週刊現代 1995.8.12号
p34~37
徐裕行被告「村井殺し」を命じた闇の組織の正体

オウムの「自作自演」疑惑が濃厚になっている村井秀夫氏刺殺事件。だが、仮にそうだとしても、オウムと実行犯の徐裕行被告を結ぶ”接点”は判然としていない。どうやらそこには、警察もうかつに手を出せない、巨大な勢力の介在がありそうなのだ。

事件はすでに完結している
 多くの謎に包まれたオウム真理教・村井秀夫「科学技術省」長官刺殺事件で殺人罪に問われた徐裕行被告(30歳)の初公判が開かれた。

  検察側の冒頭陳述によると、徐被告は犯行の3日前、山口組系暴力団羽根組幹部の上峯賢司被告から「包丁でやれ」と命じられ、犯行後の言動についても「やっ たら、その場で逮捕され、右翼・神州士衛館の者だと名乗れ」などと細かな指示を受けていたという。だが注目すべきは、その際、「ある人がお前を期待してい るんだ」と上峯被告がいったという点だ。

 この「ある人」とはいったい誰なのか。

 依然、謎のままだが、こうした事件の背後関係に触れて、警視庁のある捜査関係者はこう漏らすのである。
「こ の事件の捜査ではなかなか具体的な関係が浮かんでこない。それに徐が犯行を認め、何よりも犯行の一部始終がテレビカメラにおさめられているため、刑事事件 としては完結してしまっている。もちろん動機や背後関係も重要だが、具体的な供述が得られない以上、このまま捜査を進めるのは正直むずかしい」

 すでに一部報道では9月から始まる上峯被告の公判を待って、村井氏刺殺事件についてはケリをつけるともいわれている。となると、この刺殺事件の背後関係は謎のまま闇に葬り去られる可能性がますます大なのだ。しかしそれでは、事件の真の解決いはならないのではないか。

  そこで本誌は、これまでつかんだ極秘情報をもとに、徐被告の凶刃に期待していたという「ある人物」と事件の背後にある闇の組織の正体に迫ってみたい。そこ にはやはり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の影がチラついていた。そしてそれは、これまでいわれていた以上に、驚くべきものだったのである。

 まず、あらためて事件の原点に立ち返ってみよう。命題はひとつ。なぜ村井秀夫氏は殺されなければならなかったのか。

 これについて一時、オウムの覚醒剤密造をめぐって暴力団が村井氏の口封じに動いたとの情報が流れていた。つまり、密造に村井氏が深く関わっており、暴力団が、その接点を切ろうとしたというのだ。しかし、どうやら、このセンの可能性は低いようだ。ある暴力団関係者は、
「覚醒剤がらみで”口封じ殺人”なんて考えられん。覚醒剤がバレれば逮捕されたら済むことや。しかし殺人なら最低でも10年はムショ暮らし。そんな割に合わんこと誰もせん」
 と一笑に付す。

 ならば、村井氏が存在することで最も都合の悪いのは誰か。逆に、村井氏の死で、一番トクをしたのは誰か。この素朴な疑問の糸をたぐっていくと、必然的にオウム教団、そしてその頂点に立つ麻原影晃被告に行きつく。

 小誌でこれまで何度も報じてきたように、地下鉄・松本サリン両サリン事件をはじめ、数々の銃ぢ事件に深く関与していたとみられる村井氏の立場と、「口が軽い」といわれていた村井氏の言堂、この二つが「ポア」を招いたのではないかとの疑念は捨てきれない。

信者リストにある同性の女の謎
 村井氏刺殺が教団内部による口封じのための「自作自演」だったとすると、はたしてオウムと実行犯の徐被告はどう結びついたのか。

 これについては現在、オウムから複数の仲介者を経て上峯被告、そして徐被告へとつながるラインが指摘されている。だが、最近になってオウムと徐被告はもっとストレートに結びついていたのではないかとの見方が浮上しているのだ。

 その裏付けの一つになっているのが、徐被告が犯行当日、オウムの女性信者と会っていたという新情報である。

 徐被告は犯行当日の午後4時ごろ、南青山の教団東京総本部近くのコンビニエンスストアでパンを購入しているが、このとき眼鏡をかけた女性と話をかわす場面を目撃されている。この女性がオウム信者だというのである。

 この女性信者は教団「東信徒庁」に所属していたS・Tさん(33歳)。7月上旬に名状等不実記載容疑で赤坂署に逮捕されたが、その後、釈放されている。

 前出の警視庁捜査関係者は、この事実を認めたうえでこう語る。
「徐とこの女性信者を追及したが、両者の供述は『道をたずねた』『道を聞かれた』ということで一致していて、それ以上、詰められなかったんです」

