのを風呂場で屁を利用する、というのだ。他人に銭湯の窓を開けさせるために、敢えて「窓を開けて換気をしろ」と言わず、湯船の中で 屁をこいて、「何か臭いますねぇ」と白々しく語れば、一緒に風呂に浸かっている人が窓を開けてくれる。「元号を廃止せよ」と叫ばず「皆で充分に検討しま しょう」と提案するのだ。(p.88) 「君が代」についても、小林氏は全面的に反対しない。「明治時代に皇国・日本の賛歌として宮内庁で人為的に創られたと思われる君が代をそのまま私たちが国 家として用い続けなければならないのかは、疑問である」から国民的合意ができるよう検討しよう、と述べていた。(p.88) なんで今更、皆で検討せねばならないのか? 検討すべきは、なぜ昔から皆が当然と思っていた「元号」や「君が代」を共産党が反対するのか、その真意を探るべきだろう。「検討」を提案する知識人こそ、 いかがわしいのだ。赤い憲法学者たちは、日本を根底から破壊しようとする意図を隠している。

  我が国の憲法主義者は、皇室への憎悪を心 に秘め、ロシア革命に憧れる。ボルシェビキのユダヤ人革命家は、ロマノフ家の王族を皆殺しにした挙げ句、その財産を奪って我が物とした。日本の共産主義者 は感動で手足頭が震えた。彼らはおもいっきり皇族を凌辱し、皇室財産を根こそぎ奪いたい。極左学者の小林氏は、皇室財産の完全国有化を提唱する。

   戦前の天皇は、法的に国家の全権を握った主権者であったと同時に、神格を有し、かつ、膨大な財産を保有して、国と国民の上に実力を持って君臨した。つま り、明治憲法下の天皇は、いわばこの世の権力とあの世の権威に加えて強大な経済力を持った絶対的な存在であった。そして、敗戦により、そのような天皇制を 中心とした大日本帝国憲法体制を否定すべく日本国憲法体制が創られた以上、皇室財産にメスが入れられたのは当然であった。(p.132)

   小林氏の憎悪たるやすさまじい。「法的」と断っているが、天皇陛下を専制君主のように見なしている。明治天皇が大変な権能を有しているように思われるの は、朝廷を退ける幕府の再興を防ぎ、全国民が陛下の下で国民国家として団結するよう意図したからである。実際、陛下は臣下の元勲たちを信頼なされ、政治の 運営を任せていた。政治家も陛下のご信任を肝に銘じて活動していた。この素晴らしい関係を小林氏は否定して、大権を持つ皇帝と隷属する臣民という構図を 我々に刷り込むのである。敗戦で食糧難にあえぐ国民をご心配なされた昭和天皇は、皇室財産をマッカーサー将軍に差し出し、国民を助けてくれと願い出た。し かも陛下はその尊きお命まで犠牲にしようとされた。これを知った国民は慟哭して陛下に感謝したのである。昭和聖帝の純粋なお気持ちに、国民は心から涙を流 したのだ。小林氏は公的であれ私的であれ、皇室が必要な出費は国費でまかなえばいい、と提案する。「象徴」としての天皇はいわば「無一物」でいるべきが正 当で、かつ、それで何の不都合もないはずである。(p.133) 要するに、皇室を無一文のお飾り機関にして、主権者の国民から選ばれた政府の役人が面倒をみれはいじゃないか、と言っているのだ。しかし、我々は違う。皇 室に財産がいくらあろうと、日本国民は文句が無い。また、ぐうたらな役所に税金や相続税を払うくらいなら、皇室に献上したいと願い出る国民が出てくるだろ う。陛下は財産を持ったからといって、出世したいとか国家権力を掌握したいとはお考えにならない。逆に、大震災となったら、皇室財産を売却して国民に分け 与えようとするだろう。小林氏の魂胆は、皇族に私的財産を与えぬことで、私生活まで監視・制御し、自由な活動を許さず、役人の命ずるままに動く木偶(で く)の棒にしたいのだ。学者や官僚には無礼な連中が本当に多い。

  一発屋の演歌歌手と同じで、小林氏は「人権」がレパートリーの No.1になっている。皇室を尊重するような発言をして渡部先生を煙に巻いていたが、古い歴史の中に息づく皇統を蔑(ないがし)ろにしているのだ。皇室典 範で皇位後継者は男性に限るとする条項が気に入らない。男女平等が当り前の21世紀に、女帝を排除するとは、時代錯誤であるというのだ。性別にかかわらず 皇位を継承させよ、と愛子内親王殿下がお生まれになる前から主張していた。時代によって制度も変わるから、「それを正しい方向へ変えて行く」ことが大切な のだと説く。(p.136) 正しい方向とは女系天皇を認めることだろう。小林氏は言う。「天皇制といえども男女平等原則の例外ではない、とすることこそが、現代では、むしろ健全な憲 法感覚なのではなかろうか」と問いかける。小林氏の本は、1992年の出版だが、それ以前から学生に自説を教えていたはずだ。女系天皇が話題になっていた 頃、官僚や政治家に女系容認論が多かったのは、こうした左翼憲法学者に洗脳された法学部出身者がいたせいである。小林氏は天皇制の伝統を認める振りをしな がら、「歴史の進歩の結果もはや不要になった伝統などは法制度としては廃止されることこそが歴史的に必然である」と述べる。(p.136) 自分の願望を「歴史的必然」と言い換え、皇室を変更・廃止可能な人為的制度と規定し、チャンスが到来すれば潰してしまおう、という魂胆が見え見えである。 こうした狡猾な話術に、秀才学生はコロッと騙されてしまう。

