2011年12月17日土曜日
福島原発テロの実行犯は吉田昌郎
そんな吉田を必死にマンセーしてた売国奴、青山繁晴も共犯でしょうね。(爆w
で、肝心の件ですが・・・
一応一連のまとめかな・・・
正確にはチンコミサイル教徒が2012年に向け計画されてたテロの証拠隠滅でしょうけどね。(w
まあ更に多分二人ぐらいは友愛されてるでしょうね・・・
ダビデ君たちが必死に誤誘導してたあの二人ですよ。(爆w
まあ後主犯は誰?って話になるわけです・・・
で、肝心の件ですが・・・
一応一連のまとめかな・・・
正確にはチンコミサイル教徒が2012年に向け計画されてたテロの証拠隠滅でしょうけどね。(w
白川伯王家と吉田神道 via kwout
白川伯王家と吉田神道 via kwout
黒い法皇の五芒星は逆五芒星 via kwout
黒い法皇の五芒星は逆五芒星 via kwout
福島3号機:現場独断で冷却停止…3月13日、高圧注水系
2011年12月16日 2時39分
東京電力福島第1原発事故で、3号機の原子炉を冷やすための最後の要となる「高圧注水系(HPCI)」が3月13日に現場の独断で止められ、再起動できな くなっていたことが、政府の事故調査・検証委員会の調べで分かった。3号機は翌日、水素爆発した。1号機でも冷却装置「非常用復水器(IC)」が止まった が、吉田昌郎前所長が稼働していると誤認して事故対応していたこともすでに判明している。指揮系統が機能していなかったことが重大事故につながった可能性がある。今月末に公表される中間報告書に、こうした対応が不適切だったと記載される模様だ。
◇政府事故調、中間報告へ
東電が今月2日に公表した社内調査中間報告書などによると、3号機では東日本大震災が発生した3月11日、電源が喪失し、「原子炉隔離時冷却系 (RCIC)」と呼ばれる別の冷却系が作動、原子炉に注水した。だが、12日午前11時36分には原因不明で停止。原子炉の水位が低下し同日午後0時35 分にHPCIが自動起動したが、13日午前2時42分に停止した、としている。
複数の関係者によると、事故調が経過を調べた結果、運転員がバッテリー切れを恐れ、吉田前所長の判断を仰がずHPCIを止めたことが分かった。その後、HPCI、RCICともに起動を試みたが再開しなかった。報告書は「HPCIを止めない方がよかった」と指摘する見通し。
一方、報告書は津波対策にも言及するとみられる。東電は08年、想定していた高さ5・7メートルを上回る10メートル超の津波の可能性を試算したが、社内で「防潮堤のかさ上げは費用が高くなる」との意見が出された。当時原子力設備管理部長だった吉田前所長らが「学術的性格の強い試算で、そのような津波はこない」と主張したこともあり、具体的な対応は見送られたという。
さらに、報告書は法律に基づいて設置された現地本部が十分機能しなかったことや、政府が「炉心溶融(メルトダウン)」を軽微に感じさせる「炉心損傷」と修正した点にも触れる見込み。閣僚の具体的な関与では今月から聴取を始めており、来夏に作成する最終報告書に盛り込む。
◇高圧注水系◇
非常時に原子炉内に注水するために備えられた緊急炉心冷却装置(ECCS)の一つで、原子炉内の水位が異常に下がった場合に働く。原子炉の余熱で発生する 蒸気を利用してタービン駆動のポンプを動かし、復水貯蔵タンクなどの水を勢いよく炉内上部から炉心(核燃料)に注ぎ込む。停電時でもバッテリーで使用できるのが利点。
◇解説…有事の指揮系統、機能せず
これまで東京電力は「原発事故防止のためにさまざまな取り組みをしてきた」「想定を上回る津波だった」などと主張してきた。しかし、政府の事故調査・検証委員会による関係者聴取から浮かぶのは、「不十分な備え」であり、「人災」という側面すらみえる。
同委員会の調査で、福島第1原発3号機で「高圧注水系(HPCI)」を運転員が独断で止めたことが判明した。今夏までの調査でも1号機の非常用復水器(IC)の停止を吉田昌郎前所長が把握できていなかったことが判明している。重大事故時の備えがなく、運転員にこのような行動をさせた点こそ問題だ。
また、東電の過酷事故時の手順書には、全電源喪失が長時間続くことを想定せず、格納容器を守るためのベント(排気)の手順なども盛り込まれていなかった。備えが不十分で現場の指揮系統が混乱し、最善策を取れなかったとうかがわせる。
過酷事故対策は79年の米スリーマイル島原発事故を契機に、世界的に整備が進んだ。日本でも検討され、原子力安全委員会は92年、事業者に過酷事故対策を 求めた。だが、事業者の自主性に委ね、それ以来、対策内容を見直してこなかった。あらゆる警告を謙虚に受け止めることが関係者に求められる。
【刑事事件②.業務上過失致死傷の罪】 (刑法第211条)
刑法第211条によれば業務上必要な注意を怠り、人を死傷させた者は罰せられる。これと同種の事件に、JR福知山線転覆事故でのJR西日本社長の起訴がある。
以下、東電の事故時の責任者、第一原発所長吉田昌郎らによる犯罪を述べる。
(1)海水注入により塩を析出させ、原子炉とプールの冷却を困難にした罪、吉田昌郎
原子炉と燃料プールに安易に海水を注入した罪。発熱している燃料の周辺で海水が蒸し、塩を析出させて燃料の冷却を困難にした。
淡水は十分にあった。(8)については・・・
(2)1号機で高圧注水系を使用せず、燃料崩頓に導いた罪、吉田昌郎
スリーマイル島事故の教訓で、重大事故の場合ECCS(高圧注水系)を切ってはいけないことになった。しかし、1号機ではこの高圧注水機を使用せず、原子炉を破壊した。
(3)2号機でも高圧注水系を使用せず、海水注水という奇策にこだわった罪、吉田昌郎
2号機では、消防ポンプでの海水注水という奇策にこだわって、高圧注水系を使用せず、原子炉を破壊した。放射能の大量放出につながる重大な過失であった。
(4)3号機、海水注入のため、高圧注水系、低圧注水系を使用しなかった罪、吉田昌郎
3号横では、事故発生時、冷却水喪失の警報が出ているのに注意せず、調子の悪い隔離時冷却系に頼り、高圧注水系も低圧注水系も十分には使用せず、原子炉を破壊した。
(5)2号機で、逃し安全弁を開けた最大の罪、吉田所長
2号機では、14日21時半、原子炉圧力容器の逃し安全弁を開けたことが最大の過失である。この放射能の放出により福島県民は大量被曝することになった。
(6)1号機と3号機で格納容器をベントして放射能を放出した罪、吉田昌郎
格納容器は放射能を閉じ込めることを目的にしている。その格納容器を注水により冷却して減圧する方法を取らず、これをいきなりベントとして放射能を環境に放出した。
(7)3月14日の中性子モニターで証拠隠滅した罪、吉田昌郎
3月14日、6時半から2時間測定デー夕を発表せず、また9時から8時間データを改ざんした罪。3号機爆発の真因の解析を困難にした。
(8)4号機、事前許可の工程表に反して、原子炉に核燃料運び込みの疑惑、吉田昌郎
4号機の爆発(3月15日)の場所は燃料が空っぽの筈の原子炉であった。これを解明するには、4号機の定期検査で何がなされたかの疑惑解明が必要である。
これは事故を超えて犯罪だ
ttp://www.env01.net/ss03/20111003t.pdf
まあ更に多分二人ぐらいは友愛されてるでしょうね・・・
