反日はどこからくるの
反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。
ユネスコやばい。慰安婦も来るで。
【世界記憶遺産】
日本は無効狙い反論へ 政治利用許したずさんなユネスコ…門外漢の委員、抗日行事参加の親中の事務局長
国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に中国が申請していた「南京大虐殺文書」が登録された問題は、中国の日本攻撃にユネスコが政治利用されたものといえる。
日本は無効狙い反論へ 政治利用許したずさんなユネスコ…門外漢の委員、抗日行事参加の親中の事務局長
国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に中国が申請していた「南京大虐殺文書」が登録された問題は、中国の日本攻撃にユネスコが政治利用されたものといえる。
今後、中国側が登録申請した具体的な文書が公表される。日本側は「第2ラウンド」として文書が歴史的事実に即した真正の文書であるかを検証する。日本側は、中国側の文書は「歴史的な検証に耐えられるものではない」とみており反論していく構えだ。
政府関係者は「今回の登録は極めて政治的な判断だ。内容次第では『南京大虐殺文書』の登録を無効にできる議論まで持ち込む可能性も残されている」と語る。その上で、登録された後でも「日本の主張を言い続けることがもっとも大事だ」と強調する。
◇
2年に1度の記憶遺産登録のカギを握るのは、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長が任命する14人からなる国際諮問委員会(IAC)だ。申請案件を審査し、その結果を事務局長に勧告する役割を持つ。
14人は「公文書保管の専門家」というのが表向きの説明だが、実際は「ユネスコの事業職出身者のような門外漢もいる」(ユネスコに詳しい関係者)。委員就任にあたっては出身国からの推薦もない。
委員の半分は2年で交代するしくみで、今回も8月に半数が交代したばかり。新任の委員は10月4~6日のIACまでにおよそ90の申請案件に目を通さなければならなかったことになる。
審査の結果、IACは「南京大虐殺文書」を認め、「慰安婦関連資料」は認めなかった。もともと日本側は「中国の“本命”は南京で、慰安婦は“捨て駒”」とみていた。慰安婦は韓国と連携して登録申請する道が残されているからだ。委員もこの認識を共有していたとみられる。
産経ニュース2015.10.11
http://www.sankei.com/politics/news/151011/plt1510110005-n1.html
審査の結果、IACは「南京大虐殺文書」を認め、「慰安婦関連資料」は認めなかった。もともと日本側は「中国の“本命”は南京で、慰安婦は“捨て駒”」とみていた。慰安婦は韓国と連携して登録申請する道が残されているからだ。委員もこの認識を共有していたとみられる。
日本側の見方が正しかったことは審査結果で裏付けられた。ユネスコに詳しい関係者は「IACが中国の意向を汲(く)んで、中国と日本の双方の顔を立てるために“一勝一敗”とした」と解説する。結果は政治的判断だったのだ。
IACの勧告を承認し、登録を最終的に決定したのはボコバ事務局長だ。日中双方から働きかけを受けており、自身の判断がもたらす影響をわかっていたはず。
日本政府関係者は「保留することもできたが、結局は自身の判断で登録が決まった」と語り、ボコバ氏の了承もまた、政治判断だったとの認識を示した。
◇
ボコバ氏はブルガリアの元外相。中国と良好な関係にあることは国連関係者の間では有名だ。9月には北京での抗日戦争勝利記念行事にも出席した。
その際には、習近平国家主席夫人と会談し、中国がアフリカなどでの女子教育普及を積極的に支援していることに謝意を伝えた。国際機関の資金繰りが厳しい状況で、中国は貴重な存在だ。次期国連事務総長の有力候補でもあり、国連安保理常任理事国の中国の支持が不可欠なことは言うまでもない。
ユネスコに詳しい関係者は「ボコバ氏は共産圏で育った人物。日本側はボコバ氏が自分たちと同じ価値観を持つと思って働きかけていたが、それは間違いだった」とも語る。
ある外務省幹部はこう漏らす。
「ユネスコ事務局長には最後のキャリアとして仕事をしてほしい。事務局長が国連事務総長ポストを狙うとユネスコが出世のための踏み台として政治利用されてしまうことになる」(田北真樹子、佐々木正明)産経ニュース2015.10.11
http://www.sankei.com/politics/news/151011/plt1510110005-n1.html
ユネスコ事務局長イリナ・ボコヴァ@中国軍事パレード
http://dogma.at.webry.info/201510/article_2.html
これには驚いた
https://twitter.com/SatoMasahisa/status/654092559191400448
慰安婦「共同申請を奨励」=ユネスコから意見と中国-記憶遺産
【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は12日の記者会見で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に中国が申請し登録が見送られた旧日本軍の「従軍慰安婦」に関する資料について、ユネスコ側から「関係国との共同申請を勧める意見があった」と述べた。
従軍慰安婦に関する記録については、韓国も記憶遺産に申請する計画を進めており、2017年の登録を目指している。
華副局長は「ユネスコの意見を真剣に考慮し検討する」と述べ、再度の申請を目指す方針を示した。
華副局長によると、意見は「中国以外にも慰安婦問題の被害国がある。このため、ユネスコの国際諮問委員会は規定に基づき、関係国の共同申請を奨励し、17年の次回会議で審査する」との内容だという。ユネスコのどのレベルから伝えられたのかなど具体的状況は明らかでない。
ユネスコの報道担当者は「そうした事実は把握していない」と話している。
ユネスコは4日からアラブ首長国連邦で国際諮問委員会を開催。中国が申請した旧日本軍の「南京事件」に関する資料は記憶遺産への登録が認められた。日本政府は「中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾」と表明、中国側にも抗議している。
時事ドットコム(2015/10/12-18:57)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2015101200248
【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は12日の記者会見で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に中国が申請し登録が見送られた旧日本軍の「従軍慰安婦」に関する資料について、ユネスコ側から「関係国との共同申請を勧める意見があった」と述べた。
従軍慰安婦に関する記録については、韓国も記憶遺産に申請する計画を進めており、2017年の登録を目指している。
華副局長は「ユネスコの意見を真剣に考慮し検討する」と述べ、再度の申請を目指す方針を示した。
華副局長によると、意見は「中国以外にも慰安婦問題の被害国がある。このため、ユネスコの国際諮問委員会は規定に基づき、関係国の共同申請を奨励し、17年の次回会議で審査する」との内容だという。ユネスコのどのレベルから伝えられたのかなど具体的状況は明らかでない。
ユネスコの報道担当者は「そうした事実は把握していない」と話している。
ユネスコは4日からアラブ首長国連邦で国際諮問委員会を開催。中国が申請した旧日本軍の「南京事件」に関する資料は記憶遺産への登録が認められた。日本政府は「中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾」と表明、中国側にも抗議している。
時事ドットコム(2015/10/12-18:57)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2015101200248
青山繁晴氏「2年後には従軍慰安婦が登録されることになっている」
【youtube】【青山繁晴】もうユネスコ脱退しかない!!南京事件だけじゃなく2年後には慰婦も登録されてしまう!!インサイトコラム 2015年10月14日(水)
これらをある程度裏付けできる画像がこれ
曹渓宗とユネスコ、児童救護協約を締結
(2010.10.12)
http://jp.koreanbuddhism.net/jokb/press/view.asp?article_seq=7351&page=3&search_key=&search_value=
(2010.10.12)
http://jp.koreanbuddhism.net/jokb/press/view.asp?article_seq=7351&page=3&search_key=&search_value=
曹渓宗といえば
ナヌムの家を運営していたり
ユネスコに働きかけて文化財返還運動をやったりしているところ
→【カテゴリ・曹渓宗】
パリのユネスコ本部に協力を要請した慧門師一行
→盗人僧侶
以前から彼らはユネスコでロビーを続けてきた
この先も南京大虐殺()登録のようなことが続くのだろう
これで終わりではない
記憶遺産登録くらい、と思う人は本当に考えて欲しい
過去を塗り替えるのは未来の侵略のため
→ディスカウント・ジャパンは侵略の布石
戦闘はなくとも戦争はある
我々は何としてもこの情報戦に勝たなければ未来はない
「北
朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦の末やっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘たちがつぎつぎに
まずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々辱められたうえ、虐殺されている光景であった。最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命を
たどるであろうことを不憫(ふびん)に思い、松の木に縊(くび)って自決させた」
【韓国の本性】(2)終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
【韓国の本性】(2)終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
またこんな悲劇を繰り返したいですか?
週刊新潮・「エンブレム」審査を「佐野研」出来レースにした電通のワル
「エンブレム」審査を「佐野研」出来レースにした電通のワル
7月24日にアートディレクターの佐野研二郎氏(43)が 手掛けた東京五輪の大会エンブレムが発表されてから、9月1日に使用中止が決まるまで――この期間、あらゆる問題が次々と浮上し、新聞、テレビは連日、 ニュースを流し続けた。が、次の点を詳(つまび)らかにした報道は今のところまだない。佐野氏の案はどういう経緯で選ばれ、修正され、そして使用中止に 至ったのか。審査委員や五輪組織委員会の関係者など、証言を重ね合わせていくと、問題の背景に浮かび上がるのは、ある「電通マン」の存在……。
***
「今回のエンブレムの選出経緯は、コンペの名を借りた不当な選出方法であったと言わざるを得ない」
匿名を条件に取材に応じた審査委員はそう断ずる。エンブレム選出の当事者の口から飛び出した“不当”という厳しい言葉。選出の背景に深刻な問題があったことをうかがわせるが、
「今 回の件が分かりづらくなっているのは、ベルギーのリエージュ劇場のロゴデザインを担当したオリビエ・ドビ氏が“盗作だ”として提訴した問題以外に、佐野氏 がデザインを手掛けたトートバッグの盗作問題など、制作者としての問題が複数噴出しているため。しかし、それとは別次元のこととして、調査しなければなら ないのが、最終案決定の経緯の不透明さについてです」
7月24日に大々的に発表されたエンブレムは、審査委員がコンペで選んだ「原案」 に2度の修正が加えられて出来上がったものである。五輪組織委員会の森喜朗会長と武藤敏郎事務総長には、原案が決まった段階で報告。また、武藤氏が記者会 見で明らかにしたところによると、佐野氏側が1度目の修正案を示した際には、「躍動感がなくなった」という理由で再修正を依頼したという。
「そもそも、原案に似た商標登録がすでにあり、原案のままだと商標登録が通らない可能性があるので修正をかける、という報告は、審査委員は受けていない。つまり、修正は審査委員への報告がないまま勝手に進められたことになる。極めて不適切なやり方です」
と、審査委員は明かす。
「ま た、森氏と武藤氏が原案に対して意見を述べ、修正に関与し、最終案が制作されたことが事実なら、最終案はこの2人によって方向付けられ、判断され、決定し たデザインということになる。専門家ではない人がデザインに口を出すのであれば、何のために審査委員が集まってデザインコンペを行なったのか分からない。 これは完全なるルール違反で、不当なコンペです」
この審査委員が「修正」の事実を知ったのは、エンブレムが発表される直前だった。が、審査委員8人の中に1人だけ、早くから修正について把握していた人物がいる。大手広告代理店「電通」の社員、高崎卓馬氏(45)。彼はエンブレムの審査委員であるのと同時に、
「五輪組織委員会のクリエーティブ・ディレクターでもある。彼は、審査委員としてではなく、五輪組織委員会の人間として、エンブレムの修正に携わっていたのです。修正案のデザインを審査委員に報告する役目を負っていたのも高崎氏です」(組織委関係者)
■審査委員の人選も担当
気になる点はまだある。
エンブレムの発表後、佐野氏が手掛けたサントリーのトートバッグに 「盗作疑惑」が持ち上がったのはご存じの通りだが、件(くだん)のトートバッグキャンペーンを展開していたのはサントリーの「オールフリー」という商品 で、その広告を担当していたのは、「電通」社員としての高崎氏。ちなみに佐野氏のエンブレムが発表された7月24日は、まさにトートバッグキャンペーンが 行われている最中でもあった。
また、本誌(「週刊新潮」)8月27日号では、エンブレムと同時に発表されたその「紹介曲」にもパクリ疑惑が 囁かれていることを報じたが、ここにも高崎氏は登場する。中心になってスタッフを集め、問題の紹介曲の制作を「統括」したのが高崎氏なのだが、そう、エン ブレムを巡るあらゆる「疑惑の糸」が、彼に繋がるのだ。あたかも、高崎氏こそが騒動の「黒幕」であり、一番の「ワル」であることを指し示すように――。
ここで時計の針を一旦巻き戻したい。
組織委員会がエンブレムのデザインのエントリー受付を開始したのは昨年9月12日である。エントリー登録後は11月4日から11日までの間にデザイン案や展開例などを提出。選考は11月17日と18日の2日間で行なわれ、最終的に佐野氏の「原案」が選ばれた。
では、審査を行なった8人の審査委員の顔ぶれを決めたのは誰なのかというと、
「デザインの有識者の意見をふまえた上で、高崎氏が人選を行なったと聞いた」(先の審査委員)
つまり高崎氏は、組織委員会のクリエーティブ・ディレクターとして審査委員の人選を担い、自らも審査委員となったのである。デザイン修正の際だけではな く、彼は最初の段階から、「組織委幹部」と「審査委員」という2つの顔を使い分けることのできる“特別な立場”にあったのだ。
■組織委員会の隠蔽体質
「エ ンブレムの審査は、東京港区にあるTKP田町カンファレンスセンターで行なわれました。審査会場にいたのは、8人の審査委員と、その他数十名の関係者。組 織委のマーケティング局や事務関係の人たちです。審査1日目に104点の作品を14点まで絞り込み、2日目には投票とディスカッションを繰り返して14点 の中から佐野氏の原案が選ばれました」(先の組織委関係者)
佐野氏の案は、展開例の豊富さで他の案を圧倒していたというが、後に、その展開例を示すために使用していた空港の写真に盗用疑惑が浮上。それも影響して「白紙撤回」が決まった。
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり2015.9.18
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150918-00010000-shincho-soci
7月24日にアートディレクターの佐野研二郎氏(43)が 手掛けた東京五輪の大会エンブレムが発表されてから、9月1日に使用中止が決まるまで――この期間、あらゆる問題が次々と浮上し、新聞、テレビは連日、 ニュースを流し続けた。が、次の点を詳(つまび)らかにした報道は今のところまだない。佐野氏の案はどういう経緯で選ばれ、修正され、そして使用中止に 至ったのか。審査委員や五輪組織委員会の関係者など、証言を重ね合わせていくと、問題の背景に浮かび上がるのは、ある「電通マン」の存在……。
***
「今回のエンブレムの選出経緯は、コンペの名を借りた不当な選出方法であったと言わざるを得ない」
匿名を条件に取材に応じた審査委員はそう断ずる。エンブレム選出の当事者の口から飛び出した“不当”という厳しい言葉。選出の背景に深刻な問題があったことをうかがわせるが、
「今 回の件が分かりづらくなっているのは、ベルギーのリエージュ劇場のロゴデザインを担当したオリビエ・ドビ氏が“盗作だ”として提訴した問題以外に、佐野氏 がデザインを手掛けたトートバッグの盗作問題など、制作者としての問題が複数噴出しているため。しかし、それとは別次元のこととして、調査しなければなら ないのが、最終案決定の経緯の不透明さについてです」
7月24日に大々的に発表されたエンブレムは、審査委員がコンペで選んだ「原案」 に2度の修正が加えられて出来上がったものである。五輪組織委員会の森喜朗会長と武藤敏郎事務総長には、原案が決まった段階で報告。また、武藤氏が記者会 見で明らかにしたところによると、佐野氏側が1度目の修正案を示した際には、「躍動感がなくなった」という理由で再修正を依頼したという。
「そもそも、原案に似た商標登録がすでにあり、原案のままだと商標登録が通らない可能性があるので修正をかける、という報告は、審査委員は受けていない。つまり、修正は審査委員への報告がないまま勝手に進められたことになる。極めて不適切なやり方です」
と、審査委員は明かす。
「ま た、森氏と武藤氏が原案に対して意見を述べ、修正に関与し、最終案が制作されたことが事実なら、最終案はこの2人によって方向付けられ、判断され、決定し たデザインということになる。専門家ではない人がデザインに口を出すのであれば、何のために審査委員が集まってデザインコンペを行なったのか分からない。 これは完全なるルール違反で、不当なコンペです」
この審査委員が「修正」の事実を知ったのは、エンブレムが発表される直前だった。が、審査委員8人の中に1人だけ、早くから修正について把握していた人物がいる。大手広告代理店「電通」の社員、高崎卓馬氏(45)。彼はエンブレムの審査委員であるのと同時に、
「五輪組織委員会のクリエーティブ・ディレクターでもある。彼は、審査委員としてではなく、五輪組織委員会の人間として、エンブレムの修正に携わっていたのです。修正案のデザインを審査委員に報告する役目を負っていたのも高崎氏です」(組織委関係者)
■審査委員の人選も担当
気になる点はまだある。
エンブレムの発表後、佐野氏が手掛けたサントリーのトートバッグに 「盗作疑惑」が持ち上がったのはご存じの通りだが、件(くだん)のトートバッグキャンペーンを展開していたのはサントリーの「オールフリー」という商品 で、その広告を担当していたのは、「電通」社員としての高崎氏。ちなみに佐野氏のエンブレムが発表された7月24日は、まさにトートバッグキャンペーンが 行われている最中でもあった。
また、本誌(「週刊新潮」)8月27日号では、エンブレムと同時に発表されたその「紹介曲」にもパクリ疑惑が 囁かれていることを報じたが、ここにも高崎氏は登場する。中心になってスタッフを集め、問題の紹介曲の制作を「統括」したのが高崎氏なのだが、そう、エン ブレムを巡るあらゆる「疑惑の糸」が、彼に繋がるのだ。あたかも、高崎氏こそが騒動の「黒幕」であり、一番の「ワル」であることを指し示すように――。
ここで時計の針を一旦巻き戻したい。
組織委員会がエンブレムのデザインのエントリー受付を開始したのは昨年9月12日である。エントリー登録後は11月4日から11日までの間にデザイン案や展開例などを提出。選考は11月17日と18日の2日間で行なわれ、最終的に佐野氏の「原案」が選ばれた。
では、審査を行なった8人の審査委員の顔ぶれを決めたのは誰なのかというと、
「デザインの有識者の意見をふまえた上で、高崎氏が人選を行なったと聞いた」(先の審査委員)
つまり高崎氏は、組織委員会のクリエーティブ・ディレクターとして審査委員の人選を担い、自らも審査委員となったのである。デザイン修正の際だけではな く、彼は最初の段階から、「組織委幹部」と「審査委員」という2つの顔を使い分けることのできる“特別な立場”にあったのだ。
■組織委員会の隠蔽体質
「エ ンブレムの審査は、東京港区にあるTKP田町カンファレンスセンターで行なわれました。審査会場にいたのは、8人の審査委員と、その他数十名の関係者。組 織委のマーケティング局や事務関係の人たちです。審査1日目に104点の作品を14点まで絞り込み、2日目には投票とディスカッションを繰り返して14点 の中から佐野氏の原案が選ばれました」(先の組織委関係者)
佐野氏の案は、展開例の豊富さで他の案を圧倒していたというが、後に、その展開例を示すために使用していた空港の写真に盗用疑惑が浮上。それも影響して「白紙撤回」が決まった。
先の組織委関係者は、
「撤回の流れとなったのは、写真の問題よりも、佐野氏の原案と、ドイツのタイポグラファー、ヤン・チヒョルト氏の展覧会ポスターの酷似が判明したことのほうが大きかった」
審査の際、作品にはそれぞれ番号が振られ、制作者名は伏せられていた。
先の審査委員は、
「私個人について限定するなら、審査の最後まで、それが佐野氏の作品だとは全く分からなかった」
と話すが、事情に詳しいデザイナーはこう語る。
「審査委員の中には、どれが佐野氏の作品か気付いていた人もいたようです。ただ、審査が密室で行なわれたことを批判する声も出ているようですが、問題はそこではない。そもそも、審査が密室で行なわれるのは当然のことです」
では何が問題なのかと言えば、やはりデザインの「修正」の経緯についてで、
「原 案の商標登録が通らない可能性があるなら、すぐにその作品を諦めて別の作品を選び直せばいいだけ。にもかかわらず、審査委員に無断で修正する、という方法 を選んだのは不可解そのもので、当然、修正に関わった高崎氏には疑いの眼差しが向けられることになります。電通社員、組織委幹部、審査委員という3つの顔 を持つ高崎氏には、佐野氏の案を“出来レース”のレールに乗せなければならない理由があったのではないか、と」(同)
先の審査委員が語る。
「エ ンブレムの最終案決定の経緯の不透明さについて調査しなければ、問題の本質に到達できず、同じことが繰り返されることになる。組織委員会の隠蔽体質が変わ らない限り、問題が起こるたびに、その責任を、問題に関係した専門家に押しつけて逃げる、という同じことが起こります」
果たしてこの警告は、組織委員会に届くのか――。
【特集】「『五輪序曲』不協和音の演奏者」より
※「週刊新潮」 2015年9月17日号「撤回の流れとなったのは、写真の問題よりも、佐野氏の原案と、ドイツのタイポグラファー、ヤン・チヒョルト氏の展覧会ポスターの酷似が判明したことのほうが大きかった」
審査の際、作品にはそれぞれ番号が振られ、制作者名は伏せられていた。
先の審査委員は、
「私個人について限定するなら、審査の最後まで、それが佐野氏の作品だとは全く分からなかった」
と話すが、事情に詳しいデザイナーはこう語る。
「審査委員の中には、どれが佐野氏の作品か気付いていた人もいたようです。ただ、審査が密室で行なわれたことを批判する声も出ているようですが、問題はそこではない。そもそも、審査が密室で行なわれるのは当然のことです」
では何が問題なのかと言えば、やはりデザインの「修正」の経緯についてで、
「原 案の商標登録が通らない可能性があるなら、すぐにその作品を諦めて別の作品を選び直せばいいだけ。にもかかわらず、審査委員に無断で修正する、という方法 を選んだのは不可解そのもので、当然、修正に関わった高崎氏には疑いの眼差しが向けられることになります。電通社員、組織委幹部、審査委員という3つの顔 を持つ高崎氏には、佐野氏の案を“出来レース”のレールに乗せなければならない理由があったのではないか、と」(同)
先の審査委員が語る。
