日本帝国海軍の「武士道」
昨日、フジテレビの「アンビリーバボー」で帝国海軍駆逐艦「雷(いかづち)」の工藤艦長以下乗組員の偉業が、取り上げられた。
この偉業は「敵兵を救助せよ」(惠隆乃介氏 著)で紹介されている物である。
友人から聴いたが、残念ながら私は見ていない。
本も読んでいない。
何処かに動画は無いだろうか?
ご存じの方は教えて頂きたい。
この駆逐艦「雷」工藤少佐の偉業とは...
日本の駆逐艦「雷」の艦長だった工藤は、1942年3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英国の軍艦2隻の乗員422名を救助した。
戦闘中の危険な救助作業をあえて命じ、英国人を前に貴官らは名誉あるゲストだと名スピーチをした。
オランダの病院船に引き渡すまで、体力回復にも腐心した。
マレー沖海戦で沈めた戦艦の漂流者にも日本の駆逐艦や飛行機が銃弾を浴びせなかった逸話は、米軍の乱暴な無差別機銃掃射としばしば比較される。
工藤は山形の人であるが、健康を害して終戦直前に待命になった。
彼は生前功を誇らない謙虚な人柄であった。
死後に英国の軍人からその偉業を聞いた惠隆乃介氏が埋もれていた感動的な秘話を書物に再現していたものだ。
「国際派日本人養成講座」のHP(メルマガ)に本件が少し詳しく書いてあったので紹介しておきたい。
「転送歓迎」だそうなので、興味有る方はドンドンご紹介頂きたい。
_/_/_/_/_/▼国際派日本人養成講座より引用▼_/_/_/_/_/
■■ Japan On the Globe(458)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
人物探訪: 駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作
~ 敵兵422人を救助した武士道
「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
■転送歓迎■ H18.08.13 ■ 34,057 Copies ■ 2,171,244 Views■
■1.「旧敵との和解」■
1998(平成10)年4月、英国では翌月に予定されている天 皇の英国訪問への反対運動が起きていた。その中心となってい たのは、かつて日本軍の捕虜となった退役軍人たちで、捕虜として受けた処遇への恨みが原因であった。
その最中、元海軍中尉サムエル・フォール卿がタイムズ紙に一文を投稿した。「元日本軍の捕虜として、私は旧敵となぜ和解することに関心を抱いているのか、説明申し上げたい」と前 置きして、自身の体験を語った。
大東亜戦争が始まってまもなくの1942(昭和17)年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊の海戦が始まった。連合部隊の 15隻中11隻は撃沈され、4隻は逃走した。3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員4百数十 名は漂流を続けていたが、翌2日、生存の限界に達した所を日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」に発見された。
「エンカウンター」の砲術士官だったフォール卿は、「日本人は非情」という先入観を持っていたため、機銃掃射を受けて最期を迎えるものと覚悟した。
ところが、駆逐艦「雷」は即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、漂流者全員422名を救助したのである。艦長・工藤俊作中佐は、英国海軍士官全員を前 甲板に集め、英語で健闘を称え、「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」とスピーチしたのだった。そして兵員も含め、全員に友軍以上の丁重 な処遇を施した。
このフォール卿の投稿によって、以後の日本批判の投書はことごとく精彩を欠くことになった。
■2.「オラが艦長は」■
工藤が駆逐艦「雷」の艦長として着任したのは、昭和15(1940)年11月1日だった。身長185センチ、体重95キロと大きな体に、丸眼鏡をかけた柔 和で愛嬌のある細い目をしていた。「工藤大仏」というあだ名を持つ温厚な艦長に、乗組員たちはたちまち魅了されていった。
着任の訓示も、「本日より、本官は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」というものだった。士官たちには「兵の失敗はやる気があってのことであ れば、決して叱るな」と口癖のように命じた。見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違えて報告しても、見張りを呼んで「その注意力は立派だ」と誉め た。
酒豪で何かにつけて宴会を催し、士官と兵の区別なく酒を酌み交わす。兵員の食事によく出るサンマやイワシが好きで、士官室でのエビや肉の皿を兵員食堂まで持って行って「誰か交換せんか」と言ったりもした。