ダビデ君たちが必死に誤誘導してたあの二人ですよ。(爆w
まあ後主犯は誰?って話になるわけです・・・
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44 件のコメント:
ずさんな原発管理はやっぱ日本ホロン部計画の一環だったんでしょうかね。
その後のピカテロ・癌治療ビジネス・フッコー利権確保の必死さを見ると
チンコミサイラー右翼の自滅ってことなんでしょうけど
満州派@東北の予定では、2012の本命は文殊@関西だったのかな。
どちらにしろ311以後は既に2012状態のようなw
敵対勢力を壊滅状態にする寸前に起こった予期しなった自爆によりヴァチカン・イエズス会にとっては存続すら危うい地獄と化してるんですよ、裏では・・・
日本がヴァチカン・カルトに残された最後の希望なんですよね・・・(爆w
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011121601002354.html
【ブリュッセル共同】オランダのカトリック教会における性的虐待の実態を調べていた同国の独立調査委員会は16日、1945年から2010年までに「数万人の未成年者」が神父、修道士ら教会関係者から性的虐待を受けていたとする報告書を発表した。
報告書は、カトリック教会が虐待の報告を受けながら評判を気にして対策を怠り、子どもを虐待した神父らをかばってきたと厳しく批判している。
同国カトリック教会の司教らは声明を発表し、性的虐待への後悔を表明、犠牲者らに謝罪した。
不祥事を抑える力も残ってないって感じですねw
訴訟の神槌田センセの波状攻撃始まってたんですか
なるほろ
人殺しってのは犯行後必ずTVに出たがるんですよね、
捜査や事案の協力者な顔して
>2012の本命は文殊@関西だったのかな。
2010年から福島入りしてる点
311前の形勢からいっても文殊さんは御守、
死なば諸共形勢となる頃があったらばの懐刀でね?
○となる事 で訂正しまふ
旅客機で…
http://mainichi.jp/select/today/news/20111217k0000m010137000c.html?inb=tw
石原慎太郎・東京都知事を党首とする新党構想が動き出し、20日に準備会合を予定していることが16日分かった。国民新党が中心になり、たちあがれ日本や民主、自民両党の一部議員にも参加を呼びかけている。準備会合を重ねた上で来年1月以降の結党を目指す。
石原氏は16日の定例記者会見で新党構想について、「亀井君の思惑もいろいろありましたからね。亀井さんに聞いてください」と述べるにとどめた。
実態は亀井新党という、、、w
加藤晟@紅卍=ワールドメイトの名前が取り沙汰されるのもこれ関係ですかなw
もの凄い腐臭を放っていますね、、、w
海外に居るから何を妄想しても良いって事にはならんだろうに。
そういや・・
●小沢被告第10回公判「小沢さんは無罪」前田元検事「見立て違いの妄想」と捜査批判
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111216-00000599-san-soci
波風起きそうですな。。。
業務上過失致死傷の罪は明白です。
これだけ多くのミスを起こしてるわけですから意図的にと疑われても仕方がないでしょう。
>小沢被告第10回公判「小沢さんは無罪」前田元検事「見立て違いの妄想」と捜査批判
いくら検察批判しても無駄。
検察は小沢を起訴してませんから。
小沢の弁護側は起訴した検察審査会という事実が理解できてないのか印象操作する以外に弁護のしようがないようですね。
鷲見一雄の視点
検察は公明正大でなければならない。その意味で大きな問題だ。田代検事と特捜部幹部の大失態だ。
「特捜の独自捜査」という制度は「1人でも検事の大きな失態が表に出たらたちまち危機に陥る」という弱点を持っている。大阪地検特捜部の前田元主任検事、大坪、佐賀元正副部長と同じ構造の事案だ。
指定弁護士の起訴に影響が出るとは思わないが、笠間検事総長は徹底的に解明し、国民に背景事情と田代検事と特捜部正副部長、主任検事の真意を明らかにすべきである。
http://www.shihoujournal.co.jp/colum/111216_1.html
姓じゃないけど
故・藤田田氏
母親がキリスト教徒だった事から、「口」に「十字架」で十字架のメッセージを語れるように、という意味で「田」という名前になったとされている。
>吉田
フジ山の麓の吉田は
近くでアレやらコレやら(ry
島津藩家紋でもあるけどキリスト教の印かな?
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011121501001744.html
>国際原子力機関(IAEA)が今年2月、査察対象となっている日本の原子力関連施設の核物質報告漏れについて、日本側に「深刻な懸念」を伝え、通常は査察の対象にしない廃棄物を検査したいと異例の申し入れをしていた
>>予期しなった自爆
本当に予期してなかったのかな?やる気でやった自爆かと思ってたよ。そう思えば吉田の行動も専門家として的を射てるでしょ?
>4号機の爆発(3月15日)の場所は燃料が空っぽの筈の原子炉であった。
>これを解明するには、4号機の定期検査で何がなされたかの疑惑解明が必要である。
怪し過ぎw
時事通信 12月17日(土)6時50分配信
【ベルリン時事】ドイツのベルリン市内各地で開かれているクリスマス市で、通りすがりの男に薬物を混入したアルコール飲料を勧められた市民が嘔吐(おうと)やめまいなどの症状を起こす被害が相次いでいる。警察は男の似顔絵を公開し、市民や観光客に注意を呼び掛けている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011121700064
鍵田 忠兵衛氏(かぎた・ちゅうべえ=自民党元衆院議員、元奈良市長)16日午前、脳いっ血 のため滞在先の韓国・済州島で死去、54歳。奈良市出身。自宅は同市北御門町20の1。葬儀は19日午前11時から同市佐保台1の3574の4、ならやま 会館で。喪主は妻美智子(みちこ)さん。
中曽根康弘元首相の秘書などを経て、2004年から奈良市長に。05年衆院選で当選(比例代表近畿ブロック)後、09年に奈良市長選に立候補したが、落選。11年4月に奈良県議選で当選した。(2011/12/16-18:09)
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2011121600755
お名前とか滞在先とか喪主とかいろいろry…
公明党に影で票をたらふく貰っている者同士。
あ、学会票と云うべきか。
しかし、原発廃止を公言している御仁と原発推進の御仁とのすり合わせはどこら辺。
東京電力福島第1原発で汚染水関連のタンク増設工事に携わっていた三菱重工業の関係作業員52人がノロウイルスに集団感染したことが17日、分かった。(2011/12/17-11:23)
つhttp://hyperpixeler.blogspot.com/2011/12/20.html
吉田さんが捕まったら殿下とか山田さんは死んでまうのw?