「エ ンブレムの最終案決定の経緯の不透明さについて調査しなければ、問題の本質に到達できず、同じことが繰り返されることになる。組織委員会の隠蔽体質が変わ らない限り、問題が起こるたびに、その責任を、問題に関係した専門家に押しつけて逃げる、という同じことが起こります」
果たしてこの警告は、組織委員会に届くのか――。
【特集】「『五輪序曲』不協和音の演奏者」より
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり2015.9.18
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150918-00010000-shincho-soci
東京五輪エンブレム「紹介曲」にも浮上した深刻なパクリ疑惑
アートディレクターの佐野研二郎氏(43)が手掛けた2020年東京五輪の大会エンブレムが発表されたのは7月24日。その後、ベルギーの劇場ロゴとの 「酷似疑惑」が浮上したのはご承知の通りだが、ここへきて、エンブレムと同時に発表された「紹介曲」にも、深刻なパクリ疑惑が――。
***
動画投稿サイトYouTubeの検索欄に「東京五輪」「エンブレム」「紹介」、とキーワードを打ち込むと、〈東京2020オリンピック・パラリンピック競 技大会 エンブレム紹介(2分20秒版)〉という動画がヒット、再生ボタンをクリックするとエンブレムの紹介曲を聞くことが出来る。目下、関係者の間でそれと「酷 似している」と指摘する声が上がっているのが、オーストラリア人のJonathan Boulet氏が5年前に作った「You're A Animal」という楽曲。こちらもYouTubeで視聴可能だ。
両方の曲を聞いてみると、躍動感のある打楽器のリズム、スピード、コーラスの入り方や旋律までそっくりだが、専門家はどう見るか。
■トヨタのテレビCM
「まず、打楽器が使われている部分を音圧分析すると、五輪の方が148BPM(1分間で148のリズムを刻んでいる)、Jonathan氏の方が140BPM。8BPMの差は一般人には聞き分けがつかないほどで、これは非常に似ていると言っていいでしょう」
そう話すのは、音響研究所所長の鈴木松美氏だ。
「次にコーラスの部分ですが、最初のメロディーの頭から3つ分の音符が一緒。その後のキーも、全体的に非常に似ている。コーラスが、エコーを掛けた部分を含めて5秒間伸びている点でも一致しています」
エンブレム紹介曲の制作を統括したのは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のクリエーティブ・ディレクターとしてエンブレムの審査委員も務め、大手広告代理店「電通」の社員でもある高崎卓馬氏。組織委戦略広報課の担当者が説明する。
「作曲は主にアメリカで活動をしているFumitake Igarashi氏とYohei Nakamura氏によるもの。(音楽プロデューサーの)福島節氏も制作スタッフの1人として参加しています。(彼らは)高崎が、仕事で出会った信頼のおけるメンバーです。今回の件について、高崎は“パクリなどではない。完全なオリジナル曲だ”と話しています」
しかし――こんな“気になる証言”がある。
「実は、Jonathan Boulet氏の『You're A Animal』は7月4日から全国で放送されている『TOYOTA GAZOO Racing』のテレビCMで使われています」
とは、CM制作に詳しい関係者である。
「そして、そのトヨタのCM制作において、クリエーティブ・ディレクターなどを務めていたのが電通の高崎氏、音楽プロデューサーが福島氏なのです。こうした背景をみると、エンブレム紹介曲を“オリジナル”と主張するのは非常に苦しいように思います」
スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が慨嘆する。
「東京五輪を巡っては、とにかく人材が低劣なのが目立つ。だからこそ次々と問題が発覚し、音楽のパクリ疑惑まで出てくるのです」
もはや誰も、「パクリ天国」中国のことを笑えまい。
「ワイド特集 陽炎の人」より
※「週刊新潮」2015年8月27号
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり2015.8.28
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150828-00010003-shincho-soci
アートディレクターの佐野研二郎氏(43)が手掛けた2020年東京五輪の大会エンブレムが発表されたのは7月24日。その後、ベルギーの劇場ロゴとの 「酷似疑惑」が浮上したのはご承知の通りだが、ここへきて、エンブレムと同時に発表された「紹介曲」にも、深刻なパクリ疑惑が――。
***
動画投稿サイトYouTubeの検索欄に「東京五輪」「エンブレム」「紹介」、とキーワードを打ち込むと、〈東京2020オリンピック・パラリンピック競 技大会 エンブレム紹介(2分20秒版)〉という動画がヒット、再生ボタンをクリックするとエンブレムの紹介曲を聞くことが出来る。目下、関係者の間でそれと「酷 似している」と指摘する声が上がっているのが、オーストラリア人のJonathan Boulet氏が5年前に作った「You're A Animal」という楽曲。こちらもYouTubeで視聴可能だ。
両方の曲を聞いてみると、躍動感のある打楽器のリズム、スピード、コーラスの入り方や旋律までそっくりだが、専門家はどう見るか。
■トヨタのテレビCM
「まず、打楽器が使われている部分を音圧分析すると、五輪の方が148BPM(1分間で148のリズムを刻んでいる)、Jonathan氏の方が140BPM。8BPMの差は一般人には聞き分けがつかないほどで、これは非常に似ていると言っていいでしょう」
そう話すのは、音響研究所所長の鈴木松美氏だ。
「次にコーラスの部分ですが、最初のメロディーの頭から3つ分の音符が一緒。その後のキーも、全体的に非常に似ている。コーラスが、エコーを掛けた部分を含めて5秒間伸びている点でも一致しています」
エンブレム紹介曲の制作を統括したのは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のクリエーティブ・ディレクターとしてエンブレムの審査委員も務め、大手広告代理店「電通」の社員でもある高崎卓馬氏。組織委戦略広報課の担当者が説明する。
「作曲は主にアメリカで活動をしているFumitake Igarashi氏とYohei Nakamura氏によるもの。(音楽プロデューサーの)福島節氏も制作スタッフの1人として参加しています。(彼らは)高崎が、仕事で出会った信頼のおけるメンバーです。今回の件について、高崎は“パクリなどではない。完全なオリジナル曲だ”と話しています」
しかし――こんな“気になる証言”がある。
「実は、Jonathan Boulet氏の『You're A Animal』は7月4日から全国で放送されている『TOYOTA GAZOO Racing』のテレビCMで使われています」
とは、CM制作に詳しい関係者である。
「そして、そのトヨタのCM制作において、クリエーティブ・ディレクターなどを務めていたのが電通の高崎氏、音楽プロデューサーが福島氏なのです。こうした背景をみると、エンブレム紹介曲を“オリジナル”と主張するのは非常に苦しいように思います」
スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が慨嘆する。
「東京五輪を巡っては、とにかく人材が低劣なのが目立つ。だからこそ次々と問題が発覚し、音楽のパクリ疑惑まで出てくるのです」
もはや誰も、「パクリ天国」中国のことを笑えまい。
「ワイド特集 陽炎の人」より
※「週刊新潮」2015年8月27号
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり2015.8.28
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150828-00010003-shincho-soci
佐野研二郎氏らに組織委が事前要請 東京オリンピックのエンブレム案
佐 野研二郎氏がデザインした2020年東京オリンピックのエンブレムが白紙撤回された問題に関して、2014年9月の公募発表前に佐野氏など8人のデザイ ナーに個別に参加を求める招待状を送っていたことが明らかになった。組織委員会が9月28日、エンブレム問題に関する内部調査を発表する会見で発表した。 NHKニュースなどが報じた。
ハフィントンポスト2015.9.29
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/28/sano-kenjiro-problem_n_8211498.html
佐 野研二郎氏がデザインした2020年東京オリンピックのエンブレムが白紙撤回された問題に関して、2014年9月の公募発表前に佐野氏など8人のデザイ ナーに個別に参加を求める招待状を送っていたことが明らかになった。組織委員会が9月28日、エンブレム問題に関する内部調査を発表する会見で発表した。 NHKニュースなどが報じた。
日刊スポーツによると、公募の発表は2014年9月12日だったが、8人には3日前の9月9日に、招待状が発送されたという。組織委は「我が国で現在考えられる最高水準のコンペとし、トップレベルの競い合いを実現するため」と主張。審査委員代表から「熱意を持って制作に取り組んでもらうことにしたい」との意向があったため、マーケティング局長の判断で文書を送付したという。最終選考に残った佐野氏を含む上位3人は、事前の要請を受けたデザイナーだった。
大
会組織委員会の森喜朗会長は28日の会見で「国民のみなさまにご心配をかけたことをおわびしたい」とエンブレム問題を公式に謝罪した。新エンブレムの公募
や選考を行う「エンブレム委員会」の設置も理事会で承認された。プロ野球・ソフトバンクの王貞治球団会長や実業家の夏野剛氏ら19人で構成される。ハフィントンポスト2015.9.29
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/28/sano-kenjiro-problem_n_8211498.html
http://www.slideshare.net/takashiiba/ss-13782245 (39)
なるほど~御説の通り違和感追及しますよ!╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ
【wiki】高崎卓馬
電通、高崎卓馬氏が「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」を受賞
日本広告業協会(理事長:高嶋 達佳)が主催する2013年「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」を、電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター(ECD)である高崎卓馬氏が受賞した。(写真は高崎卓馬氏。提供:電通)
同賞は、日本広告業協会が会員社の中から、2013年に最も優れたクリエーティブワークを行ったクリエーター個人を表彰するもので、1989年の立ち上げ以来、25回目。電通のクリエーターが選出されたのは、今回で23回目。
高崎氏は、「2020年オリンピック・パラリンピック東京招致」を実現するためにさまざまな施策を立案・実施し、最終プレゼンテーションの映像を含めた東京招致に関る作業をトータルに手掛けた。この歴史的な功績に加え、「“すべての仕事が日本代表”というにふさわしく、数多くの記憶に残るクリエーティブワークで人々を魅了した」として、2010年に続き2度目の「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」に輝いた。
高崎氏は受賞について、「前回この賞をいただいたのは震災の直後でした。この賞の力を借りて、自分にできることを精一杯やってきました。今回またいただい たということは、まだまだやりなさいと言われているのだと思います。この賞がくれる力をきちんと、正しく使うようにしたいと思います。がんばります」と 語っている。
高崎氏の主なクリエーティブワークは、エイベックス通信放送「ドコモdビデオ」、2020年オリンピック・パラリンピッ ク東京招致、サントリー食品インターナショナル「オランジーナ」、ソネット「NURO」、東日本旅客鉄道「行くぜ、東北。」、日本中央競馬会「G1告 知」、インテル「ウルトラブック」、朝日新聞社「デジタルキャンペーン」。
なお、今回6名が選出された「クリエイター・オブ・ザ・イヤー・メダリスト」に、電通の八木義博氏(第6CRプランニング室兼コミュニケーション・デザイン・センター クリエーティブ・ディレクター)が選ばれている。(編集担当:八木大洋)
サーチナ2014.3.12
http://news.livedoor.com/article/detail/8624561/
(業界ごと腐ってんなこれ)日本広告業協会(理事長:高嶋 達佳)が主催する2013年「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」を、電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター(ECD)である高崎卓馬氏が受賞した。(写真は高崎卓馬氏。提供:電通)
同賞は、日本広告業協会が会員社の中から、2013年に最も優れたクリエーティブワークを行ったクリエーター個人を表彰するもので、1989年の立ち上げ以来、25回目。電通のクリエーターが選出されたのは、今回で23回目。
高崎氏は、「2020年オリンピック・パラリンピック東京招致」を実現するためにさまざまな施策を立案・実施し、最終プレゼンテーションの映像を含めた東京招致に関る作業をトータルに手掛けた。この歴史的な功績に加え、「“すべての仕事が日本代表”というにふさわしく、数多くの記憶に残るクリエーティブワークで人々を魅了した」として、2010年に続き2度目の「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」に輝いた。
高崎氏は受賞について、「前回この賞をいただいたのは震災の直後でした。この賞の力を借りて、自分にできることを精一杯やってきました。今回またいただい たということは、まだまだやりなさいと言われているのだと思います。この賞がくれる力をきちんと、正しく使うようにしたいと思います。がんばります」と 語っている。
高崎氏の主なクリエーティブワークは、エイベックス通信放送「ドコモdビデオ」、2020年オリンピック・パラリンピッ ク東京招致、サントリー食品インターナショナル「オランジーナ」、ソネット「NURO」、東日本旅客鉄道「行くぜ、東北。」、日本中央競馬会「G1告 知」、インテル「ウルトラブック」、朝日新聞社「デジタルキャンペーン」。
なお、今回6名が選出された「クリエイター・オブ・ザ・イヤー・メダリスト」に、電通の八木義博氏(第6CRプランニング室兼コミュニケーション・デザイン・センター クリエーティブ・ディレクター)が選ばれている。(編集担当:八木大洋)
サーチナ2014.3.12
http://news.livedoor.com/article/detail/8624561/
電通から出向、エンブレム責任者を事実上更迭
2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムが白紙撤回された問題で、大会組織委員会は2日、エンブレム作成の責任者を務めていたマーケティング局の槙英俊局長と、企画財務局の高崎卓馬・クリエイティブディレクターが同日付で退任したと発表した。
2人は大手広告会社の電通から出向していたが、「業務遂行の見直し」を理由に2人の出向協定が解除され、事実上の更迭となった。マーケティング局長は当面、布村幸彦・副事務総長が兼任する。
組織委によると、槙局長は、マーケティング局がインターネット上の他人のサイトから写真を無断で使用した問題で戒告処分を受けていた。高崎ディレクターは、旧エンブレムを作成したアートディレクターの佐野研二郎氏の原案修正に関与した。
YOMIURI ONLINE 2015.10.2
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20151002-OYT1T50085.html
2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムが白紙撤回された問題で、大会組織委員会は2日、エンブレム作成の責任者を務めていたマーケティング局の槙英俊局長と、企画財務局の高崎卓馬・クリエイティブディレクターが同日付で退任したと発表した。
2人は大手広告会社の電通から出向していたが、「業務遂行の見直し」を理由に2人の出向協定が解除され、事実上の更迭となった。マーケティング局長は当面、布村幸彦・副事務総長が兼任する。
組織委によると、槙局長は、マーケティング局がインターネット上の他人のサイトから写真を無断で使用した問題で戒告処分を受けていた。高崎ディレクターは、旧エンブレムを作成したアートディレクターの佐野研二郎氏の原案修正に関与した。
YOMIURI ONLINE 2015.10.2
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20151002-OYT1T50085.html
あるぇ~問題は原案修正だけじゃないよね
【韓国の本性】(2)終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
【韓国の本性】(1)李承晩ラインで日本漁民が味わった塗炭の苦しみ 射殺、餓死… 続き
補足
【韓国の本性】
終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
★(2)
終戦(1945年)後、福岡・博多港には、満州(現・中国東北部)や朝鮮半島からの日本人引き揚げ者が数多く降り立った。女性たちの多くは、目もそむけたくなるほどボロボロの姿をしていた。引き揚げ者の診療に当たっていた西岡利之氏は『ある戦後史の序章』(西日本図書館コンサルタント協会)の中でこう述べている。
「若い婦人達の多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装がおおく、その脱出の苦労が察せられた」
一体、彼女たちに何があったのだろう。
終戦後2週間もたたないうちに、朝鮮半島38度線以北はソ連軍が制圧し、ソ連兵と朝鮮人保安隊による日本人迫害と虐殺が開始されたのだ。『ある戦後史の序章』には、避難民救済活動を行っていた石田一郎氏の以下のような手記が掲載されている。
「北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦の末やっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘たちがつぎつ ぎにまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々辱められたうえ、虐殺されている光景であった。最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不憫(ふびん)に思い、松の木に縊(くび)って自決させた」
46年に入ると、1割近い女性がソ連人や朝鮮人に暴行を受けて妊娠したり、性病に冒されて帰国し、先行きを悲観して引き揚げ船から身を投げることも多かった。
そのような女性たちを救うべく、民間組織である在外同胞援護会救療部が、厚生省引揚援護局の協力を得て「二日市保養所」という施設を福岡県二日市町(現・筑紫野市)に作った。当時、堕胎は罪であったが、厚生省はこの施設に限って超法規的処置として「強姦によって身ごもった女性」の堕胎手術を黙認した。
二日市保養所の医務主任、橋爪将氏は46年6月10日付の現状報告書に次のように記している。
「不法妊娠ヲ地区別ニ分類スルニ北鮮二十四ニシテ最多、南鮮十四、満州四、北支三ノ順ニシテ鮮人ニ因ルモノ二十八、ソ連人ニ因ルモノ八、支那人ニ因ルモノ六、米人ニ因ルモノ三、台湾人、比島人ニ因ルモノ各一ナリ」
日本女性に暴行を加えた者の、圧倒的多数は南北朝鮮人だった。朴槿恵(パク・クネ)大統領はこのような歴史の事実こそ直視すべきだろう。
保安隊による暴行虐殺も「北朝鮮側の話」では済まされない。大韓民国憲法第3条(領土)は「韓国の領土は韓半島(朝鮮半島)および附属の島嶼(とうしょ)」と明記してあり、北朝鮮も韓国の領土のはずだ。
■松木國俊(まつき・くにとし)
1950 年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長 を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」幹事長。著書に『ほんとうは、「日韓併合」が韓国 を救った』『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)など。
zakzak2014.8.27
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140827/frn1408271140001-n1.htm
終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
★(2)
終戦(1945年)後、福岡・博多港には、満州(現・中国東北部)や朝鮮半島からの日本人引き揚げ者が数多く降り立った。女性たちの多くは、目もそむけたくなるほどボロボロの姿をしていた。引き揚げ者の診療に当たっていた西岡利之氏は『ある戦後史の序章』(西日本図書館コンサルタント協会)の中でこう述べている。
「若い婦人達の多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装がおおく、その脱出の苦労が察せられた」
一体、彼女たちに何があったのだろう。
終戦後2週間もたたないうちに、朝鮮半島38度線以北はソ連軍が制圧し、ソ連兵と朝鮮人保安隊による日本人迫害と虐殺が開始されたのだ。『ある戦後史の序章』には、避難民救済活動を行っていた石田一郎氏の以下のような手記が掲載されている。
「北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦の末やっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘たちがつぎつ ぎにまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々辱められたうえ、虐殺されている光景であった。最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不憫(ふびん)に思い、松の木に縊(くび)って自決させた」
46年に入ると、1割近い女性がソ連人や朝鮮人に暴行を受けて妊娠したり、性病に冒されて帰国し、先行きを悲観して引き揚げ船から身を投げることも多かった。
そのような女性たちを救うべく、民間組織である在外同胞援護会救療部が、厚生省引揚援護局の協力を得て「二日市保養所」という施設を福岡県二日市町(現・筑紫野市)に作った。当時、堕胎は罪であったが、厚生省はこの施設に限って超法規的処置として「強姦によって身ごもった女性」の堕胎手術を黙認した。
二日市保養所の医務主任、橋爪将氏は46年6月10日付の現状報告書に次のように記している。
「不法妊娠ヲ地区別ニ分類スルニ北鮮二十四ニシテ最多、南鮮十四、満州四、北支三ノ順ニシテ鮮人ニ因ルモノ二十八、ソ連人ニ因ルモノ八、支那人ニ因ルモノ六、米人ニ因ルモノ三、台湾人、比島人ニ因ルモノ各一ナリ」
日本女性に暴行を加えた者の、圧倒的多数は南北朝鮮人だった。朴槿恵(パク・クネ)大統領はこのような歴史の事実こそ直視すべきだろう。
保安隊による暴行虐殺も「北朝鮮側の話」では済まされない。大韓民国憲法第3条(領土)は「韓国の領土は韓半島(朝鮮半島)および附属の島嶼(とうしょ)」と明記してあり、北朝鮮も韓国の領土のはずだ。
■松木國俊(まつき・くにとし)
1950 年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長 を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」幹事長。著書に『ほんとうは、「日韓併合」が韓国 を救った』『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)など。
zakzak2014.8.27
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140827/frn1408271140001-n1.htm
補足
『東条英機宣誓供述書』
東京裁判史観の呪縛を解く!