2ヶ月もすると、「雷」の乗組員たちは「オラが艦長は」と自慢するようになり、「この艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」とまで公言するようになった。艦内の士気は日に日に高まり、それとともに乗組員の技量・練度も向上していった。
■3.海軍兵学校・鈴木貫太郎校長の教育■
工藤艦長は、海軍兵学校51期だったが、入学時に校長をしていた鈴木貫太郎中将の影響を強く受けた。鈴木はその後、連合艦隊司令長官を務めた後、昭和4年 から8年間も侍従長として昭和天皇にお仕えした。その御親任の厚さから、終戦時の内閣総理大臣に任命されて、我が国を滅亡の淵から救う役割を果たす。 [a,b]
工藤ら51期が入学した時に校長に着任した鈴木は、従来の教育方針を以下のように大転換した。
・鉄拳制裁の禁止
・歴史および哲学教育強化
・試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)
日本古来の武士道には鉄拳制裁はない、というのが、その禁止の理由だった。工藤ら51期生は、この教えを忠実に守り、最上級生になっても、下級生を決してどなりつけず、自分の行動で無言のうちに指導していた。
歴史および哲学教育の強化の一貫としては、鈴木自身が明治天皇御製についての訓話を行い、
四方の海皆はらからと思ふよになど波風に立ちさわぐらん
の御製から、明治天皇の「四海同胞」の精神を称えている。工藤の敵兵救助も、この精神の表れであろう。
■4.日本海軍の武士道■
大東亜戦争開戦の2日後、昭和16(1941)年12月10日、日本海軍航空部隊は、英国東洋艦隊を攻撃し、最新鋭の「不沈艦プリンス・オブ・ウェールズ」と戦艦「レパルス」を撃沈した。
駆逐艦「エクスプレス」は、海上に脱出した数百人の乗組員たちの救助を始めたが、日本の航空隊は一切妨害せず、それどころか、手を振ったり、親指をたて て、しっかりたのむぞ、という仕草を送った。さらに救助活動後に、この駆逐艦がシンガポールに帰投するさいにも、日本機は上空から視認していたが、一切、 攻撃を差し控えていた。
こうした日本海軍の武士道は、英国海軍の将兵を感動させた。工藤の敵兵救助とは、こうした武士道の表れであり、決して、例外的な行為だったわけではない。
昭和17(1942)年2月15日、シンガポールが陥落すると、英国重巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」は、ジャワ島スラバヤ港に逃れ、ここで、アメリカ、オランダ、オーストラリアの艦船と合同して、巡洋艦5隻、駆逐艦9隻からなる連合部隊を結成した。
この連合部隊に、日本海軍の重巡「那智」「羽黒」以下、軽巡2隻、駆逐艦14隻の東部ジャワ攻略部隊が決戦を挑んだ。
日本海海戦以来、37年ぶりの艦隊決戦である。
2月27日午後5時、海戦が始まった。当初、「雷」は開戦以来、敵潜水艦2隻、哨戒艇1隻撃沈という戦闘力の高さを買われて、艦隊後方で指揮をとる主隊の護衛任務についていた。
そこに「敵巡洋艦ヨリナル有力部隊発見、我交戦中」との信号を受けて、主力は戦場に向かった。しかし、到着した時には、敵艦隊はスラバヤに逃げ込んで、肩すかしを食らった。
2月28日、「エクゼター」は被弾箇所の応急修理を終え、「エンカウンター」と米駆逐艦「ポープ」を護衛につけて、インド洋のコロンボへと逃亡を図った。しかし、3月1日に「雷」の僚艦「電(いなづま)」を含む日本の駆逐艦隊に取り囲まれ、攻撃を受けた。
■5.「沈みゆく敵艦に敬礼」■
午後12時35分、「電」は指揮官旗を翻す「エクゼター」に砲撃を開始した。「エクゼター」はボイラー室に被弾して、航行不能に陥った。午後1時10分、「撃ち方止め!」の号令が下され、敵艦に降伏を勧告する信号が発せられた。
しかし、艦長オリバー・ゴードン大佐は降伏せず、マストに「我艦を放棄す、各艦適宜行動せよ」の旗流信号を掲げた。
ここで「エクゼター」の乗組員たちは、次々と海中に飛び込み、日本艦隊に向かって、泳ぎ始めたのである。「エクゼター」では、士官が兵に対し、「万一の時 は、日本艦の近くに泳いでいけ、必ず救助してくれる」といつも話していた。「プリンス・オブ・ウェールズ」沈没の際の日本海軍の行動が記憶にあったのだろ う。
「電」は、傾いた「エクゼター」に魚雷を発射して、とどめを刺した。「電」艦内に、「沈みゆく敵艦に敬礼」との放送が流れ、甲板上の乗組員達は、一斉に挙手の敬礼をした。その敬礼に見送られて、「エクゼター」は船尾から沈んでいった。
まもなく「海上ニ浮遊スル敵兵ヲ救助スベシ」の命令が出された。救命ボートに乗っている者、救命用具をつけて海面に浮かんでいる者に対して、「電」の乗組 員は、縄ばしごやロープ、救命浮標などで、救助にあたった。蒼白な顔に救出された喜びの笑みをたたえ、「サンキュウ」と敬礼して甲板にあがってくる者、激 しい戦闘によって大怪我をしている者などが、次々と助け出された。
甲板上に収容された将兵には、乾パンとミルクが支給された。
「電」によって救助された「エクゼター」乗組員は376名に上った。
■6.重油の海での漂流■
