2015年8月25日火曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

ironna歴史戦英訳版は朝日が出すべきでごんす
「歴史戦」英訳版は朝日が出すべきでごんす

「冤罪被害者」になりつつある日本人

 本書は昨年10月に弊社から出版した『歴史戦-朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の噓を討つ』(産経新聞社著)の ダイジェスト版で、前半は英語、後半はその日本語訳が載っています。電子書籍としては日本をはじめ米国、ドイツ、フランスなど9カ国のアマゾンで購入でき ますが、海外の一般書店で広く流通させるのはなかなか難しく、出版社として決して利益が期待できるような事業ではありません。

 それでも出版に踏み切ったのは、前著を出した際、特に海外に住む多くの日本人のみなさんから、「ぜひ英訳版を出して真実を伝えてほしい」「日本人の名誉を回復してほしい」という切実な声をいただいたからです。

  「女性の性」というデリケートな問題でもあるため、翻訳作業には細心の注意を払いました。また、「戦争中は他の国でも普通にあったこと」というごく当たり 前の理屈もあえて強調せず、誰がこの問題を捻じ曲げて広めたのか、なぜ政治問題になってしまったのか、真実は何なのかに重点を置きました。

  お蔭様で、3刷まで増刷を重ねており、多くの読者の目に止まるようになりました。一度に何十冊も購入されて海外に広めて下さる方もいらっしゃいます。大変 ありがたいことです。しかし、本来この作業は、誤報を広めた張本人である朝日新聞が責任を持ってやるべき仕事ではないでしょうか。

 昨年 9月、朝日の木村伊量前社長は誤報記事を取り消して謝罪しましたが、私はてっきり、各国の誤解を解くための世界行脚を社として始めるものとばかり思ってい ました。何しろ国際問題になってしまったわけですから。特に、吉田清治証言がベースの報告書を出したクマラスワミ女史や国連などには真っ先に説明に上がる のかと思っていましたが、そんな話は1年経っても全く聞こえてきません。韓国や中国に行って説明したという話も聞きません。誤報はそのまま放置され、とも すれば「世界の常識」になりつつあります。日本人は、本来朝日が大好きな「冤罪被害者」になりつつあるのです。

 朝日には語学が達者な優 秀な記者がたくさんいらっしゃるようです。その力を日本の名誉回復のために使ってほしいとも思いますが、とはいえ、彼らに任せたら、やはり危ないかもしれ ません。言い訳だけならまだしも、再び日本を貶めるようなウソを今度は英語で発信してしまうかもしれません。

 先日も、おフランスのパリ の西端に住まわれる朝日新聞の特別編集委員という優雅なご身分の方が、子供じみた誤報を得意の語学でツイートして大騒ぎになりました。この方も、英語も仏 語もできる優秀な方のようですが、安倍晋三首相を貶めたいがためにナチスまで持ち出すという実に朝日らしい方でした。いい年して「ヨロシクでごんす」なん て自己紹介文に書くセンスもなんだかとても朝日らしくて嫌な感じです。やはり彼らは世界に出さないほうがいいかもしれません。(皆川豪志)
http://ironna.jp/theme/339





戦闘はなくとも戦争はあり
敵は国家予算を使って情報戦を仕掛けてきている
我々はなんとしてもこの情報戦に勝たなければいけない

情報戦の先には侵略が待っている
ディスカウント・ジャパンは侵略の布石

参考
朝日新聞・冨永格特別編集委員

今更移民進めようとすんなし!(゚∀゚)宮本エリアナ 差別訴えは「日本叩き」だったのがバレる 
トランプ氏の続報


米大統領選
「台風の目」トランプの意外な実力
The Billionaire for Blue Collars

大富豪のキワモノ候補のはずが、今や支持率首位。
白人ブルーカラー層を引き付ける人気の構図を読み解く
マシュー・クーパー

ドナルド・トランプ

 あの「トランプ節」が全開──6月16日、不動産王のドナルド・トランプ(69)が、満場の支持者とサクラたちの前で、次期米大統領選の共和党候補の指名争いに名乗りを上げた。

 出馬表明を行ったのは、ニューヨークのマンハッタンにそびえ立つトランプ・タワー。モデル出身の妻メラニアと共に、エスカレーターに乗って舞台に降りてきたトランプは、おなじみの俺様発言を繰り出した。「私は、神が生み出した最も偉大な『雇用創出大統領』になる」

 自らが論点に据える貿易問題について、挑発モードで語ることも忘れなかった。「貿易協定で、アメリカが最後に中国に勝ったのはいつか? 私は常に中国をたたきのめしてきた」

 異常なまでの自信と、無理があり過ぎる髪形。そんなトランプを、演出上手の目立ちたがり屋と切り捨てるのは簡単だ。しかし大言壮語で知られるこの大富豪が、大統領選の行方を左右することになるかもしれない。

 何といっても、トランプにはカネがある。本人が公表したところによれば、純資産額は87億ドル。実際の金額はそれ以下だとしても、選挙戦をかき乱すための資金は十分ある。巨額を投じてネガティブ・キャンペーンでほかの候補の足を引っ張る一方で、自身の主張を売り込める。

 今やトランプは、17人が争う共和党の候補指名レースで支持率トップ。今月6日に行われる同党の第1回候補者討論会に登場するのは間違いない。

共和党に起きた大変化
 FOXニュースが主催する第1回討論会には、直近の世論調査5回の平均支持率の上位10人だけが参加できる。リック・ペリー前テキサス州知事らはトランプ人気で存在感がかすみ、討論会に出席できそうにない。

 論戦相手となる9人の候補者も、トランプお得意の「負け犬」呼ばわりにはひるむだろう。彼らに逆襲されても、トランプは痛くもかゆくもない。自己中心的だ、間違っている、という批判は聞き慣れているからだ。

 だがトランプが台風の目になる最大の理由は、共和党に訪れた大きな変化と関係がある。それは、共和党を支持する白人労働者層の急増だ。

 アメリカでは製造業の雇用者数が減少し、白人のブルーカラー労働者に打撃を与えている。失業の危機に直面する彼らは、トランプが掲げる「反自由貿易」論に魅力を感じやすい。

 白人ブルーカラー層の民主党離れは今に始まった話ではないが、近年その勢いは増している。

  彼らが、従来の支持政党である民主党を見限り始めたのは60年代後半のこと。80年代には、多くが共和党のロナルド・レーガン大統領支持に転じ、民主党と の溝が広がった。90年代に民主党離れに歯止めがかかったのは、ビル・クリントン大統領が福祉改革や犯罪対策強化など、保守派寄りの政策を打ち出したおか げだ。

