反日はどこからくるの
反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。
北朝鮮帰国事業
【特集】北送から50年―対談 坂中英徳・姜昌萬 (上)
9万3340人が「地上の楽園」を夢見て海を渡った
1959年12月14日、新潟港から在日朝鮮人238世帯・975人を乗せたクリリオン号とトボルスク号が、北朝鮮・清津に向け出港した。世に言う北送事業(帰国事業)の第1便だった。その後、84年までの25年間で9万3340人が「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮に渡った。第1便の出港から50年。北送事業とは何であったのか。坂中英徳・移民政策研究所所長と姜昌萬・本紙発行人が北朝鮮帰国者問題の本質に迫る。


⑤在日コリアンの中には生活保護受給者や共産主義者が多かった
→吉田茂=マッカーサー往復書簡
60余年前にとうに結論は出ていたわけである
参考
北送阻止隊 (残念ながら動画は削除されている(/_;) 北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的 北朝鮮帰国問題の背景2 「人質」になった帰国者 北朝鮮帰国問題の背景3 「帰国事業」に日本はどう関わったか
9万3340人が「地上の楽園」を夢見て海を渡った
1959年12月14日、新潟港から在日朝鮮人238世帯・975人を乗せたクリリオン号とトボルスク号が、北朝鮮・清津に向け出港した。世に言う北送事業(帰国事業)の第1便だった。その後、84年までの25年間で9万3340人が「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮に渡った。第1便の出港から50年。北送事業とは何であったのか。坂中英徳・移民政策研究所所長と姜昌萬・本紙発行人が北朝鮮帰国者問題の本質に迫る。


【北朝鮮帰国事業とは】
―北朝鮮帰国者問題とは何だったのか。
坂中 北朝鮮帰国事業は東西冷戦時代の産物だった。帰国した在日コリアンの97%は南(韓国)出身者と日本生まれだ が、北朝鮮を「祖国」ということにして彼らを拉致・連行したものだ。在日韓国人は韓国に自由に帰国できたが、それを金日成指示の帰国運動で北朝鮮に「帰 国」するように仕向けた。1958年7月、金日成はソ連の臨時代理大使との会談で、「日本在住のすべての同胞が自ら祖国に帰ってくるよう勧めている」と 語っている。朝鮮戦争の最中、ソウルを占拠した北朝鮮軍は、韓国人研究者や技術者9万6000人を北朝鮮に連行した。
姜 それと同じことを8年後に在日コリアンにした。
坂中 しかし、約200人の帰国者が日本に舞い戻っているという事実は、まやかしの帰国運動に起因する問題が現在に至るまで存在していることの何よりの証 拠。それによって、帰国者問題は日朝間の現在進行形の人道移民問題に発展した。このことの持つ意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
姜 11月16日付の朝鮮新報によると、朝鮮赤十字会中央委員会のキム・ヨンホ部長は、北送が金日成の指示だったことを認めている。「帰国実現は首領様が 創始なさった主体的な海外僑胞史上の輝かしい具現だ」と。南北対立や日本の朝鮮人差別など、帰国理由を挙げればきりがない。しかし、金日成の意図は明白。 「韓国」が祖国の韓国人を「帰国の形」を装って北朝鮮に連れ出すことだった。
【日本人教師も薦めた】
坂中 おっしゃるとおりです。東西冷戦で資本主義の韓国と共産主義の北朝鮮の対立が激化する中、北朝鮮は本来韓国に帰るべき韓国人を獲得しようとしたのだ。北朝鮮に連行した。金日成はこれによって北朝鮮の政治的立場が強まると考えていた。
姜 私は当時、大阪の市立中学校の3年生だった。朝鮮人の担任であった先生は毎日朝から「北朝鮮は素晴らしい」と話していた。