BismarckHelmuth von Moltke 1(左:ビスマルク / 右:モルトケ)
   世の中には詐欺師がいるのに、見分けが付きにくいのはなぜか。それは上手い話にちょっとだけ嘘を付け加えるからだ。騙そうとする相手に嘘ばかりの話を持 ちかければ直ぐにバレてしまうだろう。料理にひとつまみの青酸カリと同じ要領で、憲法学者は講義に毒を盛る。小林氏は憲法第9条の愚かさを指摘し、自衛力 を持つことを主張している。しかし、彼の軍隊・国防意識は左翼思想のままだ。たとえば、ジヴィリアン・コントロール(文民統制)については、素人の左翼娘 並み。まぁ、たかが大学教授だから目くじら立てなくても、と自衛官なら諭すだろうが、こういった唐変木(とうへんぼく)が教壇に立っているから始末に悪 い。軍人は「軍隊という特殊な運命共同体の一員で現役中であろうと退役後であろうと、障碍その軍隊という組織に忠誠を尽くす傾向」にあるから、絶対国務大 臣にしてはならない、と主張している。(p.177) 典型的な赤いクルクルパーだ。簡単に言えば、シビリアン・コントロールないし文民優位(civilian supremacy)とは、外政あるいは政治一般を優先させるための慣行である。軍人は戦闘を主に考えてしまうが、政治家は軍事のみならず財政状態や対外 政策、戦後処理といった幅広い考えで決断を下すから、優位にしているのだ。外政(ディプロマシー/いわゆる「外交」)の一部として戦争行為があるので、政 治家は軍隊を手段として用いる。ドイツ帝國宰相ビスマルクがモルトケ参謀総長を使いこなしたことは有名。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争や対オース トリア戦争、最後に普仏戦争といった一連の戦争はドイツ統一というグランド・デザイン(大戦略)のために起こしたものだ。鉄血宰相は戦闘が好きだから軍隊 を動員したのではなく、ドイツ帝國を安定させるために戦争を仕掛けたのである。ドイツ統一が完成したら、平和を維持しようとしたビスマルクは、戦争と政治 の調合を弁えていた偉人である。

Harry Truman 2George Marshalldwight eisenhowerBush 1







(左:トルーマン / マーシャル / アイゼンハワー / 右:ブッシュ)

   軍事音痴が根深い日本人は軍人が内閣に参画するから戦争が起きると思っている。実際は、近衛文麿みたいな赤い文人が大東亜戦争を起こしたし、無能な首相 だと敵国に攻め込まれる一方で、迷惑するのは国民となってしまう。米国や歐洲で軍歴を持つ者が政府の閣僚になることは珍しくないし、異常なことではない。 小林氏は政治や軍事を勉強したことがないので、実際の政治が分からない。司法試験に合格したから優秀である、と思ってしまう日本人は間違っている。試験に 受かっても馬鹿は馬鹿なままだ。合衆国大統領を観れば分かるだろう。グラント将軍やアイゼンハワー将軍は大統領になったし、トルーマン大統領は陸軍大尉 だったし、国務長官になったジョージ・マーシャル将軍は我々もよく知っている。歐洲連合軍司令官だったアイゼンハワー将軍は説明するまでもない。日本でも 人気のケネディー大統領は海軍中尉で、我が軍の駆逐艦天霧の攻撃を受けたじゃないか。ジョージH・W・ブッシュ大統領は、グラマンTBMアヴェンジャーに 搭乗して、我が軍に撃墜されたこともよく知られている。日本人はよく覚えていないだろうが、メルヴィン・レアード国防長官は、駆逐艦マードックに乗ってい た海軍少尉だった。国防長官担ったチャック・ヘーゲル上院議員が、ベトナム戦争に従軍したのはあのまりにも有名。初代国防長官のジム・ヴィンセント・フォ レスタルは、近衛文麿を尋問したポール・ニッチェと親友で、海軍上がりの閣僚であった。コリン・パウエル国務長官が陸軍大将であったことは、湾岸戦争でご 存じの通り。どうだろうか、こんなに多くの政治家が軍歴を持っているのに、小林氏は軍人が閣僚になるのは危険だと思っている。なら尋ねるが、日本国憲法を 作ったアメリカ人はどう思うのか? もし、日本人から貴国には元軍人が閣僚や大統領になるから、シヴィリアン・コントロールがありません、と言われたらアメリカ人はどんな反応を示すのか? みんな大爆笑だ。「なんだ? このへんちくりんな東洋人は。アホじゃないか」といって満座の席で馬鹿にするだろう。他の日本人だって、恥ずかしい。軍人が閣僚になったら、軍国主義の暴 走が止まらない、と思う学者には、つける薬が見つからない。スタップ細胞をつくるほうが簡単かも。小林氏には金槌を渡して、自分の頭を打ってもらうしなな い。

James Forrestal 1 Kennedy Navy 2Melvin_LairdChuck Hagel 4







(左:フォレスタル / ケネディ / レアード / 右:ヘーゲル)

