2015年10月11日日曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

(´・ω・`)今更なんだけどもね
新潮のサイトでたまたま目に入ったのがあんまりヒドイんでこれは残しておこうかと

「素粒子」論説委員が社内報に】「産経新聞のヒステリック」「読売は安倍政権の露払い役」――「朝日新聞」偽りの十字架(1)

イデオロギーに帰依した記事を結論ありきで書いているからだろう――。朝日新聞の一連の誤報の原因をそう見るムキは、社内報に載ったこのコラムを読めば、得心が行くのではないか。

***

 もっとも、9月11日の謝罪会見で、木村伊量社長は改めて、〈事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきだった〉〈初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします〉と述べた。

 実際、読者は事実に基づく正確な報道こそを求めているに違いないが、ここに全文を引用するコラムは、そんな読者への残念なお知らせと言うほかない。それは夕刊のコラム「素粒子」担当の真田正明論説委員による「7月分の講評」で、タイトルは〈河の向こう〉。
(彼岸=あの世っすかww)

「社内のポータルサイトに8月28日にアップされたもので、7月の記事についての講評ということになっている。読むためには社員カードと社員番号、パスワードが必要です」

 と言うのは朝日の中堅社員で、コラムはこう始まる。

〈朝 日新聞の慰安婦報道の検証を受けて、産経新聞のヒステリックな反応はある程度予想がついたが、驚いたのは読売新聞である。検証紙面の翌日に朝日の論点のそ れぞれについて批判する特集を組んだ。それ以後もこの両紙は、朝日新聞が慰安婦問題をつくったかのような批判や攻撃を続けている。

 安倍政権ができて20カ月である。その間に政権と同調するメディアと批判的なメディアの分断が進んできた。その谷間はもはや埋めようもないところまで来てしまったように見える〉

 唖然とさせられるのは、慰安婦誤報を批判した他紙への居丈高な態度で、哲学者の適菜収氏も呆れる。

「〈慰 安婦問題をつくった〉のは間違いなく朝日新聞で、問題は“つくり方”が虚に基づいていた点なのに、それを未だに理解していないフシがある。それから、朝日 の慰安婦誤報問題と、安倍政権に対するメディアの報道姿勢が同列に論じられていますが、両者はまったく異なる問題です」

 引用を続ける。

〈昨 年5月のことである。東京ドームでの国民栄誉賞の授賞式は長嶋と松井の師弟同時授賞で沸いた。それはまた読売と安倍政権の二人三脚ぶりを目に見える形で教 えてくれた。授賞式のあとの始球式で、長嶋が投げ、松井が打つ。審判に入った安倍首相は巨人のユニフォームを着て、その背中には当時改正を狙っていた憲法 条文にちなむ96番があった。おそらくその光景を、渡辺恒雄会長は貴賓席で満足げに眺めていただろう。96番は96代目の首相だという理屈もあるが、安倍 首相自身「私は96代首相で、96条改正を目指す」と当時言っていた。

 その2週間ほど前、安倍首相は読売の単独インタビューで、憲法 96条の改正を打ち上げている。秘密保護法、集団的自衛権、エネルギー政策、あらゆる場面で読売は安倍政権の露払い役を果たしてきたように思える。先日は 「石破幹事長交代へ 首相 安保相起用の意向」と1面トップで打った。私は政治を取材したことはないが、これを見て読売は与党でも自民党でもなく、安倍政 権のコアな部分と直結しているのだと思った。

 読売を露払いとすれば産経は太刀持ちか。後ろから「もっと前へ。もっと勇ましく」と叫んで いる。日経は2紙よりは是々非々のようにも見える。しかし、先日のGDPの記事がその性格を表している。4~6月のGDPが6・8%と大きく落ち込んだの を受けた1面の見出しが「景気穏やか回復続く」だった。ちなみに同じ日の朝日の見出しは「再増税 消費の回復カギ」である。大企業に恩恵をもたらすという 点で日経はアベノミクスを支え、やはり安倍政権としっかり歩調を合わせている。

 主義主張は違えどこちら側にいるかと思っていた他紙の幾 つかは、すでに向こう岸にいる。そこには安倍城がそびえている。そこに批判はなく、「美しい日本」「強い日本」の心地よい調べも流れている。居心地のいい 城に「世界が称賛する日本」「すごい日本」と、にわか作りの旗印を掲げて駆け込む地侍たちもいる。中韓は放っておけばいい。それ以外の世界は日本の味方だ と、城主と一緒に美しいナショナリズムの夢を見ようという人たちだ。そんなタイトルの本が売れているという東京新聞の記事が載った同じ日、読売は「スゴイ ジャパン」国民投票の特集をしていた〉
(さすがチョウニチ新聞だけあって朝鮮日報みたいな文だな・・・)

「勝手にチーム分け」
 かつて「素粒子」を担当した、元朝日新聞論説委員の轡田(くつわだ)隆史氏は、

「ユーモアも諧謔もないし、ただ自分の主張を連ねただけの駄文ですね」

 と断じたうえで語る。

「ジャー ナリストは人の批判をするだけに、自分が批判されたらそれを受け止める義務がありますが、この筆者は批判を受け止めているとは言いがたい。それに、時の権 力の監視がメディアの役割で、いいことをすれば評価し、問題があれば疑問を呈するのが正しい姿なのに、これでは批判するだけ。こういう偏った姿勢には違和 感を覚えます」

 また、適菜氏も、

「〈こちら側〉〈向こう岸〉などと勝手にチーム分けし、まさに“素粒子”のように小さ な自分たちの世界を守ろうとしているようにしか見えません。もはや思考停止状態で、バカだねえとしか言いようがない。イデオロギーで固まってしまうと、物 事が正しく見えなくなるという証左でしょう」

 と指摘する。続いて、

〈向こう岸はもはや戦前のような別の世界になってしまったかのようだ。それを批判すれば、こちら側には自虐、反日、売国といった矢が飛んでくるだろう。このままみんな向こう側に取り込まれていくのだろうか。

 清沢洌の「暗黒日記」の1944年2月6日にこんな記述がある。米軍がマーシャル諸島に上陸した直後の話である。「どの新聞もが『元寇の乱』以来の大問題として総蹶起を第1ぺージ以下に掲げている。頭山満を『朝日』はかつぎ、徳富蘇峰を『毎日』がかつぐ」。

  なんのことはない。当時は朝日も毎日もいわば向こう岸にいたのである。いまが戦前と違うのは、こちら側がしっかりとあることだ。朝日も毎日も、東京もこち ら側にいる。地方紙の多くもそうだろう。そしてどんなに向こう岸が賑やかでも、国民の多くはまだこちら側にいると私は信じている〉

 コラムはこう締めくくられる。麗澤大学の八木秀次教授が喝破する。

「自分たちの立場をはっきりと決めたうえで、イデオロギーが先行し、安倍政権と対立するという立場を明らかにしています。そもそも、世間が戦前を目指しているとは思えないし、誰もそんなことは望んでいない。これはもう信仰です」

 要するに、朝日新聞には事実と真摯に向き合うつもりなど、毛頭ないのだ。〈こちら側〉に立ち、敵意むき出しに〈向こう岸〉を眺めて、どうして事実に基づいた正確な報道ができようか。そうした姿勢が誤報や捏造の温床になっても、なんら不思議ではない。

 元朝日新聞編集委員の川村二郎氏が言う。

「真田君は京大アメフト部出身の、朝日には珍しいスマートな男で、好感を持っていたので、がっかりです。こうやって〈向こう岸〉などとレッテルを貼って、相手にするな、なんてどうかしています。それに、〈国民の多くはまだこちら側にいると私は信じている〉というのは、正気の沙汰ではないでしょう」

 絵に描いたような裸の王様だ。川村氏は、

「若い記者から“有志を募って、報道局長宛てに抗議文を提出しようとしています”と連絡が来ました。もう180人の署名が集まったそうで、朝日の内部からこういう声が上がるのは、初めてでしょう」

 とも証言するが、〈こちら側〉にそびえる筋金入りのイデオロギーの城を落とすのは、容易ではなかろう。
「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
週刊新潮 2014年10月2日号 掲載


従軍慰安婦を「(北朝鮮)拉致被害者」と同列に論じた「緊急勉強会」――「朝日新聞」偽りの十字架(2)

 慰安婦誤報で、日本人の名誉は取り返しがつかないほど毀損された。それでも朝日新聞は、反省するどころか、新たな論理で社員を“洗脳”してまで、慰安婦問題を煽り続けたいようだ。

 9月21日の昼すぎ、東京築地の朝日新聞東京本社新館には、日曜日なのに記者が続々と入っていった。ただし、彼らの所属はほぼ東京社会部にかぎられた。集まったのは50人前後で、そのひとりの中堅記者が言う。

「木村社長の謝罪会見の数日後、メールが届きました。人事異動の際に会社側が社員に説明をしたりする部会を利用して、従軍慰安婦の勉強会を行なう、という知らせでした。ここまで緊急の部会は初めてですね」

 で、その目的だが、

「現 場の記者は今、警察や永田町の関係者と顔を合わせるたびに“おたくの社長は何を考えているのか”と言われ、事件現場でも“あんたの会社のほうが問題じゃな いの?”などと、露骨な取材拒否に遭っています。そんな中、現場の記者向けのガス抜きという色合いが濃かったと思います」

 13時から18時まで5時間におよんだ勉強会の講師は、8月5、6日の慰安婦報道の検証記事に関わった社会部の豊秀一次長と、北野隆一編集委員。ただ、最初の1時間だけは、「吉田調書」の誤報で解任された東京本社の前報道局長の市川速水氏と、前編成局長の渡辺勉氏も出席し、集まった記者から矢継ぎ早の質問を浴びた。

「質問は“なぜ検証記事で謝罪しなかったのか”“この件をどう教訓にしていくのか”“池上彰さんのコラムの掲載見送りは誰が意思決定をしたのか”など多岐にわたりましたが、ふたりは、のらりくらりと言い逃れていましたね」(同)