 00年以降は、銃規制や石炭火力発電所への規制が引き金となり、民主党を見捨てる白人労働者層が増えている。非大卒の白人有権者のうち、12年の大統領選でバラク・オバマを支持した人の割合はわずか33%、昨年の中間選挙で共和党候補者を支持した人は64%に上った。

「彼らは文化的にも経済的にも疎外されている存在だ」と、政治アナリストのロナルド・ブラウンスティーンは指摘する。

 共和党支持に転じたブルーカラー層は、従来の共和党支持者よりも自由貿易に対して懐疑的だ。この事実が共和党を変化させている。

 ピュー・リサーチセンターが5月に実施した調査によると、自由貿易協定は自分の雇用を奪うものだと考えている人は、民主党支持者よりも共和党支持者に多かった。これはトランプには好都合だ。共和党の主要候補は、おおむね自由貿易を支持しているからだ。

 TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉に関連して、米議会は6月末、大統領貿易促進権限法案を可決した。これで米政府がTPP参加国と交渉して妥結した内容は、議会で一括して批准されることになる。つまり同法案に賛成したということは、事実上の自由貿易協定の容認だ。

 共和党の大統領候補指名に名乗りを上げているマルコ・ルビオ上院議員は、同法案に賛成票を投じた。現在、各種調査で支持率2位の座を争うジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事と、ウィスコンシン州知事スコット・ウォーカーも法案を支持した。こうなるとますますトランプの反対が目立ってくる。

 低学歴の白人ブルーカラー層は、当然ながらメディケア(高齢者医療保険制度)や公的年金の縮小に反対だ。この点でもトランプは、共和党支持者の多くと同じように、社会保障の縮小に反対する姿勢を示している。

 ただ、トランプの主張には共和党支持者に受けが悪そうなものもある。例えば増税だ。

かなり善戦する可能性も トランプは、アメリカと公平に競争していない(と彼が考える)国からの輸入品の関税率を引き上げるべきだと繰り返し主張してきた。なかでもターゲットになっているのがメキシコだ。

 トランプは6月の出馬宣言で、フォードのメキシコ工場で生産された車には35%の関税をかけると公約。そうすればフォードは、メキシコ工場で生産していた車をアメリカの工場で生産するようになり、アメリカは雇用を取り戻せるというのだ。

  もちろん関税の引き上げは、所得税のそれとは違う(所得税の増税については、トランプを含む共和党の全候補が反対している)。だが、共和党は伝統的に増税 に反対してきた。それだけに、たとえ関税でも「増税」という言葉へのアレルギーが、トランプ支持を鈍らせる可能性がある。

 トランプのライフスタイルが敬遠される恐れもある。低学歴の白人有権者は、キリスト教福音派であることが多い。田舎町の超保守的な教会に通う彼らが、ニューヨークにギラギラの不動産をいくつも持ち、ド派手な人生を送るトランプに共感することは難しいだろう。

 それでもトランプにはいくらかチャンスがある。アメリカでは92年に、やはり大富豪のロス・ペローが大統領選に出馬。保護貿易を唱え、大成功したビジネスマンとしてアメリカ経済を立て直すと主張したあたりは(選挙費用を自腹で負担したことも)、トランプにそっくりだ。

 ペローは民主党でも共和党でもなく、いわゆる第3党の候補として出馬したが、11月の一般投票で約19%もの票を得た。

 だとすれば、共和党に一定の支持基盤を築きつつあるトランプが、予備選でかなりの票を集めたとしてもおかしくない。事実、トランプは現在、ブッシュやウォーカーを抑えて断トツの支持率ナンバーワンにある。

 たとえ大統領になれなくても、彼には痛くもかゆくもないだろう。自由貿易を攻撃して、共和党予備選に一波乱起こしたのだ、目立ちたがり屋のトランプは大満足に違いない。

[2015年8月11日号掲載]
Newsweek2015.8.19
http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2015/08/post-3845_1.php



勢い増すトランプ氏、対日強硬発言にも支持 米大統領選

共和党指名候補争いトランプ・ブッシュ

 来年11月の米大統領選に名乗りをあげた共和党のドナルド・トランプ氏(69)の勢いが止まらない。今月上旬の世論調査では、有力視されるジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事(62)の倍近い支持率を獲得。人気を下支えしているのが、日本を含む国々に対する強硬な発言だ。

■中国と日本をやり玉に
 「どこかの国が日本を攻撃したら我々は助けなければならない。だが、我々が攻撃されても日本は助ける必要がない。それがよい協定だと思えるか」

 21日に米アラバマ州で行われたトランプ氏の支持者の集会で同氏がこう訴えると、会場からは一斉に「ノー」と罵声が飛んだ。
これまでもメキシコからの不法移民を「強姦(ごうかん)犯」などと決めつける過激な言動を繰り返し、そうした強硬姿勢が保守派から支持を集めてきたトランプ氏。決まって同時にやり玉にあげるのが、中国と日本だ。

(続きは登録)
朝日新聞DIGITAL
http://www.asahi.com/articles/ASH8Q41T0H8QUHBI00X.html
そりゃアンタの国が戦時国際法違反の占領憲法押し付けて
引き続き手突っ込んでるからでしょうが
アメリカの悪意が動かす女性達

9条教の人にはアメリカのかなりの数の人にこう思われているとは知っておいて欲しいけどね 

【メガプレミアム】
南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」
南京大虐殺1西山さん

  「南京事件」はあったのか、なかったのか-。昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、約6週間から2カ月間にわたって多 数の敗残兵や住民らを殺害したとされ、いまだに犠牲者数や存否をめぐって論争が続く南京事件。中国側が「30万人」と主張する犠牲者数は、日本国内では支 持する有識者はほとんどいないものの、国を挙げた中国側の執拗(しつよう)な取り組みによって30万人説が国際的に一人歩きしている側面もある。事実はど うだったのか。南京攻略戦から78年を経て、新たに明らかになった元将校の日記や手紙からは規律に満ちた日本軍の様相が浮かび上がる。反日姿勢を強める中 国側の喧伝にはますます疑念を抱かざるを得ない。(歴史戦WEST取材班)