   ここまで小林氏のトンデモ見解を説明してきたが、一般国民ならどう考えるだろうか。皆が実際に『憲法守って国滅ぶ』を手にとって読んでもらえば、小林氏 の異常な精神が分かるだろう。彼の憲法観は東大法学部の宮澤俊義(みやざわとしよし)の八月革命説が染み込んでいる。この八月革命とは、敗戦で主権が天皇 から国民に移行したとする、左翼の変態解釈である。実際は、公職追放をビビった宮澤が、占領軍に媚びただけだろう。ところが、その根底には日本と皇室を呪 う怨念があった。いかにも、権力者にへつらう学者の典型だ。支那の知識人を思い出す。愚劣な学生が大学に残って教授になることも腹立たしいが、真面目な学 生を悪に染めることにはもっと憤りを覚える。慶應大の学生は秀才が多いが、教授の思想を疑う精神、馬鹿を見抜く洞察力に欠けている。教科書をきちんと覚え て、試験に合格する能力は高いが、猜疑心が薄いので、洗脳されやすい。あのヘビのような目つきの小林教授に睨まれながら、馬鹿らしい講義を真面目に聞く学 生は哀れだ。厳粛な雰囲気の中で勉強する学生は、小林教授の深刻な顔つきと、専門用語を交えた話術にかえって感動してしまう。何か深遠な学問を授かったよ うに感じてしまうのだ。受験秀才の悲劇である。(赤点学生だった筆者は、法学部教授の講義など端っから信じていなかったし、真面目に聞くこともできなかっ た。) こんな教授に左翼憲法史観をたたき込まれた官僚が気違いになるのは当然である。日本の大卒者は普段の職場ではまともなのに、軍事や憲法の問題になると、と たんに精神異常者になってしまうのは、こうした左翼偏向教育があるためだ。彼らが卒業してから読む新聞が、これまた朝日新聞や日経新聞ときているから、も う救いようがない。大人の再教育は難しいから、インターネットを偶然見てくれるのを待つしかないだろう。それがダメな人は死ぬのを待つしかない。とかくこ の世は上手く行かぬものである。




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今信玄が昭和にいたら / 稀代の戦術家たる田村怡與造

日本は軍国主義国ではなかった

  今に生きる日本人の軍 事音痴は深刻で、病膏肓(やまいこうこう)に入る、といったところか。なにせ国防軍と聞いただけで、「軍国主義の復活だ、恐い」と考えてしまうほど、短絡 的思考が染みついている。大東亜戦争の時に“軍国主義者”はいなかった、なんて発言したら、欧米人だけでなく日本人も、「馬鹿なこと言うな」と反論するだ ろう。共産主義者によって執筆された歴史教科書は、しつこく軍国主義の大日本帝国を非難しているではないか、と。それでは、誰が「軍国主義者」だったの か? まぁ、たいていの日本人は陸軍大将で首相になった東條英機を挙げるだろう。しかし、東條首相は対米開戦にあたり、綿密な戦争計画を天皇陛下に上奏したの か? そんなことない。具体的な作戦計画や軍需物資の生産や資源の確保などを、昭和天皇に提示できなかったのである。まさか陛下の御下問に嘘はつけない。天子様 の龍顔(りゅうがん/ご尊顔)を直視して、適当なごまかしをする度胸などないし、実直な東條大将は几帳面な性格だったから絶対に無理。重臣会議でも自信を もって対米戦争を主張できる者がいなかったのだ。

東條英機(左/東條英機)
   対米開戦にやる気満々だった一部の赤い海軍将校を別にすれば、帝國海軍の重臣もションボリしていた。高松宮殿下が日米開戦決議の最終段階になって、海軍 は未だ自信がなく開戦には反対である旨を、昭和天皇に伝えたくらいだ。これをお聞きになった陛下は、直ちに嶋田海軍大臣と永野軍令部総長とを召されて、海 軍の真意を尋ねられたという。(重光葵 『昭和の動乱』 下巻 中公文庫 2001年 p.147) 敗戦後、参謀総長を兼任した東條大将は、総理大臣が軍の統帥権すら持たない日本が勝てるわけないだろう、と懐述していたのだ。(p.152) 陸軍と海軍が反目し、首相が最高司令官として機能しない日本など、どこが軍国主義国なのかと逆に問いたい。肝心な戦争計画を作成せず、陸海軍の統率もとれ ていない、そもそも勝算が立たなかったのに、御前会議の雰囲気でなんとなく開戦が決まってしまったのだ。こんなんじゃ、昭和天皇がお気の毒。敗戦は最初か ら予定通りじゃないか。だから共産主義者は大喜び。敗戦をキッカケに共産主義時代の到来を期待した。軍人が威張っていたから軍国主義なんて理屈は日本国内 でしか通用しない。日本人は帝国主義(imperialism)時代の植民地獲得競争と軍国主義(militarism)をごちゃ混ぜにしているのだろ う。アルフレート・ファークツ(Alfred Vagts)曰く、

  このミリタリズムという非難の言葉は、平和をおびやかし、また平和的な国家をしてそのあとを追わしめるような、不釣合いな軍備を創出した国々に投げかけられたものである。( 『ミリタリズムの歴史』 望田幸男 訳 福村出版 1994年 p.4)

   日本人、特に日教組の教師や左翼系インテリが思い描く「ミリタリズム」は、軍人が他国を侵略したり、無闇に戦争拡大を計るような行動であろう。ちょっと 付け加えれば、戦争を簡単に決めるのはどちらかというと、国内の安全地帯に盤踞(ばんきょ)する軍“官僚”の方であり、前線で戦う“たたき上げの”士官や 兵卒ではない。現場の軍人は命が懸かっているから真剣に戦争を考えるものだ。ファーツクによれば、

  ミリタリズムは戦争への愛好以上の ものであり、ときにはそれ以下のものである。ミリタリズムは、一般市民生活の慣習よりも軍事的な制度・慣習を高く位置づけ、また行動や決断にあたって軍人 的な精神と方式を文民の領域へ浸透させる、そのような思考・価値評価・感情の混合物のいっさいの方式を包含している。(p.7)