米ロサンゼルス郊外アーウィンデールにある電力会社サザン・カリフォルニア・エジソンの支社のオフィスに16日、銃を持った男が押し入り、同社の社員2人を射殺した。他に2人が負傷し、男はその場で自殺した。ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版)などが伝えた。
同紙によると、男は現場のオフィスでIT関連の仕事をしていたという。目撃者の話から、特定の人物を狙って撃ったとみられる。(共同)
本筋は・・・
鍵田忠兵衛「宝蔵院流高田派槍術」の宗家が韓国で友愛される
http://tokumei10.blogspot.com/2011/12/blog-post_7706.html
東京電力は17日、福島第一原子力発電所で復旧作業に当たる、三菱重工業と関連企業の社員ら52人がノロウイルスに集団感染したとみられると発表した。
3人からウイルスが確認された。集団感染に伴い、汚染水処理に伴う廃棄物をためるタンクの設置作業が中断しているが、東電はタンクに余裕はあり現時点での影響はないとしている。東電は感染経路を調べている。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111217-OYT1T00379.htm
キチガイテロカルトがファビョりまくってますなあ。(w
表のニュースだけではなにがなんだが状態でw
バンピーには見えてこない世界なんで、的外れな米してすみません。
>文殊さんは御守 死なば諸共形勢となる頃があったらばの懐刀
なるほどです。
>清原枝賢(きよはら・しげかた、1520~90):キリシタン公家。唯一神道の確立者である吉田兼倶の曾孫。彼の娘マリアは細川忠興夫人に侍女として仕え、セスペデス司祭の指導の下にガラシャの霊名で洗礼を授けた。
怪しすぎですなw
ダビデ君たちが必死に誤誘導してたあの二人ですよ。(爆w
このネタ書いたBOB氏の記事がいつもの倍のアクセス数だったの覚えてる
なんか必死なの湧いてたし
バカチン・カルトリック狂会の陰毛
こそが本命なのかな?
シリーズ原発危機
メルトダウン 福島第一原発 あのとき何が
日本を代表する国民から受信料を頂戴している公共放送会社作成
問題となっている「非常用復水器」の概要と運用の失敗の過程について、わかりやすい資料と考えます
スクリプト 作りました
取り扱いは団長さんにお任せいたします
「放射線モニター 確認して」
「了解」
(2011年)3月11日
総ての電源を失った直後の東京電力福島第一原子力発電所
原子炉を制御できないという異常事態に陥っていました
「ドライウェル 圧力確認 600㌔パスカル」
「ドライウェル 圧力異常上昇 600㌔パスカル」
あのとき、現場でいったい何が起きていたのか
NHKは独自に入手した資料や写真、100人を超す関係者への取材をもとに、知られざる中央制御室の状況を再現しました
「イソコンの弁の状態、見えました」
「イソコン、起動しよう」
「2A弁、3A弁、開」
・発電所員の証言(取材メモ)
目の前で起こっていることが、本当に現実なのかと思った
・発電所幹部の証言(取材メモ)
最悪、メルトダウンがどんどん進み、コントロール不能になると感じた
さらに、最新のシミュレーションで、巨大津波が、どのように原発を襲ったのか、映像化
原子炉内部がメルトダウンに至る過程も、秒単位で再現しました
メルトダウンは想像を超えるスピードで進み、原子炉を破壊していったのです
現場はどこまで事態を把握していたのか
最前線にいた東京電力の責任者が、初めて取材に応じました
・東京電力福島第一原発 福良昌敏ユニット所長
現実問題として、何もできないんですよ
おそらく…あの、要は、炉心損傷を防ぐために、何か、その、何か有効な手立てが打てるか、あの時間で、かなり難しいと思いますね、ええ
大量の放射性物質を撒き散らした、世界最悪レヴェルの、原発事故
本当に止めることは、できなかったのか
あの日の真実に迫ります
メルトダウン 福島第一原発 あのとき何が
・根元良弘 取材デスク
わたしがいるこのセット、福島第一原発1号機の中央制御室を再現したものです
事故から9ヵ月、政府は今月16日、事故の収束に向けた工程表のステップ2の終了を宣言し、ひとつの節目を迎えました
しかし、いまだに、この事故を巡っては、わからないことが数多く残されています
1号機から3号機総てで起きたメルトダウンは、本当に防げなかったのか
多くの住民を避難に追い込んだ、大量の放射性物質が、どこからどのように放出されたのか
地震の揺れによる影響はなかったのか
高い放射線量で現場を確認できないこともあって、事故の核心部分は謎のままです
こうした疑問に少しでも迫ろうと、わたしたちは、あの日、この中央制御室や対策本部で直接事故の対応にあたった当事者たちに取材を積み重ねてきました。
取材をもとに、専門家と議論を重ね、あの日、ここで何が起きていたのか、その真相に迫ろうとしました
そこから見えてきたのは、事故の進展を遅らせ、拡大を防ぐ幾つかのチャンスが、あったということでした
2011年3月11日 1号機 中央制御室
再現映像
地震発生直前、運転員が、様々な計器を指で示しながら、運転に異常が無い状況を大きな声で読み上げる
「原子炉水位 異常ありません」
「了解」
3月11日、中央制御室では、当直長以下、11人が通常通り、原発の運転業務を行っていました
「原子炉 定格出力運転中」
「了解」
(2011年)3月11日 午後2時46分
・発電所員の証言
今まで経験したことのない、長い揺れだった
・発電所員の証言
揺れがあまりにも長くて、レバーを握りしめたまま、座り込んでしまう者もいた
「スクラム確認っ!」
「制御棒、全挿入」
「自動スクラム 確認」
「原子炉 自動停止」
「原子炉 自動停止、自動スクラム確認しました」
「原子炉 自動停止」
「了解」
中央制御室のすぐ隣にある原子炉
地震を感知した瞬間、核分裂反応を止めるための、スクラムという操作が、自動で始まります
わずか2秒で、核燃料の間に制御棒が挿入されました
ところが
「外部電源喪失ッ!」
「非常用DG(ディーゼル)確認して」
「非常用DG AB共、稼働 確認しました」
「了解」
「1号機 外部電源 喪失」
(敷地内にある送電線が倒れている映像)
地震によって、原発の操作に必要な外からの電力の供給が途絶えました
運転員たちは、マニュアルに従って、原子炉を冷やす作業に入ります
・発電所幹部の証言
外部電源が喪失しても、非常用ディーゼル発電機が立ち上がったことで、着々と冷温停止に向けた作業を進めていた
地震後の操作は順調だった
「原子炉圧 ()」
「減圧、確認して」
「イソコン 起動しました 1452(14時52分)」
「了解」
1452