「泥の兵隊」日本軍を苦しめた南京への道
 歳月の長さを感じさせる黄ばんだ手帳や、封書の束、モノクロ写真…。その数はざっと50点以上はあるだろうか。いずれも約80年前に上海、南京攻略戦を皮切りに日中戦争を戦った陸軍少尉、西山源次郎さんが残した貴重な記録だ。
 《毎日十里(約40キロ)余り歩いて、毎朝腰が上がらない。(中略)南京が近くなったので毎日、遊軍機は飛び、攻略戦に早く参加すべく兵の士気があがった》
 源次郎さんが手帳に鉛筆でつづった文章からは、昭和12年初冬、当時の中華民国の首都、南京の攻略に向かう日本軍将兵らの息づかいが聞こえてくるようだ。
「父が南京攻略戦に参加していると知っていれば…」。源次郎さんの長男、邦夫さん(78)は父の遺品を手に語る。源次郎さんは平成5年、87歳で死去。 18年に母も亡くなり、遺品を整理していた際、父の日記や戦地から母に送った手紙など膨大な資料を見つけた。資料を見て初めて、父が南京攻略戦に参加して いたことを知った。

 源次郎さんは、慶應大を卒業後、帝国生命(現朝日生命)に勤務していた昭和12年9月に召集された。この年の7月、日中戦争が勃発しており、源次郎さんは陸軍第114師団歩兵第115連隊の小隊長として中国大陸に向かった。

 同年12月10日から始まった南京総攻撃。当時の源次郎さんの日記には、鉛筆書きで南京城が陥落した同月13日までの出来事が1~2行、簡潔に記されているだけだが、時折次のような記述もある。
 《道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、泥んこで休憩する場所もなく立ちっ放し。体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった》
 南京への道が、日本軍将兵を悩ませた様子が浮かび上がる。攻略戦に参加した別の元兵士によると、上海から南京への道は主に田園地帯で、悪路を進軍したという。

南京城…「随分馬鹿げたものを作った」
 さらに南京では厳しい戦いを迫られた。戦後に書いたと思われる源次郎さんの手記は、戦闘の激しさを物語る。

 《南京南方六里(約24キロ)の秣陵関に到着した。南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。秣陵関を出発すると、野戦病院が仮設されており、多くの将兵が収容されていた。第三大隊だけで三百名が戦死傷した》
源次郎さんらは南京城の南側にある雨花門から迫る。《西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、猛進を続け、吾々のいた壕にも敵弾 が盛んに飛んでくる。ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米(メートル)、城壁の高さは二十米あり、千二百発の砲弾で城壁を崩し、西山隊も十二日夜城 壁をよじ登って突入した。残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。夜中になって銃声も止み、民家で休憩する》

 手記によれば、源次郎さんらが南京城に入ったのは陥落の前日だ。その後、城壁上での警備を命じられ、夜を明かす。空が白み始め、眼下に広大な南京城内が姿を現す。

 《南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる》と心情を記している。
南京大虐殺2西山さん

踏み荒らされた家屋に「惜しい」
 日記は数日途絶え、16日から再開する。

 この日、雨花門周辺の警備を担当していた源次郎さんは、部下を率いて城壁上を移動。《支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、死体も数十ありたり》という状況だった。
 午後11時ごろまで任務に就いたが、その間、大隊長から、部隊の団結とともに規律の維持を求められたという。
 17日には《午前九時半集合、正午南門を発する予定…(中略)十時には早くも出発》。次の任務地に向かうため南京城を離れた。
 自らも航空自衛隊で空将補を務めた邦夫さんは、自身の経験を踏まえ、17日の記述に着目するのだ。
 「師団であれば万単位、連隊でも何千人単位で構成されている。部隊は前夜遅くまで警備を行っていたにもかかわらず、急な移動命令でもただちに出発できる態勢を確保していた。このように迅速に行動できるのは、高い士気と規律を維持していたからに違いない」
 日記や手記だけでなく、源次郎さんは妻にあてた私信の中でも南京城内の様子について触れている。南京陥落から約1カ月半後の昭和13年1月25日付の手紙にはこうある。
《南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を大分見つけた者もあるやうです。残幣を何万円も見つけた者があって、将校はいちいち取り締まらなければならないので、困りました》

 当時、南京城内にいた住民らは、欧米人らでつくる国際委員会が設けた非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。だが、多くは貧しい人々ばかりで、裕福な住民らは早々に南京を脱出している

 日本軍が富裕層の家から高級品を略奪したとする意見があるが、中国軍の仕業との見方もある。
  源次郎さんの記述について、邦夫さんは「陥落直後の城内の掃討作戦中に目にした様子だろう」と推測した上で、「文面からは、部下の略奪を嘆いているのでは なく、部下から発見の報告を受け、父はすべてに対応しなければならず困っていたのでしょう。こうした状況からも規律が守られていたことがうかがえる」と語 る。
 さらに、家の中は中国軍により《書籍や家宝となるやうなものが沢山荒し放題あらされて或いは踏み荒らされ》といった状況で、《惜しいと思いました》と無念さを記している。
「支那の兵隊」と同一視は「かなわない」
 日本軍は南京城内で住民を殺し、ほかの地域でも残虐行為を行った-と中国側は主張する。

 しかし、その後山東省や北京近郊などの戦線で任務に就いた源次郎さんが妻にあてた私信からは、日本兵と住民の異なる関係が浮かび上がる。
 手紙では、中国人の匪賊(非正規武装集団)と住民の戦闘が絶えず住民が殺されたり、子供が誘拐されたりする悲惨な出来事が繰り返されているとし、《いくら日本軍が討伐しても、三年や五年で尽きるものではない》と訴えている。
また、住民との関係について《支那では兵隊は良くない人間ばかりなので(住民は)日本軍も同じように考えているのです。兵隊は悪いことをするものという考えがあるからすぐ逃げる。支那の兵隊と一緒にみられてはかなわないね》

 だが、日本兵に対する住民の見方は徐々に変化する。

 《最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても皆出迎えてくれるほどなのです。日本軍は税金も取らないし、品物も買ってくれると…》
 《支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を人質に取る。こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です》
 「日中戦争時の日本軍の残虐性を示す」とされてきた当時の写真が、その後の検証で匪賊や中国側によるものと判明したケースもある。源次郎さんの記述からも、中国大陸であったとされる「蛮行」は、果たして日本軍による行為だったのかという疑念すら浮かんでくる。
南京大虐殺3武道協議会
南京大虐殺4武道協議会