  戦争 は外政(diplomacy)の手段であり、戦うこと自体が目的ではない。戦争目的を達成するために軍隊を用いるのである。だから、軍人よりも文民の首相 が優位の権能(civilian supremacy)を持たねばならぬのだ。昭和の悲劇は明治と違って、政治家がしっかりと軍隊を統括しなかったことにある。その点、明治の政治家は武士 であったから、軍人と気脈を通じていたし、高級将校だって政治家と区別がつかぬ人物が多かった。陸軍の大御所たる山縣有朋(やまがたありとも)は、伊藤博 文に引け目があった。高杉晋作創設の奇兵隊に加わり、力士隊を率いたのが俊輔(しゅんすけ)、すなわち若き日の伊藤首相で、山縣(狂介/きょうすけ)は時 期尚早として蹶起(けっき)しなかった。こんな過去があるから、山縣は伊藤に頭が上がらなかったんじゃないか。文官の総理であっても軍隊のことに介入でき たし、勲章を佩用(はいよう)する歴戦の将軍を前にしても堂々としていた。日清戦争で偉大な功績を残した田村怡與造(いよぞう)が活躍できたのも、こうし た輔弼(政府)と輔翼(軍部)がうまく連動していたからである。

偉大な恩師に恵まれた少年

武田信玄(左/武田信玄)
   陸軍参謀本部の重鎮たる川上操六(かわかみそうろく)が、戦国武将の武田信玄にちなんで「今信玄(いましんげん)」と呼んだ田村怡與造とはどんな人物な のか? 怡與造のは甲斐(かい/山梨)の生まれだが、その祖先は、東国武士団のひとつ武蔵七党の西党に属する田村三郎弘綱である。七党とは横山、猪俣、児玉、など 七つの武士団を指し、「党」とは500人の武士を意味したようだ。西党は大和朝廷時代に遡る古い武士団で、室町末期に武蔵から甲斐に移ったという。田村備 後守光綱は武田信虎に仕え、武田氏滅亡後に德川家の臣下となった。それ以降、田村家の当主は神官として生きるとこになるのだが、田村家は苗字帯刀を許され た士族である。明治から昭和にかけて武門の田村家からは、怡與造とその弟で六男の沖之甫(おきのすけ)と七男の守衛(もりえ)、そして甥の田村義富(よし とみ)が輩出され、四人とも中将になっている。もし、彼らが長寿だったら全員大将になっていたかも知れない。

  東山梨郡という土地は甲 斐武田の血統を受けているせいか、気性の剛情さも随一で、人と議論をして白熱すると刀を掴むことがあったようだ。15、6歳になった頃の怡與造にも、こう した気風が影響していたらしい。理由は定かではないが、怡與造は古屋塾で刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こしてしまう。伴野某という者と道徳問題で激論を 交わしたところ、激怒した怡與造は短刀を抜いて伴野を斬りつけてしまった。負傷した伴野は治療を受けたが、数日後息を引き取ってしまったのである。人を危 (あや)めてしまった怡與造はそのまま甲府に逃れ、山間部に潜伏したらしい。怡與造は正当防衛だと思っていたが、もしこれを咎(とが)められて刑に服する ことになれば、一生を棒に振ることになる。そこで、義気に富む人に相談してから身を処することに決めた。そこで思いついたのが、八反田村の武藤外記(むと う・げき)である。外記は頼ってきた怡與造から事情を聞き、その英邁さを惜しんだので何とか助けたいと思ったそうだ。田村家と同様、神職であった伴野家 も、傑出した神官の外記が示す熱意に同意せざるを得なくなり、万事を外記に任せることとなった。外記は前途有望な少年を刑に処するより、国家のために貢献 させるよう説いたらしい。「お国のため」といって納得する伴野家も立派である。明治にはこうした日本人が多かった。怡與造ばかりか、彼の両親も外記の仲介 にいたく感謝したという。(『近世名将言行録』 第四巻 吉川弘文堂 昭和10年 pp.116-117)

田村怡與造(左表紙/田村怡與造)
   外記に救ってもらった怡與造は文武両道に励み、知力体力の面でかなり進歩したようだ。そんな中、討伐軍を率いた板垣退助が、甲斐に進軍してきた時のこと だ。勤王家の外記は板垣に呼応し、官軍の前途について協議をし、その帰宅途中、佐幕派に襲われて暗殺されてしまった。山中の森林で起こった暗殺を聞きつけ るやいなや、怡與造は遙か彼方の現場に駆けつけ、恩師の遺体を守ったという。木樵も(きこり)も通らぬ山奥で、遺体が狼にでも喰われたら大変だ。まだ雪が 残る山中で検視官が到着するまでの二昼夜、断食のままで恩師の側に附いていたという。ようやく検死が終わって遺体を埋葬できたというが、怡與造の行為は実 に見あげたものだった。附近や周囲の者は怡與造の尋常ならざる性格を再認識し、その美談を大いに称賛したそうだ。

  偉人の人格形成や出 世の裏には、よく偉大なる師が存在するものだ。吉田松陰には佐久間象山(ぞうざん)、福澤諭吉には緒方洪庵(こうあん)がいたように。陸軍士官学校に進ん だ怡與造は、参謀科で騎兵や砲兵、工兵について教えていた小坂千尋(こさかちひろ)という大尉と出逢った。参謀科将校であった小坂は、フランスのサンシー ル陸軍士官学校で学んだ逸材である。乙女のような白い顔に長身の小坂大尉は、物腰が優美でありながら、剣術にも優れ、子供の頃は合戦遊びで抜群の勇気を示 したそうだ。読書家でもあった小坂は、おもに兵書を好んだという。山縣有朋の夫人によれば、小坂がやって来ると家の女中たちが大騒ぎになり、不平不満が出 ぬよう、お茶を出す順番が決まっていたという。いやぁ~、色男はもてる。眠狂四郎の明治版かなぁ。フランスで参謀について学んだ小坂だが、普仏戦争でドイ ツが見せた国力を思い出し、怡與造にドイツ留学を勧めたという。怡與造の才能を見抜いていた小坂は、上層部の山縣有朋や桂太郎に、怡與造が将来の参謀本部 に貢献する人材になる、と紹介していたらしい。小坂の尽力で怡與造はドイツ留学ができたという。