坂中 ぼくの田舎の中学校でも日教組の先生が在日コリアンの生徒を呼んで「北朝鮮に帰るように」と勧めていた。当時、ジャーナリストも文化人も共産主義シンパが多かったから、「韓国はダメだが、北朝鮮はいい国だ①」と言っていた。
姜 「南朝鮮は米国の支配下で貧しい国。北朝鮮は工場がたくさんあって発展した国」という宣伝の大合唱だった。
坂中 日本人の先生に感化された子どもが親を説得する。「北朝鮮に帰ろう、帰ろう」と。
姜 先生に勧められて帰った人はかなりいる。
坂中 学校の先生が帰国運動に荷担した事実は、確認しておきたい。
姜 日本に生活基盤をしっかり築いていた人たちも帰った。資産を売った人は一部いるが、ほとんどの人は朝総連に寄付した。
坂中 祖国愛という一面もあったのでしょうね。
姜 それもあったでしょう。ただ、7割ほどの人はよりよい生活を求めて帰って行ったのだと思う。残りの3割は祖国再建のために身を捧げようと思って帰ったのではないか。それに、しばらくすれば日本に帰れると信じていた。
坂中 英徳=1945年生まれ。元東京入国管理局長(05年退職)。現在、移民政策研究所②所長兼人道移民支援センター代表。著書『今後の出入国管理行政のあり方について』(1989年、日本加除出版)ほか、『脱北帰国者支援は私の使命』、『日本型移民国家の構想』などの小冊子で、今後50年で1000万人の移民受け入れなどを提言。
(聞き手=溝口恭平)統一日報2009.12.11
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=50570&thread=08
【特集】北送から50年―対談 坂中英徳・姜昌萬 (下)
帰国事業に対する総括の時
【「身代金」を脅し取られて】
坂中 日本人妻も3年すれば里帰りできると朝鮮総連に言われたから北朝鮮に渡った。北朝鮮主導の統一が近いことも盛んに言われていた。そうなれば韓国と自由に往来できると。
姜 実は今日、帰国運動を金日成による「壮大な拉致・監禁」と看破されたうえ、脱北帰国者の定住支援や活動③をされる坂中代表に感謝を申し上げたかった。また、代表は近く新潟港において帰国運動の犠牲者を慰霊する追悼法要を営まれる。われわれ在日韓国人がすべきことであるのに。
坂中 私が行っている支援の原点は、75年の「坂中論文」にある。その中で帰国者問題について「在日朝鮮人は特別な理由がない限り地縁・血縁関係が希薄で社会・経済体制が異なる本国に帰る可能性は少ない」と指摘した。それから今日まで関心を持ち続けてきた。
姜 当時は「在日コリアンの同化政策だ」と憤った一人だった。今になると、その内容はことごとく当たっていた。
坂中 1980年代後半には、在日コリアンも帰国運動の被害者であると認識していた。家族や友人が強制収容所に入れられたり、処刑されたりしたばかりか、 肉親を人質にとられ、北朝鮮政府から多額の賄賂を要求された。工作員の手先になるように脅迫されたりもした。法的地位や表面的な生活レベルが向上しても、 帰国者問題を解決しなければ在日コリアンが心から幸せになることはない。そのように考えていた。13日のフォーラムと14日の「『あの日を忘れない』新潟 港追悼集会」は、これまで北朝鮮帰国者問題に取り組んできた私の集大成だ。
姜 北に渡った帰国者の実態が明らかになった今でも、総連は祖国が犯した大きな過ちを総括していないし、本国との関係も正していない。自由に物が言える日本に住んでいながら、在日コリアンは帰国運動を糾弾する声を上げていない。恥ずかしいかぎりだ。
坂中 70年代後半になると、北朝鮮当局の指示で帰国者から50万~100万円単位の現金を送ってほしいという手紙が日本の家族に届くようになる。金を送 ればいいところに住まわせてやるが、送らなければ収容所行きだと。そのときに家族が団結して「そんな理不尽な金は送らない」という態度を示さなかったか ら、在日コリアンは北朝鮮政府に「身代金」を脅し取られる存在に変わり果てた。
姜 総連の支部単位で○○支部はいくら、○○支部はいくらという割り当てがあった。
坂中 金正日に「人質政策はカネになる」と印象づけることになった。政府首脳に億単位の金を送る人まで現れた。
