2007年 04月 13日
ブッシュのヤルタ合意批判と日本 |
『正論』 2005年9月号
ブッシュのヤルタ合意批判と日本
東京裁判史観見直しの好機と障害
島田洋一(福井県立大学教授)
注記 日々さまざまなメディアに載る米保守派の論考を、電子メールで一括して配信してくれる『タウンホール』(Townhall.com)という便利なウェブ・サイトがある。今年春、それまで傘下にあった保守派の大手シンクタンク、ヘリテージ財団から独立した。出所を『タウンホール』としてある文章は、原掲載紙誌ではなく、そこからの電子メール配信に依るという意味である。
ブッシュ演説のポイント
今年五月、ブッシュ米大統領は、ロシアで行われた「対独戦勝六〇周年記念式典」に出席の途次、ラトビアの首都リガにおいて、「ヤルタ合意は、ミュンヘン、モロトフ・リッベントロプ協定などの不正な伝統を受け継ぐものだ」とする注目すべき演説を行った。
一九四五年二月、ルーズベルト・チャーチル・スターリンの米英ソ三首脳が、クリミヤ半島の保養地ヤルタで行った会談では、三者間および米ソ・英ソなど二者間で、戦後欧州における勢力地図、ソ連の対日参戦への見返りなどについてさまざまな談合がなされた。
ミュンヘンは、ヒトラーにチェコを売り渡すことで平和を買おうとした対独宥和政策の象徴であり、モロトフ・リッベントロプ協定は、ナチスとソ連によるポーランド分割裏合意である。ヤルタがこれらと同一線上のものというのは、ルーズベルト外交に対する非常に侮蔑的な評価であり、すなわち、単なる誤りではなく、犯罪的な非道徳性をもった誤りだったという意味になる。
ブッシュ演説は、日本が今後、中国や北朝鮮、韓国左派政権による歴史歪曲攻勢に対抗し、巻き返しを図っていく上で、大いに活用すべき追い風である。東京裁判史観の見直しは、日米の保守派が、敵を見誤ることなく、健全な共闘態勢を組んでいくためにも、決してゆるがせに出来ない課題だ。
以下、ブッシュ演説の意味、演説に対する米保守派の反応、今後日本から起こすべき動きなどについて、整理してみたいと思う。
まずブッシュ演説の中身を簡単に要約しておこう。
ヤルタで行われた「安定のために自由を犠牲にするというこの試みは、欧州大陸に分断と不安定をもたらした。中欧・東欧の何百万という人々を囚われの身としたことは、歴史上最大の誤りの一つとして記憶されよう」
ヨーロッパにおいては、特にベラルーシの自由民主化が喫緊の課題である。
「われわれは、圧政に対して、宥和政策で応じたり、寛大な態度を取ったり、安定を空しく追求する中で自由を犠牲にするといった他の世代が犯した過ちを繰り返さない」
いま、中東では広い範囲にわたり、自由の前進が見られる。
「何百万という人々を終わりなき圧政に委ねるような悲観主義に、われわれは背を向けねばならない」。
「民主化がなければ、近代化もない。究極的には、人権と人間社会の発展は、自由にかかっている」
「遠くに別の大きなゴールが見える。この大陸における圧政の終焉だけではなく、世界における圧政の終焉だ」
以上が、ブッシュのヤルタ批判演説の骨子である。
自由を守るためには、自由を国際的に拡大していかねばならない。非民主的勢力との野合がもたらす「安定」は幻想に過ぎない。独裁体制崩壊後の「混乱」は自由の力で乗り切れる、等々のブッシュ理念が、この演説においても基調をなしている。
日本の安全保障にとって、当面最大の課題は、北朝鮮の独裁体制を崩壊させることであり、次いで共産党支配の中国を民主的体制へと導くことであろう。民主化の過程で数カ国に分裂するかどうかなど、中国国民の意思次第だ。
