大山倍達館長に関するメモhttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:k4RkB7yN-5oJ:plaza.rakuten.co.jp/godlove/diary/200512080000/+%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%AB%A0%E5%9C%AD%E3%80%80%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%80%80%E6%96%87%E9%AE%AE%E6%98%8E&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
カテゴリ:統一教会・統一運動
空手の達人として世界的に著名な極真会館の大山倍達館長(1923~1994)は終戦直後、日本統一教会草創期の幹部である故・大山高誉氏(1969年5月1日に統一教会・合同結婚式に参加)の家に寄宿しておられました。そこで大山倍達師の厳しい修行の姿から大いに薫陶を受けられた人物が大山高誉氏のご長男・大山茂氏であり、のちに大山倍達館長の一番弟子となった方です。ちなみに、氏の「真剣白刃取り」の迫真の演武は有名です。
大山茂氏は当時のことについて、「よく館長が私の家の庭で稽古をされていた。誰も近づけないくらいの迫力があった。声でもかけたら殺されてしまいそうな雰 囲気であった。それでも館長は私に突きや蹴りを指導して下さった。それが私と館長、私と大山空手、そして極真カラテとの出合いであった」と述懐しておられ ます(講談社「USカラテ・アドベンチャー」17頁)。 大山倍達館長は統一教会に賛同しておられた関係で、当時の久保木修己・日本統一教会会長を国際空手道連盟会長として迎え、また北米極真会館の責任者として任命されたのでした。そういう事情もあり、統一教会信者の中には極真会館のメンバーや出身者が数多く存在します。 経緯の詳細は控えますが、大山倍達館長の後継者は松井章圭氏(ご本名は文章圭氏)になっています。松井氏は、月刊「噂の真相」1993年7月号の記述内容を信ずれば、家系的に統一教会創始者・文鮮明師と先祖が同じであり、文氏の始祖(文多省氏)から数えて18代目の文侯軾氏(→文鮮明師系図参照)までは共通だということです(同書、77頁)。 それで同書(78頁)によると、松井氏は大山倍達館長から総裁室に呼ばれ、「君は文というのか。文家といったら、偉い人がいるんだ。統一教会の文鮮明という人で僕はよく知っているんだが、君は知らんかね」と大山館長から言われたことがある、ということです。 もちろん現在の松井館長と統一教会とは関係がないかもしれませんが、少なくとも極真会館創始者である大山倍達館長と統一教会および文鮮明師との関係については、終戦直後にまでさかのぼって深いご縁があったことは確かなことのようです。
Last updated
2005.12.09 01:55:11
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