姜 今も北朝鮮の人質政策に唯々諾々と従って巨額の身代金を送っている商工人がいる④。
【同胞を人質にする北】
坂中 在日朝鮮人を厄介者と見ていた日本政府も「北朝鮮に帰りたければどうぞ」と、帰国を容認した。在日コリアンの中には生活保護受給者や共産主義者が多かったから渡りに船だった。もっとも国際法上、帰国を止めようとしても止められなかった⑤のだが。
姜 とにかく、在日コリアンから身代金に反対する動きは出なかった。その点、日本人拉致被害者家族は違う。
坂中 拉致被害者家族は全員の救出を目指し、団結して問題の解決に当たっている。一部の人は帰ってきたが、全員の帰国まで活動を続けることで一致している。
姜 在日社会でも当初は民団の有志による反対運動があった。しかし、肝心の総連側からは、帰国運動の悲劇を知っていても何の動きもない。身内の帰国者だけがよければいいという考えで、黙って送金を続けている。
― 在日韓国・朝鮮人の運動で大きなものとして指紋押捺反対運動と地方参政権獲得運動がある。
姜 それらとは比較にならないほど、北送の総括と北朝鮮の責任追及は重要な問題だ。自らの親類・縁者が拉致され、帰ってこられないのだから。地球上にこんな国がほかにあるのか。民族の恥だ。
坂中 祖国に帰って迫害され、かつて差別を受けた国に帰ってくる。このような国際人口移動の例は現代史にない。同胞を人質にして、海外の家族から身代金を取るような政府も聞いたことがない。
【一致して帰国者の解放を】
坂中 脅迫すれば大金が転がり込むことを知った北朝鮮は、国民の福祉に何ら関心を示さず、産業基盤の整備にも輸出の振興にもつとめようとはしなかった。国 家主義まで不法行為をエスカレートさせて国際社会から援助を取り付ける対外政策と、「脅し」を駆使して海外から金品を調達する政策の基本は今も変わってい ない。
姜 金日成指示の帰国運動から北朝鮮のとんでもない国家体質が形成されたのだが、総連系の同胞はその事実を知りながら陰では反対の声はあったが、北朝鮮の言いなりになってきた。
―北朝鮮の全体主義体制を糾弾しなかったマスコミや、北送を後押しした日本政府の責任は。
坂中 日本政府や日本のマスコミの責任は小さなものだ。金日成に騙されたのだ。朝鮮総連すら本国政府に騙されていた。子供を「帰国」という形で金日成に差 し出すよう強要された朝総連幹部たちは被害者の一面もある。問題の本質は、北朝鮮に渡った人たちに対して北朝鮮政府が行った残酷きわまる仕打ちだ。貧しく ても平等に扱い、ある程度の自由が与えられていれば、日本に戻ってくる人はいなかったはずだ。
姜 同感だ。北送されるまでのプロセスも指摘すべきだが、一番の問題は入国後に北朝鮮政府がやったことだ。
坂中 姜社長は「地上の楽園」の話に騙されて北に渡った人が7割ほどだったというが、彼らにも責任がなかったわけではない。将来のこととかいろいろな思惑があって帰国を決めたのだから。
姜 そう。自己責任はある。
坂中 しかし、責任論をいくら言っても問題の本質は明らかにされない。帰国者が北朝鮮で受けた前代未聞の処遇、世界に例のない迫害を加えた北朝鮮政府の所業を直視するべきだ。北朝鮮の現住民も帰国者を眼の敵にして排斥した。それも問題だ。
姜 最も悪いのは金日成・金正日政権だ。北送50年の節目を期して、心ある在日コリアンは帰国者全員の解放を目指して立ち上がらなければならない。また、帰国者問題の本質を日本の内外に知らせることも課題だ。
統一日報2009.12.11
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=50571&thread=08
①韓国はダメだが、北朝鮮はいい国だ
→韓国民主化運動という赤化運動
②移民政策研究所

http://jipi.or.jp/
一般社団法人 移民政策研究所
人口崩壊の迫る日本は、移民革命に国運を賭けるしかない。(←破綻済の人口デフレ論ですか呆
「観光立国は移民立国につながる」(←対馬は仏像盗まれたんですが責任とっていただけます?