駆逐艦「エンカウンター」は、旗艦「エクゼター」が停止した時、その「各艦適宜行動せよ」という命令に従い、単独での航行を続けた。艦長モーガン少佐は 「エクゼター」の乗組員を救助すべきかと、一瞬迷ったが、「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」沈没の際の日本海軍の行動を覚えていたので、こう 決断したのである。
しかし、その「エンカウンター」も日本艦隊の追撃を受け、8千メートル東方の海域で、30分後に撃沈された。この時、20歳の砲術士官だったフォール卿は、こう証言している。
艦長とモーターボートに乗って脱出しました。その直後、小さな砲弾が着弾してボートは壊れました。・・・この直後、私は艦長と共にジャワ海に飛び込みました。
間もなく日本の駆逐艦が近づき、われわれに砲を向けました。固唾をのんで見つめておりましたが、何事もせず去っていきました。[1,p251]
この時は、米蘭の潜水艦がジャワ海で行動しており、敵の攻撃をいつ受けるか分からない状況では、国際法上は、海上遭難者を放置しても違法ではない。
「エンカウンター」の乗組員たちは、自艦から流出した重油の海につかり、多くの者が一時的に目が見えなくなった。その状態で、約21時間も漂流した。
■7.「これは夢ではないか」■
そこに偶然、通りかかったのが、駆逐艦「雷」だった。見張りが「漂流者400以上」と報告した。工藤艦長は敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「救助!」と命じた。
「雷」の手の空いていた乗組員全員がロープや縄ばしご、竹竿を差し出した。漂流者たちは、われ先にとパニック状態になったが、青年士官らしき者が、後方から号令をかけると、整然と順番を守るようになった。
重傷者から救う事になったが、彼らは最期の力を振り絞って、「雷」の舷側に泳ぎ着いて、竹竿に触れるや、安堵したのか、ほとんどは力尽きて次々と水面下に 沈んでいってしまう。甲板上の乗組員たちは、涙声をからしながら「頑張れ!」「頑張れ!」と呼びかける。この光景を見かねて、何人かの乗組員は、自ら海に 飛び込み、立ち泳ぎをしながら、重傷者の体にロープを巻き付けた。
こうなると、敵も味方もなかった。まして同じ海軍軍人である。甲板上で「雷」の乗組員の腕に抱かれて息を引き取る者もいた。無事、救出された英兵は、体に ついた重油を乗組員が布とアルコールで拭き取ってやった。新しいシャツと半ズボン、靴が支給され、熱いミルクやビール、ビスケットが配られた。
フォールズ卿はこう回想している。
私は、まさに「奇跡」が起こったと思い、これは夢ではないかと、自分の手を何度もつねったのです。
■8.「今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである」■
間もなく、救出された士官たちは、前甲板に集合を命じられた。
すると、キャプテン(艦長)・シュンサク・クドウが、艦橋から降りてきてわれわれに端正な挙手の敬礼をしました。われわれも遅ればせながら答礼しました。
キャプテンは、流暢な英語でわれわれにこうスピーチされたのです。
諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争をしかけたことは愚かなことである。[1,p258]
「雷」はその後も終日、海上に浮遊する生存者を捜し続け、たとえ遙か遠方に一人の生存者がいても、必ず艦を近づけ、停止し、乗組員総出で救助した。水没したり、甲板上で死亡した者を除いて、午前中だけで404人、午後は18人を救助した。
乗組員約150名の3倍近い人数である。
翌日、救助された英兵たちは、オランダの病院船に引き渡された。移乗する際、士官たちは「雷」のマストに掲揚されている旭日の軍艦旗に挙手の敬礼をし、ま たウィングに立つ工藤に敬礼した。工藤艦長は、丁寧に一人一人に答礼をした。兵のほうは気ままなもので、「雷」に向かって手を振り、体一杯に感謝の意を表 していた。
■9.「サイレント・ネービー」の伝統■
フォール卿は、戦後、外交官として活躍し、定年退職後、1996(平成8)年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓し、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記した。
平成15(2003)年10月、フォール卿は日本の土を踏んだ。
84歳を迎える自身の「人生の締めくくり」として、すでに他界していた工藤艦長の墓参を行い、遺族に感謝の意を表したいと願ったのである。しかし、あいにく墓も遺族も所在が分からず、フォール卿の願いは叶えられなかった。
フォール卿から依頼を受けて、[1]の著者・恵隆之介氏は3ヶ月後に、遺族を見つけ出した。工藤俊作の甥・七郎兵衛氏は「叔父はこんな立派なことをされた のか、生前一切軍務のことは口外しなかった」と落涙した。サイレント・ネービーの伝統を忠実に守って、工藤中佐は己を語らず、黙々と軍人としての職務を忠 実に果たして、静かにこの世を去っていったのである。
(文責:伊勢雅臣)_/_/_/_/_/▲_引用ここまで▲_/_/_/_/_/
感涙!