日記に「虐殺」記述なし
 戦後、源次郎さんは郷里に戻って中学校教員として家族を養った。邦夫さんらには戦場での話をしなかった。戦時中はひげを生やし、いかつい風貌(ふうぼう)だったが、家族には終始穏やかな態度で接していた。
 「父が話したかったことは、残された日記や手紙にすべて収まっている。父らの世代が戦時中のことを語らないのは、言えば自己弁護になるし、語ることを潔しとしない世代だったからではないか」
 邦夫さんは父の足跡を伝えようと、日記や手紙などを本にまとめ、子供や孫、親類に配った。
 防衛大学校に4期生として入校した邦夫さんが、防大の講義やその後の自衛隊生活で常に求められたのは規律だったという。
「強い軍隊ほど規律の保持が徹底される。逆に軍紀が厳粛だからこそ、戦場という場で能力が発揮できる」と実感を込めて語る邦夫さん。戦後、突如として現れた「南京大虐殺」説に対して疑念をぬぐえず、悔しさをつのらせる。

 「もし当時、虐殺といった不当行為を目撃していれば、父は真実を日記や手紙に書き残していただろう。日記からはそんなことはうかがえない。物理的に30万人を虐殺するのは無理なのに、戦後の大きな風潮のうねりの中で歴史の歪曲(わいきょく)に染まってしまった」

 勝者が敗者を裁き、勝者が主張する虚構と欺瞞(ぎまん)に満ちた歴史観がまかり通る戦後の国際社会。歴史の真実を明らかにすることは、源次郎さんら多くの日本軍将兵らとともに日本の名誉を回復することにほかならない。(2015年5月11日掲載)
南京大虐殺5中国人集落子供

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産経WEST2015.8.15
http://www.sankei.com/west/news/150815/wst1508150008-n1.html

何も語らないのをいいことに濡れ衣きせたわけですね
その罪は一体誰が償うの・・

参考
また朝日か・・Fake of Nanking
A級戦犯ではなかった松井石根大将 

個人的に大変気に入った(゚∀゚人)

セブンイレブンおでんpop1
http://rocketnews24.com/2015/08/20/622430/

セブンイレブンおでんpop2
http://rocketnews24.com/2015/08/20/622469/

 佐野研二郎おでんエンブレム
http://hosyusokuhou.jp/archives/45162835.html

佐野研二郎おでんアルファベット1
佐野研二郎おでんTOKYO2020
佐野研二郎おでんHP1
佐野研二郎おでんHP3
佐野研二郎おでんHP4

http://hosyusokuhou.jp/archives/45167063.html


「商業利用ではないかと組織委の方から指摘を受けたことについて、大変驚いていますが、全くの事実無根です

「勤務先のセブンイレブンで、このメールを目にして、非常に驚いたと同時に、ものすごくショックで、正直、結構つらいなということは、ちょっと思いました。ただ、自分はテレビもネットも見たこともありませんし、そのロゴも一度も見たこともありませんので、どうしてこういうことになってしまったのか、正直、わからないこともちょっとあって、かなり不安な時間を過ごしました」

「まず、POPを制作する時に、ODENの『O』でもあるアルファベットの『O』に注目しました。単純に、『O』という形と、大根という形を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のセブンイレブンオープン記念のPOPになります」

「一部分だけ取り出したりすれば、似ているところはもちろんあると思うんですけど、五輪ロゴの方は、『T』と『●』を主軸に置いて作られていると思うんですね。こちらは、全ておでんの具を基にして作っている」

「まず、そもそも僕は、もともと見ていないので、模倣ではないですよね」

「隅の△も同じなのではないかということを、東京五輪の組織委の方がおっしゃっているようなんですけれども、これは、厚揚げとこんにゃくです。表層的に見ても、実際、デザインの考え方としても、全く違うと僕は思います」

「五輪ロゴの方は、東京・日本ということで、『T』と『●』で作られています。こちらは『大根』と『竹輪』をベースにして、ユニットの組み合わせで作っているものなので、まず、デザインに対する考え方が違うというのは、この意味です。ブラッシュアップを何度も繰り返して、世界に類のないPOPができたと、完成時にわたし自身確信しました」
http://www.news-us.jp/article/424522128.html



(´・ω・`)使ってみたよ!
 おでん文字ajna

ところでみなさんはどの時点で、アカンとお思いになりましたか?
ワタクシはアルファベットを出して来た時にぱっと見てアカンと思いました
おでんの色合いになるだけで全然雰囲気が変わるんですね~

セブンイレブンの店長さん
おでん文字作成者さん
おでんコピー作成者さん GJ!

創価学会・公明党「カネと品位」 補足資料

創価学会 関西のドン死去で大作氏から長男への世襲が話題に

 3月15日、創価学会副理事長で元総関西長の西口良三氏が急性肺炎で死去した(享年76)。政治評論家の浅川博忠氏が語る。

「選挙の実働部隊となる婦人部から人望が厚く、関西の公明票を取りまとめてきた人物です。小沢一郎氏など政界と太いパイプを持ち、新進党の結成や解党、自公連立に大きくかかわっていました」

 西口氏は創価学会の“関西のドン”として知られ、学会の大阪長、関西長などを歴任。関西の組織を30年以上引っ張ってきた。

  学会内では今年87歳になった池田大作・名誉会長の右腕として「常勝関西」と呼ばれる強固な地盤を築いた立役者と位置づけられてきたが、公明党が大阪・兵 庫の6小選挙区で全敗した2009年夏の衆院選直後の人事刷新で総関西長を退任。組織運営の一線を退き、その後は副理事長の肩書きを持っていた。

 一つの時代の終わりは次の時代の始まりでもある。西口氏の死去を受け、学会関係者の間で池田大作・名誉会長から長男の博正氏(61)への“世襲”が近くなったと話題になっている。

 博正氏の現在の肩書きは副理事長兼SGI(創価学会インタナショナル)副会長。西口氏が総関西長を退任したあとは「関西最高参与」に就任した。

「『関西最高参与』は名誉職的な肩書きで実務は別の幹部が担当していますが、2009年衆院選で大敗北した関西を立て直したのは博正さんの力があったからでしょう」(東京の古参会員)

 公明党は2012年選挙で大阪・兵庫の6議席を確保。昨年から創価学会では西山雄治・関西総合長と山内洋一・関西長の新体制が発足し、昨年12月の衆院選でも同様に議席を守った。

