無敵の太陽
主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。
難民は将来の国民
我々は今、ドイツが滅び行く過程を 目にしている。「そんな馬鹿な」と言う人は、ローマ史を学んで欲しい。ローマは永遠の都と呼ばれていた。確かにイタリアには今でもローマはある。しかし、 ローマ人はいない。現在のイタリアには、エトルリア人やサビーニ人の末裔らしき人々がいるだろう。だが、その中にはゴート人のみならず、アラブ人やベルベ ル人、フェニキア人、エジプト人など、得体の知れない種族が混ざり合った人々が大量に紛れているのだ。現在のイタリア人を我々が見れば、本当にヨーロッパ 白人なのか、と疑いたくなる人物が多数存在する。例えば、NHKのイタリア語講座に出演していたパンツェッタ・ジローラモ(Panzetta Girolamo)氏は、容姿からすれば南イタリアでよく見かけるタイプである。彼はゲルマン・ゴート系というより、北アフリカのマグレブ系イタリア人と いった方がいい。北部イタリア人の貴族よりも、モロッかアルジェリアにいそうなベルベル人の血が混じってていそうな人物だ。実際のところは不明だが、彼の 祖先の血筋を辿れば意外な事実が分かるかも知れない。正直に言えば、イタリア人は地理的・歴史的経緯から、アラブ人やユダヤ人、それにアフリカ人の混血児 が多いのだ。特にシチリアなどはサラセン人に侵略されたこともあるし、アラブ商人やユダヤ人官吏が定住していたから、その子孫はゲルマン系と違った容姿を 持つ。したがって、ジローラモ氏はベルベル系サッカー選手のジダン(Zinedine Zidane)氏や、俳優のオマー・シャリフ(Omar Sharif)と同じ種族に属するのではないか? (シャリフは映画『ドクトル・ジバコ』で有名な男優。)
(左: パンツェッタ・ジローラモ / ジダン / オマー・シャリフ / 右: モロッコのベルベル人)
アメリカにイタリア系藝人が多いことは説明するまでもない。例えば、人気歌手のジョン・ボン・ジョビは、本名のジョン・フランシス・ボンジョヴィ (John Francis Bongiovi, Jr.)から分かる通り、イタリア系の父親を持つ。彼の母親はドイツ・ロシア系だけど、一応イタリア系アメリカ人としておこう。もう一人有名人を挙げれ ば、TVドラマ『ヒーロズ』で人気を博したヘイデン・パネッティアー(Hayden Panettiere)が、イタリア系女優として知られている。本人曰く、イタリア語で「パン屋」を意味する家族名らしい。彼女は母親がドイツ系とのこと だが、インタヴューで示された通り、父親のイタリア系というアイデンティティーを受け継いでいるようだ。
(左: ジョン・ボン・ジョヴィ / 右: ヘイデン・パンツェッタ)
日本人の映画ファンなら知っていることだが、女優ブルック・シールズ(Brooke Shields)は、母方がアイリス系だが、父方の血筋でイタリア系アメリカ人でもある。(80年代の日本は景気が良かった。カネボウ化粧品は彼女をCM に起用し、相当な金額を払ったらしい。) 彼女のご先祖であるトルロニア家のジョヴァンニ・トルロニア(Giovanni Torlonia)やマリノ(Marino Torlonia)は銀行家で、ヴァチカンやナポレオンの軍隊に係わっていたという。しかし、彼らのルーツはフランスにあって、クリスチーヌ・マリー (Christine Marie)という女性にたどり着く。驚くことに彼女はフランス国王アンリ4世の娘であった。したがって、ブルック・シールズは傍系だが、ブルボン王朝の 末裔になる。(Megan Smolenyak, Brooke Shields, Who Do You Think You Are?, The Huffington Post, March 4, 2011) まあ、イタリアには貴族の子孫がたくさん居るから珍しくもないが、マグレブ諸国から入り込んできた移民の子孫よりマシだろう。
(左: カネボウの宣伝で来日した時の写真 / 中央: 母親のテリーと幼児の時のブルック / 右: 映画「テス」に出演したブルック・シールズ)
ちよっと脱線したので話を戻す。国民国家は同じような血統の民族で構成されないと成功しない。ドイツはゲルマン民族で構成されるのが基本である。さもな いと、アメリカ合衆国のような雑種の集積所になってしまう。ここ数ヶ月の間、シリアからの難民がEUで大問題になっている。内戦で荒廃したシリアから続々 と難民が、ハンガリーやオーストリアに現れ、一路、夢の国ドイツへと押し寄せている。難民の群れには、シリア人家族ばかりではなく、イラク人やパキスタン 人、ついでにコソボやアルバニア、スロヴェニアなどからの経済難民も含まれているという。数人なら密入国者という犯罪者だが、数万数百万人となれば、EU 諸国が保護せねばならぬ“可哀想な”亡命者となる。薄汚い下層民の大群が、陸路をトボトボ歩いて、遙か彼方の福祉大国ドイツに向かうのだ。彼らが通った跡 にはゴミが散乱し、見るだけで不愉快になってくる。まるで、イナゴかネズミ、否、それよりも有害な動物が通過したかのように思えてしまう。例えば、イタリ アとオーストリアの国境沿を難民の列が通ったが、まるでジプシーどもに占領された公園みたいな光景になっていた。この後始末は誰がつけるのか? もちろん、両国の国民が税金から清掃料を払うことになる。難民を支持するNPO団体は決して払わない。
(左: イタリアとオーストリアの国境に散らかったゴミ / 右: EUに押し寄せる難民)
明らかに人種が異なり、不可解な言葉を喋る異邦人が、やがて同胞になるなんて、考えただけでも恐ろしいのに、それが現実となってしまった。ドイツは今年 の難民数を80万人程度予想しているという。すでに、EUへ到着してしまった難民12万人中、ドイツは約3万1400人、フランスは約2万4千人、スペイ ンは約1万4千人引き受けるようだ。ドイツでの難民申請者は2014年で20万人いて、今年2015年には30万人くらいでは、と予測されていた。 (Allison Smale, Germany's Small Towns Feel the Cost of Europe's Migrant Crisis, The New York Times, April 22, 2015) ドイツのトリグリッツ(Tröglitz)やヴォラ(Vorra)といった片田舎では、難民の群れが押し寄せたせいで地元住民は大迷惑。異邦人の襲来で怒 り狂った住民の中には、難民収容所に放火して難民を叩き出そうとする者がいた。ドイツや外国からのジャーナリストが取材に訪れれば、地元民は「いやぁ~、 ひどいことするねぇ~」と難民に同情しているようでも、心の底では清々した気分になっているはず。自分の住んでいる村に、突如として中東アジア人やアフリ カ人が、断りもなく定住することになったら堪らないだろう。
難民への嫌がらせはドイツのみならず、デンマークでも発生していた。リン グビーガード(Lyngbygaad)にある赤十字の難民収容所が、何者かによって荒らされたという。120人ほどの難民を収容しているセンターの建物 に、不審者が鉤十字(swastika)をスプレー・ペイントで描くという事件が起きた。この犯人はセンターのガレージにDNSB(デンマーク国家社会主 義運動の略/Danmarks Nationalsocialistiske Bevaegles)との落書きをした上に、センター所有のミニ・バスに火をつけて黒焦げにしてしまったという。(Danish asylum centre hit with Nazi warning, The Local, 27 August 2015) 地元ユトランド警察の発表によれば、この器物損壊はネオ・ナチどもの警告と考えられているようだ。しかし、犯人が特定されていないにもかかわらず、極右勢 力の犯行と報道するのはおかしい。もしかしたら、憤った一般人が鉤十字を書いたのかも知れないし、放火したくなるほど危機感を募らせた地元住民が犯行に及 んだのかも知れないからだ。さらにうがった見方をすれば、難民支援者がマスコミの注目を集めることで難民保護を強化しようとして、わざと収容所を襲ったの かも知れない、とも考えられる。実際、アメリカでは大学の寮に住むユダヤ人学生が、寮のドアに自分で鉤十字を落書きするという事件が起こったのだ。とにか く、ドイツ国内の難民収容所が数カ所も放火されるというのは、いかに移民・難民が嫌われているかの証拠である。
(左: ガレージに描かれた鉤十字 / 右: 焼け焦げたミニ・バス)
日本人は難民を甘く見ている。外国からの避難民を可哀想な弱者としか見ていない。しかし、彼らはやがて日本国民になってしまうのだ。例えば、政治的迫害 を受けたビルマ人やクルド人が日本にやって来て、難民申請をして認められれば、ずうっと日本に定住できる。もし、若いカップルが難民認定を受ければ、生ま れてくる子供は日本の幼稚園に通い出し、小学校や中学校といった義務教育を受けることになるだろう。もちろん、子供手当や税控除、社会保障を受けるように なり、実質的に日本人と変わらぬ生活を送ることになる。しかも、彼らの子供は絶対に両親の祖国へ帰らない。たとえ、親が日本語の読み書きができなくても、 子供はちゃんと日本語を喋り、慣習や感覚だって日本的になるから、両親の肉体を受け継いだとはいえ、精神は日本人である。豊かで素晴らしい日本で生まれ育 てば、両親の出身国は暗くて貧しい劣等国としか思えない。帰国となったら、意地でも日本にしがみつく。しかし、これは日本人の遺産を横取りするようなもの である。我が軍の将兵は外国難民のために、自分の家族を顧みず、戦地に赴いたのではない。特攻で散っていった若者は、日本の未来に尽くすため、確実な死へ と向かっていったのだ。難民を入れろ、と叫ぶ支援者は、難民の安全と引き換えに自分の命を捨てるのか?
少子化に悩む日本人は、単純に 人口が増えて嬉しがるが、日本人の遺伝子を持った子供が増えたわけではない。異質な体をした子供が、日本人の子供と同じ学校に通い、日本の歴史教育を受け ているのだ。移民や難民の子供にとって、国史(いわゆる「日本史」)は外国の昔話であり、両親や祖父母の歴史ではないのである。しかも、外人の子が混じっ たクラスを担当する教師は、その少数者に気兼ねして日本人の絆を強調できない。歴史を教える教師は、「君達のお爺さんお婆さんは、たいへん苦労されたのだ から、お国を大切にしなくちゃいけないよ」と諭すことが難しくなる。アジア大陸から流れ着いた外人の子供にとっては、赤の他人が如何に苦労したかなんて興 味が無い。難民からすれば、自分が味わった苦痛の方が大きいからだ。支那人や朝鮮人の子供となれば、日本人の祖先は自分の同胞を苦しめた極悪人である。し かも、その戦争犯罪人が崇める皇室を尊敬するなど笑止千万。学歴をつけた朝鮮人や支那人の子孫は、日系国民が「天皇陛下萬歳」と喚声を上げる姿を見て、 「あんな野郎のどこが偉いんだ? ただ皇居に住んでいる税金泥棒じゃねえか」と反発するだろう。多民族社会になれば、かつての日本国民なら誰もが持っていた、日本人としての“感情”がなく なってしまうのだ。
(左: 昂奮する難民たち / 右: 柵を乗り越える難民)
難民とは一時滞在者ではなく、永続居住者である。難を逃れて来た者が、一旦日本やドイツに住みつけば、その親兄弟のみならず、親戚までをも呼び込む危険 性がある。1人が日本国籍を取得すれば、家族の絆を楯にとって数名の家族を呼び寄せるから、彼らの子供や孫まで日本にやって来るかも知れない。日本人は連 鎖移民の怖さに気づいていないのだ。そもそも、出身国で迫害を受けると、日本に永住できるという理屈がおかしい。貧乏で悲惨な母国を棄ててきた難民は、た とえ本国で治安が恢復(かいふく)されようとも、日本から離れることはないだろう。一旦、文明国の豊かさを味わった者は、その甘美な生活を諦めきれない。 祖国の友人や親戚を懐かしむ難民の親たちは、たとえ非現実的でも、故郷に帰りたいという願望を抱き続ける。しかし、2世以降の子孫たちは絶対にそう考えな い。日本にやって来たインドシナ難民は、治安が戻った祖国ベトナムに帰らなかった。「ドイモイ」政策で景気が回復したのに、ベトナム人たちは日本に住み続 けている。彼らはいつの間にか難民ではなく、日本の永住者になっていたのだ。これは、一時的な居候が、厄介になっている家族と同等の住民となり、戸籍にま で入り込んでいるようなものだ。騙されやすい日本人は、いつも外国人の言い訳を信じてしまう。例えば、在日南鮮人は祖国を抜け出して、日本に潜り込んでき た密入国者であるのに、まるで強制連行された被害者のように嘯(うそぶ)いていた。いくら差別を受けても、彼らは祖国に帰らなかったし、日本で生活基盤を 作ってしまったため、それを棄てて帰国する理由もなかった。ところが、在日朝鮮人2世や3、4、5世になると、南鮮籍を維持する者もいるが、便利性あるい は結婚という理由で帰化する者が出てくる。現在の日本では、朝鮮人の血筋に連なる者が何世代も住みついているし、そのうえ支那人が大挙して帰化申請を行っ ているので、もはや単純に日本人の祖先は日本人と言えなくなってしまった。幼稚園や小学校では、朝鮮系日本人とか、帰化した支那人の子供、ジャピーノ(日 本人とフィリピン人との混血児)、インドネシア人のイスラム教徒、タイ人の連れ子、などもう無茶苦茶である。日本政府は「難民」の正体を誤魔化さず、正直 に「将来の日本人」と呼ぶべきだ。
