先日見た憲法審査会が面白かったので是非紹介したい
と言っても長いので今回は憲法前文に関して

2013.5.16 衆議院憲法審査会 →議事録 
動画→http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42759&media_type=fp
案件:日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件
(日本国憲法の各条章のうち、第十章、第十一章及び前文の論点)
16憲法審査会西川京子
西川京子委員 自由民主党の西川京子でございます。
 この前文に関して、私も全面的に書きかえてほしいという思いでおります。
 まず、基本的に、先ほど土屋委員がおっしゃいましたように、占領下でつくられた憲法、いわば日本人に主権のないときに外国人の手によってつくられた憲法が、果たして日本の国の憲法と言えるのかというそもそも論からやはり入るべきだろうと私は思います。
 特に、戦勝国が敗戦国の憲法をつくるという行為は、これは国際法上明らかに違反しているわけですから、国際法上違反の中での与えられた憲法、これは明らかにやはり、少し穏便に言いますと改正ですが、本来は破棄すべきものだろうと私は思っております。

 そういう中でのこの前文の書きぶり、これは、今、前の先生もおっしゃったように、明らかに日本人の手で書かれた日本文ではないということですから、日本人の手による、日本文に照らした書きぶりに変えてほしい、そのことが一番大きな申し上げたい点です。

 そして、いわば占領国の大きなもくろみであった、日本人の精神性をだめにするということが最大目的であったわ けですから、その中で日本の伝統とか文化、歴史を否定する、これが一つの大きな眼目の中での憲法ですから、やはりこれを取り戻す。今、安倍内閣は、日本を 取り戻す、これが一番の、最大の目的ですので、日本の伝統、皇室をいただく二千年の歴史のある日本の国柄を明確に出す必要があると思います。

  その中で、日本の伝統と文化、このことをしっかりと伝えていく精神、そしてそれは、次の世代の子孫にも伝えていくという明確な意思とともに、実は、先祖か ら、その長い年月を生きてきた日本人の祖先の人たちの思いも込めた、そういう縦のつながりを連想できるような書きぶりにすべきだろうと私は思います。

  そういう中で、特に、前文とはちょっとあれですが、憲法の十条から四十条まで、国民の権利と義務にも問題の書きぶりがありますが、この三十条の中で、義務 に関してはたった三条しか書いていない。それも、あとの二条、教育と勤労は権利と義務と両方を書き込む中で、義務としては納税の義務しか書いていないわけ です。

 私たちは、あのケネディも言ったように、この国から何をしてもらうかではなく、この国に何ができるかを考えよう、いわば前向きな 国民としての意思、それは明らかに、するべきこととしてもらうべきことを明確に平等な量で書くべき、前文にも、ぜひ国に対するそういう思いを書き込んでい ただきたい、そんな思いでおります。

 そして、先ほど鳩山先生もおっしゃいました和の精神。自然の全てに神を感じるような、日本人は決して無宗教な国民ではありません。 ある意味では世界で一番宗教心の深い国民だと思います。そういう自然のあらゆるものに神秘性、神を感じるような書きぶり、それがこれからの地球、自然環境 を救う一番の肝だと思いますので、そういう自然観とか和の精神、それをぜひ書き込んでいただきたいと思います。 以上です。
16憲法審査会中谷元
中谷元委員  現行憲法の前文は、今の日本人、どれくらいの人が暗記をして言えるんでしょうか。私も何度も何度もトライをしておりますが、読みにくい、なじみにくい。そ して、中学生や小学生にとっても難解で、恐らく学校の先生にとってもどう教えていいのやら、その真意も非常に伝わりにくいものでございます。

 改めてこの中身を吟味してみますと、まさに継ぎはぎ、ぱくりの連続で、国の背骨、国民の意思というものが感じられません。

  例えば、「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の 惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」これは、アメリカ憲法の「われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し、確定する。」というところから来ています。

 そして、同じ段落で、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」これは、アメリカのリンカーン大統領の「人民の、人民による、人民のための政治」、これのぱくりであります。
 第二段落は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これは、マッカーサー・ノートの「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。」というものそのものであります。

 また、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」これは、テヘラン宣言の中の、我らは、専従と隷属、圧迫と偏狭を除去しようと努めている、大小全ての国家の協力と積極的な参加を得ようと努めているという文章に酷似しています。

 また、その後、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」これは、大西洋憲章の中の「すべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されて、その生命を全うすることを保証するような平和が確立されることを希望する。」という内容であります。

 そして、最後の締めくくりにおいて、今の憲法では、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」これは、アメリカの独立宣言に「われらは、相互にわれらの生命、財産及びわれらの神聖な名誉にかけ、神の摂理の保護に強く信頼して、この宣言を擁護することを誓う。」と。
 まさにこういったところから引用されたものでありまして、あれから六十六年たちましたが、いまだにこの真意が国民に理解をされていないし、国民になじんだものになっていないと考えます。