これも有名な話の様だが、私が知らなかっただけか?
もしも、私と同じく知らなかった方は、今知ったことを、共に喜ぼうではないか。
武士道の 知るや語るは 多けれど
これ為す海軍 軍人のあり
敬礼!
この偉業は「敵兵を救助せよ」(惠隆乃介氏 著)で紹介されている物である。
友人から聴いたが、残念ながら私は見ていない。
本も読んでいない。
何処かに動画は無いだろうか?
ご存じの方は教えて頂きたい。
この駆逐艦「雷」工藤少佐の偉業とは...
日本の駆逐艦「雷」の艦長だった工藤は、1942年3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英国の軍艦2隻の乗員422名を救助した。
戦闘中の危険な救助作業をあえて命じ、英国人を前に貴官らは名誉あるゲストだと名スピーチをした。
オランダの病院船に引き渡すまで、体力回復にも腐心した。
マレー沖海戦で沈めた戦艦の漂流者にも日本の駆逐艦や飛行機が銃弾を浴びせなかった逸話は、米軍の乱暴な無差別機銃掃射としばしば比較される。
工藤は山形の人であるが、健康を害して終戦直前に待命になった。
彼は生前功を誇らない謙虚な人柄であった。
死後に英国の軍人からその偉業を聞いた惠隆乃介氏が埋もれていた感動的な秘話を書物に再現していたものだ。
「国際派日本人養成講座」のHP(メルマガ)に本件が少し詳しく書いてあったので紹介しておきたい。
「転送歓迎」だそうなので、興味有る方はドンドンご紹介頂きたい。
_/_/_/_/_/▼国際派日本人養成講座より引用▼_/_/_/_/_/
■■ Japan On the Globe(458)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
人物探訪: 駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作
~ 敵兵422人を救助した武士道
「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
■転送歓迎■ H18.08.13 ■ 34,057 Copies ■ 2,171,244 Views■
■1.「旧敵との和解」■
1998(平成10)年4月、英国では翌月に予定されている天 皇の英国訪問への反対運動が起きていた。その中心となってい たのは、かつて日本軍の捕虜となった退役軍人たちで、捕虜として受けた処遇への恨みが原因であった。
その最中、元海軍中尉サムエル・フォール卿がタイムズ紙に一文を投稿した。「元日本軍の捕虜として、私は旧敵となぜ和解することに関心を抱いているのか、説明申し上げたい」と前 置きして、自身の体験を語った。
大東亜戦争が始まってまもなくの1942(昭和17)年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊の海戦が始まった。連合部隊の 15隻中11隻は撃沈され、4隻は逃走した。3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員4百数十 名は漂流を続けていたが、翌2日、生存の限界に達した所を日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」に発見された。
「エンカウンター」の砲術士官だったフォール卿は、「日本人は非情」という先入観を持っていたため、機銃掃射を受けて最期を迎えるものと覚悟した。
ところが、駆逐艦「雷」は即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、漂流者全員422名を救助したのである。艦長・工藤俊作中佐は、英国海軍士官全員を前 甲板に集め、英語で健闘を称え、「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」とスピーチしたのだった。そして兵員も含め、全員に友軍以上の丁重 な処遇を施した。
このフォール卿の投稿によって、以後の日本批判の投書はことごとく精彩を欠くことになった。
■2.「オラが艦長は」■
工藤が駆逐艦「雷」の艦長として着任したのは、昭和15(1940)年11月1日だった。身長185センチ、体重95キロと大きな体に、丸眼鏡をかけた柔 和で愛嬌のある細い目をしていた。「工藤大仏」というあだ名を持つ温厚な艦長に、乗組員たちはたちまち魅了されていった。
着任の訓示も、「本日より、本官は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」というものだった。士官たちには「兵の失敗はやる気があってのことであ れば、決して叱るな」と口癖のように命じた。見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違えて報告しても、見張りを呼んで「その注意力は立派だ」と誉め た。
酒豪で何かにつけて宴会を催し、士官と兵の区別なく酒を酌み交わす。兵員の食事によく出るサンマやイワシが好きで、士官室でのエビや肉の皿を兵員食堂まで持って行って「誰か交換せんか」と言ったりもした。