 その後、3時間半を超える“講義”が始まり、

「プロジェクターまで使って、慰安婦問題の歴史的経緯から、強制連行における“狭義”や“広義”の意味まで、細かな取材経緯を聞かされました」

 そう話すのは先の記者だが、別の若手記者に尋ねると、聞き捨てならない話が次々と飛び出すのだ。

■ケジメをつけたつもり
「強 制連行についてはこんな説明でした。旧日本軍が組織的に、人さらいのように女性を連行したという証拠はない。しかし、軍の意向を受けた売春業者が甘言を弄 して女性を騙し、慰安婦にしたケースはあったと推認でき、女性が自分の意思に反して慰安婦にされる強制性はあったと思われる、と。そのうえで、北朝鮮の拉致問題と比較したのです。同じ拉致被害者にも、横田めぐみさんのように無理やり拉致されたケースも、有本恵子さんのように騙されて連れ去られた場合もある。慰安婦は後者に近いのではないか、と言うわけです」

 これに呆れ返るのは、現代史家の秦郁彦氏で、

「北 朝鮮の拉致は、すべて金正日の命令で行なわれました。それを慰安婦問題と対比するならば、日本軍の命令で慰安婦を連行したという事実がなければなりませ ん。しかし、朝鮮半島にかぎれば、慰安婦の大多数は朝鮮人の女衒(ぜげん)、つまり業者によって徴募されたのです。そして、業者と慰安婦やその親との間で 契約が結ばれ、それとは別に業者と軍との間で契約が結ばれた、軍と慰安婦の間に直接の関係はないのです」

 前出の八木教授も言う。「朝日 新聞は、慰安婦を集めた民間業者も軍の管理下にあった以上、国家の意志による拉致と一緒だと主張したいのでしょう。しかし、販売店が不祥事を起こしたと き、朝日新聞社は責任を取りません。朝日自身が、新聞社の社員が起こしたことと、販売店の従業員が起こしたことを区別しているじゃないですか」

 同じ記者に勉強会の話を続けてもらうと、

「吉田証言については、1997年に検証した際、〈真偽は確認できない〉という表現に止まったが、社としてはケジメをつけたつもりだった、と話していた」

 このほか、慰安所への軍関与を示す資料が見つかったという記事が、92年の宮沢首相訪韓の直前に掲載されたのはたまたまで、植村隆氏の記事も、意図的な事実関係の捻じ曲げはないと結論づけたという。

 再び秦氏が言う。

「こんな説明で朝日の記者は納得するのですか。この問題に関するほかの新聞や週刊誌、月刊誌の記事を読めば、慰安婦の政治性の問題も、植村隆記者の問題も、朝日の説明がおかしいとすぐわかるはずです」

 だが、彼らは読んでも理解できないのだろう。なぜなら、それらは〈向こう岸〉の媒体だから。

「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
週刊新潮 2014年10月2日号 掲載
http://www.gruri.jp/article/2014/10010815/

2朝日新聞偽りの十字架23
2朝日新聞偽りの十字架24
2朝日新聞偽りの十字架25

週刊文春 2015.9.10号
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5392

イケメンリーダー奥田愛基(23)独白90分
安倍首相に「バカか、お前は」 SEALDs学生デモ団体って何者?
●一番会いたい政治家は小泉進次郎 ●朝日新聞に「もっとカッコよく撮って」と注文●宣伝カーは共産党系提供●恋愛OK就活は?●リーダー父はホームレス支援牧師

p30~33
”国民なめんな””勝手に決めんな”ラップのリズムに乗せて、反安保のデモを繰り広げる学生組織「SEALDs」が注目を集めている。彼らはいったい何者で、何を目指しているのか。安倍首相に「バカか、お前は」と言い放ったリーダー格の奥田愛基氏を直撃した。

  8月30日、東京永田町の国会議事堂前で「安保反対十万人集会」が行われた。主催者発表で十二万人、警視庁まとめでは三万人とされたが、いずれにしろ、現 場には大群衆がつめかけた。狭い歩道で押し合いへし合いするうちに、一部が警察官の生死を振り切って策を乗り越えて車道にあふれ出し、参加者二名が機動隊 員を暴行したとして公務執行妨害で逮捕されるという騒然とした雰囲気のなか集会が始まった。

 民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、さらには懐かしや、生活の党小沢一郎氏までもが駆けつけて安保反対をブチあげるが、降りしきる小雨のせいか、群集のテンションは今ひとつ上がらない。

 そんな中、Tシャツに半パンというラフな格好で現れた若者が登壇すると、一気に会場が盛り上がる。

「主催者は俺たちであって、『最高責任者は私だ』と言ってのさばっているお前じゃない」

 若者は、そう威勢よく発言すると、続けて、リズムに乗せて、「どうでもいいなら総理をヤメろ」とシュプレヒコールを連呼した。

 その一挙手一投足が、デモ参加者やマスコミの注目を集める。若者の名前は奥田愛基氏(23)。「自由と民主主義に基づく政治を求める」学生グループ。

「SEALDs(シールズ:Student Emergency Action for Liberal Democracy)」のリーダー的存在である。

 記者の後ろでは年配の女性たちが「奥田くんがよく見えない」と芸能人でも見に来たかのようなノリ。

  さらに奥田氏に「今日ビッグな先輩がいるんですけど、駆けつけてくれるということで、チョー待ってました」と紹介されて続いて登壇したのは、なんと音楽家 の坂本龍一氏。坂本氏は「シールズの若者たちが発言してくれているのをみて、日本にもまだ希望があるんだなと思った」と持ちあげてみせた。

官邸・公安関係者も注目
 シールズといえば、先日、自民党を離党した武藤貴也衆議院議員がツイッターで、<彼ら彼女らの主張は「だって戦争にいきたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく>とつぶやいて物議を醸したことでもしられているが、「安保反対に声をあげる普通の若者たち」として、今やマスコミの注目度はその武藤氏に匹敵するほどになりつつある。

 彼らの動向には安保法案の成立を目指す官邸も神経を尖らす。

「支 持率の下落にようやく歯止めがかかってきた官邸としては安保法案でこれ以上反対が広がるのは避けたいところでしょう。それだけに若くて絵映えがする学生た ちが反対運動の前面に出てくるのを苦々しく思っています。なかでも奥田氏は先月23日の集会で国会における安倍総理の”どうでもいい”というヤジを逆手に とって、『どうでもいいなら首相をやめろ。バカか、お前は』と言い放ったことで、官邸もご立腹な様子です」(政治部記者)

 シールズとは一体いかなるグループなのか。

「シールズは特定秘密保護法に反対する『SASPL』と いう首都圏の学生グループを前身にして、安保法制に反対するグループとして今年5月に立ち上げれました。現在は、関西や東北、沖縄にもそれぞれの地域の シールズがあり、緩やかに横の繋がりをもっています。首都圏では、中心メンバーは30人ほどですが、デモや集会には数百人の学生が集まります」(公安関係 者)

 そのデモのスタイルは従来のイメージと一線を画すものだ。ヘルメットにゲバ棒どころか、クラブにでもいそうな今どきの若者たちが、 太鼓を叩き、いわゆるラップのリズムに乗せて「戦争するな」、「国民なめんな」、「安倍はやめろ」と短いフレーズを連呼して、場を盛り上げていく。フライ ヤーと呼ぶチラシは、メンバーのうち美大生らが手がけたもので、左翼系の団体が作成するような文字ばかりの無骨なものと違いスタイリッシュなデザインのものばかり。

「『カッコイイ、楽しそう、スタイリッシュ、気軽に参加できそう』というイメージを大事にしながら、抗議活動をするというのが彼らの流儀です」(同前)

「社会に大層な期待してない」
 一方で、共産党などの既存左派系組織との関連を指摘する声もある。
「決して多くはありませんが、シールズのメンバーのなかには、民青同盟の人間もいるし、車両や機材は共産党系組織から借りることもあります。彼ら自身は、党派色を排除し、それらの組織から距離をおくようにしているようですが、既存左派組織がシールズを取り込もうと躍起になっているのは確かです」(同前)

 本当のところはどうなのか。小誌は、シールズのリーダー的存在である前出の奥田氏に話を聞いた。

  十万人デモの前日、東京竹橋の学士会館では、翌日のデモに参加する学生の団体が記者会見を行っていた。その会見後、「文春が朝日と違ってどういうメディア かはわかっているつもりです」と苦笑しながらも、奥田氏はインタビューに応じてくれた。シールズに対しては、マスコミの注目度も高い。だが、当人たちはメ ディアの過熱ぶりに醒めている。

「僕らの主張を伝えてもらうためにメディアを利用するところはあるが、メディアも僕らを利用して都合よく 切り取ろうとしますからね。今日も朝日の人が何人も来てくれましたけど、僕たちに喋らせるんじゃなくて、ほんとうは自分たちで書けばいいんですよ、堂々と オピニオンとして」

 特に、記者にダメ出しをすることもあるという。

「見出しがダサいとか、写真がよくなかったりとか。 前もロイターの写真と朝日のを比べて『もっとカッコ良く撮ってください』と注文をつけたことがあります。あと朝日や東京新聞に『テンション高すぎるので、 もっと抑えてください』と注文したり。こちらの注文を聞いてくれるときもありますよ(笑)」

ーーメディアに注目されて嬉しい?
「嬉しくはないです。別に注目されたいと思ってやってないし。そんな夢がでっかくないんで。僕、北九州の貧困家庭みたいなの見て育っているんで、この社会に大層な期待をしてないんで」

 奥田氏は1992年福岡県生まれ。西表島の北にある鳩間島という離島の中学を卒業後、島根県にある全寮制のキリスト教系の高校に進学。現在は明治学院大学4年生である。
「中学でいじめられて不登校になったんです。一度は復帰するんですけど、今度は別のヤツがいじめられてて、『なんでそんなことするの』と訊いたら、『イキがってたら、ハブられてもしょうがなくね』と言うんですね。この感覚は怖かった。それで自分で調べて、鳩間島にある不登校とか孤児の子を受け入れて注目されている中学校に入った。タフだったけど、すげえ楽しかったですね」