(一部抜粋)
p196
われわれが非常に忘れやすいことは、東京裁判の史料は非常に膨大な量があり、非常にいい史料を使っていることは事実ですが、連合国側にとって都合が悪い史 料はすべて省かれてしまっているという点です。この使われなかった史料は現在8巻ほどにまとめられていますが、普通の人がそれを全て読むのは難しいといわ ざるをえません。しかし、それらを読まなくとも、「東條宣誓供述書」を読めば、何が連合国側にとって不都合な真実であったのか、十分にうかがい知ることが できます。
また、忘れてはならないのは、東京裁判にはソ連の判事が加わっていたという点です。そのためにシナ人や満州事変の背後にいた共産党の行ったテロ活動やサボタージュ活動については一切触れられなかったのです。「東條宣誓供述書」 の中には、それについてもはっきりと述べられています。
東京裁判史観の呪縛を解く!
(一部抜粋)
p196
われわれが非常に忘れやすいことは、東京裁判の史料は非常に膨大な量があり、非常にいい史料を使っていることは事実ですが、連合国側にとって都合が悪い史 料はすべて省かれてしまっているという点です。この使われなかった史料は現在8巻ほどにまとめられていますが、普通の人がそれを全て読むのは難しいといわ ざるをえません。しかし、それらを読まなくとも、「東條宣誓供述書」を読めば、何が連合国側にとって不都合な真実であったのか、十分にうかがい知ることが できます。
また、忘れてはならないのは、東京裁判にはソ連の判事が加わっていたという点です。そのためにシナ人や満州事変の背後にいた共産党の行ったテロ活動やサボタージュ活動については一切触れられなかったのです。「東條宣誓供述書」 の中には、それについてもはっきりと述べられています。
約30年前の「韓国版アウシュビッツ」収容3500人、死者551人
(´・ω・`)何これこんなん知らんかったわ
【wiki】兄弟福祉院事件 wikiの中にあったリンク
えぇ~根性の問題なん??ちょっと理解できないんですけど・・・
これみたい
http://www.yonhapnews.co.kr/society/2014/03/20/0701000000AKR20140320124500051.HTML
参考
【新・悪韓論】「奴隷扱いをやめろ」アフリカ人が韓国の与党セヌリ党幹部に怒りのデモ
約30年前の「韓国版アウシュビッツ」収容3500人、死者551人
日本ではほとんど報じられていないが、昨年から今年にかけて韓国の国会では「過去の恥部」が大きな問題となっていた。“国家的事業”として多くの自国民を強制収容して暴行し、550人以上が死に至った「釜山兄弟福祉院事件」。わずか30年前の出来事である。
こんな証言がある。
「暴行は3000人全員が受けていたはずです。運びだされて病院に行ったまま帰ってこない人も多かった。管理者は“死んだ”として、“言うことを聞かなかったらそうなる”と僕たちに話しました」
「食べ物をもらえず、手足を縛られて、眠ることも許されない拷問を受けました。極寒の日に水に投げ込まれたこともあります。今も、夏の暑い日でさえ冷たい水のシャワーを浴びることが怖い」
このように、昨年、韓国のラジオで壮絶な体験を告白したのは、釜山の「兄弟福祉院」(現在は名称変更)に1984年から1987年まで入所していたハン・ジョンソン氏である。
同院は韓国では「韓国版アウシュビッツ」と呼ばれてきた。1975年から1987年にわたって路上生活者や孤児などを強制的に連れてきては厳しい労働を課し、暴行を加え、死亡させてきたからだ。収容者総数は3500人とも言われ、死者は551人にのぼる。
問題なのは、事件の背景に韓国の「国家的意志」があったことだ。1986年のアジア競技大会と1988年のソウル五輪を控えた韓国政府は当時、路上生活者や障害者などを街から一掃する「浄化作戦」の一環として大々的な取り締まりを実施した。
1975年に制定された「浮浪者の申告、取り締まり、収容、保護と帰郷処置および事後管理に関する業務指針」という内務省訓令第410号に基づき、兄弟福祉院への強制収容が推進されたのである。
強制収容の対象は路上生活者だけではなかった。
ある者は釜山駅のベンチでうたた寝していたらいきなり施設に連れ込まれ、ある者は突然の雨を避けようと釜山駅前の地下道に入っただけで連行された。
(強制連行じゃん!)
兄弟福祉院には収容者の数に応じて国から助成金が出ていたからだ。同院には概ね年間20億ウォン(当時のレートで約7.5億円)が国庫から支払われた。警察官も、路上生活者を施設に入所させると高い勤務評定を与えられた。「金」と「評定」を目当てに、施設と警察は市民を片っ端から施設に入れたのである。
冒頭のハン氏は父子家庭に育ち、地元警察から「国家が支援する施設がある。そこに任せたほうがいい」と諭されて入所した。当時ハン氏は9歳。施設には同年齢の子供が100人ほどいたという。
施設は「福祉院」とは名ばかりの「生き地獄」だった。過酷な強制労働が課せられ、職員の暴力が蔓延した。パク・イングン院長個人の土地に建物を建てるため、重労働を強いられた人たちもいた。生き残った収容者の一人は韓国紙「ハンギョレ」にこう証言している。
「毎日のように何の理由もなしに殴られた。長時間、逆立ちさせられ、瞳孔の膜が剥けたが何の治療も受けられなかった」
食べ盛りの子供が多かったが、食べ物はほとんどなく、「くそ汁」と呼ばれた粗末な味噌汁が配給された。ハン氏は空腹に耐えかね、ネズミやムカデを食べて飢えを凌いだという。ハン氏は冒頭のラジオでこうも証言していた。
「管理者や職員たちが、子供を相手に性的暴行を働いていました。9歳くらいの少年少女は性的暴行の意味さえわからない。ただ、反抗したら殴られるので、黙って受け入れていた」
※SAPIO2015年11月号
NEWSポストセブン2015.10.11
http://www.news-postseven.com/archives/20151011_355275.html
日本ではほとんど報じられていないが、昨年から今年にかけて韓国の国会では「過去の恥部」が大きな問題となっていた。“国家的事業”として多くの自国民を強制収容して暴行し、550人以上が死に至った「釜山兄弟福祉院事件」。わずか30年前の出来事である。
こんな証言がある。
「暴行は3000人全員が受けていたはずです。運びだされて病院に行ったまま帰ってこない人も多かった。管理者は“死んだ”として、“言うことを聞かなかったらそうなる”と僕たちに話しました」
「食べ物をもらえず、手足を縛られて、眠ることも許されない拷問を受けました。極寒の日に水に投げ込まれたこともあります。今も、夏の暑い日でさえ冷たい水のシャワーを浴びることが怖い」
このように、昨年、韓国のラジオで壮絶な体験を告白したのは、釜山の「兄弟福祉院」(現在は名称変更)に1984年から1987年まで入所していたハン・ジョンソン氏である。
同院は韓国では「韓国版アウシュビッツ」と呼ばれてきた。1975年から1987年にわたって路上生活者や孤児などを強制的に連れてきては厳しい労働を課し、暴行を加え、死亡させてきたからだ。収容者総数は3500人とも言われ、死者は551人にのぼる。
問題なのは、事件の背景に韓国の「国家的意志」があったことだ。1986年のアジア競技大会と1988年のソウル五輪を控えた韓国政府は当時、路上生活者や障害者などを街から一掃する「浄化作戦」の一環として大々的な取り締まりを実施した。
1975年に制定された「浮浪者の申告、取り締まり、収容、保護と帰郷処置および事後管理に関する業務指針」という内務省訓令第410号に基づき、兄弟福祉院への強制収容が推進されたのである。
強制収容の対象は路上生活者だけではなかった。
ある者は釜山駅のベンチでうたた寝していたらいきなり施設に連れ込まれ、ある者は突然の雨を避けようと釜山駅前の地下道に入っただけで連行された。
(強制連行じゃん!)
兄弟福祉院には収容者の数に応じて国から助成金が出ていたからだ。同院には概ね年間20億ウォン(当時のレートで約7.5億円)が国庫から支払われた。警察官も、路上生活者を施設に入所させると高い勤務評定を与えられた。「金」と「評定」を目当てに、施設と警察は市民を片っ端から施設に入れたのである。
冒頭のハン氏は父子家庭に育ち、地元警察から「国家が支援する施設がある。そこに任せたほうがいい」と諭されて入所した。当時ハン氏は9歳。施設には同年齢の子供が100人ほどいたという。
施設は「福祉院」とは名ばかりの「生き地獄」だった。過酷な強制労働が課せられ、職員の暴力が蔓延した。パク・イングン院長個人の土地に建物を建てるため、重労働を強いられた人たちもいた。生き残った収容者の一人は韓国紙「ハンギョレ」にこう証言している。
「毎日のように何の理由もなしに殴られた。長時間、逆立ちさせられ、瞳孔の膜が剥けたが何の治療も受けられなかった」
食べ盛りの子供が多かったが、食べ物はほとんどなく、「くそ汁」と呼ばれた粗末な味噌汁が配給された。ハン氏は空腹に耐えかね、ネズミやムカデを食べて飢えを凌いだという。ハン氏は冒頭のラジオでこうも証言していた。
「管理者や職員たちが、子供を相手に性的暴行を働いていました。9歳くらいの少年少女は性的暴行の意味さえわからない。ただ、反抗したら殴られるので、黙って受け入れていた」
※SAPIO2015年11月号
NEWSポストセブン2015.10.11
http://www.news-postseven.com/archives/20151011_355275.html
【wiki】兄弟福祉院事件 wikiの中にあったリンク
韓国の歴史的恥部 路上生活者ら強制収容暴行などで大量の死者 朴大統領ピンチ
朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国で、恥部といえる人権侵害の実態が解明されようとしている。1970年~80年代、路上生活者や障害者を強制収容 し、暴行などで大量の死者を出した施設について、国会で真相究明の動きがあるという。韓国メディアは同施設を「韓国版アウシュビッツ」と呼んでおり、国際 社会から厳しい目が注がれそうだ。
問題の施設は、釜山にあった「韓国兄弟福祉院」(現在は名称変更)。韓国紙・ハンギョレ新聞(日本語電子版)は先月、最大野党・新政治民主連合が、同施設の真相究明や被害者救済を目的とした特別法を国会に提出する動きを報じた。
法案作成に関わった同党の陳善美(チン・ソンミ)議員は「兄弟福祉院事件は社会的弱者を一掃しようとした国家次元の犯罪」と語るが、この施設で何が行われたのか。
ハンギョレ新聞によると、兄弟福祉院は釜山市と委託契約を結び、75年から87年まで、路上生活者や障害者、孤児を強制的に収容した。収容者は強制労働が 課せられ、暴行も日常的だったという。結果、収容者約3000人に対し、死亡者は513人。何と17%が亡くなったことになる。
見過ごせないのが、こうした人権侵害が国家主導で行われた点だ。
zakzak2014.8.16
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/140816/wor14081608000001-n1.html
朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国で、恥部といえる人権侵害の実態が解明されようとしている。1970年~80年代、路上生活者や障害者を強制収容 し、暴行などで大量の死者を出した施設について、国会で真相究明の動きがあるという。韓国メディアは同施設を「韓国版アウシュビッツ」と呼んでおり、国際 社会から厳しい目が注がれそうだ。
問題の施設は、釜山にあった「韓国兄弟福祉院」(現在は名称変更)。韓国紙・ハンギョレ新聞(日本語電子版)は先月、最大野党・新政治民主連合が、同施設の真相究明や被害者救済を目的とした特別法を国会に提出する動きを報じた。
法案作成に関わった同党の陳善美(チン・ソンミ)議員は「兄弟福祉院事件は社会的弱者を一掃しようとした国家次元の犯罪」と語るが、この施設で何が行われたのか。
ハンギョレ新聞によると、兄弟福祉院は釜山市と委託契約を結び、75年から87年まで、路上生活者や障害者、孤児を強制的に収容した。収容者は強制労働が 課せられ、暴行も日常的だったという。結果、収容者約3000人に対し、死亡者は513人。何と17%が亡くなったことになる。
見過ごせないのが、こうした人権侵害が国家主導で行われた点だ。
韓国の内務部(現安全行政部)が75年に制定した「訓練410号」が根拠となり、「路上生活者の申告、取り締まり、収容、保護と帰郷および事後管理に関する事務処理指針」が規定され、同施設への強制収容が可能となったという。
報道通りなら、「日本軍による強制募集」の証拠が何一つ出てこない慰安婦問題とは異なる国家的犯罪ではないのか。
ジャーナリストの室谷克実氏は「当時の韓国では『町の与太者を集めて根性をたたき直す』みたいなことが平気で行われた。そういう時代の惨事だろう」と指摘する。
ソウル五輪(88年)前に、路上生活者やスラム街を外国人から隠すための“浄化作戦”が徹底されたことも、蛮行の温床となったようだ。
訓令410号が制定された75年は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の統治下のため、娘の朴槿恵大統領にも批判の矛先が向きかねない。朴氏はいつも「人権」を持ち出して日本を批判するが、自国の人権問題にどう取り組むのか。zakzak2014.8.16
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/140816/wor14081608000001-n1.html
えぇ~根性の問題なん??ちょっと理解できないんですけど・・・
これみたい
http://www.yonhapnews.co.kr/society/2014/03/20/0701000000AKR20140320124500051.HTML
参考
【新・悪韓論】「奴隷扱いをやめろ」アフリカ人が韓国の与党セヌリ党幹部に怒りのデモ
週刊新潮・「朝日新聞」偽りの十字架①②
(´・ω・`)今更なんだけどもね
新潮のサイトでたまたま目に入ったのがあんまりヒドイんでこれは残しておこうかと
(1)は既にweb上になかったので書き起こし
新潮のサイトでたまたま目に入ったのがあんまりヒドイんでこれは残しておこうかと
(1)は既にweb上になかったので書き起こし
「素粒子」論説委員が社内報に】「産経新聞のヒステリック」「読売は安倍政権の露払い役」――「朝日新聞」偽りの十字架(1)
イデオロギーに帰依した記事を結論ありきで書いているからだろう――。朝日新聞の一連の誤報の原因をそう見るムキは、社内報に載ったこのコラムを読めば、得心が行くのではないか。
***
もっとも、9月11日の謝罪会見で、木村伊量社長は改めて、〈事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきだった〉〈初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします〉と述べた。
実際、読者は事実に基づく正確な報道こそを求めているに違いないが、ここに全文を引用するコラムは、そんな読者への残念なお知らせと言うほかない。それは夕刊のコラム「素粒子」担当の真田正明論説委員による「7月分の講評」で、タイトルは〈河の向こう〉。
(彼岸=あの世っすかww)
「社内のポータルサイトに8月28日にアップされたもので、7月の記事についての講評ということになっている。読むためには社員カードと社員番号、パスワードが必要です」
と言うのは朝日の中堅社員で、コラムはこう始まる。
〈朝 日新聞の慰安婦報道の検証を受けて、産経新聞のヒステリックな反応はある程度予想がついたが、驚いたのは読売新聞である。検証紙面の翌日に朝日の論点のそ れぞれについて批判する特集を組んだ。それ以後もこの両紙は、朝日新聞が慰安婦問題をつくったかのような批判や攻撃を続けている。
安倍政権ができて20カ月である。その間に政権と同調するメディアと批判的なメディアの分断が進んできた。その谷間はもはや埋めようもないところまで来てしまったように見える〉
唖然とさせられるのは、慰安婦誤報を批判した他紙への居丈高な態度で、哲学者の適菜収氏も呆れる。
「〈慰 安婦問題をつくった〉のは間違いなく朝日新聞で、問題は“つくり方”が虚に基づいていた点なのに、それを未だに理解していないフシがある。それから、朝日 の慰安婦誤報問題と、安倍政権に対するメディアの報道姿勢が同列に論じられていますが、両者はまったく異なる問題です」
引用を続ける。
〈昨 年5月のことである。東京ドームでの国民栄誉賞の授賞式は長嶋と松井の師弟同時授賞で沸いた。それはまた読売と安倍政権の二人三脚ぶりを目に見える形で教 えてくれた。授賞式のあとの始球式で、長嶋が投げ、松井が打つ。審判に入った安倍首相は巨人のユニフォームを着て、その背中には当時改正を狙っていた憲法 条文にちなむ96番があった。おそらくその光景を、渡辺恒雄会長は貴賓席で満足げに眺めていただろう。96番は96代目の首相だという理屈もあるが、安倍 首相自身「私は96代首相で、96条改正を目指す」と当時言っていた。
その2週間ほど前、安倍首相は読売の単独インタビューで、憲法 96条の改正を打ち上げている。秘密保護法、集団的自衛権、エネルギー政策、あらゆる場面で読売は安倍政権の露払い役を果たしてきたように思える。先日は 「石破幹事長交代へ 首相 安保相起用の意向」と1面トップで打った。私は政治を取材したことはないが、これを見て読売は与党でも自民党でもなく、安倍政 権のコアな部分と直結しているのだと思った。
読売を露払いとすれば産経は太刀持ちか。後ろから「もっと前へ。もっと勇ましく」と叫んで いる。日経は2紙よりは是々非々のようにも見える。しかし、先日のGDPの記事がその性格を表している。4~6月のGDPが6・8%と大きく落ち込んだの を受けた1面の見出しが「景気穏やか回復続く」だった。ちなみに同じ日の朝日の見出しは「再増税 消費の回復カギ」である。大企業に恩恵をもたらすという 点で日経はアベノミクスを支え、やはり安倍政権としっかり歩調を合わせている。
主義主張は違えどこちら側にいるかと思っていた他紙の幾 つかは、すでに向こう岸にいる。そこには安倍城がそびえている。そこに批判はなく、「美しい日本」「強い日本」の心地よい調べも流れている。居心地のいい 城に「世界が称賛する日本」「すごい日本」と、にわか作りの旗印を掲げて駆け込む地侍たちもいる。中韓は放っておけばいい。それ以外の世界は日本の味方だ と、城主と一緒に美しいナショナリズムの夢を見ようという人たちだ。そんなタイトルの本が売れているという東京新聞の記事が載った同じ日、読売は「スゴイ ジャパン」国民投票の特集をしていた〉
(さすがチョウニチ新聞だけあって朝鮮日報みたいな文だな・・・)
「勝手にチーム分け」
かつて「素粒子」を担当した、元朝日新聞論説委員の轡田(くつわだ)隆史氏は、
「ユーモアも諧謔もないし、ただ自分の主張を連ねただけの駄文ですね」
と断じたうえで語る。
「ジャー ナリストは人の批判をするだけに、自分が批判されたらそれを受け止める義務がありますが、この筆者は批判を受け止めているとは言いがたい。それに、時の権 力の監視がメディアの役割で、いいことをすれば評価し、問題があれば疑問を呈するのが正しい姿なのに、これでは批判するだけ。こういう偏った姿勢には違和 感を覚えます」
また、適菜氏も、
「〈こちら側〉〈向こう岸〉などと勝手にチーム分けし、まさに“素粒子”のように小さ な自分たちの世界を守ろうとしているようにしか見えません。もはや思考停止状態で、バカだねえとしか言いようがない。イデオロギーで固まってしまうと、物 事が正しく見えなくなるという証左でしょう」
と指摘する。続いて、
〈向こう岸はもはや戦前のような別の世界になってしまったかのようだ。それを批判すれば、こちら側には自虐、反日、売国といった矢が飛んでくるだろう。このままみんな向こう側に取り込まれていくのだろうか。
