海境・ニッポン:第13回 済州島/上 インタビュー 文京洙氏(立命館大学国際関係学部長)
◇日本とも深いかかわり−−文京洙氏(ムン・ギョンス)氏

−−「四・三事件」の被害は、なぜ深刻化したのでしょうか。
 事件が東アジア冷戦構造の「結節点」で起きたからだ。戦後、米国は朝鮮半島で、ソ連の影響力を防ぐ「とりで」を作るために南側単独の総選挙を実施し、大韓民国を成立させた。一方、北では金日成(キムイルソン)が作った臨時人民委員会が強引な社会主義改革を進め、そこから南に逃れた人々の恨みつらみが、事件の鎮圧過程で「アカ狩り」と称する島民弾圧となって表れた。

−−事件の真相解明は。
 1997年ぐらいから済州島で事件解決を目指す運動が高まり、一番進んだのは金大中政権(98〜03年)のとき。真相調査報告書で明確にされたのは、韓国政府の過剰鎮圧があったという点だ。「共産勢力の暴動」を主張する団体と「民族統一のための抵抗運動」と主張する団体が分裂していたが、「受難と和解」を基本に合同した。「誰の責任か」はひとまず棚上げし、被害者は「罪のない犠牲者」であり「韓国政府が責任を負わねばならない」という点で合意した。

 でも、歴史的意義付けの論議は100年たっても終わらないだろう。私自身は、右翼や警察による島民への虐待に対して立ち上がった若者たちによる「地域共同体を守るための自衛的な行動だった」という視点で捉える立場をとっている。これなら真相究明や犠牲者の名誉回復は可能ではないか。

−−日本とはどういう関わりが。
 鎮圧した軍や警察の首脳の多くは日本の植民地統治に関与した人物たちで、抵抗した側も最初の武装蜂起時の司令官、金達三(キムダルサム)は中央大学の卒業生だし、後任は立命館大学の卒業生①だった。済州島の南朝鮮労働党(南労党)の指導者の多くは、日本での労働運動や反日運動の流れをくむ人たちだった。その結果、多くの人が(事件後)日本に逃れた。検証が必要だが、逃れた抵抗勢力の指導者らが日本の左翼運動に大きな影響力を持った

−−日本と済州の社会運動は一体だったのですね。
 48年、大阪と神戸で朝鮮学校の閉鎖に反対する阪神教育闘争事件が起きた。神戸では連合国軍総司令部(GHQ)が戦後唯一の非常事態宣言を出し、1人が死んでいる。当時の資料を見るとGHQは明らかに「四・三事件」を意識し、「日本での在日の運動が、済州島で反乱を起こしている異端分子と結びついている」と考えていた。この頃の東アジアでの米国の最大の政策課題は、韓国建国のための単独・分断選挙だった。それに反対する動きが朝鮮半島だけでなく日本にもあったと捉えていたのは確かだ。

−−影響は今も残っていますか。
 韓国では87年の民主化宣言、金大中政権と盧武鉉(ノムヒョン)政権の成立で、社会に定着した冷戦的な反共意識を克服し、人権や民主主義が普通に守られる社会を作るという課題が、相当のレベルで達成されたと思った。だが、歴史は直線的に進まない。李明博(イミョンバク)政権で冷戦的な「排除の政治」が復活し、朴槿恵(パククネ)政権下でも続いている感じだ。

 日本も同じではないか。グローバル化が進み、外国人が日本にたくさん住むようになって、日本人の閉鎖的な国民意識がだいぶ解消された。95年の村山富市首相の談話発表の頃には加害者認識がそれなりに高まったが、最近は右傾化や90年代の到達点を消去する深刻な動きになっている。歴史の清算がきちんとできていなかったことが、大きいと思う。日韓が互いを学び合う関係を作ることが、歴史認識の溝を埋めるのに重要だ。
毎日新聞2013.10.1
http://mainichi.jp/select/news/20131001ddm004070004000c.html

 
【youtube】反日思想の源泉はコリア系左翼 
この動画をはじめて見た時は心から驚いたのだがまだ半信半疑だった
が今ではそれが本当だったと分かる....