ドイツでは更に事態は深刻である。難民をきれいに排除するなんてことはもう不可能だ。マスコミの反 発を恐れたオーストリアのヴェルナー・フェイマン首相とドイツのアンゲラ・メルケル首相は、数万人の難民を受け容れることを決定した。(Shawn Pogatchnik and Pablo Gorondi, Austria says it and Germany will take refugees from Hungary; migrants board blues after march, The Hamilton Spector, September 4, 2015) これは実に恐ろしい。両国首脳が正式に国家破壊の方針を発表したのだ。まるで、足下に置かれた爆弾のスイッチを自ら押すようなものである。シリアなどの中 東アジアやバルカン半島から来る難民とは、砂糖に群がる蟻みたいな連中だから、情けを掛ければ何人でもたかってくる。だいたい、中東のシリアから遠く離れ たドイツを目指すなんておかしいだろう。ドイツでもらえる福祉を勘定する彼らは、途中の貧乏国に留まるつもりは毛頭無い。例えば、ハンガリーのブタペスト を通過してオーストリアに向かったオサマ・モルツァーは、シリアのアレッポからやって来たという。EUの規則だと、難民は最初に上陸した国で、難民申請の 検査を受けなければならない。つまり、ハンガリー当局は、申請書を提出した外人か、本当の難民がどうかを調べなければならぬ、という訳だ。
(左: ヴェルナー・フェイマン / 中央: アンゲラ・メルケル / 右: シリアからの難民)
何としてもドイツに行きたいオサマは、あらゆる手段を考えた。そこで、何と彼は塩酸を指にふりかけ、自分の指紋を消したのだ。「やだぁ~、何てことした の?」と驚く日本人は、想像を超えた外人の執念を分かっていない。彼は故郷のアレッポ大学で薬学を専攻していたという。しかし、いくら薬品の扱いに慣れて いるとはいえ、自分の身元を隠すために指紋を溶かしてしまうとは。これじゃあ、ロバート・ラドコムの小説に出てくるジェイソン・ボーンみたいだ。(映画 『ボーン・アイデンティティー』の主人公。) 別の難民でバグダッドから来たザハラという女性は、夫のモハメッドや子供と一緒にハンガリーの難民キャンプに収容されたが、指紋押捺を拒否した。しかも、 彼らは身元を隠すため氏族名を明かさなかったという。それというのも、彼女にはベルギーに住んでいる家族が居から、何としてでもベルギーに行きたい。経済 移民と見なされれば、ハンガリーから追い出されて、イラクに戻ることになろう。それを防ぐためには、どうしても難民認定を貰わねばならない。ヨーロッパ諸 国にとって、実に厄介なのは、貧乏国からの政治難民と経済移民を区別することが困難な点にある。偽装難民は身分を証明するものを、わざと捨て去り身元不明 にして、豊かな国へ入ろうとするからだ。こういう手口を取られると、残酷になれない先進国政府は、旅券やIDカードを一切持たない貧民を、何処に強制送還 したらいいのか分からなくなる。そして、拘留期間が長引くほど難民にとって有利になってしまう。収容所の維持費用に根を上げた政府は、移民を解放して自立 を促そうとするからだ。かくして、生活支援金や公営住宅を得た難民は、やがて国籍取得まで考えるようになるのである。
(左: アフリカ系ドイツ人女性 / ゲルマン系女優のダイアン・クルーガー / ナイジェリア系ドイツ人歌手ネカ・ルシア・エフナ / 右: ゲルマン系のハイジ・アルバーセン)
ドイツは強力な軍隊を持っているが、実質的に弱小国と同じである。外国人の侵略を受けても、反撃できないからだ。経済的繁栄を喜んでいるドイツ人は馬鹿 である。国民の質が変わっていることに気づかないのだ。シリア難民が定住すれば、ドイツ人と同等の権利を持ち始めてしまうだろう。法治国家のドイツでは、 二千年前からサクソニアやフランコニア、トゥーリンギア、バヴァリアに住むドイツ人と、一年前にシリアとかイラク、アフガニスタン、アフリカ諸国などから やってきた外人が、同じ権利を持つ国民になってしまうのだ。馬鹿らしいことはこれだけではない。難民や帰化人には、上等な教育や高度な医療が与えられるの だ。これらは彼らの本国だと、絶対に期待できない福祉である。ドイツ語で読み書きのできない外人は、ドイツ語の授業を受けることができる。難病や持病があ れば、最新の治療を受けることができるし、診察には通訳をつけてもらえることもあるのだ。帰化人が犯罪をやらかせば、これまた法廷通訳の登場となる。そし て有罪になれば、税金で運営される快適な刑務所で、健康的な生活を享受できるのだ。一方、被害者になった古来のドイツ人は、肉体的および精神的苦痛に耐え る辛い日々が待っている。
(写真 / 新しくドイツ人になった人々)
公的教育や医療、社会インフラというのは、一朝一夕にできたものではない。ドイツ人の祖先が血のにじむような努力を重ねた結果、ようやく完成した複雑な 藝術作品である。これは、見ず知らずの外人でも購入できる商品ではなく、彼らの子孫が受け継ぐ遺産なのだ。亡くなったドイツ人は、中東アジア人のために働 いたのではない。難民へ使われる税金のために働こうとしたドイツ人は、いったい何人いたのか? 先進国が豊かであるのは、偉大な先人が、自己犠牲をあえて選んだからである。彼らは子孫の将来を「配慮」したのだ。戦歿したドイツ人は、ゲルマン民族では ないシリア人やアフリカ人を歓迎するために、必死の思いで祖国防衛に励んだのではあるまい。そもそも、難民というのは祖国の同胞を見棄ててきた者である。 彼らの祖先は立派な国家を建設できなかった無能集団であり、その子孫は国家運営を諦めたアカンタレである。こんな連中が栄光あるドイツ国民になるのだ。難 民が押し寄せれば、言葉や慣習の違いが嫌になり、必ずや国内の一角に難民独自の共同体(ゲットー)ができる。そうなれば、ドイツ国民は分裂するのに異民族 との混血が進むという事態が起こるだろう。こうなれば、ドイツ国民は地球市民だ。ゆえに、ドイツという国家の枠組みは残るが、ゲルマン民族のドイツ国家は 滅びる。
内なる敵たるワイド・ショー
ド イツが直面する難民問題を他人事と思っている日本人は、自らに迫り来る脅威に気づかない愚か者である。難民を排斥すれば、難民問題を解決できるのに、その 根本的解決法を採用できないのは、左翼マスコミ妨害しているからだ。EU諸国が難民を受け容れてしまう原因の一つに、マスコミの悪質な報道姿勢が挙げられ る。左翼偏向のテレビ局や新聞社が、ことさら涙を流す子供や不安に満ちた女性をテレビ画面に映すのは、一般人の利他主義的感情を喚起するためだ。先進国の 国民は自分を犠牲にして他人を助けようとする感情(altruism)が強い。(Barbara Oakley, ed, Pathological Altruism, Oxford Univ. Press, 2011に詳しいから、いずれ紹介したい。) 一方、難民をいくらでも引き受けることが可能なシナやアフリカ、アラビア、インドに住む民族は、シリア人やアフガン人に同情を示さない。日本の海外特派員 は、どうしてアジア諸国の首脳に難民問題を尋ねないのか? 日本のマスコミは非西歐諸国を最初から相手にしていないからだろう。日本人は西歐人が移民を排除することに異常な関心を示す。これは我々が西歐人を高等民 族と無意識に認めているからで、多大な期待と要求を持つからだ。普段は平等主義を掲げているくせに、難民問題となると、特定の国家だけに高度な倫理を求め るのは不平等である。もし、日本のマスコが平等主義をとるならば、難民に無関心なアジア人やアフリカ人について、同じだけの報道時間を割くべきだ。
(左: アイランの遺体 / 右: 父親のアブドゥラ・クルディ)
前々から、日本に難民を大量に引き込みたいNHKやTBS、テレ朝は、海で溺れ死んだ幼児アイラン・クルディ(3歳/Aylan Kurdi)を利用する。例えば、9月8日に放送されたテレ朝のワイド・ショー『モーニング・バード』は、しめたとばかりに、この悲惨な事故を取り上げ た。テレ朝の手口を批判する前に、この事件を先に紹介したい。ギリシアに近いトルコのボドラム(Bodrum)で、波により海岸に運ばれてきた幼児の遺体 が発見された。トルコ人警官によって抱きかかえられたアイランの遺体は、多くのマスコミで報道されたからご存知の方も多いだろう。当初クルディ家の父親ア ブドゥラは、カナダのヴァンクーヴァーに住む妹のもとへ移住するつもりであった。しかし、カナダ政府が難民申請を許可しなかったので、代わりにドイツを目 指したという。そこで、トルコからギリシアのコス島に渡るため船を求めたのである。一家は約1,000ユーロを闇業者に払ったらしい。(Zia Weise, Refugee Crisis, The Independent, 2 September 2015) だが、小さなボロ船に大勢を乗せて出航したものだから、最初から危険であることは明らか。案の定、およそ12名が溺れ死んだらしい。その中に、件(くだ ん)のアイランと兄のガリップ(5歳)、そして母親のリハン(35歳)が含まれていた。父のアブドゥラは運良く助かったという。
(左/母親のリハン)
一般人はいとも簡単に、マスコミのプロパガンダ放送に騙されてしまう。大衆操作が得意なテレビ局は、三歳の幼児が浜辺に打ち上げられた光景をしきりに流 して、視聴者の同情を引き出そうと企んでいた。だが、この悲劇を招いた一番の責任者は、密航業者に依頼した父親である。人命など微塵も考えていないブロー カーに、家族の安全を委ねた上に、なけなしの大金を払ったのだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、自分ではなく、妻と子供が代わりに死んでしまっ た。偶然生き残った父親は、自らの罪を残りの人生で償うことになるだろう。こういうアホには、息子の遺骸を背中に縛り付けて、シリアに強制送還させれば良 い。腹立たしいのは、マスコミが登用した御用評論家である。この軽率な親が取った愚行を非難しないのだ。ドイツという夢の国を望んだばかりに、いかがわし い闇業者の甘言に飛びついてしまった発想こそ、糾弾されるべき事項である。それなのに、難民受け容れを渋るヨーロッパ人を批判しているのだ。日本人はシリ ア難民に同情を寄せるが、「トルコは貧しく冷酷な国だからイヤだ」、との贅沢な考えを持つ難民なのに叱らない。難民だから善と考えるのは間違っている。西 歐人ジャーナリストから取材を受ける難民は、「命の為に脱出してきた」と答えるが、「景気の良い西歐で快適な生活をしたい」、という本音を漏らすことはな い。もちろん、取材している特派員は十分承知しているだろう。だが、番組のプロデューサーや編集局長は、事実の報道より、お涙頂戴物語を放送したいから、 生々しい現実はカット。子供連れの哀れな家族が抱く希望への長い旅路、という感動のドキュメンタリー映画を作りたいから、彼らが用意した脚本に沿って、都 合良く映像をつなぎ合わせていのが現実。ニュース報道にはちゃんと筋書きがあるのだ。
我が国には、公共放送を騙(かた)るNHKと全 国放送の民放が、別組織として併存している。しかし、現実には各社とも地下の赤い根っこで繋がっているのだ。テレ朝の『モーニング・バード』は、ゲスト解 説者としてNPO法人「難民支援協会」の石川えり代表理事を招いていた。「あれっ ! 」と気づく方は勘が鋭い。移民や密入国者が問題となった時と構図である。以前、フィリピン人密入国者であるカルデロン一味を、各放送局が支援した時とソッ クリ。アジア人を増やしたいテレビ局は、計画犯罪を実行したフィリピン人を各社一斉に擁護し、田中宏(たなか・ひろし)や近藤敦(こんどう・あつし)と いった、移民専門の極悪教授を出演させて、フィリピン人の特別滞在を実現させたのだ。各テレビ局には、こうした札付きの極左と結託する左翼活動家が社員と して潜伏している。表面的にNHKやTBSといった垣根があっても、各社の取材記者はみんな顔見知りの左翼仲間、という場合がほとんど。朝日新聞の本田雅 和や松井やよりが、バウネット・ジャパンの西野瑠美子や大学教授の吉見義明および林博史らと共謀して慰安婦問題を煽っていたのを思い出せば分かるだろう。 テレ朝は今回、石川えりを使って、日本への難民を増やそうと試みたのである。
(左: 松井やより / 中央: 右側の人物が本田雅和 / 右: 西野留美子)
『モーニング・バード』制作者と石川らの共同脚本は見え透いている。まず、EUへ向かう難民の中から、幼い子供やか弱い女性を映し出し、祖国脱出を強い られた弱者として紹介する。そして、遙か遠くの異国へ向かう途中で遭遇する危険を具体的に示す。その時は必ず、恐ろしさや哀しみを盛り上げるBGMや効果 音を流して、一般視聴者の感情を揺さぶる。次ぎに、視聴者の視点を難民を受け容れるEU諸国に向け、ドイツやフランスなどが、どれ程多くの難民を受け容れ てきたか、その歴史を恭しくご披露し「へえ~」とちょっとだけ驚く。羽鳥慎一アナはシリア難民は1100万人いて、東京の人口1300万人に匹敵するんで すよ、と強調する。そして、各国の難民受入数を紹介し、「ドイツは3万3310人、アメリカは2万1760人、イギリスは1万725人も認めていまぁ~ す」、と講義するのだ。ここからが特集コーナーの見せ場。羽鳥アナと石川氏が日本の難民受入数に言及するのだ。「さて、日本は ? 」と、わざとらしく質問する。羽鳥アナは打ち合わせ通り、「日本は5,000人の難民申請者がいるのに、11人しか認めていないんです ! 」とあきれ顔で説明する。すると、隣で控えている赤江珠緒アナや、藝人の優木まおみ、ジャーナリストの青木理(あおき・おさむ)が羽鳥氏に同調する。無知 な視聴者のために、青木氏は「日本の受け入れ率が0.2パーセントしかなく、韓国でさえ4.8パーセントも受け容れているのに」、と説明を加えていた。石 川氏は社会正義を実行しているかのように、外務省を相手に難民をもっと受け容れるよう、要請したことを自慢しているのだ。