清沢洌の「暗黒日記」の1944年2月6日にこんな記述がある。米軍がマーシャル諸島に上陸した直後の話である。「どの新聞もが『元寇の乱』以来の大問題として総蹶起を第1ぺージ以下に掲げている。頭山満を『朝日』はかつぎ、徳富蘇峰を『毎日』がかつぐ」。
なんのことはない。当時は朝日も毎日もいわば向こう岸にいたのである。いまが戦前と違うのは、こちら側がしっかりとあることだ。朝日も毎日も、東京もこち ら側にいる。地方紙の多くもそうだろう。そしてどんなに向こう岸が賑やかでも、国民の多くはまだこちら側にいると私は信じている〉
コラムはこう締めくくられる。麗澤大学の八木秀次教授が喝破する。
「自分たちの立場をはっきりと決めたうえで、イデオロギーが先行し、安倍政権と対立するという立場を明らかにしています。そもそも、世間が戦前を目指しているとは思えないし、誰もそんなことは望んでいない。これはもう信仰です」
要するに、朝日新聞には事実と真摯に向き合うつもりなど、毛頭ないのだ。〈こちら側〉に立ち、敵意むき出しに〈向こう岸〉を眺めて、どうして事実に基づいた正確な報道ができようか。そうした姿勢が誤報や捏造の温床になっても、なんら不思議ではない。
元朝日新聞編集委員の川村二郎氏が言う。
「真田君は京大アメフト部出身の、朝日には珍しいスマートな男で、好感を持っていたので、がっかりです。こうやって〈向こう岸〉などとレッテルを貼って、相手にするな、なんてどうかしています。それに、〈国民の多くはまだこちら側にいると私は信じている〉というのは、正気の沙汰ではないでしょう」
絵に描いたような裸の王様だ。川村氏は、
「若い記者から“有志を募って、報道局長宛てに抗議文を提出しようとしています”と連絡が来ました。もう180人の署名が集まったそうで、朝日の内部からこういう声が上がるのは、初めてでしょう」
とも証言するが、〈こちら側〉にそびえる筋金入りのイデオロギーの城を落とすのは、容易ではなかろう。
「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
週刊新潮 2014年10月2日号 掲載
イデオロギーに帰依した記事を結論ありきで書いているからだろう――。朝日新聞の一連の誤報の原因をそう見るムキは、社内報に載ったこのコラムを読めば、得心が行くのではないか。
***
もっとも、9月11日の謝罪会見で、木村伊量社長は改めて、〈事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきだった〉〈初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします〉と述べた。
実際、読者は事実に基づく正確な報道こそを求めているに違いないが、ここに全文を引用するコラムは、そんな読者への残念なお知らせと言うほかない。それは夕刊のコラム「素粒子」担当の真田正明論説委員による「7月分の講評」で、タイトルは〈河の向こう〉。
(彼岸=あの世っすかww)
「社内のポータルサイトに8月28日にアップされたもので、7月の記事についての講評ということになっている。読むためには社員カードと社員番号、パスワードが必要です」
と言うのは朝日の中堅社員で、コラムはこう始まる。
〈朝 日新聞の慰安婦報道の検証を受けて、産経新聞のヒステリックな反応はある程度予想がついたが、驚いたのは読売新聞である。検証紙面の翌日に朝日の論点のそ れぞれについて批判する特集を組んだ。それ以後もこの両紙は、朝日新聞が慰安婦問題をつくったかのような批判や攻撃を続けている。
安倍政権ができて20カ月である。その間に政権と同調するメディアと批判的なメディアの分断が進んできた。その谷間はもはや埋めようもないところまで来てしまったように見える〉
唖然とさせられるのは、慰安婦誤報を批判した他紙への居丈高な態度で、哲学者の適菜収氏も呆れる。
「〈慰 安婦問題をつくった〉のは間違いなく朝日新聞で、問題は“つくり方”が虚に基づいていた点なのに、それを未だに理解していないフシがある。それから、朝日 の慰安婦誤報問題と、安倍政権に対するメディアの報道姿勢が同列に論じられていますが、両者はまったく異なる問題です」
引用を続ける。
〈昨 年5月のことである。東京ドームでの国民栄誉賞の授賞式は長嶋と松井の師弟同時授賞で沸いた。それはまた読売と安倍政権の二人三脚ぶりを目に見える形で教 えてくれた。授賞式のあとの始球式で、長嶋が投げ、松井が打つ。審判に入った安倍首相は巨人のユニフォームを着て、その背中には当時改正を狙っていた憲法 条文にちなむ96番があった。おそらくその光景を、渡辺恒雄会長は貴賓席で満足げに眺めていただろう。96番は96代目の首相だという理屈もあるが、安倍 首相自身「私は96代首相で、96条改正を目指す」と当時言っていた。
その2週間ほど前、安倍首相は読売の単独インタビューで、憲法 96条の改正を打ち上げている。秘密保護法、集団的自衛権、エネルギー政策、あらゆる場面で読売は安倍政権の露払い役を果たしてきたように思える。先日は 「石破幹事長交代へ 首相 安保相起用の意向」と1面トップで打った。私は政治を取材したことはないが、これを見て読売は与党でも自民党でもなく、安倍政 権のコアな部分と直結しているのだと思った。
読売を露払いとすれば産経は太刀持ちか。後ろから「もっと前へ。もっと勇ましく」と叫んで いる。日経は2紙よりは是々非々のようにも見える。しかし、先日のGDPの記事がその性格を表している。4~6月のGDPが6・8%と大きく落ち込んだの を受けた1面の見出しが「景気穏やか回復続く」だった。ちなみに同じ日の朝日の見出しは「再増税 消費の回復カギ」である。大企業に恩恵をもたらすという 点で日経はアベノミクスを支え、やはり安倍政権としっかり歩調を合わせている。
主義主張は違えどこちら側にいるかと思っていた他紙の幾 つかは、すでに向こう岸にいる。そこには安倍城がそびえている。そこに批判はなく、「美しい日本」「強い日本」の心地よい調べも流れている。居心地のいい 城に「世界が称賛する日本」「すごい日本」と、にわか作りの旗印を掲げて駆け込む地侍たちもいる。中韓は放っておけばいい。それ以外の世界は日本の味方だ と、城主と一緒に美しいナショナリズムの夢を見ようという人たちだ。そんなタイトルの本が売れているという東京新聞の記事が載った同じ日、読売は「スゴイ ジャパン」国民投票の特集をしていた〉
(さすがチョウニチ新聞だけあって朝鮮日報みたいな文だな・・・)
「勝手にチーム分け」
かつて「素粒子」を担当した、元朝日新聞論説委員の轡田(くつわだ)隆史氏は、
「ユーモアも諧謔もないし、ただ自分の主張を連ねただけの駄文ですね」
と断じたうえで語る。
「ジャー ナリストは人の批判をするだけに、自分が批判されたらそれを受け止める義務がありますが、この筆者は批判を受け止めているとは言いがたい。それに、時の権 力の監視がメディアの役割で、いいことをすれば評価し、問題があれば疑問を呈するのが正しい姿なのに、これでは批判するだけ。こういう偏った姿勢には違和 感を覚えます」
また、適菜氏も、
「〈こちら側〉〈向こう岸〉などと勝手にチーム分けし、まさに“素粒子”のように小さ な自分たちの世界を守ろうとしているようにしか見えません。もはや思考停止状態で、バカだねえとしか言いようがない。イデオロギーで固まってしまうと、物 事が正しく見えなくなるという証左でしょう」
と指摘する。続いて、
〈向こう岸はもはや戦前のような別の世界になってしまったかのようだ。それを批判すれば、こちら側には自虐、反日、売国といった矢が飛んでくるだろう。このままみんな向こう側に取り込まれていくのだろうか。
清沢洌の「暗黒日記」の1944年2月6日にこんな記述がある。米軍がマーシャル諸島に上陸した直後の話である。「どの新聞もが『元寇の乱』以来の大問題として総蹶起を第1ぺージ以下に掲げている。頭山満を『朝日』はかつぎ、徳富蘇峰を『毎日』がかつぐ」。
なんのことはない。当時は朝日も毎日もいわば向こう岸にいたのである。いまが戦前と違うのは、こちら側がしっかりとあることだ。朝日も毎日も、東京もこち ら側にいる。地方紙の多くもそうだろう。そしてどんなに向こう岸が賑やかでも、国民の多くはまだこちら側にいると私は信じている〉
コラムはこう締めくくられる。麗澤大学の八木秀次教授が喝破する。
「自分たちの立場をはっきりと決めたうえで、イデオロギーが先行し、安倍政権と対立するという立場を明らかにしています。そもそも、世間が戦前を目指しているとは思えないし、誰もそんなことは望んでいない。これはもう信仰です」
要するに、朝日新聞には事実と真摯に向き合うつもりなど、毛頭ないのだ。〈こちら側〉に立ち、敵意むき出しに〈向こう岸〉を眺めて、どうして事実に基づいた正確な報道ができようか。そうした姿勢が誤報や捏造の温床になっても、なんら不思議ではない。
元朝日新聞編集委員の川村二郎氏が言う。
「真田君は京大アメフト部出身の、朝日には珍しいスマートな男で、好感を持っていたので、がっかりです。こうやって〈向こう岸〉などとレッテルを貼って、相手にするな、なんてどうかしています。それに、〈国民の多くはまだこちら側にいると私は信じている〉というのは、正気の沙汰ではないでしょう」
絵に描いたような裸の王様だ。川村氏は、
「若い記者から“有志を募って、報道局長宛てに抗議文を提出しようとしています”と連絡が来ました。もう180人の署名が集まったそうで、朝日の内部からこういう声が上がるのは、初めてでしょう」
とも証言するが、〈こちら側〉にそびえる筋金入りのイデオロギーの城を落とすのは、容易ではなかろう。
「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
週刊新潮 2014年10月2日号 掲載
従軍慰安婦を「(北朝鮮)拉致被害者」と同列に論じた「緊急勉強会」――「朝日新聞」偽りの十字架(2)
慰安婦誤報で、日本人の名誉は取り返しがつかないほど毀損された。それでも朝日新聞は、反省するどころか、新たな論理で社員を“洗脳”してまで、慰安婦問題を煽り続けたいようだ。
9月21日の昼すぎ、東京築地の朝日新聞東京本社新館には、日曜日なのに記者が続々と入っていった。ただし、彼らの所属はほぼ東京社会部にかぎられた。集まったのは50人前後で、そのひとりの中堅記者が言う。
「木村社長の謝罪会見の数日後、メールが届きました。人事異動の際に会社側が社員に説明をしたりする部会を利用して、従軍慰安婦の勉強会を行なう、という知らせでした。ここまで緊急の部会は初めてですね」
で、その目的だが、
「現 場の記者は今、警察や永田町の関係者と顔を合わせるたびに“おたくの社長は何を考えているのか”と言われ、事件現場でも“あんたの会社のほうが問題じゃな いの?”などと、露骨な取材拒否に遭っています。そんな中、現場の記者向けのガス抜きという色合いが濃かったと思います」
13時から18時まで5時間におよんだ勉強会の講師は、8月5、6日の慰安婦報道の検証記事に関わった社会部の豊秀一次長と、北野隆一編集委員。ただ、最初の1時間だけは、「吉田調書」の誤報で解任された東京本社の前報道局長の市川速水氏と、前編成局長の渡辺勉氏も出席し、集まった記者から矢継ぎ早の質問を浴びた。
「質問は“なぜ検証記事で謝罪しなかったのか”“この件をどう教訓にしていくのか”“池上彰さんのコラムの掲載見送りは誰が意思決定をしたのか”など多岐にわたりましたが、ふたりは、のらりくらりと言い逃れていましたね」(同)
その後、3時間半を超える“講義”が始まり、
「プロジェクターまで使って、慰安婦問題の歴史的経緯から、強制連行における“狭義”や“広義”の意味まで、細かな取材経緯を聞かされました」
そう話すのは先の記者だが、別の若手記者に尋ねると、聞き捨てならない話が次々と飛び出すのだ。
■ケジメをつけたつもり
「強 制連行についてはこんな説明でした。旧日本軍が組織的に、人さらいのように女性を連行したという証拠はない。しかし、軍の意向を受けた売春業者が甘言を弄 して女性を騙し、慰安婦にしたケースはあったと推認でき、女性が自分の意思に反して慰安婦にされる強制性はあったと思われる、と。そのうえで、北朝鮮の拉致問題と比較したのです。同じ拉致被害者にも、横田めぐみさんのように無理やり拉致されたケースも、有本恵子さんのように騙されて連れ去られた場合もある。慰安婦は後者に近いのではないか、と言うわけです」
これに呆れ返るのは、現代史家の秦郁彦氏で、
「北 朝鮮の拉致は、すべて金正日の命令で行なわれました。それを慰安婦問題と対比するならば、日本軍の命令で慰安婦を連行したという事実がなければなりませ ん。しかし、朝鮮半島にかぎれば、慰安婦の大多数は朝鮮人の女衒(ぜげん)、つまり業者によって徴募されたのです。そして、業者と慰安婦やその親との間で 契約が結ばれ、それとは別に業者と軍との間で契約が結ばれた、軍と慰安婦の間に直接の関係はないのです」
前出の八木教授も言う。「朝日 新聞は、慰安婦を集めた民間業者も軍の管理下にあった以上、国家の意志による拉致と一緒だと主張したいのでしょう。しかし、販売店が不祥事を起こしたと き、朝日新聞社は責任を取りません。朝日自身が、新聞社の社員が起こしたことと、販売店の従業員が起こしたことを区別しているじゃないですか」
同じ記者に勉強会の話を続けてもらうと、
「吉田証言については、1997年に検証した際、〈真偽は確認できない〉という表現に止まったが、社としてはケジメをつけたつもりだった、と話していた」
このほか、慰安所への軍関与を示す資料が見つかったという記事が、92年の宮沢首相訪韓の直前に掲載されたのはたまたまで、植村隆氏の記事も、意図的な事実関係の捻じ曲げはないと結論づけたという。
再び秦氏が言う。
「こんな説明で朝日の記者は納得するのですか。この問題に関するほかの新聞や週刊誌、月刊誌の記事を読めば、慰安婦の政治性の問題も、植村隆記者の問題も、朝日の説明がおかしいとすぐわかるはずです」
だが、彼らは読んでも理解できないのだろう。なぜなら、それらは〈向こう岸〉の媒体だから。
「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
週刊新潮 2014年10月2日号 掲載
http://www.gruri.jp/article/2014/10010815/
慰安婦誤報で、日本人の名誉は取り返しがつかないほど毀損された。それでも朝日新聞は、反省するどころか、新たな論理で社員を“洗脳”してまで、慰安婦問題を煽り続けたいようだ。
9月21日の昼すぎ、東京築地の朝日新聞東京本社新館には、日曜日なのに記者が続々と入っていった。ただし、彼らの所属はほぼ東京社会部にかぎられた。集まったのは50人前後で、そのひとりの中堅記者が言う。
「木村社長の謝罪会見の数日後、メールが届きました。人事異動の際に会社側が社員に説明をしたりする部会を利用して、従軍慰安婦の勉強会を行なう、という知らせでした。ここまで緊急の部会は初めてですね」
で、その目的だが、
「現 場の記者は今、警察や永田町の関係者と顔を合わせるたびに“おたくの社長は何を考えているのか”と言われ、事件現場でも“あんたの会社のほうが問題じゃな いの?”などと、露骨な取材拒否に遭っています。そんな中、現場の記者向けのガス抜きという色合いが濃かったと思います」
13時から18時まで5時間におよんだ勉強会の講師は、8月5、6日の慰安婦報道の検証記事に関わった社会部の豊秀一次長と、北野隆一編集委員。ただ、最初の1時間だけは、「吉田調書」の誤報で解任された東京本社の前報道局長の市川速水氏と、前編成局長の渡辺勉氏も出席し、集まった記者から矢継ぎ早の質問を浴びた。
「質問は“なぜ検証記事で謝罪しなかったのか”“この件をどう教訓にしていくのか”“池上彰さんのコラムの掲載見送りは誰が意思決定をしたのか”など多岐にわたりましたが、ふたりは、のらりくらりと言い逃れていましたね」(同)
その後、3時間半を超える“講義”が始まり、
「プロジェクターまで使って、慰安婦問題の歴史的経緯から、強制連行における“狭義”や“広義”の意味まで、細かな取材経緯を聞かされました」
そう話すのは先の記者だが、別の若手記者に尋ねると、聞き捨てならない話が次々と飛び出すのだ。
■ケジメをつけたつもり
「強 制連行についてはこんな説明でした。旧日本軍が組織的に、人さらいのように女性を連行したという証拠はない。しかし、軍の意向を受けた売春業者が甘言を弄 して女性を騙し、慰安婦にしたケースはあったと推認でき、女性が自分の意思に反して慰安婦にされる強制性はあったと思われる、と。そのうえで、北朝鮮の拉致問題と比較したのです。同じ拉致被害者にも、横田めぐみさんのように無理やり拉致されたケースも、有本恵子さんのように騙されて連れ去られた場合もある。慰安婦は後者に近いのではないか、と言うわけです」
これに呆れ返るのは、現代史家の秦郁彦氏で、
「北 朝鮮の拉致は、すべて金正日の命令で行なわれました。それを慰安婦問題と対比するならば、日本軍の命令で慰安婦を連行したという事実がなければなりませ ん。しかし、朝鮮半島にかぎれば、慰安婦の大多数は朝鮮人の女衒(ぜげん)、つまり業者によって徴募されたのです。そして、業者と慰安婦やその親との間で 契約が結ばれ、それとは別に業者と軍との間で契約が結ばれた、軍と慰安婦の間に直接の関係はないのです」
前出の八木教授も言う。「朝日 新聞は、慰安婦を集めた民間業者も軍の管理下にあった以上、国家の意志による拉致と一緒だと主張したいのでしょう。しかし、販売店が不祥事を起こしたと き、朝日新聞社は責任を取りません。朝日自身が、新聞社の社員が起こしたことと、販売店の従業員が起こしたことを区別しているじゃないですか」
同じ記者に勉強会の話を続けてもらうと、
「吉田証言については、1997年に検証した際、〈真偽は確認できない〉という表現に止まったが、社としてはケジメをつけたつもりだった、と話していた」
このほか、慰安所への軍関与を示す資料が見つかったという記事が、92年の宮沢首相訪韓の直前に掲載されたのはたまたまで、植村隆氏の記事も、意図的な事実関係の捻じ曲げはないと結論づけたという。
再び秦氏が言う。
「こんな説明で朝日の記者は納得するのですか。この問題に関するほかの新聞や週刊誌、月刊誌の記事を読めば、慰安婦の政治性の問題も、植村隆記者の問題も、朝日の説明がおかしいとすぐわかるはずです」
だが、彼らは読んでも理解できないのだろう。なぜなら、それらは〈向こう岸〉の媒体だから。
「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
週刊新潮 2014年10月2日号 掲載
http://www.gruri.jp/article/2014/10010815/
週刊文春・安倍首相に「バカか、お前は」 SEALDs学生デモ団体って何者?
週刊文春 2015.9.10号
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5392
安保反対に声をあげる普通の若者たち
彼らは既存の政治組織やイデオロギーと全く関係のないところから出て来て
それがそうじゃなかった
『SEALDs(シールズ)とキリスト教左派』
シールズの主要メンバーは、キリスト教愛真高校で特殊な平和?教育を受けた活動家。
→http://togetter.com/li/873269
SNSを通して自然に集まったというのはとりあえず嘘でした
奥田氏のツイート
一番会いたい政治家は小泉進次郎って一回も言ったことない笑
https://twitter.com/aki21st/status/639162750007046144
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/592173129134252032
仁藤夢乃氏とも親しいみたいですね
→仁藤夢乃「日本は児童買春の国」←やっぱり西早稲田
参考
太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう
アメリカのコントロールから抜け出さないのはなぜなんだい?
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5392
イケメンリーダー奥田愛基(23)独白90分
安倍首相に「バカか、お前は」 SEALDs学生デモ団体って何者?