 その功績に加えて、博正氏は近年では池田名誉会長の名代として全世界を飛び回っている。2012年1月には北京を訪れ、李克強・副首相と会見。同年6月には台湾で馬英九総統に会って2期目の総統就任を祝った(肩書きはいずれも当時)。

 2013年には、タイ国立タマサート大学から池田名誉会長に贈られた名誉哲学博士号の授与式に代理として博正氏が出席し、謝辞を代読した。そうして海外要人にもお披露目しているだけに「博正氏が次のトップ」であることは確実視されているのだ。

 創価学会広報室は、「当会では、いかなる役職であれ世襲することはございません」と答えたが、果たしてどうなるか。
※週刊ポスト2015年4月3日号
NEWSポストセブン2015.3.25
http://www.news-postseven.com/archives/20150325_311422.html


李克強副首相、池田博正創価学会副理事長と会見 民間友好強調
池田博正リ克強

【新華社北京1月13日】中国の李克強副首相は11日、北京の人民大会堂で日本の池田博正創価学会副理事長と会見した。

  池田副理事長は冒頭、池田大作名誉会長から李副首相へのあいさつを伝えた。李副首相は池田大作氏が長年、中日友好事業のために積極的に貢献したと称賛する とともに、次のように述べた。中日関係を発展させることは両国人民に有益なだけでなく、アジアと世界の平和、安定、発展を促すものである。双方は今年の中 日国交正常化40周年を契機とし、各分野の対話、交流、協力を強化し、中日の戦略的互恵関係の健全かつ安定した発展をはからなければならない。

  李副首相は、中日友好の基盤は民間にあり、民間の友好は中日関係発展の一大特色であり、両国の民間友好団体が引き続き中日友好の伝統を発揚し、独特の優位 性を生かし、青少年により一層目を向けた交流・協力を進め、両国人民の間の相互理解と友誼を増進し、両国関係の発展を促進するため共に努力することを希望 していると述べた。

 池田副理事長は両国の民間友好交流に積極的に力を尽くし、日中友好事業のために貢献したいと表明した。

 会見には張志軍外務次官、李小林中国人民対外友好協会会長が同席した。
(新華網日本語)2012.1.13
http://jp.xinhuanet.com/2012-01/13/c_131357584.htm
  



こちらの本から個人的に気になったところを抜粋

p190・191
 初代会長の牧口常三郎先生も第2代会長の戸田城聖先生も、
世襲は絶対にいけない。世襲をしたらその宗派は衰える
 と言い残したからです。特に、戸田城聖先生は遺言書にまで認(したた)めていました。池田名誉会長ご自身も、第3代会長就任時には、
「創価学会は永遠に世襲制をとりません」
 と言っていたのです。

世襲制はご法度のはずが、どうも世襲の方向に・・?

p188~190
 創価学会本部では、名誉会長の子供たちを長男から順番に、「C1」「C2」「C3」と呼んでいます。「C」はチャイルド(CHILD)の頭文字です。

 C1は、長男で現在創価学会副理事長とSGI副会長に就いている池田博正氏で す。SGIは池田名誉会長が会長を務める、創価学会の国際版です。博正氏は1953年(昭和28年)生まれの55歳。慶応幼稚舎(小学校)から大学まで慶 應義塾で同大の大学院修士課程へも進学しました。卒業後は関西創価学園で社会科の教師をやっていました。党保、池田名誉会長は、
「博正は学者タイプだから学者にしよう」
 と、お考えになっていたと聞いています。

 また、池田名誉会長は博正氏の結婚相手も決めておりましたが、博正氏はそれに従わず、親の反対を押し切って、関西創価学園の教え子と結婚してしまいました。池田名誉会長はよほど気に入らなかったのか、いこの結婚式にも出席しなかったといいます。

 C2は、次男の城久氏です。1955年(昭和30年)生まれで、成蹊高校から創価大学へ進学、創価大学の3期生になります。城久氏は博正氏とは異なり、結婚も名誉会長のお気に入りの女性としました。それだけに名誉会長は城久氏を大変かわいがったようで、
「自分の後を継ぐのは城久だ」
 と決めていたそうです。皇室ではありませんが、皇太子殿下のように、城久氏は創価大学入学と同時に、ご学友グループの「創価大学27人会」を作っていました。現在、理事長をしている正木正明氏はこのご学友グループの筆頭でした。

 ところが、1984年(昭和59年)に29歳の若さで急死してしまいました。世襲計画の挫折であり、元大物都議の藤原行正氏は、この後継候補の死亡を、
「池田大作氏への仏罰である」
 と述べています。

  藤原氏は、第2代の戸田城聖会長時代からの古参幹部でした。1955年(昭和30年)には、創価学会として初めての政界進出となる杉並区議会議員に当選し ました。1963年(昭和38年)4月に東京都議会議員に当選すると、1989年(平成元年)6画うに引退するまで7期28年間も都議を務めていました。

 1969年(昭和44年)の「言論出版妨害事件」では、公明党の中央幹部会員として関わっていました。1984年(昭和59年)には、自身の叙勲をきっかけに反池田色を打ち出し、政界引退後は反創価学会の急先鋒になった方です。

 C3は、3男の尊弘氏です。創価大学卒業後、長兄・博正氏と同じ関西草加学園の教師をしていました。現在は草加学園の主事で、創価学会の副会長を務めています。

 最近では、「C4」という声も上がっています。これは、C2・城久氏の子供、名誉会長からは孫に当たる人物です。1980年頃の生まれで、創価大学を卒業して、創価大学理事長の娘さんと数年前に結婚したそうで、将来的には活躍が期待されていくことでしょう。


p192
 創価高校で優秀なのは、「総体革命」の担い手として東大や京大にも進学します。創価高校→創価大学が「創価学会エリート」としばしば言われますが、いまでも、創価学会の主要幹部や幹部職員には東大卒が多数おり、大きな勢力です。