米保守派の間では、ブッシュ政権の北朝鮮政策に対し、「姿勢だけがあってゲーム・プランがない」といった批判の声が高まりつつある。北とその背後に控える中国に対し、レジーム・チェンジをにらんだ積極的な揺さぶりを掛けず、核問題での適当な合意と引き換えに経済支援を提供したり、あるいは漫然と六者協議を続けたりするなら、ブッシュのヤルタ批判も、東アジアについては空言だったということになろう。
スターリンを好んだルーズベルト
訴訟を濫発するなど日本以上にタチの悪いアメリカのフェミ・ナチ勢力を相手に、常に戦いの先頭に立ってきた保守派の女性活動家フィリス・シュラフリーは、「ブッシュ大統領が、歴史を正し、フランクリン・ルーズベルト大統領が犯した悲劇的過ちについて遅ればせながら謝罪したことに感謝する」とした上、ルーズベルトがスターリンに行った不必要な譲歩として、次の諸点を挙げている(『ヒューマン・イベンツ』五月十三日)。
・ポーランドをスターリンに差し出した。
・共産主義を逃れドイツにいたロシア人をすべてソ連に(すなわち収容所に)強制送還した。
・ソ連は中国から奪ったモンゴルの支配を許された。
・南樺太および付属の島嶼がそっくりソ連に引き渡された。
・千島列島がそっくりソ連に引き渡された。旅順がソ連海軍用に引き渡された。大連港、東支鉄道および南満州鉄道が、ソ連の「優越的」権益が「保証される」ようにとの口実のもと、スターリンの影響下に委ねられた。
・ソ連は国連において、例外的に三票の行使を認められた。
そして、「ルーズベルトの弁護者は、これらの譲歩はスターリンを対日戦に引き入れるため必要な賄賂だったと主張してきた」が、ヤルタ会談の三カ月半前にスターリンが太平洋戦争への全面参入を約束しており、駐ソ大使エイブリル・ハリマンからルーズベルトにその旨報告がいっていた以上、成り立たない議論だとしている。
シュラフリーはさらに、「太平洋戦争にロシアは必要でなかった。ロシアを引き入れたことにより、中国と北朝鮮における共産帝国の誕生に道を開いた。その結果、朝鮮戦争、および北朝鮮の初代独裁者の息子が核兵器でわれわれを脅かす今日の事態へと立ち至った」と述べている。
若干敷衍すると、一九四四年十月および十二月中旬に、スターリンはハリマンに対し、対日参戦の条件として、南樺太、千島列島の引き渡し、旅順・大連および「周辺地域」の租借、満州における鉄道の租借などを具体的に挙げている。
ルーズベルトは、自らが大西洋憲章(一九四一年八月)で謳った「領土拡張を認めない」との原則を弊履のごとく捨て、ほぼスターリンの要求通り、千島列島、南樺太などをソ連が奪取することを認めた。
シュラフリーの表現では、すでに対日参戦を約していたスターリンが、後から領土要求を持ち出したとも受け取れ、その点若干補足が必要だと思うが、いずれにせよ、要は、ルーズベルトはスターリンに対し無原則に譲歩しすぎたし、ソ連の東アジア侵出が何をもたらすかについてナイーブであり過ぎたということである。
ナチス同様、ソビエト体制は本質的に邪悪であり、共に国際秩序を構築していける相手ではないとの認識、あるいは道義的感覚が、当時、日米両政府ともに稀薄であった。そのことが、真の敵を見誤ることにつながったといえる。
アメリカのリベラル(進歩派)においては、ルーズベルトが、東欧・中欧諸国をスターリンに「売り渡した」との批判は「戦場の現実」を見ない空論とするのが大勢だが、そのリベラル派においても、ルーズベルトのスターリン認識、共産主義認識に甘さがあったという点は、今や認めざるを得なくなっている。
冷酷な殺戮者スターリンを、親しげに「アンクル・ジョー」と呼び、「ジョーはいい男だ」、クリスチャンの紳士のように振る舞おうとする感覚が見られる、戦後の民主的な国際秩序を形成していく上でパートナーたりうる指導者だ、などと側近に語るルーズベルトの姿は、平壌に金正日を訪ね、親しく民族の将来を語り合った老政治家・金大中の姿とほとんど選ぶところがない。