●一番会いたい政治家は小泉進次郎 ●朝日新聞に「もっとカッコよく撮って」と注文●宣伝カーは共産党系提供●恋愛OK就活は?●リーダー父はホームレス支援牧師
p30~33
”国民なめんな””勝手に決めんな”ラップのリズムに乗せて、反安保のデモを繰り広げる学生組織「SEALDs」が注目を集めている。彼らはいったい何者で、何を目指しているのか。安倍首相に「バカか、お前は」と言い放ったリーダー格の奥田愛基氏を直撃した。
8月30日、東京永田町の国会議事堂前で「安保反対十万人集会」が行われた。主催者発表で十二万人、警視庁まとめでは三万人とされたが、いずれにしろ、現 場には大群衆がつめかけた。狭い歩道で押し合いへし合いするうちに、一部が警察官の生死を振り切って策を乗り越えて車道にあふれ出し、参加者二名が機動隊 員を暴行したとして公務執行妨害で逮捕されるという騒然とした雰囲気のなか集会が始まった。
民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、さらには懐かしや、生活の党小沢一郎氏までもが駆けつけて安保反対をブチあげるが、降りしきる小雨のせいか、群集のテンションは今ひとつ上がらない。
そんな中、Tシャツに半パンというラフな格好で現れた若者が登壇すると、一気に会場が盛り上がる。
「主催者は俺たちであって、『最高責任者は私だ』と言ってのさばっているお前じゃない」
若者は、そう威勢よく発言すると、続けて、リズムに乗せて、「どうでもいいなら総理をヤメろ」とシュプレヒコールを連呼した。
その一挙手一投足が、デモ参加者やマスコミの注目を集める。若者の名前は奥田愛基氏(23)。「自由と民主主義に基づく政治を求める」学生グループ。
「SEALDs(シールズ:Student Emergency Action for Liberal Democracy)」のリーダー的存在である。
記者の後ろでは年配の女性たちが「奥田くんがよく見えない」と芸能人でも見に来たかのようなノリ。
さらに奥田氏に「今日ビッグな先輩がいるんですけど、駆けつけてくれるということで、チョー待ってました」と紹介されて続いて登壇したのは、なんと音楽家 の坂本龍一氏。坂本氏は「シールズの若者たちが発言してくれているのをみて、日本にもまだ希望があるんだなと思った」と持ちあげてみせた。
官邸・公安関係者も注目
シールズといえば、先日、自民党を離党した武藤貴也衆議院議員がツイッターで、<彼ら彼女らの主張は「だって戦争にいきたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく>とつぶやいて物議を醸したことでもしられているが、「安保反対に声をあげる普通の若者たち」として、今やマスコミの注目度はその武藤氏に匹敵するほどになりつつある。
彼らの動向には安保法案の成立を目指す官邸も神経を尖らす。
「支 持率の下落にようやく歯止めがかかってきた官邸としては安保法案でこれ以上反対が広がるのは避けたいところでしょう。それだけに若くて絵映えがする学生た ちが反対運動の前面に出てくるのを苦々しく思っています。なかでも奥田氏は先月23日の集会で国会における安倍総理の”どうでもいい”というヤジを逆手に とって、『どうでもいいなら首相をやめろ。バカか、お前は』と言い放ったことで、官邸もご立腹な様子です」(政治部記者)
シールズとは一体いかなるグループなのか。
「シールズは特定秘密保護法に反対する『SASPL』と いう首都圏の学生グループを前身にして、安保法制に反対するグループとして今年5月に立ち上げれました。現在は、関西や東北、沖縄にもそれぞれの地域の シールズがあり、緩やかに横の繋がりをもっています。首都圏では、中心メンバーは30人ほどですが、デモや集会には数百人の学生が集まります」(公安関係 者)
そのデモのスタイルは従来のイメージと一線を画すものだ。ヘルメットにゲバ棒どころか、クラブにでもいそうな今どきの若者たちが、 太鼓を叩き、いわゆるラップのリズムに乗せて「戦争するな」、「国民なめんな」、「安倍はやめろ」と短いフレーズを連呼して、場を盛り上げていく。フライ ヤーと呼ぶチラシは、メンバーのうち美大生らが手がけたもので、左翼系の団体が作成するような文字ばかりの無骨なものと違いスタイリッシュなデザインのものばかり。
「『カッコイイ、楽しそう、スタイリッシュ、気軽に参加できそう』というイメージを大事にしながら、抗議活動をするというのが彼らの流儀です」(同前)
「社会に大層な期待してない」
一方で、共産党などの既存左派系組織との関連を指摘する声もある。
「決して多くはありませんが、シールズのメンバーのなかには、民青同盟の人間もいるし、車両や機材は共産党系組織から借りることもあります。彼ら自身は、党派色を排除し、それらの組織から距離をおくようにしているようですが、既存左派組織がシールズを取り込もうと躍起になっているのは確かです」(同前)
本当のところはどうなのか。小誌は、シールズのリーダー的存在である前出の奥田氏に話を聞いた。
十万人デモの前日、東京竹橋の学士会館では、翌日のデモに参加する学生の団体が記者会見を行っていた。その会見後、「文春が朝日と違ってどういうメディア かはわかっているつもりです」と苦笑しながらも、奥田氏はインタビューに応じてくれた。シールズに対しては、マスコミの注目度も高い。だが、当人たちはメ ディアの過熱ぶりに醒めている。
「僕らの主張を伝えてもらうためにメディアを利用するところはあるが、メディアも僕らを利用して都合よく 切り取ろうとしますからね。今日も朝日の人が何人も来てくれましたけど、僕たちに喋らせるんじゃなくて、ほんとうは自分たちで書けばいいんですよ、堂々と オピニオンとして」
特に、記者にダメ出しをすることもあるという。
「見出しがダサいとか、写真がよくなかったりとか。 前もロイターの写真と朝日のを比べて『もっとカッコ良く撮ってください』と注文をつけたことがあります。あと朝日や東京新聞に『テンション高すぎるので、 もっと抑えてください』と注文したり。こちらの注文を聞いてくれるときもありますよ(笑)」
ーーメディアに注目されて嬉しい?
「嬉しくはないです。別に注目されたいと思ってやってないし。そんな夢がでっかくないんで。僕、北九州の貧困家庭みたいなの見て育っているんで、この社会に大層な期待をしてないんで」
奥田氏は1992年福岡県生まれ。西表島の北にある鳩間島という離島の中学を卒業後、島根県にある全寮制のキリスト教系の高校に進学。現在は明治学院大学4年生である。
「中学でいじめられて不登校になったんです。一度は復帰するんですけど、今度は別のヤツがいじめられてて、『なんでそんなことするの』と訊いたら、『イキがってたら、ハブられてもしょうがなくね』と言うんですね。この感覚は怖かった。それで自分で調べて、鳩間島にある不登校とか孤児の子を受け入れて注目されている中学校に入った。タフだったけど、すげえ楽しかったですね」
奥田氏の父親は、北九州市内でホームレスの支援活動を長く続ける牧師で、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で取り上げられたこともある。
「20 年コツコツやってきて、ようやく注目されるようになりましたけど、それまでの孤独な闘いも見ているので。この社会は、タフにやるべきことを渋々とやってい くことが一番大事だと学びました。僕は14歳で家を出ていますが、何をするにも自分で決めて、選んだ道の結果は自分で引き受けなければならないということ を覚えましたね」
彼女とは遠距離恋愛中
大学に入学した年に、東日本大震災が発生。奥田氏は、被災地支援に取り組み、2012年には反原発デモに参加。その後、「SASPL」(前出)での活動を経て、「SEALDs」を立ち上げた。
「大 学で国際政治を勉強しているんですが、今回の安保法案では、国家の根幹がぶれるようなすごいことが怒っているのに社会はすごい静かだなって。憲法がなぜ重 要かと言ったら、国家の暴走に歯止めをかけるものだからですよね? 日本ではものを言う人は少なく、若者は特にそう。ならば誰かが引き受けなければいけな いんじゃないかと思ったんです」
では現実の日本の安全保障についてはどう考えているのか。
「安全保障上の戦略はシールズ内でも人によってバラバラです。ただ、今回のフルスペックの集団的自衛権の内容は、これまでの憲法と国家の歩みからするとかなりハードルが高いことをしている。それなのに首相補佐官が『法的安定性は関係ない』と発言するほど憲法が軽んじられているから、憲法を守るべきだという点は共有しています」
(えっフルスペックは間違いじゃね)
ーー個人的な違憲としては、改憲にも反対?
「今 の九条の範囲で、自衛権が合憲だという判断ができないのかな、という立場です。憲法九条があるから、災害救助とか、ガチの軍隊とは異なる、今の自衛隊の独 自性が生じてきたと思いますし。何より、自民党の憲法草案を見て、今のこの国には憲法を書ける人がいないのか、と愛想がつきたのもあります」
とはいえ、選挙を経て選ばれた一国の首相に対して「バカか、お前は」という言い方はいかがなものか。
「メディアの切り取り方が酷かったのもありますが。言葉遣いに気を付けなきゃと反省しました。ただ議会制民主主義だから国民が直接選んだのではなくて、自民党に安倍さんしかいなかったということですよね」
デモ活動をする上で彼らが重視するのは、「カッコよさ」である。
「た とえば、自分でお店を出して友達に来てもらいたいと思ってフライヤーつくるときに、白黒で文字だらけのダサいものをつくっても、来てくれるわけないじゃな いですか。ツイッターやフェイスブックに写真を載せるときだって、普通、どうしたらカッコいい写真になるか、工夫しますよね。その日常の感覚をデモに持ち 込んだだけ。僕らの日常性を武器にするというか」
シールズを特徴づけるのは、穏やかな組織形態だ。
「コアメンバー30人の他に LINEに登録されている学生が200人。グループに代表はいませんから、いつもみんなでわーわーやってる感じです。デザインや映像、広報、会計、デモな ど15ぐらいの班があって、各班のリーダーを『副司令官』と呼んでるんです。これはメキシコのサバティスタ民族解放軍というゲリラ組織の影響です。彼らは 非暴力で革命を目指しているのですが、そのリーダーのマルコスが自分のことを『副司令官』と名乗ってるんです。なぜかと言えば『人民こそが司令官だか ら』。それ聞いて、かっこいいなあ!と(笑)」
学生主体のグループだが、大学を卒業したメンバーもいて、原則どんな人でも参加OKだという。メンバー同士の恋愛も特に制限はない。
ちなみに奥田氏は、現在遠距離恋愛中だという。
「この活動でなかなか会えなくて、文句を言われているんですけど、最近は、彼女もスゴい『反・安倍』になってきたんです。『安倍政権が終らないとデートもできない』って(笑)。今はシールズ関西にいます」
サークルのノリとはいっても、活動を続けるには、活動資金が必要となる。初めてのデモの資金は、奥田氏ら中心メンバーのバイト代で捻出したが、現在は1口千~3千円ほどの個人カンパで賄っているという。
「よく聞かれるんですけど、困ってはないですよ。だいたい数百万はあるんじゃないですかね。一回のデモで印刷代とか、だいたい2、30万かかるかな」
一方で、資金援助をしてでも、彼らを陣営に取り込みたい既存政党の思惑があるのも事実だ。
「僕はツイッターでも書いてますが、民青も共産党も嫌いだし、シールズを立ち上げるときに周辺に核マルや中核がいないか調べて、そのへんの人たちとは距離を置きましたよ。だって怖くないすか、そういうの」
ーーでも共産党系組織に宣伝カーを借りている?
「全労連から借りた車があって、共産党がバックにいると書かれましたね。でも、あのときは社民党、民主党、共産党に声をかけて、一番デカくて音が大きい車を借りたんです。アホみたいですけど(笑)」
ーー会ってみたい人は?
「小泉進次郎さんですね。 色んな政治家のスピーチを見ていますが、レベルが違う。凄かったのは、防衛大学の卒業式で、卒業後、自衛官にならない人に向かって、『君たちは内実を知っ て社会に出ていくわけだから、仲間がやっていることを伝えてほしい』ということを言ったんですね。トリッキーに動く人よりも、王道でブレない人がいい」
一方で、シールズの活動をすることで、就職活動への不安はないのだろうか。
「不 利な面も有利な面もあると思うんです。面接のときに聞かれてもいないのに『デモ言ってます』という学生がいたら、僕だって落としますよ。あとは、会社側が 『デモ言ってるか』と訊くかどうかですが、そんな思想チェックする会社、怖いじゃないですか。実際には、ホームページ人から、『困ったらウチに来い』とい う誘いもあります」
こうしたシールズの活動を高く評価するのは、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏だ。
「彼らは既存の政治組織やイデオロギーと全く関係のないところから出て来て、『憲法を守れ』というものすごくストレートな主張をする。組織的な緊張感がなくゆるやかな連帯を呼びかけている点が評価できる」
一方、京都大学名誉教授の中西輝政氏は、戦後左翼運動のサイクルに過ぎないとみる。
「女性のスカートが長くなったり短くなったりするのと一緒です。戦後日本における学生の風潮も、デモがダサい=政治に無関心という時代が続いた。それが第二次安倍政権の登場をきっかけに、若い世代が政治化するサイクルが回り出したのです。シールズの活動をみると、太鼓を叩いて短いフレーズを叫ぶのも、べ平連がやってたなと。新しいようで我々の世代には懐メロのように見えてしまうのです」
現在、参議院で審議が進む安保法案は、今年14日以降、衆議院で再可決が可能となる。そうなればシールズの活動はどうするのか。奥田氏はこう語る。
「どうなんでしょうね(笑)。わからないです。でも個人的にはいま起こっていることを学問的に書き残した方がいいと思うので、修士課程に進みたい。親も『賢くないと生き残れない』と言ってくれてます」
安倍首相に「バカか、お前は」 SEALDs学生デモ団体って何者?
●一番会いたい政治家は小泉進次郎 ●朝日新聞に「もっとカッコよく撮って」と注文●宣伝カーは共産党系提供●恋愛OK就活は?●リーダー父はホームレス支援牧師
p30~33
”国民なめんな””勝手に決めんな”ラップのリズムに乗せて、反安保のデモを繰り広げる学生組織「SEALDs」が注目を集めている。彼らはいったい何者で、何を目指しているのか。安倍首相に「バカか、お前は」と言い放ったリーダー格の奥田愛基氏を直撃した。
8月30日、東京永田町の国会議事堂前で「安保反対十万人集会」が行われた。主催者発表で十二万人、警視庁まとめでは三万人とされたが、いずれにしろ、現 場には大群衆がつめかけた。狭い歩道で押し合いへし合いするうちに、一部が警察官の生死を振り切って策を乗り越えて車道にあふれ出し、参加者二名が機動隊 員を暴行したとして公務執行妨害で逮捕されるという騒然とした雰囲気のなか集会が始まった。
民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、さらには懐かしや、生活の党小沢一郎氏までもが駆けつけて安保反対をブチあげるが、降りしきる小雨のせいか、群集のテンションは今ひとつ上がらない。
そんな中、Tシャツに半パンというラフな格好で現れた若者が登壇すると、一気に会場が盛り上がる。
「主催者は俺たちであって、『最高責任者は私だ』と言ってのさばっているお前じゃない」
若者は、そう威勢よく発言すると、続けて、リズムに乗せて、「どうでもいいなら総理をヤメろ」とシュプレヒコールを連呼した。
その一挙手一投足が、デモ参加者やマスコミの注目を集める。若者の名前は奥田愛基氏(23)。「自由と民主主義に基づく政治を求める」学生グループ。
「SEALDs(シールズ:Student Emergency Action for Liberal Democracy)」のリーダー的存在である。
記者の後ろでは年配の女性たちが「奥田くんがよく見えない」と芸能人でも見に来たかのようなノリ。
さらに奥田氏に「今日ビッグな先輩がいるんですけど、駆けつけてくれるということで、チョー待ってました」と紹介されて続いて登壇したのは、なんと音楽家 の坂本龍一氏。坂本氏は「シールズの若者たちが発言してくれているのをみて、日本にもまだ希望があるんだなと思った」と持ちあげてみせた。
官邸・公安関係者も注目
シールズといえば、先日、自民党を離党した武藤貴也衆議院議員がツイッターで、<彼ら彼女らの主張は「だって戦争にいきたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく>とつぶやいて物議を醸したことでもしられているが、「安保反対に声をあげる普通の若者たち」として、今やマスコミの注目度はその武藤氏に匹敵するほどになりつつある。
彼らの動向には安保法案の成立を目指す官邸も神経を尖らす。
「支 持率の下落にようやく歯止めがかかってきた官邸としては安保法案でこれ以上反対が広がるのは避けたいところでしょう。それだけに若くて絵映えがする学生た ちが反対運動の前面に出てくるのを苦々しく思っています。なかでも奥田氏は先月23日の集会で国会における安倍総理の”どうでもいい”というヤジを逆手に とって、『どうでもいいなら首相をやめろ。バカか、お前は』と言い放ったことで、官邸もご立腹な様子です」(政治部記者)
シールズとは一体いかなるグループなのか。
「シールズは特定秘密保護法に反対する『SASPL』と いう首都圏の学生グループを前身にして、安保法制に反対するグループとして今年5月に立ち上げれました。現在は、関西や東北、沖縄にもそれぞれの地域の シールズがあり、緩やかに横の繋がりをもっています。首都圏では、中心メンバーは30人ほどですが、デモや集会には数百人の学生が集まります」(公安関係 者)
そのデモのスタイルは従来のイメージと一線を画すものだ。ヘルメットにゲバ棒どころか、クラブにでもいそうな今どきの若者たちが、 太鼓を叩き、いわゆるラップのリズムに乗せて「戦争するな」、「国民なめんな」、「安倍はやめろ」と短いフレーズを連呼して、場を盛り上げていく。フライ ヤーと呼ぶチラシは、メンバーのうち美大生らが手がけたもので、左翼系の団体が作成するような文字ばかりの無骨なものと違いスタイリッシュなデザインのものばかり。
「『カッコイイ、楽しそう、スタイリッシュ、気軽に参加できそう』というイメージを大事にしながら、抗議活動をするというのが彼らの流儀です」(同前)
「社会に大層な期待してない」
一方で、共産党などの既存左派系組織との関連を指摘する声もある。
「決して多くはありませんが、シールズのメンバーのなかには、民青同盟の人間もいるし、車両や機材は共産党系組織から借りることもあります。彼ら自身は、党派色を排除し、それらの組織から距離をおくようにしているようですが、既存左派組織がシールズを取り込もうと躍起になっているのは確かです」(同前)
本当のところはどうなのか。小誌は、シールズのリーダー的存在である前出の奥田氏に話を聞いた。
十万人デモの前日、東京竹橋の学士会館では、翌日のデモに参加する学生の団体が記者会見を行っていた。その会見後、「文春が朝日と違ってどういうメディア かはわかっているつもりです」と苦笑しながらも、奥田氏はインタビューに応じてくれた。シールズに対しては、マスコミの注目度も高い。だが、当人たちはメ ディアの過熱ぶりに醒めている。
「僕らの主張を伝えてもらうためにメディアを利用するところはあるが、メディアも僕らを利用して都合よく 切り取ろうとしますからね。今日も朝日の人が何人も来てくれましたけど、僕たちに喋らせるんじゃなくて、ほんとうは自分たちで書けばいいんですよ、堂々と オピニオンとして」
特に、記者にダメ出しをすることもあるという。
「見出しがダサいとか、写真がよくなかったりとか。 前もロイターの写真と朝日のを比べて『もっとカッコ良く撮ってください』と注文をつけたことがあります。あと朝日や東京新聞に『テンション高すぎるので、 もっと抑えてください』と注文したり。こちらの注文を聞いてくれるときもありますよ(笑)」
ーーメディアに注目されて嬉しい?