(左: 羽鳥慎一と赤江珠緒 / 中央: 青木理 / 右: 優木まおみ)
要するに『モーニング・バード』の制作者は、日本はもっと難民を受け容れるべきだ、と視聴者に言いたいわけだ。番組では安倍首相の「積極的平和主義」を 持ち出し、世界平和に貢献したいなら、もっと難民認定数を増やせ、と暗に批判していた。テレ朝は国防に関して否定的な態度を貫き、支那朝鮮への媚びへつら いを続けるくせに、難民を増やすためなら安倍首相の演説を引用し、「褒め殺し」のように利用する。たとえ、難民を受け容れることが世界平和に繋がったとし ても、我が国の治安が乱れ、国民の肉体的特質が変化するなら、日本の庶民は難民を排斥するだろう。そもそも、誰の為の平和なのか、テレ朝は誤魔化してい る。何百万人の日本人が難民を望んでいるのか? テレ朝や朝日新聞の社員で、自らの預貯金を解約して難民にくれたり、難民家族を自宅に引き取って世話をする者は、いったい何人いるんだ? 朝日の重役や大株主は、難民を豪邸に招いて居候にすることを承諾するのか? 朝日新聞は社説で、高額所得者が住む田園調布や中目黒、白銀台、南麻布、広尾、自由が丘などに難民収容所をつくるよう、主張すべきだ。もし、難民への差別 を解消し、平等社会を提案するなら、難民の子供を受け容れるよう有名私立幼稚園に働きかけろ。テレ朝や毎日新聞、共同通信社は、青山学院、雙葉、お茶の水 女子大、慶應義塾などの附属幼稚園に難民を教育するよう提言してみればいい。各幼稚園の理事長やPTAの役員等が、どんな反応を示すか楽しみだ。朝日・毎 日新聞は、高額所得者層の購読中止を恐れるから、難民の引き受けを説教できまい。左翼メディアに限って、財産と権力が無い庶民に、勝手な要求を突きつけ、 自らの理想を擦り込む。マスコミが洗脳するのは、資産家の有力者ではなく、無知蒙昧な低所得者である。つまり、下らないワイドショーを観るような低能で暇 な下層民をターゲットにしているのだ。
日本社会を破壊したい学生運動家崩れは、テレビ局や新聞社に就職し、移民・難民・密入国者を支 援する。特にTBSと毎日新聞、そして協力者のNHKは、難民支援活動家をテレビ番組に登場させるのだ。(例えば、2015年3月27日放送のNHK 「ニュース・ウォッチ9」は、「難民、考えたことありますか?」を特集し、石川氏のインタビュー映像を流していた。) 難民輸入組織は他人の銭を使って、私的な左翼活動を宣伝するから図々しい。先ほど紹介した石川えり代表理事は、典型的左翼活動家で、高校三年生のときアム ネスティー・インターナショナルでボランティア活動をしたそうだ。10代の頃に国際機関でボランティア活動に参加すると、たいてい社会主義や平和主義にか ぶれてしまうものだ。つまり、未熟なオツムなのにその自覚がないまま、厳しい現実を垣間見るから、簡単にショックを受けてしまう。また、こうした人道支援 組織には、社会主義者や左翼思想のオーガナイザーが紛れているから、単純な若者は言葉巧みに勧誘されて仲間になることが多い。安全で豊かな国に生まれ育っ た高校生は、純粋な正義感をくすぐられてコロッと左翼の蟻地獄に嵌まってしまうのだ。
(左: 石川えり / 右: 在日シリア難民のジュディ・ヨセフ)
正常な日本人なら、毎日新聞社の山越峰一郎が行った石川氏へのインタヴュー記事は、馬鹿らしくて読めない。(キーパーソンインタビュー「日本の難民審査 は厳しすぎる」難民支援会の石川えりさん 毎日新聞 2015年3月2日) 例えば、山越記者は、日本政府が使う難民への予算が少ないことに疑問を抱く。それに対し、石川氏は「日本に来る難民は、トータルとして日本にプラスにな る」と答えている。彼女はあるビルマ難民の子供が日本で大学を卒業し、商社に入って日本企業のビルマ進出に貢献していることを紹介していた。こんな人物は 少数派だ。後進国からの難民は、貢献より被害をもたらす場合の方が圧倒的に多い。日本語も分からないビルマ人が日本にやって来て、就ける仕事といったら低 賃金の単純労働が関の山。下層階級の難民が、子供に知的好奇心を持たせるような雰囲気をつくり、日本国への忠誠心を植え付け、我が国の伝統を尊び、日本国 民としての自覚を涵養する、なんてことは想像できない。日本の一般家庭だってできないことを、難民家族ができるとは到底思えない。躾が異なっていたり、劣 悪な環境で育った外人の子供が、日本の公立学校へ入ってくれば、クラスの平均学力が低下し、日本人の親から苦情が来るだろう。
そもそ も、アジア人難民が日本社会で多少貢献したからといって、日本人は嬉しくなるのか? フジテレビや日テレは、ビルマ人やベトナム人、インド人の女子アナを多く採用して、日本人アナはごく僅かに抑えてみろ。テレビ局に就職したい大勢の女子大 生がさぞかし怨むだろう。それにもし、そんなに優秀で利益をもたらすアジア人難民が多いなら、なぜブリテンやアメリカ、カナダ、フランスなどで、アジア人 を呼び込みたいと考える保守派国民が少ないのか? 同胞の価値とは金銭だけで測れるものではない。例えば、一般家庭の父親が、就職氷河期で希望する職に就けなかった息子や、パート職にしか就けなかった娘を 抱えているとする。一家の収入は少ないのに、専業主婦の妻は持病が悪化し、家計の負担が更に増えたと仮定しよう。こうなれば、家や車、学費のローンを返済 することもできない。そこで、父親が高給をもたらさない子供に業を煮やし、一家の総合所得を増やすために、優秀な支那人や朝鮮人の子供を養子に迎えたら、 一緒に暮らす家族は何と言うだろうか? 家族みんなが大反対、となるのが普通だろう。常識を持つ日本人なら、そんな家族を幸せとは考えない。
難民を支援する活動家は、自分で働いて稼いだお金を難民に渡さない。彼らは少数の左翼仲間と根気強く法制改革を議員に働きかけ、ちょっとづづでも難民規 制を緩くする方向に努力する。普段の仕事で忙しい一般国民は、左翼が舞台裏でどんな悪事をはたらいているのか分からない。大手メディアは、法令が改正され ようとする過程を報道しない。大々的に取り上げたりすると、世論が反対するから、静かに見守り決して騒がないように心掛ける。報道する時は、既に規制が変 更された後で、国民のほとんどは青天の霹靂(へきれき)だ。騒いでも後の祭りだから、国民は諦めるしかない。昔、フリードリッヒ・ハイエック博士が社会主 義者の特質について語っていた。彼らは馬鹿らしいことでも、諦めず長期間に亘ってコツコツと要求し続ける。そうしているうちに、当初は無理と思えた事で も、実現されてしまうことがあったという。難民支援者は発足時に僅かな寄付金で活動しているが、やがて左翼議員が難民支援法を成立させることで、巨額な国 家予算を獲得できる。そうなれば、支援組織の活動家は、国家機関の職員に横滑りし、半永久的に税金から給料が支払われ、仲間を次々に増やしていき、難民事 業を手のつけられない聖域にしてしまう。だから、石川氏は日本政府が難民受け容れに消極的であることを批判するのだ。
しかし、一旦日 本政府が難民を少数でも受け容れるようになれば、その数は雪だるま式に増えるどころか、ダムが決壊したかのように大量の難民が流れ込んでくるだろう。そう して、難民対策費は年々増加するし、難民が減ることはないから、予算が無限大に増えて行く。難民・移民の家系に生まれたアジア系国民は、難民排斥に賛成し ないから、どんどん外国系日本人が増えてしまうだろう。ハコ物建設を目論む役人と同じで、小さく産んで大きく育てるのが、左翼の戦略である。従来は年10 人の難民認定を、省庁で粘って40ないし50人に増やし、それを次第に百人、数千人、10万人と増やして行けばいいのだ。これは男女共同参画事業を思い出 せば分かるだろう。下らないフェミニズムを主張する共産・社会党の左翼分子が、国会と役所を動かしたことで2兆円もの税金を手にできた。その結果、各地の 文化会館や市民ホールで、フェミニストの左翼講師が講演をしているのだ。まともな国民なら無視するような活動家に税金が支払われている。商業ベースなら成 立しない講演会も、役所が主催するから利益などでなくてもよい。こうした税金の無駄遣いが、際限なく継続され、増税でまかなわれているのだから、立法府の 害悪たるや恐ろしいものである。
難民を排除するイスラエル
EU諸国での難民問題をマスコミが大々的に取り上げているが、一つだけ触れようとしないタブーがある。このブログの読者なら、もうお分かりですね。そ う、毎度お馴染みのユダヤ人。「えぇ~、もう飽きたよ」と言わないでね。筆者も牧伸二みたいに、ウクレレ弾いて「あ~ぁ、嫌になっちゃった」と歌いたい。 それはともかく、シリア難民はどうしてドイツに向かうのか? それはドイツ政府が難民に甘いから。ドイツに行けば福祉金や住宅が貰えたりするからだ。でも、どうしてそんなに太っ腹なのか? それは、難民を拒否できない過去があるから。つまり、ユダヤ人を迫害して、ユダヤ難民を発生させた前科があるからだ。寄生民族のユダヤ人は自らの情けない 過去を棚に上げて、ユダヤ人を虐殺したドイツ人および他のヨーロッパ人を許さない。特に、ヒトラーの反ユダヤ主義はユダヤ人の異質な肉体を指摘する、とい う一番痛いところをついたので、たかり民族としては何としても抹殺しなければならない思想であった。
(写真/ドイツ人の幼児と少女と成人女性/)
ドイツには自国用の歴史教育は無く、その代わり洗脳プログラムが存在する。ドイツやアメリカの学校では、西欧系生徒がホロコーストを学ぶことがあって も、ユダヤ人が住みついた明確な理由は伏せたままだ。浩瀚な歴史書を著したレオン・ポリアコフでも、民族離散が起こったローマ帝國時代に、どうやってユダ ヤ人がガリア(南フランス)地方に入植したか、ほんの数行しか触れていないのだ。
ローマ時代については、実のところ、マルセイユ、アルル、ナルボンヌのユダヤ人商人に関するいくつかの言及をのぞいて確かな情報は存在しない。(『反ユダヤ主義の歴史』 第1巻 筑摩書房 2005年 p.48)
まぁ、たいていはユダヤ人の両替商や書記官、貿易商がローマ軍にくっついて、ガリア征伐時に住みついたのであろう。当時のガリア人やゲルマン人などは、 金銭の計算もできない連中で、剣を振り回すことは得意でも、商取引なんてんで分からない未開部族であった。だから、略奪品の故買商であるユダヤ人は、たん まり儲けたんじゃないか? しかも、美しい自然に恵まれ、素直な人間が多いガリアは、さぞかし魅力的だったにな違いない。ポリアコフによれば、
カロリング期のヨーロッパにおけるユダヤ人たちの恵まれた環境が幸いし、彼らの入植地は急速に増え始める。(上掲書 p.57)
当時からユダヤ人は異なった信仰を持つ異民族だったので、ガリアのキリスト教徒に嫌われることがあった。有名なトゥールのグレゴリウスの書物を読めば分 かる。しかし、あまりにもヨーロッパが素晴らしかったので、ユダヤ人はイェルサレムに帰る気が無かった。もちろん、シナゴーグの内部では故郷を懐かしんだ であろうが、現実の快適な生活を手放すわけには行かない。こうして、ユダヤ人は千年以上ヨーロッパに寄生することになった。ユダヤ人は居候先で虐殺・追放 の憂き目に遭えば、そのつど他のヨーロッパ諸国に逃れ、商売を続けながら金銭を貯め込む、という歴史を繰り返してきた。ユダヤ人は各地で嫌われていたの で、実際ユダヤ人の虐殺事件なんて珍しくないのだ。ヒトラーによるユダヤ人追放は、ヨーロッパの領邦君主が、何百年にも亙って怠けていたユダヤ人排除の代 行であった。西欧世界をユダヤ化したいユダヤ人からすれば、こんな認識は絶対に持たせてはならない。だからこそ、各界に散らばったユダヤ人は、全力を注い で危険な真相を抹殺するのだ。
(写真/ユダヤ教のラビたち)
ユダヤ人はドイツから追い出され難民になったことを怨んでいる。しかし、彼らはなぜパレスチナではなく、アングロ世界に向かったのかを、あまり具体的に 話さない。正直に言えば、天地創造主ヤハウエに貰ったカナンの地なんか要らないのだ。なぜなら、中東アジアの土地には、アラブ人のような野蛮人しか居ない からである。それゆえ、差別を受けて二級市民扱いされようとも、アメリカやブリテン、カナダ、オーストラリアに住む方が遙かにマシなのだ。そこで、ユダヤ 人は二度と追放されぬよう、西歐人を洗脳することに決めだのである。
ドイツ人の子供はユダヤ人の洗脳を受けた犠牲者である。小学生の 頃から、ユダヤ人に対する罪悪感を擦り込まれているのだ。学校はドイツの子供たちをアウシュヴッツやダッハウといった強制収容所跡に引率し、如何にナチ・ ドイツが残酷だったかを叩き込むのである。例えば、レベッカ・カスナーというドイツ人女性は、9歳か10歳の頃学校でホロコーストの悲劇を教えられたとい う。
