1 余命三年と宣告されて
余命3年と宣告されて1年が過ぎた。ほぼ同時期に同様の病に倒れた友人3名は闘病むなしく余命3年を全うできずに世を去った。小生も残る時間はいくらもないと思うが約70年の人生経験を一人でも多くの次世代に伝えるべく我が一族郎党32名の声と情報を併せて発信することとした。よってブログの更新が止まったときはそういうことかとご理解いただきたく思う。
情報ソースのかなりの部分は小生と父母の実経験による。残る部分の大半も一族の信頼できる情報による。ここに、ねつ造や虚偽はない。
ここで小生の一族郎党について触れておきたいと思う。但しプライバシーに関することなのでこの部分は数字等に多少偽りがあることをお許しいただきたい。
父は満州生まれ満州育ちで中国語、ロシア語の会話はもちろん読み書き自在である。母は数年前に亡くなったがソウル生まれソウル育ちで朝鮮語と中国語ができた。叔父姪はアメリカ、カナダに在住である。職業は公務員、医師、教師、自営業さまざまであるが政治家だけはいない。それと大学生以下18人の子供達だ。
記事のテーマは多岐にわたりジャンル分けが難しいので思いついたものから送稿する。
尚、万一の煩わしさを避けるためコメント類は受け付けない設定にしてあります。お許しください。以下次回。
情報ソースのかなりの部分は小生と父母の実経験による。残る部分の大半も一族の信頼できる情報による。ここに、ねつ造や虚偽はない。
ここで小生の一族郎党について触れておきたいと思う。但しプライバシーに関することなのでこの部分は数字等に多少偽りがあることをお許しいただきたい。
父は満州生まれ満州育ちで中国語、ロシア語の会話はもちろん読み書き自在である。母は数年前に亡くなったがソウル生まれソウル育ちで朝鮮語と中国語ができた。叔父姪はアメリカ、カナダに在住である。職業は公務員、医師、教師、自営業さまざまであるが政治家だけはいない。それと大学生以下18人の子供達だ。
記事のテーマは多岐にわたりジャンル分けが難しいので思いついたものから送稿する。
尚、万一の煩わしさを避けるためコメント類は受け付けない設定にしてあります。お許しください。以下次回。
お尋ねします。
個人的に余命初代の初稿から最新記事まで、データ化して保存しています。今日アップされた記事の中に、旧「余命3年時事日記」からの転載がありますが、掲載記事数が多いものですから、新規記事なのか転載記事なのか、判断できないでいます。検索して調べることは可能なのですが、できましたら新機器の記事なのか、旧サイトからの転載記事なのかを、補足説明してくださると、大変助かります。
勝手なお願いで恐縮ですが、可能でしたら教えてくださいますよう、宜しくお願いいたします。
ずっと拝読しております。
過去記事のアップを始められたと推察します。
過去記事の場合は、wordpressの投稿の編集で、右側にある公開日時の編集をクリックして、公開日時を過去日に修正されることをお勧めします。
今の投稿方法で過去記事をアップすると、最新の記事が埋もれらことになってしまいます。
公開日を過去日にすれば、過去記事が、トップに表示されなくなります。
ご検討下さい。
応援しています、頑張りましょう
操作方法が分からなければ、遠慮無くこのメールアドレス宛にお問い合わせ下さい。
まあ、危険防止の為あり得ないと思いますが(笑)
貴方が立てた余命3年時事日記ブログは、今や保守日本人の心の拠り所となり、集団通報に於いては、初めて保守が団結出来たと言い切れるまでに大きく育ちました。いまや、多くの保守日本人が、個人の損得といった感情を超えたレベルで、それぞれが出来る事を一生懸命やっています。
まだまだ予断は許さない状況ですし、これから在日勢力の激しい抵抗も予想されていますが、日本は確実に良い方向へ向かっています。
安心して、天国から見守って頂ければと思います。
(P.S. 三代目へのリクエスト)
12月のかずさんの命日には、是非かずさんとの想い出など書き込んで頂けると嬉しいです。皆で初代余命を偲ぶ日が、一日くらいあってもいいと思います。
WordPressなら投稿日時も投稿画面の右側あたりで変更できたと思います。番号をつけられるより投稿日時も復元されると新しい順に並べられると思います。投稿日時を紛失された場合は上記ページをご覧になるとよいかと思います。
初代様の文章だと初見の人には分かりません。
初稿の出稿の日付けを残していただきたい。
以前にもお願いしましたが、再度、お願い申し上げます。
毎日保守活動お疲れ様です。
8月21日から、過去の余命記事を投稿されていますね。一読者としても改めて振り返る良い機会だと思います。
さておき、その日からこちらのブログが少し見づらくなったように思います。最新記事が後ろの方へ行ってしまっているせいだと思いますが。
他の保守ブログでも、ポツポツそういう意見が見られますので、お心に留め置いてもらえればと思います。
それでは、残暑が続きますが、どうかお身体ご自愛下さいませ。
ななし 拝
サーバー設定のことで非公開にてご連絡いたしたく、わざとこのコメントにURLを複数入れてみます。
上手く承認待ち・非表示になったら本題をコメントします。
http://yh649490005.xsrv.jp/
http://yh649490005.xsrv.jp/
http://yh649490005.xsrv.jp/
http://yh649490005.xsrv.jp/
外国に自国の憲法を干渉させるこの姿勢は明らかに限度を超えています。外患誘致であるとしか言いようがない。
どうか官邸凸の具体例としてお願いします。
余命3号様も癌にかかられていると聞いて驚き、何とかならないかと思っております。
何年か前の話ですが、静岡県在住の知人が、糖尿病からすい臓がんを併発し余命1年以内と宣告されました。
彼は秋田県出身だったので年に4回(1週間ほど)帰郷し、癌治療で有名な「玉川温泉」へ湯治に行っておりました。
緊急性と費用の問題もあり自家用車での車中泊だったようです。
湯治の甲斐があってか、宣言された日から1年後でも元気で、転移していた癌も一部消え、医者も不思議がるほど改善の方向へ向かってました。
それで安心したためか、湯治も半年以上遠のいていたので、心配(興味もあり)した当方と8月の連休を利用して玉川温泉に一緒に行く計画を立てたのですが、出発日時が合わず別々の車で行くことになりました。(当方は5日間)
それが悪かったのか、知人は予定の1週間ではなく忙しさもあって2日のみの湯治で済ませてしまいました。
湯治により確実に改善がみられていただけに頻繁に行くように注意をしたのですが、4ケ月後の年末にも湯治に行かず、しばらくして急に容体が悪化し、湯治に行くことすら出来なくなって1月後亡くなってしまいました。
結果、延命しかなりませんでしたががん告知から2年近く生きました。
玉川温泉に行って湯治客に聞いてみたのですが、余命宣告受けた方が何年も通っているとか聞くと癌が治ると信じるようになります
ただ、体が動ける内に行かないと厳しいですね
湯治場すぐの場所に食事付きの宿泊施設もありますので1週間ほどリフレッシュのつもりで行かれたら如何でしょうか
必需品はバスタオル数枚とゴザそして大型アブ退治用の蠅タタキです。