原子炉を止めたあとも、核燃料は、膨大な熱を出し続けるため、冷やす必要があります
1号機には多くの冷却装置が備えられています
その一つ、イソコン
非常用復水器(イソコン)が自動で起動しました
運転員のほとんどが使ったことのない、この装置
「イソコン3A弁、閉操作します」
・回想
通常、イソコンは使わない
動いているのは、一度も見たことがない
この装置が、その後、事故の進展に大きな意味を持っていくのです
地震発生から51分後(15時37分05秒 デジタル時計の電光表示が突然消える)
「どうした?」
「----パワーセンターに異常」
「どうしたッ!」
「わかりません、電源系に不具合」
「原因、確認して」
「----パワーセンターに異常でしょう、電源が供給されていません」
・回想
その瞬間は何が起きたのか 全くわからなかった
・回想
目の前で起こっていることが、本当に現実なのかと思った
しかし、実際には10㍍を超す、巨大津波が押し寄せていました
原発の機能は、津波によって、どのように奪われていったのか
わたしたちは、独自に入手した、福島第一原発の詳細な図面から、建物の配置や構造を精密に再現、
・北海道大学 地震観測専門分野 谷岡 勇市郎教授
津波のシミュレーションの専門家(北海道大学 地震観測専門分野 谷岡 勇市郎教授)に依頼し、原発を襲った津波の姿を、浮かび上がらせました
初めて明らかになった、津波の侵入経路です
最初に押し寄せたのは、南東方向から
そこは防波堤の無いエリアでした
さらに高さ10㍍を超す、第2波が襲います
1号機に押し寄せる津波
50㌧を超える強い力に、シャッターは耐えられませんでした
その先に並ぶ電源盤が浸水
立ち上がったばかりの非常用ディーゼル発電機からの電気が途絶えます
さらに水は地下へ
その先にあったのが、最後の命綱となるバッテリー
他の電源が総て失われても、一時的に機器を動かし、原子炉を冷やすことができます
しかし、このエリアも水没
全電源喪失という事態に陥ったのです
非常灯以外は総て消えた中央制御室
(袋から懐中電灯を手探りで取り出す再現シーン)
この状況に対応するマニュアルは、全く用意されていません
およそ30個の懐中電灯をかき集め、真っ先に原子炉の状態を確認します
「非常用エンジン 停止」
「電源の状況を、確認」
「炉の状況を、確認、水位、炉圧、温度を確認」
「炉圧、水位、確認できません」
「1号機15時42分、交流電源、直流、共に喪失」
・運転員の回想
とにかく、まったく原子炉の監視ができない状態は一番まずい
操作するための電源もない、何もできない状態になった
どのような状況になっていったのか
わたしたちは独自に、原子炉の詳細なシミュレーションを行うことにしました
依頼したのは、原発の事故対策やシミュレーション、そして原子炉の専門家たちです
・法政大学(原子力プラント工学) 宮野廣 客員教授
・大阪大学(シビアアクシデント対策) 片岡勲 教授
・エネルギー総合工学研究所(シミュレーション) 内藤正則 部長
・東京工業大学(原子炉物理) 二ノ方壽 教授
分析に使うのは、世界で高い評価を受けているサンプソン(SAMPSON)というプログラム
国や東京電力の発表を踏まえたうえで、取材で明らかになった機器の操作状況などを新たに入力
メルトダウンの進展を秒単位で分析します
3カ月をかけたシミュレーションの結果です
総ての電源を失った後、水位は急速に低下
わずか1時間15分20秒で、水位は燃料の上部にまで下がります
首相官邸
この頃
枝野官房長官(当時)
原子炉そのものに、今、問題があるわけではありません
放射能が現に漏れているとか、現に漏れるような状況になっているということでは、ございません
メルトダウンへ向かう原子炉
正確な情報は、その後も伝えられませんでした
全電源喪失から4時間39分後、燃料が完全に露出
空焚きの状態に陥ります
そして、深夜には、メルトダウンが始まっていたのです
原子炉の専門家たちも、これほどの状態は想像していませんでした
特に驚いたのは、水位が下がっていく、そのスピードでした
・大阪大学(シビアアクシデント対策) 片岡勲 教授
(燃料上部まで)1時間というのは、早すぎるという感じがしますけれども
本当に(冷却水の)循環がなければ水が減っていく可能性はありますね
・法政大学(原子力プラント工学) 宮野廣 客員教授
早いと思いますね
でも考えてみればそうだと思いますね、考えてみりゃ、そうだなって
・東京工業大学(原子炉物理) 二ノ方壽 教授
冷却水がなくなっていった時点から、炉心(核燃料)がどうなっていくかについては、ほとんど未知の世界なんですよね
メルトダウンした燃料の温度は、2800度を超えます
全電源喪失から10時間37分20秒後、燃料は原子炉を突き破り、格納容器の底に溜まっていったのです
いわゆるメルトスルーでした
専門家の予想を遥かに上回るスピードで進んでいたメルトダウン
当時を振り返ると、私自身、深夜遅くに、1号機がメルトダウンに至っているという認識はありませんでした
当時の発表の情報と今回のシミュレーションの結果です、
シミュレーションでは、核燃料が露出し始めたのは、午後4時52分
午後8時過ぎには、核燃料が完全に露出し、空焚きの状態になっていました
しかし、実際には、午後8時前に会見した、当時の枝野官房長官は、深刻な状態には至っていないと説明していました
さらに、メルトスルーしたあとも、核燃料の上に水があると、説明していました
当時、いかに事態を正しく認識していなかったかが、わかります
では、このメルトダウンの進展を、少しでも遅らせ、事故の拡大を防ぐ手立てはなかったのか
わたしたちは、総ての電源を失った今回、当時、1号機唯一冷却手段となっていた、イソコン(非常用復水器)に注目しました
福島第一原発で、(2011年)11月に撮影された映像です
1号機の原子炉建屋の4階
奥に見えてきた赤いタンク
これが、運転員たちが「イソコン」と呼ぶ非常用復水器です
国の事故調査検証委員会も注目している装置です
実は、非常用復水器は、電源が無くても原子炉を冷却でき唯一の装置です
原子炉から噴き出た熱い蒸気が、水を貯めたタンクの中を通ることで冷やされ、水になって再び戻ります
この循環で、原子炉を冷却し続けることができるのです
・アメリカ コネティカット州
世界最大の原発大国、アメリカ
ここでは、非常用復水器を、メルトダウンを防ぐ重要な装置と位置づけています
・ミルストン原子力発電所
福島第一原発1号機と同じタイプのミルストン原発です
原子炉建屋の4階にある、巨大なタンク(ISO.CONDENSER)
非常用復水器です
この装置を使うには、原子炉との間にある弁を開ける必要があります
あそこにあるのが、非常用復水器の弁です
手動で開けることができます
青いのですか?
