「ノーマンは共産主義者」英断定 GHQ幹部 MI5、35年の留学時
ハーバートノーマン

日本占領政策に影響
  カナダの外交官でGHQ(連合国軍総司令部)幹部だったハーバート・ノーマンが英ケンブリッジ大に留学していた1935年、英MI5(情報局保安部)が ノーマンを共産主義者だと断定し、第二次大戦後の51年にカナダ政府に通報していたことが26日、英国立公文書館所蔵の秘密文書で明らかになった。ノーマ ンは50年代にソ連のスパイ疑惑が持ち上がったが、MI5が既に戦前から共産主義者と断定していたことで、ノーマンが関わり、左翼的傾向が強かった初期の GHQの日本占領政策の再検証が求められそうだ。(編集委員 岡部伸)
                
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 ノーマンはカナダ人宣教師の息子として長野県軽井沢町に生まれ、日本語も堪能で、GHQ内で強い発言力を持っていた。

 秘密文書「ノーマン・ファイル」(分類番号KV2/3261)は、英国内のスパイ摘発や国家機密漏洩(ろうえい)阻止などの防諜を担うMI5などの文書のうち、「共産主義者とその共感者」と名付けられたカテゴリーに含められていた。

  MI5のガイ・リッデル副長官がカナダ連邦騎馬警察(RCMP)のニコルソン長官にあてた51年10月9日付の書簡では、33~35年にノーマンがケンブ リッジ大学に留学中の共産主義活動に言及。「インド学生秘密共産主義グループを代表してインド人学生の共産主義への勧誘の責任者を務めていたノーマンが 35年にイギリス共産党に深く関係していたことは疑いようがない」と記されている。この時期のノーマンは、33年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ に入学して急進的な雰囲気に染まり、社会主義者クラブに参加していたことが知られている。

 文書によると、MI5の断定の根拠となったの は、インド国外のインド人を監視するインドの情報機関「IPI」の調査だった。同機関は35年4月、卒業直前のノーマンがインド人学生を共産主義グループ に勧誘する責任者を務めたことが断定できる複数の証拠や証言を入手し、MI5に提供。MI5は同年7月、ノーマンを共産主義者と見なしたが、この事実はカ ナダや米国政府には伏せられた。

 ところが、50年に米上院でノーマンがソ連のスパイだという疑惑が 浮上。さらに51年5月には、ノーマンと同じケンブリッジ大トリニティ・カレッジを同じころに卒業した英外務省高官のバージェンスとマクリーンが失踪し、 同大在学中に共産主義に傾倒した5人によるソ連のスパイ網「ケンブリッジ5」の疑惑が浮上。MI5は、ノーマンはそこにつながる「ケンブリッジ・リング」 の1人だという疑いを強め、51年10月に急遽(きゅうきょ)、RCMPに通報した。

 カナダ外務省は50年10月24日に同省高官だったノーマンを尋問したが、ノーマンは「共産党員だったことはなかった」と答え、その後も否定を繰り返した。

  作家の工藤美代子氏は「世界有数の情報機関、MI5がケンブリッジ時代のノーマンを共産主義者と判断してカナダ政府に情報提供していた意義は大きい。冷戦 時代に『赤狩り』といわれて不当な弾圧として非難されたマッカーシー上院議員の主張は、一般論としては正しかったことが裏付けられる」と語っている。 msn産経ニュース2014.7.27
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140727/amr14072711000003-n1.htm 



天皇制批判、政治犯利用、自虐史観の基 GHQ幹部のノーマン マルクス主義色の「民主化」
MI5ハーバートノーマン

 英国MI5(情報局保安部)が共産主義者と断定していたカナダの外交官、ハーバート・ノーマンは、GHQ(連合国軍総司令部)で日本の占領政策に関わり、有数の日本専門家としての発言力を背景にマルクス主義色の濃い「民主化」を進めた。(編集委員 岡部伸)
                   