吉田茂=マッカーサー往復書簡
これら朝鮮人は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。彼らはわが国の経済法規を破る常習犯です。かなりの数が、共産主義者かその同調者であり、もっとも悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。投獄されているものは、常に七千人をこえています。

①立命館大学
立命館大学といえば徐勝氏

【youtube】【三浦小太郎】北朝鮮の犯罪隠蔽に加担する日本の文化人[桜H22/5/24]  

【wiki】徐勝 
徐勝(ソ・スン、서승、1945年 - )は、米国・カリフォルニア大学バークレー校客員研究員などを経て、1998年から立命館大学コリア研究センター長、法学部教授を歴任し、2011年3月をもって定年、4月より特任教授。専門は、比較人権法、東アジアの法と人権、現代大韓民国の法と政治。元北朝鮮工作員

略歴
京都府生まれ。京都市立堀川高等学校を経て、1968年東京教育大学卒。韓国国立ソウル大学校大学院に留学中の1971年、スパイとして国家保安法違反容疑でKCIAに逮捕された(学園浸透スパイ団事件②)。取調べにおける拷問の途中、自殺を図って顔面に大火傷を負った。公判では火傷を負った顔で現れたため、日本のマスメディアの中には「韓国の官憲が火で顔を焼いた」など、誤報も含めスキャンダラスに報道し、日本で展開されていた救援運動はさらに高揚した。公判では、いわゆる北朝鮮の「工作船」に乗り込み、非合法な形で金日成と朝鮮労働党支配下にある北朝鮮に渡ったことを認めている。

以降、自分は非転向政治犯であると主張して、19年間を獄中で過ごす。1990年釈放。1994年に多田謡子反権力人権賞を受賞。2006年に小泉総理大臣の靖国参拝に反対するキャンドル行動「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」の共同代表③に就任。現在は立命館大学特任教授。当時、共に逮捕された人権運動家の徐俊植、作家で東京経済大学教授の徐京植は実弟。

朝鮮学校への高校無償化法適用が実現していないことについて「本質は朝鮮圧殺政策。植民地時代から冷戦時代、そして今日に至る朝鮮民族に対する主権の否定が根底にある」と非難している。

参政権を求め帰化を選択肢の一つとして肯定する主張は、本質において植民地時代の「皇民化政策」「同化政策」の延長線にあると主張している。

訳書
慧眞④著、『ナヌムの家のハルモニたち――元日本軍慰安婦の日々の生活』、人文書院、1998年、ISBN 440923028X。
駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部編、『駐韓米軍犯罪白書』、青木書店、1999年、ISBN 425099001X 

②学園浸透スパイ事件この中に拉致実行犯辛光洙がおり、菅直人らが釈放要望書に署名した
韓国民主化運動と辻元清美

③「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」の共同代表

反天皇制連絡会ですね
反天連は日本人の団体とか言った人誰でしたっけ
ゴー宣反天連2
パチンコマネーという毒を飲んだ小林よしのり
安田浩一氏も参加していましたね

④慧眞ナヌムの家の曹渓宗セクハラ僧侶
韓国の伝統を受け継ぐナヌムの家
慧眞氏の著作を徐勝氏、方清子氏が訳していると
で、両名とも韓国の米軍基地反対運動をやっていると
(方清子氏→良い朝鮮人は存在するか? 南北ズブズブの在日朝鮮人


逃れた抵抗勢力の指導者らが日本の左翼運動に大きな影響力を持った更に「韓国民主化運動」という名の韓国左傾化にも影響力を持った

ということではないだろうか
自分は冷戦構造の中で米国の後押しで作られた「韓国」という国に追いやられた人達によるクーデターという側面があるのではないかと思っている
それは韓国にとって幸せなこととはあまり思えないが....まあ大きなお世話だが

そして日本にとって韓国から逃れてきた人達が日本で反日・反米活動しているのはとんでもない迷惑(怒

例:通名強要裁判(イルム裁判)の金稔万氏 親が済州島からの密航者