朝倉新哉の研究室(旧名 国家戦略研究)
全ては日本を強くするために…
やあ、みなさん、私の研究室へようこそ。
昨年12月16日の記事で、
次世代の党の議員が、在日特権のことを暴露したと述べましたが、
在日特権は、昭和20年代にすでに、国会で取り上げられていたことがわかりました。
>>>
昭和31年3月5日 衆議院社会労働委員会 より
安田巌政府委員:
朝鮮人の方の保護の問題でございますが、
これは現在朝鮮人で保護を受けておりますのが13万7201人でございます。
現在朝鮮人の登録人員が57万7688人でございますので二四%に当っております。
御参考までに日本人の保護率はどうかと申しますと、
大体千人で二十二人でございますから、ちょうど十倍の率になっております。
昭和30年12月14日 参議院予算委員会 より
中山福藏:
この生活保護費を受けている
いわゆる第三国人の連中で、
当時、在日朝鮮人のことを第三国人と呼ぶことがありました。
大東亜戦争で、朝鮮は、戦勝国でもない、敗戦国でもない第三国だ、
ということで、GHQが、第三国人と呼んだ、という説が有力です。
民生委員を脅迫してこれに署名捺印してくれということで、
詐欺的な手段によって
相当にその生活保護費を受けていると承わり、
なおそのうちにはすでに
詐欺罪として起訴されている者もあると承わっているのです。
その反面
日本人がひんぴんとして親子心中をする、
この場合どうも第三国人にのみ寛にして(寛大だということ)、
内地人(日本人を指す)に対しては
非常に生活保護費を供給する点において峻厳じゃないかと考えられます。
厚生大臣、どういうふうにその点をお考えになっておりますか。
昭和30年の時点で
在日は別に普通に収入があっても生活保護も取っている事が指摘されていました。
そしてこのとおり今でも変わらず
「貧しい日本人が親子心中をする」
「在日は脅迫によって生活保護を受け取る」
という現在も指摘される構図が出来ていたことがわかります。
さらに遡れば
昭和25年11月30日 衆議院法務委員会
大橋国務大臣:
今回の騒擾事件発生に至るまでの経緯を申し上げますると、
十一月三十旧午前十時ごろ
神戸市長田区役所に朝鮮人約三百名が押しかけて参りまして、
生活保護法を適用してくれという要求を掲げて、
不法行為に出ましたので、
一名を公務執行妨害に、三十名を外国人登録証明書不携帯として
それぞれ検挙いたしております。
昭和27年4月22日 衆議院行政監察特別委員会
田渕委員:
われわれは京都で調査いたしましたが、たとえばウトロ部隊というものがある。
これは警察の調査で行くと四百人、
市役所の調査で行くと六百人で、
そこに相当の食い違いがあるが、
朝鮮人というものは、米の配給でも二重三重にとつているからである。
これらはほんとうを言うならば米食い虫である。
そしてこの大部分が生活保護法で一箇月二千円の保護を受けている。
しかも脅迫してとっている。
これらが密造してやみをしている。
在日は、密造酒を作って、密売していたので、そのことを指していると思われます。
やみをしている→闇で売っている=密売している、という意味だと思われます。
職安に行けば職安に行くで仕事をやかましく言う。
昭和29年2月16日 衆議院予算委員会
庄司委員:
生活保護法が
日本人でない第三国人等によつて強談、威迫され、集団的な脅迫にあい、
地方町村長等が余儀なく生活保護法を発動して、
相当なる金額を出しておる傾向がございました。
昭和30年5月24日 衆議院社会労働委員会
小島委員:
生活保護の問題で、京都なんかでは、
福祉事務所長が、朝鮮人の要生活保護者というか、
そういう連中におどかされて、
必要もない生活保護費を出しておるところがあることは御承知だと思うのであります。
>>>
↑
http://ttensan.exblog.jp/21243650/から抜粋して引用。
(青字、赤字による強調はブログ主による 緑字はブログ主による補足)
第三国人について、もうちょっと詳しく述べておきます。
①
>>>
1946年の高野による「第三国人」の定義では
「従来日本の支配下にあつた諸国の国民」で
「外国人ではないが、同時に日本人と必ずしも地位を同一にしない」
という当時の主に在日朝鮮人を述べただけのもの
>>>