 奥田氏の父親は、北九州市内でホームレスの支援活動を長く続ける牧師で、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で取り上げられたこともある。
「20 年コツコツやってきて、ようやく注目されるようになりましたけど、それまでの孤独な闘いも見ているので。この社会は、タフにやるべきことを渋々とやってい くことが一番大事だと学びました。僕は14歳で家を出ていますが、何をするにも自分で決めて、選んだ道の結果は自分で引き受けなければならないということ を覚えましたね」

彼女とは遠距離恋愛中
 大学に入学した年に、東日本大震災が発生。奥田氏は、被災地支援に取り組み、2012年には反原発デモに参加。その後、「SASPL」(前出)での活動を経て、「SEALDs」を立ち上げた。

「大 学で国際政治を勉強しているんですが、今回の安保法案では、国家の根幹がぶれるようなすごいことが怒っているのに社会はすごい静かだなって。憲法がなぜ重 要かと言ったら、国家の暴走に歯止めをかけるものだからですよね? 日本ではものを言う人は少なく、若者は特にそう。ならば誰かが引き受けなければいけな いんじゃないかと思ったんです」

 では現実の日本の安全保障についてはどう考えているのか。
「安全保障上の戦略はシールズ内でも人によってバラバラです。ただ、今回のフルスペックの集団的自衛権の内容は、これまでの憲法と国家の歩みからするとかなりハードルが高いことをしている。それなのに首相補佐官が『法的安定性は関係ない』と発言するほど憲法が軽んじられているから、憲法を守るべきだという点は共有しています」
(えっフルスペックは間違いじゃね)

ーー個人的な違憲としては、改憲にも反対?
「今 の九条の範囲で、自衛権が合憲だという判断ができないのかな、という立場です。憲法九条があるから、災害救助とか、ガチの軍隊とは異なる、今の自衛隊の独 自性が生じてきたと思いますし。何より、自民党の憲法草案を見て、今のこの国には憲法を書ける人がいないのか、と愛想がつきたのもあります」

 とはいえ、選挙を経て選ばれた一国の首相に対して「バカか、お前は」という言い方はいかがなものか。
「メディアの切り取り方が酷かったのもありますが。言葉遣いに気を付けなきゃと反省しました。ただ議会制民主主義だから国民が直接選んだのではなくて、自民党に安倍さんしかいなかったということですよね」

 デモ活動をする上で彼らが重視するのは、「カッコよさ」である。
「た とえば、自分でお店を出して友達に来てもらいたいと思ってフライヤーつくるときに、白黒で文字だらけのダサいものをつくっても、来てくれるわけないじゃな いですか。ツイッターやフェイスブックに写真を載せるときだって、普通、どうしたらカッコいい写真になるか、工夫しますよね。その日常の感覚をデモに持ち 込んだだけ。僕らの日常性を武器にするというか」

 シールズを特徴づけるのは、穏やかな組織形態だ。
「コアメンバー30人の他に LINEに登録されている学生が200人。グループに代表はいませんから、いつもみんなでわーわーやってる感じです。デザインや映像、広報、会計、デモな ど15ぐらいの班があって、各班のリーダーを『副司令官』と呼んでるんです。これはメキシコのサバティスタ民族解放軍というゲリラ組織の影響です。彼らは 非暴力で革命を目指しているのですが、そのリーダーのマルコスが自分のことを『副司令官』と名乗ってるんです。なぜかと言えば『人民こそが司令官だか ら』。それ聞いて、かっこいいなあ!と(笑)」

 学生主体のグループだが、大学を卒業したメンバーもいて、原則どんな人でも参加OKだという。メンバー同士の恋愛も特に制限はない。

 ちなみに奥田氏は、現在遠距離恋愛中だという。
「この活動でなかなか会えなくて、文句を言われているんですけど、最近は、彼女もスゴい『反・安倍』になってきたんです。『安倍政権が終らないとデートもできない』って(笑)。今はシールズ関西にいます」

 サークルのノリとはいっても、活動を続けるには、活動資金が必要となる。初めてのデモの資金は、奥田氏ら中心メンバーのバイト代で捻出したが、現在は1口千~3千円ほどの個人カンパで賄っているという。
「よく聞かれるんですけど、困ってはないですよ。だいたい数百万はあるんじゃないですかね。一回のデモで印刷代とか、だいたい2、30万かかるかな」

 一方で、資金援助をしてでも、彼らを陣営に取り込みたい既存政党の思惑があるのも事実だ。
「僕はツイッターでも書いてますが、民青も共産党も嫌いだし、シールズを立ち上げるときに周辺に核マルや中核がいないか調べて、そのへんの人たちとは距離を置きましたよ。だって怖くないすか、そういうの」

ーーでも共産党系組織に宣伝カーを借りている?
「全労連から借りた車があって、共産党がバックにいると書かれましたね。でも、あのときは社民党、民主党、共産党に声をかけて、一番デカくて音が大きい車を借りたんです。アホみたいですけど(笑)」

ーー会ってみたい人は?
小泉進次郎さんですね。 色んな政治家のスピーチを見ていますが、レベルが違う。凄かったのは、防衛大学の卒業式で、卒業後、自衛官にならない人に向かって、『君たちは内実を知っ て社会に出ていくわけだから、仲間がやっていることを伝えてほしい』ということを言ったんですね。トリッキーに動く人よりも、王道でブレない人がいい」

 一方で、シールズの活動をすることで、就職活動への不安はないのだろうか。
「不 利な面も有利な面もあると思うんです。面接のときに聞かれてもいないのに『デモ言ってます』という学生がいたら、僕だって落としますよ。あとは、会社側が 『デモ言ってるか』と訊くかどうかですが、そんな思想チェックする会社、怖いじゃないですか。実際には、ホームページ人から、『困ったらウチに来い』とい う誘いもあります」

 こうしたシールズの活動を高く評価するのは、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏だ。
彼らは既存の政治組織やイデオロギーと全く関係のないところから出て来て、『憲法を守れ』というものすごくストレートな主張をする。組織的な緊張感がなくゆるやかな連帯を呼びかけている点が評価できる」

 一方、京都大学名誉教授の中西輝政氏は、戦後左翼運動のサイクルに過ぎないとみる。
「女性のスカートが長くなったり短くなったりするのと一緒です。戦後日本における学生の風潮も、デモがダサい=政治に無関心という時代が続いた。それが第二次安倍政権の登場をきっかけに、若い世代が政治化するサイクルが回り出したのです。シールズの活動をみると、太鼓を叩いて短いフレーズを叫ぶのも、べ平連がやってたなと。新しいようで我々の世代には懐メロのように見えてしまうのです」

 現在、参議院で審議が進む安保法案は、今年14日以降、衆議院で再可決が可能となる。そうなればシールズの活動はどうするのか。奥田氏はこう語る。
「どうなんでしょうね(笑)。わからないです。でも個人的にはいま起こっていることを学問的に書き残した方がいいと思うので、修士課程に進みたい。親も『賢くないと生き残れない』と言ってくれてます」

安保反対に声をあげる普通の若者たち
彼らは既存の政治組織やイデオロギーと全く関係のないところから出て来て

それがそうじゃなかった
『SEALDs(シールズ)とキリスト教左派』
シールズの主要メンバーは、キリスト教愛真高校で特殊な平和?教育を受けた活動家。
→http://togetter.com/li/873269
SNSを通して自然に集まったというのはとりあえず嘘でした

奥田氏のツイート
奥田愛基小泉進次郎って言ってない

一番会いたい政治家は小泉進次郎って一回も言ったことない笑
https://twitter.com/aki21st/status/639162750007046144

仁藤夢乃レインボープライドLGBT奥田愛基乙武
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/592173129134252032

仁藤夢乃氏とも親しいみたいですね
仁藤夢乃「日本は児童買春の国」←やっぱり西早稲田 

参考
太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう 
アメリカのコントロールから抜け出さないのはなぜなんだい?

10SEALDs奥田3110SEALDs奥田30
10SEALDs奥田33
10SEALDs奥田32 

英語公用語化は日本語禁止じゃないって言うかもしらんけども
公用語じゃなくなった言語は自然に一生懸命勉強しなくなるわね
まして古典なんか少数の研究者だけがアクセスするマイナーなものになってしまう
と思うんだけど

漢字使用をやめた韓国はどうなった?