→「観光立国」から脱却しよう
③脱北帰国者の支援は将来の禍根にしかならないので即刻やめるべきである
例)密入国の済州島難民の息子が反日活動家に
→辻褄が合わないのは仕様です
日本は日韓基本条約において韓国を「朝鮮半島唯一の合法政府」として締結したのであって彼らの処遇は韓国政府の責任であり日本には一切ない
④巨額の身代金を送っている商工人
北朝鮮から勲章をもらったモランボン創業者全演植氏
→モランボンは北朝鮮企業 市民の党が事務所にしていた龍伸ビル所有の具次龍氏などが典型例であろう
→「東アジア共同体」と斎藤まさし→ジンギスカンだるま 脱税&不正送金&北朝鮮から勲章
―北朝鮮帰国者問題とは何だったのか。
坂中 北朝鮮帰国事業は東西冷戦時代の産物だった。帰国した在日コリアンの97%は南(韓国)出身者と日本生まれだ が、北朝鮮を「祖国」ということにして彼らを拉致・連行したものだ。在日韓国人は韓国に自由に帰国できたが、それを金日成指示の帰国運動で北朝鮮に「帰 国」するように仕向けた。1958年7月、金日成はソ連の臨時代理大使との会談で、「日本在住のすべての同胞が自ら祖国に帰ってくるよう勧めている」と 語っている。朝鮮戦争の最中、ソウルを占拠した北朝鮮軍は、韓国人研究者や技術者9万6000人を北朝鮮に連行した。
姜 それと同じことを8年後に在日コリアンにした。
坂中 しかし、約200人の帰国者が日本に舞い戻っているという事実は、まやかしの帰国運動に起因する問題が現在に至るまで存在していることの何よりの証 拠。それによって、帰国者問題は日朝間の現在進行形の人道移民問題に発展した。このことの持つ意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
姜 11月16日付の朝鮮新報によると、朝鮮赤十字会中央委員会のキム・ヨンホ部長は、北送が金日成の指示だったことを認めている。「帰国実現は首領様が 創始なさった主体的な海外僑胞史上の輝かしい具現だ」と。南北対立や日本の朝鮮人差別など、帰国理由を挙げればきりがない。しかし、金日成の意図は明白。 「韓国」が祖国の韓国人を「帰国の形」を装って北朝鮮に連れ出すことだった。
【日本人教師も薦めた】
坂中 おっしゃるとおりです。東西冷戦で資本主義の韓国と共産主義の北朝鮮の対立が激化する中、北朝鮮は本来韓国に帰るべき韓国人を獲得しようとしたのだ。北朝鮮に連行した。金日成はこれによって北朝鮮の政治的立場が強まると考えていた。
姜 私は当時、大阪の市立中学校の3年生だった。朝鮮人の担任であった先生は毎日朝から「北朝鮮は素晴らしい」と話していた。
坂中 ぼくの田舎の中学校でも日教組の先生が在日コリアンの生徒を呼んで「北朝鮮に帰るように」と勧めていた。当時、ジャーナリストも文化人も共産主義シンパが多かったから、「韓国はダメだが、北朝鮮はいい国だ①」と言っていた。
姜 「南朝鮮は米国の支配下で貧しい国。北朝鮮は工場がたくさんあって発展した国」という宣伝の大合唱だった。
坂中 日本人の先生に感化された子どもが親を説得する。「北朝鮮に帰ろう、帰ろう」と。
姜 先生に勧められて帰った人はかなりいる。
坂中 学校の先生が帰国運動に荷担した事実は、確認しておきたい。
姜 日本に生活基盤をしっかり築いていた人たちも帰った。資産を売った人は一部いるが、ほとんどの人は朝総連に寄付した。
坂中 祖国愛という一面もあったのでしょうね。
姜 それもあったでしょう。ただ、7割ほどの人はよりよい生活を求めて帰って行ったのだと思う。残りの3割は祖国再建のために身を捧げようと思って帰ったのではないか。それに、しばらくすれば日本に帰れると信じていた。
坂中 英徳=1945年生まれ。元東京入国管理局長(05年退職)。現在、移民政策研究所②所長兼人道移民支援センター代表。著書『今後の出入国管理行政のあり方について』(1989年、日本加除出版)ほか、『脱北帰国者支援は私の使命』、『日本型移民国家の構想』などの小冊子で、今後50年で1000万人の移民受け入れなどを提言。