というわけで、差別的なニュアンスは、なかったのですが、
②
>>>
佐藤勝巳は、
この用語に蔑視、畏怖が含まれるようになったのは、
在日朝鮮人連盟をはじめとして、在日朝鮮人自身が
戦後の混乱期に
「連合国人(戦勝国民)」と自称して
集団強盗、略奪、殴打暴行、破壊、占拠監禁などを日本各地で行っていた事実があり
>>>
①、②ともウィキペディアから引用。
そういうわけで、
第三国人=悪い連中
というイメージができてしまったのです。
よく”終戦直後の混乱期”と言いますが、
なぜ混乱していたかというと、
朝鮮人たちが暴れていたからです。
東日本大震災でも、阪神大震災でも、関東大震災でも、
日本人は、秩序を守り、
外国で起こるような略奪などは、ありませんでした。
なぜ、大東亜戦争の直後だけ、混乱していたのか。
日本人が秩序を守っていても、
日本人でない連中が、大暴れしていたからなのです。
テレビなどで、「終戦直後の混乱期」というフレーズを使っていますが、
これは、朝鮮人が暴れていたことをごまかすために、そう言ってるのです。
第三国人は、様々な悪行を行っていました。
密造酒の製造、密売もその1つです。
そのほんの一例として、神奈川税務署員殉職事件をご紹介します。
>>>
終戦後、極端な米不足のため、正規の酒の生産量が落ち込んでいた。
その間隙を縫って「カストリ酒」なる密造酒が横行しはじめた。
1947年9月現在の密造酒生産量は50万2000キロリットルで、
正規の酒の生産量34万3000キロリットルを大幅に上回っていた。
これは従来のように
農家の自己消費用としての密造酒ではなく、販売を目的とする大掛かりな密造であった。
単に酒税収入の激減のみならず、
米が酒用に転用される分、
主食用の米が減ってしまうので、飢餓が起きる可能性があった。
またこれらの酒の質は劣悪で、
中には有害なメチルアルコールを薄めたものまであったため、
税務当局は健康上の観点からも厳しく取締りを行った。
当時の密造者は、
行政府職員への脅迫により
米の配給を二重三重に受けることによって
密造酒を醸造して闇に流すなどしており、深刻な問題となっていた。
これらを取り締まろうとする税務署に対しては
大勢で押し掛け、取締を行わないよう要求するなど
組織的な妨害活動を繰り広げていた。
事件の発端となった川崎市桜本町では、
集落で堂々と密造酒を製造していた。
税務当局はGHQの指令もあり、一斉捜査を実施することになった。
1947年(昭和22年)6月23日、
税務当局は税務署員88名と検事2名、
警察官206名、占領軍憲兵の応援を得て、一斉取締りを敢行した。
取締りそのものは順調に進み、
100名以上を検挙し、密造酒15,000リットル、
原料、醸造機材などの証拠物件を押収した。
検挙の際には拉致されそうになる職員もあり、税務署が威嚇されることもあった。
端山豊蔵・神奈川税務署間税課長は、現場の責任者として陣頭指揮を執っていた。
京浜川崎駅(現・京急川崎駅)に到着しようとした時、
賊数名が端山課長を取り囲み、
「税務署員か?」と聞いたため、
端山課長が「そうだ」と答えると、いきなり殴る蹴るのリンチを加えた。
端山課長は直ちに病院に収容されたが、3日後に死亡した。
後に犯人は逮捕され、傷害致死罪で懲役7年の実刑判決が下った。
>>>
↑
ウィキペディアから引用。
朝鮮人たちは、
米の配給を二重、三重に受け取ったうえに(しかも脅迫という手段で)、
その米で密造酒を作り、密売していたのです。
しかも、取締りをさせないように圧力をかけ、
捜索を担当していた税務署員を殺すという
めちゃくちゃなことをやっていたのです。
これは、ほんの一例にすぎません。
連中の悪行は、こんなものでは、ありません。
数限りなくあります。
現在の在日たちは、
”先輩”たちが、悪行を重ねていたことを棚に上げて、
いけしゃあしゃあと、こんなことを言っています。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3817a169deb3e288a7327c39f845affaより転載
どの口が言ってんだ、コラ!
それに対する日本人の答えは、こうあるべきです。

http://ameblo.jp/0268160/entry-11493125876.htmlより転載
「仲良くしようぜ」なんてお断り!