2ヶ月もすると、「雷」の乗組員たちは「オラが艦長は」と自慢するようになり、「この艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」とまで公言するようになった。艦内の士気は日に日に高まり、それとともに乗組員の技量・練度も向上していった。
■3.海軍兵学校・鈴木貫太郎校長の教育■
工藤艦長は、海軍兵学校51期だったが、入学時に校長をしていた鈴木貫太郎中将の影響を強く受けた。鈴木はその後、連合艦隊司令長官を務めた後、昭和4年 から8年間も侍従長として昭和天皇にお仕えした。その御親任の厚さから、終戦時の内閣総理大臣に任命されて、我が国を滅亡の淵から救う役割を果たす。 [a,b]
工藤ら51期が入学した時に校長に着任した鈴木は、従来の教育方針を以下のように大転換した。
・鉄拳制裁の禁止
・歴史および哲学教育強化
・試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)
日本古来の武士道には鉄拳制裁はない、というのが、その禁止の理由だった。工藤ら51期生は、この教えを忠実に守り、最上級生になっても、下級生を決してどなりつけず、自分の行動で無言のうちに指導していた。
歴史および哲学教育の強化の一貫としては、鈴木自身が明治天皇御製についての訓話を行い、
四方の海皆はらからと思ふよになど波風に立ちさわぐらん
の御製から、明治天皇の「四海同胞」の精神を称えている。工藤の敵兵救助も、この精神の表れであろう。
■4.日本海軍の武士道■
大東亜戦争開戦の2日後、昭和16(1941)年12月10日、日本海軍航空部隊は、英国東洋艦隊を攻撃し、最新鋭の「不沈艦プリンス・オブ・ウェールズ」と戦艦「レパルス」を撃沈した。
駆逐艦「エクスプレス」は、海上に脱出した数百人の乗組員たちの救助を始めたが、日本の航空隊は一切妨害せず、それどころか、手を振ったり、親指をたて て、しっかりたのむぞ、という仕草を送った。さらに救助活動後に、この駆逐艦がシンガポールに帰投するさいにも、日本機は上空から視認していたが、一切、 攻撃を差し控えていた。
こうした日本海軍の武士道は、英国海軍の将兵を感動させた。工藤の敵兵救助とは、こうした武士道の表れであり、決して、例外的な行為だったわけではない。
昭和17(1942)年2月15日、シンガポールが陥落すると、英国重巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」は、ジャワ島スラバヤ港に逃れ、ここで、アメリカ、オランダ、オーストラリアの艦船と合同して、巡洋艦5隻、駆逐艦9隻からなる連合部隊を結成した。
この連合部隊に、日本海軍の重巡「那智」「羽黒」以下、軽巡2隻、駆逐艦14隻の東部ジャワ攻略部隊が決戦を挑んだ。
日本海海戦以来、37年ぶりの艦隊決戦である。
2月27日午後5時、海戦が始まった。当初、「雷」は開戦以来、敵潜水艦2隻、哨戒艇1隻撃沈という戦闘力の高さを買われて、艦隊後方で指揮をとる主隊の護衛任務についていた。
そこに「敵巡洋艦ヨリナル有力部隊発見、我交戦中」との信号を受けて、主力は戦場に向かった。しかし、到着した時には、敵艦隊はスラバヤに逃げ込んで、肩すかしを食らった。
2月28日、「エクゼター」は被弾箇所の応急修理を終え、「エンカウンター」と米駆逐艦「ポープ」を護衛につけて、インド洋のコロンボへと逃亡を図った。しかし、3月1日に「雷」の僚艦「電(いなづま)」を含む日本の駆逐艦隊に取り囲まれ、攻撃を受けた。
■5.「沈みゆく敵艦に敬礼」■
午後12時35分、「電」は指揮官旗を翻す「エクゼター」に砲撃を開始した。「エクゼター」はボイラー室に被弾して、航行不能に陥った。午後1時10分、「撃ち方止め!」の号令が下され、敵艦に降伏を勧告する信号が発せられた。
しかし、艦長オリバー・ゴードン大佐は降伏せず、マストに「我艦を放棄す、各艦適宜行動せよ」の旗流信号を掲げた。
ここで「エクゼター」の乗組員たちは、次々と海中に飛び込み、日本艦隊に向かって、泳ぎ始めたのである。「エクゼター」では、士官が兵に対し、「万一の時 は、日本艦の近くに泳いでいけ、必ず救助してくれる」といつも話していた。「プリンス・オブ・ウェールズ」沈没の際の日本海軍の行動が記憶にあったのだろ う。
「電」は、傾いた「エクゼター」に魚雷を発射して、とどめを刺した。「電」艦内に、「沈みゆく敵艦に敬礼」との放送が流れ、甲板上の乗組員達は、一斉に挙手の敬礼をした。その敬礼に見送られて、「エクゼター」は船尾から沈んでいった。
まもなく「海上ニ浮遊スル敵兵ヲ救助スベシ」の命令が出された。救命ボートに乗っている者、救命用具をつけて海面に浮かんでいる者に対して、「電」の乗組 員は、縄ばしごやロープ、救命浮標などで、救助にあたった。蒼白な顔に救出された喜びの笑みをたたえ、「サンキュウ」と敬礼して甲板にあがってくる者、激 しい戦闘によって大怪我をしている者などが、次々と助け出された。
甲板上に収容された将兵には、乾パンとミルクが支給された。
「電」によって救助された「エクゼター」乗組員は376名に上った。
■6.重油の海での漂流■