 これが公明党所属の国会議員となると、様変わりします。

  衆議院議員は31人おりますが、一番多いのが創価大学出身者で7人、次いで東大出身者と兄弟出身者、慶大出身者がそれぞれ3人と続きます。参議院議員は 21人おります。こちらは創価大学と創価女子短期大学卒業者、京大卒業者、慶大卒業者がそれぞれ4人で並んでいます。国会議員に関しては創価大学出身者が 11人で最大学閥となりますが、ここにきて慶大出身者が、京大出身者と並んで第2学閥の位置に来ているのがわかります。当選回数別でみると、参議院議員では面白いことがわかってきます。1期目の新人議員7人のうち、3人が慶大出身者なのです。


p193・194
 私が推測するに、2002年に創価学会の会則を改正して、「永遠の指導者」として池田大作氏を崇める存在にしました。これを「世襲」を実現するための第一歩だとすると、C1の博正氏の同窓生である慶大出身者を増やそうと考えたのではないでしょうか。選挙の期日が読める参議院の2004年改選組からそれを始めたと考えられるのです。後継者に決めていたC2の城久氏は、創価大学在学時代に「ご学友グループ」をつくっていました。それと同様に、遅ればせながら博正氏の出身大学である慶大出身者で、「ご学友グループ」をつくろうとしているのではないかと思うのです。
(慶応・・嫌な感じだなぁ・・・・)

p104
 創価学会のメーンバンクは、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)なのです。第2代会長の戸田城聖先生のご長男も入行しているほど親しい関係だそうです。毎年、何百億円という財務が三菱銀行に預金されていくわけですから、そのご長男もたいそうご出世なさったとか。ちなみに、公明党のメーンバンクも三菱銀行です。


p152
 日本国に定住し、日本人と同様に納税の義務を果たしている定住外国人に参政権を付与するのは、民主主義の理念からも納得のいく話だと私も思っていました。

 ところが、ある本部幹部会に出席したときに、大きな違和感を持ちました。
「冬柴! 外国人の参政権の問題はいつになったら(国会を)通すんだ」
 と、池田名誉会長が冬柴鉄三国土交通相(当時)に問いただしたのです。さらに続けて、
「『通す、通す』と言って、いつまでに通すんだ」
 と、池田名誉会長はさらに畳みかけていました。冬柴国交相は、
「はい、すぐにやります」
 と、平身低頭で受け答えをしていました。

 公明党には、こうした創価学会からの”特命”があるのです。私は、これらのやり取りを聞いて、
外国人の参政権問題は、池田名誉会長からの”特命”だったのか」
 と、いささかショックを受けた記憶があります。


p166
 国会議員は公職選挙法や政治資金規正法にしばられていて、むやみに寄付行為ができません。しかし、創価学会は、なんとかして、国会議員や地方議員からカネを吸い上げようと考えているように見えます。創価学会内では、
「公明党議員にはカネを持たすな」
 と言う人もいるほどです。なんでも、カネと権力を持たせると造反するのではないかという猜疑心が、創価学会最高幹部の間ではあるようなんです。

  2007年参院選の公認作業が始まる2005年頃の話です。創価学会も何とかして、公明党議員からカネを吸い上げようと知恵をめぐらせていたのでしょう。 ちょうどこの頃、方面再興会議の中での指導がありました。各県の創価学会最高幹部と国会議員、県代表が参加する会です。この席上、ある最高幹部が、
「議員の方々は、学界に財務できない分、アメリカ創価大学に寄付をするように」
 と言うわけです。

 さらに、「伸党」のメンバーにも、
「議員の場合、アメリカ創価大学への寄付をすることによって合法的に創価学会に貢献することができる」
 という指導がありました。

 このアメリカ創価大学への寄付依頼は、2007年4月の統一地方選挙の公認獲得問題と絡めて、国会議員から県議会議員へと拡大していきました。

 国内の宗教団体などへの寄付行為は、公職選挙法に違反するおそれがあります。しかし、国外の教育施設などへの寄付行為ならば、こうした国内法の適用はないだろうと考えてのことだったようです。

(´・ω・`)アメリカ創価大学なんてあったのね
【wiki】 アメリカ創価大学 
アメリカ・カリフォルニア州オレンジ郡アリソ・ヴィエホ市に本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。2001年に設置された

(慰安婦像がオレンジ郡にあるなぁ・・) 

宮本エリアナさんの記事にも出てきた移民1000万の坂中英徳氏
侵略者の手先 宮本エリアナ その目的は民族浄化


【youtube】移民1000万人政策の提唱者 坂中英徳の嘘と妄言
なんと
移民政策はどこの国も成功していない
と明言( ̄д ̄)ポカーン

坂中英徳世界経済フォーラム2010
http://jipi.or.jp/?p=386
世界経済フォーラム主催の会議にも出席してるんですね・・・
某竹中平蔵先生もよくお出になってらっしゃるわけですが

坂中氏も慶応なんですね→【wiki】坂中英徳

ブログにはこのような記事もある
反日外国人の入国は阻止できる
(一部抜粋)
世 界各国の移民政策を見ると、国民と移民との関係や外交関係などを総合的に考慮して国籍別の受け入れ枠を決定している。反日思想に凝り固まった移民の入国を 許さない方針をとれば、日本の移民政策は韓国、中国のように反日教育に熱心な国からの移民を厳しく制限するものになる。少なくとも、いまのような「管理なき外国人の流入」はなくなる。

移民を推進する私に対して「売国奴」などのヘイトスピーチもあるが、むしろ量的規制を的確に行える移民法を制定することで、反日的意志を持って日本に乗り込もうとする「反日外国人」の入国を阻止できると明言しておく。
http://jipi.or.jp/?p=1935

確かに管理なき外国人の流入は改善すべき
しかし、量的規制以外の方法が書かれていないというザル提案であるため
必要対策はとらずに押し通すのだろう
自分が考えつくだけでも対策には相当なヒト・カネのリソースを必要とする上にそれでも万全とは思えず
とりあえず強制送還(費用は国籍国)システムが必要とくり返し書いてきたが
重要なことを書いてなかった
スパイ防止法
あんな生ぬるい特定秘密保護法すら大騒ぎしてる現状では話にならんのだが
違反者摘発捜査のためにはおとり捜査、盗聴も可にしないと

更に、こちらの本には

在日韓国・朝鮮人政策論の展開
坂中 英徳
日本加除出版
1999-02


p75
 今日の在日韓国・朝鮮人社会の圧倒的多数を占める二世・三世・四世の人たちは日本国籍の有無に関係なく我が国社会に深く同化していて、外国人の集団としての在日韓国・朝鮮人はもはや我が国の社会秩序に脅威を与えるような存在ではなくなりました

と書かれており、この人の「反日」の定義は普通の人のそれとは乖離している

移民1000万人政策はトンデモ売国
と断じざるを得ないようでつ

参考
BLOGOS
『「日本は1000万人の移民を50年かけて受け入れるべきだ」
坂中英徳・移民政策研究所長が訴える"移民開国論"』
http://blogos.com/article/87107/