兵站を重視した今信玄

   日清戦争で我が軍が清朝支那を相手に大勝したのは、日本軍人の優秀性もさることながら、後方支援が整備され円滑に機能していたからである。実際の戦争で は部隊の輸送や武器・弾薬・食糧の供給が不可欠で、それが不備だと戦を継続できない。戦場での奮闘は華々しいから、どうしても一般人の耳目はそちらへ注が れてしまう。末は陸軍大将か海軍提督か、と夢見る少年なら、師団または艦隊を率いる将軍になりたいと思って当然。だって花形だもの。『ベルセルク』のガッ ツみたいに、敵を剣でなぎ倒したい。しかし、実戦では兵站(へいたん)部門がとりわけ重要となる。戦場の後方にて、軍需物資を輸送し、前線で戦う部隊に供 給するのだ。田村怡與造はドイツ留学後、参謀本部第一局勤務の歩兵少佐になり、「野外要務令」の制定に取り組んだのである。この中身を大まかに言えば、戦 闘序列、軍隊区分、警戒勤務、捜索行動、行軍、宿営、弾薬供給、補給物資輸送といったところ。怡與造は軍隊運営の基本原則を整備したのである。当時の日本 では、軍の命令伝達だって統一されていなかったのだ。平時ならともかく、有事において命令は簡潔明瞭が肝要。修辞語を使ってごちゃごちゃ言うより、要点だ けをはっきり口にすれば、相手も間違えずに了解するだろう。ベルリン陸軍大学で熱心に講義を聞いていた怡與造は、命令が簡約を旨とすることを知っていた。 (篠原昌人 『知謀の人 田村怡与造』 光人社 1997年 pp.71-72)

  余談だが、明治になって始めて統一日本語、つまり標 準語の必要性が理解され、山の手ことばを基にした標準語が発明されたのはよく知られている。明治初めだとまだお国なまりが抜けていなかったから、薩摩弁や 名古屋弁、会津弁、津軽弁がごちゃ混ぜだと、命令を受けた者が間違って伝えてしまう。宴会で薩摩藩士と津軽藩士がベロヘロに酔っ払って喧嘩にでもなった ら、仲裁役の人間も困ってしまう。何言ってるのか分からない。以前、『坂の上の雲』のドラマ化で、薩摩弁をセリフにしようとする話が持ち上がったらしい。 しかし、出演者の坂上二郎さんが「やめておけ」と忠告したので実現されなかったという。鹿児島出身の二郎さんは、東京の視聴者が理解不可能となることを分 かっていたのだ。確かに、鹿児島の老人が喋ったら何のことやら判別不能となってしまう。筆者も津軽弁の人と電話で話したことがあるが、相手を推測しながら の会話であった。江戸時代は方言で各地がバラバラであったという。

  狭い日本でこんな有様だから、大陸に住む支那人だと、北京や上海、 広東、四川などの出身者が集まると、アヒルの大合唱で会話すら成立しない。支那人とは漢字を目で読んで意思疎通をはかる異種混淆民族である。現在でも国民 国家ではないし、家族以外は外国人というのが支那の常識。川で豚と人間が溺れてていれば、値段の高い豚の方を助ける。支那人には以心伝心は理解不可能。軍 隊内で命令があっても、自分の利益を優先するというから、命令が絶対と思うのは、欧米と日本くらいなものである。話せば分かるとか、心のふれあい、なんて 呑気なことを言う支那人は絶対いない。しかも、相手の気持ちを察するなんて無理。あるアメリカ人の偉いビジネスマン数名が支那の工場を見学した際、支那人 通訳が「お静かに」と言うところを支那語から直訳して「はい、みんな口を閉じろ(Everybody. Shut your mouth ! )」と英語で命令してしまった。支那人の小娘から「黙れ」と言われた重役のアメリカ人は、驚いて目を剝いたという。支那人通訳は無礼に気づかなかったらし い。筆者は知人からこの話を聞いた時、つい笑ってしまったが、「さもありなん」と思った。ぶっきらぼうな支那人らしいじゃないか。でも、支那語は命令に適 した言葉みたいだ。

Helmuth von Moltke 1(左/ヘルムート・フォン・モルトケ)
   怡與造の功績で忘れてはならぬのが、国内に於ける鉄道網の敷設である。ドイツの電撃作戦でも分かるように、兵隊や物資を迅速に輸送できる鉄道を整備する ことは、非常に重要な課題であった。清国との戦争を予期していた怡與造は、鉄道を国内に張り巡らせると共に、港湾の建設に着手して船舶による物流を確かな ものにした。ドイツに留学した怡與造が名参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケ(Helmuth Karl Bernhard von Moltke)を手本にしたことは確かだ。コペンハーゲンの王立陸軍幼年学校に在籍していた頃、モルトケは兵学より文学が得意な少年であったため、教官ら はまさか後に大戦略家になるとは思わなかったという。モルトケが異彩を放つのは、ドイツに一本もレールが敷かれていないうちから、鉄道の研究を始めていた のだ。(ハジョウ・ホルボーン「戦略のプロイセン・ドイツ学派」 ピーター・パレット編 『現代戦略思想の系譜』 ダイヤモンド社 1989年p.255) 彼は鉄道の将来を確信していたようで、1840年代初期には貯蓄をはたいて、ハンブルク鉄道の株を購入したらしい。1841年から44年にかけて鉄道に関 する論文も多く執筆していたという。それに、彼の花嫁は遠いホルシュタインにいたから、その距離を縮めたいという希望もあったらしい。鉄道は新たな可能性 を秘めており、新時代の部隊は、ナポレオンの軍隊より六倍も速く移動できたという。高度に発達した鉄道網を持つ国家は、戦争において決定的な優位を獲得し たのだ。