ええ、あのハンドルを回して弁を開ければ、稼働されることができます
しかし、注意しなくてはならないことがあります
電源のバッテリーが失われた際、一旦、弁が自動で閉じるのです
安全を確認するまでの、予防的な措置です
そのため、アメリカでは、電源がなくなった場合を想定し、非常用復水器の弁を開ける訓練が行われています
アメリカの原子力規制委員会の指示を受けて作られたガイドラインです
非常用復水器の手動による操作(Manual Operation of RCIC or Isolation Condenser)
メルトダウンを防ぐために、非常用復水器の弁を、手動で開けることができるよう、備えておく必要があると、記しています
・原発事故対策の専門官 エド・ダイク氏
(全ての)電源を喪失した場合は、非常用復水器の弁を必ず開けておかなければなりません
何があっても、非常用復水器だけは、即座に稼働させなければならないのです
電源を喪失した場合、手動で起動させる非常用復水器
しかし、この基本的な使い方が、日本では十分に理解されていませんでした
中央制御室のホワイトボードに記された、事故への対応
善電源喪失の後、非常用復水器を意識した形跡はありません
一旦、停止したことに、気づいていなかったのです
・運転員の回想
津波が来た後も、イソコン(非常用復水器)は動いていると、なんとなく思っていた
初めてイソコンの文字が出てくるのは、午後5時19分
このときが、事故の悪化を防ぐ最初の大きなチャンスでした
運転員を見回りに行かせます
「イソコンの場所は、原子炉建屋の4階だなあ」
「原子炉建屋の4階、北側に、A系、B系、2台、並んでいます」
「イソコンの現場確認を実施しよう」
{はい」
「危機の損傷がないか、現場で、目視確認」
「了解」
「現場は暗いので、十分、注意」
「了解」
非常用復水器を確認に向かった運転員
しかし、このチャンスは活かされませんでした
原子炉建屋の扉を開けたとき(ガイガーカウンターの反応音)、線量計が通常より高い放射線を検知しました
普段の装備だった運転員は、ここで引き返します
その結果、非常用復水器が止まっていることに、気づかないまま、原子炉の状態が悪化していったのです。
このとき、1号機の状況を、どのように認識していたのか
事故から9ヵ月、現場で対応を指揮した責任者が、初めてインタビューに応じました
(2011年)12月11日
非常用復水器の弁の仕組みは、対策本部でも、十分に理解されていなかったといいます
・東京電力福島第一原発 福良昌敏 ユニット所長
「福良さんご自身も、イソコンについては、まあ、あの、電源を失った後も、引き続き動いているだろうと?」
「そういう認識でした、ええ、動いていると思っていました
で、あの、逆に止まったということになれば、おそらく、まあ、止まったという情報があがってくるんだろうというは、なんとなく、頭にありましたしねえ、ええ」
非常用復水器が、動いていると誤って認識していた東京電力
原子炉の状態は、どのようになっていたのか
善電源喪失から、僅か1時間余りで、水位は燃料の上部まで低下
非常用復水器の確認ができず、運転員が引き返してきた時点では、核燃料の半分以上が露出
燃料の加熱が始まっていました
午後6時過ぎ
(1号機中央制御室で、イソコン開閉のランプの状態を懐中電灯で照らすシーン)
「イソコンの弁の状態、見えました」
非常用復水器が止まっていることに気付く機会が再び訪れます
「3A弁、閉 2A弁も閉です」
バッテリーが一時的に回復し、非常用復水器のランプが点灯したのです
緑色は、弁が閉じ、装置が停止していることを示します
しかし、電源が失われた時、装置が止まることを知らない運転員たちは、一時的に弁が閉じたのではないかと、考えました
・運転員の回想
・運転員の回想
津波のあと、ずっと止まっているとは思わなかった
「イソコンが起動できるか」
「イソコン、起動しようとしています」
「イソコン、起動しよう、2A弁、3A弁 開
「それから、外行って、外部蒸気発生確認、誰か行けるか?」
「確認してきます」
「イソコン、2A弁、3A弁、開」
「了解 イソコン 2A弁、開」
「イソコン、3A弁、開」
「イソコン、起動、確認」
「了解、時間、18時18分 1号機、イソコン、起動、時間、18時18分」
ようやく、動き出した非常用復水器
しかし、それを再び止めてしまう事態になります
非常用復水器が起動すると、タンクの水が温められ、「放射性物質を含まない大量の蒸気」が噴き出します
起動した直後、その蒸気を見たという運転員
しかし、すぐに蒸気が見えなくなったと報告が入りました
「イソコン、運転続けますか?」
「一旦、3A弁、閉にしよう」
「了解」
「イソコン、3A弁、閉」
「了解、イソコン3A弁、閉にします」
「1号機、18時25分、イソコン、停止しました」
唯一の冷却装置をなぜ止めてしまったのか
現場は非常用復水器が壊れることを懸念したといいます
・発電所幹部の証言
蒸気が出ていないため、空焚きになっているのではないかと疑った
・発電所幹部の証言
非常用復水器が壊れると、放射性物質が外に直接放出される
原子炉はまだ大丈夫だと思っていたので、あの時点では間違った判断だとは思わない
非常用復水器を止めるべきではなかったと、指摘する専門家もいます
非常用復水器は、頑丈に作られているため、タンクから水がなくなっても、壊れることはないというのです
・大阪大学(シビアアクシデント対策) 片岡勲 教授
(タンクに)水が無い状態だったら、はるかに材料的には楽(安全)なはずです
あの、問題はないはずです
当然、壊れることを考える必要はない
このとき、非常用復水器が通常通り動き続けた場合のシミュレーションです
一旦、下がっていた水位が、燃料の半分近くまで回復
メルトダウンの開始を7時間程度、遅らせられるという結果でした
この時間を活かし、非常用復水器に水を追加するなどの対応を進めれば、原子炉は壊れない可能性が浮かび上がってきました
・東京工業大学(原子炉物理) 二ノ方壽 教授
(原子)炉容器が破損することはあり得ないと思います、で、格納容器が壊れることもないと思います、
だから、ほとんど、あの、放射性物質の放出はなかったと考えていいと思います
IC(非常用復水器)がはたらいていればっていう条件ですけどね
・法政大学(原子力プラント工学) 宮野廣 客員教授
どういう事態であっても、まあ、動かせばね、冷却効果に必ず付加するわけですから
そういう意味で、止めるべきって問題ではなくて、必ず動かした方がいいということだというふうに思います
非常用復水器を止めたという報告は、中央制御室から対策本部へ伝えられたとされています
しかし、発電所幹部は、この重要な情報を、認識できていませんでした
2号機、3号機と、同時に危機が進み、情報が錯綜していたといいます
・当時 免震棟にいた東電関係者
1号機どうだったと考えているうちに、多分30分、1時間たぶん経っちゃって、今度は2号機がどうだとかっていう話になっちゃって、その時は、2号機が悪くなっていく、負のスパイラルっていうか
刻一刻とやらなければいけないっていうのは、非常に、なんか、もう、複合的な(事故)は難しいなと思いましたけど
総ての電源を失っても、非常用復水器が動いていると思い続けてしまった背景には、アメリカと違い、日本ではバッテリーが長時間にわたり総て失われるということを、想定していなかったことがあります
そのため、何が起きるのか、どんな対処をすればいいのか、誰も正確に認識していなかったのです
正確な事態の把握を阻む、もうひとつの要因も浮かび上がってきました