名著で読む日本史
渡部 昇一
扶桑社
2014-06-28


p138・139
頼山陽『日本外史』

歴史書”空前のベストセラー”誕生の背景

▼大ベストセラーとなった『日本外史』
 江戸時代後期に『日本外史』という大ベストセラーを表したのが頼山陽(1781~1832) です。彼は、父親が頼春水という大儒学者で広島藩の藩儒を務めた人であり、叔父も大学者の頼杏坪です。その影響を受けて山陽も若い頃からの抜群の秀才でし たが、他の秀才とはちょっと変わったところがありました。というのは、単に漢学、儒学が出来ただけではなくて、日本の歴史に非常に興味を持ったのです。

  山陽は幼少のころから神経の病にかかり、18歳のとき、治療の一環で叔父の杏坪に連れられて江戸に遊学します。しかし翌年帰郷すると、寛政12年 (1800)年9月、21歳のときに突然脱藩して上洛します。ところが杏坪に見つかって、連れ戻されて廃嫡された上に、自宅の一室に3年間幽閉されること になりました。

 山陽は子どものときからぽつぽつと『日本外史』のもとになるものを書き始めていたらしいのですが、この幽閉された3年の間、執筆に集中し、『日本外史』の第一稿を完成させたといわれています。その後も手を加え、文政9(1826)年に全22巻からなる漢文体の国史で ある『日本外史』を書き上げました。トータルでは20年ぐらいの時間をかけたといわれますが、その甲斐はありました。読んだ人が面白いと絶賛したためにう わさになって、幕府老中の松平定信までが読みたいといい出したのです。そのため『日本外史』は文政10(1827)年5月に、定信に献上されています。

  『日本外史』では、大きく源氏、新田、足利、徳川の武家4氏の歴史を扱っています。ただ、その中に平家が入り、北条が入り、楠木が入り、後に北条が入り、 武田が入り、毛利が入り、織田が入り、豊臣が入るというような形式になっています。頼山陽は『日本外史』を書くにあたり『大日本史』の資料の多くを参考にしたようです。ただ、『日本外史』は歴史書といっても文章が面白く、講壇そのものといってもいいような書き方になっています。それがベストセラーとなった大きな要因です。


p140
  とにかく文章が面白いのですが、それを儒学者の帆足万里(1778~1852)などは「頼とやらの書いた書物は、文体は俗っぽく、且つ和臭だらけで文法的 に間違いが多いのはもちろん、考証は杜撰で、議論も公平ではなく、味噌甕のふたにしか使えない」といってけなしています。山陽にしてみれば、日本の話をするのに漢文だけでは描ききれないという考えがあったのでしょう。そのため、どうしても固い漢文からは外れたところが出てきてしまったのではないかと思われます。

 しかし、この『日本外史』は幕末の人たちもみんなが読んで、明治の頃にも、ものすごく売れました。『日本外史』を読むための小さな漢和辞書のようなものが作られるほど、人気を博したのです。


p141~143
 山陽は『日本政記』と いう小さい本も書いています。これは神武天皇から後陽成天皇の即位までの2000年間の朝廷の歴史を編年体で書いたものです。『日本外史』と比べるとずっ と薄いもので、漢文で書いています。『日本外史』では史実に対する論評は省いていますが、『日本政記』ではいちいちコメントをつけています。それでも『日 本外史』よりはうんと薄いのです。この本は日本の教科書のもとになったのではないかと思われるところもあります。

 つけ加えておきます と、明治の人たちは『日本外史』、『日本政記』をよく読んだために日本の大きな歴史が分かっていたと思われます。伊藤博文も両方愛読していて、ヨーロッパ に行くときも持っていこうと思っていたけれども、ちょっとかさばるので『日本政記』だけを持っていったという話も残っています。

▼日本史のハイライト66景を漢詩にして描いた『日本楽府』
 もう一冊、山陽には『日本学府(がふ)』という、忘れてはならない大切な本があります。この本は彼が生きているうちに出版された、たった一冊の本です。

  『日本楽府』は、日本の歴史から山陽が題材を選んで漢詩にした66の作品から成り立っています。一つひとつのテーマが詩になっているわけです。通読する と、あたかも国史の絵巻物を見るがごときものがあります。ただし非常に内容が難しく、私が『甦る日本史』(PHP研究所・1996年8月)という「日本楽 府」を開設した三巻本をつくったときは、歴史雑誌の連載だったので、注をつけるのに一号につき一闕(一編)ずつで約6年もかけました。

  「楽府」という言葉は、漢の武帝のときに宮中に設けた役所の名前です。元来は音楽の演奏や作曲や演奏者の養成にあたりましたが、そのうちに、この役所に最 終さえて曲を付けられた詩や民間で唄われていた歌謡の歌詞も指すようになりました(その歌詞を数えるとき、一闕、二闕というふうにいったのです)。「が ふ」と読みますが、これは「がくふ」がなまったものです。

 山陽の『日本楽府』は国史上の一事件、あるいはエピソードを数行から10行程 度の詩にまとめたものなので、ただ読んだだけでは意味はわかりません。三洋の友人で学者の篠崎松竹は、最初にこれを見せてもらった時は霧の中を舟で行くよ うなもので茫乎(ぼうこ)として岸が見えない感じであったが、眼を凝らしてじっと見ていると山や樹がだんだん見えてくる気になる、そしていい景色のところ に出会うたびに手をうって感嘆するような具合だった、と述べています。それほど山陽は故事を縦横に踏まえて書いているというのです。


p147
 頼山陽は彼自身が考えた日本史のハイライトを66景選び、それを漢詩にして『日本楽府』に描きました。66というのは、ちょうど当時の日本が66の国からなっていたことに由来します。

 最初と最後が隋と明の話になっていますが、真ん中のあたりに元も出てきます。これは非常に有名なもので、旧制中学の教科書にも採用されていました。

頼山陽 日本楽府 蒙古来

(´・ω・`)ヘビメタみたい!!
(詩文解説→http://plaza.rakuten.co.jp/eiryu/diary/200905290000/)

漢字も漢詩も中国から入ってきたものだけども例によって魔改造してしまったんですね
自分でも何となくわかるのは(解説は読むけども
日本語がずっと生き続けているからで
中国では失われた文献も日本にずーっと残っているし
日本文学の中にも引き継がれているわけですね

だから日本語が廃れると
こういうアーカイブそっくり過去の遺物になってしまう・・

それは一つの文明の死じゃないの・・? 

以前から気になっていた岩波文庫版『紫禁城の黄昏』について
参考:【wiki】紫禁城の黄昏

金日成主席安江良介岩波社長(91年9月26日)
金日成主席と会見する安江良介・岩波書店 社長(91年9月26日)
ひたすらひれ伏せby東郷和彦


名著で読む日本史
渡部 昇一
扶桑社
2014-06-28


p181~188
R・F・ジョンストン『紫禁城の黄昏』

封印されてきた満州国の歴史の真実

▼岩波文庫版から削除された部分に書かれていたこと
  歴史に「イフ」は禁物とはいえ、もしもジョンストンの『紫禁城の黄昏』が東京裁判(極東国際軍事裁判)で証拠書類として採用されていたら、あのような裁判 は成立しなかったでしょう。こういうだけで、本書の価値を語るには十分であろうかと思われます。もちろん、何がなんでも日本を悪者に仕立て上げたかった東 京裁判では、弁護側から提出された『紫禁城の黄昏』を証拠書類として採用せず、却下しました。これを証拠として採用するわけにはいかなかったのです。

 では、この本はいかなる性質のものであったのでしょうか。それは、次のエピソードから推察できるでしょう。

 清国最後の皇帝溥儀の波乱万丈の生涯を見事に描いたイギリス・イタリア・中国合作映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督/1987年)は、世界的な評判を呼びました。 この映画の主人公である溥儀は3歳で即位しますが、紫禁城に閉じ込められたまま、イギリス人のシナ学者レジナルド・ジョンストンを 最も信頼する個人教師として成長します。1924年(大正13年)、馮玉祥と孫岳がクーデター(北京政変)を起し、生命の危険が迫った溥儀はジョンストン とともに紫禁城を抜け出して異本の公使館に逃げ込みます。そして、のちに日本の後押しで満州国皇帝となるのですが、中国共産党政権の成立とともに弾劾され て、北京の一市民として一生を終えることになるのです。

 この映画の中でも特に印象的なのは、黒い衣服を着ていつも少年皇帝の側に仕えているイギリス人でした。これが『紫禁城の黄昏』の著者レジナルド・ジョンストンです。

  この映画を観て原作を読みたくなる人も多いだろうと出版社は考えたのでしょう。平成元(1989)年2月に、岩波文庫の一冊として入り江曜子・春名徹両氏 の共訳が出版されました。この本が古典的な名著であることは一点の疑いもありませんから、岩波文庫に入ることは当然ですが、この文庫本には大きな問題があ りました。原書の第一章から第十章までと、第十六章を全部省略しているのです。その理由として訳者たちは「主観的な色彩の強い前史的部分」だからだといっ ています。そのほか、重要な個所では、意味が反対になるように誤訳しています。

 削除された第一章から第十章は、ジョンストンが溥儀の家庭教師として紫禁城に招聘される以前の清朝の歴史について書いた部分です。それのどこが主観的なのでしょうか。また、清朝を建国したのが満州族であることの、どこが主観的なのでしょうか。私には理解できません。

  また、第十六章には満州人の王朝の皇帝が父祖の地に戻る可能性について、当時どのような報道や記録があったのかを書いています。日本の政府がまったく関与 しないうちに、溥儀の扱いは大陸で大きな問題となっていたのです。溥儀がジョンストンと日本公使館に逃げ込んできたときの芳沢(よしざわ)公使の当惑、そ の後も日本政府がいかに溥儀にかかわることを嫌ったか、彼の側にいたジョンストンの記述ほど信用できるものはありません。これは歴史の第一級資料といって差し支えないものなのです。

 さらに、岩波文庫では序章の一部が虫を喰ったように省略してあります。そこに何が書かれていたか原本に当たって調べてみると、それは溥儀に忠義だった清朝の人の名前がでてくるところであることがわかりました。つまり岩波文庫版は、中華人民共和国の国益、あるいは建て前に反しないようにするという配慮から、重要部分を勝手に削除した非良心的な刊本であり、岩波文庫の名誉を害するものであるとさえいえる不完全なものなのです。訳者の略歴は記されていないので不明ですが、思想的には東京裁判史観の人であるとしか思えません。

▼古本市場から姿を消した原書『Twilight in the Forbidden City』
 岩波文庫の訳者たちが用いた版は国会図書館の蔵本で、昭和9(1934)年12月の初版第4刷とのことです。私が所有し、かつ読んだのも同じ第4刷でした。

  私はこの本を手に入れるまでに不思議な体験をしました。私がジョンストンのこの本の内容を最初に知ったのは、荒木武行訳『紫禁の黎明』(大樹社書房・昭和 9年7月15日)によってでした。のちに關東玄洋社出版部訳『紫禁の熹光ーー満州國皇帝陛下御生立記』(同社・昭和10年1月1日)をコピーで入手しまし た。荒木氏の役を最初に読んだのがいつであったか、はっきりとした記憶はないのですが、30年ぐらい前であることは確かです。