駆逐艦「エンカウンター」は、旗艦「エクゼター」が停止した時、その「各艦適宜行動せよ」という命令に従い、単独での航行を続けた。艦長モーガン少佐は 「エクゼター」の乗組員を救助すべきかと、一瞬迷ったが、「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」沈没の際の日本海軍の行動を覚えていたので、こう 決断したのである。
しかし、その「エンカウンター」も日本艦隊の追撃を受け、8千メートル東方の海域で、30分後に撃沈された。この時、20歳の砲術士官だったフォール卿は、こう証言している。
艦長とモーターボートに乗って脱出しました。その直後、小さな砲弾が着弾してボートは壊れました。・・・この直後、私は艦長と共にジャワ海に飛び込みました。
間もなく日本の駆逐艦が近づき、われわれに砲を向けました。固唾をのんで見つめておりましたが、何事もせず去っていきました。[1,p251]
この時は、米蘭の潜水艦がジャワ海で行動しており、敵の攻撃をいつ受けるか分からない状況では、国際法上は、海上遭難者を放置しても違法ではない。
「エンカウンター」の乗組員たちは、自艦から流出した重油の海につかり、多くの者が一時的に目が見えなくなった。その状態で、約21時間も漂流した。
■7.「これは夢ではないか」■
そこに偶然、通りかかったのが、駆逐艦「雷」だった。見張りが「漂流者400以上」と報告した。工藤艦長は敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「救助!」と命じた。
「雷」の手の空いていた乗組員全員がロープや縄ばしご、竹竿を差し出した。漂流者たちは、われ先にとパニック状態になったが、青年士官らしき者が、後方から号令をかけると、整然と順番を守るようになった。
重傷者から救う事になったが、彼らは最期の力を振り絞って、「雷」の舷側に泳ぎ着いて、竹竿に触れるや、安堵したのか、ほとんどは力尽きて次々と水面下に 沈んでいってしまう。甲板上の乗組員たちは、涙声をからしながら「頑張れ!」「頑張れ!」と呼びかける。この光景を見かねて、何人かの乗組員は、自ら海に 飛び込み、立ち泳ぎをしながら、重傷者の体にロープを巻き付けた。
こうなると、敵も味方もなかった。まして同じ海軍軍人である。甲板上で「雷」の乗組員の腕に抱かれて息を引き取る者もいた。無事、救出された英兵は、体に ついた重油を乗組員が布とアルコールで拭き取ってやった。新しいシャツと半ズボン、靴が支給され、熱いミルクやビール、ビスケットが配られた。
フォールズ卿はこう回想している。
私は、まさに「奇跡」が起こったと思い、これは夢ではないかと、自分の手を何度もつねったのです。
■8.「今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである」■
間もなく、救出された士官たちは、前甲板に集合を命じられた。
すると、キャプテン(艦長)・シュンサク・クドウが、艦橋から降りてきてわれわれに端正な挙手の敬礼をしました。われわれも遅ればせながら答礼しました。
キャプテンは、流暢な英語でわれわれにこうスピーチされたのです。
諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争をしかけたことは愚かなことである。[1,p258]
「雷」はその後も終日、海上に浮遊する生存者を捜し続け、たとえ遙か遠方に一人の生存者がいても、必ず艦を近づけ、停止し、乗組員総出で救助した。水没したり、甲板上で死亡した者を除いて、午前中だけで404人、午後は18人を救助した。
乗組員約150名の3倍近い人数である。
翌日、救助された英兵たちは、オランダの病院船に引き渡された。移乗する際、士官たちは「雷」のマストに掲揚されている旭日の軍艦旗に挙手の敬礼をし、ま たウィングに立つ工藤に敬礼した。工藤艦長は、丁寧に一人一人に答礼をした。兵のほうは気ままなもので、「雷」に向かって手を振り、体一杯に感謝の意を表 していた。
■9.「サイレント・ネービー」の伝統■
フォール卿は、戦後、外交官として活躍し、定年退職後、1996(平成8)年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓し、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記した。
平成15(2003)年10月、フォール卿は日本の土を踏んだ。
84歳を迎える自身の「人生の締めくくり」として、すでに他界していた工藤艦長の墓参を行い、遺族に感謝の意を表したいと願ったのである。しかし、あいにく墓も遺族も所在が分からず、フォール卿の願いは叶えられなかった。
フォール卿から依頼を受けて、[1]の著者・恵隆之介氏は3ヶ月後に、遺族を見つけ出した。工藤俊作の甥・七郎兵衛氏は「叔父はこんな立派なことをされた のか、生前一切軍務のことは口外しなかった」と落涙した。サイレント・ネービーの伝統を忠実に守って、工藤中佐は己を語らず、黙々と軍人としての職務を忠 実に果たして、静かにこの世を去っていったのである。
(文責:伊勢雅臣)_/_/_/_/_/▲_引用ここまで▲_/_/_/_/_/
感涙!