私は震えました。当時の人々がどうやったら、そんなねじ曲がった考えを信じることができたのか、どうして、これらの考えによってそんな恐ろしいことができたのか、私には想像できません。(Quora Contributor, How Do German Children Learn about the Holocaust, Slate, February 6, 2014)
彼 女は、祖父の戦った戦争と第二次世界大戦が、どのように結びついているのか把握できなかったという。つまり、大好きな祖父が、どうしてあんな酷いことをで きたのか、理解できないのだろう。彼女は交換留学生としてポーランドにいた時、アウシュヴッツを訪れたそうだ。他にも10代のドイツ人生徒がいたらしい が、アウシュヴッツを見学することが半ば義務のようになっていたという。現在でも彼女はそうした体験を噛みしめているらしい。
ホロコーストは恐ろしいことです。我々は国家として、そのことへの責任を忘れてはなりません。そのような事が二度と起こらぬよう心掛けるべきです。
こ んな風に洗脳された彼女は、ダッハウの収容所も訪れたことがあるという。だが、大抵の一般人はダッハウでガス室がなく、ユダヤ人の嘘によってドイツ人が裁 かれ、ニュルンベルクで八百長法廷が開かれたことを、教えられていない。異民族への罪悪感を植え付けられたドイツ人青年は、外国からの移民や難民を排斥す る気概を根こそぎ奪われているのである。
難民よりサッカー場が優先されるアラビア
我々はシリア難民がドイツへ向かうニュースばかり聴いているが、どうして彼らは豊かな中東アジア国に向かわないのか? 命からがら祖国を捨て去る難民は、なぜかイスラム諸国に避難しないのだ。生活に困ったシリア人は、同じ信仰を有する民族と石油成金がウジャウジャいるサウ ジ・アラビアとかドバイ、カタール、アラブ首長国連邦、あるいはペルシア(イラン)に行けばいいじゃないか。ところが、福祉目当ての経済難民はそうせず に、遠く離れた西歐、すなわち異なった人種の異教徒が住むドイツへと向かうのだ。こんなのちょっと考えたって、おかしいと分かるだろう。貧しき者に施しを するのが、裕福なイスラム教徒の務めじゃないか。日本や欧米のマスコミは、困っている同類の女子供を助けないイスラム諸国を非難すべきだろう。なぜ、 ジャーナリストは豪邸に住む石油成金どもを訪問し、彼らに人道主義を語り、その冷淡さを詰問しないのか理解に苦しむ。
日本の新聞記者 やテレビ局特派員は怠慢で、日本国民が多角的に考えるための材料を提供しない。新聞社は広告主ばかりに気を遣い、肝心の購読者はほったらかしだ。ドイツ人 が難民に対して、快適で清潔な収容所を提供したり、お金や職業訓練、医療、語学教育まで与えていることは、日本国民もよく知っている。あのイタリア人さ え、1人の難民に対し毎日35ユーロ(換算すると約4,690円)渡しており、その金額は年間で約17万4,200円になるのだ。(Nicholas Farrell, Welcome to Italy:this is whata real immigration looks like, The Spector, 20 June 2015) 嘘みたいなホントの話である。これじゃあ、イタリア人納税者だって、ネオ・ナチ頑張れとか北部同盟の議員に一票入れたくなるじゃないか。
(左: カタールのランド・マークたるルサイル・マリーナ / 右: 豪華なサッカー・スタジアム)
一方、アラフ諸国はシリア難民なんかどうなってもいいと思っている。例えば、石油で豊かなカタール(Qatar)は、哀れな難民に対しては冷淡だが、儲 かるサッカーには熱狂している。カタール政府は2022年のワールド・カップに向けて、何と2千億ドル(約22兆6千億円)注ぎ込んでいるのだ。たった2 百万人しかいない国が、日本人も驚くような歳出を実行しているとは。これは、カタール国民1人あたり10万ドル出費していることになり、他国と比べたら桁 違いである。ロシアがソチ大会で使った額は1人頭350ドルだし、ブラジルは1人頭73ドル、南アフリカだと、1人頭54ドルであった。カタールは286 倍も余計に使っていたのだ。(Sean Gregpry, Why Qatar is Spending $200Billion on Soccer, Time Magazine, July 11, 2013) 日本人ジャーナリストは何かと言えばすぐ、難民の人権問題を持ち出すが、アラビア地域の民族はそんな空気よりも軽い言葉に耳を傾けない。「人権」なんて しょせん、西歐人が作り出した念仏で、苛酷な歴史を体験してきたアジア人には何の価値も無い。「人権」とはラクダやロバ程度の人間に対して使われる用語で ある。大切なのは同じ部族に属する者に対する配慮だけだ。日本人は左翼憲法学者に言いくるめられているから、「人権」というのが高級な概念だと勘違いして いる。学校が教える「人権」とは、地球上の世界だと、アフリカのブッシュマンがもつ権利にさえ及ばない最低の権利なのだ。
(左: カタールの都市 / 右: 第二サッカー・スタジアム)
欧米に住むユダヤ人は西歐人を批判するが、彼らの祖国イスラエルになると口が重くなる。ドイツから追放されて、乞食のような難民だった頃は、受け入れ先 の英国や米国で謙虚であった。しかし、時が経つにつれ、お金を貯め込んだユダヤ人は、本来の図々しさと傲慢さを取り戻し、西歐人に指図するようになった。 例えば、ベルリンに住むインゲ・ラメルというユダヤ人の老婆(90歳)は、ホロコーストの生存者で、両親が妹と彼女を英国に送ったことで迫害を逃れること ができたという。その後、彼女はドイツに戻ったそうだ。しかし、彼女の両親はアウシュヴッツのガス室で亡くなったらしい。ホントかよ、と言いたくなるが、 彼女はそう信じている。とにかく、ユダヤ人虐殺を生き延びたインゲは、テレビでシリア難民を観て、ドイツ政府はシリア人を助けるべきだと主張した。 (Bettina Marx, Holocaust suvivors demand help for Syrian refugees, DeutscheWelle, 17 May 2014) ナチス時代に迫害を受けた彼女は、かつての自分とシリア難民を重ねているのだ。西欧社会に住むユダヤ人は、戦乱を逃れてきた難民を、ドイツが英国のように 歓迎すべきだ、と言いたいのである。しかし、実際のところ、当時のイギリス人やアメリカ人は、穢らわしいユダヤ難民を嫌々ながら引き取ったのである。ユダ ヤ人難民が乗っていた船を追い返したのはその証拠だ。
アフリカ黒人は出て行け
(左: イスラエル政府に抗議する黒人たち / 右: アフリカ系ユダヤ教徒)
悲しみに満ちたホロコーストを語り出すと、ユダヤ人は浪曲師も驚くほどの弁舌を披露する。彼らはドイツ政府に、もっと積極的にシリア難民を受け容れるべ きだ、と強要するくせに、難民の苦しみを一番理解しているはずのイスラエルは批判の対象にしないのだ。誰だって「あれっ、変だぞ」と気づくはず。日本のテ レビ局は番組で中東と歐洲の地図を広げて、難民の密航ルートを説明していた。正常な日本人なら地図を見て、イスラエルはドイツよりもシリアに近いことが分 かる。確かにヨルダン川を見れば、イスラエルはゴラン高原でシリアと接しているのだ。こんなの子供だって分かるじゃないか。それなのに、番組司会者やゲス ト評論家の誰一人として、避難先としての隣国イスラエルに言及しないのだ。桂三枝は「新婚さん、いらっしゃい」と毎週言っているが、ネタニアフ首相が「難 民の皆さん、イスラエルへいらっしゃい」と発言したのを聞いたことがない。たとえ、シリア難民がイスラム教徒でも、ユダヤ人だって英米のキリスト教徒に助 けてもらったのだから、宗教のこだわりは無いはずである。
(左/ロベル・テスファハン)
イスラエルが難民を受け容れないのには理由があった。ヒューマニズムの権化たるユダヤ人は、アフリカ移民を叩き出していたのだ。エリトリアからイスラエ ルに移住したロベル・テスファハンは、イスラエルの都市テルアビブ(Tel Aviv)に六年間住んだ後、最近になって南スーダンにやって来た。彼はイスラエルから排除された黒人の一人である。彼は政治的野党を認めぬエリトリアで 徴兵に応じるのが嫌で、エチオピアからスーダン、エジプトを通ってイスラエルに辿り着いたという。人類愛を語る優しいイスラエル人は、ロベルを疑惑の目で ジロジロ見つめ、歓迎の言葉が一つも無いばかりか、短期間だが刑務所に収監されたそうだ。白い肌を自慢するイスラエル人は、彼を可哀想な難民として扱わな かったらしい。正義の味方であるはずのイスラエル人警官は、毎度のように彼に嫌がらせを行い、堪りかねたロベルはイスラエルを去ることにしたという。欧米 でユダヤ人差別を糾弾するユダヤ人は、一度イスラエルを訪問してみたらどうだ? ユダヤ人は肌を黒く染めて、夜のテルアビブを散歩したら新たな発見があるかもよ。
ユダヤ人はお金の使い方が上手い。黒人が大嫌いなイ スラエル政府は、エリトリア人やスーダン人を追い出すために、ルワンダとある契約を結んだそうだ。この黒人移民には労働許可が与えられ、ルワンダ政府が引 き取ることになった。厄介な黒人を受け容れるルワンダは、イスラエル政府から海外援助というプレゼントが貰えることになっている。つまり、廃棄物処理業者 にお金を渡して、黒い粗大ゴミを処分して貰ったというわけだ。イスラエルの役人は黒人どもに手切れ金として3,500ドルをくれてやり、彼らをルワンダに 空輸したのである。(Antony Loewenstein, Living riks to risk; the new wave of African migrants deported from Israel, The Guardian, 6 May 2015) イスラエルの国境沿いには5万人くらいのアフリカ人が、常日頃うろついているそうだ。でも、ユダヤ人は賢いから大丈夫。ネゲヴ沙漠にホルト強制収容所、あっ違った「外国人接待所」を設けて、2千人ほどお世話
ているそうだ。ところが、ネタイアフ首相は口が悪い。この哀れなアフリカ移民を「侵入者」と呼んでいたのだ。あれっ、随分とアフリカ黒人に対して失礼無礼な言い方じゃないか。ナチスに排除された過去を忘れたのかしら。
イスラエルを去ってスーダンに住みついたロベルは、新天地でも苦労しているようだ。彼はイスラエルからルワンダに追い出されたけど、到着したルワンダで は仕事にありつける機会は全く無かったという。そればかりか、ルワンダの役人から、「無事にウガンダに行きたければ、150ドル払え」と恐喝されたそうで ある。ルワンダでの就職なんて空手形で、ルワンダ政府は強制退去者をウガンダに厄介払いする腹だった。身分証明書もパスポートも持たない25歳のロベル は、乞食同然の姿でスーダンに流れていったのだ。彼はヨーロッパにいけたらいいのになぁ、と夢見る毎日だったという。「オレは、ここで犬同然の身分だ。ア フリカじゃ、犬は撃ち殺されるんだよ。でも、ヨーロッパじゃ犬は殺されねぇよな」と、嘆くばかりのロベル。彼が肌に彫った刺青には、イスラエル人に対する メッセージがあった。彼の右腕には、「俺は奴らが嫌いだ、しかし、あいつら無しには生きて行けない(I hate them but I can't live without them)」と彫られているそうだ。イスラエルへの愛着が消えても、腕の刺青は一生消せない。この刺青を見たユダヤ人は何と言うのかな?
(左: ベイス・ロチェル校のラビ / 右: ユダヤ人の子供たち)
ユダヤ人の異民族蔑視は、何もイスラエルに限ったことではない。英国に住むユダヤ教ラビは、とんでもない教育を子供たちに施していた。ロンドンにあるベ イス・ロッチェル男子校(Beis Rochel Boy's School)附属幼稚園では、ラビのヨエル・テイテルバウム(Yoel Teitelbaum)先生が、非ユダヤ人を「ゴイム(goyim)」である、と教えていたのだ。このよく耳にする「ゴイム」とは、「ユダヤ人に奉仕する ための家畜」を意味する彼らの俗語である。ユダヤ人にとって、ヨーロッパ人やキリスト教徒は、どんなに“こき使っても”よい動物で、農耕馬や水牛ていどの 家畜なのだ。この問題となったテイテルバウム先生は、ナチスの迫害を逃れてきた超保守的正統派ユダヤ教徒で、ドイツ人を始めとするヨーロッパ人を心底怨ん でいるらしい。同校附属の女子中学校で教師を務めていたエミリー・グリー氏によれば、正統派ユダヤ教徒の学校で、非ユダヤ人を邪悪な者と教えることは珍し くないという。(Adam Withnall and Dina Rickman, Three-year-old ultra-Orthodox Jewish children told ‘the non-Jews’are ‘evil’ in workkksheet produced by London school, Teh Independent, 2 September 2015)
三歳の幼児が非ユダヤ教徒のイギリス人を、「悪党」呼ばわりしている光景は恐ろしい。テイテルバウム先生は北朝鮮の教師みたいに、憎い異民族に対する特殊な認識を子供に植え付ける。例えば、
問題。「悪いゴイム(非ユダヤ人)は、ユダヤ人の会堂や学校に何をしてきたのでしょうか?」
答え。「火を点けて燃やしてきました。」
大正解。パチパチパチと拍手。
問題。「ゴイムはユダヤ人全てに何をしましたか? 」
答え。「殺しました。」
よくでました。えら~いぞ !