(聞き手=溝口恭平)統一日報2009.12.11
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=50570&thread=08
【特集】北送から50年―対談 坂中英徳・姜昌萬 (下)
帰国事業に対する総括の時
【「身代金」を脅し取られて】
坂中 日本人妻も3年すれば里帰りできると朝鮮総連に言われたから北朝鮮に渡った。北朝鮮主導の統一が近いことも盛んに言われていた。そうなれば韓国と自由に往来できると。
姜 実は今日、帰国運動を金日成による「壮大な拉致・監禁」と看破されたうえ、脱北帰国者の定住支援や活動③をされる坂中代表に感謝を申し上げたかった。また、代表は近く新潟港において帰国運動の犠牲者を慰霊する追悼法要を営まれる。われわれ在日韓国人がすべきことであるのに。
坂中 私が行っている支援の原点は、75年の「坂中論文」にある。その中で帰国者問題について「在日朝鮮人は特別な理由がない限り地縁・血縁関係が希薄で社会・経済体制が異なる本国に帰る可能性は少ない」と指摘した。それから今日まで関心を持ち続けてきた。
姜 当時は「在日コリアンの同化政策だ」と憤った一人だった。今になると、その内容はことごとく当たっていた。
坂中 1980年代後半には、在日コリアンも帰国運動の被害者であると認識していた。家族や友人が強制収容所に入れられたり、処刑されたりしたばかりか、 肉親を人質にとられ、北朝鮮政府から多額の賄賂を要求された。工作員の手先になるように脅迫されたりもした。法的地位や表面的な生活レベルが向上しても、 帰国者問題を解決しなければ在日コリアンが心から幸せになることはない。そのように考えていた。13日のフォーラムと14日の「『あの日を忘れない』新潟 港追悼集会」は、これまで北朝鮮帰国者問題に取り組んできた私の集大成だ。
姜 北に渡った帰国者の実態が明らかになった今でも、総連は祖国が犯した大きな過ちを総括していないし、本国との関係も正していない。自由に物が言える日本に住んでいながら、在日コリアンは帰国運動を糾弾する声を上げていない。恥ずかしいかぎりだ。
坂中 70年代後半になると、北朝鮮当局の指示で帰国者から50万~100万円単位の現金を送ってほしいという手紙が日本の家族に届くようになる。金を送 ればいいところに住まわせてやるが、送らなければ収容所行きだと。そのときに家族が団結して「そんな理不尽な金は送らない」という態度を示さなかったか ら、在日コリアンは北朝鮮政府に「身代金」を脅し取られる存在に変わり果てた。
姜 総連の支部単位で○○支部はいくら、○○支部はいくらという割り当てがあった。
坂中 金正日に「人質政策はカネになる」と印象づけることになった。政府首脳に億単位の金を送る人まで現れた。
姜 今も北朝鮮の人質政策に唯々諾々と従って巨額の身代金を送っている商工人がいる④。
【同胞を人質にする北】
坂中 在日朝鮮人を厄介者と見ていた日本政府も「北朝鮮に帰りたければどうぞ」と、帰国を容認した。在日コリアンの中には生活保護受給者や共産主義者が多かったから渡りに船だった。もっとも国際法上、帰国を止めようとしても止められなかった⑤のだが。
姜 とにかく、在日コリアンから身代金に反対する動きは出なかった。その点、日本人拉致被害者家族は違う。
坂中 拉致被害者家族は全員の救出を目指し、団結して問題の解決に当たっている。一部の人は帰ってきたが、全員の帰国まで活動を続けることで一致している。
姜 在日社会でも当初は民団の有志による反対運動があった。しかし、肝心の総連側からは、帰国運動の悲劇を知っていても何の動きもない。身内の帰国者だけがよければいいという考えで、黙って送金を続けている。
― 在日韓国・朝鮮人の運動で大きなものとして指紋押捺反対運動と地方参政権獲得運動がある。
姜 それらとは比較にならないほど、北送の総括と北朝鮮の責任追及は重要な問題だ。自らの親類・縁者が拉致され、帰ってこられないのだから。地球上にこんな国がほかにあるのか。民族の恥だ。