「嬉しくはないです。別に注目されたいと思ってやってないし。そんな夢がでっかくないんで。僕、北九州の貧困家庭みたいなの見て育っているんで、この社会に大層な期待をしてないんで」
奥田氏は1992年福岡県生まれ。西表島の北にある鳩間島という離島の中学を卒業後、島根県にある全寮制のキリスト教系の高校に進学。現在は明治学院大学4年生である。
「中学でいじめられて不登校になったんです。一度は復帰するんですけど、今度は別のヤツがいじめられてて、『なんでそんなことするの』と訊いたら、『イキがってたら、ハブられてもしょうがなくね』と言うんですね。この感覚は怖かった。それで自分で調べて、鳩間島にある不登校とか孤児の子を受け入れて注目されている中学校に入った。タフだったけど、すげえ楽しかったですね」
奥田氏の父親は、北九州市内でホームレスの支援活動を長く続ける牧師で、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で取り上げられたこともある。
「20 年コツコツやってきて、ようやく注目されるようになりましたけど、それまでの孤独な闘いも見ているので。この社会は、タフにやるべきことを渋々とやってい くことが一番大事だと学びました。僕は14歳で家を出ていますが、何をするにも自分で決めて、選んだ道の結果は自分で引き受けなければならないということ を覚えましたね」
彼女とは遠距離恋愛中
大学に入学した年に、東日本大震災が発生。奥田氏は、被災地支援に取り組み、2012年には反原発デモに参加。その後、「SASPL」(前出)での活動を経て、「SEALDs」を立ち上げた。
「大 学で国際政治を勉強しているんですが、今回の安保法案では、国家の根幹がぶれるようなすごいことが怒っているのに社会はすごい静かだなって。憲法がなぜ重 要かと言ったら、国家の暴走に歯止めをかけるものだからですよね? 日本ではものを言う人は少なく、若者は特にそう。ならば誰かが引き受けなければいけな いんじゃないかと思ったんです」
では現実の日本の安全保障についてはどう考えているのか。
「安全保障上の戦略はシールズ内でも人によってバラバラです。ただ、今回のフルスペックの集団的自衛権の内容は、これまでの憲法と国家の歩みからするとかなりハードルが高いことをしている。それなのに首相補佐官が『法的安定性は関係ない』と発言するほど憲法が軽んじられているから、憲法を守るべきだという点は共有しています」
(えっフルスペックは間違いじゃね)
ーー個人的な違憲としては、改憲にも反対?
「今 の九条の範囲で、自衛権が合憲だという判断ができないのかな、という立場です。憲法九条があるから、災害救助とか、ガチの軍隊とは異なる、今の自衛隊の独 自性が生じてきたと思いますし。何より、自民党の憲法草案を見て、今のこの国には憲法を書ける人がいないのか、と愛想がつきたのもあります」
とはいえ、選挙を経て選ばれた一国の首相に対して「バカか、お前は」という言い方はいかがなものか。
「メディアの切り取り方が酷かったのもありますが。言葉遣いに気を付けなきゃと反省しました。ただ議会制民主主義だから国民が直接選んだのではなくて、自民党に安倍さんしかいなかったということですよね」
デモ活動をする上で彼らが重視するのは、「カッコよさ」である。
「た とえば、自分でお店を出して友達に来てもらいたいと思ってフライヤーつくるときに、白黒で文字だらけのダサいものをつくっても、来てくれるわけないじゃな いですか。ツイッターやフェイスブックに写真を載せるときだって、普通、どうしたらカッコいい写真になるか、工夫しますよね。その日常の感覚をデモに持ち 込んだだけ。僕らの日常性を武器にするというか」
シールズを特徴づけるのは、穏やかな組織形態だ。
「コアメンバー30人の他に LINEに登録されている学生が200人。グループに代表はいませんから、いつもみんなでわーわーやってる感じです。デザインや映像、広報、会計、デモな ど15ぐらいの班があって、各班のリーダーを『副司令官』と呼んでるんです。これはメキシコのサバティスタ民族解放軍というゲリラ組織の影響です。彼らは 非暴力で革命を目指しているのですが、そのリーダーのマルコスが自分のことを『副司令官』と名乗ってるんです。なぜかと言えば『人民こそが司令官だか ら』。それ聞いて、かっこいいなあ!と(笑)」
学生主体のグループだが、大学を卒業したメンバーもいて、原則どんな人でも参加OKだという。メンバー同士の恋愛も特に制限はない。
ちなみに奥田氏は、現在遠距離恋愛中だという。
「この活動でなかなか会えなくて、文句を言われているんですけど、最近は、彼女もスゴい『反・安倍』になってきたんです。『安倍政権が終らないとデートもできない』って(笑)。今はシールズ関西にいます」
サークルのノリとはいっても、活動を続けるには、活動資金が必要となる。初めてのデモの資金は、奥田氏ら中心メンバーのバイト代で捻出したが、現在は1口千~3千円ほどの個人カンパで賄っているという。
「よく聞かれるんですけど、困ってはないですよ。だいたい数百万はあるんじゃないですかね。一回のデモで印刷代とか、だいたい2、30万かかるかな」
一方で、資金援助をしてでも、彼らを陣営に取り込みたい既存政党の思惑があるのも事実だ。
「僕はツイッターでも書いてますが、民青も共産党も嫌いだし、シールズを立ち上げるときに周辺に核マルや中核がいないか調べて、そのへんの人たちとは距離を置きましたよ。だって怖くないすか、そういうの」
ーーでも共産党系組織に宣伝カーを借りている?
「全労連から借りた車があって、共産党がバックにいると書かれましたね。でも、あのときは社民党、民主党、共産党に声をかけて、一番デカくて音が大きい車を借りたんです。アホみたいですけど(笑)」
ーー会ってみたい人は?
「小泉進次郎さんですね。 色んな政治家のスピーチを見ていますが、レベルが違う。凄かったのは、防衛大学の卒業式で、卒業後、自衛官にならない人に向かって、『君たちは内実を知っ て社会に出ていくわけだから、仲間がやっていることを伝えてほしい』ということを言ったんですね。トリッキーに動く人よりも、王道でブレない人がいい」
一方で、シールズの活動をすることで、就職活動への不安はないのだろうか。
「不 利な面も有利な面もあると思うんです。面接のときに聞かれてもいないのに『デモ言ってます』という学生がいたら、僕だって落としますよ。あとは、会社側が 『デモ言ってるか』と訊くかどうかですが、そんな思想チェックする会社、怖いじゃないですか。実際には、ホームページ人から、『困ったらウチに来い』とい う誘いもあります」
こうしたシールズの活動を高く評価するのは、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏だ。
「彼らは既存の政治組織やイデオロギーと全く関係のないところから出て来て、『憲法を守れ』というものすごくストレートな主張をする。組織的な緊張感がなくゆるやかな連帯を呼びかけている点が評価できる」
一方、京都大学名誉教授の中西輝政氏は、戦後左翼運動のサイクルに過ぎないとみる。
「女性のスカートが長くなったり短くなったりするのと一緒です。戦後日本における学生の風潮も、デモがダサい=政治に無関心という時代が続いた。それが第二次安倍政権の登場をきっかけに、若い世代が政治化するサイクルが回り出したのです。シールズの活動をみると、太鼓を叩いて短いフレーズを叫ぶのも、べ平連がやってたなと。新しいようで我々の世代には懐メロのように見えてしまうのです」
現在、参議院で審議が進む安保法案は、今年14日以降、衆議院で再可決が可能となる。そうなればシールズの活動はどうするのか。奥田氏はこう語る。
「どうなんでしょうね(笑)。わからないです。でも個人的にはいま起こっていることを学問的に書き残した方がいいと思うので、修士課程に進みたい。親も『賢くないと生き残れない』と言ってくれてます」
安保反対に声をあげる普通の若者たち
彼らは既存の政治組織やイデオロギーと全く関係のないところから出て来て
それがそうじゃなかった
『SEALDs(シールズ)とキリスト教左派』
シールズの主要メンバーは、キリスト教愛真高校で特殊な平和?教育を受けた活動家。
→http://togetter.com/li/873269
SNSを通して自然に集まったというのはとりあえず嘘でした
奥田氏のツイート
一番会いたい政治家は小泉進次郎って一回も言ったことない笑
https://twitter.com/aki21st/status/639162750007046144
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/592173129134252032
仁藤夢乃氏とも親しいみたいですね
→仁藤夢乃「日本は児童買春の国」←やっぱり西早稲田
参考
太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう
アメリカのコントロールから抜け出さないのはなぜなんだい?
英語公用語化 それは一つの文明の自死。
英語公用語化は日本語禁止じゃないって言うかもしらんけども
公用語じゃなくなった言語は自然に一生懸命勉強しなくなるわね
まして古典なんか少数の研究者だけがアクセスするマイナーなものになってしまう
と思うんだけど
漢字使用をやめた韓国はどうなった?
(´・ω・`)ヘビメタみたい!!
(詩文解説→http://plaza.rakuten.co.jp/eiryu/diary/200905290000/)
漢字も漢詩も中国から入ってきたものだけども例によって魔改造してしまったんですね
自分でも何となくわかるのは(解説は読むけども
日本語がずっと生き続けているからで
中国では失われた文献も日本にずーっと残っているし
日本文学の中にも引き継がれているわけですね
だから日本語が廃れると
こういうアーカイブそっくり過去の遺物になってしまう・・
それは一つの文明の死じゃないの・・?
公用語じゃなくなった言語は自然に一生懸命勉強しなくなるわね
まして古典なんか少数の研究者だけがアクセスするマイナーなものになってしまう
と思うんだけど
漢字使用をやめた韓国はどうなった?
p138・139
頼山陽『日本外史』
歴史書”空前のベストセラー”誕生の背景
▼大ベストセラーとなった『日本外史』
江戸時代後期に『日本外史』という大ベストセラーを表したのが頼山陽(1781~1832) です。彼は、父親が頼春水という大儒学者で広島藩の藩儒を務めた人であり、叔父も大学者の頼杏坪です。その影響を受けて山陽も若い頃からの抜群の秀才でし たが、他の秀才とはちょっと変わったところがありました。というのは、単に漢学、儒学が出来ただけではなくて、日本の歴史に非常に興味を持ったのです。
山陽は幼少のころから神経の病にかかり、18歳のとき、治療の一環で叔父の杏坪に連れられて江戸に遊学します。しかし翌年帰郷すると、寛政12年 (1800)年9月、21歳のときに突然脱藩して上洛します。ところが杏坪に見つかって、連れ戻されて廃嫡された上に、自宅の一室に3年間幽閉されること になりました。
山陽は子どものときからぽつぽつと『日本外史』のもとになるものを書き始めていたらしいのですが、この幽閉された3年の間、執筆に集中し、『日本外史』の第一稿を完成させたといわれています。その後も手を加え、文政9(1826)年に全22巻からなる漢文体の国史で ある『日本外史』を書き上げました。トータルでは20年ぐらいの時間をかけたといわれますが、その甲斐はありました。読んだ人が面白いと絶賛したためにう わさになって、幕府老中の松平定信までが読みたいといい出したのです。そのため『日本外史』は文政10(1827)年5月に、定信に献上されています。
『日本外史』では、大きく源氏、新田、足利、徳川の武家4氏の歴史を扱っています。ただ、その中に平家が入り、北条が入り、楠木が入り、後に北条が入り、 武田が入り、毛利が入り、織田が入り、豊臣が入るというような形式になっています。頼山陽は『日本外史』を書くにあたり『大日本史』の資料の多くを参考にしたようです。ただ、『日本外史』は歴史書といっても文章が面白く、講壇そのものといってもいいような書き方になっています。それがベストセラーとなった大きな要因です。
頼山陽『日本外史』
歴史書”空前のベストセラー”誕生の背景
▼大ベストセラーとなった『日本外史』
江戸時代後期に『日本外史』という大ベストセラーを表したのが頼山陽(1781~1832) です。彼は、父親が頼春水という大儒学者で広島藩の藩儒を務めた人であり、叔父も大学者の頼杏坪です。その影響を受けて山陽も若い頃からの抜群の秀才でし たが、他の秀才とはちょっと変わったところがありました。というのは、単に漢学、儒学が出来ただけではなくて、日本の歴史に非常に興味を持ったのです。
山陽は幼少のころから神経の病にかかり、18歳のとき、治療の一環で叔父の杏坪に連れられて江戸に遊学します。しかし翌年帰郷すると、寛政12年 (1800)年9月、21歳のときに突然脱藩して上洛します。ところが杏坪に見つかって、連れ戻されて廃嫡された上に、自宅の一室に3年間幽閉されること になりました。
山陽は子どものときからぽつぽつと『日本外史』のもとになるものを書き始めていたらしいのですが、この幽閉された3年の間、執筆に集中し、『日本外史』の第一稿を完成させたといわれています。その後も手を加え、文政9(1826)年に全22巻からなる漢文体の国史で ある『日本外史』を書き上げました。トータルでは20年ぐらいの時間をかけたといわれますが、その甲斐はありました。読んだ人が面白いと絶賛したためにう わさになって、幕府老中の松平定信までが読みたいといい出したのです。そのため『日本外史』は文政10(1827)年5月に、定信に献上されています。
『日本外史』では、大きく源氏、新田、足利、徳川の武家4氏の歴史を扱っています。ただ、その中に平家が入り、北条が入り、楠木が入り、後に北条が入り、 武田が入り、毛利が入り、織田が入り、豊臣が入るというような形式になっています。頼山陽は『日本外史』を書くにあたり『大日本史』の資料の多くを参考にしたようです。ただ、『日本外史』は歴史書といっても文章が面白く、講壇そのものといってもいいような書き方になっています。それがベストセラーとなった大きな要因です。
p140
とにかく文章が面白いのですが、それを儒学者の帆足万里(1778~1852)などは「頼とやらの書いた書物は、文体は俗っぽく、且つ和臭だらけで文法的 に間違いが多いのはもちろん、考証は杜撰で、議論も公平ではなく、味噌甕のふたにしか使えない」といってけなしています。山陽にしてみれば、日本の話をするのに漢文だけでは描ききれないという考えがあったのでしょう。そのため、どうしても固い漢文からは外れたところが出てきてしまったのではないかと思われます。
しかし、この『日本外史』は幕末の人たちもみんなが読んで、明治の頃にも、ものすごく売れました。『日本外史』を読むための小さな漢和辞書のようなものが作られるほど、人気を博したのです。
とにかく文章が面白いのですが、それを儒学者の帆足万里(1778~1852)などは「頼とやらの書いた書物は、文体は俗っぽく、且つ和臭だらけで文法的 に間違いが多いのはもちろん、考証は杜撰で、議論も公平ではなく、味噌甕のふたにしか使えない」といってけなしています。山陽にしてみれば、日本の話をするのに漢文だけでは描ききれないという考えがあったのでしょう。そのため、どうしても固い漢文からは外れたところが出てきてしまったのではないかと思われます。
しかし、この『日本外史』は幕末の人たちもみんなが読んで、明治の頃にも、ものすごく売れました。『日本外史』を読むための小さな漢和辞書のようなものが作られるほど、人気を博したのです。
p141~143
山陽は『日本政記』と いう小さい本も書いています。これは神武天皇から後陽成天皇の即位までの2000年間の朝廷の歴史を編年体で書いたものです。『日本外史』と比べるとずっ と薄いもので、漢文で書いています。『日本外史』では史実に対する論評は省いていますが、『日本政記』ではいちいちコメントをつけています。それでも『日 本外史』よりはうんと薄いのです。この本は日本の教科書のもとになったのではないかと思われるところもあります。
つけ加えておきます と、明治の人たちは『日本外史』、『日本政記』をよく読んだために日本の大きな歴史が分かっていたと思われます。伊藤博文も両方愛読していて、ヨーロッパ に行くときも持っていこうと思っていたけれども、ちょっとかさばるので『日本政記』だけを持っていったという話も残っています。
▼日本史のハイライト66景を漢詩にして描いた『日本楽府』
もう一冊、山陽には『日本学府(がふ)』という、忘れてはならない大切な本があります。この本は彼が生きているうちに出版された、たった一冊の本です。
『日本楽府』は、日本の歴史から山陽が題材を選んで漢詩にした66の作品から成り立っています。一つひとつのテーマが詩になっているわけです。通読する と、あたかも国史の絵巻物を見るがごときものがあります。ただし非常に内容が難しく、私が『甦る日本史』(PHP研究所・1996年8月)という「日本楽 府」を開設した三巻本をつくったときは、歴史雑誌の連載だったので、注をつけるのに一号につき一闕(一編)ずつで約6年もかけました。
「楽府」という言葉は、漢の武帝のときに宮中に設けた役所の名前です。元来は音楽の演奏や作曲や演奏者の養成にあたりましたが、そのうちに、この役所に最 終さえて曲を付けられた詩や民間で唄われていた歌謡の歌詞も指すようになりました(その歌詞を数えるとき、一闕、二闕というふうにいったのです)。「が ふ」と読みますが、これは「がくふ」がなまったものです。
山陽の『日本楽府』は国史上の一事件、あるいはエピソードを数行から10行程 度の詩にまとめたものなので、ただ読んだだけでは意味はわかりません。三洋の友人で学者の篠崎松竹は、最初にこれを見せてもらった時は霧の中を舟で行くよ うなもので茫乎(ぼうこ)として岸が見えない感じであったが、眼を凝らしてじっと見ていると山や樹がだんだん見えてくる気になる、そしていい景色のところ に出会うたびに手をうって感嘆するような具合だった、と述べています。それほど山陽は故事を縦横に踏まえて書いているというのです。
山陽は『日本政記』と いう小さい本も書いています。これは神武天皇から後陽成天皇の即位までの2000年間の朝廷の歴史を編年体で書いたものです。『日本外史』と比べるとずっ と薄いもので、漢文で書いています。『日本外史』では史実に対する論評は省いていますが、『日本政記』ではいちいちコメントをつけています。それでも『日 本外史』よりはうんと薄いのです。この本は日本の教科書のもとになったのではないかと思われるところもあります。
つけ加えておきます と、明治の人たちは『日本外史』、『日本政記』をよく読んだために日本の大きな歴史が分かっていたと思われます。伊藤博文も両方愛読していて、ヨーロッパ に行くときも持っていこうと思っていたけれども、ちょっとかさばるので『日本政記』だけを持っていったという話も残っています。
▼日本史のハイライト66景を漢詩にして描いた『日本楽府』
もう一冊、山陽には『日本学府(がふ)』という、忘れてはならない大切な本があります。この本は彼が生きているうちに出版された、たった一冊の本です。
『日本楽府』は、日本の歴史から山陽が題材を選んで漢詩にした66の作品から成り立っています。一つひとつのテーマが詩になっているわけです。通読する と、あたかも国史の絵巻物を見るがごときものがあります。ただし非常に内容が難しく、私が『甦る日本史』(PHP研究所・1996年8月)という「日本楽 府」を開設した三巻本をつくったときは、歴史雑誌の連載だったので、注をつけるのに一号につき一闕(一編)ずつで約6年もかけました。
「楽府」という言葉は、漢の武帝のときに宮中に設けた役所の名前です。元来は音楽の演奏や作曲や演奏者の養成にあたりましたが、そのうちに、この役所に最 終さえて曲を付けられた詩や民間で唄われていた歌謡の歌詞も指すようになりました(その歌詞を数えるとき、一闕、二闕というふうにいったのです)。「が ふ」と読みますが、これは「がくふ」がなまったものです。
山陽の『日本楽府』は国史上の一事件、あるいはエピソードを数行から10行程 度の詩にまとめたものなので、ただ読んだだけでは意味はわかりません。三洋の友人で学者の篠崎松竹は、最初にこれを見せてもらった時は霧の中を舟で行くよ うなもので茫乎(ぼうこ)として岸が見えない感じであったが、眼を凝らしてじっと見ていると山や樹がだんだん見えてくる気になる、そしていい景色のところ に出会うたびに手をうって感嘆するような具合だった、と述べています。それほど山陽は故事を縦横に踏まえて書いているというのです。
p147
頼山陽は彼自身が考えた日本史のハイライトを66景選び、それを漢詩にして『日本楽府』に描きました。66というのは、ちょうど当時の日本が66の国からなっていたことに由来します。
最初と最後が隋と明の話になっていますが、真ん中のあたりに元も出てきます。これは非常に有名なもので、旧制中学の教科書にも採用されていました。
頼山陽は彼自身が考えた日本史のハイライトを66景選び、それを漢詩にして『日本楽府』に描きました。66というのは、ちょうど当時の日本が66の国からなっていたことに由来します。
最初と最後が隋と明の話になっていますが、真ん中のあたりに元も出てきます。これは非常に有名なもので、旧制中学の教科書にも採用されていました。
(´・ω・`)ヘビメタみたい!!
(詩文解説→http://plaza.rakuten.co.jp/eiryu/diary/200905290000/)
漢字も漢詩も中国から入ってきたものだけども例によって魔改造してしまったんですね
自分でも何となくわかるのは(解説は読むけども
日本語がずっと生き続けているからで
中国では失われた文献も日本にずーっと残っているし
日本文学の中にも引き継がれているわけですね
だから日本語が廃れると
こういうアーカイブそっくり過去の遺物になってしまう・・
それは一つの文明の死じゃないの・・?