こ うした内部情報をバラされて取材を受けたベイス・ロッチェル校の報道官は、「ゴイムというのは侮蔑語ではないのです」と弁解していたという。イギリス人が ちょっとでも、ユダヤ人に対して感情を害する言葉を吐けば、すぐ裁判沙汰にするくせに、自分たちが使っている差別用語は、悪意のない慣用語だと言い張る。 まったく図太い神経の持ち主である。西歐に住むユダヤ人は、反ユダヤ主義やネオ・ナチの活動に対して敏感なのに、イスラエル政府によるエチオピア移民の抹 殺計画に対しては鈍感だ。不妊薬を黒人女性に注射して民族を根絶やしにしようとしたイスラエル人と、絶滅計画を練ったナチ党のドイツ人とは、どこが違うん だ? 日本のマスコミはどうでもいい藝人の色恋沙汰を何日も報道するが、イスラエル人が犯してきた数々の悪事には目を閉ざしている。せめて、新聞社はお金を払っ ている読者に対して、隠匿された事件や裏事情を報道すべきだろう。購読者は折り込みチラシを見るために新聞を取っているわけじゃないんだぞ。楽しいスポー ツ新聞を取らずに、見栄を張って朝日や毎日、読売を購入し、毎月NHKに受信料を払っている国民は馬鹿みたいだ。
ドイツで騒がれてい る難民問題は、我々にとって対岸の火ではあるまい。もし、アジアで騒乱が起こり、支那人や北鮮人がボロ船で日本近海に現れたら、海上保安庁が迷わず撃沈で きるよう法律を作るべきだ。もし、それに反対する日本人は、自らの預貯金や骨董品、株、証券を難民に与えて、彼らを日本国外で養えばいい。難民反対の国民 から税金を取って、アジア人を日本に引き込むことは卑怯である。難民を受け容れるなら、氏名を記入した国民投票にかけて、全国民に問うべきだ。一家に一人 は難民を世話する義務を追加すれば、どれだけの国民が賛成するのか知りたい。そんなに難民が好きなら、朝日やNHK、TBS、大企業の重役たちが、まず難 民に1000億円くらいの「はした金」を、“自分の懐”から提供すべきである。この程度の金額なら、1日で集まるだろう。我々は、彼らが難民を10年間く らい世話をしてから、じっくりと議論すればいいじゃないか。
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我々は今、ドイツが滅び行く過程を 目にしている。「そんな馬鹿な」と言う人は、ローマ史を学んで欲しい。ローマは永遠の都と呼ばれていた。確かにイタリアには今でもローマはある。しかし、 ローマ人はいない。現在のイタリアには、エトルリア人やサビーニ人の末裔らしき人々がいるだろう。だが、その中にはゴート人のみならず、アラブ人やベルベ ル人、フェニキア人、エジプト人など、得体の知れない種族が混ざり合った人々が大量に紛れているのだ。現在のイタリア人を我々が見れば、本当にヨーロッパ 白人なのか、と疑いたくなる人物が多数存在する。例えば、NHKのイタリア語講座に出演していたパンツェッタ・ジローラモ(Panzetta Girolamo)氏は、容姿からすれば南イタリアでよく見かけるタイプである。彼はゲルマン・ゴート系というより、北アフリカのマグレブ系イタリア人と いった方がいい。北部イタリア人の貴族よりも、モロッかアルジェリアにいそうなベルベル人の血が混じってていそうな人物だ。実際のところは不明だが、彼の 祖先の血筋を辿れば意外な事実が分かるかも知れない。正直に言えば、イタリア人は地理的・歴史的経緯から、アラブ人やユダヤ人、それにアフリカ人の混血児 が多いのだ。特にシチリアなどはサラセン人に侵略されたこともあるし、アラブ商人やユダヤ人官吏が定住していたから、その子孫はゲルマン系と違った容姿を 持つ。したがって、ジローラモ氏はベルベル系サッカー選手のジダン(Zinedine Zidane)氏や、俳優のオマー・シャリフ(Omar Sharif)と同じ種族に属するのではないか? (シャリフは映画『ドクトル・ジバコ』で有名な男優。)
(左: パンツェッタ・ジローラモ / ジダン / オマー・シャリフ / 右: モロッコのベルベル人)
アメリカにイタリア系藝人が多いことは説明するまでもない。例えば、人気歌手のジョン・ボン・ジョビは、本名のジョン・フランシス・ボンジョヴィ (John Francis Bongiovi, Jr.)から分かる通り、イタリア系の父親を持つ。彼の母親はドイツ・ロシア系だけど、一応イタリア系アメリカ人としておこう。もう一人有名人を挙げれ ば、TVドラマ『ヒーロズ』で人気を博したヘイデン・パネッティアー(Hayden Panettiere)が、イタリア系女優として知られている。本人曰く、イタリア語で「パン屋」を意味する家族名らしい。彼女は母親がドイツ系とのこと だが、インタヴューで示された通り、父親のイタリア系というアイデンティティーを受け継いでいるようだ。
(左: ジョン・ボン・ジョヴィ / 右: ヘイデン・パンツェッタ)
日本人の映画ファンなら知っていることだが、女優ブルック・シールズ(Brooke Shields)は、母方がアイリス系だが、父方の血筋でイタリア系アメリカ人でもある。(80年代の日本は景気が良かった。カネボウ化粧品は彼女をCM に起用し、相当な金額を払ったらしい。) 彼女のご先祖であるトルロニア家のジョヴァンニ・トルロニア(Giovanni Torlonia)やマリノ(Marino Torlonia)は銀行家で、ヴァチカンやナポレオンの軍隊に係わっていたという。しかし、彼らのルーツはフランスにあって、クリスチーヌ・マリー (Christine Marie)という女性にたどり着く。驚くことに彼女はフランス国王アンリ4世の娘であった。したがって、ブルック・シールズは傍系だが、ブルボン王朝の 末裔になる。(Megan Smolenyak, Brooke Shields, Who Do You Think You Are?, The Huffington Post, March 4, 2011) まあ、イタリアには貴族の子孫がたくさん居るから珍しくもないが、マグレブ諸国から入り込んできた移民の子孫よりマシだろう。
(左: カネボウの宣伝で来日した時の写真 / 中央: 母親のテリーと幼児の時のブルック / 右: 映画「テス」に出演したブルック・シールズ)
ちよっと脱線したので話を戻す。国民国家は同じような血統の民族で構成されないと成功しない。ドイツはゲルマン民族で構成されるのが基本である。さもな いと、アメリカ合衆国のような雑種の集積所になってしまう。ここ数ヶ月の間、シリアからの難民がEUで大問題になっている。内戦で荒廃したシリアから続々 と難民が、ハンガリーやオーストリアに現れ、一路、夢の国ドイツへと押し寄せている。難民の群れには、シリア人家族ばかりではなく、イラク人やパキスタン 人、ついでにコソボやアルバニア、スロヴェニアなどからの経済難民も含まれているという。数人なら密入国者という犯罪者だが、数万数百万人となれば、EU 諸国が保護せねばならぬ“可哀想な”亡命者となる。薄汚い下層民の大群が、陸路をトボトボ歩いて、遙か彼方の福祉大国ドイツに向かうのだ。彼らが通った跡 にはゴミが散乱し、見るだけで不愉快になってくる。まるで、イナゴかネズミ、否、それよりも有害な動物が通過したかのように思えてしまう。例えば、イタリ アとオーストリアの国境沿を難民の列が通ったが、まるでジプシーどもに占領された公園みたいな光景になっていた。この後始末は誰がつけるのか? もちろん、両国の国民が税金から清掃料を払うことになる。難民を支持するNPO団体は決して払わない。
(左: イタリアとオーストリアの国境に散らかったゴミ / 右: EUに押し寄せる難民)
明らかに人種が異なり、不可解な言葉を喋る異邦人が、やがて同胞になるなんて、考えただけでも恐ろしいのに、それが現実となってしまった。ドイツは今年 の難民数を80万人程度予想しているという。すでに、EUへ到着してしまった難民12万人中、ドイツは約3万1400人、フランスは約2万4千人、スペイ ンは約1万4千人引き受けるようだ。ドイツでの難民申請者は2014年で20万人いて、今年2015年には30万人くらいでは、と予測されていた。 (Allison Smale, Germany's Small Towns Feel the Cost of Europe's Migrant Crisis, The New York Times, April 22, 2015) ドイツのトリグリッツ(Tröglitz)やヴォラ(Vorra)といった片田舎では、難民の群れが押し寄せたせいで地元住民は大迷惑。異邦人の襲来で怒 り狂った住民の中には、難民収容所に放火して難民を叩き出そうとする者がいた。ドイツや外国からのジャーナリストが取材に訪れれば、地元民は「いやぁ~、 ひどいことするねぇ~」と難民に同情しているようでも、心の底では清々した気分になっているはず。自分の住んでいる村に、突如として中東アジア人やアフリ カ人が、断りもなく定住することになったら堪らないだろう。
難民への嫌がらせはドイツのみならず、デンマークでも発生していた。リン グビーガード(Lyngbygaad)にある赤十字の難民収容所が、何者かによって荒らされたという。120人ほどの難民を収容しているセンターの建物 に、不審者が鉤十字(swastika)をスプレー・ペイントで描くという事件が起きた。この犯人はセンターのガレージにDNSB(デンマーク国家社会主 義運動の略/Danmarks Nationalsocialistiske Bevaegles)との落書きをした上に、センター所有のミニ・バスに火をつけて黒焦げにしてしまったという。(Danish asylum centre hit with Nazi warning, The Local, 27 August 2015) 地元ユトランド警察の発表によれば、この器物損壊はネオ・ナチどもの警告と考えられているようだ。しかし、犯人が特定されていないにもかかわらず、極右勢 力の犯行と報道するのはおかしい。もしかしたら、憤った一般人が鉤十字を書いたのかも知れないし、放火したくなるほど危機感を募らせた地元住民が犯行に及 んだのかも知れないからだ。さらにうがった見方をすれば、難民支援者がマスコミの注目を集めることで難民保護を強化しようとして、わざと収容所を襲ったの かも知れない、とも考えられる。実際、アメリカでは大学の寮に住むユダヤ人学生が、寮のドアに自分で鉤十字を落書きするという事件が起こったのだ。とにか く、ドイツ国内の難民収容所が数カ所も放火されるというのは、いかに移民・難民が嫌われているかの証拠である。
(左: ガレージに描かれた鉤十字 / 右: 焼け焦げたミニ・バス)
日本人は難民を甘く見ている。外国からの避難民を可哀想な弱者としか見ていない。しかし、彼らはやがて日本国民になってしまうのだ。例えば、政治的迫害 を受けたビルマ人やクルド人が日本にやって来て、難民申請をして認められれば、ずうっと日本に定住できる。もし、若いカップルが難民認定を受ければ、生ま れてくる子供は日本の幼稚園に通い出し、小学校や中学校といった義務教育を受けることになるだろう。もちろん、子供手当や税控除、社会保障を受けるように なり、実質的に日本人と変わらぬ生活を送ることになる。しかも、彼らの子供は絶対に両親の祖国へ帰らない。たとえ、親が日本語の読み書きができなくても、 子供はちゃんと日本語を喋り、慣習や感覚だって日本的になるから、両親の肉体を受け継いだとはいえ、精神は日本人である。豊かで素晴らしい日本で生まれ育 てば、両親の出身国は暗くて貧しい劣等国としか思えない。帰国となったら、意地でも日本にしがみつく。しかし、これは日本人の遺産を横取りするようなもの である。我が軍の将兵は外国難民のために、自分の家族を顧みず、戦地に赴いたのではない。特攻で散っていった若者は、日本の未来に尽くすため、確実な死へ と向かっていったのだ。難民を入れろ、と叫ぶ支援者は、難民の安全と引き換えに自分の命を捨てるのか?
少子化に悩む日本人は、単純に 人口が増えて嬉しがるが、日本人の遺伝子を持った子供が増えたわけではない。異質な体をした子供が、日本人の子供と同じ学校に通い、日本の歴史教育を受け ているのだ。移民や難民の子供にとって、国史(いわゆる「日本史」)は外国の昔話であり、両親や祖父母の歴史ではないのである。しかも、外人の子が混じっ たクラスを担当する教師は、その少数者に気兼ねして日本人の絆を強調できない。歴史を教える教師は、「君達のお爺さんお婆さんは、たいへん苦労されたのだ から、お国を大切にしなくちゃいけないよ」と諭すことが難しくなる。アジア大陸から流れ着いた外人の子供にとっては、赤の他人が如何に苦労したかなんて興 味が無い。難民からすれば、自分が味わった苦痛の方が大きいからだ。支那人や朝鮮人の子供となれば、日本人の祖先は自分の同胞を苦しめた極悪人である。し かも、その戦争犯罪人が崇める皇室を尊敬するなど笑止千万。学歴をつけた朝鮮人や支那人の子孫は、日系国民が「天皇陛下萬歳」と喚声を上げる姿を見て、 「あんな野郎のどこが偉いんだ? ただ皇居に住んでいる税金泥棒じゃねえか」と反発するだろう。多民族社会になれば、かつての日本国民なら誰もが持っていた、日本人としての“感情”がなく なってしまうのだ。
(左: 昂奮する難民たち / 右: 柵を乗り越える難民)
難民とは一時滞在者ではなく、永続居住者である。難を逃れて来た者が、一旦日本やドイツに住みつけば、その親兄弟のみならず、親戚までをも呼び込む危険 性がある。1人が日本国籍を取得すれば、家族の絆を楯にとって数名の家族を呼び寄せるから、彼らの子供や孫まで日本にやって来るかも知れない。日本人は連 鎖移民の怖さに気づいていないのだ。そもそも、出身国で迫害を受けると、日本に永住できるという理屈がおかしい。貧乏で悲惨な母国を棄ててきた難民は、た とえ本国で治安が恢復(かいふく)されようとも、日本から離れることはないだろう。一旦、文明国の豊かさを味わった者は、その甘美な生活を諦めきれない。 祖国の友人や親戚を懐かしむ難民の親たちは、たとえ非現実的でも、故郷に帰りたいという願望を抱き続ける。しかし、2世以降の子孫たちは絶対にそう考えな い。日本にやって来たインドシナ難民は、治安が戻った祖国ベトナムに帰らなかった。「ドイモイ」政策で景気が回復したのに、ベトナム人たちは日本に住み続 けている。彼らはいつの間にか難民ではなく、日本の永住者になっていたのだ。これは、一時的な居候が、厄介になっている家族と同等の住民となり、戸籍にま で入り込んでいるようなものだ。騙されやすい日本人は、いつも外国人の言い訳を信じてしまう。例えば、在日南鮮人は祖国を抜け出して、日本に潜り込んでき た密入国者であるのに、まるで強制連行された被害者のように嘯(うそぶ)いていた。いくら差別を受けても、彼らは祖国に帰らなかったし、日本で生活基盤を 作ってしまったため、それを棄てて帰国する理由もなかった。ところが、在日朝鮮人2世や3、4、5世になると、南鮮籍を維持する者もいるが、便利性あるい は結婚という理由で帰化する者が出てくる。現在の日本では、朝鮮人の血筋に連なる者が何世代も住みついているし、そのうえ支那人が大挙して帰化申請を行っ ているので、もはや単純に日本人の祖先は日本人と言えなくなってしまった。幼稚園や小学校では、朝鮮系日本人とか、帰化した支那人の子供、ジャピーノ(日 本人とフィリピン人との混血児)、インドネシア人のイスラム教徒、タイ人の連れ子、などもう無茶苦茶である。日本政府は「難民」の正体を誤魔化さず、正直 に「将来の日本人」と呼ぶべきだ。