と思う方はクリックをお願いします。
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昨年12月16日の記事で、
次世代の党の議員が、在日特権のことを暴露したと述べましたが、
在日特権は、昭和20年代にすでに、国会で取り上げられていたことがわかりました。
>>>
昭和31年3月5日 衆議院社会労働委員会 より
安田巌政府委員:
朝鮮人の方の保護の問題でございますが、
これは現在朝鮮人で保護を受けておりますのが13万7201人でございます。
現在朝鮮人の登録人員が57万7688人でございますので二四%に当っております。
御参考までに日本人の保護率はどうかと申しますと、
大体千人で二十二人でございますから、ちょうど十倍の率になっております。
昭和30年12月14日 参議院予算委員会 より
中山福藏:
この生活保護費を受けている
いわゆる第三国人の連中で、
当時、在日朝鮮人のことを第三国人と呼ぶことがありました。
大東亜戦争で、朝鮮は、戦勝国でもない、敗戦国でもない第三国だ、
ということで、GHQが、第三国人と呼んだ、という説が有力です。
民生委員を脅迫してこれに署名捺印してくれということで、
詐欺的な手段によって
相当にその生活保護費を受けていると承わり、
なおそのうちにはすでに
詐欺罪として起訴されている者もあると承わっているのです。
その反面
日本人がひんぴんとして親子心中をする、
この場合どうも第三国人にのみ寛にして(寛大だということ)、
内地人(日本人を指す)に対しては
非常に生活保護費を供給する点において峻厳じゃないかと考えられます。
厚生大臣、どういうふうにその点をお考えになっておりますか。
昭和30年の時点で
在日は別に普通に収入があっても生活保護も取っている事が指摘されていました。
そしてこのとおり今でも変わらず
「貧しい日本人が親子心中をする」
「在日は脅迫によって生活保護を受け取る」
という現在も指摘される構図が出来ていたことがわかります。
さらに遡れば
昭和25年11月30日 衆議院法務委員会
大橋国務大臣:
今回の騒擾事件発生に至るまでの経緯を申し上げますると、
十一月三十旧午前十時ごろ
神戸市長田区役所に朝鮮人約三百名が押しかけて参りまして、
生活保護法を適用してくれという要求を掲げて、
不法行為に出ましたので、
一名を公務執行妨害に、三十名を外国人登録証明書不携帯として
それぞれ検挙いたしております。
昭和27年4月22日 衆議院行政監察特別委員会
田渕委員:
われわれは京都で調査いたしましたが、たとえばウトロ部隊というものがある。
これは警察の調査で行くと四百人、
市役所の調査で行くと六百人で、
そこに相当の食い違いがあるが、
朝鮮人というものは、米の配給でも二重三重にとつているからである。
これらはほんとうを言うならば米食い虫である。
そしてこの大部分が生活保護法で一箇月二千円の保護を受けている。
しかも脅迫してとっている。
これらが密造してやみをしている。
在日は、密造酒を作って、密売していたので、そのことを指していると思われます。
やみをしている→闇で売っている=密売している、という意味だと思われます。
職安に行けば職安に行くで仕事をやかましく言う。
昭和29年2月16日 衆議院予算委員会
庄司委員:
生活保護法が
日本人でない第三国人等によつて強談、威迫され、集団的な脅迫にあい、
地方町村長等が余儀なく生活保護法を発動して、
相当なる金額を出しておる傾向がございました。
昭和30年5月24日 衆議院社会労働委員会
小島委員:
生活保護の問題で、京都なんかでは、
福祉事務所長が、朝鮮人の要生活保護者というか、
そういう連中におどかされて、
必要もない生活保護費を出しておるところがあることは御承知だと思うのであります。
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↑
http://ttensan.exblog.jp/21243650/から抜粋して引用。
(青字、赤字による強調はブログ主による 緑字はブログ主による補足)
第三国人について、もうちょっと詳しく述べておきます。
①
>>>
1946年の高野による「第三国人」の定義では
「従来日本の支配下にあつた諸国の国民」で
「外国人ではないが、同時に日本人と必ずしも地位を同一にしない」
という当時の主に在日朝鮮人を述べただけのもの
>>>