 だが、徐被告と教団を結ぶ線はそれだけではない。実は徐被告の友人関係を調べていくと、もうひとつ意外な線が浮上してきたのだ。

 徐被告は昨年11月ごろから都内世田谷区上祖師谷3丁目の一軒家に友人2人と同居していたが、この家が彼の背後関係を知るうえでカギを握っている。

 同居人のひとりは小学校時代の同級生K・H氏(29歳)、もうひとりはこのK・H氏の高校時代の同級生で、この家を借りていたM・T氏(29歳)である。そして、この家の持ち主は品川区在住のM・Hさんという女性で、3人はいずれも北朝鮮籍である。

 さて、このK・H氏は上峯にK・H氏と同じ姓をもつK・Rさんという女性信者が存在する。「治療省」に所属する25歳の女性だ。これいついて教団側は、
「徐被告の友人というK・Hと、うちの女性信者であるK・Rの関係は分かりかねます。強制捜査以降、信者の個人情報が入手しづらくなっており、プライベートな部分は調べようがない」(外報部)

 という。だが、もし、K・Rさんが徐被告の友人K・H氏と縁戚関係にあるのならば、教団と徐被告を結ぶ線はぐっと縮まることになる。

  初公判の開廷直後、傍聴席最前列に座っていた暴力団員風の男が、突然「頑張れよ、みんな待ってるぞ!」と叫んで、退廷させられるというハプニングが起きた が、この男は実はK・H氏だったのである。これは単なる励ましの言葉だったのか。それとも何か隠された意味があったのだろうか。

 しか し、そうなると、徐被告に村井氏刺殺を命じたとされる上峯被告の存在はどう理解すればよいのか。教団と徐被告が最短で結ばれているとすれば、わざわざ上峯 被告経由で迂回して徐被告に殺人命令が下るというのも不自然な話だ。実は、この上峯被告に関して、こんな情報がある。当の上峯被告が、なぜ自分がこの事件 で逮捕されたのか首をひねっているというのだ。

 上峯被告の弁護人である辻洋一弁護士がいう。
「これはまったくの冤罪だと思います。上峯も『殺人を指示したなどありえない』といっています。犯行の前に徐と会ったのは事実です。しかし、上峯は『徐に頼まれて会った』といっており、会った理由も本件とは無関係なんです」

 これと符号するような別の証言もある。上峯被告を知るある人物が、逮捕直前の彼の様子について、こう語る。

「5 月の連休最後の夜、上峯から電話があり、『治験や警視庁の事情聴取を受けているか、オレはいっさい関係ないということで一件落着しそうだ。これで(羽根組 本部のあった)伊勢に帰るが、落ち着いたら上京する』という話でした。その数日後に逮捕されてしまった。とても、あんな大事件の犯人にされるような口ぶり じゃなかったが・・・・」

上峯被告は利用されたのか!?
 前述した公判での冒頭陳述は、検察が徐被告の自供をもとにその大半を作成したものだ。これを見る限り、徐被告は上峯被告からこと細かく指示され、そのとおりに犯行に及んだことになっている。

 だが、もしも徐被告の供述にウソがあると仮定すると、上峯被告の支持で、徐被告が殺害を実行したという検察側が描いた事件の構図は根底からくつがえってしまう。

 辻弁護士が続ける。
「徐の供述をよく見ると、実は逮捕されるのは誰でもよかったんですよ。たまたま都合のいいところに上峯がいただけで、事件の”本線”をカムフラージュするために上峯が挙げられたんです。
 徐という男は公判を見る限り、ひと筋縄ではいかない人間という印象っです。彼は小学校時代の友人と一緒に暮らしていたといっても、長いブランクをおいて、突然、友人の前に現れている。ちょっと正体不明なところのある人物だと思いますよ」

 まるで徐被告が上峯被告を利用しようとしたといわんばかりだが、たしかにあの犯行直後、テレビに映し出された徐被告の落ちつき払った表情、態度といい、”素人離れ”していたことは否めない。

 冒頭陳述によれば、徐被告は依頼を断ると家族に危害がおよびかねないため、やむなく引き受けたと供述しているようだが、あの確信犯的素振りは、追いつめられた人間のそれではなかった。