 その後、 原書である『Twilight in the Forbidden City』が欲しくなり探し続けたのですが、日本では神田で一冊見つかっただけでした。また、アメリカ古書店教会の会長をしていた友人を通じてインター ネットで探してもらって、オーストラリアで一冊見つかりました。私自身もイギリスの古書店にずっと注文を出し続けていますが、イギリスでは一冊も出てきま せん。マグスのような東洋関係に強い大きな古書店でも見つかりません。この20年の間にジョンストンの著書で見つかったものは、『Lion and Dragon in Northern China』や『Buddhist China』だけであり、探し求めている『Twilight in the Forbidden City』はついに今日まで見つかっていないのです。

 これは実に不思議な話です。『Twilight in the Forbidden City』は当時人気のあった本で、1934年3月に初版初刷が出て、同年12月に第4刷が出ています。布表紙の本文486頁の原書には、巻末の註が約 20頁、索引も10頁、溥儀の親書や写真など貴重な資料も沢山添えてあります。堂々たる本で、いわゆる際物ではありません。1年も経たないうちに4刷に なっているということは、たいへん評判になった本であったことを示しています。その原書が古書市場から消えているということは、おそらく個人の所有者たち が大戦中に処分してしまったのではないかと私は推測してみたくなるのです。

 リプリント版がアメリカとイギリスでは戦後に出されていますが、研究者にとっては必読の資料ですから当然ともいえます。図書館に原書が残っていたのは、さすがにこの代位級資料となる本は処分できなかったということなのでしょう。

▼シナの歴史は王朝の変遷史である
 私が荒木氏の邦訳を読む気になったのは、戦前の記憶のためでした。戦後、満州は中国東北部と呼ばれて、中華人民共和国の当然の領土として扱われていますが、戦争の記憶のある私は「これは変だぞ」という気がしていたのです。

 私にとって戦前とは、旧制中学3年の夏まででした。そのときまでの私の知識では、満州は元来満州族の土地であり、その満州族の偉い酋長が徳川時代の初めころにシナ本土を征服して清朝を建てた。けれども、1911年(明治44)年にシナで革命という名のシナ人の独立運動が起こると最後の清朝皇帝は北京から逃げ出し、日本の援助で父祖の土地に満州国を建設して、そこの初代皇帝になった、というものでした。これは大筋の事実の流れとしては今でも正しいでしょう。

 しかい戦後になると、満州という土地も、満州族と言う民族も、まるで存在しないかのような報道のされ方でした。そんな頃に、学習院大学の故・香山(こうやま)健一教授(この人は満州育ちだったと記憶しています)が、満州を訪問したら今では中国人とされている満州人たちが「昔は俺たちの国もあったんだ」といって涙を流していた、と私に語ってくれたのです。それが、私のジョンストン原書探しの出発点になったように思います。

 原書で読んだ「シナには近代欧米的な意味での国家は、かつて存在したことがなく、いろいろな王朝があっただけである」と いうジョンストンの指摘には、目から鱗が落ちる思いがしました。考えてみれば、周王朝と唐王朝では人種がほとんど別になっているといわれるほどですし、元 王朝は蒙古族の王朝であり、清王朝は満州族の王朝であり、決していわゆるシナ人の王朝ではなかったのです。これが満州問題を理解する鍵であったのだという ことがはっきりとわかりました。

 それについて書かれたジョンストンの注から引用してみましょう。

「諸 外国とシナの間で交わされる英語版の条約では、『シナの皇帝』という表現を用いるのが慣習となっているが、シナの原文で用いる擁護は『大清国大皇帝』であ る。おそらく、領土的な称号でなく、このような称号を用いると、外国人にはなじみがなく誤解を招くため、条約の英語版を準備するときには、王朝名を用いた 帝号を『シナの皇帝』に変更することが必要と考えたのであろう。

 しかし、そのように変更した責任は、外国人の翻訳者にあったと思う。日本とシナが1871年(明治4年)に結んだ条約では『契約を結ぶ二大列強の君主の帝号は、この条約では用いない』とある。日本は『大日本帝国』であり、シナは『大清国』である。

  日本人はシナの習慣をまねて年代を表示するために『年号』を用いるが、国名の代用として王朝名を用いるシナの例にならうことはない。それは日本にはひとつ の王朝しかないという単純な理由からである。したがって、その国名(『大日本』)はヨーロッパの国々と同じように用いるが、シナの用いる用語は王朝名であ り、『中国』ではなく『大清国』である」(『完訳 紫禁城の黄昏』上巻・祥伝社・437頁)

 これを読めば「万里の長城」の北の地域がシナ民族の領土であるわけはなく、それは戦後のどさくさに中国軍が侵略した土地であることは明白でしょう。


レジナルド・ジョンストン@紫禁城の黄昏

レジナルド・ジョンストン
http://www.abc.net.au/radionational/programs/hindsight/the-last-tutor/3116808

安倍さんの米両議会演説に一役買ってくれたベイナー下院議長が辞任することに
朝鮮日報のパクリ・・あ、いつものことか・・

李容珠婆を米議会に立たせたあのナンシー・ペロシがまだ下院議長だったら安倍さんの演説はなかったんだろうと思っていたので
吉松育美さん騒動8 ナンシー・ペロシと慰安婦問題
日本にとっては残念なことになるような気がする

冷泉彰彦
プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
ベイナー下院議長辞任

共和党の異常事態、ベイナー下院議長辞任と「しぶとい」トランプ

  オバマ大統領に対抗する「多数野党」の下院共和党を率いるジョン・ベイナー下院議長が先週末に突如辞任すると言明、米政界に激震が走っています。就任から 5年、予算をめぐるバトルなど何度も政権と対決してきた百戦錬磨の議長ですが、どうしてそこまで思い詰めたのでしょうか?

 直接の原因は予算審議の難航です。

  これはかなり切迫した問題で、9月末までに予算を可決できないと再び「政府閉鎖」が起きかねない状況でした。そうは言っても、こうした事態をベイナー議長 は何度も経験しています。例えば「財政の崖」騒動とか均衡予算騒動など、予算を人質に取った政局では常に見事な「立ち回り」を見せてきたはずです。

 では、どうして今回に限って調整不能に陥ったのでしょうか?

 理由は明確です。ベイナー議長本人が、「今回の予算を通さないで政府閉鎖をやるのは大義がない」と考えているからです。今回、下院の共和党右派がやっている予算潰し運動の目的は、実は共和党の党是から来る「均衡予算」や「歳出カット」の要求ではないからです。

 今回のバトルの原因は、1つのNGOへの補助金をどうするかという問題に過ぎません。NGOの名前は「Planned Parenthood (PP) 」。日本語では「家族計画協会」と言える団体で、HIVの予防、子宮頸がんへの対策、そして避妊の普及などの活動を行っています。やむを得ない妊娠中絶を実施する医師や医院で構成していて、特に貧困層の支援を重視しています。

 法律によって、このPPに対しては部分的な公的助成が行われています。問題は、このPPの活動の中に妊娠中絶が入っていることです。この点を共和党の保守派は長年問題視してきました。

 そんな中、今年になって、保守系のCMP(Center for Medical Progress)という団体が「PPは臓器・組織売買の常習犯」だというビデオ告発を行ったのです。その内容に関しては評価が割れています。PP側は内容を虚偽だとしており、既に裁判所(複数)からはビデオの公開が禁止されています。オバマ政権をはじめとする民主党も同じです。

 CMPは隠しカメラを使って、ニセの企業を騙った俳優をPPに潜入させ、一種の「おとり捜査」的な手法を使って疑惑をデッチ上げたというのが、民主党の立場です。

  一方で共和党の保守派は、「巨大スキャンダル」だとして、PPへの激しい批判キャンペーンを開始し、大統領候補の予備選においても争点に据えつつありま す。そんな中で、「PPへの助成が少しでも入っている予算は通さない」という激しい感情論が盛り上がっているというわけです。

 要するにイデオロギー100%の動機であって、ベイナー議長としては、こんな理由で「政府閉鎖」つまり不要不急の連邦政府機能の停止などという事態に持っていくことを「してはならない」という確信に至ったのだと思います。そこで議長は大きな決断をしたのでした。

 それは「自分のクビと引き換えに議長権限で予算案の採決をする」ということです。現時点では、まだ採決に至っていませんが、時間の問題とも言われています。

 さて、仮にこれで予算が通り下院議長が辞めたとして、今後の政局はどうなるのでしょうか?