これも有名な話の様だが、私が知らなかっただけか?
もしも、私と同じく知らなかった方は、今知ったことを、共に喜ぼうではないか。
武士道の 知るや語るは 多けれど
これ為す海軍 軍人のあり
敬礼!
コメント
終わりの方だけ見ました!
自分の乗っていた船が敵兵に沈められしかも自分は、船と運命を共に出来なかったジレンマから戦後は、戦友と会う事もなく表舞台に出る事もなくひっそりと亡くなったという終わり方だったと思います!
例えば、◎◎人なんか乗せた日には、感謝するどころか「もっともっと」と要求がエスカレートして船を乗っ取られる事は、必至です!
著しく危機管理意識のない人がいます!
「今はそれ程の非常事態ではない!」
仰りますが、あまりに認識が違いすぎます!
常に最悪の事態を想定していなくて困難が乗り切れるのでしょうか?
「女の子」とか「誰かの子供」
非常事態になってもそんな事を言ってられますか?
いざとなれば足を引っ張るのは、彼らなのです!
自分のやっている事はだらしない癖に人を支配する材料として軍隊の形式だけを真似たがる人も多い様です!
2007/04/20(金)15:13|
URL |
鵺娘 #/9u.keZw [ 編集]
極限における人間の取れる行いが、如何に崇高なものか
を教えていただいたように思います。
武士道、言葉の上では勝手に理解できるように思えますが、極限状況で実践する、すごい人達が居たんですね。
先人に合掌。
一般市民に原爆といい、市街地絨毯爆撃といい、非人道の所業を行った連合国こそ、戦争責任を問われるべきなんです。
春の例大祭ですね、こんな話を聞くと日本の総理大臣には公人として是非参拝してほしいです。
「国際派日本人養成講座」ブックマークが一つ増えました見る時間があればいいんだけど^^;
2007/04/20(金)17:36|
URL |
ばんばん #- [ 編集]
日本人としての誇り
目が覚めるような記事をありがとうございます。私も残念ながらこの番組を見ることができなかったのですが、この記事を読んで目頭が熱くなりました。こんなに崇高な日本人がいたことに誇りを感じることができてとても嬉しく思います。
このようなことはどんどん広めていくべきだと思いますので、私も自身のブログで紹介させていただきたいと思います。
2007/04/21(土)13:49|
URL |
かついち #JalddpaA [ 編集]
またしても!殿下に脱帽、最敬礼・・・
恐れ入りました!ここまで詳細に「旧帝国海軍軍人」の侍魂(本来在るべき武士の精神)の逸話を、殿下直轄のブログ上に記述していただくなんて、、、。
まず、敬意を表します。
さすがです。
・・・最高です。
そうなんだ、、、
こういう歴史的事実を素直に述べて下さる「歴史のかたりべ」!
今現在、そして将来の日本に、絶対に必要です・・・
('MJ' 饅頭の件、今しばらくお待ち下さい。俄か宿題発生にて、只今即席論文作成作業真っ只中にてパソコンと格闘の毎日なのでありす。このところ視力減退し、めっ たにこらない肩っています。多分今週中には脱稿可能?かくして来週早々、M島に取材に入ります。その時こそ・・・)
いいはなしだなぁ
往々にして、当時の日本軍は悪逆非道として扱われますね。これも敗者の宿命なのでしょうか。アメリカでも、リンドバーグの証言かなんかで、アメリカ軍は面倒がって日本兵を捕虜にしたがらずに、無抵抗状態でも、始末してしまうケースが多く、休暇の褒章を用意して、初めて捕虜にするなんて話を読んだことがあります。
2007/04/25(水)21:57|
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DUCE #- [ 編集]
>鵺娘さん
コメントありがとうございます。>自分の乗っていた船が敵兵に沈められしかも自分は、船と運命を共に出来なかったジレンマから戦後は、戦友と会う事もなく表舞台に出る事もなくひっそりと亡くなったという終わり方だったと思います!
・そうですか。
エピソードより、後の人生が多く紹介されていたのでしょうか?
>例えば、◎◎人なんか乗せた日には、感謝するどころか「もっともっと」と要求がエスカレートして船を乗っ取られる事は、必至です!