ドイツでは更に事態は深刻である。難民をきれいに排除するなんてことはもう不可能だ。マスコミの反 発を恐れたオーストリアのヴェルナー・フェイマン首相とドイツのアンゲラ・メルケル首相は、数万人の難民を受け容れることを決定した。(Shawn Pogatchnik and Pablo Gorondi, Austria says it and Germany will take refugees from Hungary; migrants board blues after march, The Hamilton Spector, September 4, 2015) これは実に恐ろしい。両国首脳が正式に国家破壊の方針を発表したのだ。まるで、足下に置かれた爆弾のスイッチを自ら押すようなものである。シリアなどの中 東アジアやバルカン半島から来る難民とは、砂糖に群がる蟻みたいな連中だから、情けを掛ければ何人でもたかってくる。だいたい、中東のシリアから遠く離れ たドイツを目指すなんておかしいだろう。ドイツでもらえる福祉を勘定する彼らは、途中の貧乏国に留まるつもりは毛頭無い。例えば、ハンガリーのブタペスト を通過してオーストリアに向かったオサマ・モルツァーは、シリアのアレッポからやって来たという。EUの規則だと、難民は最初に上陸した国で、難民申請の 検査を受けなければならない。つまり、ハンガリー当局は、申請書を提出した外人か、本当の難民がどうかを調べなければならぬ、という訳だ。
(左: ヴェルナー・フェイマン / 中央: アンゲラ・メルケル / 右: シリアからの難民)
何としてもドイツに行きたいオサマは、あらゆる手段を考えた。そこで、何と彼は塩酸を指にふりかけ、自分の指紋を消したのだ。「やだぁ~、何てことした の?」と驚く日本人は、想像を超えた外人の執念を分かっていない。彼は故郷のアレッポ大学で薬学を専攻していたという。しかし、いくら薬品の扱いに慣れて いるとはいえ、自分の身元を隠すために指紋を溶かしてしまうとは。これじゃあ、ロバート・ラドコムの小説に出てくるジェイソン・ボーンみたいだ。(映画 『ボーン・アイデンティティー』の主人公。) 別の難民でバグダッドから来たザハラという女性は、夫のモハメッドや子供と一緒にハンガリーの難民キャンプに収容されたが、指紋押捺を拒否した。しかも、 彼らは身元を隠すため氏族名を明かさなかったという。それというのも、彼女にはベルギーに住んでいる家族が居から、何としてでもベルギーに行きたい。経済 移民と見なされれば、ハンガリーから追い出されて、イラクに戻ることになろう。それを防ぐためには、どうしても難民認定を貰わねばならない。ヨーロッパ諸 国にとって、実に厄介なのは、貧乏国からの政治難民と経済移民を区別することが困難な点にある。偽装難民は身分を証明するものを、わざと捨て去り身元不明 にして、豊かな国へ入ろうとするからだ。こういう手口を取られると、残酷になれない先進国政府は、旅券やIDカードを一切持たない貧民を、何処に強制送還 したらいいのか分からなくなる。そして、拘留期間が長引くほど難民にとって有利になってしまう。収容所の維持費用に根を上げた政府は、移民を解放して自立 を促そうとするからだ。かくして、生活支援金や公営住宅を得た難民は、やがて国籍取得まで考えるようになるのである。
(左: アフリカ系ドイツ人女性 / ゲルマン系女優のダイアン・クルーガー / ナイジェリア系ドイツ人歌手ネカ・ルシア・エフナ / 右: ゲルマン系のハイジ・アルバーセン)
ドイツは強力な軍隊を持っているが、実質的に弱小国と同じである。外国人の侵略を受けても、反撃できないからだ。経済的繁栄を喜んでいるドイツ人は馬鹿 である。国民の質が変わっていることに気づかないのだ。シリア難民が定住すれば、ドイツ人と同等の権利を持ち始めてしまうだろう。法治国家のドイツでは、 二千年前からサクソニアやフランコニア、トゥーリンギア、バヴァリアに住むドイツ人と、一年前にシリアとかイラク、アフガニスタン、アフリカ諸国などから やってきた外人が、同じ権利を持つ国民になってしまうのだ。馬鹿らしいことはこれだけではない。難民や帰化人には、上等な教育や高度な医療が与えられるの だ。これらは彼らの本国だと、絶対に期待できない福祉である。ドイツ語で読み書きのできない外人は、ドイツ語の授業を受けることができる。難病や持病があ れば、最新の治療を受けることができるし、診察には通訳をつけてもらえることもあるのだ。帰化人が犯罪をやらかせば、これまた法廷通訳の登場となる。そし て有罪になれば、税金で運営される快適な刑務所で、健康的な生活を享受できるのだ。一方、被害者になった古来のドイツ人は、肉体的および精神的苦痛に耐え る辛い日々が待っている。
(写真 / 新しくドイツ人になった人々)
公的教育や医療、社会インフラというのは、一朝一夕にできたものではない。ドイツ人の祖先が血のにじむような努力を重ねた結果、ようやく完成した複雑な 藝術作品である。これは、見ず知らずの外人でも購入できる商品ではなく、彼らの子孫が受け継ぐ遺産なのだ。亡くなったドイツ人は、中東アジア人のために働 いたのではない。難民へ使われる税金のために働こうとしたドイツ人は、いったい何人いたのか? 先進国が豊かであるのは、偉大な先人が、自己犠牲をあえて選んだからである。彼らは子孫の将来を「配慮」したのだ。戦歿したドイツ人は、ゲルマン民族では ないシリア人やアフリカ人を歓迎するために、必死の思いで祖国防衛に励んだのではあるまい。そもそも、難民というのは祖国の同胞を見棄ててきた者である。 彼らの祖先は立派な国家を建設できなかった無能集団であり、その子孫は国家運営を諦めたアカンタレである。こんな連中が栄光あるドイツ国民になるのだ。難 民が押し寄せれば、言葉や慣習の違いが嫌になり、必ずや国内の一角に難民独自の共同体(ゲットー)ができる。そうなれば、ドイツ国民は分裂するのに異民族 との混血が進むという事態が起こるだろう。こうなれば、ドイツ国民は地球市民だ。ゆえに、ドイツという国家の枠組みは残るが、ゲルマン民族のドイツ国家は 滅びる。
内なる敵たるワイド・ショー
ド イツが直面する難民問題を他人事と思っている日本人は、自らに迫り来る脅威に気づかない愚か者である。難民を排斥すれば、難民問題を解決できるのに、その 根本的解決法を採用できないのは、左翼マスコミ妨害しているからだ。EU諸国が難民を受け容れてしまう原因の一つに、マスコミの悪質な報道姿勢が挙げられ る。左翼偏向のテレビ局や新聞社が、ことさら涙を流す子供や不安に満ちた女性をテレビ画面に映すのは、一般人の利他主義的感情を喚起するためだ。先進国の 国民は自分を犠牲にして他人を助けようとする感情(altruism)が強い。(Barbara Oakley, ed, Pathological Altruism, Oxford Univ. Press, 2011に詳しいから、いずれ紹介したい。) 一方、難民をいくらでも引き受けることが可能なシナやアフリカ、アラビア、インドに住む民族は、シリア人やアフガン人に同情を示さない。日本の海外特派員 は、どうしてアジア諸国の首脳に難民問題を尋ねないのか? 日本のマスコミは非西歐諸国を最初から相手にしていないからだろう。日本人は西歐人が移民を排除することに異常な関心を示す。これは我々が西歐人を高等民 族と無意識に認めているからで、多大な期待と要求を持つからだ。普段は平等主義を掲げているくせに、難民問題となると、特定の国家だけに高度な倫理を求め るのは不平等である。もし、日本のマスコが平等主義をとるならば、難民に無関心なアジア人やアフリカ人について、同じだけの報道時間を割くべきだ。
(左: アイランの遺体 / 右: 父親のアブドゥラ・クルディ)
前々から、日本に難民を大量に引き込みたいNHKやTBS、テレ朝は、海で溺れ死んだ幼児アイラン・クルディ(3歳/Aylan Kurdi)を利用する。例えば、9月8日に放送されたテレ朝のワイド・ショー『モーニング・バード』は、しめたとばかりに、この悲惨な事故を取り上げ た。テレ朝の手口を批判する前に、この事件を先に紹介したい。ギリシアに近いトルコのボドラム(Bodrum)で、波により海岸に運ばれてきた幼児の遺体 が発見された。トルコ人警官によって抱きかかえられたアイランの遺体は、多くのマスコミで報道されたからご存知の方も多いだろう。当初クルディ家の父親ア ブドゥラは、カナダのヴァンクーヴァーに住む妹のもとへ移住するつもりであった。しかし、カナダ政府が難民申請を許可しなかったので、代わりにドイツを目 指したという。そこで、トルコからギリシアのコス島に渡るため船を求めたのである。一家は約1,000ユーロを闇業者に払ったらしい。(Zia Weise, Refugee Crisis, The Independent, 2 September 2015) だが、小さなボロ船に大勢を乗せて出航したものだから、最初から危険であることは明らか。案の定、およそ12名が溺れ死んだらしい。その中に、件(くだ ん)のアイランと兄のガリップ(5歳)、そして母親のリハン(35歳)が含まれていた。父のアブドゥラは運良く助かったという。
(左/母親のリハン)
一般人はいとも簡単に、マスコミのプロパガンダ放送に騙されてしまう。大衆操作が得意なテレビ局は、三歳の幼児が浜辺に打ち上げられた光景をしきりに流 して、視聴者の同情を引き出そうと企んでいた。だが、この悲劇を招いた一番の責任者は、密航業者に依頼した父親である。人命など微塵も考えていないブロー カーに、家族の安全を委ねた上に、なけなしの大金を払ったのだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、自分ではなく、妻と子供が代わりに死んでしまっ た。偶然生き残った父親は、自らの罪を残りの人生で償うことになるだろう。こういうアホには、息子の遺骸を背中に縛り付けて、シリアに強制送還させれば良 い。腹立たしいのは、マスコミが登用した御用評論家である。この軽率な親が取った愚行を非難しないのだ。ドイツという夢の国を望んだばかりに、いかがわし い闇業者の甘言に飛びついてしまった発想こそ、糾弾されるべき事項である。それなのに、難民受け容れを渋るヨーロッパ人を批判しているのだ。日本人はシリ ア難民に同情を寄せるが、「トルコは貧しく冷酷な国だからイヤだ」、との贅沢な考えを持つ難民なのに叱らない。難民だから善と考えるのは間違っている。西 歐人ジャーナリストから取材を受ける難民は、「命の為に脱出してきた」と答えるが、「景気の良い西歐で快適な生活をしたい」、という本音を漏らすことはな い。もちろん、取材している特派員は十分承知しているだろう。だが、番組のプロデューサーや編集局長は、事実の報道より、お涙頂戴物語を放送したいから、 生々しい現実はカット。子供連れの哀れな家族が抱く希望への長い旅路、という感動のドキュメンタリー映画を作りたいから、彼らが用意した脚本に沿って、都 合良く映像をつなぎ合わせていのが現実。ニュース報道にはちゃんと筋書きがあるのだ。
我が国には、公共放送を騙(かた)るNHKと全 国放送の民放が、別組織として併存している。しかし、現実には各社とも地下の赤い根っこで繋がっているのだ。テレ朝の『モーニング・バード』は、ゲスト解 説者としてNPO法人「難民支援協会」の石川えり代表理事を招いていた。「あれっ ! 」と気づく方は勘が鋭い。移民や密入国者が問題となった時と構図である。以前、フィリピン人密入国者であるカルデロン一味を、各放送局が支援した時とソッ クリ。アジア人を増やしたいテレビ局は、計画犯罪を実行したフィリピン人を各社一斉に擁護し、田中宏(たなか・ひろし)や近藤敦(こんどう・あつし)と いった、移民専門の極悪教授を出演させて、フィリピン人の特別滞在を実現させたのだ。各テレビ局には、こうした札付きの極左と結託する左翼活動家が社員と して潜伏している。表面的にNHKやTBSといった垣根があっても、各社の取材記者はみんな顔見知りの左翼仲間、という場合がほとんど。朝日新聞の本田雅 和や松井やよりが、バウネット・ジャパンの西野瑠美子や大学教授の吉見義明および林博史らと共謀して慰安婦問題を煽っていたのを思い出せば分かるだろう。 テレ朝は今回、石川えりを使って、日本への難民を増やそうと試みたのである。
(左: 松井やより / 中央: 右側の人物が本田雅和 / 右: 西野留美子)
『モーニング・バード』制作者と石川らの共同脚本は見え透いている。まず、EUへ向かう難民の中から、幼い子供やか弱い女性を映し出し、祖国脱出を強い られた弱者として紹介する。そして、遙か遠くの異国へ向かう途中で遭遇する危険を具体的に示す。その時は必ず、恐ろしさや哀しみを盛り上げるBGMや効果 音を流して、一般視聴者の感情を揺さぶる。次ぎに、視聴者の視点を難民を受け容れるEU諸国に向け、ドイツやフランスなどが、どれ程多くの難民を受け容れ てきたか、その歴史を恭しくご披露し「へえ~」とちょっとだけ驚く。羽鳥慎一アナはシリア難民は1100万人いて、東京の人口1300万人に匹敵するんで すよ、と強調する。そして、各国の難民受入数を紹介し、「ドイツは3万3310人、アメリカは2万1760人、イギリスは1万725人も認めていまぁ~ す」、と講義するのだ。ここからが特集コーナーの見せ場。羽鳥アナと石川氏が日本の難民受入数に言及するのだ。「さて、日本は ? 」と、わざとらしく質問する。羽鳥アナは打ち合わせ通り、「日本は5,000人の難民申請者がいるのに、11人しか認めていないんです ! 」とあきれ顔で説明する。すると、隣で控えている赤江珠緒アナや、藝人の優木まおみ、ジャーナリストの青木理(あおき・おさむ)が羽鳥氏に同調する。無知 な視聴者のために、青木氏は「日本の受け入れ率が0.2パーセントしかなく、韓国でさえ4.8パーセントも受け容れているのに」、と説明を加えていた。石 川氏は社会正義を実行しているかのように、外務省を相手に難民をもっと受け容れるよう、要請したことを自慢しているのだ。