 仮に予算バトルで負けると、怨念を抱えた保守派はさらに強硬になると思います。具体的にはジェブ・ブッシュ候補が標的となりそうで「お前は中絶反対派(プロ・ライフ)だと言っているが信用できない」とか、「移民問題で穏健過ぎる」などの攻撃を強めるに違いありません。

 若手のホープと期待されるマルコ・ルビオ候補なども、右派に寄り添うか、中道のイバラの道を歩くのか、どちらかの選択を迫られるでしょう。どちらに転んでも楽な道ではありません。

  そんな中、保守派の方は、「主張がエスカレートすることで、中間層は離反し、本選候補としては勝ち目がなくなっていく」というワナにどんどんはまっていく ことになります。ということは反対に、「口は悪いが中道的でもある」ドナルド・トランプの支持が回復することも予想できます。

 これを受けたかのようにトランプは週明け早々、CNNの看板キャスターで「ゴールドマン・サックス出身の経済通」であるエリン・バーネットの単独インタビューに応じるという形で、「新税制案」を発表しました。

  その中身ですが、なかなかユニークなもので「単身で年収2万5000ドル(300万円)以下、既婚カップルで5万ドル(600万円)以下の場合は連邦所得 税はゼロ」とする一方で、「単身で年収15万ドル(1800万円)、夫婦で30万ドル(3600万円)」以上の最高税率も40%から25%に下げるという のです。

 その代わり、不公平な節税措置の温床となる複雑な控除や、「タックスホール」(税の抜け道)を改善するのだとタンカを切っていました。「大金持ちやヘッジファンドの連中の中には真っ青になるヤツもいるだろう」というのです。

 こうなると、トランプ氏が共和党の本選候補になる可能性が再度浮上しますが、仮にそうなっても本選で勝つ見込みはやはり少ないでしょう。結果的にはヒラリー・クリントンに有利な情勢になってくると思います。

 ヒラリー候補を含めた民主党の第1回テレビ討論は10月13日に予定されています。一方の共和党の下院議長人事は、ベイナー氏の強く推すケビン・マッカーシー議員という妥当な人事にスンナリ収まるか、こちらの情勢からも目が離せません。

冷泉彰彦
(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を 経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデ ルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載 中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。
(本名前田文夫→【wiki】冷泉彰彦
NEWSWEEK2015.9.29
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/09/post-773_1.php

「PPは臓器・組織売買の常習犯」だというビデオ告発

これかな
『Undercover video shows Planned Parenthood official discussing fetal organs used for research』 
theWashingtonPost 2015.7.14
http://www.washingtonpost.com/politics/undercover-video-shows-planned-parenthood-exec-discussing-organ-harvesting/2015/07/14/ae330e34-2a4d-11e5-bd33-395c05608059_story.html


【youtube】Planned Parenthood Uses Partial-Birth Abortions to Sell Baby Parts

一神教って厄介だな
『Jesus Camp』というドキュメンタリーフィルムを思い出した。
【wiki】 ジーザス・キャンプ〜アメリカを動かすキリスト教原理主義〜

ものすごい分厚い本なのに核心には触れず
一体誰が何のために読む本なのか

が、ちょっと気になる名前があったのでコピペ

新聞と「昭和」
朝日新聞「検証・昭和報道」取材班
朝日新聞出版
2010-06-04


p547
在日韓国・朝鮮人 ルポが行政動かす

 日本が独立した52年、初めて迎えたメーデーで騒乱事件が起きた。5月27日の朝日夕刊社会面トップは、事件に絡み、東京・江東の朝鮮人集落が捜索を受け、朝鮮人団体幹部ら21人が逮捕されたと伝えた。

 記事は、集落を「解放地区」と表現、「当局も・・・・ほとんど手の出ぬ形でパトロールも実施されず」と書く。当時、在日朝鮮人に関する記事は、警察担当記者による事件報道がほとんどだった。
(不逞鮮人が好き放題してたわけですね)

 日韓国交正常化交渉が大詰めを迎えた65年3~4月、朝日は社会面で「日本の中の朝鮮」を連載した。川崎区や大阪市生野区の朝鮮人集落に入り、貧困や差別の実態をルポ。新たな問題意識での取材だった。

 さらに朝日は76年2月27日から4月25日まで「65万人 在日韓国・朝鮮人」を50回掲載、高校入学や就職、融資、社会保障をめぐる差別、労働現場の実態などを伝えた。社会部デスクだった岩垂弘(74)は「朝日は前年、韓国に派遣された取材団が人々の生活などを連載した。今度は、内なる韓国・朝鮮に目をむけなければ、と考えた」と言う。

 川崎支局の前川恵司(63)は、79年10月から翌年9月まで神奈川版で「韓国・朝鮮人」を160回連載した。これまで在日を取り上げた記事は、仮名や匿名が多かった。前川は「本名を明かさないなら何でも書けるが、記事への信頼性は欠け、説得力もない」と本名にこだわった。
(前川恵司氏→週刊新潮・ならば青瓦台に「米軍慰安婦の像」を!

  韓国を支持する民団と北朝鮮支持の朝鮮総連が対立、記者も色分けされた。前川は組織に頼らず取材を進めた。「個々人に話を聞き、自分で判断しようと考え た」。大学生のとき、韓国に旅した前川は「独裁下、沈黙に支配された国」という報道と、エネルギッシュに生きる庶民という現実の落差を感じた。それも個人 にこだわる素地となった。

 連載は在日の子らの悩み、1世の生活し、プロ野球や文学などで活する在日らを取り上げた。

 オモニ(母)の会の宋富子(69)は、本名を名乗る大切さを同胞に説いて回っていた。79年9月、青少年問題の討論会で県知事の長洲一二に在日の子の置かれた状況を訴え、学校の無理解を批判した。長洲は「真剣に取り組まねばならない」と答えた。連載の一コマだ。
(オモニ会:国連まで行って朝鮮学校無償化しないのは差別と訴える反日組織
人権侵害者達 朝鮮学校という侮日工作機関


 神奈川県は3年後、冊子「内なる民際外交 身近な国際理解のために」をつくり、在日外国人の人権問題を啓発した。宋は「朝日の連載は、見えなくされていた私たちの存在を見えるものにし、多くの教員や行政を動かした」と評価する。
(違憲です)

  82年秋、朝日は読者投稿の「歌壇」で「北鮮」という語を使った短歌2首を続けざまに掲載した(10月31日、11月28日)。教師らが抗議の声を上げ た。朝日は当初、「言葉に文句をつけられたら短詩型文学は成り立たぬ」「地域名の略称だと思う」と対応(社内資料)、差別の意図はないことを主張した。

 抗議の加わった社会科教師の内海愛子(68)は、朝鮮史学者の梶村秀樹と明治の朝日新聞などを調べ、韓国併合(1910年8月)以降、「韓国人」「韓人」にかわって「鮮人」という言葉が急速に広く使われるようになったことを明らかにした。朝日は、差別語使用を反省し、社内研修を約束した。
(内海愛子→アンブロークンの裏の赤い人脈(改定復刻版)

 敗戦直後(47年)の在日外国人登録(法務省統計)は約64万人。94%は韓国・朝鮮で約60万人だった。08年の外国人登録は約222万人に達した。うち中国約66万人(30%)、韓国・朝鮮が約59万人(27%)だ。

 様々な文化を背景とする外国人といかに共生するかが問われている。

デタラメ朝鮮人強制連行説をさんざん喧伝したことなどおくびにも出さず
何の検証にもなってない
同様に北朝鮮賛美して北朝鮮帰還事業を煽ったことも拉致問題報道についても
本全体こんな感じ
何なのこれは自画自賛&自己満足本なの?www

p579
あとがき
(部分抜粋)

 準備に1年、紙面展開にさらに1年をかけて、昭和を検証する。そんな贅沢で野心的な試みが動き出したのは、2008年4月19日だった。東京本社新館1階の会議室。船橋洋一主筆の 呼びかけで、文化、社会、外交・国際など書くグループから十数人の記者が集まった。近現代史に関心の深いベテランぞろい。うち半数うは社内外で高い評価を 得た長期連載「新聞と戦争」の経験者だ。その後、社内公募に応じた若手ら数人が加わり、取材班は編集委員6人を含め約20人に。私はそれを「ドリームチーム」と呼んだ。

ははっワロス船橋洋一氏ですか
災厄をもたらした「歴史の和解」

(売国)ドリームチームかな
ハラワタがいい具合に煮えくりかえりますね

【お金は知っている】
北京の対日工作が始まった 共産党支配経済の延命に手を貸してはいけない

中国軍事支出と人民銀行資金供給

 中国の習近平国家主席は9月28日の国連総会演説で、「中国は永遠に覇権を追求せず、拡張(政策)も行わない」と言ってのけた。南シナ海での埋め立てや日本周辺での粗暴な海洋進出など、国際法無視にシラを切り通す魂胆丸出しだが、そんな場合、対外工作付きである。

 日本のメディアに登場する中国専門家の言説をチェックしてみると、やはりそうだった。北京による対日情報操作がどうやら始まり、今後さらに活発になるだろう。

  安倍晋三首相に対し、習主席との「関係修復」を求める専門家たちが一斉に声を上げ始めたのだ。手口はおしなべて「情緒作戦」である。習氏は「嫌日ではな い」、父親が「温厚」だった、出自が政治家の家系で安倍首相と共通する、習氏は安倍氏と同様、戦争を好まない、という具合だ。日中首脳はひざを突き合わせ て話し合えば、日中友好関係を取り戻せるというおとぎ話を、情緒に弱い日本のメディアに書かせようとしている。
(見え見えすぐる)

 筆者が本欄でこれまで一貫して指摘してきたように、習政権の経済政策は八方ふさがりだ。日本のカネも技術もとにかく欲しいのだが、日本企業の多くは中国からの撤退に腐心する。その日本をつなぎ止めようと、上記の対日世論工作に躍起となる。
(持ってるだけで20%減の人民元なんかいらんがな)

 必要なのは、情緒を一切排した、徹底的なリアリズムである。「日中友好」がどう演出されようと、習氏が珍しく笑顔になろうと、中国の対外膨張路線は不変である。共産党指令型経済が続く限り、脅威は増長する。

 グラフは中国の軍拡が2008年9月のリーマン・ショック後ドル増刷(量的緩和)と同時並行して加速したことを示す。米連邦準備制度理事会(FRB)が供給する資金が米金融市場で増殖したあと、中国に流入する。中国人民銀行がドルを買い上げて、人民元資金を発行して不動産開発など固定資産投資を急増させる。膨張する元資金は軍事費の源泉となる。

 経済・軍事膨張の方程式は、FRBの量的緩和政策が昨年10月に打ち止めとなって以来、不調に陥った。ドル流入が見込めなくなったのだ。不動産ブームも冷え切っている。そこで党は上海株価をてこ入れしたが、バブルとなって崩壊した。中国での投資家の大半は、華僑資本と海外拠点を持つ国有企業である。手っ取り早く稼げる市場が見当たらなくなる途端に逃げ出す。

 FRBの利上げは資本逃避をさらに加速させる。FRBはチャイナリスク増大が世界の株式市場に波及するのを恐れて利上げを見送った。中国への依存度が高い米国や欧州の経済界も対中宥和に傾きつつある。