近年の情報公開によって、ルーズベルト政権の幹部クラスに、ソ連のスパイや露骨なソビエト・シンパが多数いた事実が明らかになっているが(在米ソ連大使館に配属されたKGB、およびその前身のNKVD要員とモスクワの本部間の暗号電を米側は一部解読していた。プロジェクト名、ベノーナ〈Venona〉。一九九五年解禁)、小泉官邸が金正日に取り込まれているのと同様、そもそも社会主義に親和性をもつルーズベルト自身がスターリンに取り込まれていたところに、根本の問題があったといえよう。
強制連行に手を貸したアメリカ
ジョナー・ゴールドバーグは、ヤルタ合意の犯罪性を示す端的な例として、シュラフリーも触れていた、ロシア人兵士、難民、収容所脱出者のソ連への強制送還問題を大きく取り上げている(『ナショナル・レビュー・オンライン』五月十一日)。
(この点での譲歩は)通常、ヤルタをめぐる議論において取り上げられない。なぜなら、あまりにも弁護不能だからだ。連合国側は、何十万人という男(そして多くの女と子供も)を死と悲惨に追いやっているのだと分かっていた。これら難民の多くは、途方もない道のりを経て、ようやくイギリスとアメリカの保護下で終戦を迎えた。そのあげく、力ずくで、すなわち銃を突きつけられながら、ソ連側に引き渡され、この世から消えていった。多くが、ソ連に戻るより、家族もろとも命を絶つ方を選んだ。何と恥ずべき話であろうか。
最近ソ連の収容所に関する大部の著書を出し、金正日体制を批判する文章もたびたび書いているアン・アップルボームも、「ヤルタは、売り渡しではなく現実の追認であった」とする左派の議論は、「合意が広範囲にわたることを無視しており、たとえば、何千人というロシア人を確実な死が待つソ連に追放することが本当に必要だったのか」と疑問を呈している(『ワシントン・ポスト』五月十一日)。
なお、ロシア人の中には、ドイツ軍に入隊し、スターリンの赤軍と戦った人々もいた。ソ連に送還されないという約束の下、彼らは米軍に降伏したが、ヤルタ合意を受け、約束は反故にされた。
トマス・ウッズ『政治的に妥当でないアメリカ史入門』(The Politically Incorrect Guide to American History)によれば、米本国ニュー・ジャージー州フォート・ディックスの収容施設にいた約二〇〇名のロシア人などは、送還に激しく抵抗したため、密かに催眠剤バルビツールを盛られ、意識が朦朧とする中、船に乗せられ、ソ連まで強制連行されていったという。
今われわれの近くでも、中国共産党当局による北朝鮮難民強制送還という国連難民協約違反の犯罪行為が続けられている。これに経済面などで対抗措置を執ることは、日米の保守派が最も連携しやすい課題の一つであろう。
毛沢東に簒奪された中国
トマス・ウッズは、ベストセラーの一角を占めた前掲書において、次のように書いている。
アジアにおいて、日本は倒されたが、アメリカが日本に敵対したのは、もともと日本の中国侵出が原因だったはずだ。そして、中国の運命はどうなったか。一九四九年までに、中国は、おそらく史上最大の大量殺人者である毛沢東の共産主義圧制下で暮らすこととなった。日本を中国から追い出そうとしたアメリカの介入主義者たち(そして彼らは平和的手段でそれを達することをはねつけた)は、今や、まさに日本の中国支配より一層悪いものに直面するに至った。
ちなみに、軍による破壊行為や収容所での虐待、処刑、リンチ、餓死などで多くの人々に死をもたらした毛沢東を「史上最大の大量殺人者」と形容するのは、米保守派の間では普通のことである。毛沢東、金日成・金正日の圧政下、満州や朝鮮半島北部の人々は、日本の勢力下にあった時代より遙かに悲惨な状況に追いやられた。ルーズベルトの優遇で力を得たスターリンによる軍事支援の下、金日成が仕掛け、毛沢東が拡大させた朝鮮戦争では米兵にも多くの死者が出た。ウッズは次のようにも書いている。