田健治郎田英夫菅直人 2千葉景子








(左:田健治郎/田英夫/菅直人/右:千葉景子)

   鉄道と補完関係にあるのが通信である。怡與造は情報の伝達手段である電信線の敷設にも努力した。川上操六が通信局長の田健治郎(でん・けんじろう)を訪 ね、東京・下関間や釜山・京城間の直通電信の敷設、それと鴨緑江付近に海底電線を敷設するため、作業を急ぐよう求めた。川上の存在は怡與造にとって計り知 れないほど大きい。ちなみに田健治郎は台湾総督を務めた軍人で、あの社民党議員だった田英夫(でん・ひでお)の祖父である。田はTBSのキャスターを辞め て、社会党から出馬した参議院議員である。北鮮工作員の辛光洙(シンガンス)の保釈を求めて署名活動した国賊である。菅直人や千葉景子と同類の極左であっ た田は、もちろん国旗・国歌法にも反対した。こんな反日議員に勲一等旭日大綬章を与える我が国は精神異常の極みである。大勲位の中曾根康弘も、隠れ国賊だ から勲章を禠奪(ちだつ)すべきだ。産経や読売新聞で憲法改正派と見なされているが、改悪を狙っているアジア主義者である。保守派は騙されてはuらない。

実戦のための準備

   野外要務令について検討した怡與造の改良点を一つ述べてみよう。従来、歩兵がもつ小銃の弾薬補給は、弾薬大隊の兵卒が駄馬の所在地に赴き、弾薬を受領し て隊に戻ってくるものだった。銃の弾薬は箱の中にバラのまま入っており、馬の背に三箱積まれて運ばれる。1箱500発入りで、重さは約30キログラム(約 8貫目)であった。このような駄馬を戦闘地域の後方に置いておき、前線の兵卒2名がやって来て、1箱ずつ運び、戦線で開いて分配していたのだ。戦闘地域と 駄馬の間は800メートルを超えないこと、とされていた。怡與造はこの欠点に気づき、改善策を提唱したのだ。重い荷物を運ぶ途中、兵が弾に当たれば到着が 遅くなるし、また無事に戦線に帰ってきても、そこで箱を開けるのでは時間がかかる。しかも、空箱は駄馬の所まで戻さねばならない。人と時間の無駄が生じ る。

  そこで、1頭の駄馬には2箱の弾薬箱を積み、1箱には800発の弾薬を入れ、200発ずつ結束したものを4束入れておく。兵卒は 箱を駄馬から卸(おろ)すことなく、その場で開けて、1人が2束を持って戦線に向かう。馬は空箱を積んだまま、弾薬中隊に戻る。このように1頭に3箱乗せ るより、2箱乗せる馬の方が、補給の回転が速くなる。その反面、1頭につき2箱では重量が約45キログラムにまで増えてしまう。結局、怡與造の改善策が採 用され、1箱の弾薬は結束のまま取り出し、兵卒2名が搬送すると改められた。(篠原 上掲書 pp.106-107) こうした細かく地味な改良を積み上げることで、戦闘の効率を着実に上げていったのである。清朝の支那政治家や軍司令官はこんなこと少しも考えなかった。支 那人指導者というのは、部下に命令するだけで、現場がどうなるのかを考慮しない。そもそも関心が無かった。お金を出して外国から最新兵器を買えば戦争に勝 てると思っていたのだ。

  日清戦争は我が国初の大規模な対外戦争であった。日本海を渡って朝鮮半島に上陸した日本軍は、怡與造が心配し た軍の兵站・補給に問題が生じ、一時的に行軍の速度が落ちたのだ。京城龍山の第五師団の兵站参謀長であった竹内正策(たけうち・せいさく)中佐は、川上操 六兵站総監へ電報を送った。軍需物資を輸送するに当たって、朝鮮人夫と駄馬が十分確保できず、食糧輸送に支障が生じたというのだ。第五師団の糧秣(りょう まつ/人の食物と馬のまぐさ)運送は、輜重(しちょう)兵第五大隊が受け持っていたのだが、この大隊には糧食1中隊(縦列)しかなかった。本来3個中隊あ るはずが、当初動員されたのは1個中隊のみであったらしい。それに、現場で物資を運ぶのは輸卒(ゆそつ)と軍夫(ぐんぷ)である。国内の土建会社に頼んだ が、なにせ無法者の集まりだったから、統率に手を焼いたという。