当時、中央制御室では、電源の喪失によって、こちらの原子炉の状態を知る総ての計器類が見えなくなっていました
(原子炉水位を示すメーターのクローズアップ映像)
このころ、運転員たちが最も気にしていたのは、原子炉の水位です
実は、この水位計の表示が誤っていて、深刻な事態の把握を遅らせることになるのです
2011年3月11日 午後9時ごろ
11日、午後9時ごろ、シミュレーションによれば、1号機の原子炉は、既に燃料が完全に露出
非常に危険な状態になっていました
しかし、中央制御室は、そうした事態を認識できていませんでした
「12ボルトのバッテリー、持ってきました」
「早く盤に繋いで」
「何を優先にしますか?」
「まずは、水位」
「了解」
通勤バス用のバッテリーを運び込み、計器の一部を復旧しようとします
すると
「原子炉水位 見えました、TAF(燃料上部) プラス200」
「了解」
水位が燃料上部より上にある
原子炉内の状態とは、大きく異なる表示が出たのです
対策本部でも、1号機はまだ大丈夫という認識が広がったといいます
・東京電力福島第一原発 福良昌敏 ユニット所長
表示が復活した以上、あの、まあ、それをもとに、いろいろ考えるっていうことですね
見え始めた水位を、燃料の、あの、頭よりも上にある、あったんですよね、若干ですけどもね、ええ
ですから、そこらへんの判断からして、ええ、まあ、損傷に至っているかどうかっていうのは
そうですねえ、あの、難しいんじゃないんですかねえ
なぜ、水位計は重大な局面で、正しい値を示さなかったのか
日本の原発の多くは、福島第一原発と同じ仕組みの水位計を使っています
水位計が正しい値を示さなかった理由は、原発の中心部にありました
原子炉と直接繋がっている、この金属製の容器
中には原子炉の水位を測るのに必要な一定量の水が常に入っています
この水が水位計の基準となります
1号機では原子炉が空焚きになった結果、容器が高温になり、基準となる水が蒸発
そのため、水位が正しく測れなくなっていたのです
さらに、基準の水が減ると、原子炉の水位計は、実際より高い値を示すことがわかってきました
右が基準の水を入れた容器
中央が原子炉に見立てた装置
その水位を左の画面に表示します
1号機と同じように容器の中の水を減らします
すると、原子炉の水は変化していないにもかかわらず、水位を示す表示だけが上昇していきます
・アメリカ スリーマイル島
水位計は原発の安全性にかかわる重要な機器です
1979年、アメリカで起きたスリーマイル島原発事故
・スリーマイル島原発事故の報告書(アメリカ原子力規制委員会)
この事故を検証したアメリカの原子力規制委員会の報告書です
運転員は水が無いのに、「ある」と勘違いをさせられた
原子炉の水位を把握できなかったことが、事故を悪化させたことの原因のひとつでした
この事故をきっかけに、日本でも非常時に信頼できる水位計を作るべきだという議論が起きました
しかし、有効な改善がされないまま、今に至っていたのです
・1号機中央制御室の再現映像
「原子炉燃料域、水位 TAF(核燃料上部) プラス500」
全電喪失から、およそ7時間後
運転員は水位計を疑い始めます
水を入れていない原子炉の水位計が、上昇し続けたからです
運転員がホワイトボードに書き記した記録
「水位計 あてにならない」
「A/W 圧力健全性 確認」
(設定したタイマーの音)
10分ごとに水位計を読み上げる運転員たち
「原子炉水位 TAF(燃料上部) プラス590)
最も重要な原子炉の監視には、この水位計を頼りにするしかなかったのです
運転員たちが、ようやく原子炉の危険な状態を把握したのは、全電源が喪失してから、8時間あまり
バッテリーによる計器の復旧が、さらに進み、これまで確認できなかった格納容器の圧力を見たときでした
「ドライウェル(格納容器)圧力確認 600㌔パスカル」
「ドライウェル(格納容器)圧力異常上昇」
「ドライウェル(格納容器)圧力異常上昇、了解」
このときの原子炉の状態です(シミュレーションの想定上)
燃料は1200度まで上昇
大量の放射性物質が漏れ始めていました
メルトダウンは時間の問題でした
1号機の異常は、すぐに(対策本部)に伝えられました
対策本部は大きな決断を迫られます
それは「ベント」という作業の実施でした
ベントは格納容器の破損を防ぐために、中の空気を放出し、(格納容器の中の)圧力を下げることです
危機的状況に気付いたとき、残されていたのは、「放射性物質を外に出す」という最後の手段でした
・東京電力福島第一原発 福良昌敏 ユニット所長
あの、圧力が高くなっていますから、ベントを急がなくっちゃいけないっていうのは、まあ、それはもう、みんなの共通認識で、それの方向で、あの、準備を始めたんですね
焦燥感も、免震棟の中には、かなりあったと思います、ええ
数字自体は極めて悪いところまできていましたし、ええ、なんとか早くしなければいけないっていうことですね、ええ
運転員たちが、ベントの準備を進めているさなか、午前1時9分50秒、ついにメルトダウンが始まりました(シミュレーション上の想定)
・1号機中央制御室 再現映像
「放射線モニター、上昇、数値が上昇傾向」
中央制御室の中でも、放射線量が上がり、防護服や顔全体を覆うマスクを着用せざるを得ない状況になっていました
この時点でも、原発内で、メルトダウンが議論されることは無かったといいます
ベントの実施のため、原子炉の建屋の中に向かう運転員たち
・回想
若い運転員も原子炉建屋内での作業に手を挙げてくれた
でも、状況がわからないなか、行かせられない
行ったのはベテランたちだった
・2011年3月12日 午後2時30分
ようやくベントにこぎつけたのは、12日、午後2時半のことでした
その1時間後
(すさまじい衝撃音)
「ドライウェル 圧力 確認」
「ドライウェル 圧力 確認できません」
・回想
部屋全体が、白いほこりに覆われた
椅子から転がり落ちる人もいた
・回想
最初に頭をよぎったのは、格納容器が爆発したということ
正直、終わったなと思った
(中央制御室から対策本部に連絡)
「(強い?)衝撃がありました、(不明)建屋の外に、退避させたいと思います」
中央制御室を襲った衝撃
1号機の建屋上部が爆発したのです
原子炉から漏れ出た水素が原因でした
・1号機中央制御室の再現映像
1号機の中央制御室では、原子炉の状態を確認するため、最小限の人数が残りました
ひとりの運転員が呼びかけたといいます
「写真を撮らないか?」
「よし、撮るぞ」
このとき、実際に撮影された写真です
・発電所員の証言
原子炉の状態もわからない
頭がおかしくなりそうだった
・発電所員の証言
正直、自分は生きて戻れないと思っていた
1号機に続き、3号機もメルトダウンの末、水素爆発
核のエネルギーを制御することはできませんでした
3月15日には、やはりメルトダウンを起こした2号機から、今回の事故で最も大量の放射性物質が放出されたとみられています
・東京電力福島第一原子力発電所 福良昌敏 ユニット所長 2011年12月11日 撮影
持っているエネルギーが大きいのでえ、そりゃ、細心の注意を払いながら、運用してきましたと、いうふうなことで、ずっときているわけですよね
だから、発電所、運営している会社は、こういう重大な結果を招いてますんでねえ、
それは、やっぱり、あの、悔しいとかなんとかいう以前に、やはり、その、申し訳ないと、いうことだと思うんですよ
わたし自身も、ええ
うん、まだ、その、はっきりと、あの、収束したということにもなっていませんのでね
史上、最悪規模の原発事故
大量の放射性物質によって、大地と海は汚染されたままです