スターリンを対日戦に引き入れるため、ルーズベルトは、ソ連に満州の支配を許した。一九三〇年代初期にこの地を日本が占領したことが、そもそもアメリカの介入主義者の憤激を買ったはずである。満州でスターリンは、中国共産主義者に安全な聖域を提供し、捕獲した日本軍の装備を与えることも出来、その結果、共産主義者による中国制覇への道が開かれた。
スザンヌ・フィールズは、安全保障問題研究者ウィリアム・ホーキンスの議論を紹介する形で、「中国はロシアの過ちに学び、マルキシズムを捨てた。しかし単に『共産主義からファシズムへ』移行しただけで、資本主義のエネルギーを、圧政を活性化させるために用いている」と述べている(『タウンホール』六月九日)。なかなか的確な表現であろう。
七月十五日付『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューで、ある中国の将軍が、台湾問題にアメリカが軍事的に介入してくるなら、中国はアメリカに対し核ミサイル攻撃を行うと示唆した件が、アメリカの保守派の間で話題になっている。
この件に限らず、中国の現体制が、一皮むけば、どれだけ危険な体質をもっているかを示す事例は多い。中国の民主化というと、すぐ「混乱」を思い浮かべ、あそこは強権政治でないと秩序を保てないと考える傾向が、まだ日米共に支配的であるようだ。しかし、これは短見だろう。
中国の共産党支配体制を打ち崩せるはずがないなどという人は、レーガンが主導し、あの鉄壁と見られたソ連・東欧全体主義圏を崩壊させたごく近年の歴史をどう説明するのか。ましてや、北朝鮮体制は強固で、圧力を掛けてもつぶせないなど、あまりに情けない感覚といわねばならない。
中国政府が暴徒による日本公館、料理店などへの攻撃を煽り、黙認した今年前半の官製反日テロは、戦前日本側が苦しめられた中国の排日運動を実感として想起させるものであり、そのようなものとして国際的にも知らしめていかねばならない。
東京裁判史観に風穴を開けるよい機会であり、うやむやに収めるのではなく、中国側が公式に謝罪し、損害を補償するよう求め続け、共産党政権の理不尽さを浮き彫りにしていく必要がある。
ナチスの同盟国だったソ連
産経新聞七月十三日付(内藤泰朗記者)によると、ロシア外交誌『メジドナロードナヤ・ジーズニ(国際生活)』六月号が、ガルージン駐日公使の「解決策が見つからぬ露日」と題する論文を載せ、その中で、北方領土問題の起源について、「第二次大戦中、日本がナチス・ドイツの同盟国としてヒトラーの対ソ戦を支援したことを忘れてはならない」「日本はアジアと太平洋地域での軍国主義的侵略行為をごまかそうとしている」などと主張しているという。
日独伊三国同盟締結は日本のイメージを大いに損ねる愚行であったが、これは防御同盟であり、日本がナチスの対ソ侵攻に積極的に手を貸した事実はない。むしろ、はっきりナチスの同盟国として侵略に荷担したのはソ連の方である。
米紙『ボストン・グローブ』などにコラムを書いている保守派のジェフ・ジャコビーは、「モスクワは、ナチス・ドイツに対する戦勝六〇周年を記念するに当たり、ブッシュ大統領が最も訪れてはならない場所だった」とした上、次のように続けている(『タウンホール』五月十三日)。
確かに対独戦で、ロシア人は最も多くの血を流した。
しかし、「忘れてならないのは、ロシアは、西側民主主義の側に立って参戦したのではないということだ。それどころか、ソ連はドイツの共犯者として戦争の火蓋を切ったのである。一九三九年八月、ソ連とナチの外相によってサインされたモロトフ・リッベントロプ協定は、翌月のドイツ軍と赤軍によるポーランド侵攻へと道を開いた。約二年近く、ドイツとソ連は同盟関係にあった。その二年間に、ナチスは、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスを席巻し、イギリスに波状的空爆を加えた。同じ二年間に、ソ連は、ラトビア、リトアニア、エストニアを占領し、フィンランドに対する邪悪な戦争を仕掛けた。一九四一年六月、ドイツの侵攻を受けるに至って、モスクワは遅ればせながら西側の同盟国となったに過ぎない」