紫禁城の黄昏 封印された満州国の歴史
以前から気になっていた岩波文庫版『紫禁城の黄昏』について
参考:【wiki】紫禁城の黄昏
金日成主席と会見する安江良介・岩波書店 社長(91年9月26日)
→ひたすらひれ伏せby東郷和彦
レジナルド・ジョンストン
http://www.abc.net.au/radionational/programs/hindsight/the-last-tutor/3116808
参考:【wiki】紫禁城の黄昏
金日成主席と会見する安江良介・岩波書店 社長(91年9月26日)
→ひたすらひれ伏せby東郷和彦
p181~188
R・F・ジョンストン『紫禁城の黄昏』
封印されてきた満州国の歴史の真実
▼岩波文庫版から削除された部分に書かれていたこと
歴史に「イフ」は禁物とはいえ、もしもジョンストンの『紫禁城の黄昏』が東京裁判(極東国際軍事裁判)で証拠書類として採用されていたら、あのような裁判 は成立しなかったでしょう。こういうだけで、本書の価値を語るには十分であろうかと思われます。もちろん、何がなんでも日本を悪者に仕立て上げたかった東 京裁判では、弁護側から提出された『紫禁城の黄昏』を証拠書類として採用せず、却下しました。これを証拠として採用するわけにはいかなかったのです。
では、この本はいかなる性質のものであったのでしょうか。それは、次のエピソードから推察できるでしょう。
清国最後の皇帝溥儀の波乱万丈の生涯を見事に描いたイギリス・イタリア・中国合作映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督/1987年)は、世界的な評判を呼びました。 この映画の主人公である溥儀は3歳で即位しますが、紫禁城に閉じ込められたまま、イギリス人のシナ学者レジナルド・ジョンストンを 最も信頼する個人教師として成長します。1924年(大正13年)、馮玉祥と孫岳がクーデター(北京政変)を起し、生命の危険が迫った溥儀はジョンストン とともに紫禁城を抜け出して異本の公使館に逃げ込みます。そして、のちに日本の後押しで満州国皇帝となるのですが、中国共産党政権の成立とともに弾劾され て、北京の一市民として一生を終えることになるのです。
この映画の中でも特に印象的なのは、黒い衣服を着ていつも少年皇帝の側に仕えているイギリス人でした。これが『紫禁城の黄昏』の著者レジナルド・ジョンストンです。
この映画を観て原作を読みたくなる人も多いだろうと出版社は考えたのでしょう。平成元(1989)年2月に、岩波文庫の一冊として入り江曜子・春名徹両氏 の共訳が出版されました。この本が古典的な名著であることは一点の疑いもありませんから、岩波文庫に入ることは当然ですが、この文庫本には大きな問題があ りました。原書の第一章から第十章までと、第十六章を全部省略しているのです。その理由として訳者たちは「主観的な色彩の強い前史的部分」だからだといっ ています。そのほか、重要な個所では、意味が反対になるように誤訳しています。
削除された第一章から第十章は、ジョンストンが溥儀の家庭教師として紫禁城に招聘される以前の清朝の歴史について書いた部分です。それのどこが主観的なのでしょうか。また、清朝を建国したのが満州族であることの、どこが主観的なのでしょうか。私には理解できません。
また、第十六章には満州人の王朝の皇帝が父祖の地に戻る可能性について、当時どのような報道や記録があったのかを書いています。日本の政府がまったく関与 しないうちに、溥儀の扱いは大陸で大きな問題となっていたのです。溥儀がジョンストンと日本公使館に逃げ込んできたときの芳沢(よしざわ)公使の当惑、そ の後も日本政府がいかに溥儀にかかわることを嫌ったか、彼の側にいたジョンストンの記述ほど信用できるものはありません。これは歴史の第一級資料といって差し支えないものなのです。
さらに、岩波文庫では序章の一部が虫を喰ったように省略してあります。そこに何が書かれていたか原本に当たって調べてみると、それは溥儀に忠義だった清朝の人の名前がでてくるところであることがわかりました。つまり岩波文庫版は、中華人民共和国の国益、あるいは建て前に反しないようにするという配慮から、重要部分を勝手に削除した非良心的な刊本であり、岩波文庫の名誉を害するものであるとさえいえる不完全なものなのです。訳者の略歴は記されていないので不明ですが、思想的には東京裁判史観の人であるとしか思えません。
▼古本市場から姿を消した原書『Twilight in the Forbidden City』
岩波文庫の訳者たちが用いた版は国会図書館の蔵本で、昭和9(1934)年12月の初版第4刷とのことです。私が所有し、かつ読んだのも同じ第4刷でした。
私はこの本を手に入れるまでに不思議な体験をしました。私がジョンストンのこの本の内容を最初に知ったのは、荒木武行訳『紫禁の黎明』(大樹社書房・昭和 9年7月15日)によってでした。のちに關東玄洋社出版部訳『紫禁の熹光ーー満州國皇帝陛下御生立記』(同社・昭和10年1月1日)をコピーで入手しまし た。荒木氏の役を最初に読んだのがいつであったか、はっきりとした記憶はないのですが、30年ぐらい前であることは確かです。
その後、 原書である『Twilight in the Forbidden City』が欲しくなり探し続けたのですが、日本では神田で一冊見つかっただけでした。また、アメリカ古書店教会の会長をしていた友人を通じてインター ネットで探してもらって、オーストラリアで一冊見つかりました。私自身もイギリスの古書店にずっと注文を出し続けていますが、イギリスでは一冊も出てきま せん。マグスのような東洋関係に強い大きな古書店でも見つかりません。この20年の間にジョンストンの著書で見つかったものは、『Lion and Dragon in Northern China』や『Buddhist China』だけであり、探し求めている『Twilight in the Forbidden City』はついに今日まで見つかっていないのです。
これは実に不思議な話です。『Twilight in the Forbidden City』は当時人気のあった本で、1934年3月に初版初刷が出て、同年12月に第4刷が出ています。布表紙の本文486頁の原書には、巻末の註が約 20頁、索引も10頁、溥儀の親書や写真など貴重な資料も沢山添えてあります。堂々たる本で、いわゆる際物ではありません。1年も経たないうちに4刷に なっているということは、たいへん評判になった本であったことを示しています。その原書が古書市場から消えているということは、おそらく個人の所有者たち が大戦中に処分してしまったのではないかと私は推測してみたくなるのです。
リプリント版がアメリカとイギリスでは戦後に出されていますが、研究者にとっては必読の資料ですから当然ともいえます。図書館に原書が残っていたのは、さすがにこの代位級資料となる本は処分できなかったということなのでしょう。
▼シナの歴史は王朝の変遷史である
私が荒木氏の邦訳を読む気になったのは、戦前の記憶のためでした。戦後、満州は中国東北部と呼ばれて、中華人民共和国の当然の領土として扱われていますが、戦争の記憶のある私は「これは変だぞ」という気がしていたのです。
私にとって戦前とは、旧制中学3年の夏まででした。そのときまでの私の知識では、満州は元来満州族の土地であり、その満州族の偉い酋長が徳川時代の初めころにシナ本土を征服して清朝を建てた。けれども、1911年(明治44)年にシナで革命という名のシナ人の独立運動が起こると最後の清朝皇帝は北京から逃げ出し、日本の援助で父祖の土地に満州国を建設して、そこの初代皇帝になった、というものでした。これは大筋の事実の流れとしては今でも正しいでしょう。
しかい戦後になると、満州という土地も、満州族と言う民族も、まるで存在しないかのような報道のされ方でした。そんな頃に、学習院大学の故・香山(こうやま)健一教授(この人は満州育ちだったと記憶しています)が、満州を訪問したら今では中国人とされている満州人たちが「昔は俺たちの国もあったんだ」といって涙を流していた、と私に語ってくれたのです。それが、私のジョンストン原書探しの出発点になったように思います。
原書で読んだ「シナには近代欧米的な意味での国家は、かつて存在したことがなく、いろいろな王朝があっただけである」と いうジョンストンの指摘には、目から鱗が落ちる思いがしました。考えてみれば、周王朝と唐王朝では人種がほとんど別になっているといわれるほどですし、元 王朝は蒙古族の王朝であり、清王朝は満州族の王朝であり、決していわゆるシナ人の王朝ではなかったのです。これが満州問題を理解する鍵であったのだという ことがはっきりとわかりました。
それについて書かれたジョンストンの注から引用してみましょう。
これを読めば「万里の長城」の北の地域がシナ民族の領土であるわけはなく、それは戦後のどさくさに中国軍が侵略した土地であることは明白でしょう。
R・F・ジョンストン『紫禁城の黄昏』
封印されてきた満州国の歴史の真実
▼岩波文庫版から削除された部分に書かれていたこと
歴史に「イフ」は禁物とはいえ、もしもジョンストンの『紫禁城の黄昏』が東京裁判(極東国際軍事裁判)で証拠書類として採用されていたら、あのような裁判 は成立しなかったでしょう。こういうだけで、本書の価値を語るには十分であろうかと思われます。もちろん、何がなんでも日本を悪者に仕立て上げたかった東 京裁判では、弁護側から提出された『紫禁城の黄昏』を証拠書類として採用せず、却下しました。これを証拠として採用するわけにはいかなかったのです。
では、この本はいかなる性質のものであったのでしょうか。それは、次のエピソードから推察できるでしょう。
清国最後の皇帝溥儀の波乱万丈の生涯を見事に描いたイギリス・イタリア・中国合作映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督/1987年)は、世界的な評判を呼びました。 この映画の主人公である溥儀は3歳で即位しますが、紫禁城に閉じ込められたまま、イギリス人のシナ学者レジナルド・ジョンストンを 最も信頼する個人教師として成長します。1924年(大正13年)、馮玉祥と孫岳がクーデター(北京政変)を起し、生命の危険が迫った溥儀はジョンストン とともに紫禁城を抜け出して異本の公使館に逃げ込みます。そして、のちに日本の後押しで満州国皇帝となるのですが、中国共産党政権の成立とともに弾劾され て、北京の一市民として一生を終えることになるのです。
この映画の中でも特に印象的なのは、黒い衣服を着ていつも少年皇帝の側に仕えているイギリス人でした。これが『紫禁城の黄昏』の著者レジナルド・ジョンストンです。
この映画を観て原作を読みたくなる人も多いだろうと出版社は考えたのでしょう。平成元(1989)年2月に、岩波文庫の一冊として入り江曜子・春名徹両氏 の共訳が出版されました。この本が古典的な名著であることは一点の疑いもありませんから、岩波文庫に入ることは当然ですが、この文庫本には大きな問題があ りました。原書の第一章から第十章までと、第十六章を全部省略しているのです。その理由として訳者たちは「主観的な色彩の強い前史的部分」だからだといっ ています。そのほか、重要な個所では、意味が反対になるように誤訳しています。
削除された第一章から第十章は、ジョンストンが溥儀の家庭教師として紫禁城に招聘される以前の清朝の歴史について書いた部分です。それのどこが主観的なのでしょうか。また、清朝を建国したのが満州族であることの、どこが主観的なのでしょうか。私には理解できません。
また、第十六章には満州人の王朝の皇帝が父祖の地に戻る可能性について、当時どのような報道や記録があったのかを書いています。日本の政府がまったく関与 しないうちに、溥儀の扱いは大陸で大きな問題となっていたのです。溥儀がジョンストンと日本公使館に逃げ込んできたときの芳沢(よしざわ)公使の当惑、そ の後も日本政府がいかに溥儀にかかわることを嫌ったか、彼の側にいたジョンストンの記述ほど信用できるものはありません。これは歴史の第一級資料といって差し支えないものなのです。
さらに、岩波文庫では序章の一部が虫を喰ったように省略してあります。そこに何が書かれていたか原本に当たって調べてみると、それは溥儀に忠義だった清朝の人の名前がでてくるところであることがわかりました。つまり岩波文庫版は、中華人民共和国の国益、あるいは建て前に反しないようにするという配慮から、重要部分を勝手に削除した非良心的な刊本であり、岩波文庫の名誉を害するものであるとさえいえる不完全なものなのです。訳者の略歴は記されていないので不明ですが、思想的には東京裁判史観の人であるとしか思えません。
▼古本市場から姿を消した原書『Twilight in the Forbidden City』
岩波文庫の訳者たちが用いた版は国会図書館の蔵本で、昭和9(1934)年12月の初版第4刷とのことです。私が所有し、かつ読んだのも同じ第4刷でした。
私はこの本を手に入れるまでに不思議な体験をしました。私がジョンストンのこの本の内容を最初に知ったのは、荒木武行訳『紫禁の黎明』(大樹社書房・昭和 9年7月15日)によってでした。のちに關東玄洋社出版部訳『紫禁の熹光ーー満州國皇帝陛下御生立記』(同社・昭和10年1月1日)をコピーで入手しまし た。荒木氏の役を最初に読んだのがいつであったか、はっきりとした記憶はないのですが、30年ぐらい前であることは確かです。
その後、 原書である『Twilight in the Forbidden City』が欲しくなり探し続けたのですが、日本では神田で一冊見つかっただけでした。また、アメリカ古書店教会の会長をしていた友人を通じてインター ネットで探してもらって、オーストラリアで一冊見つかりました。私自身もイギリスの古書店にずっと注文を出し続けていますが、イギリスでは一冊も出てきま せん。マグスのような東洋関係に強い大きな古書店でも見つかりません。この20年の間にジョンストンの著書で見つかったものは、『Lion and Dragon in Northern China』や『Buddhist China』だけであり、探し求めている『Twilight in the Forbidden City』はついに今日まで見つかっていないのです。
これは実に不思議な話です。『Twilight in the Forbidden City』は当時人気のあった本で、1934年3月に初版初刷が出て、同年12月に第4刷が出ています。布表紙の本文486頁の原書には、巻末の註が約 20頁、索引も10頁、溥儀の親書や写真など貴重な資料も沢山添えてあります。堂々たる本で、いわゆる際物ではありません。1年も経たないうちに4刷に なっているということは、たいへん評判になった本であったことを示しています。その原書が古書市場から消えているということは、おそらく個人の所有者たち が大戦中に処分してしまったのではないかと私は推測してみたくなるのです。
リプリント版がアメリカとイギリスでは戦後に出されていますが、研究者にとっては必読の資料ですから当然ともいえます。図書館に原書が残っていたのは、さすがにこの代位級資料となる本は処分できなかったということなのでしょう。
▼シナの歴史は王朝の変遷史である
私が荒木氏の邦訳を読む気になったのは、戦前の記憶のためでした。戦後、満州は中国東北部と呼ばれて、中華人民共和国の当然の領土として扱われていますが、戦争の記憶のある私は「これは変だぞ」という気がしていたのです。
私にとって戦前とは、旧制中学3年の夏まででした。そのときまでの私の知識では、満州は元来満州族の土地であり、その満州族の偉い酋長が徳川時代の初めころにシナ本土を征服して清朝を建てた。けれども、1911年(明治44)年にシナで革命という名のシナ人の独立運動が起こると最後の清朝皇帝は北京から逃げ出し、日本の援助で父祖の土地に満州国を建設して、そこの初代皇帝になった、というものでした。これは大筋の事実の流れとしては今でも正しいでしょう。
しかい戦後になると、満州という土地も、満州族と言う民族も、まるで存在しないかのような報道のされ方でした。そんな頃に、学習院大学の故・香山(こうやま)健一教授(この人は満州育ちだったと記憶しています)が、満州を訪問したら今では中国人とされている満州人たちが「昔は俺たちの国もあったんだ」といって涙を流していた、と私に語ってくれたのです。それが、私のジョンストン原書探しの出発点になったように思います。
原書で読んだ「シナには近代欧米的な意味での国家は、かつて存在したことがなく、いろいろな王朝があっただけである」と いうジョンストンの指摘には、目から鱗が落ちる思いがしました。考えてみれば、周王朝と唐王朝では人種がほとんど別になっているといわれるほどですし、元 王朝は蒙古族の王朝であり、清王朝は満州族の王朝であり、決していわゆるシナ人の王朝ではなかったのです。これが満州問題を理解する鍵であったのだという ことがはっきりとわかりました。
それについて書かれたジョンストンの注から引用してみましょう。
「諸
外国とシナの間で交わされる英語版の条約では、『シナの皇帝』という表現を用いるのが慣習となっているが、シナの原文で用いる擁護は『大清国大皇帝』であ
る。おそらく、領土的な称号でなく、このような称号を用いると、外国人にはなじみがなく誤解を招くため、条約の英語版を準備するときには、王朝名を用いた
帝号を『シナの皇帝』に変更することが必要と考えたのであろう。
しかし、そのように変更した責任は、外国人の翻訳者にあったと思う。日本とシナが1871年(明治4年)に結んだ条約では『契約を結ぶ二大列強の君主の帝号は、この条約では用いない』とある。日本は『大日本帝国』であり、シナは『大清国』である。
日本人はシナの習慣をまねて年代を表示するために『年号』を用いるが、国名の代用として王朝名を用いるシナの例にならうことはない。それは日本にはひとつ の王朝しかないという単純な理由からである。したがって、その国名(『大日本』)はヨーロッパの国々と同じように用いるが、シナの用いる用語は王朝名であ り、『中国』ではなく『大清国』である」(『完訳 紫禁城の黄昏』上巻・祥伝社・437頁)
しかし、そのように変更した責任は、外国人の翻訳者にあったと思う。日本とシナが1871年(明治4年)に結んだ条約では『契約を結ぶ二大列強の君主の帝号は、この条約では用いない』とある。日本は『大日本帝国』であり、シナは『大清国』である。
日本人はシナの習慣をまねて年代を表示するために『年号』を用いるが、国名の代用として王朝名を用いるシナの例にならうことはない。それは日本にはひとつ の王朝しかないという単純な理由からである。したがって、その国名(『大日本』)はヨーロッパの国々と同じように用いるが、シナの用いる用語は王朝名であ り、『中国』ではなく『大清国』である」(『完訳 紫禁城の黄昏』上巻・祥伝社・437頁)
これを読めば「万里の長城」の北の地域がシナ民族の領土であるわけはなく、それは戦後のどさくさに中国軍が侵略した土地であることは明白でしょう。
レジナルド・ジョンストン
http://www.abc.net.au/radionational/programs/hindsight/the-last-tutor/3116808
ベイナー下院議長が辞任
安倍さんの米両議会演説に一役買ってくれたベイナー下院議長が辞任することに
→朝鮮日報のパクリ・・あ、いつものことか・・
李容珠婆を米議会に立たせたあのナンシー・ペロシがまだ下院議長だったら安倍さんの演説はなかったんだろうと思っていたので
→吉松育美さん騒動8 ナンシー・ペロシと慰安婦問題
日本にとっては残念なことになるような気がする
「PPは臓器・組織売買の常習犯」だというビデオ告発
これかな
『Undercover video shows Planned Parenthood official discussing fetal organs used for research』
theWashingtonPost 2015.7.14
http://www.washingtonpost.com/politics/undercover-video-shows-planned-parenthood-exec-discussing-organ-harvesting/2015/07/14/ae330e34-2a4d-11e5-bd33-395c05608059_story.html
【youtube】Planned Parenthood Uses Partial-Birth Abortions to Sell Baby Parts
一神教って厄介だな
『Jesus Camp』というドキュメンタリーフィルムを思い出した。
→【wiki】 ジーザス・キャンプ〜アメリカを動かすキリスト教原理主義〜
→朝鮮日報のパクリ・・あ、いつものことか・・
李容珠婆を米議会に立たせたあのナンシー・ペロシがまだ下院議長だったら安倍さんの演説はなかったんだろうと思っていたので
→吉松育美さん騒動8 ナンシー・ペロシと慰安婦問題
日本にとっては残念なことになるような気がする
冷泉彰彦
プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
共和党の異常事態、ベイナー下院議長辞任と「しぶとい」トランプ
オバマ大統領に対抗する「多数野党」の下院共和党を率いるジョン・ベイナー下院議長が先週末に突如辞任すると言明、米政界に激震が走っています。就任から 5年、予算をめぐるバトルなど何度も政権と対決してきた百戦錬磨の議長ですが、どうしてそこまで思い詰めたのでしょうか?
直接の原因は予算審議の難航です。
これはかなり切迫した問題で、9月末までに予算を可決できないと再び「政府閉鎖」が起きかねない状況でした。そうは言っても、こうした事態をベイナー議長 は何度も経験しています。例えば「財政の崖」騒動とか均衡予算騒動など、予算を人質に取った政局では常に見事な「立ち回り」を見せてきたはずです。
では、どうして今回に限って調整不能に陥ったのでしょうか?