坂中 祖国に帰って迫害され、かつて差別を受けた国に帰ってくる。このような国際人口移動の例は現代史にない。同胞を人質にして、海外の家族から身代金を取るような政府も聞いたことがない。
【一致して帰国者の解放を】
坂中 脅迫すれば大金が転がり込むことを知った北朝鮮は、国民の福祉に何ら関心を示さず、産業基盤の整備にも輸出の振興にもつとめようとはしなかった。国 家主義まで不法行為をエスカレートさせて国際社会から援助を取り付ける対外政策と、「脅し」を駆使して海外から金品を調達する政策の基本は今も変わってい ない。
姜 金日成指示の帰国運動から北朝鮮のとんでもない国家体質が形成されたのだが、総連系の同胞はその事実を知りながら陰では反対の声はあったが、北朝鮮の言いなりになってきた。
―北朝鮮の全体主義体制を糾弾しなかったマスコミや、北送を後押しした日本政府の責任は。
坂中 日本政府や日本のマスコミの責任は小さなものだ。金日成に騙されたのだ。朝鮮総連すら本国政府に騙されていた。子供を「帰国」という形で金日成に差 し出すよう強要された朝総連幹部たちは被害者の一面もある。問題の本質は、北朝鮮に渡った人たちに対して北朝鮮政府が行った残酷きわまる仕打ちだ。貧しく ても平等に扱い、ある程度の自由が与えられていれば、日本に戻ってくる人はいなかったはずだ。
姜 同感だ。北送されるまでのプロセスも指摘すべきだが、一番の問題は入国後に北朝鮮政府がやったことだ。
坂中 姜社長は「地上の楽園」の話に騙されて北に渡った人が7割ほどだったというが、彼らにも責任がなかったわけではない。将来のこととかいろいろな思惑があって帰国を決めたのだから。
姜 そう。自己責任はある。
坂中 しかし、責任論をいくら言っても問題の本質は明らかにされない。帰国者が北朝鮮で受けた前代未聞の処遇、世界に例のない迫害を加えた北朝鮮政府の所業を直視するべきだ。北朝鮮の現住民も帰国者を眼の敵にして排斥した。それも問題だ。
姜 最も悪いのは金日成・金正日政権だ。北送50年の節目を期して、心ある在日コリアンは帰国者全員の解放を目指して立ち上がらなければならない。また、帰国者問題の本質を日本の内外に知らせることも課題だ。
統一日報2009.12.11
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=50571&thread=08
①韓国はダメだが、北朝鮮はいい国だ
→韓国民主化運動という赤化運動
②移民政策研究所

http://jipi.or.jp/
一般社団法人 移民政策研究所
人口崩壊の迫る日本は、移民革命に国運を賭けるしかない。(←破綻済の人口デフレ論ですか呆
「観光立国は移民立国につながる」(←対馬は仏像盗まれたんですが責任とっていただけます?
→「観光立国」から脱却しよう
③脱北帰国者の支援は将来の禍根にしかならないので即刻やめるべきである
例)密入国の済州島難民の息子が反日活動家に
→辻褄が合わないのは仕様です
日本は日韓基本条約において韓国を「朝鮮半島唯一の合法政府」として締結したのであって彼らの処遇は韓国政府の責任であり日本には一切ない
④巨額の身代金を送っている商工人
北朝鮮から勲章をもらったモランボン創業者全演植氏
→モランボンは北朝鮮企業 市民の党が事務所にしていた龍伸ビル所有の具次龍氏などが典型例であろう
→「東アジア共同体」と斎藤まさし→ジンギスカンだるま 脱税&不正送金&北朝鮮から勲章
⑤在日コリアンの中には生活保護受給者や共産主義者が多かった
→吉田茂=マッカーサー往復書簡
60余年前にとうに結論は出ていたわけである
参考
北送阻止隊 (残念ながら動画は削除されている(/_;) 北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的 北朝鮮帰国問題の背景2 「人質」になった帰国者 北朝鮮帰国問題の背景3 「帰国事業」に日本はどう関わったか

コメント