日本政府はどのような姿勢で北方領土問題に臨むべきか。この点は、櫻井よしこ氏の次の主張に尽きていると思う(『週刊新潮』六月二日号)。
特に領土問題は「自分の任期内に」などと、自分の持ち時間ではかってはならない。……北方領土の“簒奪”を許す結果を生んだヤルタ会談を、当事国だった米国の大統領が「史上最大の過ちのひとつ」と語る今は、日本が挽回するチャンスでもある。賢い外交展開で、米国の姿勢を日本有利の国際社会の風へとつないでいくことが出来る。なのに、日本が四島返還の原理原則を揺るがせて「譲歩する」などと言ってどうするのか。
首相も外相も、いやしくも自分の名誉のために外交で焦ってはならない。自分の手で北方領土問題を解決して、歴史に名を残そうなどとは考えてはならない。政治家の務めは、時機のくるまで揺るがずに日本の立場を固く守って、その堅固な立場を次の政権にしっかりと渡していくことだ。そうして日本の主張を堅持すれば、歴史の流れのなかで、必ず、領土奪回の機会は巡ってくる。……
実際、ロシアの「国際社会学研究センター」が最近実施した世論調査で、北方四島を日本に引き渡すべきと回答した人が五一%に上ったという興味深い報告もある(産経新聞六月二五日)。
ルーズベルトとスターリンがヤルタで行った不当な談合をサンフランシスコ講和条約で受け入れさせられたとはいえ、北方四島返還は、日本にとって最小限の要求であり、さらに譲歩するというのは、あまりに無原則な敗北主義である。
歪曲拡大の兆しがある慰安婦問題
七月十四日、米下院は、「太平洋戦争終結六十周年を記念し、第二次大戦の太平洋、大西洋両戦域で戦った人々の栄誉を称える決議案」を賛成三九九対反対ゼロで採択した。
内容は、米軍人や戦いを銃後で支えた人々への感謝表明が主だが、戦後の日本を「アジア太平洋地域における民主制と経済的自由化の指針」と持ち上げる一方、戦争は「ファシスト軍国主義」との戦いであったと規定し、「民主的制度と市場経済が根付いたアジア地域の出現をもたらし、平和と繁栄に大きく貢献した」と戦勝の意義を述べている。
また、四項目から成る決議本文の第三項において、極東国際軍事裁判における判断、および一定の個人を人道に対する罪で戦争犯罪者として裁いた判決を再確認するとも述べている。
軍人への感謝決議で、戦後処理における疑問点などが書き込まれるはずもないが、アメリカ側も巻き込んだ東京裁判史観の修正が容易な課題でないことを示す事例と言える。
実は、七月十一日に採択された米下院の「日本人・韓国人拉致非難決議」も、この「終戦六十周年記念決議」も、主提出者は同じくヘンリー・ハイド下院国際問題委員長(共和党)である。
ハイド議員の上級スタッフで決議案作りの陰の主役デニス・ハルピン氏は、金正日や盧武鉉に非常に厳しい立場を取り、拉致問題にも理解が深い、拉致被害者「家族会」「救う会」にとっては、心強い同志である。
が、同時に氏は、旧日本軍による「蛮行」の呵責ない批判者でもあり、中国側、韓国側の言い分をほぼそのまま受け取っている風がある。
これは、日本政府がほとんど反論らしい反論もせず、日本が戦後、平和国家を築いてきたことを理解してほしい云々と、過去については言われるままに放置してきたことが大きく影響しているように思う。