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  GHQ対敵諜報部調査分析課長として、ノーマンが以前勤務していた日本に戻ってきたのは1945(昭和20)年9月。ハーバード大時代に親交があった都留 重人(後の一橋大学長)と、マルクス主義の憲法学者、鈴木安蔵を訪ね、「今こそ日本の民主化のために憲法改正を実践に移す好機だ」と憲法草案作成を働きか けた。
                   
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 治安維持法適用第1号の京都学連事件で検挙された鈴木は、ノーマンの助言を受け、天皇制廃止を主張していた元東大教授の高野岩三郎と憲法研究会を結成。同年12月26日に政府の改正草案より1カ月早く憲法草案要綱を発表。この草案を参考にGHQが最終草案を作った。

  その過程で、ノーマンは「君たちの憲法草案も(天皇制を廃した)共和制ではないが、どういうわけだ」と質問。鈴木が「今の状態で国民的合意を得ることがむ ずかしい」と答えたところ、ノーマンは「今こそチャンスなのに、またしても天皇が存在する改革案なのか」と反論したという。

 日本人の自発意思により作成した「民主的」とされる憲法草案も、ノーマンの工作で生まれたものだったということになる。ノーマンが重視したのは、1条の「天皇は、日本国の象徴であり(中略)この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」の部分で、「国民の総意」を口実に天皇制を廃止できるようにしたといわれる。
                   
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 また同年10月5日、府中刑務所を訪問し、志賀義雄と徳田球一ら共産党の政治犯にGHQ指令での釈放を伝えた。そして同7日と9日、志賀と徳田らを尋問し、占領軍に反対する人名と背景を聞き出した。彼らの情報を占領政策に利用しようとしたという。

 民政局(GS)次長のケーディスが中心となって実施した公職追放でもノーマンが右腕として関わる。同年10月4日の指令で、内務大臣、警察幹部、特高警察の罷免を指示。さらに政治家、官吏、教員から地方政界、財界、言論界まで20万人以上の日本人を公職から追放。対象者の人選はケーディスが核となり、ノーマンが協力したといわれる。追放によって、教育界や言論界で共産主義シンパや左派伸長の遠因となった。

 さらにノーマンは、「戦犯容疑者」の調査を担当。GHQから委託されて近衛文麿と木戸幸一をA級戦犯に指名し、起訴するために意見書をまとめた。

  ノーマンは木戸と姻戚関係にあった都留から情報を得て、同年11月5日と8日に「戦争責任に関する覚書」を作成してGHQに提出するが、「彼が戦争犯罪人 にあたるとの強い印象をもった」と近衛への筆鋒(ひっぽう)は鋭かった。同年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示され、戦犯指名されないとみられて いた近衛に「A級戦犯」として逮捕令状が出されたのは12月6日。近衛は出頭期日の12月16日に命を絶った。ノーマンが近衛を戦犯指名するよう工作した といわれる。
                   
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 また、ノーマンがハーバード大学の博士論文として執筆した著 書「日本における近代国家の成立」は、GHQが日本理解のバイブルとして利用したとされる。戦前の日本を人民の生活と諸権利を犠牲にし、封建的要素を濃く 残した、いびつな近代社会と指弾するものだった。日本共産党の講座派マルクス主義理論に依拠する歴史観は、制裁的な占領政策を推進するニューディーラー (ルーズベルト大統領のニューディール政策支持者)たちに大きな影響を与え、戦後の日本に自虐史観を根付かせる要因となった。=文中敬称略
msn産経ニュース2014.7.27
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140727/amr14072711080004-n1.htm

参考
反日ネットワークの正体 ←ハーバート・ノーマン
「ベトナム反戦運動でアジア共産化ドミノに失敗したのは日米同盟があるせいだと考えた。そしてハーバート・ノーマンの理論を使って日米同盟解体を目論んだ」

日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社 ←志賀義雄・徳田球一