(左: 羽鳥慎一と赤江珠緒 / 中央: 青木理 / 右: 優木まおみ)
要するに『モーニング・バード』の制作者は、日本はもっと難民を受け容れるべきだ、と視聴者に言いたいわけだ。番組では安倍首相の「積極的平和主義」を 持ち出し、世界平和に貢献したいなら、もっと難民認定数を増やせ、と暗に批判していた。テレ朝は国防に関して否定的な態度を貫き、支那朝鮮への媚びへつら いを続けるくせに、難民を増やすためなら安倍首相の演説を引用し、「褒め殺し」のように利用する。たとえ、難民を受け容れることが世界平和に繋がったとし ても、我が国の治安が乱れ、国民の肉体的特質が変化するなら、日本の庶民は難民を排斥するだろう。そもそも、誰の為の平和なのか、テレ朝は誤魔化してい る。何百万人の日本人が難民を望んでいるのか? テレ朝や朝日新聞の社員で、自らの預貯金を解約して難民にくれたり、難民家族を自宅に引き取って世話をする者は、いったい何人いるんだ? 朝日の重役や大株主は、難民を豪邸に招いて居候にすることを承諾するのか? 朝日新聞は社説で、高額所得者が住む田園調布や中目黒、白銀台、南麻布、広尾、自由が丘などに難民収容所をつくるよう、主張すべきだ。もし、難民への差別 を解消し、平等社会を提案するなら、難民の子供を受け容れるよう有名私立幼稚園に働きかけろ。テレ朝や毎日新聞、共同通信社は、青山学院、雙葉、お茶の水 女子大、慶應義塾などの附属幼稚園に難民を教育するよう提言してみればいい。各幼稚園の理事長やPTAの役員等が、どんな反応を示すか楽しみだ。朝日・毎 日新聞は、高額所得者層の購読中止を恐れるから、難民の引き受けを説教できまい。左翼メディアに限って、財産と権力が無い庶民に、勝手な要求を突きつけ、 自らの理想を擦り込む。マスコミが洗脳するのは、資産家の有力者ではなく、無知蒙昧な低所得者である。つまり、下らないワイドショーを観るような低能で暇 な下層民をターゲットにしているのだ。
日本社会を破壊したい学生運動家崩れは、テレビ局や新聞社に就職し、移民・難民・密入国者を支 援する。特にTBSと毎日新聞、そして協力者のNHKは、難民支援活動家をテレビ番組に登場させるのだ。(例えば、2015年3月27日放送のNHK 「ニュース・ウォッチ9」は、「難民、考えたことありますか?」を特集し、石川氏のインタビュー映像を流していた。) 難民輸入組織は他人の銭を使って、私的な左翼活動を宣伝するから図々しい。先ほど紹介した石川えり代表理事は、典型的左翼活動家で、高校三年生のときアム ネスティー・インターナショナルでボランティア活動をしたそうだ。10代の頃に国際機関でボランティア活動に参加すると、たいてい社会主義や平和主義にか ぶれてしまうものだ。つまり、未熟なオツムなのにその自覚がないまま、厳しい現実を垣間見るから、簡単にショックを受けてしまう。また、こうした人道支援 組織には、社会主義者や左翼思想のオーガナイザーが紛れているから、単純な若者は言葉巧みに勧誘されて仲間になることが多い。安全で豊かな国に生まれ育っ た高校生は、純粋な正義感をくすぐられてコロッと左翼の蟻地獄に嵌まってしまうのだ。
(左: 石川えり / 右: 在日シリア難民のジュディ・ヨセフ)
正常な日本人なら、毎日新聞社の山越峰一郎が行った石川氏へのインタヴュー記事は、馬鹿らしくて読めない。(キーパーソンインタビュー「日本の難民審査 は厳しすぎる」難民支援会の石川えりさん 毎日新聞 2015年3月2日) 例えば、山越記者は、日本政府が使う難民への予算が少ないことに疑問を抱く。それに対し、石川氏は「日本に来る難民は、トータルとして日本にプラスにな る」と答えている。彼女はあるビルマ難民の子供が日本で大学を卒業し、商社に入って日本企業のビルマ進出に貢献していることを紹介していた。こんな人物は 少数派だ。後進国からの難民は、貢献より被害をもたらす場合の方が圧倒的に多い。日本語も分からないビルマ人が日本にやって来て、就ける仕事といったら低 賃金の単純労働が関の山。下層階級の難民が、子供に知的好奇心を持たせるような雰囲気をつくり、日本国への忠誠心を植え付け、我が国の伝統を尊び、日本国 民としての自覚を涵養する、なんてことは想像できない。日本の一般家庭だってできないことを、難民家族ができるとは到底思えない。躾が異なっていたり、劣 悪な環境で育った外人の子供が、日本の公立学校へ入ってくれば、クラスの平均学力が低下し、日本人の親から苦情が来るだろう。
そもそ も、アジア人難民が日本社会で多少貢献したからといって、日本人は嬉しくなるのか? フジテレビや日テレは、ビルマ人やベトナム人、インド人の女子アナを多く採用して、日本人アナはごく僅かに抑えてみろ。テレビ局に就職したい大勢の女子大 生がさぞかし怨むだろう。それにもし、そんなに優秀で利益をもたらすアジア人難民が多いなら、なぜブリテンやアメリカ、カナダ、フランスなどで、アジア人 を呼び込みたいと考える保守派国民が少ないのか? 同胞の価値とは金銭だけで測れるものではない。例えば、一般家庭の父親が、就職氷河期で希望する職に就けなかった息子や、パート職にしか就けなかった娘を 抱えているとする。一家の収入は少ないのに、専業主婦の妻は持病が悪化し、家計の負担が更に増えたと仮定しよう。こうなれば、家や車、学費のローンを返済 することもできない。そこで、父親が高給をもたらさない子供に業を煮やし、一家の総合所得を増やすために、優秀な支那人や朝鮮人の子供を養子に迎えたら、 一緒に暮らす家族は何と言うだろうか? 家族みんなが大反対、となるのが普通だろう。常識を持つ日本人なら、そんな家族を幸せとは考えない。
難民を支援する活動家は、自分で働いて稼いだお金を難民に渡さない。彼らは少数の左翼仲間と根気強く法制改革を議員に働きかけ、ちょっとづづでも難民規 制を緩くする方向に努力する。普段の仕事で忙しい一般国民は、左翼が舞台裏でどんな悪事をはたらいているのか分からない。大手メディアは、法令が改正され ようとする過程を報道しない。大々的に取り上げたりすると、世論が反対するから、静かに見守り決して騒がないように心掛ける。報道する時は、既に規制が変 更された後で、国民のほとんどは青天の霹靂(へきれき)だ。騒いでも後の祭りだから、国民は諦めるしかない。昔、フリードリッヒ・ハイエック博士が社会主 義者の特質について語っていた。彼らは馬鹿らしいことでも、諦めず長期間に亘ってコツコツと要求し続ける。そうしているうちに、当初は無理と思えた事で も、実現されてしまうことがあったという。難民支援者は発足時に僅かな寄付金で活動しているが、やがて左翼議員が難民支援法を成立させることで、巨額な国 家予算を獲得できる。そうなれば、支援組織の活動家は、国家機関の職員に横滑りし、半永久的に税金から給料が支払われ、仲間を次々に増やしていき、難民事 業を手のつけられない聖域にしてしまう。だから、石川氏は日本政府が難民受け容れに消極的であることを批判するのだ。
しかし、一旦日 本政府が難民を少数でも受け容れるようになれば、その数は雪だるま式に増えるどころか、ダムが決壊したかのように大量の難民が流れ込んでくるだろう。そう して、難民対策費は年々増加するし、難民が減ることはないから、予算が無限大に増えて行く。難民・移民の家系に生まれたアジア系国民は、難民排斥に賛成し ないから、どんどん外国系日本人が増えてしまうだろう。ハコ物建設を目論む役人と同じで、小さく産んで大きく育てるのが、左翼の戦略である。従来は年10 人の難民認定を、省庁で粘って40ないし50人に増やし、それを次第に百人、数千人、10万人と増やして行けばいいのだ。これは男女共同参画事業を思い出 せば分かるだろう。下らないフェミニズムを主張する共産・社会党の左翼分子が、国会と役所を動かしたことで2兆円もの税金を手にできた。その結果、各地の 文化会館や市民ホールで、フェミニストの左翼講師が講演をしているのだ。まともな国民なら無視するような活動家に税金が支払われている。商業ベースなら成 立しない講演会も、役所が主催するから利益などでなくてもよい。こうした税金の無駄遣いが、際限なく継続され、増税でまかなわれているのだから、立法府の 害悪たるや恐ろしいものである。
難民を排除するイスラエル
EU諸国での難民問題をマスコミが大々的に取り上げているが、一つだけ触れようとしないタブーがある。このブログの読者なら、もうお分かりですね。そ う、毎度お馴染みのユダヤ人。「えぇ~、もう飽きたよ」と言わないでね。筆者も牧伸二みたいに、ウクレレ弾いて「あ~ぁ、嫌になっちゃった」と歌いたい。 それはともかく、シリア難民はどうしてドイツに向かうのか? それはドイツ政府が難民に甘いから。ドイツに行けば福祉金や住宅が貰えたりするからだ。でも、どうしてそんなに太っ腹なのか? それは、難民を拒否できない過去があるから。つまり、ユダヤ人を迫害して、ユダヤ難民を発生させた前科があるからだ。寄生民族のユダヤ人は自らの情けない 過去を棚に上げて、ユダヤ人を虐殺したドイツ人および他のヨーロッパ人を許さない。特に、ヒトラーの反ユダヤ主義はユダヤ人の異質な肉体を指摘する、とい う一番痛いところをついたので、たかり民族としては何としても抹殺しなければならない思想であった。
(写真/ドイツ人の幼児と少女と成人女性/)
ドイツには自国用の歴史教育は無く、その代わり洗脳プログラムが存在する。ドイツやアメリカの学校では、西欧系生徒がホロコーストを学ぶことがあって も、ユダヤ人が住みついた明確な理由は伏せたままだ。浩瀚な歴史書を著したレオン・ポリアコフでも、民族離散が起こったローマ帝國時代に、どうやってユダ ヤ人がガリア(南フランス)地方に入植したか、ほんの数行しか触れていないのだ。
ローマ時代については、実のところ、マルセイユ、アルル、ナルボンヌのユダヤ人商人に関するいくつかの言及をのぞいて確かな情報は存在しない。(『反ユダヤ主義の歴史』 第1巻 筑摩書房 2005年 p.48)
まぁ、たいていはユダヤ人の両替商や書記官、貿易商がローマ軍にくっついて、ガリア征伐時に住みついたのであろう。当時のガリア人やゲルマン人などは、 金銭の計算もできない連中で、剣を振り回すことは得意でも、商取引なんてんで分からない未開部族であった。だから、略奪品の故買商であるユダヤ人は、たん まり儲けたんじゃないか? しかも、美しい自然に恵まれ、素直な人間が多いガリアは、さぞかし魅力的だったにな違いない。ポリアコフによれば、
カロリング期のヨーロッパにおけるユダヤ人たちの恵まれた環境が幸いし、彼らの入植地は急速に増え始める。(上掲書 p.57)
当時からユダヤ人は異なった信仰を持つ異民族だったので、ガリアのキリスト教徒に嫌われることがあった。有名なトゥールのグレゴリウスの書物を読めば分 かる。しかし、あまりにもヨーロッパが素晴らしかったので、ユダヤ人はイェルサレムに帰る気が無かった。もちろん、シナゴーグの内部では故郷を懐かしんだ であろうが、現実の快適な生活を手放すわけには行かない。こうして、ユダヤ人は千年以上ヨーロッパに寄生することになった。ユダヤ人は居候先で虐殺・追放 の憂き目に遭えば、そのつど他のヨーロッパ諸国に逃れ、商売を続けながら金銭を貯め込む、という歴史を繰り返してきた。ユダヤ人は各地で嫌われていたの で、実際ユダヤ人の虐殺事件なんて珍しくないのだ。ヒトラーによるユダヤ人追放は、ヨーロッパの領邦君主が、何百年にも亙って怠けていたユダヤ人排除の代 行であった。西欧世界をユダヤ化したいユダヤ人からすれば、こんな認識は絶対に持たせてはならない。だからこそ、各界に散らばったユダヤ人は、全力を注い で危険な真相を抹殺するのだ。
(写真/ユダヤ教のラビたち)
ユダヤ人はドイツから追い出され難民になったことを怨んでいる。しかし、彼らはなぜパレスチナではなく、アングロ世界に向かったのかを、あまり具体的に 話さない。正直に言えば、天地創造主ヤハウエに貰ったカナンの地なんか要らないのだ。なぜなら、中東アジアの土地には、アラブ人のような野蛮人しか居ない からである。それゆえ、差別を受けて二級市民扱いされようとも、アメリカやブリテン、カナダ、オーストラリアに住む方が遙かにマシなのだ。そこで、ユダヤ 人は二度と追放されぬよう、西歐人を洗脳することに決めだのである。
ドイツ人の子供はユダヤ人の洗脳を受けた犠牲者である。小学生の 頃から、ユダヤ人に対する罪悪感を擦り込まれているのだ。学校はドイツの子供たちをアウシュヴッツやダッハウといった強制収容所跡に引率し、如何にナチ・ ドイツが残酷だったかを叩き込むのである。例えば、レベッカ・カスナーというドイツ人女性は、9歳か10歳の頃学校でホロコーストの悲劇を教えられたとい う。
私は震えました。当時の人々がどうやったら、そんなねじ曲がった考えを信じることができたのか、どうして、これらの考えによってそんな恐ろしいことができたのか、私には想像できません。(Quora Contributor, How Do German Children Learn about the Holocaust, Slate, February 6, 2014)
彼 女は、祖父の戦った戦争と第二次世界大戦が、どのように結びついているのか把握できなかったという。つまり、大好きな祖父が、どうしてあんな酷いことをで きたのか、理解できないのだろう。彼女は交換留学生としてポーランドにいた時、アウシュヴッツを訪れたそうだ。他にも10代のドイツ人生徒がいたらしい が、アウシュヴッツを見学することが半ば義務のようになっていたという。現在でも彼女はそうした体験を噛みしめているらしい。
ホロコーストは恐ろしいことです。我々は国家として、そのことへの責任を忘れてはなりません。そのような事が二度と起こらぬよう心掛けるべきです。