  したがいまして、主権国家として、日本人がみずからの意思でこの前文をどう考えるのか、どう判断するのか。やはり、この憲法をどう考えるかということを考 えれば、この前文がどうあるべきかということがいろいろな意見として出てくるわけでありまして、そういった意見をまとめて、そして文章を掲げて、そしてみ ずからの国に誇りを持って、自分の国にふさわしい憲法であることを一度国民投票によって確認する。原文のままならそれでもよろしいんだけれども、もう少し 現代風にわかりやすく、そしてその要点を書いた文章を提示する。そういったことで、国民の投票によって前文を決定することも必要ではないかなというふうに 考えます。
 以上です。
16憲法審査会笠井亮
日本共産党笠井亮議員と言えば朝鮮王室儀軌返還して韓国から表彰された議員である
仏像はほんの始まり 

笠井亮委員 幾つか述べたいと思うんです。
 今もしきりに前文をつくり直すという話があったんですが、その中で、この憲法がどういう中でできたか。占領下でという話だけがされるんですけれども、やはり一番のポイントというのは、日本が侵略戦争をやって、植民地支配をやって、それが断罪された、そしてポツダム宣言を受諾して、東京裁判の判決も受諾するという状況があるわけですから、そういう全体的な状況の中でこの憲法ができたということをしっかり踏まえないと、あの戦争でどうしたかという問題がなしに占領下でやったからけしからぬみたいな話だけしていると、全然話にならないと私は思うんです、あの経過も踏まえていないと。

 今るる、何かぱくり、ぱくりという話がありましたが、そうした戦前の反省があって、そして日本がそういう道を再びとらないと いうことが国際社会からもあって、そういう中で、とにかく人類の到達である普遍的な原理を盛り込んだという、むしろ積極的なものが憲法だ。それは、外国か らだけのものじゃなくて、戦前にもやはり進歩的な伝統があって、そういうものも反映して、そしてそれが結局、国会で議論されて、審議されて、自民党の先輩 たちもそれに賛成をしてつくってきた憲法だということだと思うので、なじんでいないじゃないかと言いますけれども、なじんでいます。
(後略)

西川京子委員 笠井委員に反論したいと思います。
 これは憲法議論の場所ですから、余りこの前の戦争の解釈論をするつもりはありませんが、明らかに間違っていらっしゃるので、一言申し上げたいと思います。

  侵略戦争と決めつけられたのは、東京裁判においてのみです。それ以前に侵略戦争という概念はありません。侵略戦争と決めつけた東京裁判は、まさにマッカー サーの意向そのものです。そのマッカーサーそのものが、昭和二十八年、アメリカの外交軍事委員会で、あの戦争は日本にとって安全保障のための戦争だったと はっきり証言しています。

 ですから、今、侵略戦争と決めつけた前提条件でこの憲法を規定するのは明らかに間違いで あって、侵略という定義自体も、今、学説ではしっかりしていません。それだったら、今まで世界の歴史はずっと侵略戦争の歴史ですよね。そういう中で、日本 だけがそうやって決めつけられてきたことがまさに東京裁判史観であって、東京裁判史観に侵されているのが笠井先生じゃないんですか。 以上です。

辻元清美委員(前略:画像も略)
 前文についてですが、普遍的な価値を憲法に体現していくべきなのか、それとも、道徳とか伝統や文化という、ある意味主観が入るものまで憲法に書き込むのかというのは、一般的な議論としてもよくなされるものです。

  私は、憲法というのは普遍的価値を基本に置くべきものである、例えば家族を守ろうとか、道徳的または規範みたいなものについては別のところに委ねる、憲法 というのは何人が見ても普遍的価値であるというもので構成されるべきだと思っておりますので、前文についても同じ考え方で、我が国の固有の伝統というのは 一体何なのか、誰が判断するのかとなりますので、普遍的価値の現在の前文に対して何かつけ加える、または変更する必要はないと思っております。

 特に今、グローバル時代に入っています。このグ ローバル化の時代で、どこの国も、一民族一政治形態、一民族一国家形態ではない時代に入っています。隣の韓国なども今移民の議論がされておりますけれど も、物すごく多国籍にこれから踏み出していく時代の中で、やはり、一民族一政治形態でないけれども、皆でどういうように共存していくかという基本的な権利 の保障が憲法である、さらにその時代は加速されるのではないかと私は考えております。
 その意味において、私は、今の前文がまだまだそれにたえ得るのではないかと考えておりますので、これにあえて何か価値を伴うものを入れていくということには反対です。 以上です。

16憲法審査会土屋正忠
土屋正忠委員
(前略)
アメリカが占領国の中心だったわけでありますが、これがつくった憲法を相当擁護しているわけでありますが、私など長い間政治の中で若いころから生きてきた者からすると、かつて共産党の皆さんは、アメリカ帝国主義に対して相当反発をしておられた。それから、武装中立とか、核にもよい核と悪い核があるなどという発言をされておられましたね。とても変わったなと率直に言って思っている次第でございます。