事故から9ヵ月、いまだに避難生活を余儀なくされている人は、15万人を超えます
・根元良弘 取材デスク
福島第一原発の事故は、天災との複合災害
複数の原子炉が、同時に危機的状況に陥るという世界でも例のない深刻な事態でした
水素爆発が次々と起こる中、現場の当事者たちは、事故の進展を食い止めようと、最後まで対応に当たりました
しかし、経験もマニュアルもないまま、困難な作業を強いられました
今回、わたしたちの取材から、重要な冷却装置の仕組みを十分理解していなかった問題や、緊急時に頼りにならない水位計を使ってきた問題が明らかになりました
こうした事前の備えの甘さが、結果的に事故の拡大を防ぐチャンスを逃すことにつながりました
大量の放射性物質の放出によって、多くの住民が避難を強いられている結果の重大性を考えたとき、困難だった、想定外だったでは、決してすまされません
核エネルギーの持つ危険性への認識が欠けていたと言わざるを得ません
今後、原発をどうしていくのか
今回の事故の徹底した検証なしに、その議論はできないと考えます
-XXX-
8月11日 18時9分
東京電力福島第一原子力発電所で、事故対応の指揮を執った吉田昌郎前所長のインタビュー映像が、福島市で開かれたシンポジウムで上映されました。
映像の中で吉田前所長は「3号機で水素爆発が起きたときは、数十人の作業員の行方が分からず、死者が出るかもしれないと思った」などと、当時の状況や心境を語っています。
この映像は、長野県にある出版社が、11日に福島市で開いたシンポジウムで上映するため、先月10日に東京都内で撮影しました。
映像では、はじめに吉田前所長が「福島の地元の方にご迷惑をおかけしています」と陳謝したあと、事故発生直後の状況や心境をおよそ30分間にわたって語っています。
また、吉田前所長は最も衝撃的だったこととして、3号機の水素爆発を挙げ、「自分や作業員も含めて、死んでいてもおかしくない状況だった。がれきが飛んできて最初、数十人が行方不明になった。10人くらいが死んだかもしれないと思った」などと述べました。
さ らに、第一原発の今後については、「事故責任の追及も大事だが、日本だけでなく世界の知見を集めてより安定化させることが一番求められていると思う。それ が地元の人たちにとって改善したと実感してもらえることだ。私自身も体力が戻ったら現場で力を出したい」と述べ、復帰への意欲ものぞかせていました。
吉田前所長は、去年末に食道がんと診断されて所長を退任し、治療を続けていますが、今回の映像が収録されたあとの先月下旬には、脳出血のため緊急の手術を受けています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120811/t10014219901000.html
>・運転員の回想
・運転員の回想
津波のあと、ずっと止まっているとは思わなかった
この箇所が
・運転員の回想
津波のあと、ずっと止まっているとは思わなかった
・運転員の回想
まだ原子炉には水があるという情報もあった
ただ、視察を兼ねた観光旅行として、世界各地の原子力発電所や核関連施設、研究施設を訪ねたことが、複数回あったはずですから、そのときの資料が、ただ埃をかぶってどこかに放置されていなかったことを願うばかりです。
対策本部の誰かは、外部に技術的な支援を要請したのでしょうか?
なんとなく、○○○○に刃物
株式会社BMR運転訓練センターのテキストに、ICについて、どのようなことが書かれているのか、ぜひ、知りたいものです。
教育内容全般について、詳細に再検証すべきですね。
毎日新聞 2012年08月11日 19時15分(最終更新 08月11日 23時31分)
東 京電力福島第1原発事故で、収束作業の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長(57)=現在は本店原子力・立地本部付=が出演したビデオが11日、福島市であっ たシンポジウムで上映された。吉田氏は「事故で一番インパクトがあったのは3号機の水素爆発(昨年3月14日)だった」と振り返り、「自分も含めて死んで もおかしくない状態だった。(爆発で)10人ぐらいは死んだかもしれないと思った」と述べた。吉田氏が退任後に事故時の心境を語るのは初めて。
吉田氏は冒頭、「政府などの事故調査委員会が一段落するまで、自分が話すことはルール違反と思っていた」と、インタビュービデオを公開した理由を説明。今後の課題については「事故の責任問題もきちっとやるべきだが、第1原発を安定化させることがベースになる」と強調した。
東 電が第1原発から全面撤退を検討したとされる問題については、「本店と官邸との間の騒ぎで、現場では絶対に一言も言っていない」と断言。「もし現場を離れ れば、5、6号機もメルト(ダウン)し、燃料が溶ける。福島第2原発も人が近づけなくなり、大惨事になる。そこまで考えれば当然(第1原発からは)逃げら れない」と述べた。
さらに、原発に残った所員が死亡した場合を考え、「墓標」の代わりにするために、ホワイトボードに所員の名前を列挙し て記入したとの当時の秘話を紹介。高い放射線量を顧みず、現場に行く部下について「へろへろで、寝ることもできず、食事も十分でなく、体力的に限界という 中で、現場に行く連中がたくさんいた。私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩(ぼさつ)のイメージを、すさまじい地獄のよう な状態の中で感じた」と述べた。
ビデオは約30分間。シンポジウムは、長野県の出版社「文屋」が主催した。
吉田氏は、健康診断で食道がん が見つかったため昨年12月、所長職を退いた。今春に手術を受けて自宅療養していたが、先月26日、外出先で体調不良を訴え、脳出血で緊急手術を受けた。 ビデオ収録はその前の10日に行われた。主催者によると、収録の際、吉田氏は「お盆明けには復帰したい」と話し、体調は良好な様子だったという。【中西拓 司】
http://web.archive.org/web/20120814222357/http://mainichi.jp/select/news/20120812k0000m040026000c.html
http://web.archive.org/web/201208160045
29/http://mainichi.jp/select/news/20120812k0000m040026000c2.html
毎日新聞 2012年08月11日 19時21分(最終更新 08月11日 19時36分)
吉田昌郎・福島第1原発前所長のビデオでの発言全文は次の通り。
−−第1原発の現場の声を伝えてほしい。
◆ 昨年の大震災、それから私たちの発電所の事故で福島県の地元の方々に本当にご迷惑をおかけしている。この場で深くおわび申し上げる。まだしばらくこういう 状況が続くが、我々も全力を挙げて復旧しており、ご理解をお願いする。本来ならこの講演会に自分で出てきたいと思っていたが、昨年末から病気でずっと入院 していてまだ体力が回復していない。そういう中でこういうビデオレターということで失礼する。政府などの事故調査委員会が開催されている中で、なかなか一 般のマスコミの方に我々の生の声を届けるわけにはいかないと思っていた。事故調査委員会が一段落するまでは変な形でお話しをすることはルール違反になると 私は思っていた。そういう中で(今回)話を聞いていただけるということは大変ありがたいと思っている。
−−発電所からの全面撤退がささやかれている。事実は?