  ここでちょっと軍隊の構成について述べたい。戦後の日教組教育を受け た世代は、軍隊のことがさっぱり分からなくなっている。筆者も驚きの体験がある。まだ大学生だった頃、ある有名大学英文科の優秀な女学生と、娯楽映画につ いて会話していたところ、この才女は軍の階級や軍制を知らなかった。たとえば、オリバー・ストーン監督の代表作『プラトゥーン(Platoon)』は、日 本でも大ヒットし多くの観客を得た。この作品はストーン氏が従軍した時の小隊(platoon)をもとにして描かれた戦争映画である。英文科の秀才が、少 尉か曹長が隊長となる1個小隊は、2個分隊(squad)から成ることを知らなかった。軍の階級だって上等兵(private)や伍長 (corporal)、軍曹(Sergeant Major)とはどんなものか知らない。英国の人気シリーズ映画『007』で、ジェイムズ・ボントは海軍中佐(Royal Navy Commander)の諜報将校である。日本人観客でもボンドの階級を知らない者が多い。ちなみに、海軍の大佐(キャプテン/Captain)は、陸軍の 大佐(Colonel)に相当するから、「海軍大尉」と訳するとややこしくなる。「陸軍大尉」と同等の階級と思ってしまうからだ。まあ、細かいことは知ら なくても、戦争映画はアクションを楽しめればいいだけだ。でも、有名大学で英語小説を研究している優等生が、娯楽作品を理解する知識が無いとは、やはり日 本の教育は間違っている。だって、時代劇の代官、与力、同心、岡っ引きを知らない国文科出身の視聴者がいたらおかしいだろう。

  読者には煩わしいかもしれないが、多少は軍隊について知識を持っていれば、外国に出て恥ずかしい思いをしなくなるので、参考までにちょっと。

班(Fireteam/or section)  2名から6名で構成される。機関銃や対戦車砲などを持っている。
        通常、士官学校や高等学校を出ていない下士官(Non-Commisioned Officer)によって率いられる。
        伍長や軍曹など。
分隊(Squad)   2個か3個の班で構成される。約8人から15人くらい。これも下士官がリーダーとなる。
小隊(Platoon) 3個から4個の分隊から成る。約30人から50人くらいの人数。
           下士官か少尉によって率いられる。
中隊(Company) 3個から4個小隊から成る。約100人から250人がいて、大尉か中尉が指揮官となる。
大隊(Battalion) 3個から5個中隊からなり、400人から1500人くらいで編成される。少佐か中佐が指揮を執る。
聯隊(Brigade)  3個から4個の大隊から編成され、1500人から2500人くらいの規模となる。
           中佐か大佐によって指揮される。
師団(Division)  3個か4個、あるいは幾つかの聯隊から構成され、だいたい1万から2万5千人の大所帯となる。
           少将が指揮を執る。
軍団(Corps)  幾つかの師団から編成され、2万から4万人くらいで、中将が指揮官となる場合が普通。

   話を戻す。怡與造は川上操六参謀長を訪ね、輜重(しちょう)の動きが鈍くなっていることを報告した。輜重とは弾薬や食糧、被服といった軍需品の総称。朝 鮮半島を北上する我が軍の速度に、輜重兵が追いついていなかったである。運搬力は人、牛馬、車に頼っていた。輸卒不足を現地で調達しようとしたが、なんと 平壌附近には人がいなかったのだ。先に入ってきた清国軍が酷使したため、朝鮮人が奥地に牛や馬と一緒に逃げてしまった。そこで仕方なく、朝鮮の役人に頼ん で人夫を集めたのだが、またもや問題が持ち上がった。日本は銀本位制に基づき、重い銀貨を持っていったのだが、現地の朝鮮人には銀の価値が分からなかった のである。それもそうだ。金融制度なんか微塵も無く、貨幣を持っているのはごく僅かの者しかいないし、持っていても奪われないように地面に埋めてしまう。 しかも、得体の知れぬ日本人からの硬化なんて信用しない。朝鮮人は国内通貨しか受け取らなかったのである。それで日本軍は現地通貨をかき集めねばならな かったという。もう、朝鮮というのはイライラする国である。

  賃金問題が解決したら、今度は道路問題が出てきた。事前の南鮮視察で分 かっていたのだが、想像以上に道がぬかるんでいたのだ。平壌戦前後、司令部や兵站部、その他の部隊が糧秣運送に駆け回っていた。飲料水にも事欠いていたと いう。そりゃそうだ。朝鮮の生水なんか汚すぎて飲めない。また、朝鮮人問題が浮上した。車輌の使用で、朝鮮人はその使用法が分からない。しかも、車軸に油 を塗らずに使うため、破損が多くなり、使い物にならなくなった車輌は、道端に放棄してあったらしい。また、運搬物は監督が行き届かず、紛失品が頻発し大変 困ったという。朝鮮人の運搬人が途中でくすねたんじゃないか? 戦闘も重要だが、兵站も同様に大切なのだ。こんな状態だから、第五師団は補給が不安になった。そこで鴨緑江に近い耳湖浦という村に、小船を使って物資を上 陸させたという。これでやっと我が軍は前進を開始できたらしい。(篠原 上掲書 pp.159-161)

川上操六大山巌児玉源太郎









(左:川上操六/中央:大山巌/右:児玉源太郎)

   日清戦争は我が国が勝った。終わってみれば、日本と支那の軍隊や国民の質が余りにも違っていたので、日本国民の中には支那兵は取るに足らぬものと見え た。しかし、怡與造の眼は既に強国ロシアに向いていた。偉大な川上操六が亡くなり、参謀総長の椅子に坐った大山巌(いわお)元帥は、藩閥に属さない45歳 の怡與造に期待をかけていた。この57歳の元帥とまだ大佐にすぎぬ怡與造とでは、天と地ほどの階級格差があったが、両者とも同級生のような間柄である。な にせ怡與造ときたら、あの陸軍に君臨する権力者、山縣有朋の前でも胡座(あぐら)をかきながら、淡々と話をできるという豪放磊落(ごうほうらいらく)な性 格だ。これは怡與造に限ったことでもないが、児玉源太郎だって大山元帥を「ガマ坊」と呼んでいたのだから、明治の軍人たちは大らかだった。(肥満体だった 大山元帥は「ガマ蛙」と呼ばれていたそうだ。笑っちゃいけないが、言われてみればそう見える。)