 いったい、徐裕行という男は何者なのか。これまでの報道などで伝えられている以上に”大物”なのではないか。そんな疑念が湧いてくる。

 徐被告は’65年、群馬県桐生市に生まれた在日韓国人2世である。都内足立区に転居。足立区立の小・中学校をへて、都立足立工業高校に入学するが、1年で中退している。

 これを見る限り、特別目をひくものはない。ところが、この男の友人・知人関係を調べていくと、実に奇っ怪な人脈系譜が明らかになってきたのだ。

  再び世田谷区上祖師谷3丁目の民家である。家の所有者のM・Hさんは品川区内でクラブ「M」を経営しているが、Mさんには姉がおり、この姉が意外な人物と 結びつく。’85年に韓国国家安全企画部によって検挙された北朝鮮の大物スパイ・辛光洙。日本を拠点に暗躍していたこの「北」のスパイとMさんの姉が、か つて同居していたという事実が判明したのだ。

 韓国安企部の発表資料によると、辛光洙は北朝鮮の金正日書紀の直命により、’73年、日本 に密入国。その後、日本で多数の在日同胞をオルグし、’80年、日本人の男性コック(当時49歳)を巧みに宮崎県青島海岸に誘い、仲間の工作員とともに拉 致し、北朝鮮へ連れ去ったという。さらに本国でそのコックの性格や経歴などを習得した辛は、その日本人に偽装返信して再び密入国。パスポートまで取得し、 以後、オルグした在日スパイらを使って韓国の軍事情報の収集に当たっていた。

 のちに韓国を震撼させたこの大物スパイは一時、Mさんの姉と同居していたばかりか、Mさんが経営する品川区内のクラブでレジ係として働いていたことも明らかになっている。 

大物スパイ辛光洙との接点
 現在、京都に住むMさんの姉がいう。
「辛光洙と私は、’73年冬から’76年夏まで、一緒に暮らしていました。辛を妹の店で働かせてくれと頼んだのは私です。辛は工作資金を稼ぐために日本でクラブをやりたいという狙いで妹に近づきたがったんです。妹も私も、辛が逮捕されるまで、彼の素性は知りませんでした」

 このクラブには徐も出入りしていたのだろうか。当のMさんは、
「徐には会ったこともないし、見たこともありません。今度のことではうちも迷惑を被っているんです」
 と真っ向から否定する。

 それにしても、徐被告の背後関係を調べていくと、予期せぬ「北」の大物スパイが顔を出した。さらに、徐被告の知人の驚くべき証言がある。
「徐の北朝鮮人脈で、あまり登場していない人物にT・Tという男がいる。彼は北朝鮮の対日工作員で何度も本国と日本を往復しているのだが、この人物と徐は知り合いだとわれている。

 そもそも徐は高校中退後、数年の経歴が空白だし、北朝鮮系の人たちが日本で作っている金日成の主体思想研究会のさる支部の責任者だったことがあるという情報もある。さらに、徐が犯行当日、渋谷のホテルで会ったという女の弟がYという男で、これも主体思想研究会の幹部で、行動隊長的存在だと聞いている」

 徐という男、その素性を探ろうとすればするほど謎が深まっていく。かつて大物工作員の辛光洙は、在日朝鮮人姉妹を利用して、スパイ活動を行った。時を異にして同じ人脈の中に徐被告は現れたわけだが、これは果たして偶然なのだろうか。

  徐被告の背後に広がる北朝鮮人脈と呼応するように、オウム真理教にも「北」の影がつきまとっている。教団NO.2で、”裏の首領”早川紀代秀被告は、ロシ ア経由で極秘裏に17回も北朝鮮を訪問していたことが判明している。麻原被告自身も、北の工作員と目される在日朝鮮人実業家と親しい間柄だったともいわれ ている
麻原、早川両被告らが、「村井ポア計画」にこうした”人脈”を使うことを考えたとしたら・・・。

 これだけ「北」の人脈が見え隠れしているにもかかわらず、警察がこの刺殺事件の背後関係捜査を「打ち切り」にするのは、次のような事情があるらしいと、徐被告の周辺を知る在日朝鮮人がいう。
「私のところに事情を聞きに来た公安の関係者に、なぜもっと捜査しないのかと聞いただしたら、『北の人間が絡んでくると、大物政治家のWあたりが口を出してきてやりにくいんですよ』と諦め顔でいっていましたよ」

 前記の「辛光洙スパイ事件」でも、日本人が拉致されたにもかかわらず、’88年に一度、国会で問題にされただけで、その後、国内ではウヤムヤにされたままだ。真実の前に立ちはだかる厚い壁。村井氏刺殺事件も、このまま幕を降ろしてしまうのだろうか。

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週刊現代95年8月12日号34・35
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