  安倍政権はここで、腹をくくるべきだ。習政権による党支配経済の延命に手を貸したところで、チャイナリスクが緩和するはずはない。中国の市場自壊こそは党 支配体制の改革を促すと、米国を説得すべきだ。オバマ政権もこれまでのへっぴり腰をただすだろう。 (産経新聞特別記者・田村秀男)
zakzak 2015.10.2
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20151002/ecn1510021550001-n1.htm

米の都合で膨らませた中国経済が米の都合でしぼんだ
というように読めるんだけども・・
まぁFRB=米ってわけじゃないみたいだけども・・(ボソ

さてこの方( ゚⊿ ゚)は何て言ってるかな
麻生財務相「大丈夫か」 人民元の国際通貨認定にクギ刺す

 麻生太郎財務・金融担当相は2日の閣議後会見で、中国の人民元の国際通貨認定について、「国際マーケットで自由に売買できるような信頼性が確実に担保されないといけない」との認識を示した。

 中国は国際通貨基金(IMF)に対し、中国の通貨である人民元をドルや円などと並ぶ主要通貨と位置付け「特別引き出し権(SDR)」の構成通貨に採用することを強く求めている。

  SDRはドル、円、ユーロ、ポンドの主要4通貨を合成した仮想通貨のようなもので、IMFが出資比率に応じて加盟国に配っている。経済危機で外貨が足りな くなった加盟国は、SDRと引き換えに他の豊富な外貨準備を持つ加盟国から4通貨のいずれかを融通してもらう仕組みだ。

 中国はその一角に食い込もうと躍起。麻生氏は「人民元が国際通貨になることは決して悪くない」としつつ、「ただある日突然、政府が(市場に)介入するというようなことをやっている間は、『大丈夫か』ということになる」とクギを刺した。
産経ニュース2015.10.2
http://www.sankei.com/economy/news/151002/ecn1510020020-n1.html

やれるもんならやってみたら(ニヤニヤ)=ぶぶ漬け対応 ってとこですかね

中国を批判した日本財務相に「日本経済はさらに悪い」と非難殺到-ドイツメディア

【参考消息】 アンカラで開催された20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、日本の麻生太郎財務相は「充分に予防策を講じなかった上、経済減速と株式市場の波乱を通じ、世界経済に脅威をもたらす」と中国を批判した。

5日付のドイツ紙「南ドイツ新聞」によると、麻生太郎財務相の発言にほかの参会者が大きな不満と憤慨を示した。カナダのオリバー財務相は中国の率直で誠意のある態度に賛意を示したほかに、人心を奮い立たせるシグナルにも言及した。

報 道によると、ドイツ代表団は「日本財務相の発言は大きな怒りを招いた」と示した。EU代表団の参会者は「遠い戦争時代の幽霊を復活させた」と語った。ほか の参会者は「日本経済は中国よりさらに悪く、経済減速に遭遇したにも関わらず、中国は依然として6-7%の経済成長率を維持しているのに対し、日本は経済 衰退に陥った」と反論した。
(翻訳 孫義)新華ニュース2015.9.8
http://news.livedoor.com/article/detail/10564967/

お怒りでございまつねwww
ドイツは今お怒りになってる場合じゃなくなりましたけどね。

【スポーツ雑記帳】
君が代の意味まで理解し、誰よりも“日本人” NZ出身のラグビー日本代表リーチ主将
ラグビー リーチマイケル主将

 2015年、ラグビーW杯がイングランドで開かれる。ラグビーがほかの競技と違うのは、日本代表に海外出身の選手も所属できることだ。

  世界の統括団体であるワールドラグビーでは「3年以上居住し、他国で代表歴がない」などの条件があれば、代表選手になることはできると規定。欧州などの列 強でも“常識”だ。ただ日本では、五輪やサッカーが国籍に準じていることや、単一民族国家であるためか「なぜ外国人がいるのか?」「感情移入できない」と いった意見が出る。
 現在の日本代表も複数の海外出身選手がいる。主将のリーチ・マイケル(東芝)もニュージーランド(NZ)のクライストチャーチ出身だ。来日して10年。現在は国籍も取得しているが、そのマインドはもはや日本人以上かもしれない。
  「試合の前の合宿中には、必ず全員で君が代の練習をします」。ほかの外国出身選手はもちろん、日本人選手にも歌詞の教えることもあるという。「君が代の中 身を自分たちにつなげて、歌詞を理解して歌わないとダメだと思います」と話す。君が代にはいろいろな解釈はあるが、古今和歌集に起源を持ち、長い繁栄を 祈ったものとされる。
15歳で札幌山の手高に留学。東海大を経て東芝入りした。NZ時代にラグビー留学に来た日本人と知り 合って興味を持ち、いつかは行ってみたいと来日2年前から勉強を始めた。「日本に来てから特別な勉強をしたわけではないというが、今では「ひらがな、カタ カナ、漢字も少し。新聞もラグビーの記事ならだいたい分かります」。君が代については「インターネットでいろいろ調べました」と明かす。

 日本代表で海外出身選手が主将を務めるのは、リーチで2人目。初代のアンドリュー・マコーミックは、くしくも同じクライストチャーチ出身で同じ東芝所属だった。

 リーチ自身も、外国人選手の代表入りが一部で抵抗を持って受け止められていることは理解している。そのうえで「それが日本のラグビー文化。前から外国人の代表はいたし、これからもいる。みんな同じぐらい頑張っている」と訴える。
 W杯に向け気持ちは高まっている。「世界一の練習をやってきた。対戦相手が決まってからずっと相手は意識しているし、楽しみ。あとはやるだけです」と意気込む。
日本を愛し、代表に魂をささげていることだけは揺るぎのない事実だ。(芳賀宏)
産経ニュース2015.1.2
http://www.sankei.com/premium/news/150102/prm1501020026-n1.html

君が代の意味まで・・(´;ω;`)うぅありがとう・・・

だけどですね

移民の誰もがアスリートとして活躍できるわけじゃないし
自主的に日本に溶け込もうと努力するわけじゃないだろうし・・
何せ3世になっても4世になっても日本人にはならない人が何十万といるわけで
李信恵国籍は在日

地域のあり方と移民問題 日本の将来をスイスから学ぶ

『月刊Wedge』 2014年12月号

ウルス・ブーヘル (駐日スイス大使)
國松孝次 (元駐スイス大使)
構成:磯山友幸(経済ジャーナリスト)

 (部分抜粋)

移民をスイス社会の中に「統合」する政策

國 松:そうした新規の移住者に対して優しいというスイスのコミュニティの特長は、外国人居住者が増えていく中で、維持していくのがやや難しくなっているので はないでしょうか。EU(欧州連合)やEFTA(欧州自由貿易連合)などの諸国からの外国人居住者が中心の時代は問題はなかったかもしれませんが、それ以 外の第三国からの移住者が増えると、人々の間の文化的な摩擦が増えるなどして、スイス社会も変革を迫られるのではありませんか。

ブーヘ ル:移民問題は今のスイスの政治問題で最大かつデリケートなテーマです。スイスは明らかにグローバル化の勝者として世界有数の豊かな国になりました。国の 門戸を開いて世界中から優秀な頭脳を引き寄せたのです。しかし、一方で負の側面として、移民のコミュニティとの同化や協調といった問題が生じました。60 年代から70年代にかけてのイタリアからの移民はすでに第二世代、第三世代になっています。彼らはすでに、もとのスイス人よりもスイス人らしく振る舞って います。自然に溶け込むことでコミュニティの一員になってきました。

 しかし、一方で、スイスにやってくるすべての外国人がこうした姿勢 を持っているわけではないのも事実です。3~5年働いて国に帰っていく外国人はコミュニティの一員になろうとは考えず、4つある公用語の1つすら学ぼうと はしません。問題なのは、おそらく彼らは納税者としてスイスの富に貢献しているにもかかわらず、市民としての役割を担わず、コミュニティにも関与しないこ とです。

國松:これまでスイスが採ってきた移民政策で、私が感心したのは、スイスの連邦政府がとても明確な移民政策を持っていることです。単純な同化政策でもなく、多文化併立政策でもなく、彼等をスイスの社会の中に「統合」するという政策を採ってきた。スイスの人たちを外国の人たちと調和させる政策だったとも言えます。

ブー ヘル:これまでの移民政策がうまくいったという点は私個人としても同意見です。スイスは小国で天然資源もありません。ではどうやって今のような、世界有数 の豊かな国になったのか。スイスの成功のカギは19世紀から国を開いてきたことです。少なくとも海外からスイスに働きにやってきたい人たちにできる限りベ ストな仕組みを与えてきました。クリエイティブで働く意欲にあふれ、付加価値を増す人々を積極的に受け入れてきました。

 世界最大の食品会社であるネスレや、その他のグローバル企業の多くが19世紀の移民によって創業されました。第二次世界大戦後も移民の受け入れによって革新的な人々をスイスに招き入れ続けた結果、多くの富が生まれました。

  もちろん、彼らはおカネを生み出すだけでなく、社会の中で責任ある役割を担いました。税金を納め、スイスの基準に従い、参政権を得るのは難しいにもかかわ らず、コミュニティの一員となり、社会の役割を担ったのです。有能な外国人をスイスに引き付けるために、給与水準や公共インフラ、医療、学校教育などの 様々な条件を魅力的に保ってきたということです。
http://ironna.jp/article/1371?p=2

移民を受け入れるなら「統合」政策が必須ということですね

なので、より国民国家としてのアイデンティティ(=ナショナリズム=統合の象徴)を強化しなきゃいけない

好き勝手言い散らかす無責任は許されない社会にならないと、別ルーツを背負った人達は尚更統合できない
日の丸に忠誠くらいは誓わないとだめだろうねぇ・・

今現在日本人ではない数十万の人達と
日本国籍はあるけど日本人とはいえない人達をまず「統合」できなければ
更に受け入れることなど無理と言わざるを得ない

移民推進の方々はこれらを覚悟しますか?