◆ しゃべりだすととまらないが、基本的に私が考えていたのは第1原発をどうやって安定化させるかということに尽きる。そういう時に我々が現場を離れるという ことは絶対にあってはならない。かといって人命は非常に尊いので、関係のない人といったらおかしいが、事故の収拾に直接関与していない人には避難していた だく。ただやはり現場で原子炉を冷やしたり、そういう作業をしている人間は撤退できないと思っていたし、本店にも撤退ということは一言も言っていないし、 私は思ってもいなかった。本店には一言も撤退と言っていないということは間違いない。事故調にもそう話をしている。あとでいぶかしく思ったが結局、本店と 官邸の間でそういう撤退騒ぎが起こっているが現場では一言も絶対そういうことは言っていない。これは間違っていない。
−−自らの命を亡くす覚悟はあったか?
◆ 覚悟というほどの覚悟があったかはよくわからないが、結局、我々が離れてしまって注水ができなくなってしまうということは、もっとひどく放射能漏れにな る。そうすると5、6号機はプラントはなんとか安定しているが、人もいなくなると結局あそこもメルト(ダウン)するというか、燃料が溶けることになる。そ のまま放っておくと、もっと放射能も出る。福島第2原発も一生懸命、プラントを安定化させたが、あそこにも人が近づけなくなるかもしれない。そうなると非 常に大惨事になる。そこまで考えれば、当然のことながら逃げられない。そんな中で大変な放射能、放射線がある中で、現場に何回も行ってくれた同僚たちがい るが、私が何をしたというよりも彼らが一生懸命やってくれて、私はただ見てただけの話だ。私は何もしていない。実際ああやって現場に行ってくれた同僚一人 一人は、本当にありがたい。私自身が免震重要棟にずっと座っているのが仕事で、現場に行けていない。いろいろな指示の中で本当にあとから現場に話を聞くと 大変だったなと思うが、(部下は)そこに飛び込んでいってくれた。本当に飛び込んでいってくれた連中がたくさんいる。私が昔から読んでいる法華経の中に地 面から菩薩(ぼさつ)がわいてくるというところがあるが、そんなイメージがすさまじい地獄のような状態で感じた。現場に行って、(免震重要棟に)上がって きてヘロヘロになって寝ていない、食事も十分ではない、体力的に限界という中で、現場に行って上がってまた現場に行こうとしている連中がたくさんいた。そ れを見た時にこの人たちのために何かできることを私はしなければならないと思った。そういう人たちがいたから、(第1原発の収束について)このレベルまで もっていけたと私は思っている。
−−吉田さんは所員の精神の支柱だった。
◆私は何もしていない。私のとりえは福島第1原 発に4回、赴任したことだ。第1原発のメンバーの名前もほとんどわかっているし、協力企業さんも結構つきあいがあり、名前で呼べるんですね。「○○さん、 ○○くん、大丈夫か」とか。それだけだ。それで声をかけただけだ。私は。何もできていない。みんなやってくれたということだ。いまだにそう思っている。
−−事細かなコミュニケーションをとったということか?
◆そうだ。やはり知らない間じゃないということだ。昔から一緒に仕事をした仲間だ。そういう仲間が大変な現場に行って帰ってき、出て行くというのを見ているので、頭を下げるしかない。
−−3号機が爆発した段階では死ぬかと思ったか?
◆ 今回一番インパクトがあったのは1号機もそうだが、3号機の爆発というのがあった。これは今まで経験した中で非常に、あとから考えれば水素爆発だったが、 その時点では何が起こったかわからないという状態なので、これから、もう破滅的に何か起こってるんじゃないかと思った。爆発について。一つは自分が死ぬと いうこと、メンバーも含めて、免震重要棟の人間は死んでたっておかしくない状態だった。3号機なんかは特にそうだった。あれだけのがれきが飛んできて。私 は、最初は行方不明者が何人ということを聞いた時に、確か数十人レベルでまだ安否が確認できていないというのが最初の状況だった。ああこれは10人ぐらい 死んだかもしれないというふうに思った。そこから時々刻々、だれだれがという話が入ってきて、軽傷の人間は何人かいたが。それから自衛隊の方には本当に申 し訳なかった。水を補給しにきてくれた自衛隊の部隊がけがをされて、本当に申し訳ないと思っている。不幸中の幸いで人命にかかわるものではなく、これはあ る意味、仏様のあれかなという感じが私はしている。
−−原発に残ったメンバーの名前をホワイトボードに書くように指示したとのことだが、どのような思いだったか?
◆ほとんどその時のことを思い出せないが、たぶん、要するに最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞということを残しておこうということだ。今から思えば。わかんないですよ。私自身。本当に。
−−墓標になると思って書いたということか。
◆はい。そうだ。
−−最後に何かお話はあるか?
◆ いずれにしても今回の事象は、いろいろ国会とか政府事故調、民間事故調などで書かれているが、我々は特に政府事故調にはすべてを話をさせていただいた。マ スコミの方からいろいろ問い合わせがあるが、お話は全部すべてそちらでさせていただいているので、そこをベースに考えていただければいいと思っている。た だやっぱりなかなか我々の肉声というのは通じない。調査委員会を通すと肉声がなかなか届かない。その部分はいろいろな形でちゃんとメッセージを発信してい かないといけないと思っている。私一人ではなくてあそこで一緒にやったいろいろな仲間の経験をちゃんと伝えたい。
−−これから第1原発や福島県はどうあるべきか?
◆ そういう次元の高い話になると今すぐに答えがないが、やっぱり発電所をどうきちっと安定化させるかがベースだ。そこができていない中で、地元にお帰りいた だくわけにはいかないので、そこが最大の(課題だ)。これは事故当時も言っていたが、日本国中だけでなく世界の知恵を集めて、より発電所、第1原発をより 安定化させることが一番求められている。いろいろなだれの責任うんぬんということもきちっとやるべきだが、やはり発電所を少しでも安定させる。それには人 も必要だし、技術もいろいろな知恵が必要だ。そこに傾注するということが重要なことだと思う。そのうえで、地元の方々に(通常の)生活に戻っていただける か考えることができる。いずれにしても現場を落ち着かせる、安定化させることが一番重要な責務だ。私はちょっとまだ十分な体力がないが、戻ったらそういう 形で現場のために力を届けたい。
http://web.archive.org/web/20120812004526/http://mainichi.jp/select/news/20120812k0000m040027000c.html
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http://archive.today/eeTFc