153:本当にあった怖い名無し:2012/05/17(木) 18:51:54.46 ID:mOgNghLjO
88年、民団青年部が発行した「アボジ聞かせてあの百の事を」という本知ってる?
在日一世にどうやって日本に来たか?というアンケートの結果が掲載されてる
約1500人の一世に実施
その結果、強制連行また強制的に連れてこられたと答えた人は一人もいないんだよね
あれ?おかしいよね?在日はみんな強制連行されたんじゃないの?
それが在日側の主張だったはずだ
朝鮮総連は80万か800万強制連行されたと過去に発言してますよ?
約1500人だが、一人もいないってのはおかしい話だよ
155:本当にあった怖い名無し:2012/05/17(木) 19:04:50.52 ID:+YKelh7IO
>>153
なにも知らないゆとりは失せろ
低level過ぎて相手にならん
154:本当にあった怖い名無し:2012/05/17(木) 18:57:28.50 ID:mOgNghLjO
アボジ聞かせてあの日の事は、検索すりゃ嫌でも出てくるぞ
ソースは?とかドヤ顔で言うなよw
*補足
在日コリアンの来歴 (要点版)
http://satehate.exblog.jp/16807977/
在日コリアン1世のほとんどが強制連行(徴用)と関係ないことは
彼ら自身の調査で明らかです。
「アボジ聞かせて あの日のことを -我々の歴史を取り戻す運動報告書-」
1988 在日本大韓民国青年会中央本部刊
アンケート調査実施の概要
1.調査の対象 在日韓国人で1910年~45年の間に日本に渡航してきた者
(ただし、渡航時に満12歳未満の者は除く)
2.調査の時期 1982年10月25日~1983年1月15日
3.調査の方法 国民登録台帳をもとに各地方に居住する在日朝鮮人の人数に
ほぼ比例するように調査票を割り当て、訪問面接による聴取を行なった。
アンケート回収数 1106名
これによると、大部分は本人の自発的な意思で渡日したもので、
いわゆる"強制連行"が原因で日本に住みついた人は
全体の13.3%しかいないことが分かります。
しかし早い時期に渡日した人はすでに亡くなっていること、
また家族の一員として渡って来た12歳未満の子供は含まれていないので
割合はこれより下がります。
さらに戦後渡ってきた者(密航?)を含めるとさらに低下します。
上記資料の分析で徴用(強制連行)数に疑問を呈しています。
どうやら本当の強制連行者はさらに少なくなるようだ。
「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 89 原書房
(グラフは「アボジ聞かせて あの日のことを -我々の歴史を取り戻す運動報告書-」より)
かつて朝鮮人学校で父母の来日動機を調査したところ、
『朝鮮では食えないから渡航して来た』という回答がほとんどで、
『強制連行』と答えたのは一人しかいなかったので困惑したという報告があるそうだが
(田端元「好太王から朝鮮滅亡後まで」十六)、さもありなんという気がする。
215 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/10(土) 19:19
さて、鮮人の書いたなんとも珍妙な本の話をしておこうかの。
なんという題ぢゃったかの、たしか「朝鮮人強制連行の記録」といったかの。
(朴慶植著 未来社刊)
これが出たのが昭和40年のことぢゃ。
中身はなんのことはない、戦中の徴用動員で鮮人が数多く内地に動員されたことを
少々誇張して書いておるのぢゃが、書いていないこともあっての、
当時は鮮人は日本国民ぢゃて、別に鮮人だけが徴用されたわけのものではない、
日本人みんなが兵役やら徴用やらでお国のために働いておったということぢゃ。
前にも言うたがの、徴用で来た鮮人はたしかにおったし、数もおおかったのぢゃが、
これらはみな戦後の間もないうちにさっさと帰国しおったでの。
後に残ったのは、戦前から来ておるものか、斡旋で来て家族を呼び寄せたものか、
徴用で来てもあまり大きな声ではいえぬ事情で帰れなくなったものぢゃて。
また、いったん帰国してから食い詰めて舞い戻ったものも少ない数ではないのぢゃ。
戦後しばらくは炭坑などでは人手が不足しておったでの。戻っても働き口はあったのぢゃ。
細かいことを言い出せば、この連中は密入国ということになるの。
なにやらの調査では、在日鮮人の一世の1割と少々が、
斡旋やら徴用動員できたものとなっておるらしいがの、
戦後のどさくさに密航してきたものも、ここに入っておることぢゃろうて。
(在日本大韓民国青年会中央本部刊 「アボジ聞かせて あの日のことを」 1988)
216 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/10(土) 19:20
まさか、正直に密航してきたとも言えんぢゃろうからの。
そもそも、強制連行などという言葉はこの本がこしらえた言葉ぢゃよ。
この後、繰り返して鮮人どもが使うようになったがの。
何を妙なことを言い出すかと思ったがの、結局は、鮮人が
日本に居残るための言い訳を考えはじめおったのぢゃろうて。
ぢゃが、昭和も40年頃になると、戦前戦中のことなど知らん連中が
高校生やら大学生くらいの年頃になっておったで、この連中がすっかりとだまされての、
なんと無理やり連れてこられて、国に返してもらえんとは気の毒にと思い込んだものぢゃ。
まだまだ、日本を目指して経済難民がやってくるようになる遥か前のことぢゃ、
日本人は残留孤児のように凄惨な境遇のものを除けばみな外地から引き揚げてきたで、
鮮人が帰国せんのには、なにやら悲惨な事情があるのぢゃろうと考えるものが
おおかったでの。
なにしろ、戦後生まれの連中はの、
鮮人が日本国民であったころの本当の姿を見ておらんで、
鮮人どもは、まんまと「気の毒なひとたち」「かわいそうなひとたち」という印象を
売り込んだのぢゃ。
なんと言うたかの、団塊世代と後に呼ばれることになった連中ぢゃよ。
これがまた、あれこれと騒動をおこすのぢゃ。
それにな、言葉もまだ少々不自由な在日鮮人の一世にくらべて、
この代の鮮人はもう外見上は日本人ぢゃで、同じ日本人が差別されておるとも
見られるようになってきたのぢゃの。http://satehate.exblog.jp/16807977/
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1330276963/
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