そして
統合政策をやってなお、移民に成功した国はないんですよ?
移民1000万人政策 坂中英徳 



p303~306
太平洋戦争の人種的視点ー日独の比較

  第二次世界大戦では日独ともに敗戦の惨劇を演じさせられたが、連合国が日独で異なった対応を示したのが日本人に対する人種的偏見であった。米国軍人の日独 に対する人種的差別意識を第二次世界大戦中にプリンストン大学が行った「戦場における兵士の意識調査」で比べてみよう。この調査によれば「日本兵(ドイツ 兵)を殺すことを好むか」との調査で「日本兵を殺すことを好む」のは44%であったが、「ドイツ兵を殺すことを好む」は6%に過ぎなかった。この人種的偏 見に基づく象徴的な事件は第二次世界大戦中の日系人の強制移住隔離政策であろう。日本海軍がハワイを奇襲すると、その日から日系米人の指導者の逮捕が始ま り、日系米人の銀行預金が封鎖され多くの人が職場から追放さ れた。真珠湾攻撃2カ月後の1942年2月19日には、大統領令により指定地域に住む全日系人に速やかに立ち退くことが勧奨された。大統領令には収容すべ きものを「米国の国防に危害を及ぼすと認められる者」と書かれ、日系人という言葉はなかった。しかし、適用されたのは日系人だけであった。そして移動勧奨 は強制に代わり軍の監督下に集団的強制立ちのきが開始され、11万人以上の日系米人がトラックや列車に乗せられて、有刺鉄線で囲まれたバラック建ての収容 所に戦争が終わるまで収容された。

 ジョン・ダワー『人種偏見』に よれば、白色人種のドイツ人やイタリア人は「まだしも人間だった」が、日本人は人間より下等な動物、爬虫類、虫けら、猿、ゴリラ、犬、ネズ、蛇、ゴキブ リ、害虫などと書かれ、人種的な蔑視吾が報道機関や公式文書の中で、ごく普通に使われていた。日系人は「強制収容所の最終的な宿舎に移住させられるまで、 何週間も何カ月も、馬小屋に詰め込まれ麻袋の上で寝なければならなかった」。特にサンタアニタでは馬の引っ越しと日系米人の到着の間に4日しかなく、馬糞 の匂いのする中に押し込められ入浴設備は、馬用のシャワーであったという。

 このように日本人を猿、毒蛇、ゴキブリなどと動物視した結果、兵士が日本人を殺すことが動物を殺す狩りと変わらない心境になっていた。グレン・グレー『戦士たち』に は、日本兵を一人放ち、その兵士が身の安全を求めて狂ったように逃げ回るのを標的として射撃を楽しんだという話が紹介されている。兵士たちは逃げ回る日本 兵の様子の滑稽さに、あまり笑いすぎて日本兵に的を絞ることができなかった。しかし、ついに弾が命中すると正体全体の雰囲気は大いに盛り上がり、数日間は それを肴にした話題や冗談が続いたと書かれている。このような日本人の動物化に、さらに日本軍が破竹の勢いで欧米諸国のアジアの植民地を占領すると、ジン ギスカンのように西欧社会に進撃してくるとの黄禍の悪夢が重なった。日本人を絶滅しなければ白色人種が絶滅されるという恐怖心が高まり、日本人殲滅へとエ スカレーとしていった(原文ママ:筆者)。

 43年3月にラバウルからニューギニアのラエに向かった輸送船8隻と、駆逐艦4隻を撃沈する と、米豪軍はいかだや救命ボートに乗っていた3000人近くの遭難者を機銃掃射した。そして『TIME』(43年3月15日号)は「低空飛行の戦闘機が生 き残りのジャップでいっぱいの救命ボートを血の海に変えた。ジャップに浴びせられたこの残忍さは、かつて彼らがしばしば示したものであう。今回の攻撃の結 果、岸にたどり着くことができたジャップはほとんどゼロに近かった」 と報じた。

 1943年の米軍の調査によれば米軍兵士の意識も半数 が捕虜にするのではなく、日本兵は1人残さず殺すべきだと考え、また、彼らは日本人は他の敵とは近い殺すか殺されるかの2つに1つしか選択の余地はないと 教えられていた。この結果、終戦の年になると4人に1人が戦闘の目的が陣地を占領することではなく、日本兵をできるだけ多く殺すことに変わった。

  43年5月以後数カ月にわたって、米国政府内で戦後の日本をどう扱うべきかに関する会議が開かれたが、海軍代表はハルゼー提督のモットー「ジャップを殺 せ、殺せ、もっと殺せ」の信奉者であり、日本民族のほぼ完全なる根絶を要求した。その理由はいずれの民族が生き残るかの問題であり、白色人種の文明が危機 にされされているというkとであった。チャーチルも43年5月のワシントン訪問時の議会演説で、日本の大都市や軍需工場を灰燼にするために爆撃を続け、住 民の半数を殺害すべきであると演説していた。

 さらに、広島に原爆を投下する数日前には、アーサー・ニフドフォード海軍中将が「侵略を始 めたのはジャップだ。だから日本は都市なき国家となり、あとに残るのは流浪の民だけだろう」 と言ったと言われている。しかも、世論は終始10から13%の米国人が日本人の「絶滅」を支持し、終戦の年には33%が国家としての日本の崩壊を支持して いた。それは原爆投下20日後の8月26日に実施したギャラップの世論調査で、日本の都市への原爆投下を肯定する者が85%、さらに『FORTUNE』 (45年12月号)誌が11月30日に行った世論調査でも、党かを肯定する者が53・5%、「もっと原爆を使う機会があれば良かった」が22.7%、投下 すべきではなかったというのはわずか4.5%に過ぎなかった。また、チャールズ・A・プラムリー下院議員はジェイムズ・バーンズ国務長官に原爆投下を祝う 電報を送ったが、その電文には「米国の民衆は貴殿と大統領を最大限支持しながら、今こそ、黄禍を永遠に絶滅する時であると決意しました。・・・・ねずみは キイキイ鳴かせればよい」と書かれていた。

あのジョン・ダワー氏が以前はこういうことを書いていて
今「日本のアジア加虐史観」と言ってるのがちょっと理解できない
(日米離反工作???)
ジョン・ダワーとハーバート・ノーマンと「アジアへの加害責任」 

参考

【youtube】 【6月15日配信】チャンネルくらら座談会 「コミンテルン研究の第一人者平間洋一先生をお迎えして」 第1回 宮脇淳子・倉山満 【チャンネルくらら】

安保法制反対派が二言目に言う「アメリカの戦争に巻き込まれる」

それがおかしな論理なのは
そもそも日本国憲法はアメリカが作ったものだということ
だからアメリカのコントロールから抜けたいならますます改憲する必要がある
(※反米ではない)
アメリカのポチと罵りながらその枠に意地でもしがみつく滑稽ときたら

そしておかしなことがもう一つ

SEALDsの前身SASPL
SASPLツワネ原則
http://spearprojpn.strikingly.com/

①情報公開に関する国際原則であるツワネ原則に大きく反していること。

ツワネ原則はですねぇ
オープンソサエティ財団ツワネ原則
アメリカの財団(Open Society Justice Initiative)
オープンソサエティ財団=ジョージ・ソロス
吉松育美さん騒動16 「国際基準」に踊るのを見て笑う人がいる 

アメリカの戦争に巻き込まれる!と言いつつアメリカの財団の出した指標を盲信っておかしくないですか?
(もちろんアメリカは一枚岩でないが)

岩上安身ツイッターモートンハルペリンツワネ原則
モートン・ハルペリン氏

【wiki】モートン・ハルペリン
モートン・ハルペリン(Morton H. Halperin、1938年6月13日 - )は、アメリカ合衆国の政治学者。専門は、外交政策論、核戦略論。現在、外交問題評議会上級フェローおよびオープン・ソサエティ財団上級顧問

コ ロンビア大学卒業後、イェール大学で博士号取得。ハーバード大学を経て、ジョンソン政権時代に国防次官補代理(1966-1969年)、ニクソン政権時代 に国家安全保障会議メンバー(1969年)、そしてクリントン政権時代には大統領特別顧問、国家安全保障会議メンバー、国務省政策企画本部長 (1998-2001年)などを歴任。また、1984年から1992年までアメリカ自由人権協会のワシントンDC支部長を務めた。

ただの財団顧問じゃないですね

だからSEALDsとその前身SASPLは
日本を引き続き米のコントロール下に置こうと活動している
当人達はそう思っていないかもしれないけども
結果としてそうなっているわけですね

日本国民は誰しもアメリカの戦争になんか巻き込まれたいとは思っていない
左の人は勘違いしている気がするけど右の人も情けない米ポチ状態から脱却すべしと思っているわけです(=戦後レジームからの脱却)

安倍晋三はそれをやろうとしている
かもしれない
違うかもしれない
言ってるだけで実は更にポチになろうとしているかもしれない

そこは正しく監視して批判しなきゃいけない
ただ反権力思考で「安倍しね」と言ってるだけじゃだめだ
まして米財団の指標を元に批判しているようでは・・・

SEALDsの資金源はもしかしてある国では、と思っている人はいるだろう
その中に米国が入らない人がまだまだ多いみたいで、危惧するところ。
(資金提供があったかどうかは知らないけども・・)

「オレンジ革命とかですね、アメリカの民主化基金が反体制派に資金を流したり、デモやる時に英語のプラカード掲げなさいとかね、シンボルカラーを使ってTVカメラを意識しなさいとかノウハウの伝授をアメリカがずっとやって来てたんですね。」
陰謀論じゃない。ウクライナで起こったこと。

SEALDsデモ@国会前
英語のプラカードばっかり
SEALDsプラカ英語ばかりcat
https://twitter.com/catbsky/status/614689595741990913

アメリカの戦争に巻き込まれたくないなら
自分の頭で考えて一歩でも抜け出せ
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