保守速報さん
『移民政策の元凶は坂中英徳、コイツは在日韓国・朝鮮人の法的地位安定を唱えた<坂中論文>を出したヤツで、 日本の移民政策に関するブレインとされる』
http://hosyusokuhou.jp/archives/36948216.html

Open2chまとめさん
『【多文化共生】日系南米人:足りない母語教育支援 学習や生活に支障』
http://open.ldblog.jp/archives/42793652.html
 

たまたま読んでいた本に羽仁もと子氏の名前が出てきたのでちょっと驚く
羽仁五郎氏の義母ですね(【wiki】羽仁もと子
羽仁五郎とハーバート・ノーマン



悪意の集中砲火を浴びた植村女史

『婦人之友』昭和22年(1947)年5・6・月合併号掲載の植村環・羽仁もと子両女史の対談記事より

p35
  植村女史は長老派教会(プレスビテリアン)の招待で渡米したわけだが、戦争直後という異常な時期、ある意味ではその国民性の美点も欠点ももっともはっきり 出てくる時期に、広くアメリカの民衆に接したのは同女史が最初であり、その反応もまた「体温計・試験紙」として貴重な記録である。次にそれに関連する一部 を飲用させていただく。

p36~39
「直接には北米で開かれた長老派教会の総会に招待を受けたのでございます。・・・・大会終了 後はフィリピンの医師イラノ女史、中国の教育家頂女史・・・と共に、極東平和使節団としてアメリカの各地を訪問致しました。巡歴した州は全部で32州、 80余都市で、数百回の講演をいたさねばなりませんでした。聴衆もざっと200万人位になったかと思います。

 このように今回の旅行は肉体的にもかなり激しいものでしたが、敗戦国の民として、また多くの恥ずべき残虐な行為もあったという日本人として世界の人々の前に立つことは、精神的に更に一層苦しい旅でございました」

 苦しさは聴衆から来るだけではない。同行の人からも来る。それは針のむしろであろう。

「そうです。イラノさん、頂さん方とは今ではもう切っても切れない友情で結ばれておりますが、最初はやはり一つの高い障壁を乗り越えねばなりませんでした。特にイラノさんは御自身あのバターン死の行進に倒れた人々を介抱された生々しい記憶を持っておられたので、如何に宗教代表であろうとも、日本人には会いたくないと強いて顔を背けておられたのです・・・・」

「講 演会場でも日本人が話すというと、荒々しく椅子を鳴らして退席する人もありましたし、集会後使節団一行と会衆のひとりびとりが握手する際も、わざと私だけ 飛ばしてゆく人もありました。たまには『あなたの国がアメリカに征服されて嬉しいか』とこんな類の皮肉を投げかけてゆく人もあるのでした」

 また『パール・ハーバーを忘れよ、と言うのか』とつめよる人間もある。そしてその態度は、女史の旧友たちとて大差はない。

「あ る時など、旧友たちが午餐を用意して待っているからとのことに、講演の合間を見て急いで行ってみましたところ、食卓につくやいなや開戦前後の日本の態度に ついて一斉になじりはじめました。食事中はともかく、じっと耐えておりましたが、いよいよ午後の集りの講壇に上ったトタン涙がこみ上げて来て泣き泣き話す だけは話しましたが『アイアム・ヴェリイ・ミゼラブル』といって坐ってしまいました・・・・」

「ワシントンにいった時のことですが、フィリピンで日本軍の俘虜となっていたひとりの軍曹が私に会おうと待ちぶせており、収容所で加えられたさまざまの侮辱について興奮して語りました。その上、日本人はみな生れつきの悪魔だというのです。この人はフィリピンで動物実験の代りに薬品を注射され、半身不随のようにさせられたこともあったというのですから、こんな言葉を吐くのも無理がありません・・・・」

  冷静に考えれば、こういう状態はある意味では意外ではない。日系一世の話、また当時の記録を見ても対日悪感情は相当にものすごく、カリフォルニア州では日 系人襲撃が頻発し、最盛期にはわずか4か月間に、日系事業所へのダイナマイト爆破未遂1、放火3、発砲15件があり、またオレゴン州では在郷軍人団がその 名簿から日系兵士の名を削除し、各地に排日団体が名乗りをあげるという状態であった。

 これらを見ると『天皇の陰謀』の著者パーガミニ氏の「終戦直後にもアメリカには強烈な反日感情はなかった」という意味の発言は誤りのようにも見える。

(´・ω・`)バターン死の行軍とか動物実験の代に薬品を注射とか非常に香ばしい話やねぇ
真珠湾攻撃という戦闘行為を戦時国際法違反の原爆投下とか大空襲とかの民間人虐殺を棚に上げて日本人は悪魔とかいう厚顔無恥は救い難い

メリケン救い難し

ところが山本七平氏は

p40
 日本人を悪魔だと言って植村女史を待ち伏せていた一軍曹にも、高飛車に高圧的にきめつけて相手の口を封じ、一方的に非難するという対度はない。植村女史が率直な謝罪の 後で「悪魔は誰の心の中にも棲みやすいものです。私の心の中にも・・・・」(ということは「あなたの心の中にも・・・・」の意味にもなるが)と語りはじめ ると、彼はその言葉に耳を傾ける。そして日本には「私よりもっと良い人もたくさんいます」という言葉を聞き、「憎しみは消えた」と言って去るのである。
(何で謝罪するんだか・・・)

アメリカ人は発言自体は妨害せずフェアであり日本人はそうではない、そこが違いと続けるわけでつ

【wiki】山本七平
主に戦後の保守系マスメディアで活動した。

何だかなぁ
それこそ朝日新聞にでも載ってそうな文だと思ったけど・・・(◞‸◟)

【wiki】植村環生涯
1951 年5月(昭和26年)、小野村林蔵ら植村正久の薫陶を受けた牧師たちの主導の下に、42の教会が日本基督教団を離脱して、日本キリスト教会(当時の名称 は、日本基督教会)を設立する。これが通称新日基である。植村と柏木教会は同年7月に東京中会に加入する。1973年に牧師を引退するまで、日本基督教会 の指導的教職として活躍する。

げぇ~ヽ(`д´)ノヽ(д´ )ノヽ(´ )ノヽ( )ノヽ( `д)ノヽ(`д´)ノ西早稲田ぁ~~ 

分かりやすい70年談話

・そもそも西欧が侵略してアジアにまで植民地支配の手を伸ばしたんやで

・日本はそれに負けんと日露戦争とか勝ったんやで

・アジア、アフリカはそれで勇気付けられたんやで

・そやけど調子乗った日本は空気読めんと孤立したんやで

・そして日本は負けたんやで

・女性や色んな犠牲になった全ての人に哀しみの気持ちを捧げるで

・日本はもう力ずくで物事を解決せえへんで、それは他の国もそうせなあかんのや

・そう誓って日本はお詫びを繰り返してきたんやで

・そうして アジアの国々に尽くしてきたんやで(台湾は国扱いな!