同じくアメリカにおける同志の一人、元米陸軍グリーン・ベレーで朝鮮問題専門家、FOXニュースのコメンテーター等を務めるゴードン・ククリュ氏が、昨年『誕生時点で引き離されて-いかにして北朝鮮は邪悪に育ったか』(Separated at Birth: How North Korea Became the Evil Twin)という、長い韓国駐留経験に基づく面白い本を出した。北朝鮮体制は、アナコンダが獲物に巻き付くようにあらゆる方面から締め上げてつぶすしかないと結論づけている。
しかし、この本は一カ所大きな欠陥があり、それは慰安婦問題をエピソード的に取り上げた部分である。まず、慰安婦は挺身隊(body donating corps)とも呼ばれ、日本兵たちは上官から、彼女らを出来る限り野蛮に非人間的に扱うよう命令され、友人関係あるいは恋愛関係に入ることは厳禁であった、とした上、次のように続けている。
この行為を一層忌まわしいものとするのは、日本側が意図的に、若い女性、というより十二才から十六才までの少女を、慰安婦として手に入れようとした事実である。日本側がこの年齢層を狙ったのは、厳格で、やや清教徒的な韓国社会では、この年の少女はまず間違いなく処女であり、したがって性病にかかっていないと知っていたためである。……したがって、女性を拉致するために送り出された日本の一隊は、できるだけ若く健康な女性を目指した。……二十万人近い韓国女性が拉致され慰安婦として送り出されたのではないかと思われる。
ほとんどの慰安婦が生きて終戦の日を迎えられなかった。非常に多くが虐待と兵士から移された病気によって死んだ。故郷に帰っても歓迎されないことを知悉し、機会を得て自殺した者もいる。……多くの場合、撤退に当たり、日本軍は彼女らをその場で殺害した。いわば証拠を消したわけである。
悲しいことだが、予見しえたとおり、わずかに生き残った女性たちは、故郷から拒絶された。彼女たちは、韓国の男たちが、社会における男の最も基本的かつ本質的な責務、すなわち女性を守るという責務を果たせなかったことを示す、生きた、目に見えるシンボルであった。責務を果たせなかった韓国の男たちは、日本に対し怒りの念を抱いたが、同時に理不尽にも、女性たち自身にも怒りの矛先を向けた。その結果、慰安婦にまつわるあらゆる問題は、おおむね、恥をさらされたくない韓国人と、強く事実を否定し、今もしつづける日本人によって、暗黙の内に無視されてきた。数名の生き残った女性たちが、六十才を過ぎ、苦痛をもはや封じ込めておけず、大きな、正当な、そして長く押さえられてきた声を上げることによって、はじめて事がおおやけになった。
工場労働に少女も動員された挺身隊イコール慰安婦という誤解、韓国でも近年まで「慰安婦強制連行」という話はなかったという事実、などをある程度矛盾なくつなげ、ストーリーを作るとこうなってしまうのだろう。日本の男は徹底して残虐非道で、韓国の男は徹底して無力卑劣というわけだ。日本からも、誤りを正す声を上げるが、韓国からも、父祖の世代の名誉を守るため、ぜひ異議を唱えてもらいたい。
以上見てきたように、米保守派の間でも、ヤルタ批判、ルーズベルト批判が強まる一方、逆に、東京裁判史観を部分的に補強する、すなわち日本の「人道に対する罪」をより歪曲拡大するような動きも見られる。そうした中、韓国政府は、あらゆる国際的な場で日本非難のキャンペーンを張ると宣言し、行動に移している。中国についてはいうまでもない。
日本も、まず政府の責任において、慰安婦神話を事実に基づいて斥ける英文パンフレットの制作、国連の場などにおける中身に立ち入った反論などを波状的に行う必要がある。あからさまな歪曲を正すというのは、情報戦以前の問題だ。
by xyshimada
| 2007-04-13 01:14
| 論文集
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