  ロシアの動きを警戒していた怡與造 は、ロシア軍の行動を監視するための人間を極東地域に派遣していた。怡與造は諜報網を組織する必要性を感じていたのである。あの有名な石光眞清(いしみ つ・まきよ)も怡與造が語学研究という名目でシベリアに派遣した諜報員だった。怡與造自身もシベリア地方を調査していたという。(p.187) ただし、この旅行は秘密であったから公式記録には載っていない。怡與造はロシアによるシベリア鉄道の進捗度(しんちょくど)を確かめたかったのだ。ウラジ オストックからハバロフスクの間は明治30年11月に開通し、チェリアビンスクからイルクーツクまでは明治32年1月に完成した。怡與造の観察したところ によれば、ロシアの鉄道はまだ単線であり、列車の速度は時速24キロと推定される。その鉄道は広軌鉄道で日本より輸送力が大きいが、レールの構造が貧弱で あることが分かった。レールが軽くて弱いため、車輌の重量に耐えられぬ部分があったらしい。また、レールを支える枕木の厚みが足りず、防腐処置もしていな いため、所々で線路が陥没していたのだ。(p.189) この隠密視察から帰るとき、怡與造はロシアの地図や書籍を買い求め陸軍大学に寄贈したという。このような地道な調査と、具体的な事柄を観察することは、 “実際”の戦争を遂行するときに多大な貢献をなすものだ。

  大東亜戦争を控えたボンクラ将校を見ていると、明治の軍人が如何に慎重で、 “具体的に”戦争を考えていたことが分かる。明治36年4月に立花一郎少佐から(日露戦争のときに第4軍参謀副長)、ロシア軍が鴨緑江を渡り龍岩浦に現 れ、河に橋を架け、堤防工事を始めたとの情報が入った。軍部もいよいよ対ロシア戦が迫ったことを認識し、6月には参謀本部会議か開かれた。そんな中、怡與 造のもとに福田雅太郎少佐(日露戦争のとき第1軍参謀)が訪ねてきたのである。その当時、陸軍、海軍、外務省の有志が、新橋烏森の料亭湖月(こげつ)に集 まって時局を論じており、福田少佐もその一人であった。部屋に通された福田少佐は、怡與造を前にして、湖月での様子を伝え、一日も早い戦闘を訴えたらし い。黙って聴いていた怡與造は福田に問いかけた。

  「では聞くが福田、日清の戦のとき、平壌攻撃で何発、弾を使ったか知っておるか」
  「はあ、とっさに言われましても記憶が・・・・」
  「榴弾680発、榴霰弾2,128発、小銃弾は、28万4千869発だ。お前はこれを多いとみるか、少ないとみるか」
  「平壌攻撃は、日清の役でも最大の戦いであります。消費弾量も、一会戦としては多かったと言わざるを得ません」
  「それは、もはや時代遅れだ。この弾の量など、おそらくロシア相手では小競り合い程度だ。湖月の土蔵では、弾の話はしなかったのか」

  福田の言い訳を退け、怡與造は持論を語る。

  「だから、ロシアと事を構えるとなれば、弾は何発用意すればよいのか。野砲は、山砲は何門持っていけばよいのか。わしの知りたいのはそこだ。湖月の寄り合いなど、茶飲み話の書生論に過ぎぬ」(p.210-211)

田中義一(左/田中義一)
   具体的な作戦を検討せずに、料亭で対ロシア戦に気勢を挙げる空論家など、本当に開戦となったら役に立たぬものだ。勇ましく出陣しても、食糧や武器の補給 がなければ、軍隊は立ち往生してしまう。戦(いくさ)の本質を熟知する今信玄は、血気盛んな青年将校とは違うのだ。実際、怡與造は弾薬量、馬の頭数、一個 師団の軍需品は何トンか、一個師団を輸送するには何両の列車が必要か、など具体的な戦争計画を考えていた。以前、怡與造は児玉源太郎を訪ね、八幡製鉄所で 生産される鉄で、どれほどの兵器が作れるのか質問していたのだ。児玉から「軍を退官し、製鉄所にでも勤めるのか」と揶揄されたくらい、鉄の生産量に関心が 高かった。後に首相となる田中義一少佐も湖月会の一人であったので、怡與造の意見を訊きに来たという。対ロシア戦ではハルピンを落とすことになる、と予測 する田中少佐に対し、怡與造はハルピンまでは無理だろうと告げた。奉天に達するかさえ難しいので、遼陽で対戦することになるのでは、と予想したのである。 怡與造は遼陽で決戦を迎えることを考えていたのだ。事実、我が軍は遼陽でロシア軍と対決することになるから、怡與造の予想は的中したと言えよう。ただ、惜 しいのは日露戦争に従軍できず、明治36年9月30日病のため還らぬ人となってしまった。参謀総長だった大山元帥は、怡與造の訃報をを知り落胆激しくし、 ばらく天を仰いで一言も発しなかったという。

  日露戦争当時の指揮官や参謀は、戦後になって大変な評価を受けている。しかし、日露戦争 の前に亡くなってしまった“今信玄”こと田村怡與造の名は、歴史の片隅に追いやられているような気がする。最前線で先頭に立って奮迅しなかった怡與造だ が、その綿密な作戦計画や兵站への配慮は、戦争の要諦(ようたい)として、人々の心に刻まれるであろう。明治には偉人が本当に多かった。





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