是清暗殺も軍部暴走もなかったかも? 第二次大戦に至った各国の経済状況 (1/2ページ)
2016.08.16
連載:「日本」の解き方
第二次大戦前の経済は、大恐慌と呼ばれる時代に突入していた。米国の1933年の名目国内総生産(GDP)は、19年から45%減少し、株価は80%超下落。工業生産は平均で30%以上低下し、失業者は1200万人、失業率は25%に達した。
36年ごろにインフレ傾向が出始めると、米連邦準備制度理事会(FRB)は引き締めに転じ、37年には財政支出も大幅にカットされたことで、38年に再び不況になった。
ドイツは第一次大戦後、賠償金負担に苦しみ、通貨を増発しすぎてハイパーインフレに陥った。これを見事に沈静化させていたが、世界恐慌で経済は再び苦境に 陥った。32年の失業者は600万人、失業率は30%を超えた。それを3年間で失業者数を160万人まで減らし、世界恐慌前の経済状態に戻したのが、アド ルフ・ヒトラーの経済政策である。アウトバーンの建設など、積極財政による雇用政策がうまくいったのだ。
日本については、世界恐慌とほぼ同時期に行われた金解禁によって通貨高になり、輸出が落ち込んで昭和恐慌を招いた。立憲民政党の濱口雄幸内閣は、金本位制復帰に伴って緊縮財政を採用し、猛烈なデフレとなった。
31年の経済状況を29年と比較すると、国民所得が2割減、物価は3割減であった。統計上の失業率は8%程度(32年)だったが、統計上の不備などのために過小評価になっており、かなりの失業者がいた。その後、高橋是清の財政・金融政策によって恐慌から抜け出した。
こうした大恐慌について、米国の29年の株価暴落が世界経済に波及し、世界各国でそれぞれの要因によって不況になったというのが俗説であるが、ここ20年くらいの研究でまったく誤っていたことがわかっている。
それが国際比較による大恐慌研究で、ベン・バーナンキ前FRB議長はその権威である。彼によれば、金本位制に執着した国は十分な金融緩和ができずデフレから抜け出せなかったが、金本位制を放棄した国では自由に金融緩和できたのですぐ脱出できたというのだ。
ドイツのヒトラーと日本の高橋是清はいずれも金融緩和をいち早く行い、早期のデフレ脱却に寄与したが、戦争への関わりについては両極端だ。
ヒトラーはいうまでもなく、独裁体制を構築して、戦争に突き進んだ。これに対し、高橋是清はデフレ脱却後、軍事費の緊縮に動いたことで暗殺され、その結 果、軍部の台頭を招いて日本は戦争に向かっていった。ヒトラーに戦争責任はあるが、高橋是清はむしろ戦争を予防しようとした。
ただ、ド イツで大恐慌がなければ、ヒトラーは歴史の表舞台に出てこなかったともいえる。なまじ経済政策でヒトラーは成功したので、独裁体制を招き第二次世界大戦の 元凶となってしまった。日本でも大恐慌がなければ、軍部の独走はなかったかもしれない。経済が貧しくなると、傑出した英雄を求め、その結果として、戦争が 起こりやすくなるのではないか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
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