・(謝罪を感謝に振り替えて、)世界の国々・皆さん 寛容な心で許してくれて感謝やで!

・日本はもう殆ど戦後生まれの世代やで、そやからあの戦争には関係ない

・子孫たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないんやで!

・日本はこれからも積極的に平和の為に貢献しますんでよろしう!ほな!
http://www.moeruasia.net/archives/45110250.html


(´・ω・`)んーわかりやすいですね!
是非この方にもコピペをお届けしたい


村山元首相、戦後70年談話に苦言「何をおわびしているのか、よく分からない」
村山富市

  政府は14日夕の臨時閣議で戦後70年に関する安倍晋三首相談話を決定した。首相は午後6時から首相官邸で記者会見し談話を発表した。1995年に戦後 50年を迎えての「村山談話」を発表した村山富市元首相(91)が14日、フジテレビ系「みんなのニュース」(月~金曜・後3時50分)に出演。首相の 「戦後70年談話」について語った。

 午後6時からの談話を、最初は腕を組むなどして聞いていた村山元首相は、途中からは安倍首相を凝視。約25分にわたって話す様子を見守った。

  談話の感想を求められると「美辞麗句を並べて長々としゃべりましたが、何をおわびしているのか、よく分からないね」と、言葉の中に「おわび」という言葉が 含まれてはいたものの、それがどこに向いているのかが分かりにくいことを指摘。「何を対象に、何のために(おわびを)しているのかが不明確。具体的に日本 のやってきた、例えば植民地侵略など、そういった行為を(言葉として)挙げるなら分かるが…。よく分からない」と苦言を呈していた。
スポーツ報知2015.8.15
http://www.hochi.co.jp/topics/20150814-OHT1T50116.html

村山談話実質骨抜きに(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ

道は示された
あとは我々にかかっておるのだよ 

ニュースステーション70年談話http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1439567043/

はぁ・・・・コラかと思ったんだけど・・・・

開戦時の高村光太郎 詩人の率直で純真な感動書き記していた

 多くの文学者たちが戦意高揚や戦争礼賛の文章を発表したが戦後、彼らの言葉は一転して批判され、タブー視された。だが、彼らの当時の言葉にこそ、「戦争」の真実があるのではないか。文芸評論家の富岡幸一郎氏が読み解く。

 * * *

「十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は、今八日未明、西太平洋において米英軍と戦争状態に入れり」

 日本海軍の真珠湾奇襲の報が国民にこのように伝えられたとき、日本人はどのような思いに駆られたのか。驚きは不安をもたらしたのか、それとも何か別の感情であったのか。

『智恵子抄』で親しまれてきた詩人の高村光太郎は、宣戦の詔勅を聞いたときの感動を次のように書き記している。

《聴 き行くうちにおのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡がくもって来た。私はそのままでいた。奉読が終ると、みな目がさめたようにして急に歩きはじめ た。…頭の中が透きとおるような気がした。世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。

 現在その ものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった。…ハワイ真珠湾襲撃の戦果が報ぜられていた。戦艦二 隻轟沈というような思いもかけぬ捷報(しょうほう、注・勝利の知らせ)が、息をはずませたアナウンサーの声によって響きわたると、思わずなみ居る人達から 拍手が起る。私は不覚にも落涙した》(「十二月八日の記」)

 アメリカによる経済的な抑圧政策(いわゆる米・英・中・蘭のA・B・C・D 包囲網)は、戦後の東京裁判でパール判事が指摘したようにすでに日本に対する“先制攻撃”であり、日本人はそのことを日々の生活のうちにすでに痛覚してい た。開戦時に際しての高村光太郎の言葉は、したがって当時の国民の声を代弁したものであったろう。そこには詩人の率直で純心な肉声が漲っている。

 満州事変以後の対中国戦争が泥沼化するなか、苛立ちと後ろめたさを感じ始めていた日本人が、アジア諸国を蹂躙(じゅうりん)してきた白人、その西洋列強の代表たる米英との真っ正面からの戦争に、「世界は一新せられた」と歓喜したのも当然である。
※SAPIO2015年4月号
NEWSポストセブン2015.3.28
http://www.news-postseven.com/archives/20150328_307659.html?PAGE=1

BSフジプライムニュースで反町キャスターが
「でも歴史というのは戦勝国が作るもんだっていう見方もあるじゃないですか」
と言ってたのだが

戦争に負けた国には一分の理もないのか?
未来永劫謝罪を続けねばならないとしたら
いっそ一億玉砕して死んでお詫びすりゃ良かったんじゃない?
お詫びお詫び言う人はなぜ今平然と他人事のような顔で生きてられるの?

例えばこの人
伊丹和弘ツイート加害した側が言うのではなく
https://twitter.com/itami_k/status/632122755178082304
(おまゆう)


これは精神論などではない
東京裁判を受け条約を締結し多額の賠償金を支払ってなお「敵性国家」としてしか存在し得ないとするなら
戦争とは
いかなる国際法違反をしようとも勝たなければいけない
平気で原爆を落とす国が相手なのだから
核兵器、生物兵器、化学兵器、勝つためには手段を選んではいけない

日本を横目で見ていた人々は国際法などただのタテマエ
勝ちさえすれば正義だと理解することだろう
それがより悲惨な戦争を生むことになるが
それが「平和」か?

国際法上解決していることを蒸し返すのは
法の支配を望んでいないということ
それが「平和」?


記憶せよ、12月8日。
この日世界の歴史改まる。

アングロサクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、
眇(びょう)たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。

そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、強豪米英一族の力、我らの国に於いて否定さる。
我らの否定は義による。

東亜を東亜にかへせといふのみ。

彼らの搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさにその爪牙(そうが)を砕かんとす。
われら自ら力を養ひてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。

大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。

世界の歴史を両断する。

12月8日を記憶せよ。
(http://sekihi.net/stones/10596)


米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm
これに全てが書かれている
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