・エゲレスだからこその逸話と言うことになりますか。
>「今はそれ程の非常事態ではない!」
仰りますが、あまりに認識が違いすぎます!
常に最悪の事態を想定していなくて困難が乗り切れるのでしょうか?
・なるほどね。
こういう話も付け焼き刃では出来ない事でしょうが、危機管理はもっともっと普段からの意識が重要ですね。
>いざとなれば足を引っ張るのは、彼らなのです!
・平和呆けの報いですね。
>自分のやっている事はだらしない癖に人を支配する材料として軍隊の形式だけを真似たがる人も多い様です!
・責任や義務を端折れば、軍隊の上官ほ楽しい物は無いでしょうからね。
2007/04/27(金)15:26|
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tono #vFsRzAws [ 編集]
>ばんばんさん
コメントありがとうございます。>極限における人間の取れる行いが、如何に崇高なものか
を教えていただいたように思います。
武士道、言葉の上では勝手に理解できるように思えますが、極限状況で実践する、すごい人達が居たんですね。
先人に合掌。
・至極同感です。言う易し行うは難しです。
>一般市民に原爆といい、市街地絨毯爆撃といい、非人道の所業を行った連合国こそ、戦争責任を問われるべきなんです。
春の例大祭ですね、こんな話を聞くと日本の総理大臣には公人として是非参拝してほしいです。
・安倍さん、例大祭には参拝しませんでしたね。
戦略であろうと、情けない限りです。
何を狙っているのか?????
>「国際派日本人養成講座」ブックマークが一つ増えました見る時間があればいいんだけど^^;
・ここ、面白そうですよね。
2007/04/27(金)15:31|
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tono #vFsRzAws [ 編集]
>かついちさん
コメントありがとうございます。>日本人としての誇り
・大和魂(ごころ)というのは、こういう事なんでしょうか?
>目が覚めるような記事をありがとうございます。
私も残念ながらこの番組を見ることができなかったのですが、この記事を読んで目頭が熱くなりました。こんなに崇高な日本人がいたことに誇りを感じることができてとても嬉しく思います。
・私も、友人に感謝です。
読んでいて、うるうるしてきたのは年の勢だけでは無いようで安心しました(笑)。
>このようなことはどんどん広めていくべきだと思いますので、私も自身のブログで紹介させていただきたいと思います。
・どんどん世の人に知ってもらいたいですね。
2007/04/27(金)15:37|
URL |
tono #vFsRzAws [ 編集]
>トーマス執事さん
コメントありがとうございます。>ここまで詳細に「旧帝国海軍軍人」の侍魂(本来在るべき武士の精神)の逸話を、殿下直轄のブログ上に記述していただくなんて、、、。
まず、敬意を表します。
・いやいや、探り当てたというか、転載ですから・・・
それでも、喜んで頂ければ、転載の天才を目指しますか。。。
>こういう歴史的事実を素直に述べて下さる「歴史のかたりべ」!
今現在、そして将来の日本に、絶対に必要です・・・
・少ないですよね。
フジテレビは女子アナはアンポンタンの集まりですが、徐々に真っ当になっていると期待しつつあります。
2007/04/27(金)15:42|
URL |
tono #vFsRzAws [ 編集]
>DUCEさん
コメントありがとうございます。>往々にして、当時の日本軍は悪逆非道として扱われますね。これも敗者の宿命なのでしょうか。
・敗戦国=悪 は宿命でしょうね。
しかし、自国民がそうではいけないのでは無いかと思います。
>アメリカでも、リンドバーグの証言かなんかで、アメリカ軍は面倒がって日本兵を捕虜にしたがらずに、無抵抗状態でも、始末してしまうケースが多く、休暇の褒章を用意して、初めて捕虜にするなんて話を読んだことがあります。
・「硫黄島からの手紙」でさえもそういう場面がありましたね。
2007/04/27(金)15:48|
URL |
tono #vFsRzAws [ 編集]
またしても勉強させていただきました。
本当にありがとうございます。
それにしても思いますが、
何故こういったことが大々的に語り継がれていないのでしょうね。
やっぱり、おかしいと思います。
>刀舟さん
コメントありがとうございます。>またしても勉強させていただきました。
>本当にありがとうございます。
・皆さんで、お互い勉強出来れば知識100倍!←(~-~;)ヾ(-_-;)ウヲイ
>それにしても思いますが、
何故こういったことが大々的に語り継がれていないのでしょうね。
・即、戦争の美化!という思考回路人が多いのでしょうね。
戦争は良いことではありませんが、そのものは外交手段であって犯罪ではありません。
外交手段であればこそ、だからこそこういう事があり得るのだと思います。
>やっぱり、おかしいと思います。
・私もおかしいと思います。
僅かずつでもこうやって広まる気風は維持、拡大していきたいものですね。
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