こ んな風に洗脳された彼女は、ダッハウの収容所も訪れたことがあるという。だが、大抵の一般人はダッハウでガス室がなく、ユダヤ人の嘘によってドイツ人が裁 かれ、ニュルンベルクで八百長法廷が開かれたことを、教えられていない。異民族への罪悪感を植え付けられたドイツ人青年は、外国からの移民や難民を排斥す る気概を根こそぎ奪われているのである。
難民よりサッカー場が優先されるアラビア
我々はシリア難民がドイツへ向かうニュースばかり聴いているが、どうして彼らは豊かな中東アジア国に向かわないのか? 命からがら祖国を捨て去る難民は、なぜかイスラム諸国に避難しないのだ。生活に困ったシリア人は、同じ信仰を有する民族と石油成金がウジャウジャいるサウ ジ・アラビアとかドバイ、カタール、アラブ首長国連邦、あるいはペルシア(イラン)に行けばいいじゃないか。ところが、福祉目当ての経済難民はそうせず に、遠く離れた西歐、すなわち異なった人種の異教徒が住むドイツへと向かうのだ。こんなのちょっと考えたって、おかしいと分かるだろう。貧しき者に施しを するのが、裕福なイスラム教徒の務めじゃないか。日本や欧米のマスコミは、困っている同類の女子供を助けないイスラム諸国を非難すべきだろう。なぜ、 ジャーナリストは豪邸に住む石油成金どもを訪問し、彼らに人道主義を語り、その冷淡さを詰問しないのか理解に苦しむ。
日本の新聞記者 やテレビ局特派員は怠慢で、日本国民が多角的に考えるための材料を提供しない。新聞社は広告主ばかりに気を遣い、肝心の購読者はほったらかしだ。ドイツ人 が難民に対して、快適で清潔な収容所を提供したり、お金や職業訓練、医療、語学教育まで与えていることは、日本国民もよく知っている。あのイタリア人さ え、1人の難民に対し毎日35ユーロ(換算すると約4,690円)渡しており、その金額は年間で約17万4,200円になるのだ。(Nicholas Farrell, Welcome to Italy:this is whata real immigration looks like, The Spector, 20 June 2015) 嘘みたいなホントの話である。これじゃあ、イタリア人納税者だって、ネオ・ナチ頑張れとか北部同盟の議員に一票入れたくなるじゃないか。
(左: カタールのランド・マークたるルサイル・マリーナ / 右: 豪華なサッカー・スタジアム)
一方、アラフ諸国はシリア難民なんかどうなってもいいと思っている。例えば、石油で豊かなカタール(Qatar)は、哀れな難民に対しては冷淡だが、儲 かるサッカーには熱狂している。カタール政府は2022年のワールド・カップに向けて、何と2千億ドル(約22兆6千億円)注ぎ込んでいるのだ。たった2 百万人しかいない国が、日本人も驚くような歳出を実行しているとは。これは、カタール国民1人あたり10万ドル出費していることになり、他国と比べたら桁 違いである。ロシアがソチ大会で使った額は1人頭350ドルだし、ブラジルは1人頭73ドル、南アフリカだと、1人頭54ドルであった。カタールは286 倍も余計に使っていたのだ。(Sean Gregpry, Why Qatar is Spending $200Billion on Soccer, Time Magazine, July 11, 2013) 日本人ジャーナリストは何かと言えばすぐ、難民の人権問題を持ち出すが、アラビア地域の民族はそんな空気よりも軽い言葉に耳を傾けない。「人権」なんて しょせん、西歐人が作り出した念仏で、苛酷な歴史を体験してきたアジア人には何の価値も無い。「人権」とはラクダやロバ程度の人間に対して使われる用語で ある。大切なのは同じ部族に属する者に対する配慮だけだ。日本人は左翼憲法学者に言いくるめられているから、「人権」というのが高級な概念だと勘違いして いる。学校が教える「人権」とは、地球上の世界だと、アフリカのブッシュマンがもつ権利にさえ及ばない最低の権利なのだ。
(左: カタールの都市 / 右: 第二サッカー・スタジアム)
欧米に住むユダヤ人は西歐人を批判するが、彼らの祖国イスラエルになると口が重くなる。ドイツから追放されて、乞食のような難民だった頃は、受け入れ先 の英国や米国で謙虚であった。しかし、時が経つにつれ、お金を貯め込んだユダヤ人は、本来の図々しさと傲慢さを取り戻し、西歐人に指図するようになった。 例えば、ベルリンに住むインゲ・ラメルというユダヤ人の老婆(90歳)は、ホロコーストの生存者で、両親が妹と彼女を英国に送ったことで迫害を逃れること ができたという。その後、彼女はドイツに戻ったそうだ。しかし、彼女の両親はアウシュヴッツのガス室で亡くなったらしい。ホントかよ、と言いたくなるが、 彼女はそう信じている。とにかく、ユダヤ人虐殺を生き延びたインゲは、テレビでシリア難民を観て、ドイツ政府はシリア人を助けるべきだと主張した。 (Bettina Marx, Holocaust suvivors demand help for Syrian refugees, DeutscheWelle, 17 May 2014) ナチス時代に迫害を受けた彼女は、かつての自分とシリア難民を重ねているのだ。西欧社会に住むユダヤ人は、戦乱を逃れてきた難民を、ドイツが英国のように 歓迎すべきだ、と言いたいのである。しかし、実際のところ、当時のイギリス人やアメリカ人は、穢らわしいユダヤ難民を嫌々ながら引き取ったのである。ユダ ヤ人難民が乗っていた船を追い返したのはその証拠だ。
アフリカ黒人は出て行け
(左: イスラエル政府に抗議する黒人たち / 右: アフリカ系ユダヤ教徒)
悲しみに満ちたホロコーストを語り出すと、ユダヤ人は浪曲師も驚くほどの弁舌を披露する。彼らはドイツ政府に、もっと積極的にシリア難民を受け容れるべ きだ、と強要するくせに、難民の苦しみを一番理解しているはずのイスラエルは批判の対象にしないのだ。誰だって「あれっ、変だぞ」と気づくはず。日本のテ レビ局は番組で中東と歐洲の地図を広げて、難民の密航ルートを説明していた。正常な日本人なら地図を見て、イスラエルはドイツよりもシリアに近いことが分 かる。確かにヨルダン川を見れば、イスラエルはゴラン高原でシリアと接しているのだ。こんなの子供だって分かるじゃないか。それなのに、番組司会者やゲス ト評論家の誰一人として、避難先としての隣国イスラエルに言及しないのだ。桂三枝は「新婚さん、いらっしゃい」と毎週言っているが、ネタニアフ首相が「難 民の皆さん、イスラエルへいらっしゃい」と発言したのを聞いたことがない。たとえ、シリア難民がイスラム教徒でも、ユダヤ人だって英米のキリスト教徒に助 けてもらったのだから、宗教のこだわりは無いはずである。
(左/ロベル・テスファハン)
イスラエルが難民を受け容れないのには理由があった。ヒューマニズムの権化たるユダヤ人は、アフリカ移民を叩き出していたのだ。エリトリアからイスラエ ルに移住したロベル・テスファハンは、イスラエルの都市テルアビブ(Tel Aviv)に六年間住んだ後、最近になって南スーダンにやって来た。彼はイスラエルから排除された黒人の一人である。彼は政治的野党を認めぬエリトリアで 徴兵に応じるのが嫌で、エチオピアからスーダン、エジプトを通ってイスラエルに辿り着いたという。人類愛を語る優しいイスラエル人は、ロベルを疑惑の目で ジロジロ見つめ、歓迎の言葉が一つも無いばかりか、短期間だが刑務所に収監されたそうだ。白い肌を自慢するイスラエル人は、彼を可哀想な難民として扱わな かったらしい。正義の味方であるはずのイスラエル人警官は、毎度のように彼に嫌がらせを行い、堪りかねたロベルはイスラエルを去ることにしたという。欧米 でユダヤ人差別を糾弾するユダヤ人は、一度イスラエルを訪問してみたらどうだ? ユダヤ人は肌を黒く染めて、夜のテルアビブを散歩したら新たな発見があるかもよ。
ユダヤ人はお金の使い方が上手い。黒人が大嫌いなイ スラエル政府は、エリトリア人やスーダン人を追い出すために、ルワンダとある契約を結んだそうだ。この黒人移民には労働許可が与えられ、ルワンダ政府が引 き取ることになった。厄介な黒人を受け容れるルワンダは、イスラエル政府から海外援助というプレゼントが貰えることになっている。つまり、廃棄物処理業者 にお金を渡して、黒い粗大ゴミを処分して貰ったというわけだ。イスラエルの役人は黒人どもに手切れ金として3,500ドルをくれてやり、彼らをルワンダに 空輸したのである。(Antony Loewenstein, Living riks to risk; the new wave of African migrants deported from Israel, The Guardian, 6 May 2015) イスラエルの国境沿いには5万人くらいのアフリカ人が、常日頃うろついているそうだ。でも、ユダヤ人は賢いから大丈夫。ネゲヴ沙漠にホルト強制収容所、あっ違った「外国人接待所」を設けて、2千人ほどお世話
ているそうだ。ところが、ネタイアフ首相は口が悪い。この哀れなアフリカ移民を「侵入者」と呼んでいたのだ。あれっ、随分とアフリカ黒人に対して失礼無礼な言い方じゃないか。ナチスに排除された過去を忘れたのかしら。
イスラエルを去ってスーダンに住みついたロベルは、新天地でも苦労しているようだ。彼はイスラエルからルワンダに追い出されたけど、到着したルワンダで は仕事にありつける機会は全く無かったという。そればかりか、ルワンダの役人から、「無事にウガンダに行きたければ、150ドル払え」と恐喝されたそうで ある。ルワンダでの就職なんて空手形で、ルワンダ政府は強制退去者をウガンダに厄介払いする腹だった。身分証明書もパスポートも持たない25歳のロベル は、乞食同然の姿でスーダンに流れていったのだ。彼はヨーロッパにいけたらいいのになぁ、と夢見る毎日だったという。「オレは、ここで犬同然の身分だ。ア フリカじゃ、犬は撃ち殺されるんだよ。でも、ヨーロッパじゃ犬は殺されねぇよな」と、嘆くばかりのロベル。彼が肌に彫った刺青には、イスラエル人に対する メッセージがあった。彼の右腕には、「俺は奴らが嫌いだ、しかし、あいつら無しには生きて行けない(I hate them but I can't live without them)」と彫られているそうだ。イスラエルへの愛着が消えても、腕の刺青は一生消せない。この刺青を見たユダヤ人は何と言うのかな?
(左: ベイス・ロチェル校のラビ / 右: ユダヤ人の子供たち)
ユダヤ人の異民族蔑視は、何もイスラエルに限ったことではない。英国に住むユダヤ教ラビは、とんでもない教育を子供たちに施していた。ロンドンにあるベ イス・ロッチェル男子校(Beis Rochel Boy's School)附属幼稚園では、ラビのヨエル・テイテルバウム(Yoel Teitelbaum)先生が、非ユダヤ人を「ゴイム(goyim)」である、と教えていたのだ。このよく耳にする「ゴイム」とは、「ユダヤ人に奉仕する ための家畜」を意味する彼らの俗語である。ユダヤ人にとって、ヨーロッパ人やキリスト教徒は、どんなに“こき使っても”よい動物で、農耕馬や水牛ていどの 家畜なのだ。この問題となったテイテルバウム先生は、ナチスの迫害を逃れてきた超保守的正統派ユダヤ教徒で、ドイツ人を始めとするヨーロッパ人を心底怨ん でいるらしい。同校附属の女子中学校で教師を務めていたエミリー・グリー氏によれば、正統派ユダヤ教徒の学校で、非ユダヤ人を邪悪な者と教えることは珍し くないという。(Adam Withnall and Dina Rickman, Three-year-old ultra-Orthodox Jewish children told ‘the non-Jews’are ‘evil’ in workkksheet produced by London school, Teh Independent, 2 September 2015)
三歳の幼児が非ユダヤ教徒のイギリス人を、「悪党」呼ばわりしている光景は恐ろしい。テイテルバウム先生は北朝鮮の教師みたいに、憎い異民族に対する特殊な認識を子供に植え付ける。例えば、
問題。「悪いゴイム(非ユダヤ人)は、ユダヤ人の会堂や学校に何をしてきたのでしょうか?」
答え。「火を点けて燃やしてきました。」
大正解。パチパチパチと拍手。
問題。「ゴイムはユダヤ人全てに何をしましたか? 」
答え。「殺しました。」
よくでました。えら~いぞ !
こ うした内部情報をバラされて取材を受けたベイス・ロッチェル校の報道官は、「ゴイムというのは侮蔑語ではないのです」と弁解していたという。イギリス人が ちょっとでも、ユダヤ人に対して感情を害する言葉を吐けば、すぐ裁判沙汰にするくせに、自分たちが使っている差別用語は、悪意のない慣用語だと言い張る。 まったく図太い神経の持ち主である。西歐に住むユダヤ人は、反ユダヤ主義やネオ・ナチの活動に対して敏感なのに、イスラエル政府によるエチオピア移民の抹 殺計画に対しては鈍感だ。不妊薬を黒人女性に注射して民族を根絶やしにしようとしたイスラエル人と、絶滅計画を練ったナチ党のドイツ人とは、どこが違うん だ? 日本のマスコミはどうでもいい藝人の色恋沙汰を何日も報道するが、イスラエル人が犯してきた数々の悪事には目を閉ざしている。せめて、新聞社はお金を払っ ている読者に対して、隠匿された事件や裏事情を報道すべきだろう。購読者は折り込みチラシを見るために新聞を取っているわけじゃないんだぞ。楽しいスポー ツ新聞を取らずに、見栄を張って朝日や毎日、読売を購入し、毎月NHKに受信料を払っている国民は馬鹿みたいだ。
ドイツで騒がれてい る難民問題は、我々にとって対岸の火ではあるまい。もし、アジアで騒乱が起こり、支那人や北鮮人がボロ船で日本近海に現れたら、海上保安庁が迷わず撃沈で きるよう法律を作るべきだ。もし、それに反対する日本人は、自らの預貯金や骨董品、株、証券を難民に与えて、彼らを日本国外で養えばいい。難民反対の国民 から税金を取って、アジア人を日本に引き込むことは卑怯である。難民を受け容れるなら、氏名を記入した国民投票にかけて、全国民に問うべきだ。一家に一人 は難民を世話する義務を追加すれば、どれだけの国民が賛成するのか知りたい。そんなに難民が好きなら、朝日やNHK、TBS、大企業の重役たちが、まず難 民に1000億円くらいの「はした金」を、“自分の懐”から提供すべきである。この程度の金額なら、1日で集まるだろう。我々は、彼らが難民を10年間く らい世話をしてから、じっくりと議論すればいいじゃないか。
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