というわけで、差別的なニュアンスは、なかったのですが、
②
>>>
佐藤勝巳は、
この用語に蔑視、畏怖が含まれるようになったのは、
在日朝鮮人連盟をはじめとして、在日朝鮮人自身が
戦後の混乱期に
「連合国人(戦勝国民)」と自称して
集団強盗、略奪、殴打暴行、破壊、占拠監禁などを日本各地で行っていた事実があり
>>>
①、②ともウィキペディアから引用。
そういうわけで、
第三国人=悪い連中
というイメージができてしまったのです。
よく”終戦直後の混乱期”と言いますが、
なぜ混乱していたかというと、
朝鮮人たちが暴れていたからです。
東日本大震災でも、阪神大震災でも、関東大震災でも、
日本人は、秩序を守り、
外国で起こるような略奪などは、ありませんでした。
なぜ、大東亜戦争の直後だけ、混乱していたのか。
日本人が秩序を守っていても、
日本人でない連中が、大暴れしていたからなのです。
テレビなどで、「終戦直後の混乱期」というフレーズを使っていますが、
これは、朝鮮人が暴れていたことをごまかすために、そう言ってるのです。
第三国人は、様々な悪行を行っていました。
密造酒の製造、密売もその1つです。
そのほんの一例として、神奈川税務署員殉職事件をご紹介します。
>>>
終戦後、極端な米不足のため、正規の酒の生産量が落ち込んでいた。
その間隙を縫って「カストリ酒」なる密造酒が横行しはじめた。
1947年9月現在の密造酒生産量は50万2000キロリットルで、
正規の酒の生産量34万3000キロリットルを大幅に上回っていた。
これは従来のように
農家の自己消費用としての密造酒ではなく、販売を目的とする大掛かりな密造であった。
単に酒税収入の激減のみならず、
米が酒用に転用される分、
主食用の米が減ってしまうので、飢餓が起きる可能性があった。
またこれらの酒の質は劣悪で、
中には有害なメチルアルコールを薄めたものまであったため、
税務当局は健康上の観点からも厳しく取締りを行った。
当時の密造者は、
行政府職員への脅迫により
米の配給を二重三重に受けることによって
密造酒を醸造して闇に流すなどしており、深刻な問題となっていた。
これらを取り締まろうとする税務署に対しては
大勢で押し掛け、取締を行わないよう要求するなど
組織的な妨害活動を繰り広げていた。
事件の発端となった川崎市桜本町では、
集落で堂々と密造酒を製造していた。
税務当局はGHQの指令もあり、一斉捜査を実施することになった。
1947年(昭和22年)6月23日、
税務当局は税務署員88名と検事2名、
警察官206名、占領軍憲兵の応援を得て、一斉取締りを敢行した。
取締りそのものは順調に進み、
100名以上を検挙し、密造酒15,000リットル、
原料、醸造機材などの証拠物件を押収した。
検挙の際には拉致されそうになる職員もあり、税務署が威嚇されることもあった。
端山豊蔵・神奈川税務署間税課長は、現場の責任者として陣頭指揮を執っていた。
京浜川崎駅(現・京急川崎駅)に到着しようとした時、
賊数名が端山課長を取り囲み、
「税務署員か?」と聞いたため、
端山課長が「そうだ」と答えると、いきなり殴る蹴るのリンチを加えた。
端山課長は直ちに病院に収容されたが、3日後に死亡した。
後に犯人は逮捕され、傷害致死罪で懲役7年の実刑判決が下った。
>>>
↑
ウィキペディアから引用。
朝鮮人たちは、
米の配給を二重、三重に受け取ったうえに(しかも脅迫という手段で)、
その米で密造酒を作り、密売していたのです。
しかも、取締りをさせないように圧力をかけ、
捜索を担当していた税務署員を殺すという
めちゃくちゃなことをやっていたのです。
これは、ほんの一例にすぎません。
連中の悪行は、こんなものでは、ありません。
数限りなくあります。
現在の在日たちは、
”先輩”たちが、悪行を重ねていたことを棚に上げて、
いけしゃあしゃあと、こんなことを言っています。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3817a169deb3e288a7327c39f845affaより転載
どの口が言ってんだ、コラ!
それに対する日本人の答えは、こうあるべきです。

http://ameblo.jp/0268160/entry-11493125876.htmlより転載
「仲良くしようぜ」なんてお断り!
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