理由は明確です。ベイナー議長本人が、「今回の予算を通さないで政府閉鎖をやるのは大義がない」と考えているからです。今回、下院の共和党右派がやっている予算潰し運動の目的は、実は共和党の党是から来る「均衡予算」や「歳出カット」の要求ではないからです。
今回のバトルの原因は、1つのNGOへの補助金をどうするかという問題に過ぎません。NGOの名前は「Planned Parenthood (PP) 」。日本語では「家族計画協会」と言える団体で、HIVの予防、子宮頸がんへの対策、そして避妊の普及などの活動を行っています。やむを得ない妊娠中絶を実施する医師や医院で構成していて、特に貧困層の支援を重視しています。
法律によって、このPPに対しては部分的な公的助成が行われています。問題は、このPPの活動の中に妊娠中絶が入っていることです。この点を共和党の保守派は長年問題視してきました。
そんな中、今年になって、保守系のCMP(Center for Medical Progress)という団体が「PPは臓器・組織売買の常習犯」だというビデオ告発を行ったのです。その内容に関しては評価が割れています。PP側は内容を虚偽だとしており、既に裁判所(複数)からはビデオの公開が禁止されています。オバマ政権をはじめとする民主党も同じです。
CMPは隠しカメラを使って、ニセの企業を騙った俳優をPPに潜入させ、一種の「おとり捜査」的な手法を使って疑惑をデッチ上げたというのが、民主党の立場です。
一方で共和党の保守派は、「巨大スキャンダル」だとして、PPへの激しい批判キャンペーンを開始し、大統領候補の予備選においても争点に据えつつありま す。そんな中で、「PPへの助成が少しでも入っている予算は通さない」という激しい感情論が盛り上がっているというわけです。
要するにイデオロギー100%の動機であって、ベイナー議長としては、こんな理由で「政府閉鎖」つまり不要不急の連邦政府機能の停止などという事態に持っていくことを「してはならない」という確信に至ったのだと思います。そこで議長は大きな決断をしたのでした。
それは「自分のクビと引き換えに議長権限で予算案の採決をする」ということです。現時点では、まだ採決に至っていませんが、時間の問題とも言われています。
さて、仮にこれで予算が通り下院議長が辞めたとして、今後の政局はどうなるのでしょうか?
仮に予算バトルで負けると、怨念を抱えた保守派はさらに強硬になると思います。具体的にはジェブ・ブッシュ候補が標的となりそうで「お前は中絶反対派(プロ・ライフ)だと言っているが信用できない」とか、「移民問題で穏健過ぎる」などの攻撃を強めるに違いありません。
若手のホープと期待されるマルコ・ルビオ候補なども、右派に寄り添うか、中道のイバラの道を歩くのか、どちらかの選択を迫られるでしょう。どちらに転んでも楽な道ではありません。
そんな中、保守派の方は、「主張がエスカレートすることで、中間層は離反し、本選候補としては勝ち目がなくなっていく」というワナにどんどんはまっていく ことになります。ということは反対に、「口は悪いが中道的でもある」ドナルド・トランプの支持が回復することも予想できます。
これを受けたかのようにトランプは週明け早々、CNNの看板キャスターで「ゴールドマン・サックス出身の経済通」であるエリン・バーネットの単独インタビューに応じるという形で、「新税制案」を発表しました。
その中身ですが、なかなかユニークなもので「単身で年収2万5000ドル(300万円)以下、既婚カップルで5万ドル(600万円)以下の場合は連邦所得 税はゼロ」とする一方で、「単身で年収15万ドル(1800万円)、夫婦で30万ドル(3600万円)」以上の最高税率も40%から25%に下げるという のです。
その代わり、不公平な節税措置の温床となる複雑な控除や、「タックスホール」(税の抜け道)を改善するのだとタンカを切っていました。「大金持ちやヘッジファンドの連中の中には真っ青になるヤツもいるだろう」というのです。
こうなると、トランプ氏が共和党の本選候補になる可能性が再度浮上しますが、仮にそうなっても本選で勝つ見込みはやはり少ないでしょう。結果的にはヒラリー・クリントンに有利な情勢になってくると思います。
ヒラリー候補を含めた民主党の第1回テレビ討論は10月13日に予定されています。一方の共和党の下院議長人事は、ベイナー氏の強く推すケビン・マッカーシー議員という妥当な人事にスンナリ収まるか、こちらの情勢からも目が離せません。
冷泉彰彦
(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を 経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデ ルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載 中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。
(本名前田文夫→【wiki】冷泉彰彦)
NEWSWEEK2015.9.29
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/09/post-773_1.php
プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
共和党の異常事態、ベイナー下院議長辞任と「しぶとい」トランプ
オバマ大統領に対抗する「多数野党」の下院共和党を率いるジョン・ベイナー下院議長が先週末に突如辞任すると言明、米政界に激震が走っています。就任から 5年、予算をめぐるバトルなど何度も政権と対決してきた百戦錬磨の議長ですが、どうしてそこまで思い詰めたのでしょうか?
直接の原因は予算審議の難航です。
これはかなり切迫した問題で、9月末までに予算を可決できないと再び「政府閉鎖」が起きかねない状況でした。そうは言っても、こうした事態をベイナー議長 は何度も経験しています。例えば「財政の崖」騒動とか均衡予算騒動など、予算を人質に取った政局では常に見事な「立ち回り」を見せてきたはずです。
では、どうして今回に限って調整不能に陥ったのでしょうか?
理由は明確です。ベイナー議長本人が、「今回の予算を通さないで政府閉鎖をやるのは大義がない」と考えているからです。今回、下院の共和党右派がやっている予算潰し運動の目的は、実は共和党の党是から来る「均衡予算」や「歳出カット」の要求ではないからです。
今回のバトルの原因は、1つのNGOへの補助金をどうするかという問題に過ぎません。NGOの名前は「Planned Parenthood (PP) 」。日本語では「家族計画協会」と言える団体で、HIVの予防、子宮頸がんへの対策、そして避妊の普及などの活動を行っています。やむを得ない妊娠中絶を実施する医師や医院で構成していて、特に貧困層の支援を重視しています。
法律によって、このPPに対しては部分的な公的助成が行われています。問題は、このPPの活動の中に妊娠中絶が入っていることです。この点を共和党の保守派は長年問題視してきました。
そんな中、今年になって、保守系のCMP(Center for Medical Progress)という団体が「PPは臓器・組織売買の常習犯」だというビデオ告発を行ったのです。その内容に関しては評価が割れています。PP側は内容を虚偽だとしており、既に裁判所(複数)からはビデオの公開が禁止されています。オバマ政権をはじめとする民主党も同じです。
CMPは隠しカメラを使って、ニセの企業を騙った俳優をPPに潜入させ、一種の「おとり捜査」的な手法を使って疑惑をデッチ上げたというのが、民主党の立場です。
一方で共和党の保守派は、「巨大スキャンダル」だとして、PPへの激しい批判キャンペーンを開始し、大統領候補の予備選においても争点に据えつつありま す。そんな中で、「PPへの助成が少しでも入っている予算は通さない」という激しい感情論が盛り上がっているというわけです。
要するにイデオロギー100%の動機であって、ベイナー議長としては、こんな理由で「政府閉鎖」つまり不要不急の連邦政府機能の停止などという事態に持っていくことを「してはならない」という確信に至ったのだと思います。そこで議長は大きな決断をしたのでした。
それは「自分のクビと引き換えに議長権限で予算案の採決をする」ということです。現時点では、まだ採決に至っていませんが、時間の問題とも言われています。
さて、仮にこれで予算が通り下院議長が辞めたとして、今後の政局はどうなるのでしょうか?
仮に予算バトルで負けると、怨念を抱えた保守派はさらに強硬になると思います。具体的にはジェブ・ブッシュ候補が標的となりそうで「お前は中絶反対派(プロ・ライフ)だと言っているが信用できない」とか、「移民問題で穏健過ぎる」などの攻撃を強めるに違いありません。
若手のホープと期待されるマルコ・ルビオ候補なども、右派に寄り添うか、中道のイバラの道を歩くのか、どちらかの選択を迫られるでしょう。どちらに転んでも楽な道ではありません。
そんな中、保守派の方は、「主張がエスカレートすることで、中間層は離反し、本選候補としては勝ち目がなくなっていく」というワナにどんどんはまっていく ことになります。ということは反対に、「口は悪いが中道的でもある」ドナルド・トランプの支持が回復することも予想できます。
これを受けたかのようにトランプは週明け早々、CNNの看板キャスターで「ゴールドマン・サックス出身の経済通」であるエリン・バーネットの単独インタビューに応じるという形で、「新税制案」を発表しました。
その中身ですが、なかなかユニークなもので「単身で年収2万5000ドル(300万円)以下、既婚カップルで5万ドル(600万円)以下の場合は連邦所得 税はゼロ」とする一方で、「単身で年収15万ドル(1800万円)、夫婦で30万ドル(3600万円)」以上の最高税率も40%から25%に下げるという のです。
その代わり、不公平な節税措置の温床となる複雑な控除や、「タックスホール」(税の抜け道)を改善するのだとタンカを切っていました。「大金持ちやヘッジファンドの連中の中には真っ青になるヤツもいるだろう」というのです。
こうなると、トランプ氏が共和党の本選候補になる可能性が再度浮上しますが、仮にそうなっても本選で勝つ見込みはやはり少ないでしょう。結果的にはヒラリー・クリントンに有利な情勢になってくると思います。
ヒラリー候補を含めた民主党の第1回テレビ討論は10月13日に予定されています。一方の共和党の下院議長人事は、ベイナー氏の強く推すケビン・マッカーシー議員という妥当な人事にスンナリ収まるか、こちらの情勢からも目が離せません。
冷泉彰彦
(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を 経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデ ルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載 中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。
(本名前田文夫→【wiki】冷泉彰彦)
NEWSWEEK2015.9.29
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/09/post-773_1.php
「PPは臓器・組織売買の常習犯」だというビデオ告発
これかな
『Undercover video shows Planned Parenthood official discussing fetal organs used for research』
theWashingtonPost 2015.7.14
http://www.washingtonpost.com/politics/undercover-video-shows-planned-parenthood-exec-discussing-organ-harvesting/2015/07/14/ae330e34-2a4d-11e5-bd33-395c05608059_story.html
【youtube】Planned Parenthood Uses Partial-Birth Abortions to Sell Baby Parts
一神教って厄介だな
『Jesus Camp』というドキュメンタリーフィルムを思い出した。
→【wiki】 ジーザス・キャンプ〜アメリカを動かすキリスト教原理主義〜
行政を動かすべく在日記事を書いた朝日新聞
ものすごい分厚い本なのに核心には触れず
一体誰が何のために読む本なのか
が、ちょっと気になる名前があったのでコピペ
デタラメ朝鮮人強制連行説をさんざん喧伝したことなどおくびにも出さず
何の検証にもなってない
同様に北朝鮮賛美して北朝鮮帰還事業を煽ったことも拉致問題報道についても
本全体こんな感じ
何なのこれは自画自賛&自己満足本なの?www
ははっワロス船橋洋一氏ですか
→災厄をもたらした「歴史の和解」
(売国)ドリームチームかな
ハラワタがいい具合に煮えくりかえりますね
一体誰が何のために読む本なのか
が、ちょっと気になる名前があったのでコピペ
p547
在日韓国・朝鮮人 ルポが行政動かす
日本が独立した52年、初めて迎えたメーデーで騒乱事件が起きた。5月27日の朝日夕刊社会面トップは、事件に絡み、東京・江東の朝鮮人集落が捜索を受け、朝鮮人団体幹部ら21人が逮捕されたと伝えた。
記事は、集落を「解放地区」と表現、「当局も・・・・ほとんど手の出ぬ形でパトロールも実施されず」と書く。当時、在日朝鮮人に関する記事は、警察担当記者による事件報道がほとんどだった。
(不逞鮮人が好き放題してたわけですね)
日韓国交正常化交渉が大詰めを迎えた65年3~4月、朝日は社会面で「日本の中の朝鮮」を連載した。川崎区や大阪市生野区の朝鮮人集落に入り、貧困や差別の実態をルポ。新たな問題意識での取材だった。
さらに朝日は76年2月27日から4月25日まで「65万人 在日韓国・朝鮮人」を50回掲載、高校入学や就職、融資、社会保障をめぐる差別、労働現場の実態などを伝えた。社会部デスクだった岩垂弘(74)は「朝日は前年、韓国に派遣された取材団が人々の生活などを連載した。今度は、内なる韓国・朝鮮に目をむけなければ、と考えた」と言う。
川崎支局の前川恵司(63)は、79年10月から翌年9月まで神奈川版で「韓国・朝鮮人」を160回連載した。これまで在日を取り上げた記事は、仮名や匿名が多かった。前川は「本名を明かさないなら何でも書けるが、記事への信頼性は欠け、説得力もない」と本名にこだわった。
(前川恵司氏→週刊新潮・ならば青瓦台に「米軍慰安婦の像」を!)
韓国を支持する民団と北朝鮮支持の朝鮮総連が対立、記者も色分けされた。前川は組織に頼らず取材を進めた。「個々人に話を聞き、自分で判断しようと考え た」。大学生のとき、韓国に旅した前川は「独裁下、沈黙に支配された国」という報道と、エネルギッシュに生きる庶民という現実の落差を感じた。それも個人 にこだわる素地となった。
連載は在日の子らの悩み、1世の生活し、プロ野球や文学などで活する在日らを取り上げた。
オモニ(母)の会の宋富子(69)は、本名を名乗る大切さを同胞に説いて回っていた。79年9月、青少年問題の討論会で県知事の長洲一二に在日の子の置かれた状況を訴え、学校の無理解を批判した。長洲は「真剣に取り組まねばならない」と答えた。連載の一コマだ。
(オモニ会:国連まで行って朝鮮学校無償化しないのは差別と訴える反日組織
→人権侵害者達 朝鮮学校という侮日工作機関)
神奈川県は3年後、冊子「内なる民際外交 身近な国際理解のために」をつくり、在日外国人の人権問題を啓発した。宋は「朝日の連載は、見えなくされていた私たちの存在を見えるものにし、多くの教員や行政を動かした」と評価する。
(違憲です)
82年秋、朝日は読者投稿の「歌壇」で「北鮮」という語を使った短歌2首を続けざまに掲載した(10月31日、11月28日)。教師らが抗議の声を上げ た。朝日は当初、「言葉に文句をつけられたら短詩型文学は成り立たぬ」「地域名の略称だと思う」と対応(社内資料)、差別の意図はないことを主張した。
抗議の加わった社会科教師の内海愛子(68)は、朝鮮史学者の梶村秀樹と明治の朝日新聞などを調べ、韓国併合(1910年8月)以降、「韓国人」「韓人」にかわって「鮮人」という言葉が急速に広く使われるようになったことを明らかにした。朝日は、差別語使用を反省し、社内研修を約束した。
(内海愛子→アンブロークンの裏の赤い人脈(改定復刻版))
敗戦直後(47年)の在日外国人登録(法務省統計)は約64万人。94%は韓国・朝鮮で約60万人だった。08年の外国人登録は約222万人に達した。うち中国約66万人(30%)、韓国・朝鮮が約59万人(27%)だ。
様々な文化を背景とする外国人といかに共生するかが問われている。
在日韓国・朝鮮人 ルポが行政動かす
日本が独立した52年、初めて迎えたメーデーで騒乱事件が起きた。5月27日の朝日夕刊社会面トップは、事件に絡み、東京・江東の朝鮮人集落が捜索を受け、朝鮮人団体幹部ら21人が逮捕されたと伝えた。
記事は、集落を「解放地区」と表現、「当局も・・・・ほとんど手の出ぬ形でパトロールも実施されず」と書く。当時、在日朝鮮人に関する記事は、警察担当記者による事件報道がほとんどだった。
(不逞鮮人が好き放題してたわけですね)
日韓国交正常化交渉が大詰めを迎えた65年3~4月、朝日は社会面で「日本の中の朝鮮」を連載した。川崎区や大阪市生野区の朝鮮人集落に入り、貧困や差別の実態をルポ。新たな問題意識での取材だった。
さらに朝日は76年2月27日から4月25日まで「65万人 在日韓国・朝鮮人」を50回掲載、高校入学や就職、融資、社会保障をめぐる差別、労働現場の実態などを伝えた。社会部デスクだった岩垂弘(74)は「朝日は前年、韓国に派遣された取材団が人々の生活などを連載した。今度は、内なる韓国・朝鮮に目をむけなければ、と考えた」と言う。
川崎支局の前川恵司(63)は、79年10月から翌年9月まで神奈川版で「韓国・朝鮮人」を160回連載した。これまで在日を取り上げた記事は、仮名や匿名が多かった。前川は「本名を明かさないなら何でも書けるが、記事への信頼性は欠け、説得力もない」と本名にこだわった。
(前川恵司氏→週刊新潮・ならば青瓦台に「米軍慰安婦の像」を!)
韓国を支持する民団と北朝鮮支持の朝鮮総連が対立、記者も色分けされた。前川は組織に頼らず取材を進めた。「個々人に話を聞き、自分で判断しようと考え た」。大学生のとき、韓国に旅した前川は「独裁下、沈黙に支配された国」という報道と、エネルギッシュに生きる庶民という現実の落差を感じた。それも個人 にこだわる素地となった。
連載は在日の子らの悩み、1世の生活し、プロ野球や文学などで活する在日らを取り上げた。
オモニ(母)の会の宋富子(69)は、本名を名乗る大切さを同胞に説いて回っていた。79年9月、青少年問題の討論会で県知事の長洲一二に在日の子の置かれた状況を訴え、学校の無理解を批判した。長洲は「真剣に取り組まねばならない」と答えた。連載の一コマだ。
(オモニ会:国連まで行って朝鮮学校無償化しないのは差別と訴える反日組織
→人権侵害者達 朝鮮学校という侮日工作機関)
神奈川県は3年後、冊子「内なる民際外交 身近な国際理解のために」をつくり、在日外国人の人権問題を啓発した。宋は「朝日の連載は、見えなくされていた私たちの存在を見えるものにし、多くの教員や行政を動かした」と評価する。
(違憲です)
82年秋、朝日は読者投稿の「歌壇」で「北鮮」という語を使った短歌2首を続けざまに掲載した(10月31日、11月28日)。教師らが抗議の声を上げ た。朝日は当初、「言葉に文句をつけられたら短詩型文学は成り立たぬ」「地域名の略称だと思う」と対応(社内資料)、差別の意図はないことを主張した。
抗議の加わった社会科教師の内海愛子(68)は、朝鮮史学者の梶村秀樹と明治の朝日新聞などを調べ、韓国併合(1910年8月)以降、「韓国人」「韓人」にかわって「鮮人」という言葉が急速に広く使われるようになったことを明らかにした。朝日は、差別語使用を反省し、社内研修を約束した。
(内海愛子→アンブロークンの裏の赤い人脈(改定復刻版))
敗戦直後(47年)の在日外国人登録(法務省統計)は約64万人。94%は韓国・朝鮮で約60万人だった。08年の外国人登録は約222万人に達した。うち中国約66万人(30%)、韓国・朝鮮が約59万人(27%)だ。
様々な文化を背景とする外国人といかに共生するかが問われている。
デタラメ朝鮮人強制連行説をさんざん喧伝したことなどおくびにも出さず
何の検証にもなってない
同様に北朝鮮賛美して北朝鮮帰還事業を煽ったことも拉致問題報道についても
本全体こんな感じ
何なのこれは自画自賛&自己満足本なの?www
p579
あとがき
(部分抜粋)
準備に1年、紙面展開にさらに1年をかけて、昭和を検証する。そんな贅沢で野心的な試みが動き出したのは、2008年4月19日だった。東京本社新館1階の会議室。船橋洋一主筆の 呼びかけで、文化、社会、外交・国際など書くグループから十数人の記者が集まった。近現代史に関心の深いベテランぞろい。うち半数うは社内外で高い評価を 得た長期連載「新聞と戦争」の経験者だ。その後、社内公募に応じた若手ら数人が加わり、取材班は編集委員6人を含め約20人に。私はそれを「ドリームチーム」と呼んだ。
あとがき
(部分抜粋)
準備に1年、紙面展開にさらに1年をかけて、昭和を検証する。そんな贅沢で野心的な試みが動き出したのは、2008年4月19日だった。東京本社新館1階の会議室。船橋洋一主筆の 呼びかけで、文化、社会、外交・国際など書くグループから十数人の記者が集まった。近現代史に関心の深いベテランぞろい。うち半数うは社内外で高い評価を 得た長期連載「新聞と戦争」の経験者だ。その後、社内公募に応じた若手ら数人が加わり、取材班は編集委員6人を含め約20人に。私はそれを「ドリームチーム」と呼んだ。
ははっワロス船橋洋一氏ですか
→災厄をもたらした「歴史の和解」
(売国)ドリームチームかな
ハラワタがいい具合に煮えくりかえりますね
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