 それから、辻元議員がおっしゃった、前文では普遍的価値だけを書くべきで、各国の価値を伴うものを書くべきでないとの御意見でございますが、これは辻元議員がいらっしゃらなかったときに同様の議論をいたしております。

 そのとき、法制局にお願いしたのは、イスラム共和国のように、イスラムの理論をはっきりと明示している国々があるわけであります。これらの国々は、まさに辻元議員がおっしゃったことと逆な、固有の価値を憲法に書き込んでいるわ けであります。そのほか、今回の資料で出されましたものの中には、スイスの中にも神、ドイツの中にも神という言葉が出てまいりますし、オーストラリアに 至っては、「畏れ多くも全能の神の」、こういう固有の価値観が入っているわけであります。さらに、中国の前文によると、孫文、マルクス・レーニン、毛沢東 思想、トウショウヘイ理論、これほど明快な価値観の入った憲法はないわけであります。

 こういったことに対して、それはとんでもないと辻 元議員がおっしゃるなら、それはそれとして、御意見として承りますが、かつてUSSRの憲法の中にも同様な記述がございました。私も、いろいろな憲法があ るものだなと若いころ思ったところでございます。こういうものに対して、普遍的価値だけを記載するということはいかがなものか、このように考えておりま す。
(略)
 さらにつけ加えて申し上げますれば、一九四三年、当時のルーズベルト大統領が四つの自由ということを一般教書演説で行いまし た。この中には、信教の自由、言論と表現の自由と並んで、この前文にあります恐怖からの自由、欠乏からの自由、これを四つの自由と規定をしたわけでありま す。まさにルーズベルトさんからいただいた憲法だという感じが率直にいたします。

  もちろん、普遍的な価値観についてこれからも堅持するということは、自民党も同様な立場でありますし、私もそれは大事にしなきゃならないだろうと思いま す。しかし、全世界の中においては、恐怖にさいなまれる人もいっぱいいます。そういう国もあるじゃないですか。どことは言わないけれども、この間、核実験 して東京を火の海にするなんて言った国なんか、恐怖と欠乏にさいなまれているんじゃないですか。私は、こういうことを現実の問題として見なければならな い、このように考えているわけであります。

 そして、大事なことは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を 保持しようと決意した。」となるわけでありますが、同時に、今まで日本の自衛隊が戦場で一人も死んでいなかったということを強調する方がいます。ありがた いことです。しかし、同時に、これは米軍の後ろ盾があったればこその平和ではないでしょうか。

 だから、逆に言えば、前文は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、同時にまた、米軍の力によって我らの安全と生存を保持しようと決意したというのが、戦後の歴史の実態ではないでしょうか。これでいいのかということが、我々が問われていることではなかろうかと思います。

  オバマは、二〇〇九年十二月十日のノーベル平和賞受賞記念演説の中で、私は二つの戦争の最中にある国の軍事最高司令官であると。ガンジーとキングの名前を 挙げて、ガンジーやキングは非暴力を主張したけれども、このガンジーやキングだけではヒトラーの進撃はとめられなかった、こういうことを言って、核の持つ 正当性、軍事力の持つ正当性について触れているわけであります。まさに責任ある国家の指導者というのは、こういうことをいうんだろうと思います。

 私たちは、平和が永続することを期待しますが、しかしまた、自国の独立と平和、自国民の安全、こういったことに対してきちっと責任を持つ時代が来たのではないでしょうか。
 この憲法ができたときは、核を持っていたのはアメリカだけであります。ミサイルを持っていたところもどこにもないわけであります。今や、核を持つ国は世界で八カ国、九カ国と言われております。また、ミサイルは、あの近くの国でさえ持っているわけであります。
 こういう問題をどうするかということに真正面から取り組まないと、現実の国会議員として何をやっているのか、私は、そういう批判が来ることを恐れます。


憲法は英語ではconstitution
この言葉は構造とか成り立ちとか、基礎となるものという意味で
日本国は
「継ぎはぎ、パクり」で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、同時にまた、米軍の力によって我らの安全と生存を保持しようと決意した」「ルーズベルトさんからいただいた憲法」
という土台の上にあるということだ

何と空疎なconstitutionだろう

辻元清美議員は正直変な人だとしか思えなかったが、発言内容を見ると
実はこの憲法を忠実に体現した人なのではないかと
これはチャンネル桜水島社長の村上春樹論に通じるものがある
歴史を背負う覚悟のない芸術は衰退するのみ

教育勅語の精神に立ち返るべきかと思う
教育勅語 普遍を求めて

日本の長い歴史から見れば日本国憲法などほんの一時期
いわゆる西欧の「民主主義」もたかが数百年
本来日本のよって立つ土台はもっと深く揺るぎない
自分には占領憲法は孫悟空の輪のような呪縛に思える